有馬 朗人 | 物理学者 | 昭和50年東大教授となり、平成元年に学長。原子核の集団運動の研究で知られる。著作に「原子と原子核」 |
有馬 稲子 | 女優 | 「はなれ瞽女おりん」「噂の二人」「嘆きのテレーズ」「雨」「奇跡の人」 |
有馬 賢二 | サッカー選手 | 日大藤沢高→日本大→柏レイソル→コンサドーレ札幌→横浜FC |
有馬 英二 | 医学者 | 断層撮影、集団間接撮影およぴBCGの研究など、結核の診断・予防につくす。中央結核研究会会長、日本胸部疾患学会会長を努めた |
有馬 英治 | 政治家 | 時事新報、読売新聞の記者を経て、内閣総理大臣秘書官などを歴任。昭和16年衆議院議員となり、自民党副幹事長などをつとめた |
有馬 啓 | 微生物学者 | ステロイドホルモン合成への微生物利用の研究で知られる。昭和54年「微生物の産業利用」で学士院賞 |
有馬 元函 | 医師 | 元文元年儒教伊藤蘭嵎の推薦により、紀伊和歌山藩主の侍医となる。「傷寒論」の読解につとめ、諸説を集めて「傷寒論神解」をあらわした |
有馬 乾信 | 剣術家 | 有馬神道流を創始した |
有馬 三斗枝 | 洋画家 | 帝展で女性洋画家として、初めて特選となる |
有馬 新一 | 軍人 | 海軍兵学寮第1期の卒業生。操艦の名手として知れた。明治35年海軍中佐、艦政本部長、第一司令長官、佐世保鎮守府司令長官などを歴任した |
有馬 新八 | 幕末の武士 | 尊攘運動に加わり、文久2年同士とともに京都所司代などの襲撃を計画したが、同年4月23日伏身の寺田屋で島津久光が派遣した藩士らに殺害された。寺田屋事件である |
有馬 徹 | 指揮者 | 昭和2年鹿児島に生まれ。昭和29年ノ-チェ・クバ-ナを結成。1993年6月3日10年間の闘病生活の後逝去 |
有馬 頼義 | 小説家 | 第31回直木賞受賞「終身未決囚」、「四万人の目撃者」「貴三郎一代」著 |
有馬 頼寧 | 政治家 | 中央競馬回理事長になり、「有馬記念」に名を残す |
井上 一馬 | 作家;翻訳家 | 翻訳書ボブ・グリーン「アメリカン・ビート」、「英語できますか?−究極の学習法」著 |
伊馬春部 | 劇作家 | 『桐(きり)の木横丁』 |
上野 彦馬 | 写真 | 写真業の開祖。日本最初の写真館「上野写真撮影処」開業。坂本龍馬も撮影している |
上田 馬之助 | 元プロレスラー | 大相撲から日本プロレスに入団し、アメリカ遠征後、悪役となる。タイガージェットシンと組んでの小林の腕を折ったり、猪木とのネールデスマッチしたり。現在、交通事故して半身不随のまま入院中 |
烏亭焉馬 | 戯作者 | 後援団体三升連中の参加を得て、たび重なる禁令にめげず咄の会を催し続け、これが三笑亭可楽、三遊亭円生らの登場する基盤となった |
馬田 柳浪 | 戯作者 | 「朧月夜物語」「朝顔日記」 |
江馬務 | 日本風俗史研究家 | 「日本風俗史」、「日本風俗文化史」、「日本服飾史要」、「日本生活史」、「新修有職故実」、「日本妖怪変化史」、「日本結髪全史」 |
江馬 修 | 小説家 | 「受難者」 |
王馬 煕純 | 中国料理研究家 | 中国ハルピン生。中国料理の研究に励み、講習会、テレビ、出版などを通して、中国料理の普及、及び調理師の育成に尽くす。「王馬煕純の中国家庭料理」著 |
大場茂馬 | 刑法学者 | 「刑法総論」(上下巻)、「刑法各論」(上下巻) |
小島祐馬 | 中国哲学研究者 | 雑誌「支那学」を創刊。「古代支那研究」「中国の社会思想」「中江兆民」 |
曲亭馬琴 | 小説家 | ストーリー性にとんだ複雑な筋の展開と、因果応報・勧善懲悪の思想がつらぬかれている点に特徴がある。「椿説弓張月」「朝夷巡島記」「近世説美少年録」「新局玉石童子訓」「開巻驚奇侠客伝」「南総里見八犬伝」 |
金原亭 馬の助 | 落語家 | 昭和30年真打昇進。「六尺棒」「権助芝居」「宮戸川」などが得意 |
金原亭 馬生 (10代目) | 落語家 | 昭和62年、真打昇進。国立演芸場花形演芸会 銀賞(昭和58年)、国立演芸場花形演芸会 金賞(昭和60年)、にっかん若手飛切落語会 努力賞(昭和62年)、スポニチ若手演芸家大賞(昭和63年)「大坂屋花鳥」「お富与三郎」などの人情噺を得意とした |
剛 竜馬 | プロレスラー | 1994年たった一人で「剛軍団」という団体を旗揚げし、プロレスバカなるニックネームを持つ |
坂本嘉治馬 | 出版業 | 冨山房の創始者。小野梓が経営する東洋館書店に入り、梓の死後、小野義真の援助を受けて冨山房へと発展させました。そこで、大日本家庭百科事典、大日本国語事典、大言海、国民百科事典、大日本地名事典などを出版 |
坂本 龍馬 | 幕末の英雄 | 薩長同盟成立させて、大政奉還の立役者 |
三遊亭 円馬 (初代) | 落語家 | 3、4代の円生、2代の円橘とともに円朝門下の四天王と言われる。晩年、東京両国駒留に住み「駒留の円馬」と呼ばれた |
三遊亭 円馬 (2代目) | 落語家 | 円朝ゆずりの人情噺で名人と言われた |
三遊亭 円馬 (3代目) | 落語家 | 明治42年7代朝寝坊むくらと名のり真打。のち橘本川柳と改名して、大坂に戻り、大正7年3代円馬と襲名した |
三遊亭 金馬 (2代目) | 落語家 | 明治39年2代を襲名。三遊睦会を作り、三遊会の復興をめざした。盆屋職人だったので俗に「お盆屋の金馬」と言われた |
三遊亭 金馬 (3代目) | 落語家 | 大正9年、円州で真打。15年に3代金馬を襲名。「居酒屋」などがヒットし人気を得る |
三遊亭 金馬 (4代目) | 落語家 | 昭和33年、真打昇進。落語協会専務理事、日本演芸家連合理事として後進の育成。芸術祭優秀賞(昭和45年)、交通功労者、警視総監表彰(昭和45年)。テレビ「お笑い三人組」で人気があった |
三遊亭 とん馬 | 落語家 | 平成6年5月、真打に昇進 |
志ガヤ 一馬 | 俳優 | 「白線流し」「裸の少年たち」「温泉へ行こう」等出演 |
式亭 三馬 | 滑稽本作者 | 「浮世風呂」「浮世床」 |
司馬江漢 | 洋風画家 | 本名は安藤吉次郎。1760年代後半、鈴木春信門下の浮世絵師となり、80年ごろに、平賀源内や小田野直武の影響によって西洋画法に興味をもち、83年に日本初の腐蝕銅版画(エッチング)を成功させた |
司馬 遼太郎 | 小説家 | 『竜馬がゆく』『新選組血風録』『翔ぶが如く』等を著書 |
下田 美馬 | 女子プロレスラー | 得意技は、デスレイク・ドライブ、オースイ・スープレックス・ホールド、ランニング・ネックブリーカー・ドロップ |
ジャイアント馬場 | プロレスラー | 身長、209cmを生かして、NWA世界ヘビー級、インターナショナルヘビー級などのタイトルを取る。得意技は、16文キック、河津落し、椰子の実割り、脳天チョップなど |
鈴木馬左也 | 実業家 | 明治・大正期の住友財閥指導者。別子鉱山、銀行から石炭、伸銅、製鋼、電線、倉庫へと多角化しつつ拡大し、三井、三菱に次ぐ大財閥の地位を得る( |
千里馬 啓徳 | 元・プロボクサー | 第34代日本ミドル級王者。20戦12勝(7KO)8敗(1KO) |
相馬 愛蔵 | 実業家 | 明治34年に本郷にパン屋中村屋開業。42年に新宿に移転、経営の多角化をはかり、カリーライス、月餅などで知られる新宿中村屋を築く |
相馬 御風 | 詩人 | 「御風詩集」「黎明期の文学」「大愚良寛」「良寛さま」 |
相馬 黒光 | 随筆家 | 「黙移」「広瀬川の畔」 |
相馬 泰三 | 小説家 | 「田舎医師の子」「荊棘の路」 |
相馬 文子 | 評論家 | 「司書半生」「若き日の相馬御風-文学への萌芽」 |
相馬 千恵子 | 女優 | 「大江戸七変化」「四谷怪談」 |
相馬 哲平 | 実業家 | 函館を本拠に開拓に従事。明治13年第百十銀行をつくり頭取、ついで函館貯蓄銀行、相馬合名、相馬商店などをおこし、公共事業にも尽力した |
相馬 直樹 | サッカー選手 | 清水FC→清水第六中→清水東高→早稲田大→鹿島アントラーズ |
相馬 信夫 | 神父 | 昭和44年名古屋司教となる。平成3年、湾岸戦争の際には自衛隊機の派遣に反対し、民間機で避難民を移送。また、長年に渡り東ティモールの人権問題に取り組むなど「行動する司教」として知られた |
相馬 裕子 | 歌手 | 「未来を描く鳥」「恋なんてしたくない」「遠い約束」「私、泣いた/DISCOVERY」「星に願いを」「LION in the ZOO」 |
相馬 半治 | 実業家 | 明治39年、明治製糖の創立に加わり、専務となり、大正4年社長、のちに会長となる |
相馬 宏美 | アナウンサー | 「パネルクイズアタック25」の出題ナレーター |
宝井 馬琴 (6代目) | 講談師 | 昭和41年、真打昇進。 |
高田保馬 | 社会学者 | 「高田社会学」とよばれる社会学の体系は、社会学を一特殊社会学として位置づけ、コントやスペンサーなどの総合社会学的傾向に反対した。社会を「有情者の結合」あるいは「不限定なる接触への用意」と規定、社会学を人間結合の学とみた |
竹沢 一馬 | 俳優 | 「千里眼」「溺れる魚 」 |
但馬 久美 | 元・参議院議員 | 宝塚歌劇団へ入団し、宝塚きっての名ダンサーとして知られ、「ベルサイユのばら」のアンドレ役を務める。昭和63年退団し、平成7年参議院議員初当選。平成13年7月20日参議院議員の任期を終える |
種馬マン | コメディアン | 本名、増永美穂子、ホルスタイン・モリ夫とコンビを組んで「モリマン」で活躍 |
中馬 庚 | 野球選手 | Basaballを野球と和訳した人だと言われる |
蝶花楼馬楽 | 落語家 | 「子は鎹(かすがい)」「猿後家」「二番煎じ」などを得意とした |
対馬 盛浩 | 漫才師 | 1991年に土田晃之とコンビを結成した「U−turn」というコンビのツッコミ役。太田プロダクション所属 |
鶴崎 竜馬 | 力士 | 玉ノ井部屋。91年夏場所初土俵 |
坪井 九馬三 | 歴史家 | 日本最初の史学概論「史学研究法」刊行。日本の史学史上、近代歴史学の方法的基礎を確立 |
蹄斎北馬 | 浮世絵師 | 約180人に及ぶ葛飾北斎門人下で魚屋北渓とともに双璧とされ、彩色に長じて左筆もよくし、文人画の谷文晁などとの逸話も残されている。作品は意外と錦絵が少なく、摺物や版本の挿絵、肉筆画などを描いたが、とくに肉筆の美人画に佳作が多い( |
貞松斎米一馬 | いけ花作家 | 浅草遠州流の祖とされる本松斎一得の孫弟子。独立して正風遠州流を創始。曲線の変化による形式的な美を球形のうちに表現することを試み、技巧的な遠州流独特の花型を創案し、江戸生花に大きな影響を残した |
冬馬 由美 | 声優 | 鋼鉄天使くるみ(ミハエル)、 伝説の勇者ダ・ガーン (山本ピンク)、ふしぎ遊戯(本郷唯)等 |
西岡 徳馬 | 俳優 | 「八代将軍 吉宗」「北条時宗」「ラブ・ストーリーは突然に」「 ラブレボリューション」「新・極道の妻たち」等出演 |
八馬 淳也 | アナウンサー | フジテレビ「めざましテレビ」ワールドキャラバン |
浜田 一馬 | 作曲家 | 和太鼓組曲「瀬戸・ 海 上 ( かいしょ ) の森」 |
原 良馬 | 競馬評論家 | デイリースポーツの中央競馬担当記者を経てフリーに。競馬解説や競馬中継キャスターとして活躍 |
馬 暁春 | 棋士 | 中国囲棋協会所属プロ九段 。中国名人戦12連覇の偉業を達成 |
馬 光洙 | 詩人;小説家 | 「楽しいサラ」「倦怠」「狂馬日記」「不安」「子宮の中へ」 |
馬場 あき子 | 歌人;文芸評論家 | 「阿古父」「青椿抄」「飛天の道」 |
馬場 修 | 考古学研究家 | 考古学、特に北方地域先史時代の文化に興味を持ち、明治43年より、千島、樺太、北海道の調査・研究を行う。アイヌの服飾・生活用品、土器、石器などの収集につとめ、函館図書館、函館博物館に寄贈 |
馬場 一雄 | 小児科学者 | 未熟児・新生児医学の研究で知られ、鹿児島県で誕生した五つ子の養育にかかわった |
馬場 錦江 | 俳人 | 「風俗文選通釈」「奥の細道通解」 |
馬場 敬治 | 経営学者 | 人間関係論にもとづく経営学理論をとなえ、組織論の基礎をきずく。著作に「産業経営理論」「経営学と人間組織の問題」 |
馬場 愿治 | 司法官、法学者 | 浦和地検所長、広島控訴所長、大審院部長などをつとめる |
ばば こういち | 放送ジャーナリスト | モーニングショーで「顔のないインタビュー」を担当 |
馬場 啓一 | エッセイスト;小説家 | 「こんな男になりたい」「ミステリー風味のロンドン案内」 |
馬場 胡蝶 | 翻訳家 | 訳書にトルストイの「戦争と平和」 |
馬場 重久 | 養蚕家 | 養蚕技術書「蚕養育手鑑」を出版。馬場鍬と呼ばれる手鍬を発明 |
馬場 春水 | 書家 | 「青池堂消息」「詩歌消息集」 |
馬場 民子 | 放送作家 | 「おじゃまんが山田くん」 |
馬場 信浩 | 小説家 | スクールウォーズの原作小説「落ちこぼれ軍団の奇跡」 |
馬場 のぼる | 漫画家 | 「ポストくん」「ブウタン」「パクさん」、絵本「11ぴきのねことあほうどり」 |
馬場 典子 | アナウンサー | 1997年日本テレビ入社。「ザ!世界仰天ニュース」「キユーピー3分クッキング」「ズームイン!!SUPER」「ジパングあさ6」「Gyu!と抱きしめたい!」等 |
馬場 不二 | 日本画家 | 昭和29年より「梅樹」「冠鶴」「松」が3年連続して日本美術院賞 |
馬場 真人 | CFプランナー;小説家 | 「銀座広告社第一製作室」 |
馬場 康夫 | 映画監督 | 「メッセンジャー」「波の数だけ抱きしめて」「彼女が水着にきがえたら」「私をスキーに連れてって」等 |
広田 龍馬 | 馬術選手 (障害飛越) | |
夫馬 基彦 | 小説家 | 「緑色の渚」「金色の海」「紅葉の秋の」 |
平馬 淳 | 社会人野球選手 | |
馬渕 英里何 | 女優 | 「学校の怪談(あの子はだあれ?)」「ねらわれた学園」「白線流し」「私を旅館に連れてって」「Shall Weダンス?」等出演 |
馬淵 薫 | シナリオライター | 脚本「フランケンシュタイン対地底怪獣」「奇巌城の冒険」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」「キングコングの逆襲」「怪獣総進撃」「砂の香り」「ゴジラ対ヘドラ」 |
馬渕 晴子 | 女優 | 「祭りの準備」「夕暮れまで」「TOMORROW明日」「海ほおずき」「濱マイクシリーズ・罠」「人間の翼」「梟の城」 |
柳亭 市馬 | 落語家 | 平成5年9月、真打ち昇進。平成7年度、国立演芸場花形演芸大賞。平成3年度、5年度 (日刊スポーツ新聞社主催)にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞受賞 |
鈴々舎 馬桜 | 落語家 | 1982年(昭和57年)に真打昇進 |
鈴々舎 馬風 (5代目) | 落語家 | 昭和48年3月、真打昇進。昭和54年、落語協会理事に就任 |
馬越 恭平 | 実業家 | 大日本麦酒株式会社設立。「エビスビール」で名を轟かせる。「ビール王」と呼ばれた。ビアホールを銀座に始めて新設 |
森川馬谷 | 講釈師 | 読み物を初・中・後の3段に分け、軍談、御家騒動、世話物などに区別した。また、前座を1人使い、看板やびらの書き方にも工夫を凝らすなど、講談の興行形態の確立に多大の功績があった |
渡辺 拓馬 | バスケットボール選手 | |
馳 星周 | 推理作家 | 「不夜城」「夜光虫」「漂流街」「虚の王」「雪月夜」等著書 |
馳浩 | プロレスラー | 星稜高校で国語の教師を務めていたが「勝つためだけじゃなく、人に感動を与えるためにスポーツしたい」と考え、ジャパン・プロレスに入団。IWGPジュニアヘビー級王座、WCWインター王座も奪取。参議院議員選挙に見事当選し世界初の参議院議員レスラーとなる |
古今亭 志ん駒 | 落語家 | 平成9年9月、真打昇進。NHK新人演芸大賞 落語部門大賞(平成8年) |
駒沢 敏器 | 翻訳家;エッセイスト | 「地球を抱いて眠る」「街を離れて森のなかへ」 |
駒田 健吾 | アナウンサー | 1998年TBS入社 |
駒田 信二 | 小説家;中国文学者;文芸評論家 | 「脱出」「石の夜」「対の思想」 |
駒田徳広 | プロ野球評論家 | プロデビュー初打席で満塁本塁打で衝撃デビュー。巨人でプレーし、権藤監督が就任した98年には横浜を日本一へと導いている |
駒 敏郎 | 作家;文芸評論家 | 「老舗−美と心−」 |
駒不動 大助 | 元・力士 (幕内) | 得意手は、左四つ、吊り出し、寄り切り。幕内通算:5勝10敗 |
砂田 駒子 | 女優 | 「愛の秘密」「街の手品師」「愛に輝く女性」「人間(前・後)」「散りゆく情花」「女房可愛や」「東洋のカルメン」 |
鳥井駒吉 | 実業家 | ビール醸造のパイオニア、大坂麦酒会社(後のアサヒビール)設立 |
赤木 駿介 | 小説家 | 「天下を汝に」「大利根任侠伝」「南蛮馬 春砂」「吟遊 直九郎内探記」 |
松島 駿二郎 | 旅行作家;編集者 | 「夫婦二人みさき暮らし」「鎖国をはみ出た漂流者」 |
宮崎 駿 | アニメーション作家・三鷹の森ジブリ美術館館主 | 「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「おもひでぽろぽろ」「紅の豚」「平成狸合戦ぽんぽこ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」等 |
麻宮 騎亜 | 漫画家 | サイレントメビウスの作者。「神星記ヴァグランツ」「快傑 蒸気探偵団」 |
梶原 一騎 | 劇画作家 | 「巨人の星」「夕やけ番長」 「あしたのジョー」「柔道一直線」「四角いジャングル」「タイガーマスク」「愛と誠」等 |
若山 騎一郎 | 俳優 | 「麻雀飛龍伝 天牌1」 |
小幡 篤次郎 | 教育者 | 総合的科学入門書『博物新編補遺』の翻訳刊行。また、明治生命保険設立に尽力 |
武者小路実篤 | 小説家・劇作家・画家・思想家 | 「幸福者」「友情」「真理先生」「馬鹿一」「山谷五兵衛」 |
安岡正篤 | 陽明学者 | 歴代の総理の指南役として知られる。生涯、政治の表舞台に出ることはなかったが、その漢文の素養を生かし、吉田茂以下、歴代の総理大臣をはじめ政治家の文章をなおし、新政治団体の命名などによって政界や財界に影響力を発揮した |
和田 篤次郎 | 出版業 | 文芸出版の草分け(春陽堂) |
渡部 篤郎 | 俳優 | 「ストーカー逃げ切れぬ愛」「静かな生活」等 |
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