語源辞典《た行》


語源辞典《た行》
言葉・言語語源
「平たい魚」である事から平魚(タイラウオ)と名付けられた。
退屈 退屈の語源は仏教用語。仏道の修行に疲れて、心が後退して困難に屈する事。こうしてやる気がなくなると、つい暇を持て余すので、そんな状態を「退屈」と言うようになった。
大黒柱 家を支える大切な柱の事。それが転じて、一家を支える人をそう呼んだ。
醍醐味 「醍醐」とは仏教を通じてインドから伝わった言葉で、古代で最高に美味なる食物の事。牛乳から製する食品で、乳、酪、生酥、熟酥のプロセスを経て、最上の乳製品である醍醐が出来る。その製法過程を、悟りを開く過程、すなわち仏教の最高真理にたとえ、「醍醐のような最上の教え」を醍醐味といった。
大根役者 大根は大根おろしを始め、煮物など、いかなる料理にしても食当たりをしない事から、技量に乏しく芸のつたない役者は、いくら起用しても当たらない事の例えから。
大衆 仏教では「だいしゅ」と読み、仏教に帰依した多くの僧をいった。はじめは僧一般をさしていたが、天台宗で役職につかない学僧をとくに「大衆」と呼ぶようになってから、天台座主ら高僧に支配された僧の意味合いが生じ、現在の大衆の語源となった。
大正 「易経」の中の「大亨は以って正天の道なり」という言葉から「大」と「正」をとって名付けた。天が民の言葉を嘉納し、政(まつりごと)が正しく行われるという意味。
大丈夫 「丈」は長さの単位で約3m。「夫」は男。とにかくデカイ男。それに「大」がついてしまうから、大巨人。という事で、絶対に安心という事になる。
台所 語源は平安時代の「台盤所」にさかのぼる。「台盤」とは食物を盛った盤をのせる四脚の台。「台盤所」とは宮中で台盤を扱うところ、すなわち料理する部屋のことで、清涼殿の中にあり、そこには女房が詰めていた。中世になると武家や農家でもかまどのある部屋を「台所」と呼ぶようになって一般化した。
台無し 「台」とは、仏像を安置する台座の事。これがなければ、仏像の威厳は保てず面目丸つぶれというわけ。
台風 明治時代末期までは台風は「野分(のわき)」と呼ばれて、明治末になってようやく中央気象台で「台風」と呼ばれるようになった。「台風」は、英語の「タイフーン」からとったもの。そして、語源はギリシア神話で嵐の中でゼウスと戦った巨人の名前「テューポン」だとされている。
大福 大福餅はもともと食べるとお腹がふくれるので「腹太餅(はらぶともち)」と呼ばれていた。その後、お玉という女性が大腹餅という名前をつけて売り出すと、どうせなら腹より福の方が縁起が良いとの助言があり、大福餅になった。
太平洋 マゼランが最初の横断航海が平穏であった事から、そこを「平和な海」(mare pacifieum)と名付けた。
高飛車 将棋用語。飛車が中央に出て、高圧的に相手を攻める戦法。それと同じで高圧的な事を「高飛車」と言うようになった。
タキシード アメリカ・ニューヨーク州タキシード湖畔の保養地に「タキシード・パーク」という有名な社交クラブがあった。クラブの夜会服のスタイルがタキシードのルーツ。
沢庵漬け 沢庵和尚が考案したからという説が有名。また、九州では糖と塩で漬けたものを沢庵(じゃくあん)と呼び、それがタクワンとなったとの説もある。また、「タクワン」という名前は「たくわえ漬け」が転化したもので、「たくわえ漬け」は平安時代にすでにあったので、そうなると、沢庵和尚が発明したものでないという事になる。沢庵和尚が「タクワン」を発明者になったかと言えば、「たくわえ漬け」の「たくわえ」が「沢庵」が発音が似ている説、沢庵和尚の墓石が「たくわえ漬け」の重しの石に似ているために墓を見た人達が自分の家の漬物石を「たくわん石」と呼んで、それが「たくわん漬け」になり「タクワン」になった説がある。
黄昏 古くは「誰(た)そ彼(かれ)」と書き、人のさまの見分けにくいときの意。これから夕暮れ時をさすことばに転じた。一説には、農夫が田から退いて宿に帰る意で、田退(たそがれ)の意とするものもある。
蛇足 中国の「戦国策」の故事に基づく。ある集まりで、蛇の絵を早く書き上げたら酒を飲めるという話が持ちあがり、最初にできたものが酒を飲もうとしながら蛇に足を描き加えているうちに、他の者が書きあげ、「蛇に足などない」と言って、その酒をとって飲んでしまった。先に蛇の足を書いた者は、酒を飲み損なってしまったという話から。
タダ 漢字で「只」と書くが、「只」という字は「ロ」と「ハ」から出来ている。このため、タダの事を「ロハ」と言う。この言葉は、明治時代の本屋さんで、新聞広告に「値段の安いこと、ロハのごとし」と出したのが、一般の人の間に流行したと言われる。
ただいま 語源は「たったいま」で、帰宅とは何の関係もない言葉だった。「たったいま帰りました」と丁寧に言っていたのが、短縮されて「ただいま」になったようだ。
立ち往生 語源は「弁慶の立往生」に由来。源義経と弁慶の主従が藤原泰衡に攻められた衣川の決戦で、力尽きた義経は自害し、弁慶は一歩も退かずに討手を睨みつけ、立ったまま死んだという。「立往生」の本来の意味は、立ったまま往生することであった。
ダックスフンド 「ダックスフンド」は16世紀頃にドイツでアナグマやウサギを狩る猟犬として、品種改良されてつくられた犬。穴の中にいるアナグマなどを、穴にはいって追い出せるように、足が短くされたのである。名前も「アナグマ(Dachs)を狩る犬(Hund)」という意味から「ダックスフンド」とついた。
蓼食う虫 「蓼」という植物(ヤナギタデ)が苦味とクセのある臭気を持っていて誰も好まないにもかかわらず、それを食べる虫がいるところから、生き物にはむそれぞれ好き好きがあるという意味にも用いられる。その「蓼」を食う虫だが、一般的に「蓼虫」と言われる「ホタルハムシ」などの甲虫の事。
七夕 「たなばた」というのは、もとは布を織る機(はた)の事で、その機に棚(たな)がついたので「棚機」と呼んだと言われるが、中国の古い言い伝え「織女伝説」(天の川の東側にいる織女星と西側に居る牽牛星は、愛し合っているけど、普段は会うことが出来ず、年に一度、7月7日の晩だけデートをする事が許される伝説)に出てくる織女星は、いくつもの機を織っていたので「棚機女」とか「棚機星」とか呼ばれていた。そこから転じて、年に一度の逢瀬の日、七夕を「たなばた」と呼ぶようになった。
谷啓 ダニー・ケイをもじった芸名
旅人 語源は食べ物をもらいながら歩いた人、すなわち「たべにん」がなまって「たびにん」となったもの。
ダフ屋 チケット=札(ふだ)をひっくり返した隠語。
玉子 玉子の語源は、まず玉は宝石のようにすぐれて美しい、丸いものの意味。目玉、玉の肌などの玉で、丸くて価値のあるのが玉。子は子供の子で「玉子」となります。
玉の輿 「輿」とは、昔、高貴な人達が乗っていた乗り物の事。中でも特別富貴な人たちは、まるで玉のように美しい輿に乗ったことから、こう言われるようになった。
ダメ押し 本来は囲碁の言葉。「ダメ」は「駄目」で、黒と白の境にあってどちらにも属さない目の事。勝負は決ったのに、どれくらいの差だったのかを確かめるために、駄目にも碁石を置くことがある。それを「駄目押し」という。それが転じて「念を押す」と言った意味になった。
ため口江戸時代、おもに大阪の商家では、下働きの子にちょっとした用を頼むのに、お駄賃をあげる習慣があった。このお駄賃を「ため」と詠んでいた。したがって、「ため口」とは、お駄賃をあげるような下働きの子、つまり目下の者に対して使う言葉だった。
タモリ 本名の森田をひっくりかえしてカタカナにしたもので、愛称がそのまま芸名になった。
たらいまわし 「たらいまわし」は曲芸の名前。曲芸師が仰向けになって、足でタライを回す芸。時には、二人の曲芸師がタライでキャッボールをすることもある。その様子が役所などで「たらいまわし」そっくりな為。
たわけもの 語源は「田分(たわけ)」からきている。農民が自分の跡をつがせるために、子供に田畑を分け与えるが、子供が二、三人もいると、一人当たりの面積が少なくなり、また田畑をもらった子供たちが自分の子供たちに、その子供が自分の子供に…というように、田畑をどんどん引き継いでいくと、しまいには一人当たりの面積が極めて少なくなり、全員が食べていけなくなる。それで「田分」は、愚か者のする事だというので、阿呆、馬鹿という意味で「たわけもの」と言うようになった。
段取り 今でこそ、寺社の石段は、勿論、ビルの階段、エスカレーターなどの高さ、勾配、段数、奥行き等は、全て工学的に計算されつくした上で作られているが、その昔は、石段を作るとなれば長年の経験とカンに頼ってステップ、つまり、段をとらなければならなかった。この時の、勾配に段を何段取るかという計算を段取りといい、その良し悪しで「段取りが良い」「段取りが悪い」といっていた。
旦那 語源はサンスクリット語で「施主」とか「檀家」といった意味の「ダンナパティ」。初めは僧侶が使っていたのだが、やがて一般にも広まった。今では妻が夫を気軽にこう呼ぶ。
チップ 18世紀のイギリスのコーヒー店で出来た言葉とされている。その店のボーイが「To Insure Promptness(敏速を約束するために)」と書いた箱を持って、客席を回ってコインをねだったから。その頭文字が「チップ」だったというわけ。また、「Take It Please(お気に召すまま)」から生まれた言葉という他説も色々とあります。
千鳥足 チドリ(シロチドリ)からきている。チドリは三本指で足の後ろ指がない。このため、足を左右に踏み違えるように歩く習性を持っている。この歩き方が、一見、右にヨロヨロ、左にヨロヨロしているので、俗に足元の不確かな歩きを千鳥足と言うようになった。
千葉 千葉(多くのという意味)の果樹を植えていた国主の美しい庭園に、天女が舞い降り、国主はその美しさに魅入られて天女を妻としたという伝説に由来。
茶番劇 語源は江戸時代に歌舞伎の大部屋役者が大入りのご祝儀で茶菓子をふるまったことに由来。茶を煎じる役の意で、茶をふるまうだけではなく、その場にある品物を手にして、身振りで滑稽な仕草を演じたことから。
ちやほや 特別にいつくしんで愛する事を「蝶よ花よ」と表現するが、これが変形して「ちやほや」になった。
茶碗 語源は茶道にある。鎌倉時代のころまでの食事は、木や土器の器に飯もおかずもいっしょに盛り切りにされていた。やがて飯とおかずが別盛りにされるようになり、茶道の普及とともに、茶をのむ器に飯を盛るようになった。それを「茶碗」と呼んだ。
ちゃんこ鍋 部屋の食事の係はベテラン力士が勤めることが多く、「お父ちゃん」と呼ばれていたため、それが訛って「ちゃん公」になった説。また、江戸時代に長崎に巡業にいった時に見つけた中華鍋料理に用いられていた、底の浅い板金製の鍋の鏟鍋(チャンクォ)がお相撲さんたちの人気を呼び、以来、食事の事を「ちゃんこ」と呼ぶようになった説がある。
チャンポン 色々な酒を飲むのをチャンポンと言う、「チャン」は鉦を鳴らした音で、「ポン」は鼓をたたいたときの音。鉦はお囃子に使う楽器で、鼓は能の謡曲などに使う楽器。まったく違う二つの楽器を同時に鳴らしたら、収支のつかないゴチャマゼになるので、これが悪酔いにつながるので、チャンポンとなった。
中元 語源は古く、古代中国の道教の祭礼に基づくもの。中国では、七月十五日を中元といって徹夜で祭りが行われたが、日本に伝わると、そのうちの中元が、仏教の盂蘭盆会と結びつき、お盆の行事が生まれた。また日本独自の民間行事に年の半分の節目を祝って世話になった人へ贈り物をする習慣があり、それとも結びついて「中元」の贈り物が定着することになった。
超ド級 20世紀初頭、イギリスは凄い性能を持つ戦艦を造り、これに、ドレットノートと命名した。この戦艦は全ての面で、画期的なものだった。その為、他国の戦艦は、トレッドノートの前に、すっかり影を薄くし、これを契機に、各国が、トレッドノートをしのぐ戦艦の建造を始めた。この時、日本の新聞などは、ドレッドノートを凌ぐ戦艦に対して「超ド級」と表現を用いた。以来、この超ド級という言葉は、信じられない大物とか、大きい物に対して使われるようになった。
チョコレート メキシコ原住民の言語・アズテク語のチョコラトルに由来する。このチョコとはカカオのことで、ラトルは水という意味。つまりカカオの実を砕いて水に溶いた、どろどろのものがチョコラトルで、メキシコを征服したコルテスがこれを祖国スペインに持ち帰り、珍しい飲み物としてヨーロッパで広がった。その後、スペイン人が砂糖で甘みをつけて「チョコレート」と発音したのが語源とされる。
ちょっかい 本来「ちょっかい」とは、ネコが前足を出してものをかき寄せようとする動作を表した言葉。人にしょっちゅうお節介を焼く様子が、ネコのそんな動作を連想させるために、そう呼ばれるようになった。
チョンガー 語源が、中国の男性の髪型からきている。中国語の「総角」という字を朝鮮読みにしたものが「チョンガー」で、「総角」とは、髪をおさげにして、その端を丸く反らせたヘアスタイルの事。昔の朝鮮の若者は、成人して結婚するまで、皆、この髪型にしていた。でも、成人しても生活力がなく、いつまでもこの髪型にしている若者を蔑んだ意味に使われるように変わってしまった。日本には、第二次世界大戦の引揚げ者が、もたらして一般的に広まった言葉。
チンプンカン 「チンプンカン」は「珍聞漢」とも書いたと言われている。これは、江戸時代初期の頃から使われた言葉で、オランダ人の言葉を真似たものだと言われる。江戸時代の人は、日本にきたオランダ人の言葉が「チンプンカン、チンプンカン」と聞こえたので、聞いてもさっぱりわからない事を「チンプンカン」と言うようになった。
付き合い 室町時代に連歌が流行した。次々に句をつないで連歌を作ることを「付合(つきあい)」といった。また、連歌の集まりを「付合の会」といい、それが略されて、訛ったのが「付き合い」で、人と人全般の交わりをいうようになった。
月並み 明治時代、正岡子規を中心とする新俳句運動が、旧態依然としたそれまでの俳句を「月並俳句」といったところから、変わりばえのしないことを「月並」というようになった。
つじつま 漢字で書くと「辻褄」で、「辻」も「褄」も裁縫の用語。「辻」は縫い目が十文字に合うところ、「褄」は着物の裾の左右が合うところ。すなわち裁縫の状態がきちんと合っているという意味。
土左衛門 江戸時代、江戸深川の八幡神社の境内で、相撲の興行があったとき、奥州から成瀬川土左衛門という力士が江戸に出てきた。この男、物凄くブクブク太っていた上に、色が白く、まるで水死体のように見えたので、それ以来、江戸では、水死体の事を「土左衛門」と呼ぶようになった。
角隠し 「角隠し」は「つのかくし」ではなく「すみかくし」と読むのが正しかった。この「すみかくし」、もとは浄土真宗の女信者が寺参りの時に用いた被り物だった。幅はおよそ12cm、長さは72cmの白絹で、前髪にかぶせ、後ろで止めた。額のすみ(髪の毛の生え際)を隠すために被ったと言われ、素顔を見せないためである。しかし、それが婚礼衣装として使われるようになってから、「つのかくし」となって、意味が違ってきた。つまり、角をもって生まれた女は場合によっては鬼神となりますが、婚礼の時だけはそっと隠して、優しく振舞おうという事になったと言われている。
手当て まずどこか具合が悪くなると、手のひらを当ててみたところから、怪我や病気を治す事を「手当て」というようになった。
帝王切開 帝王切開はラテン語でsectiocaesareaといい、このcaesareaは切る、切り刻むと言った意味で、ところが、それをドイツ語に訳すとき、caesareaがcaesar(カエサル)に誤訳された。Caesaとは、ローマ帝王ジュリアス・シーザーの事。これが、帝王切開のという言葉の由来。また、帝王ジュリアス・シーザーが帝王切開で生まれた事から、帝王切開というようになった説もある。
亭主 川柳には「女房の妬くほど亭主もてもせず」だの「亭主の好きな赤烏帽子”だのと、「亭主」なる言葉がかなり古くから夫をさしていたことを物語る文句がある。現在でこそ小バカにしたような言葉だったするが、もとは相当な尊敬語。その語源は、「たとえば客あって旅亭に寄宿し暫くして去る、しかして人を接待し、すべて去ることなきを名づけて、亭主となす」という、ある仏典の中にある言葉から。「亭」というのは、高い楼のある邸宅のこと。その邸宅の主がつまり「亭主」。この仏典の中の意味では「亭主」はいわばもてなしをする人の意味があるが、この意味が残っているのがお茶席における「亭主」。たとえ女性であっても、もてなす側として「亭主」と呼ばれる。何はともあれ、こういう言葉が転じて、一般家庭の家長をそう呼ぶようになり、やがて夫のことをさすようになった。
泥酔 中国の「異物志」の文献の中に、「泥」は虫の名で、南海にすむという空想上の虫で骨がなく、水中にいるときは活発だが、水を離れると酔って正体をなくし、泥の塊のようになってしまうという虫と記されている。ここから泥虫のように酔っ払うことを「泥酔」といった。
ディスカウント ディスカウントは「割引き」を意味する英語だが、本来は「計算する」という意味の「カウント」に否定を意味する接頭語の「ディス」がついたもの。つまり、計算をしない事。
丁寧 昔、中国の軍で、警戒の知らせや注意を促すために、ドラムに似た打楽器を鳴らした。丁寧とは、この楽器。打楽器の丁寧は、一度鳴らしただけでは中々、皆に伝わらなかったので、何度も念には念を入れて鳴らしたので「注意深く念入りな事」を丁寧と言うようになった。
デカ 明治時代の刑事は、角袖(かくそで)の着物を着ていたため、的屋などの業界用語では刑事は「カクソデ」と呼ばれていた。こうした隠語は、読みをひっくり返して使われる場合が多いが、「デソクカ」ではあまりにも言いにくいということで、中を略して「デカ」になった。
手紙 あるところに、ケチがおり、知人に手紙を出すのに、紙を使ってはもったいないとも木の葉に用件を書いて、使いの者に持たせてやった。ところが、手紙をもらった方も、そうとうなケチで「木の葉を使うのはもったいない」と、使いの者の手のひらに、返事を書いて帰した。このように、紙の代わりに手を使ったので、「手紙」という言葉が出来たと言われている。
手ぐすね引く 「くすね」は「薬練」と書いて、松ヤニと油を混ぜ合わせて煮て練ったもの。「くすね」は粘着力が強く、糸や弓の弦に塗って強くするように用いられたり、手の平に塗って、弓を射る時に滑らないためにも使われたりしている。つまり「手ぐすね引く」とは、敵の攻撃に備えて、弓を強くし、手のすべりを止めて待ち構える事で、そこから準備万端整えて機会を待つ意味になった。
手塩にかける 昔、好みに応じ食物にかけるように食膳にそなえられた少量の塩のことを手塩といったことから由来する。
テスト ラテン語の「テストゥム」が語源。その意味は「土製の壷」。昔、西洋ではコインの純度を調べるのに、土製の壷の中で溶かして調べた。そこで「試験、検査」と言った意味を持つようになった。
デタラメ 「出鱈目」はまったくの当て字。サイコロを振って出たら、その出た目にまかせるの意。
鉄火巻き 江戸時代、鉄火場、すなわち賭博場で、博徒たちに好まれた事に由来する。勝負をしながら手軽に腹ごしらえが出来、のりで巻いてあるのでサイコロを持つ手に飯粒がつかず、都合が良いので好まれた。
てっちり 河豚の鍋をてっちりと言うが、これは河豚の毒の強さを鉄砲になぞらえた一種のシャレ。「てっぽう」の「てっ」と、「ちり鍋」の「ちり」で、「てっちり」となった。
テディ・ペア 政治家の名前が語源になっている。テディは、セオドアの愛称。セオドア・ルーズベルト大統領の熊という意味。大統領がミシシッピ川で熊狩りをすることになった。その時に、主催者側が気をきかして小熊をあらかじめ捕らえていたのだが、大統領はそれでは面白くないと帰ってしまった。そのエピソードが美談として伝わり、ニューヨークの玩具屋が、その小熊をモデルにしたヌイグルミを作ったのがはじまり。
テニス 語源はフランス語で、掛け声の「トゥネ」が変形されたものだと言われている。「さあやろう」「用意はいいかい」と言う意味。
出歯亀 明治41年3月、出っ歯で酒と女好きである池田亀太郎が、一杯飲んでから風呂屋をのぞきこみ、湯上りの美人(実は詩人・野口米次郎の元妻)を尾行し、空き地で強姦殺害する。しかし、この男、証拠不十分で死刑を間逃れるが、法廷で弁護士が「被告・出歯亀」と連発したので、判事や検事も笑い出し、被告までも苦笑い。この事件は全国的ニュースとなり、「出歯亀」は痴漢の代名詞になった。
出前 「出前の」の「前」は、相手への敬称の「お前」。つまり「出前」とは「お前のところに出向く」というもの。
手前みそ 自分で自分をほめることをいう事を「手前みそ」と言う。戦前まで、「みそ」は「味噌」、おおむね自家製であった。各家庭がそれぞれわが家の味の味噌を作って互いに自慢し合った。そこから出た言葉である。
てるてる坊主 中国のならわしから。中国では、雨が降り続くと、白い紙で頭を作り、赤い紙の着物を着せて、ホウキ草で作ったホウキを持たせ、軒下につるして晴天を祈っていた。これが日本に伝わった。人形は「照(てる)法師」と呼ばれ、これが「てるてる坊主」になったと言われる。
電通 もともとは「電報通信社」といっていた会社の略
テンプラ 江戸時代の戯作者・山東京伝が命名したと言われる。京伝の弟の利助が江戸に来て上方のつけ揚げを売ろうとした時、京伝が利助の事を「プラリときた天竺(てんじく)浪人」と呼んでいた事から、それを文字って「天麩羅(てんぷら)」とした説。また、ポルトガル語のtempero(調理)、あるいはスペイン語のtemplo(寺)が転じて「テンプラ」になった説がある。当時、南蛮寺から動物性油脂を使った料理が広まったので「西洋の寺の料理」という意味が込められていた。
トイレ 語源は「織る」という意味のラテン語「テクセレ」から。これが「織物・布地」を意味する「テラ」という言葉になり、さらにフランス語になって「トワル」となり、そして「トワレット」(小さい布)という言葉が生まれた。人々は化粧台の上に小さい布を敷いて、化粧品を置いたりした。化粧台は洗面所にあり、西洋の洗面所はトイレと同じ部屋にある。そこで「トワレット」は現在のような意味で使われるようになり、英語に入って「トイレット」になった。
東京 明治維新後、それまで宮城の地(天皇がいる地)だった西の京(京都)に対して、「東の京」という意味で東京になった。トウケイと呼んでいた時期もあった。
峠はわが国で作られた国字漢字。「とうげ」は「たむけ(手向け)」の変化したものと言われる。峠を越えるときは、旅人が峠の神に手向けをして奉り、旅の安全を祈ったからである。
堂に入る 論語」にある「堂に昇り室に入る」から出た言葉。「堂」は中国の建物で表の客間、「室」はその奥座敷。つまり「堂に入る」とは、堂に昇りそして奥の部屋に入る意で、学術や技芸などを、その道の奥まで極めた事。
豆腐 豆を腐らせて作るから豆腐と書くのではない。豆腐は大豆を一夜水につけ、柔らかくなったものを石臼でする。これに大量の水を加えて煮たものをこしてつくる。確かに、製法は腐られるようなイメージはあるが、「腐る」という字には「ぶよぶよと柔らかい」と意味があるがあるからである。ついでに、豆腐を「おかべ」というのは、白壁に似ているからである。
道楽 もともとは仏教用語で「仏の道を悟った楽しみ」のこと。格調高い言葉だった。それがやがて趣味の楽しみを表すようになり、度を越して放蕩を繰り返すことも意味するようになった。
ドーナツ ドウは小麦粉をこねて作った生地の事で、それが木の実(ナッツ)の風味に似ていたことからドーナッツと呼ばれるようになった。
トーナメント もともと「トーナメント」は、11〜12世紀に行われた騎士による馬上試合の事。2組に分かれ相手を落馬させて、勝ち負けを競うゲームだった。一度、負けたらそれで終わりなので、そのような試合をこう呼ぶようになった。
時は金なり 16世紀のフランスの作家ラブレーによると、この言葉の起源は、古代ギリシアのディオゲネスの言葉で「時は人間が費消しうるものの中で、最も貴重なものである」ことから。
徳島 天正13年、蜂須賀家政が入国し、築いた城を徳島城に命名。吉野川の河口近くの多くの三角州には、福や徳の佳名(縁起のいい名前)がつけられており、その一つ徳島にちなんだという。
トクホン 初代社長が名付け親。徳は国民に恩恵を与えるともに、痛みや炎症をトク〈溶く〉につながるという事で、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した実践医師・永田徳本の名にちなんでつけたという。
どさくさ 「どさ」は佐渡を逆さにしたもの。江戸時代に佐渡で金山が発見され、江戸の罪人が強制的にそこに送られて鉱夫として働かされた。このことを「どさくさ」と言った。これが転じて「混乱、混雑」を意味するようになった。
ドサ回り 江戸末期の遊び人達は、賭博場で手入れを受けて捕まると、佐渡の金山へ懲役労働に送られた。そこで、彼らは手入れの事を、佐渡を逆さにして「ドサ」と言っていた。
ドタキャン 土壇場キャンセルの略
土壇場 江戸時代の処刑場で、首と胴を切り離す「生胴」という処刑方法を行う時に、土を60mほど盛り上げたところを罪人に横たわらせた。その盛り土が土壇場。そこで、逃げる事も出来ない絶体絶命の状態を言うようになった。
栃木 かつてこの地方にトチノキが生い茂り、土地の人々がトチノキの実を食べていた事から県名に発展した。
徳利 「徳利」の語源は、この器で飲んだほうが「徳となる」「利となる」というわけで徳利というようになった説、その口から酒が出る時「トクトク」という音がすることから徳利となった説、豊臣秀吉が戦利品として持ち帰った朝鮮の酒壺が、朝鮮では「トックール」と呼ばれていたので徳利といわれる説がある。
鳥取 水鳥が多く集まったこの地に、鳥を捕獲することを仕事とした、朝廷の鳥取部が住んでいた。その場所が「鳥取造」と呼ばれたことに由来するといわれる。
トドのつまり 「トド」とは「ボラ」の事である。「ボラ」は成長するにつれて、呼び名が変わってゆく出世魚。幼魚時代は「ハク」、体長10cmくらいまでをオボコ(またはイナッコ、スバシリ等)、20〜30cm時代を「イナ」と呼ばれ、30〜40cmセンチになってようやく「ボラ」になり、最後に50cmほどになると「トド」と呼ばれるようになる。つまり、巡り巡って「トド」に落ち着くわけで、「トドのつまり」になった。
とばっちり 水が飛び散る様子を表した「とばしり」という言葉がルーツ。飛び散った水は誰かに降りかかる事から、そんな状態を意味するようになった。
富山 この地方ではもともと「藤居山」(ふじいやま)と記したが、ここに富山(ふせん)寺があり、この寺号が転じて地名の富山となったと言われている。
土用の丑 一説には江戸の科学者、平賀源内が知り合いのうなぎ屋の為に、店頭に「本日土用の丑」と、大きく書いてやったところ、はやらなかった店が大繁盛するようになったという説がある。
どら息子 「どら」は時を知らせるのに鳴らす鐘の事。昔は、吉原の遊郭で金を使い果たした放蕩息子が、父親に泣きついた。そこで、遊郭では「金を尽くす」と「鐘を撞く」をかけて、こうした放蕩息子のことを「どら息子」と呼ぶようになった。
ドレミ 「バプテスマのヨハネ賛歌」から。歌は各節が一音ずつ高くなるので、そのラテン語の歌詞の最初の音節が、ドレミのもとになった。
トロ 口の中に入れた時に、トロッとした柔らかな舌触りがする所から名付けられた。
トンガ王国 群島の中心島を住人たちが「神聖な」という意味の「トンガタプ島」と呼んでいたのを、ヨーロッパ人が群島名と勘違いし、トンガ王国となった。
どんぶりの語源は、江戸時代に客の対応がつっけんどんな飲食店が「けんどん屋」と呼ばれ、そこで使っていた食器を「けんどん振りの鉢」と言っていた事からとか。
どんぶり勘定 ドンブリとは「丼」ではなく、江戸時代の職人が身につけていた腹掛けの事。職人達はこれを財布代わりにしていて、ちゃんと計算もせずに、適当にお金を出し入れしていた。その為「どんぶり勘定」という言葉が生まれた。
どんぼ「トンボ」という名の由来は、「飛ぶ棒」→「とんぼう」から。



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