語源辞典《あ行》


語源辞典《あ行》
言葉・言語語源
愛嬌 仏教に由来する言葉、仏様の顔だちがおだやかで恵み深いことをいい、だれからも愛され敬われる顔かたちや表情にいったもの。「あいきょう」と清音で読むようになったのは江戸時代に入ってからのことらしいが、本来は「愛敬」と書いて「あいぎょう」と読んでいた。
匕首 もともと「合口」で、つばがないから柄(つか)の口と鞘(さや)の口がぴったり合う意から来ている。「匕首」は、中国で短刀を意味する「匕首(ひしゅ)」を借りて当てたもの。
挨拶 「挨」は「強く背中を打って後ろから押しのける」という意味。「拶」は「大勢が押し合って進む」という事。つまり、「あいさつ」は「大勢の人を押し分けて前に進む事」。それが禅宗の問答で門下の僧の悟りの深さを試す言葉として使われるようになり、やがて「相手の様子をうかがう」という現在のような意味になった。
愛知 昔はアユチと呼ばれていた。アユは「湧き出る」という意味で、アユチは湧水が豊富な土地ということになり、その自然環境が語源のようだ。
相づち 漢字では「相槌」と書き、建築用の大きな木槌(きづち)のことだが、鍛冶(か‐じ)では、師と弟子が向かい合って交互に焼いた鉄を槌で打つことを「相づち」または「相づちを打つ」といった。そこから転じて、一般に相手の話の調子に合わせて、同意を表す言葉をはさむ事を言う。
あいにく 語源は「あやにく」で、これは「ああ憎い」という意味。それが転じて「憎たらしいほど間が悪い」をこう表現するようになった。
相棒 元来は駕籠や畚(もっこ)は、一本の棒を通してその棒の前後の端を二人で担ぐことから、いっしょに棒を担ぐ相手の者をいったから。
阿吽 サンスクリット語の悉曇(しったん)の字母の初韻の「阿(a)」と終韻の「吽(hum)」。最初と最後を意味し、また、阿は万物の根源、吽は一切が帰着する智徳を意味し、密教の宇宙観を表している。また、阿が呼気で、吽が吸気であることから、両者の息が合う事を「阿吽の呼吸」という。
青田買い 稲がまだ未成熟で、田がまだ青々としている時期に、収穫量を見積もって先物買いすることをいう。
青二才 「青い」とは、熟していない果実の事、「二才」は、魚からきている。スズキやボラは、二年、三年で成長する成長魚。「二才」というのは、その「二才子」の呼び名からきている。それで「青二才」という言葉の裏には、実は「今に大きく成長する」という意味が隠されている。
青森 青々と茂る松の森がその語源。津軽藩士がこの地に開港する時に浜松が一面に生え、小高い森が青々と茂っている事から命名。
古語の「明か時(あかとき)」から来たもの。これは一番鶏が鳴くころであり、現代の空が明けはじめる頃より、だいぶ早い時刻にあたり、宵、夜中に続く明ける少し前の未明をいった。
垢抜ける 垢が抜けてさっぱりとする意から、気がきいている・粋である・洗練されている人物を形容することば。また、「あか」は「垢」ではなく「灰汁(あく)」のことで、灰汁の強い野菜などの灰汁抜きの音が転じたものとも言う。
赤の他人 「赤」は、本来は「閼伽」と書き、もともと仏前に供える浄水の意味するサンスクリット語の「アルガ」が語源。水が冷たいように他人にも冷たいという事で、縁のゆかりもない人の事を「赤の他人」と呼ぶようになった。
赤丸 「赤丸」とはアメリカの音楽雑誌「ビルボード」のヒット曲のランキングで、上昇が見込める曲につく印。それを、「将来が見込める事」に使っている。
あかんべい 語源は「赤目」。あかんめ→あかんべ→あかんべい と変化したとされる。なぜ「赤い目」なんかはわからないが、「あかんべい」をすると、眼球の下の血管が見えて目が赤く見えるからだという説がある。
草木の葉が「紅く」なる所から来ている。
秋田 アイヌ語でアキ・タイ=芦が生い茂るところの意味。低湿地という意味の飽田(あくた)が転訛したなど諸説がある。
あぐら 「胡床」または「胡座」と書き、「あ」は足の意、「くら」は座の意で、足を組んだかっこうで床に座ること。元来は大陸から渡来した貴族の用いる腰掛をいい、また、古代より「あぐら」が床に座る正式な座り方であった。が、茶道が普及し、正座が正式な座り方とされたのち、江戸時代になって正座に対して楽な座り方という意味で「あぐらを組む」「あぐらをかく」というようになった。
揚げ足を取る 柔道などで、相手が蹴ろうとして揚げた足を取って、逆に相手を倒すことをいい、転じて、相手の失言やことば尻(じり)をつかまえて、皮肉った事を言うようになった。
挙句の果て 五・七・五・七・七句で構成される短歌合作、あるいは五・七・五の長句と七・七の短句を連ねていく長連歌などの連歌で、最初の句を発句(ほっく)といい、最後にくる七・七の句を「挙げ句」という。転じて、結局・とどのつまり・ついになどの意で、「挙げ句の果て」が使われた。
あこぎ 今の三重県津市に位置する阿漕ヶ浦(あこぎがうら)の略。古くは伊勢神宮の御領で禁漁区だったが、密漁者が絶えなかったため、密漁もたび重なると勘弁しないぞ、という意味から、悪事を重ねることを「阿漕」というようになった。
朝顔 「朝顔」は、早朝美しく咲いているので、朝の顔となっているのではない。「朝顔」は、「朝の容花(かおばな)」の意味。容花とは美しい容姿を持つ花事。つまり、朝顔は「朝の美人」という事。
阿佐田哲也 夜を徹して麻雀をやっているうちに、朝になっていたので「アサダテツヤ」という名をつけて当て字にしたもの。
アサリ 人間が朝夕に浜で貝を(あさって〉いるからアサリと名付けたそうだ。
鯵〈アジ) 味が良いので、アジなった。
味の素 社内公募により決定。「素」には調味の下地、混じり気がないといった意味がこめられている。商品のヒットで、社名まで、鈴木商店から味の素になってしまった。
足もとを見る 昔、数少ない交通機関だった船頭や駕籠屋、馬方などが、旅人の足もとを見て疲れ具合をチェックし、それによって値段をつりあげていた。そこから弱みに付け込む事を「足もとを見る」と表現するようになった。
足を洗う 元来は、賎しい仕事から抜けて堅気な生活に入る、悪い所業を改めて真面目になる事から由来。
明日 「あした」は「朝」を意味する言葉で、「明け方」の古い言い方。しかし、夜中・暁の次に来るのが「明日」でもあり、次第に「翌朝」から「次の日」を意味するように転じていった。
当たり前 昔、漁や狩りなど共同作業をした場合、それぞれの集団では何らかの方法で各人の分け前を決めていた。当たり前とは獲物からその一人一人が受け取る取り分の事。当然分配されるべくして分けられるのだから、「当たり前」を受け取るのがすなわち当たり前となった。
アタリメ スルメのむ「スル」は「すり減る」を連想させるので縁起が悪い。そこで、その代わりに縁起の良い「当たり」つけて「アタリメ」にした。
圧巻 書物や催物の中で最もすぐれた部分、あるいは他にぬきんでた詩文。漢語に由来するもので、「巻」は試験の答案の巻き物をいい、中国の官吏登用試験で、一番上に最もすぐれた答案をのせたところから、他を圧する巻き物の意から。
あっけらかん 語源的には、口をぽかんとあけた様子から、口をあける「あけ」に由来。
後の祭り 祭りが終わった後では、いくら見物に行っても、遅いことから、こう言われるようになった。
穴子(アナゴ) 日中は岩穴などに隠れ住み、夜になると這い出てくる生態から「穴に住む魚」で穴子となった。
あなた 江戸時代、「あなた」はあちらのほう、つまり、あなた、こなたのあなたで、もともとは方向を指す言葉であった。夫といつも離れた位置にいて、表面に出なかった江戸時代の妻たちは、夫を「あなたの人」、あちらの人と表現していた。その「あるかた」という尊称が、転訛したもの。
アニメーション 「アニメーション」は、ラテン語の「アニマ」(anima)=「霊魂」からきている。つまり、動くわけがない絵が動くわけだから、これは霊魂のしわざだなのだ、というウイットにとんだ名前。
あばずれ 語源は古く、浮ついた様子をいう「淡(あわ)し」が重なった「あわあわし」が、人にもまれてずるがしこくなった「あわすれる」に変化し、「あばずれ」になった。
あばた 「痘痕」と書き、痘瘡(とう‐そう)〈天然痘〉が治った後に残る傷あと。僧侶間の隠語ともいう。語源は、腫(は)れ物・水疱(すい‐ほう)・汚点などの意味がある。
油を売る 江戸時代、髪油売りが升で量り売りする際、油が升から落ち切るのを気長に待つ間に、お客さんたちと無駄話しにふけった様子を文字って、当時から要領よく仕事をさぼる者をさしていった
天下り 「天下り」の「天」は天子、つまり天皇を意味する言葉が有力。それが転じてお役所全体をさすことになった。昔から、お役所は民間の上に立つという考えが支配的で、「下り」とはそんな考えを象徴した表現。
アマチュア ラテン語で「愛する人」という意味の「アマトール」という言葉がルーツ。最初は異性の愛だったが、やがてスポーツや絵画、音楽などに対するものになり、それを職業にする者が登場すると、そうでない人を呼ぶようになった。
あみだくじ 「あみだ」は、漢字で「阿弥陀」と書き、サンスクリット語のアミターバ(無量光と漢訳)又はアミター(無量寿と漢訳)を音訳、当て字で浄土宗又は浄土真宗の中心をなす本尊のこと。そこでこの仏は、背中から上方に後光が放射状に出ていたところから「あみだくじ」又は単に「あみだ」と言われるようになったという。また、このほか阿弥陀仏の功徳は、万民平等であるとされたことから言われるようになったとする説もある。
アメダス 地域気象観測システム(Automated Meteorological Data Acquisition System)の略。
アメリカ アメリカノ語源は、イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチ。発見者でもないベスプッチの名がついたかと言えば、彼はとても話術が巧みで、ヨーロッパ各地で新大陸の事を面白おかしく話しをして評判になったからだそうだ。
有り難い 「有ることが難しい」の意から、「まれだ」の意になり、まれなものは貴重であり尊いから「感謝する」の意になった。
アルコール アラビア語の「アル・コール」から生まれた「アルコホル」という言葉がルーツ。「アル・コール」は、アラビアの婦人達が使っていたアイシャドーの一種である「コール」に定冠詞の「アル」がついたもの。コールはアンチモンという純粋で精細な粉からつくられた。それで、そのうちに精密に蒸留された酒精の意味でも使われるようになった。
アルバム 語源はラテン語の「アルブム」。「白い」という意味の「アルブス」から派生した言葉で、昔、ローマでは石膏を上に塗ったテブールを「アルブス」と呼んで、掲示板として使っていた。やがて「アルブス」は英語になって「アルバム」になり、「掲示板」から「名簿」「表」、そして「記念帳」という意味になり、最後に「写真帳」「切手帳」「音楽帳」といった意味になった。
泡坂妻夫 本名の「厚川昌男」のアナグラムでペンネームにした。「あ・つ・か・わ・ま・さ・お」をバラバラにして並び方を変えて、「あ・わ・さ・か・つ・ま・お」の名をペンネームにした。
アンカー 綱引きの言葉からきている。綱引きでは、最後尾の選手がふんばり、勝負を決する。そこで、最後尾に一番体重の重い選手を配し、綱を地面につなぎとめる重しという意味でアンカー(anchor=いかり)と呼んだ。これをリレー競技に借用するようになった。
暗中模索 唐の許敬宗(きょけいそう)という傲慢な男は、人に会っても、すぐ忘れてしまうことが多かった。ある人がこれを指摘し「前代の有名な人に会うような気持で接すれば、暗い中で手探りするようでも、やがては相手の名が覚えられますよ」と言った。「隋唐嘉話(ずいとうかわ)」中の故事から転じて、逆の意味になったもの。
あんばい 「塩梅」と書き、「えんばい」の読みが転じたもの。塩と梅酢を意味する。すなわち料理の味を調味料である塩と梅酢で調えることをいう。転じて広く味加減を調えることをいう。
許婚 語源は「結納づけ」(「つけ」は手付けの「つけ」と同意)が「言い・名付け」に転化したものとされる。
イカサマ 漢字で書けば「如何様」。つまり「いかにもさよう」と相手に錯覚を起こさせ、甘い汁を吸うという次第。
いざ鎌倉 謡曲「鉢木(はちのき)」に登場する一節に由来。鎌倉時代、すでに執権職を辞した北条時頼が僧侶に身をやつして諸国を視察し、落ちぶれた武士のあばら家に一夜の宿を求めたおり、その武士が身の上を語り「落ちぶれても鎌倉幕府の一大事には必ず馳(は)せ参じる」と言ったという話から出た言葉。
石川 地域の主要部は川の氾濫でたびたび被害に被っていた。その川・手取川は小石が多く、その様子から「小石が多い川→小石川→石川」となったという。
いたちごっこ 二人が互いに相手の手の甲をつねりながら自分の手を相手の甲の上にのせて「いたちごっこ、ねずみごっこ」と言いながら、交互に繰り返す子どもの遊びから。
板につく 「板」は舞台のことで、元来は、経験を積んだ役者がしっかりと舞台に立ち、その芸も舞台にしっくりと調和しているさまから。
板につく 「板」とは、芝居の舞台からきている。役者も、駆け出しの頃はおぼつかない感じで危なっかしいですが、経験をつむうちに、舞台を踏む足もしっかりし、芸も、芝居の雰囲気に自然になじみ、舞台と、しっくり合うようになる。そこで、そこで、安心して見ていられるようになることを 「板につく」というようになった。
イチかバチか 語源は二つあり、一つは「サイコロの目が一と出るかしくじるか」という意味の「一か罰か」がなまった説。もう一つの説は、「丁」と「半」という漢字のそれぞれ上半分をとった「一か八か」が語源だという説。
一見 もともと芸者言葉で、一度きりの現金払いの客なので「一現」と言われていた。それが商店にも広がって「一見」となったようだ。
一期一会 「一期」は生まれてから死ぬまでの一生涯のこと。「一会」は儀式・法要などに一度集い合うこと。すなわち一生涯に一度の大切なめぐり合いをいう。
一大事 もともとは仏教用語。仏がこの世に現れて直接、仏の知恵を人々に教え聞かせ、理解させて、悟らせる事。ただし、それは3000年に一度だけ花が咲くとされる優曇華のようにめったにない事。そこで、非常に大変な出来事を一大事と言う。
一枚看板 上方歌舞伎で、芝居小屋の前に飾った、外題または主な役者名を描いた一枚の大看板をいったもの。
一網打尽 中国の「宋史」に出てくる故事から。11世紀の宋時代、皇帝の仁宗は善政をしていた。ところが、首相になった杜衍(とえん)は、皇帝が自ら恩詔を下すのを嫌い、そのたびに握りつぶしたので、人々は早く彼が失脚すればいいと思っていた。ちょうど、その折、検察長官の王拱辰(おうこうしん)は、杜衍の女婿蘇舜欽(そしゅんきん)が公金を流用している事を探知し、その一派が宴会を開いているところを急襲して、一人残らず捕縛した。そして「吾、一網打尽せり」と。この事件で、杜衍は首相の座を去り、人々は快哉を叫んだ話しから。
一目を置く 囲碁から出た言葉で、弱い打ち手のほうがハンディとして「一目」先に置かせてもらってから勝負を始めたことからいう。
一生懸命 「一生懸命」は「一所懸命」がなまったもの。昔の武士たちが一ヵ所の領地を命懸けで守った事で「一所懸命の地」と呼んだ。そのうち「いっしょけんめい」と読み方がなまって「いっしょうけんめい」になり、その当て字に「一生懸命」という字が使われるようになった。
一張羅 語源は「一挺(いっちょう)ろうそく」から来た。中世、ろうそくは非常に高価であったために、客をもてなすにも一本のろうそくしか買えず、それが燃えつきてしまうと惨めな思いをすることになる。そんなさまを言い表したのが「一挺ろうそく」、それが訛って「いっちょうら」になり、のちにたった一枚の晴れ着しか持てない惨めさの意で転用されたもの。
一点張り もともと博奕で用いられる言葉で、大損の危険を顧みずに、がむしゃらに同じところの目に賭け続けることを「一点に張る」、つまり「一点張り」といった。
茨城 もともとは「茨木」で茨(いばら=野バラ)が多く茂っている地方という意味。「暴れていた先住民討伐に茨木を使った」という伝説もからとも言われる。
いびき 語源は「息を引く」。
いびつ 漢字は「歪」だが、もともとは「飯櫃」と書くのが本当だった。「飯櫃」は、お釜で炊いたご飯を移し替える「お櫃(おひつ)」の事。江戸時代のお櫃は竹で編んだものが多く、楕円形であったため、円形からみればゆがんで見えた。そしてゆがんだ状態を「飯櫃」と言うようになったが、今ではお櫃も無くなり、「飯櫃」という漢字も消えてしまい「イビツ」だけが残ってしまった。
いよかん いよかんは山口県長門が原産。それを明治中期に松山保徳が愛媛に持ち帰り、伊予美柑として出荷。その後、昭和5年に語感がいいとして、「いよかん」になった。
岩魚(イワナ) 渓流の岩穴に住む事から名付けられた。
岩手 人々を苦しめた鬼が、神に懲らしめられ、もう二度と悪さはしないと神に誓い、三石岩(盛岡市)に約束の手形を押したという伝説から、「岩の手形」で岩手となった。
ウィスキー ウィスキーの語源は、古代アイルランド語で「命の水」を意味する。
ウェディング 「ウェディング」の語源は「抵当に入れる、保証する」といった意味の英語の古語。とくに賭け事をする時に使われた言葉らしい。これがやがて「約束する。誓う」といった意味になり、現在の「結婚」になった。
浮世 中世までは、はかなく無常な世の中、極楽浄土に比べて生きることのつらいばかりのこの世の中を仏教的な生活感情で「憂世(うきよ)」といった。この憂世が、どうせなら楽しく生きようと考える江戸の庶民感情によって、浮世に変化していった。
うだつが上がらぬ もともと建築用語で、棟木(むなぎ)を支えるために梁(はり)の上に立てた短い柱を「梲(うだち)」といい、これが家を支える重要な役割を果たしていたことから、棟上げを「うだちを上げる」というようになった。のちに「うだち」が「うだつ」に転じたが、「うだつ」は常に棟木に頭を押さえ付けられているところから、「うだつが上がらぬ」という用法が生じたものといわれる。
打ち合わせ 本来、雅楽の練習をする事。雅楽には笙(しょう)、ひちりき、笛といった吹奏楽器と太鼓、鉦といった打ち物が使われるが、合わせるのがなかなか難しい。そこで、事前に打ち物に合わせて練習をする。これが「打ち合わせ」になった。
内幕 昔、戦いで大将の陣取る軍陣には二重の幕が張られたが、そのうち外側の幕を外幕(とまく)といい、内側の幕を内幕といった。作戦がその中で練られたことから、「内幕」が内情を言い表すことばに転化していった。
有頂天 ルーツは仏教用語。世界を3つに分ける考え方に基づく。3つとは欲望を持つ者が住む欲界(我々の世界)、欲望のないが肉体が残っている色界、物質の存在しない無色界。そのうちの色界の最も頂上を「有頂天」と言う。そこで、一番上までのぼりつめる事を「有頂天」と言い、さらにその得意になった様子も「有頂天」と言うようになった。
鰻(ウナギ) ウは発音で特に意味はないが、ナギは体が長いの「ナガ」が転じたもの。
海千山千 海に千年、山に千年住んだ蛇は竜になるという昔からの言い伝えに由来。
うやむや 「あるのか、ないのか」の「ありや、なしや」を漢字にすると「有耶無耶」となる。これを音読みしたのが「うやむや」。
裏づけ 室町時代のころ、割符(さいふ)の支払人は、支払う旨約束する保証として、割符の裏に期日を書き込んで裏判をするのが商慣習であった。これを裏付けといい、転じて証拠の意になった。
裏目に出る サイコロ賭博から来ている博奕用語。サイコロの一つの面の目とちょうどその裏側にあたる面の目との関係は、一の裏が六であるように、奇数と偶数の関係になっている。そこでたとえば「丁」に賭けて「半」が出ると「裏目が出た」ことになる。
うるさい 語源には諸説あるが、「うらさし」が訛(なま)ったものという説が有力。「うら」は表に見えないものの意で心を表す古語、「さし」は「狭(さ)し」で、心の狭いようす。
ウンともスンとも 江戸時代の初め、ポルトガル人が伝えたものに「ウンスンカルタ」という遊びがある。遊び方は現在の花札に似ているが、年を経るにしたがって、だんだん博打に使われるようになった。「ウン」は一、「スン」は最高を意味する。のちに、天正カルタが大流行し、ウンスンカルタはすたれてしまう。天正カルタが流行ると、誰も「ウンともスンとも」言う人がいなくなったというわけで、出来た言葉。何にも言わない無言状態を示す時に使う。
エイエイオー 「エイエイ」とは、力を入れたり、仲間に呼びかけたりする時の掛け声で、漢字で書くと「曳曳」、「おう」は「応」、つまり、「曳曳応」となる。「さあ、戦うんだ」「おう」(出陣のとき)という意味になる。
エイプリルフール 昔、ヨーロッパの新年は3月25日だった。3月25日から4月1日までが春祭りで、最後の日にはプレゼントの交換が行われていた。しかし、1564年、フランスのシャルル9世がユリウス暦を採用し、1月1日を新年としました。人々はこれに反対して、4月1日にデタラメのブレゼントやイタズラをして、旧暦を懐かしんだのが起源とされている。
エスケープ ラテン語の「エクスカッパーレ」が「エスケープ」の語源。これは「マントを脱ぐ」という意味。マントは暖かいけど、動きにくい。そこでマントを脱ぐと自由になれることから、やがて「逃げる」という意味になった。
えたいが知れない 「えたい」を漢字にすると「衣体」。平安朝時代には、着ている衣の色で宗派と格式を区別していて、一見しただけで、宗旨や地位がわかった。こうした事が「衣体がしれない」という言葉が、当時、生まれた。
エックス線 エックス線は1895年にドイツのレントゲンによって発見された。彼は、暗室にこもって実験している最中に、偶然にこれを見つけた。が、好む光線のようなものの正体がわからないまま「エックス線」と名付けた。
エッチ「変態」の頭文字の「H」から。
エテ公 猿は「去る」に通じるから、その反対語の「得る」を使い、「エテ」になった。「公」は、ほんの愛嬌。
江戸川乱歩 アメリカの探偵小説家のエドガー・アラン・ポーを日本名にして、ペンネームにした。
江戸むらさき 初代社長が、ある日、小唄の教本の表紙に江戸紫色が使われていたのを見て、この名前を思いついた。と言うのも、しょうゆの事を寿司屋ではむらさきと言い、中国では海苔の事を紫菜〈シーサイ〉と言う。しょぅゆと海苔から作った、江戸名物の佃煮だから、まさに「江戸むらさき」
愛媛 四国の古名が「伊予二名島」であることから、その代表の国であるこの地方を四国の長安という事で、姉という意味の兄媛(えひめ)と名付けたといわれる。
エプロン 語源は、ラテン語で「ナプキン」を意味する「ナパ」から派生した「napron」。ところが、英語では名詞の前に「a」「an」といった不定冠詞をつける。「an」は母音で始まる名詞につけるが「napron」の最初の文字は母音でないので、普通は「a napron」となるが、これをある人が誤解して、「an apron」という言葉だと思い込んで、やがて「an apron=エプロン」として広く使われるようになった。
絵馬 「絵に描いた馬」。昔から「神馬」と言って、神様に生きた馬を供える事が行われていたが、そのうちに馬が木馬に変わり、そして「絵に描かれた馬」を奉納するようになった。
大隈重信が「元」という名を提案したのを衆議で「円」に決議したという説と、彼自身が「指で丸を示せばお金の事だ。だからお金の単位は円にすべきだ」と、衆議に「円」を押し付けたという説の二つがある。
演歌 明治時代、正岡子規を中心とする新俳句運動が、旧態依然としたそれまでの俳句を「月並俳句」といったところから、変わりばえのしないことを「月並」というようになったに急速に広まった自由民権運動は、政府の弾圧を受けて、思うように活動が出来なくなった。印刷物は発行する側から押収され、運動家による演説会場もことごとく官憲によって潰された。困った自由民権の壮士たちは、演説がいけないのならば、歌ならよかろうというわけで、本来ならば演説会場で演説すべき言葉を、歌詞に置き換えて、街頭に立って、民衆にわかりやすいように歌った。演歌とはこのように「演説を歌う」事が本来の意味だった。
おあいそ もともとお店をお客が帰る時に、店側が「サービスが足りなかったのでは」と気を遣った「お愛想なしで申し訳ございません」と言っていたのだが、そのうちに「おあいそ」が勘定を示す言葉になり、お客が使うようになったとされる。
大分 昔はオオキタと呼ばれていた。キタは段=キダで刻むの意味で、その辺りが山や川によって大きく刻まれた地形だったことに由来するという説が有力。
オーケー 最も知られている説は「ALL Correct」を「0ll Korrect」と書き間違えた為、それを略した「OK」になった説。これに対して、アメリカ大統領ビューレンの政治団体「OKクラブ」によるととか、同大統領の生地「Old Kinderhook」の略だという説もある。
大袈裟 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、栄西が臨済宗を伝え、日本各地に禅が広まったとき、禅僧たちは大きな袈裟(けさ)を着て町をのし歩き、その説話は耳慣れぬ者や旧仏教徒には実におおぎょうに聞こえたところから、禅を非難する意味合いで「大げさ」といったものと言われる。
大阪 近世初期までオサカと呼ばれていたように、その語源は坂が多かったことに由来する。オオサカと呼ばれるようになったのは江戸時代からのようだ。また、当初は「大坂」と表記していたが、「坂」は「土に返る」とにつながるとして、明治時代に「大阪」と改められた。
大詰め もともと歌舞伎の一番目狂言の最終幕をいった。ちなみに二番目狂言の最終幕は大切(おおぎり)。やがて一般に芝居の最終幕をいうようになり、さらに転じて、広く物事の終局を意味する言葉になった。
オーデコロン 「ケルンの水」という意味。1709年、ドイツのライン河畔の町ケルンで初めて製造されたことから、この名前がついた。
おおやけ 「おお」は「大きい」ことで、「やけ」は家屋敷の事。元々、「おおやけ」は「大きな家」の事だった。
もとは大家(おおやけ)で大きな家の意。大家の主の天子を貴んでいう言葉。ここから朝廷や官庁あるいは時の政府のことをさすようになり、また、公共的なこと一般をさすようになった。
おおわらわ 「大童」と書く。「童」は元服前の子供のこと。明治以前、子どもはおかっぱ頭にしていた。一方、大人は髪を結っていたが、忙しく働きまわると髪がざんばらになって大きな子供のようになることから、「大童」といわれるようになり、これが転じて現在のような意味になった。
おかず 「御数」と書く。文字通り、数を揃える意から来た。
お勝手 「台所」を「お勝手」と読んでいた。「お勝手」の語源は、「弓道」からきている。弓の世界では、左手を押し手、右手を勝手と呼んでいる。押し手は弓をしっかり支える手、勝手は比較的自由に使う事が出来る手という意味。そこから、女性が家の中で小さくなっていた時代だったので、女性が自由に使える意味で、「お勝手」と呼ぶようになった。
岡目八目 囲碁から出た言葉で、「岡目」の岡は、部外者を表す「傍(ほか)」で、つまり部外者の目。「八目」は八目先まで読めることで、実際に対局しているときよりも、他人の囲碁を傍らで見ているときの方が、戦局がよく読める、という事。一説には、「岡目」は、岡に登って遠望することだともいう。
岡山 かつて三つの丘陵があり、その一つを「柴津岡山」と呼んだことに由来する。この岡山とは、小高い山のような丘という意味で、その地形にちなんでいるようだ。
沖縄 オキ・ナ・ハからなり、オキは海の沖、ナは魚、ハは場を意味し、「沖の魚場」が語源とする説がある。また、オキを海の奥、ナハは島を意味し、「沖の島」が語源とする説などもある。
奥方 平安時代、貴族の正妻は寝殿の裏の(北方の)奥御殿で生活するのが普通で、そこから身分の高い人妻を「北の方」とか「奥方」とか呼ぶようになったため。
お蔵になる 興行や演目などの企画案が中止になり、お蔵にしまいこむ意から来ているという説と、無事に千秋楽(らく)までいかずに、中途で終わることから、「らく」を逆さまことばにして「くら」だという説がある。
送り狼 江戸時代の黄表紙などに、山中で道に迷っている旅人を親切に道案内してくれる「送り狼」というのが登場する。ただし、旅人が転んだり、狼を恐がったりすると、食ってしまうというので、現在のような意味になった。
おけらになる 直翅目(ちょくしもく)ケラ科の昆虫ケラに由来する言葉。地中に穴を掘って巣を作るが、土を掘る前足は短くて、前から見ると万歳をしているように見えることから、「お手上げ」を連想して「おけら」というようになったもの。
オシャカ 「オシャカ」とは、お釈迦様である。オシャカを不良品の別名にしたのは鋳物師。鋳物の製造工程で、あまり火力が強すぎると不良品が出来てしまう事から、「火が強か」にかけて「4月8日」、つまり釈迦の生まれた日というわけ。
おじゃんになる 火事の時に打ち鳴らす半鐘の音に由来する。火事が起きると半鐘を鳴らして危険を知らせたが、鎮火すると半鐘を二度、「ジャンジャン」と鳴らすのが決まりだった。そこから、火事はもうおしまいだ、を「ジャンジャン」といい、やがて「ジャン」に略されるとともに、「おしまい」の意味が強調されて、今の用法になった。
お茶の子さいさい 「お茶の子」は、もともとはお茶うけに出す茶菓子のこと。あるいは間食にとる軽い食事をいい、どちらも腹にたまらない意から、たやすいことのたとえとされた。「さいさい」は俗謡のはやしことばで、たやすいさまを強調するもの
お茶を引く 遊女に客がこなくて手すきの時に、葉茶を臼にかけ、粉にする仕事をした事から使われるようになった説。また、中国の、宮廷に仕える大勢の美妃が主君にお茶を献上し、主君がお茶を飲むと、そのお茶を献上した美妃が夜伽ぎの番となるという制度があった。選にもれた者は、自分のお茶を引っ込めなければならなかったため、「お茶を引く」という言葉が生まれたという説がある。
億劫 「おっこう」の転じたもの。「劫(こう)」は仏教語できわめて長い宇宙的な時間をいう。宇宙が成立し、破滅して無になるまでの時間をいい、「億劫」とはつまり「劫」の一億倍の時間であるから、考えるのも面倒なとてつもなく長い時間ということになる。
お造り 本来、祝い事になどの席に出されることの多い料理の「刺身」という名前が「身を刺す」に通じるところから、料理屋さんが縁起をかついで呼び方を変えた事による。
オッケー 「OK」は英語からきている。言葉の語源は、色々説がある。「ALL Correct」が「ALL Korrect」と誤って書かれた説、アメリカのバン・ビューレン大統領の再選を支持する「OKクラブ」のスローガンであったなどが代表的な説。
乙な味 「乙」は乙な調子からきた言葉。人間の声は、だいたい二オクターブくらいの音域だが、高い方を「甲」の調子、低い方を「乙」の調子と言ってた。江戸時代、三味線で合わせて歌うとき、芸歴の長い老人などは非常に味わいのある渋い声だったので、そこから微妙な味わいのあるものを「乙な味だ」というようになった。
御転婆 「御転婆」なので、「転んだババアのように、手に負えないから、こう呼ばれるようになった」という説もあるが、それよりも、オランダ語で「手に負えない」という意味の「オテンバール」から生まれたといする説が有力。
お年玉 古来、日本の正月は、農耕の守り神である御歳神(おとしだま)を迎える祭りだった。門松を立てて神を迎え、鏡餅(かがみもち)を供えた。正月が終わると、お供えの鏡餅を子どもたちに食べさせたが、そのお餅には御歳神の魂が宿っていると考えられ、「御歳魂(おとしだま)」と呼ばれていた。時代の変遷とともに、お餅がお金に代わっていったのである。
語源は「隠(おん)」。「隠」は「見えないもの」という意味であり、人に悪いことをもたらすものとされていた。
おはよう 「お早く起きて、健康でよろしいですね」などの略。
お払い箱 語源は「お祓(はら)い箱」で、昔、伊勢神宮では毎年の歳末、壇家にお祓いの札を配ったが、そのお札を入れる箱を「お祓い箱」と呼んだ。ところが、毎年古い札は新しい札に取り替えられるために、「お祓い」をもじって「お払い」といわれ、現在のお払い箱の語源となった。また、サンスクリット語から来た「波羅夷(はらい)」が語源という説もある。極悪、煩悩に負けて罪を犯すことの意で、戒律を犯したものが仏法の外に捨てられることをさした。
お前 最高敬語である「お前様」が次第に簡略化され、のちに男の言葉に変わった。
おみおつけ 「御御御付」と書く。もともと、この言葉は「付」だけ。これに丁寧の接頭語の「お」を三つも重ねただけである。「付」とは、ご飯の添え物という意味で、汁物の事。
おむつ 「お」は接頭語。「むつ」は「襁褓」と漢字で書き、「むつき」の略。元来「むつき」は、赤ん坊に着せる産着のことをさした。これから、幼児の大小便を取るための腰から下に当てる「おしめ」に転じていった
オムロン 所在地が京都の「御室〈おむろ)」だったことから「オムロン」という名が誕生。
思うつぼ 語源はギャンブルにある。「つぼ」はサイコロを入れて振る賭博用の壷の事。そこで思い通りの目を出す事を思う壷と言った。
面白い その昔、同じ部族の者同士、何かと言うと焚き火を囲んで酒を飲み交わしたり、自慢話しをしていた。そんな時に、一人の人が注意を引くような話しをすると、皆は一斉に顔を上げた。この時、燃える炎に照らされて、顔(面・おもて)が真っ白く浮かび上がった。こうした状態をいつの間にか「面白い」と言うようになり、今では滑稽な事、趣がある事などの意味に使われるようになった。語源は一説に、目(面)の前が白く(明るく)なる感じを表す意で、もとは景色の美しさを表現する言葉であった。
親分 芝居の座頭をほめて呼ぶ語で、とくに四代目以後の団十郎の尊称。数珠の中心となる大きな玉を親玉といったところから。
折り紙つき 日本古来の紙の形で、全紙を竪紙(たてがみ)といい、横で半分に折った形の物を「折り紙」といった。折り紙の歴史は古いが、室町時代のころから、公文書の類はすべてこの折り紙が使われるようになり、また、刀や美術品の鑑定書などにも使われた。すなわち折り紙はもっぱら証明書の類に用いられた。のちに転じて、一般に保証することをいうようになった。
御曹司 「曹司」は部屋の意で、平安時代に貴族の子弟に与えられる部屋をいい、妻を迎えて部屋を離れるまで「御曹司」と呼ばれた。源氏と平家が相争う時代になると、平家の子息は「公達」と呼ばれたため、御曹司はもっぱら源氏の嫡流の子息についていうようになった。源義経が「九郎御曹司」と呼ばれたのち、御曹司はもっぱら義経をいうようになり、そこから二代目を御曹司という用法が定着した。



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