旅 (本 命 竜 馬 分 身 旅 行 記)


本命竜馬の分身(honmei)が世界中を旅行して、その報告メールを掲載します。なお、本人のコメントは緑色で表示してあります。

中国編 ニュージーランド編 ネパール編 ホルトガル編 インド編 サモア編



中国編

2001年10月23日
はーい、honmeiです。今回の旅は中国に行く予定です。北京に行く所までは決まったのですが、そこから何処へいこうか、まだ決めてません(^_^)。例によって行き当たりばったりで行き先を決めてみたいと思います。準備が出来しだい出発します!!


2001年10月24日
今honmeiは北京にいます。これからすぐ成都へ向かう飛行機に乗り込みます。実は北京行きの飛行機の中で、たまたま隣に座った人が三国志ゆかりの地域を回るツアー旅行の参加者でした。三国志ゆかりの地を回る旅って、結構魅力的なのでその人に旅行の日程表を参考にして、三国志関係の場所をめぐる旅をする事にしました。そんなわけで最初に三国の一つ、劉備玄徳が治めた蜀の首都だった成都に向かう事にしました。

成都成都に到着しました。ここ成都は想像していたよりも遥かに栄えています。人口も900万だって。東京都が1200万位(だったと思う)から、相当に巨大な都市ですね。ちょっとびっくりしました。なるほど、バスの窓からマンションらしき建物がいくつも見えました。

三国志の名所を訪ねる旅といっても、中国に来たらやっぱりパンダを見なくては!!という事で成都のパンダ繁殖センター(成都大熊猫繁育基地)にやってきました。ここはパンダの繁殖と研究のための施設で、おおむね20頭前後のパンダが飼育されているそうです。ここの特徴はなんたって広々とした敷地でのびのびと暮らすパンダが見物できる所です。野生のパンダってこんな感じなのかな〜という感じです。しかし、パンダってどんな格好をしていても可愛いですよね。これから宿を探して成都で一泊します。


2001年10月25日
ニーハオ。ここ成都は劉備玄徳が治めた蜀の首都があった場所なので、劉備玄徳のお墓があり、観光名所になっています。劉備のお墓は漢昭烈陵と呼ばれています(漢昭烈は劉備の事、陵は位の高い人のお墓)。建物の中に劉備の像があったのですが、ちょっとイメージと違っていました。ちなみに、この建物がお墓ではありません。お墓は建物の外にあります。

l建物の外にある劉備さんのお墓にやってまいりました。でもボーゼン!!ただ石垣の向こうに土が盛ってあって木が生えて....たんなる屋外の風景にしか見えません。考えて見れば劉備さんが亡くなったのは今から1800年位前だから、一応お墓が残っているだけでも立派なものかもしれませんね。

さて、気を取り直して今度は武侯祠にやってきました。ここはかの有名な諸葛孔明を祭った祠です。実はここ、漢昭烈陵の中 にあるのでした。武侯祠はお墓ではないので、諸葛孔明のお墓はここにはありませんが、人形はあります。この人形はhonmeiが頭に描く孔明の姿に近いものがあります。また、祠には有名な出師表(すいしのひょう)が飾ってありました。これは諸葛孔明が魏に出兵するにあたり、劉禅に対し奉った上奏文です。昔から上奏文の名文と呼ばれているそうです。漢字自体はわかるんだけど、意味は半分くらいしかわかりません。さてさて、見物はこのへんで終了!!、これから成都名物の麻婆豆腐を食べにいきます。なんでもここ成都で「麻」婆さんが作り出した豆腐料理なので麻婆豆腐という名前がついたそうです。聞いた所によると、激辛だそうです(^_^;)。


2001年10月26日
バスにのって一路荊州までやってきました。高速道路を使ってきたのですが、高速道路の出口の門が.....おお、中国って感じのするとてもカラフルな門でした。

honmeiはあの名高い荊州城までやってきました。荊州は元々劉表という人が治めていたのですが、劉備が居候していたり、曹操に奪われたり、孫権の物になった後に劉備に貸与され、その後関羽が治めていたという三国志の中でも様々な戦いの舞台になった場所です。さっそく中も見物...と行きたい所ですがバスに長時間ゆられてすっかりくたびれてしまいました。観光は明日にして、今日はゆっくり休みたいと思います。


2001年10月27日
おはようございま〜っす。昨夜荊州の名物料理なるものを食べたのですが、ニンニクとスッポン料理が出てきました。おかげで長旅の疲れはとれた上に、鼻血まででちゃいました(^_^;)。中国の城は都市全体が城壁で覆われる構造になっています。敵が攻めてきたら城門を閉ざし、住民ともども立てこもる構造です。この城門を挟んで1800年も前に数々の戦が行われたと思うと感無量です。

城の中には三国志ゆかりの人物の像が展示されていました。後列に張飛、関羽、趙雲の3武将、前列に劉備玄徳と諸葛孔明の二人が並ぶという構成です。なかなか威風堂々とした像でした。荊州見物は今日で終了、明日は当陽に向かいます。


2001年10月28日
 honmeiは当陽にやってきました。当陽と言えば趙雲の街と言っても過言ではないでしょう。その証拠に町の中心部にはかっこいい趙雲の像が立っています。この像、黒くてなかなかかっこいいです。三国志(正確には三国志演義)のお話しでは、ここ当陽の長坂坡で趙雲は劉備の子阿斗を胸に抱え敵陣を駆け抜けるという大活躍をやってのけます。

長坂坡公園にやってきました。ここにも趙雲の石像があるのですが....................................派手。ド派手。懐に阿斗を抱き、馬上で敵将と戦う趙雲像や、追撃する曹操軍を橋の上からただ一騎で追い返す張飛の像、阿斗を地面に投げる劉備の像などがありますが、どれも彩色が施されていてど派手です。日本人的な感性だと、色を塗らずに石の地膚の色のほうがいいように思うのですが、国によって感性が違うようですね。たぶん中国の人は色をぬったほうがよいと思って塗ったのでしょう。


2001年10月29日
honmeiは朝早く起きて、当陽郊外にある、関羽のお墓「関陵」にやってまいりました。普通「陵」というのは皇帝や皇族などの貴人のお墓を呼ぶ呼び名です。普通なら武将の墓は陵にならないのですが、さすがに死後神として祭られた関羽だけの事はあります。何か劉備玄徳のお墓より立派な気がするのですが....劉備玄徳が主君で関羽は部下なのに。まあ、しょうがないですね。関羽は死んで神様になったんだから。
次はいよいよ劉備終焉の地、白帝城に行って見たいと思います(お墓は成都だけどお亡くなりになったのは白帝城なのだ)。白帝城へは揚子江を船で行くのが一番いいようです。

関陵から宣昌にやってきました。ここから船にのって白帝城に向かいます。え〜っと出発は今夜、到着は明日の早朝の予定です。
おっと、どうやら私ののる船がやってきたようです。船の名前は女王号、定員170名の客船です。雄大な揚子江クルーズ、今から楽しみです。


2001年10月30日
おはようございます。現在朝の9時頃です。
今honmeiは白帝城にいます。ここ白帝城はさすがに有名観光スポットだけあって、中もかなり整備されていました。白帝城の入り口の門はなかなか落ち着いた感じで、個人的にはお気に入りです。
白帝城は劉備終焉の地という事で、城の中には死にゆく劉備が孔明に遺児を託すという場面が人形によって再現されていました。

船にのって再び宣昌まで戻ります。
船から回りの風景を眺めていると、蜀の桟道が見えます。桟道とは切り立った崖にまるで棚のように板をつないで作った道の事です。この道がないと、切り立った山を越えなくては蜀に入れなかったそうです。蜀ってやはり攻めにくい場所だったのですね。

宣昌まで船で戻って、赤壁までバスで移動...疲れました。やはり中国は広いので移動に時間がかかります。
赤壁にやってきました〜。親切にも川岸の壁面に「赤壁」と赤い字で書いてありました。この文字は呉の軍師周瑜が書いたものと伝えられていますが、何か情緒がないような気がしますが、何も書いていなかったらただの川岸になっちゃいますけどね。疲れたので、今日の赤壁見物はここまで。


2001年10月31日
赤壁は呉と魏の2国が激突した戦いです。蜀の軍師孔明の力添えにより魏の船団は壊滅的な打撃を受け、ほとんどが燃えてしまいました。その炎が川岸の崖を赤く染めた事が赤壁の由来です。当時の呉の軍師が周瑜でここ赤壁にも巨大な周瑜像があります。この像は7〜8メートルはあるでしょうか。今まで見た三国志関係の像の中では最も巨大です。
周瑜はハンサムだったと伝えられていますが、像もなかなかハンサムに作られています。

周瑜像を見物した後、赤壁大戦陳列館を見物しました。建物の中には当時の武具などの資料が展示されていました。その後、孔明が風むきが変るように祈ったと伝えられる拝風台に行って見たのですが鍵がかかっていて中に入れませんでした(T_T)。
ちょっと名残惜しいのですが、そろそろバスの時間です。次の目的地は今回の旅の最後の訪問地、武漢です。


2001年11月1日
おはようございま〜っす。honmeiは昨夜無事武漢に到着したのですが、到着するちょっと前から悪寒がして喉が痛くなってきました。これはあぶない....と思ったので無理せずすぐに宿をとって寝ました。おかげで今朝は悪寒もなく、喉も元気です。しかも早朝から武漢でも知らない人がいない程有名なスープの専門店で温か〜いスープを飲んだおかげで、昨日よりも元気になった気がします。この店、なんと午前6時から開いてます。
元気になったところで市内観光です。黄鶴楼と呼ばれる有名な建物にやってきたのですが.....が〜ん!!まだ開いてませんでした。しかたがないので建物を外からながめて、まずは湖北省博物館に行ってみたいと思います。

湖北省博物館にやってきました。ここには「曽侯乙墓(今から2400年位前の戦国時代の曾の国の候の爵位の乙と言う人の墓)」から出土した品物が展示されています。とくに古代の楽器類が圧巻で、これは復元品なのですが実際に演奏する事ができるそうです。ちょうど私が見物している時に日本人の団体が入ってたのですが、それにあわせてなのでしょうかここの楽器で演奏されたらしい「さくら」の録音テープがかけられました。

湖北省博物館から再び黄鶴楼に戻ってきました。実はこの建物、1985年に復元されたもので、中にはエレベータも完備されています。もともとは三国時代に呉の孫権が蜀の劉備との戦いに備えて建てたものです。その後幾度も破壊と再建を繰り返してきたそうです。エレベータを使い最上階までやってきました。ここからは左手に武漢長江大橋が正面に武漢の市街の眺望が楽しめました。

さてと、今回の中国旅行もそろそろお終いです。今夜は武漢の湯包(小さな肉まん)の老舗の専門店でたらふく湯包を食べて、明日の早朝に帰国の途につきます。


2001年11月2日
 ただいま帰ってきました〜。三国志の史跡を訪ねる今回の旅、どうでしたか? honmeiとしては魏の国の史跡を一つもめぐることが出来なかったのが心残りです(でも魏の史跡の情報が全然なかったから、行きたくてもいけなかったのですけどね)。



ニュージーランド編

2001年10月7日
はーいhonmeiでっす!!元気ですか?
さて、私は今悩んでいます。実はニュージーランド旅行に行けるチャンスが目の前にぶらさがっています。いきさつはこうです。
昨日美穂の旅の主催元、テグレットの営業担当の松井さんからメールが来ました。「うちのお客さんがニュージーランドで行方不明になってしまいました。費用はテグレットで出すから捜索に行って下さい。」
ここまでは「おお、(行方不明になった人の事はひとまず棚に上げて)ラッキー」な話なのですが、続いて次の様な文章がありました。
「なお、社内規定により、行方不明者を発見した場合はともかく、期限までに発見出来ない場合は罰ゲームが待っています。罰ゲームの内容は未定ですがニュージーランドならではの罰ゲームにしたいと思います。」
罰ゲームって一体何なのだろう....(^_^;)。行くべきか行かざるべきか、それが問題だ...な〜んちゃって!!
このhonmeiがこんな千載一遇のチャンスを逃すわけがありません。もうすでに行くと返事しています(^O^)。そんなわけで今準備中。用意が出来しだい出発します。

 テグレットの松井さんから資料が届きました。行方不明の方の名前は「るぅく」さん(女性)、松井さんとのツーショット写真もおくられて来ました。るぅくさんは、ニュージーランドに観光に行ったっきり行方不明になっているそうです。もらった写真を添付します。るぅくさんと松井さんのツーショット写真です。


2001年10月8日
おはようございま〜す。
 ここはニュージーランド最大の都市オークランドです。松井さんからもらった資料によると、るぅくさんは成田空港からオークランド直行便に乗ったそうです。また、オークランドの空港から「るぅく」さんが飛行機でどこかに行った記録はないようです。そんなわけでオークランドで何らかの手がかりが得られる可能性が高いので、honmeiもまずここにやってきました。写真はまだ薄暗い時に撮影したオークランドのフリーマンズ港の風景です。ちょっと素敵でしょう。高くそびえているのはスカイタワーと呼ばれる建物です。まずあのタワーに登って町を眺めてみたいと思います。

スカイタワーから町を一望しようと思ったのですが、展望室の足元がガラス張り....それを見た瞬間足がすくんで動けなくなりました。でも頑張って写真を撮ったのですが、タワーから降りてチェッ クすると、全部空が写ってました(+_+)。それはさておき、るぅくさんを探すために気を取り直して何件かホテルを回って写真を見せて「この人を知らないか?」と聞いて回ったのですが、全く手がかりがつかめませんでした。最後に入ったホテルのフロントの人に、バスステーションで聞き込みをして見たらと言われました。なんでもニュージーランドはバスの交通網が発達しているらしいのです。そんなわけでこれからバスステーションに聞き込みに行ってきます。

こんばんは〜。バスステーションで聞き込みをしたのですが、手がかり無しです。まあじたばたしても仕方がないですね。まだまだ探しはじめたばかりですからね。という事で腹が減っては戦もできないので、夕食を食べてます。魚のフライとポテトフライ(フィッシュアンドチップスってやつです)を食べてます。量がすごいので、これだけでお腹一杯です(^O^)。さて、今日は早めに寝て、明日また頑張ります。


2001年10月9日
どーしたらいいのでしょうか? 今日も朝からホテルやバスステーション、さらには免税店などで聞き込み捜査を行ったのですが、まったく手がかりが見つかりません。松井さんにメールで相談したら「捜査の基本は足でかせぐ地道な聞き込みだ」とどこかの刑事ドラマで聞いたようなセリフが帰ってきました。るぅくさんがオークランドから飛行機に乗った記録がない以上、オークランドにいるかバス等で他の地域に移動したかの二つしか可能性がありません。たしかに今のところその二つの可能性にそって地道に聞き込みを行うしかないようですね。まあまだ二日目だからあせらないあせらない!!。


2001年10月10日
 グッドモーニーング。今私はベイオブアイランズ方面行きのバスに乗っています。粘り強くバスステーションでの聞き込みをして大正解でした(^○^)。バスの運転手の人が「ああ、この人なら4日前にこのバスに乗って、たしか、え〜っと、そうそうケリケリで降りたよ」と証言してくれました。そんなわけで私も同じバスに乗り込んでいます。行き先のケリケリはベイオブアイランズと呼ばれる入り組んだ湾にある町です。ここはイルカ見物で有名らしく、船と併走するイルカを見たり一緒に泳いだりするツアーが人気だそうです。くるぅくさんもイルカ見物に行ったのでしょうか。ケリケリにはお昼過ぎに到着の予定です。

はーい、。honmeiは今ケリケリにいます。ケリケリとはマオリ語で「掘り続ける」という意味だそうです。さっそくるぅくさんの足取りを調査するために、町に4件しかない宿をあたりましたが、彼女が利用した形跡はありません。次にツアー会社を回って聞き込み捜査を行いました。ツアー会社も数件しかないので、るぅくさんの利用したツアー会社がすぐに見つかりました。どうやら彼女はイルカ見物ツアーに参加して、ケリケリに宿泊しないでそのままどこかへ移動したようです。

う〜ん、また足取りが途切れてしまいました。....まああせっても仕方がないので、バスの時間まで私もイルカツアーを体験して見ます。

イルカツアー面白かったよ〜。船のすぐそばをイルカが泳いでいって、とてもエキサイトでした。で、るぅくさんの行方ですが...パンパカパーン\(^○^)/バンザーイバンザーイ、船の船長さんがるぅくさんの事をおぼえていました。船長さんの話だと彼女は「次はホエールウォッチングに行きたい」と行っていたそうです。ニュージーランドでホエールウオッチングと言えばカイコウラが最も有名だそうです。今日はもう遅いのでここに一泊して明朝カイコウラへ向かいます。写真は船に併走するイルカです。


2001年10月11日
こんにちは。今honmeiはクライストチャーチにいます。昨夜松井さんにいままでの経緯を説明したメールを送った所、カイコウラには(松井さんの)知り合いがいるのでその人に頼んで調べるので、結果が出るまでクライストチャーチにいるようにと言われました。そんなわけで結果が出る間を利用して今市内観光をしています。街中にはこんな路面電車も走ってます。

オーストラリアと言えばコアラ、そしてここニュージーランドと言えば飛べない鳥のキウイを見なくては、という事でオラナパークという動物園に行って来ました。実物のキウイ見ました。あるかないかわからないような小さな丸い目、毛むくじゃらのようなずんぐりまるい体、にゅっと伸びたくちばし。写真では見たことがありましたが、実物は想像以上に可愛いです、まるでhonmeiみたいに(^_^)。


2001年10月12日
 電車の中からおはようございます。元気ですか?ただ今honmei大急ぎでカイコウラに向かっています。なんと松井さんの知り合いは「カイコウラ」ではなく「かんのうら(甲浦、高知県にある)」にいるそうです。いくら語感が似ていてもニュージーランドと日本の地名を間違えるなんて、いくらなんでもそそっかしすぎますよ松井さん(*_*)。そのようなわけで結局私がカイコウラに行く事になりました。まあ、おかげでクライストチャーチ一日観光が出来たからいいですけど(^_^;)。写真は昨夜撮ったライトアップされた大聖堂です。そうそう、すっかり忘れてたけど、るぅくさんを見つけられないと罰ゲームが待っているんだった。よし、ここは一つ気を引き締めて捜索に当たりたいとおもいます。

例によって電車の駅、バスターミナル、ツアー会社等をまわってみたのですが、手がかりがありません。
松井さんに指示を仰いで見たのですが、何故か「ああ、無理しなくていいです。どうですhonmeiさん、せっかくですからホエールウオッチングに行って、今夜はカイコウラでゆっくり泊まって静養し て下さい」という返事が帰ってきました。何か変だよな、例のカイコウラと「かんのうら」を間違えた話もどこか胡散臭いし....真剣にるぅくさんを探すつもりがあるのか疑問になってきました。どうもあやしい...しかし!!毒を食らわば皿まで!! しっかりホエールウオッチングに行ってまいりました。

見たよ見たよ、クジラ!!。写真を撮ったのですが......クジラが体を水面に出した所を撮ろうとするとシャッターをきった時には既に体は水中に沈んでいて、尻尾だけが写っていました。でもこの夕日に浮かぶクジラの尻尾の写真は結構いけてると思うのですが、どう思いましたか?

やった〜やった〜!!るぅくさん発見!!
夕飯を食べるために入ったレストランでるぅくさんを発見しました。何とあっけないのでしょう。でも私が「松井さんの依頼でずっと探していました、やっと見付けましたよ」というと、るぅくさんはきょとんとしていまいした。食事をしながら彼女と色々話しているうちに、隠された真実が判明しました。簡単にまとめると、次の様な事らしいです。
1:るぅくさんは行方不明ではなかった。単に松井さんが自分のアドレスを間違ってるぅくさんに教えたため連絡が取れなかっただけだった。
2:私がクライストチャーチに向かっている最中に、るぅくさんが松井さんのアドレスが間違っていることに気がつき松井さんと電話で連絡をとった。

3:松井さんはそのことを私にすっとぼけようとしたらしい。

しかし、1と2はわかるが、なぜ松井さんが3のような事をしたのかがわかりません。よくわからないのですがそれはさておき(^_^;)、るぅくさんはこれからオマルという所へペンギン見物に向かうそうなので、私も同行しようと思います。


2001年10月13日
 おはようございます。今オマルにいます。早朝のペンギン見物に行ってきました。写真はここに生息するリトルブルーペンギンです。朝、まだ薄暗い時に撮影したのでちょっと画面が暗いですね(当然フラッシュ禁止です)。このペンギンは体長40センチ、体重1キロというとても小型のペンギンです。群れでちょこまか歩く姿はとても可愛らしいです。それからペンギン見物ツアーから戻る途中で、松井さんからメールが届きました。メールを読んで事情がわかりました。どうやら松井さんは自分のミスをなかなか打ち明けられなかったようです。松井さんはテグレットの社内規定により現地(この場合はニュージーランド)での罰ゲームを受ける事になったそうです(私がるぅくさんを見つけられなかった場合に受けるはずだった罰ゲームだそうです)。
 松井さんからのメールの最後に「お詫びの意味と罰ゲームの模様を取材して欲しいので、私が到着するまで現地観光を続けてください」とありました。事情をるぅくさんに話すと「じゃ、私と一緒に行きましょう、次の予定はと....」と有無を言わさない迫力で言われました(^_^;)。そんなわけでるぅくさんと一緒に、さらに観光旅行を楽しみたいと思います。松井さんとは明後日にクイーンズタウンで落ちあう事になりました。


2001年10月14日
おはようございます。るぅくさんの言うには、「今回の旅はニュージーランドの野生動物を見るのが目的だから、honmeiさんにもつきあってもらいますよ」との事なので(^_^;)、昨夜電車でオマルからダニーデンに移動し、早朝にダニーデンを出発し、一緒にイエローアイドペンギンを見るツアーに参加しています。このツアーでは結構近い距離からペンギンを観察する事が出来ます。このペンギン絶滅の危機に瀕していて、ダニーデンから車で40分位の所にある、ペンギンプレイスと呼ばれるペンギンの保護区で手厚く保護されています。で、私達が参加しているペンギンを見るこのツアーの収益がこのペンギンの保護にあてられているそうです。るぅくさんに「珍しいペンギンを見ることが出来た上に、ペンギン保護にまで一役かえたのだから、もっと嬉しそうな顔をしなさい!!」と言われました。いや、嬉しくないわけじゃないんですけど、るぅくさんの行動力に気圧されてちょっとあわあわしています。

ダニーデンの町に戻って来ました。帰りのバスの中でるぅくさんに「そうそう、タイエリ高原鉄道の切符を買っておいたらから、町に戻ったら楽しい高原列車の旅に出発よ!!」と言われました。え、タイエリ??そんなの聞いてないよ〜。私があたふたとしていると「ど〜せクイーンズタウンに行くのなら、楽しく観光しながら行った方がいいでしょ、この路線の終点からバスでクイーンズタウンに行くのが最も効率的な方法なのよ」と言われました。いやまあ、確かに地図を眺めるとそのとおりなのですが....とぶつぶつ私が行っていると、「ここの食堂車、食事が美味しいと評判なのですよ、私がご馳走しますから」と言われたので、二つ返事で了解しました。う、でもよく考えたらるぅくさんにhonmeiの性格がバレてるような気が....でもいっか(^○^)、食堂車から美しい景色を眺めながら食べる食事が楽しみです。写真は途中で立ち寄ったシグナルヒルという高台から町を一望した写真です。中央に広がるのがオタゴ湾、右がダニーデンの町の中心地(だと思う(^_^;))です。


2001年10月15日
ハロ〜ハロ〜、honmeiは今日もご機嫌で〜す。ここはクイーンズタウンです。昨日のタイエリ高原鉄道の旅、とっても面白かったです。この鉄道はあくまで観光用なので、景観のいい要所要所で停止してくれます。写真は高架橋のところで停車中に撮影した一枚です。絶景ですね。それで列車で食べた食事ですが....まあ、まずいとはいいませんけどごくごく普通の味しかしませんでした。そんなわけでhonmeiはどうやら不機嫌そうな顔をしていたようです。るぅくさんに「まあ、そんなに不機嫌な顔をしないで。今夜美味しい夕飯をご馳走するから機嫌直してね」と言われました。当然、honmeiは即座に機嫌を直してディナーに向かいました。連れていかれたのはニュージーランド料理店でしたが........大満足です。特に鹿肉の料理がよかったです。ここニュージーランドでは鹿を牧場で飼育して食用にしているそうです。かつては鹿肉はなかなか手に入りにくかったのですが、飼育できるようになったため手軽に味わえるようになったそうです。鹿肉は脂肪も少ないので、ヘルシーですしね。おっと、るぅくさんが呼んでいます。今日はすごく素敵な場所に案内してくれるそうです。何かすっかり私もるぅくさんのペースに巻き込まれています(^_^;)。でも結構楽しいのですけどね。

あああああああ、honmeiは今、今、今、ととととっても、おそそそそ恐ろしい場所にいいます。はぁはぁはぁ....ようやく少し落ち着いてきました。ええっと今私はボブズヒルという丘の頂上にある展望レストランにいます。ここまで麓からスカイゴンドラという乗り物でやってきたのですが、めちゃめちゃ傾斜が厳しく(37度だそうですけど見た目には垂直よりもやや傾斜があるって感じ)、スピードがめちゃめちゃ早いうえに...揺れるんです。こ、こわい、めちゃめちゃ恐かったですぅ〜。ようやく上まで上がって来たのですが.....このレストラン、一部が空中につきだしているんです。写真を....あわわわ、足が震えてまともに写真がとれません。あ、す、すみません、るぅくさん撮影して下さい。というわけでるぅくさんに撮影してもらった画像を添付します。私はこれから昼食を食べます。と書いたら、後ろから書いている文章をるぅくさんに覗かれて、「どんなに恐くても食事だけは忘れないのね」と言われてしまいました(^_^;)。


2001年10月16日
昨日松井さんとクイーンズタウンで落ち合う予定だったのですが、全然連絡がありませんでした。メール出しても返事がないし....るぅくさんと「どうしてかな?」とホテルの食堂で朝食を食べながら話していると、突然目の前に真っ青な顔をした松井さんが現れました。「すみません、飛行機のトラブルで遅れました」聞けばテグレット社所有の自家用機を操縦してここまで来たそうです。途中エンジンの調子が悪く、色々と苦労したそうです(いくら聞いてもどう苦労したのかは教えてくれませんでした)。 松井さんも加わって、3人で食事をとっていると、だんだん松井さんの顔色もよくなってきました。食事が終わると、「さあ、お二人とも僕の罰ゲームの取材をお願いします、罰ゲームの内容は現地に到着するまでナイショです」と元気に明るく言われてしまいました。私とるぅくさんは顔を見合わせ、二人して首をひねりながら松井さんの後をついていく事にしました。

やっほ〜、罰ゲームの内容がわかりました。「バンジージャンプ」です。ここニュージーランドはバンジージャンプという競技の発祥の地だそうです(おおもとは南太平洋のバヌアツという島国の成人の儀式だそうです)。松井さんは、「バンジーなんて屁でもないです。僕は飛行機を操縦したり、スカイダイビングを体験したりと、高いところは全然平気ですから」と平然と言い放ちました。 う〜ん、さすが松井さん、肝がすわってますね。honmeiだっ たら確実に気絶していることでしょう。バンジーを行う場所はカラワウ橋、ここは世界で初めてバンジーが行われた場所です。そんなわけで今honmeiは遠景で松井さんのバンジーを撮影すべく、ビデオカメラをまわしています。るのですが、松井さんがダイブ用のタラップに立ってからはや30分。双眼鏡で様子を見ると橋にしがみついています。 お、手を離しました。覚悟を決めたようです。それじゃビデオをまわしてと、カメラの準備をしてと。 松井さんが....後ろからるぅくさんにつつかれている(^_^;)。あ、飛び出した。!!......やった、ちょうど飛び出した所の写真がとれました。


2001年10月17日
グッドモーニング!! 昨夜の夕食の時に松井さんが、「明日は僕の操縦する飛行機で遊覧飛行にご招待します」と言ってくれました。 おお、ラッキー、今日は松井さんの操縦する飛行機で、ミルフォードサウンドという所を遊覧飛行する予定です。ミルフォードサウンドは有名なフィヨルド(陸地の奥まで湾が入り込んでいる地形)で、素晴らしい景観で有名です。ガイドブックで は遊覧飛行がいいと書いてあったのですが、金額が高くてあきら めていたので、とっても嬉しいです。

あれ、るぅくさんがあまり元気がないようです。どうしました?と聞いても「いえ別になんでも..」としか言いません。体調でも悪いのかな?対照的に松井さんは妙に元気で、にこにこしてます。さて、出発出発!!

は〜い!!、honmeiはただ今ミルフォードサウンドに来ています。いいぞいいぞミルフォードサウンド、空中からみた景色はなかなかのものでした。思わず写真を撮るのも忘れてしまいました(^_^;)。

飛行場に着陸後、今度は地上から見物に行きました。うひょ〜、地上からの風景は空中とは違い何か神秘的な感じがします。今度こそとばかりに写真を撮影しました。アザラシなんかもいて、いかにも自然の宝庫という感じがします。

今松井さんの操縦する飛行機の中にいます。松井さんは飛行機で日本まで連れていってくれるそうです。
でもるぅくさんが嫌がっています。おかしいな、るぅくさんもミルフォードサウンドを見たら帰国するって言ってたから、飛行機代が浮いてラッキーという反応が普通じゃないかな???
何か.......雲行きがあやしくなってきました(といっても実際の天候の事じゃないよ)。
るぅく「お、おろして、私をこの飛行機からおろしてぇぇぇ」
松井「まあまあ、おちついて、大丈夫ですから」
るぅく「何が大丈夫なもんですか、松井さん、飛行機落とすので有名じゃないですか」
え、honmeiそんな話し聞いてないよ〜
松井「失礼な、まだ3回しか落としてないのに、有名だなんて!!」
え、さ、さんかいぃぃぃ〜、1回でも十分だよ(TOT)、まずい.....
ここはうまく松井さんを言いくるめておろしてもらわなくては。
honmei「ま、松井さん、わ、私も何かお腹の具合が悪いので、おろしてくれませんか?」
松井「大丈夫ですよ、やだな〜honmeiさんまで僕を信用してくれないの、あんまり落とす落とすと言われると本当に落としそうな気になってくるな〜」
honmei「あ、あの、い、いや信じてます、松井さんの事を。」
私がそう言うと松井さんは操縦席に戻っていきました。うなだれる私に、るぅくさんがお守りを貸してくれました。そして、「祈るのよ、あなたの信じる神にひたすら祈るの!!」と言いました。honmeiはお守りを握りしめ、一心不乱に祈っ てます。


2001年10月18日
おはようございます、というかなんというか、時間がよくわかり ません。時計では午前10時半位ですけど....まだ落ちてません(^_^;)。太平洋上空を(たぶん)快調に飛行中です。
この飛行機、松井さんに見せてもらったカタログのスペックでは最大航続距離が6000kmちょっとなんです。ニュージーランド日本間は1万キロなので、途中で給油のために着陸する必要があるはずです。
るぅくさんと話し合った結果、中継地でなんとか降ろしてもらおうという事に話がまとまりました。飛行時間から判断するとそろそろ燃料の補給が必要になって来る頃です。おっと、松井さんが来ました。
honmei「松井さん、そろそろ燃料補給が必要ですよね、どこに着陸するのですか?」
松井「へ、着陸??そんな必要ありませんよ」
honmei「でも航続距離から考えて、そろそろ燃料補給が必要でしょう」
松井「ああ、その心配は無用です。日本までノンストップで行きますから」
さらに反論しようとする私を制して、松井さんは私に操縦席に来るように言いました。
松井「今から燃料問題の解決策をご覧に入れます」と言って操縦席のフロントガラスの方を指し示しました。そこには、巨大な飛行機が........あ、あれは燃料パイプ、まさか空中給油.....あの機体には見覚えが....
honmei「ま松井さん、あの機体は旧ソ..ああぐぐぐ」
松井さんに口を手で塞がれてしまいました
松井「し〜、honmeiさん世の中には見なかった事にしておいた方がいい物事があるんですよ。なに、昔の友達に頼んで給油してもらっているだけですから。」と言いながら松井さんはニヤリと笑いました。松井さん、恐るべし。旧ソ..あわわわ、某国に相当太いコネがあるみたい。でも、これで中継地で降りるという計画はおじゃんです。あとは神に祈るのみです。


2001年10月19日
生きているって素晴らしい...無事着陸しました\(^○^)/バンザーイ、バンザーイ。るぅくさんに借りたお守りは握り締めすぎで、ぼろぼろになっていました。お守りをるぅくさんに、「こんなになってしまいまいした」と言って渡すと、「たぶんこのお守りは私達の身代わりになってくれたのでしょう」とるぅくさんは言いました。honmeiはその言葉にただただ頷く以外にありませんでした。そのとき、後ろから松井さんが声をかけてきました。
松井「話しは全部聞きましたよ。ひどいな〜、まるで僕がいつも飛行機を墜落させているような言い草じゃないですか。失礼だな〜、僕だって20回に1回位しか落としませんよ。」.................1/20の確率..........で墜落....やっぱり生きててよかった、ふぅ〜。

今帰宅しました。今回の旅は予想よりもかなり長い旅になってしまいました。でもニュージーランドの野生動物と雄大な自然にふれることが出来て満足です。これもるぅくさんが行方不明(本当は松井さんの勘違いだけど)になってくれたおかげだから、るぅくさんに感謝しておきます(^○^)。今回の旅はこれにて終了また旅に出してね〜。でも二度と松井さんの飛行機には乗りません(^_^;)。



ネパール編

2001年9月30日
今回の目的地は、ネパール。ヒマラヤ山脈を見たくなったんです。もうすぐ、飛行機が離陸します。ネパールに着いたら連絡しますね。それでは行ってきます!
本命竜馬:まだネパールには行ったことがないので楽しみ

2001年10月1日
何故かインドのデリー空港に着いてしまいました。手違いがあったのでしょうか。多分、切符を買い間違えたんでしょう。これもまた一興。インド側からヒマラヤ山脈を目指します。それでは。

あの山が有名なヒマラヤ山脈です。雄大で美しい・・・・・・・歩いてネパールまではとても行けそうにありません。。とほほ。どうしましょう?とりあえず、山を散策します。
本命竜馬:切符を間違えてインドとは・・・本当なら混乱で頭がパニックになりそうだけど、随分、のんびりしている、この分身は

2001年10月2日
とてもくつろいでいます。澄んだ空気と豊かな緑の山々。ほっと一息です。ここは、牧草が一面に生えています。本当に、自然って素晴らしい!

今、ヒマーチャルプラデシュのクールーで休憩中です。空気が綺麗です。女性達の民族衣装が印象的です。

ぶらぶらと山歩きしていたら日本語が聞こえてきました。「1本でもニホン酒」「全部飲んでも杜仲茶」・・・・・・声の主は、テグレット技術開発という会社の松井さんという方。現地の子供達に日本語を教えるといって、駄洒落を教えているみたいです。 松井さんは、会社が所有する飛行機で来たとのこと。彼は、サン・テグジュペリにあこがれて飛行機のライセンスを取って世界中を飛びまわってるそうです。ネパールまで、飛行機で送ってもらえることになりました。夕食は松井さんの友人のラージャさん宅でご馳走になりました。インドのカレーはカルカッタ。おっと、私も松井さんのペースに乗せられてしまいそう! それでは。
本命竜馬:助かったようである。歩いてネパールまで行こうするなら、完全に電波少年の世界だ

2001年10月3日
いま、ラージャさん宅の庭に造られた飛行場に来ています。松井さんは「僕は昔はワルだった。飛行少年だったんだ」といいながら、飛行機の出発前のチェックをしています。この人大丈夫でしょうか?

なんだか、急に飛行機が揺れてきました。まわるまわるーーー!!!よこにもたてにも、ぐるぐる!!!!!!うわぁーーーーっ

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読者の皆様
何らかのトラブルに巻き込まれた可能性があります。現時点では、未確認情報ですので、これ以上申し上げられません。テグレット技術開発および、国際警察機構、国際救助隊、陸海空自衛隊が合同で調査中です。状況が分かり次第報告致します。
テグレット技術開発 インド支社
ラジニカーント・ラフマーン
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本命竜馬:テグレット技術開発からメールまできて、心配

2001年10月4日
おはよう、昨日は恐かった!!松井さんは、これまで20機以上も飛行機をこわしているようです。しかも、ライセンスは取ったばかり・・・「宙返りやって」って言ったら、連続宙返り、錐もみ とやりたい放題で恐かった。冗談のつもりだったのに・・・・・ 生きていたのが不思議なくらいです。何とか無事にネパールに着きました。

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心配かけてすいません。読者の皆様
こんにちは、テグレット技術開発の松井と申します。インドからネパールまで、honmeiさんは、私が飛行機でお送り申し上げました。少々乱気流でゆれましたが、おおむね快適な飛行でした。次回は是非、私の操縦する飛行機で快適な旅をお楽しみ下さい。
テグレット技術開発
松井康史
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和宏さん、ここは、凄い!世界遺産にも指定される目玉寺に来ています。この雰囲気、ただものではありません。写真、撮ろうと思ったけど、ファインダー越しに仏塔に描かれた目がこちらをみているようで、どうしてもシャッターを切ることができません。 今日は、何か、無性に興奮しています。

先ほどは目玉寺の写真送れなくてすいません。その代わり、といっては何ですが、旧王宮ダルバールスクエアで行われるインドラ・ジャットラ祭の写真を見つけたのでお送りします。この祭は、釈迦族の血を引く少女を生神(クマリ)として祭るもので、旧王宮ダルバールスクエアで行われます。写真から伝わってくる熱気、ただものではありません。

2001年10月5日
ここは、カトマンズ郊外のネワールの村。とある寺院で、他の旅行者を発見。ここ、ネパールはヒンドゥー教と仏教が仲良く同居する国、この寺院もそんなひとつ。ネパールの人々のおおらかさ、こんなとこにも現れています。ある村に立ち寄ったら、お祭が開催されていました。お祭見物をしていたら、村の人たちとすっかり仲良くなりました。ネパールの人達、素朴で優しい笑顔をしています。食事もごちそうになりました。今日は、村の人たちと朝まで騒ぐ予定です。

村の人に「光の祭ティハール」ではこういう風に、女兄弟が男兄弟を清める「プジャ」という儀式をするんだよ、と教えてくれました。ネパールの人々は家族の絆をとても大切にします。

2001年10月6日
今日は、ネパールの山を散策しています。空気はいいし、地元の人はやさしいし、もう、最高!!ついに見えました!!マチャプチャレ山です!!!日本語に直すと「魚の尾」。この山への登頂をネパール政府は許可しないそうです。シヴァ神の住む山とされ、登った人は生きて帰って来ないとか・・・・・そういえば、どこか、神秘的な雰囲気に包まれています。この山は。

ネパールにずっと住みたい衝動にも駆られましたが、 日本が恋しくなったので、そろそろ帰ります。ネパールのおみやげ??いろいろと迷っているうちにそろそろ出発の時間のようです!それでは!

トレッキングの途中、仏塔を発見。思わず写真をパシャリ。この空の青さ、分かりますか?この澄んだ空気、と和やかな雰囲気とにかく、ネパールが気に入りました。

2001年10月7日
ただいま。ネパールはとっても素敵な国でした。流れている時間がすごくゆっくりで、ネパールの人たちは、みんな優しかったです



ポルトガル編

2000年10月31日
これから出発します!!
今回はちょっと、心が癒されるところへ行ってみたいと思います。

11月1日
東京は町田市のリス園へやってきました。ここは、honmeiのお気に入りの場所なんですよ! 園内には色々なリスさんやらウサギさんやらがいます。これを見ているとほのぼのと心が癒されます(^_^)  放し飼いの飼育場もあり、餌を購入すると、専用グローブを貸してもらえて、自分で餌を与えることができたりします。
三重の扉をくぐり抜けて、飼育場へとやってきました!!  うーかわゆい!! ほのぼの!! しあわせっ(^_^) グローブの上に、餌を置くと、リスさんがぽーんと手の上に乗ってきます・・・ 肩や腕に飛び乗ってくる食い意地のはったリスちゃんもいたりします(^_^;) リスがポン・・・ リスぽーん! りすぽんうっ
 う うっうっっうううぅぅぅぅぁあぁあぁあぁあぁあぁあ
 で 電波がぁ電波が!!私を呼んでいるぅううぅぅうぅ
ハイこんにちはぁ!! え゛っ?「ハイこんにちはぁ」じゃないだろうって? 一体どこをほっつき歩いていたんだって?(^_^;)  ははは、(^_^;)  honmeiは電波に呼ばれてリスボンへとやって来ました!!。
 所はポルトガル、テージョ川に面する街であります。コンペイトウやビスケットやカステラの故郷(語源)となった所であります!! さてと「大航海」の果てにたどり着いたので眠い眠い。写真は駆けつけの一枚(笑) 街の風景とサン・ジョルジェ城というお城です。 とりあえずは時差ボケ解消のために休むとします(^_^;) アテ アマニャン!! 探検は、また明日・・・

11月2日
リスボン名物の市電に乗って、アルファマ地区へとやってきました!! ちなみにアルファマとはアラビア語で温泉を意味するのだそうです・・・ ・・・が、温泉は今は無いようでした。残念。 この辺りは1755年の大地震で大きな被害を免れたとのことで、街並みはイスラム風のものが残っているとか・・・「異国情緒」たっぷりです。カテドラルと市電です。 なんでも、その昔は砦としても機能していたということで、カテドラルというには無骨な作りです(^_^;) 真ん中の丸いハスの葉のような部分は「バラ窓」というステンドグラス状の窓です。 外から見るとなんのことはありませんが、中からは暗い聖堂の中に浮かぶ色の花といった風情で美しゅうございました。 このカテドラル、ゴシック様式の回廊にバロック形式の祭壇、外はロマネスク様式とフランケンシュタインのような作りですが、それが、逆に、歴史の重みを感じさせるものです・・・。 さて、そろそろお腹が減ってきました、何か食べに行こうと思います!!
 当地は夜の8時を回ったところです。 引き続き「アルファマ」地区を散策してきました。 お昼を食べた後は、博物館巡りをしました。 鉄砲博物館(軍事博物館)には、日本の鎧兜も展示してありました。建物は18世紀の兵器庫なんだそうですが、ま、いわば「倉庫」な筈なのに、バロック様式の素晴らしい建築なのには唸らせられました。 アズレージョ博物館は、装飾タイルが美しい。そういえば、街の中にも沢山ありましたっけ。名物なんですね(^_^;) 夕方は昨日、サン・ジョルジェ城へと登ってみました。 このお城跡はリスボン最古の建造物の一つだそうで、起原はローマ時代以前とも・・・・ ジュリアス シーザーの時代には要塞となっていたとかいうお話でした。今は公園となっています。城壁によじ登ると、リスボンが一望のもとに見渡せます。 それはそれで大変素晴らしい一大絵巻物なのですが、夕日が沈んだ後のひとときに、街が紫色に染まるとのことで、頑張ってみました。 まるでエアーズロックのように色がどんどん変わっていく様は、まばたきをするのも惜しいぐらいの時間でした。 さて、夕御飯に行きますか!!

11月3日
降り注ぐ陽光!!食事はうまい!! ちなみに食事は、魚・肉料理とも大変口に合い外国に来たという感じに乏しいぐらい(^_^)  当地ではタラを良く食べるようです・・・干しものがメインのようです。 美味しいは美味しいのですが、あまりいい気になって食べていると、塩分取りすぎになりそうな気もしないでもないです。コメルシオ広場です。 こちらはリスボンでも一番の広場だということで、192m×177mの大きさなのだそうですが、三面を、長大な建物に囲まれているので、巨大な中庭 ・・・といった感じです。 ちなみに建物の店子は官庁さんだそうですが、 「どこかの国の節操のないお役人さんと違ってこういう所でお仕事をしていると、仕事の格調も高くな るのかなぁ〜」なんて思ってしまいました(笑)コメルシオとは「商業」という意味なんだそうですが、別名を宮殿広場というのだそうです。 マヌエル1世さんという王様の壮大な宮殿があっ たそうなのですが1755年の地震で壊れてしまったということです。もったいない・・・。 ちなみに、開けた一方はテージョ川に面していてこちらの眺めも素敵です。
 所はバイシャ地区、アウグスタ通りへとやってきました。歩行者天国というやつです。ちなみにバイシャとは「低い土地」という意味だそうです。リスボンは七つの丘にまたがると言われてますが、丘があれば当然低いところもあるわけで・・・(笑) こちらは、その「低い方」ということですね。 この辺は大地震の後にボンバル侯さんという方が都市再建計画をして生まれた街並ということです。 その当時の都市計画が未だに機能しているというのは驚きもものき・・・です。 今はショッピング街という風情で、色々なお店があり、目移りしてしまいます。 ちなみに左右にプラタ通とアウレア通という道があるのですがプラタは銀ということで、文字どおり銀座!! アウレアは金ということで金座ということになりますか・・・ 実は「お店の格」もちゃんとアウレア通りの方が上だとか・・・なんと申しましょうか律義というか面白いですね。 さてさて、honmeiはそろそろ午睡の時間です。 おやすみなさーい。
 午睡をしていたらお腹がグーグーするので目が覚めたという・・・ハハハ。 だんだん性格がアバウトになってきたようです。「エレベーター」です。 えっ?エレベータだけが建っているのかって? そ〜うなんですよ、川崎さん!!<チト古いか 山坂の多いリスボンでは「垂直移動」にケーブルカーやらが活躍していますが、こちらも立派な公共交通機関・・・になる筈だったらしいものです。 筈だった・・・というのは・・・ エレベーターそのものは良いのですが、肝心の連絡路に問題があったような雰囲気で・・・ ・・・まぁどこの国にもあるようなお話ですね(笑) ということで、展望台を上にくっつけたのは設計者さんの慧眼だったという代物のようです(苦笑) 周りは重厚、鉄製ですが、ひょろ長く少々「安定 感」には欠ける所があるので乗るのは若干の勇気が必要かも・・・(^_^;)  さて、今夜はどこへ繰り出そうかな・・・。

11月4日
 当地は夜の1時を回ったところです。 ファド・レストランでファドを堪能して帰りのタクシーを待っているところです。 (夜の一人歩きは危険もあるとのことで、店 の中で待たせてもらってます) ファドとは、ポルトガルの伝統歌謡です。 一言で言うとギター伴奏の肉声音楽!! 歌手の方はマイクを使わずに歌い上げます。 なんでもイスラム、アフリカ、ブラジルなどの音楽のエッセンスも加わって19世紀頃からのものだそうです。 語源は日本語の「運命」に由来するとかで、恋や人生をもの悲しくも歌うのであります。 ワインを飲みつつの一時は大変味わい深いものがありました。 おっと、タクシーさんが到着したようです。 ではでは。
 昨夜の心に染み入るファドとワインのおかげで 少々お寝坊さんしてしまいいました(^^ゞ  昨日は、「低地」のバイシャ地区を探訪しました ので、本日はそのお隣、バイロ・アルト地区を行きたいとおもいます。 アルトとは「高い」という意味のようです。そう言え ば歌手にも、ソプラノ、アルトとありますね。 こちらは「高い地区」ということのようです。 ということで、この町には「垂直」交通機関が発達しています。昨日のエレベーターの他にも、ケーブルカーも活躍しています。 ケーブルカーのお尻が「持ち上がって」います このおかげで床は水平を保っていますが、駅に止まっている姿は結構まぬけです(笑)   さてと、まずは食事をして、午睡して・・・ あっ石を投げないで(^_^;) 
 さて、今日は「高い地区」を探訪してまいりましたが、カルモ教会です。 教会というにはやけに殺風景な景色ですが、これは1755年のリスボン大地震の惨禍を忘れぬようにと、あえて修復せずに残してあるのだそうです。 建立されたときは、リスボン最大のものだったということで、さぞかしさぞかし立派なものだったのでしょうが、「地震の威力はほれこの通り」・・・と身を挺して示しているわけですな。  喉元過ぎれば暑さを忘れている風などこかの地震国の人々も見習うべきでしょう・・・。 ただの廃墟というわけではなく、しっかりと考古学博物館となっているところはさすがです。 今日はこの他に、1548年の天正遣欧少年使節団が滞在したという、サン・ロッケ教会さんやら、シアード美術館やらも見て参りました。 夜は、エストレーラ聖堂のライトアップが素晴らしいという噂を聞きましたのでこちらを見てから、夜の町へと繰り出したいと思います。
 夜は素晴らしくライトアップされたエストレーラ聖堂にため息をついてから、レストラン街へと繰り出しました。 今日は高級レストランでお食事してしまいました。ビシッと決まった給仕さんの最高のサービスを受けながらの食事は、なんか自分の格も上がったような気がする程(^_^;) ちなみに、各レストランにはその格式がフォークのマークの数で表示されているので、よそ者にも判りが宜しいのが嬉しいところです。 ちなみに、ホークが沢山並んでいるほど「高級」なことになるのですが、お店の「格」の表示で、「味」を表示しているわけではないようです(苦笑) 夜はまだまだこれから!! という感じですが、ちょっと、暗くて怖いところもあるし、明日は少し遠出するつもりなので、今日は早目に寝ることにします。

11月5日
今日は、市電にゴトゴト揺られること30分・・・ ・・・「小旅行」・・・ってな感じで、西のはずれのベレン地区へとやって来ました。 ちなみに、ベレンとはベツレヘムのこととか。 この辺は見どころが沢山あるとののことで気合いを入れていきたいと思います。ジェロニモス修道院、なんでも元々エンリケ航海王子さんが、お建てになった礼拝堂の跡地に、その業績とヴァスコ・ダ・ガマさの世界一周の記念にということで、大航海時代の記念としてマヌエル一世さんが、命じて建立されたのだとか。 しかし、それにしても立派というかバカがつくぐらいの壮大さです。 内部の一辺が50m以上ある中庭の回廊は凄いの一言・・・。 1502年から作り始めたということですが、1755年の大地震にももちこたえたとのことで、大したものです。 隣接して、海洋博物館や国立考古学博物館もあり、見飽きません。海洋博物館は別棟の本物の船が圧巻。 さてと、そろそろ、お昼にしたいと思います。 このあたりは、もう、川とも海ともつかぬところなので、魚料理なんていってみようかな!(^_-)
「発見のモニュメント」。 なんでも、エンリケ航海王子の500回忌!!を記念して1960年に作られたのだとか。  船出する帆船をモチーフとしているだとか。 高さ50mあまり。展望台があります。 大理石でできた広場には世界地図が埋め込まれて、その発見の年号が記されています。うーん。「歴史の重」みって感じです。 この他にも、ベレン文化センターやら、アジュタ宮殿を回ってきました。 ここのところ、タクシーだ市電だと、歩いていなかったので、少々疲れ気味・・・(^_^;)  もう少し頑張って、 ベレンの塔とへ行って、あとは、対岸の クリスト・レイの夜景を楽しみたいなと思います。

11月6日
 昨日のベレンの探訪で、潮の香りを感じ、どうせなら!!・・・ということで、今日は伝説の町ナザレヘとやって来ました。うーん。磯の香りが・・・、お昼は当然お魚料理。 レストランの店先でお魚がグリルされていたりして、たまりませんでした!!  伝説によると、古代フェニキア人がこの町を作ったのだとか。 町の名前もキリスト生誕地と一緒ということで、メモリア礼拝堂 という、奇跡が起こったかいう場所もあり、陽光降り注ぐ中にも なんとなくミステリアスな雰囲気も・・・。 そんな中で見つけた、ちょっと怪しげな(^_^;)銀器のお店・・・。 ポルトガルのお土産といえば、コルク製品、ワイン、陶器、 刺繍に絨毯・・・と色々ありますが、金・銀細工も有名。 あ、中の店員さんが手招きしています。ちょっと入ってみようかな・・・。 店員さんの手招きにつられてお店の中にへと入りました。え?オマエにはオーラが輝いて見えるって? そうりゃそうでしょう,なんたって電波に呼ばれて飛んできてしまったんですから・・・(笑) なんだか、褒められているんだが、けなされているんだかイマイチ解りませんが(^_^;) お土産に丁度良さそうな品物もありますな。うんうん。 この不思議なプレートはなんだろう?鏡みたいだな。 おお、こうやって、3枚組み合わせて、周りに置くとると、うふふ。万華鏡みたい!! 俺が沢山だぁ〜(^_^) あっ な ん んか 金 属    器 に か こまれっれて  る せ いか  電 波 事情が わ るい のか  な・・・ え、? そ その ま 魔 法 を な なんで し しっしってい いるの かって? まま 魔法って?な に          ? え゛っ゛ な゛ななな なにが・・・・  だ ぁ  あ゛           っ ふぁぁああああああああああああああああああああああああ゛

11月7日
 (@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@) あっ、でっへへへへ、ただいまぁ〜 え゛? ただいまじゃないだろうって? だって、ナザレのお店で、プレートで万華鏡遊びしていたら突然「ふっ」ってなって・・・(^_^;) 自分にもよく解らないうちに帰ってきちゃった(^^ゞ でも、リス園にリスボンなかなか良いところでした!! どちらも心が癒されました(^_^)


インド編

2000年10月7日
これから、インドに行きます。

10月8日
これから飛行機に乗り込みます。ちょっとドキドキしています。それにしても、出発前の手続きって面倒ですよね。

10月9日
今、インドのデリー空港に着きました。こちらは暑いです。それにしてもインドの雰囲気は空港にも漂っています。空気が違います!

10月10日
ニューデリーのバハーイ寺院に着きました。別名Lotus Temple、確かに蓮の花に見えます。この大きさ見てください。インドには巨大な建築物が沢山あります。

10月11日
ここアグラはムガール帝国 (1526 〜 1707) の首都だったところです。この写真はタージマハルは亡妻の追悼のためシャー・ジャハーン皇帝(Shah Jahan) が建てたそうです。自分のお墓は黒い大理石でおそろいにするつもりだったそうですが、夢は叶いませんでした。これ、全てが大理石で出来ているそうです。いったい、どこから持って来たんでしょう?

10月12日
仏教徒の聖地サルナートに到着しました。お釈迦様が5人の弟子に初めての説法を行ったのがここです。インドでは非常に珍しい仏教のお坊さんと沢山すれちがいました。ここにいるだけで、心が洗われます。

10月13日
今、どこにいるのかわからなくなりました。迷子になってしまったようです。多分カジュラホ付近でしょうけど...付近はこんな感じです。
信じられないでしょうが、と鉢合わせになりました!目が合ってしまいました。以前インド人に「虎狩」の話は聞いていましたが...幸いなことに満腹なのか襲ってくる気配はありません。とりあえず逃げます。

10月14日
迷子になって、虎から逃げて。大変でした。気を取りなおして、旅を続けます。行き先は黄金の町ジャイサルメール。

10月15日
ジャイサルメールに着きました。素敵な民族楽器が我々を迎えてくれました。独特な響きが、何故か郷愁を誘うから不思議です。これから要塞を見学して、それから豪華なホテル、ハベリゲストハウスに泊まります。入り口で衛視に敬礼され、まるでマハラジャになった気分。今日は良い夢が見られそうです。おやすみなさい。丘の上に聳えるのが有名なジャイサルメル要塞です。内部の装飾も非常に凝っていますが、フラッシュをたくと怒られそうだったので、残念ながら写真は取っていません。

10月16日
昨晩は豪華な食事と豪華な宿で最高の気分でした。チェックアウトの際に請求書を見てびっくりしました。払った後には30ルピーほどしか残りません。これでは家に帰る旅費も足りないのです。ふと、駅を見ると豪華な列車が止まっているので車掌さんらしき人とお話したら、デリーに着くまでアルバイトさせてくれるそうです。デリーまで、この列車で働きながら移動です。
私は豪華な列車でハイソな気分のバイトで張り切っています。皆親切で、気持ちよく仕事ができます。それに、食事も着いているので、安心です。ちょっと寝る場所は狭いけど..ところで、今日立ち寄った町ではお祭りがあったようです。女の人は綺麗に着飾っています。

10月17日
楽しいアルバイト付の旅行も終わりました。この列車の旅はすべてが驚き。次はお客さんとして乗ってみたいです。ということで、デリーに着きました。お給金も頂きました。やっとこれで帰国できます。



サモア編

2000年8月3日
今日は。honmeiです。今回は南の楽園、サモアに行ってみたいと思います。サモア付近にはフィジー、トンガ、ニューカレドニア等、OLさんが泣いて喜ぶリゾートがあります。サモアはウポル島・サバイイ島、その他合計9つの島によって形成されます。首都はアピア、人口は17万人です。サモアに人が住み始めたのは約2500年前からと言われています。年間の平均気温は29度です。ラグビーが強く、1999年W杯で日本はサモアに惨敗を喫しました。ふぅ〜。それ以上の事は私がサモアに着く迄に調べておいて下さいね。(^^)

ふぅ〜。サモアのファレオロ国際空港に着きました。何て言うのか、空気がムッとしてますね。さすが、常夏の島。

2000年8月4日
おはようございまーーーす。
ビーチに来ました。青い空、白い雲、コバルトブルーの海...サイコー!!! しっかし、他にはな〜んもないって感じです。木陰で本を読んで、昼寝をして、日常から離れ、ぐうたらできそうです。

たろ〜ふぁ! (サモア語で今日は)
腕時計(先輩から譲り受けたシチズンのデジアナ。1979年10月26日購入)をホテルに置き忘れてしまいました。今何時なのか正確には分りませんが、私の腹時計はお昼の時報を鳴らしています。サモアの人達は何て言うか、南の島独特ののんびりした雰囲気を持っています。日の出と共に起き、腹が減ったらご飯を食べ、暑ければ休むという。自然と一体になって、生活を楽しんでいるって感じです。竜馬さんはどうですか、人生楽しんでますか?ふぅ〜、竜馬さんも来れば良かったのにね!ビーチを歩いているとサモア人のグループに出会いました。向こうから話しかけてくれ、もうすぐ豚の丸焼きが焼けるので、一緒に食べようと誘われました。

2000年8月5日
アピア公園に来ました。広い敷地内に総合グラウンド、ラグビー場、体育館、テニスコート等があります。竜馬さんは、スポーツ好きですか。私は最近ゴルフ、テニス、ダンス等好きですね。見るだけなら格闘技系も好きです。走る格闘技即ち「ラグビー」のナショナルチームが練習していました。写真では分りにくいかもしれないけど、すんごい迫力ですよ! あんなのにタックルされたら全身ばらばらになりそうです。途中、サモアのレストランに寄りました。メニューに sashimi とありました。うーん、どっかで聞いたような食べ物だなぁ〜。(^^) こちらのレストランではマグロの sashimi が結構ポピュラーで、食べられる所が多いです。サモア語ではなく、sashimi というのがなんか嬉しい発見です。

2000年8月6日
お早うございまする。 今日は朝もはよからロイヤルサモアカントリークラブにゴルフをしに参りました。料金は日本円で約1000円です。う〜む、猫の額のようなゴルフ教室に高いお金を払って通っていた私は何だったんだろう?ゴルフ場で青年海外協力隊の人達と一緒になりました。彼らは語学もバッチシなので、大変頼もしかったです。写真は隊員の清水さんという人です。ちょっとへっぴり腰かも? (^^; 清水さんはこちらで数学の先生をしています。他の隊員さん達もその他の科目を教えています。と〜ふぁ! (バイバイ)

ゴルフも1ラウンド終りました。サモア人、青年海外協力隊員と一緒に皆でお食事をしました。休憩所の屋根がサモアっぽくないかい? もじもじしてたら、清水さんが私のお皿にカレーをよそってくれました。有難うございます。「ゴルフの後のビールはうまい!」と隊員さん達は口々に言ってました。「青年海外協力隊員」なんて言うとちょっと取っつきにくいイメージもあったんだけど、私の思い込みでしたね。(^^)  生魚にココナッツミルクをあえた物がありました。OKAというそうです。おいしいようなおいしくないような...ちょっと変った味でした。清水さんは一見まじめそうだけど、しゃれを連発してました。 ...勘弁して下さい。

2000年8月7日
聞いて驚け、フィジーに来てしまった!フィジーはサモアから飛行機で2時間くらいです。青年海外協力隊の人達がフィジーに来る予定だったので「こちらではクーデターが勃発しているので、危ないから来ない方がいい」と言われたけど、付いてきました。「ったくもうしょうがないなぁ。(苦笑)」とひんしゅくをかいながらも、彼等はフィジーの観光地等とても詳しいので、色々教えてもらいました。写真はフィジーの朝一の様子です。いろんなフルーツが並んでいました。パパイヤ、パイナップル、バナナ、モンキーバナナ、ブレッドフルーツ、マンゴ、スターフルーツ、ジャックフルーツ...フルーツに混じってスパイスも売られてました。何故、フルーツとスパイスを一緒に売っているのか聞くと、清水さんがフィジーは人口の半分がインド人だからと、教えてくれました。夜はフィジー人主催の青年海外協力隊ウェルカムパーティが開かれます。私も隊員のふりをして参加したいと思います。でも「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれたら、どうしましょう? 竜馬さん、考えておいて下さい。クーデター情報:大分鎮静化してきたけど、今後もフィジー系住民とインド系住民の対立も残りそうです。デモ隊がスバ市内のラジオ局を襲撃したそうです。帰れるのかなぁ?

こんばんは。ウェルカムパーティが始まりました。しょっぱなからフィジー人に「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれてしまい、あせって「私の名前は青年海外協力隊です。」と訳の分らない返事をしたら相手は妙に納得してました。大人は飲み、子供は遊び回っています。清水さんは現地の子とお友達になりました。メニューは...・カレーが数種類・ロロ−野菜や魚をココナッツで煮た物・ココンダ−フィジー風の刺身。ヤシの実を半分に割った器に ココナッツミルクで煮た魚が入っている。・マンギティ−ヤシの葉の上に蒸した肉やタロイモをのせて食べる・日本風の刺身−しょうゆもちゃんとありました。清水さんは一見まじめそうですが、話してみるとだじゃれが面白くてとても楽しい人です。フィジアンビールを飲んでだじゃれも全開です。「サモアってとてもいいところですね。」と言うと、「さも、ありなん」とか「フィジーのビールっておいしいですね」と言うと、「ビールの指輪と言う歌が昔はやりましたね。」(それはルビーの指輪じゃ・・・・・)などといったりするので,面白くて大笑いしてしまいました。その他「だじゃれが面白いですね」「だじゃれを言うのはだれじゃ? 焼肉のたれじゃ」「くだらな〜〜い」「いや、百済は昔朝鮮半島にありました。」などとだじゃれのオンパレードでした。南太平洋にまで来てこんなにオヤジギャグを聞くとは思いませんでした...はぁ〜あ。う〜む、夜間外出禁止令が出ているのに、パーティでしゃれを言ってていいのだろうか?クーデター情報 
今回の写真




2000年8月8日
昨晩のパーティで清水さんが現地の子とお友達になったの覚えてますか。今日はその子の家に招かれました。写真を見てもらえますか。皆スカートのようなものをはいています。ラバラバと言ってこちらでは大変ポピュラーな物で、男女はきます。協力隊の人達がお土産にもらってました。なぜか私の分はありませんでした。(涙)藁葺屋根の家がおしゃれですね。クーデター情報:人質は解放されましたが、各国がクーデターに対する制裁措置を発動する情勢です。

フィジーから無事戻ってきました。今日はサモアのジャングル探検に出かけます。竜馬さん、私が毒蛇に食われないように祈ってて下さいね。

2000年8月9日
おーーい、猛獣出てこい! このhonmei様に恐れをなしたかーー...仕方ない、勘弁してあげよう。ジャングルの中はムシムシして暑く、のど乾いたぁー。清水さんが野生のココナッツを取って、穴を開け飲み始めました。私も清水さんに取ってもらいました。穴を開けようとしてもうまく開かないので、結局清水さんに開けてもらいました。(^^;  ココナッツジュースはあまり冷えてないけど、ジャングルの中で飲むと格別のおいしさです!

2000年8月10日
う〜〜〜う〜〜〜。お腹痛いよ〜〜〜。昨日のどが渇いた時にうっかり生水飲んじゃったんだけど、それが原因かなあ。とりあえず、正露丸飲みます。本当は今日はダイビングに行く予定だったのだが、この体調ではさすがに危険なので、やめときます。ところで、この事はテグレットには内緒にしてね。竜馬さん、約束だからね。さもないとhonmeiはテグレットの人に「わはは。ホントは食べ過ぎなんじゃないの?」って笑われてしまうでしょう。

2000年8月11日
ところで、青年海外協力隊の人達は決してゴルフをしたり、パーティをしたりするためにこちらにいるわけではありません。任務があるのです。清水さんが数学を教えている学校はちょっと変っていて、壁がなく、代りに柱が立っています。だから、外から丸見えです。学校は大体壁があるけど、一般の家では壁がない所が多いです。青いシャツにラバラバ(スカートのような物)制服です。皆ビーチサンダルを履いています。授業中におしゃべりしてたら、注意されました。ごめんなさい。ちなみにお腹の具合はもうへっちゃらです。

授業が終りました。清水さんは、英語で数学を教えていました。
すごーい!
honmei:「有難うございました。では『遠ーい』道のりをバスで帰ります。」
清水:「いえいえ、どういたしまして。気を付けて下さい。」
honmei:「次のバスが来る迄、まだ、だいぶ時間がありますね〜。」
清水:「...そうですね。この辺はちょっとバスの便も少ないので。」
honmei:「では、1人寂しく帰ります。失礼します。」
清水:「...じゃあ。この村の酋長のレイアタウアさんが、丁度これからアピアに買い物に行くので、一緒に乗っけてってもらいましょうか。」
honmei:「そうですか〜。すいません、有難うございます。あまり気をつかわないで下さい。」
(やったー! ラッキー!!!)
送ってもらう途中、バスが海にはまってました。
honmei:「あれ? あれはどうしたんですか?」
清水:「こないだの嵐でバスが水没しちゃったんですよ。」
honmei:「おもしろそー。ちょっと近寄ってもらえませんか。」
レイアタウア:「イイデスヨ。デモ、キヲツケテクダサイ。」近くで降ろしてもらいバスの走って行きました。
(バシャバシャ)
清水:「あっ。そっちは岩場だから気を付けて。」
honmei:「平気、平気。心配性だなぁ、清水さんは。」
レイアタウア:「アッ。ソコハキュウニフカクナッテルカラ、アブナイヨ。」
honmei:「この位へっちゃらです...わあーーー。」
清水:「あああーーーー。honmeiさん!!!」(続く)

2000年8月12日
今日は、竜馬さん。昨日はうっかり深みにはまってしまい、すんでの所を清水さんとレイアタウアさんに助けてもらいました。幸い怪我はしませんでした。海で切っちゃうと小さな傷でも出血してしまうのでその点は不幸中の幸いでした。その代わり海水をゴクゴク飲んでしまいました。う〜、気持ち悪〜。言う事を聞かないで、ごめんなさい。今度から気を付けるので、竜馬さんからもお礼を言っといて下さい。今日は青年海外協力隊の人達に海のそばの温泉に連れてきてもらいました。大海原の側の温泉。サイコーです!
昨日の事はけろりと忘れてるかもしれないhonmeiより

2000年8月13日
青年海外協力隊の任期ももうすぐ終り。隊員さん達は外務大臣を表敬訪問しました。もちろん、私も付いて行きました。何か聞かれた場合は「私の名前は青年海外協力隊です」って答えればバッチシです! かっぷくのいい外務大臣が私達を歓迎してくれました。大臣はYシャツ、ネクタイ、ラバラバ...そしてビーチサンダル (^^; という面白い格好でした。「プッ」と笑ったらSPっぽい人に睨まれました。それに懲りずに写真を撮ろうとしたら、今度はSPに怒られました。大臣には笑われてしまいました。えぇ〜ん、ごめんなさい。(;_;) 言うまでもなく、豪勢な食事と南国の音楽で歓迎されました。「おいちい!  お天気は雲一つなくカラッと晴れ、政府庁舎がくっきりと青空に映えています。サモアは本当に素敵な所です。でも残念ながら私もそろそろ帰らなければいけません。お友達からの留守電が山程入っていることでしょう。

あ〜らよっと! 只今帰りました。青年海外協力隊と一緒に帰国すれば、団体割引で旅費が節約できると思ったけど、割引にはなりませんでした。帰りの飛行機でも清水さんは「お土産のラバラバがばらばらになった」だのしゃれを連発してました。サモアはとっても素敵な所でした。次回の旅ではいたずらして怒られないように気を付けたいと思います。サモアの人はとってものんびり、リラックスしてて、仕事好きの協力隊員と好対照で、かみ合わない場面もあって面白かったです。ストレス解消には是非お勧めです!

なお、この報告メールは美浦の旅を使っています。



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