12月2日
日帰りバスツアーを師走に入ってから行こうと思ったのは、妻と夏の沖縄旅行が直前になってキャンセル(妻の足の怪我の為)したからだった。20世紀の最後の思い出を良い思い出にしょうという(沖縄の夏を駿河の秋で代用しょうとするという)魂胆。 そんな事で横浜駅近くに集合だったので、朝早く7時に集合する事となる。 自分達は運転手側の席の3列目に座る事になる。(二列目は添乗員が1人で座っている為に、悪いことが出来ないと思ったりする)バスは39名を乗せ、秋の味覚松茸ご飯に期待を膨らませて、定刻に出発。バスガイドはおっとりと話すのだが、そのおっとり口調に時々、毒が混じり、意外に面白そうなバス案内になりそうだと感じさせる。例えば「バスが走っている間は、お客さんの横の通路は私と添乗員さんの花道で、お客さんは絶対に歩いてはいけません。また、運転手さんも同じです。運転手さんが歩いたらバスは動きませんから」などと。旅行を楽しくさせようとユーモアを混ぜて、注意・お願いを説明する。バスは順調に東海道を走っていくかと思われたが、途中、事故渋滞にあう。30分ぐらいのノロノロ運転だったので、皆のトイレ休憩を心配し、中井インターでトイレ休憩。そこでバスガイドがまたまた提案。「今日、このバスの中では貴方がたは皇室です。だからトイレに行く、便所に行くとは言ってはいけません。皇室用語で女性は『お花摘み』、男性は『おじゃじゃ』と言うことにします」と。「では、バスはとまりましたので、お花摘み、おじゃおじゃに行ってらっしゃい」と、見送ろうとする。そこで、自分達の後ろに座っていたおばちゃん軍団が喜ぶ。「男は、ジャージャーと小便するから、おじゃおじゃと言うのかね」と。これでは、皇室もあったものではない。しまいには、添乗員もバス発車時間を、一時間も間違えて発表する。トイレ休憩なのに。無事に休憩をすませて、バスは発車。 伊豆長岡『かつらぎ山』に行く。ロープウェイで、かつらぎ山に登るのだが、このロープウェイ、観覧車のゴンドラみたいで6人乗り。行きは二人組みの三組と同じゴンドラに乗り、452mのかつらぎ山の頂上まで。伊豆長岡を空中から見下ろす。1人のおばちゃんが「そういえば、どこかのロープウェイ、途中で宙吊りになった事があったわね」と、怖い事を言う。ゴンドラの中が、一瞬、シーンとなるが、その時に、ゴンドラの下部を杉木がこすった為に、ゴンドラ内に、こすった音の響きがこだまする。杉が伸びきっているので、何度もこすりながら、恐怖の時間は7分続き、頂上までやっと着いた。頂上で雲の間から雪化粧の富士山を写真で撮ろうとしたら、それが最後の一枚だった。写した瞬間に、フィルムは自動的に巻き戻され、妻から失笑をかった。かつらぎ山の頂上では、『国土地理院二等三角点』(なぜか某友人を思い出す)や『下駄供養塚』(ホテルで使い古された下駄を供養するという。そういえば、京都にもそういう下駄供養があったような気がした)、そして、心霊写真のように地蔵が並ぶ『百体地蔵尊』を見て、下山。帰りは、妻と二人、観覧車のようにゴンドラに乗り、景色を楽しむ。 バスは今度は駿河港に向かい、バスガイドの爆弾発言がまた飛び出す。「皆様が乗る船はクィーンエリザベス号やタイタニックのような豪華な船ではありません。あちらに見える漁船かもしれません」と。結局、普通の遊覧船に乗って、駿河港の淡島(三角の山。島にはホテルや水族館等がある)周辺を遊覧する。水の透明度が高く、ボラとかが泳いでいるのが見える。地元の人に聞いたら、まだこれでも濁っており、寒くなれば、もっと透明度は増すと言う。 そして、近くの食堂で、昼食になる。秋の味覚、松茸ご飯食べ放題。握り寿司、毛ガニ等が出ているが、本当に旅行タイトルにあるようにドッキリ。まず、松茸ご飯、松茸の香りだけで、肝心の松茸がない。毛ガニは小さく、しかもカニバサミがなく、食べつらい。狭い場所にギュウギュウ詰めで、自分たちは食べる事になるが、寿司はマズイ、メロンは美味しくないわで、散々な昼食となる。本当にドッキリした。ビールで腹を満たし、バスは天城峠に。 3キロ余りのミニハイク。水生地下バス停留所から伊豆の踊り子のように歩く。踊り子橋、伊豆の踊り子文学碑、白橋となだらかな山道を散策。昔、心霊スポットで騒がれた旧天城トンネルを抜ける。途中、大きな火の玉かと思いきゃ、乗用車が狭い道を通り抜ける。こんな所を車で通らなくても良いのに、歩いてこそ、旅情緒がわくと思うが。トンネルを抜けると、そこは
雪国だった。ではなく、やはり、秋の紅葉は美しい。久し振りに自然と対面した気分だ。二階滝、寒天橋と歩き、バスが止まる駐車場に行くのだが、添乗員が途中で待っており、道の脇から下に下る近道(?)を行って下さいと言われ、自分達は行くのだけど、そこは道なんてものではなく、木の根っこや滑りやすい泥でロッククライミングしている気分を味わう。本当に歩ける所を捜しながら歩いていくのだ。そして、バスまで戻り、遭難から生還した気分になり、どっと疲れる。 猪レース場を通り、バスは浄蓮の滝に向かう。バスガイドがバスの中で、ワサビのソフトクリームの話しから、日本にある名産のソフトクリームの話しに広げていく。「静岡はワサビ、福岡はメンタイコ、大阪はタコ焼きのソフトクリームがあるが、もっと強烈なのが、長野。長野では味噌のソフトクリームがあります。しかし、味噌の色は何かの色に似ていて、しかも、ソフトクリームだから形が何かに見えてしまって、食べるのに勇気がいりました。ても、美味しいでした」と。浄蓮の滝に着いても、さすがに二百段余りの階段を往復する気にならず、自分達はワサビのソフトクリームを食べて時間を潰す。 後は、ワサビ工場(工場と言っても簡単に作っている工程の紹介。手打ちソバの実演紹介のようなもの)、海産物ショッピングセンターをまわり、沼津で高速に乗り、横浜に向かう。途中、事故渋滞という案内が出たが、そんなに渋滞はなく、スムーズに横浜駅に着く。気候的に寒くなく、しかも、好天に恵まれ、富士山も行きの高速で堪能出来たし、バスガイドは面白かったし。ただ、メインの料理がマズかっただけで、これで六千円弱では文句は言えない。添乗員の「うちは安さが売りですので」と、オチもあったが
| 2000年10月27日〜10月30日 南九州の社員旅行編 |
今年度の始めに社員旅行のアンケートに『鹿児島に行きたい』と書いた事から今年の社員旅行は『鹿児島旅行』に決まった。
10月27日(金)
朝、4時に起きるつもりが、寝坊して5時に目が覚める。羽田発8時45分、集合時間がその一時間前なので、6時に出発。リックに着替えを詰めて、実家にも帰るのでその時のお土産の中華饅頭と、弟の子供のプレゼント『トーマスのプロレール』を持ち、京急上大岡駅に。 上大岡駅で友人と待ち合わせ、横浜駅でもう2人と待ち合わせて、桃太郎のようにキビダンゴを振舞いながら(ジョーク、ジョーク)、羽田空港に向かう。羽田で、幹事から飛行機のチケットを受け取り、各自、飛行機に乗り込む。後で気がついたのだが、その飛行機に石田純一と宋兄弟が乗っていたらしい。 宮崎空港に到着し、バス2台に社員50名が分散して乗り込む。自分と友人4人は1号車の前の席。が、部・課長に取り囲まれて、小さくなって道中騒ぐ事になる(笑)。自分達が静かな代わりに、沈黙すら喋るバスガイド。バスは宮崎空港を離れ、ほどなく、巨人軍のキャンプ地に。「巨人軍の話しをしても良いですか?」との断りを入れて、巨人がキャンプしている時の宿泊所等のガイドをする。前に、バスガイド、アンチ巨人のお客に、怒られたらしい。そんなに怒るなら、アンチ巨人は宮崎にこなければ良い。 バスは青島へと向かう。昔、小学生の頃に、観光しに来た事があるが、その頃、青島神社までだいぶ歩いた記憶がある。でも、すぐに橋を渡り、『鬼の洗濯板』のかたわらを見ながら、青島神社に到着。周囲1キロの島にある青島神社は縁結びの神社と言われているが、自分も付き合いで(独身者が多いので)、縁がありますようにと、祈る。しかし、これ以上、縁を持ったら不倫になってしまうが… 青島神社から10分ほど、ダラダラ歩き(ここでもバスガイドは喋りぱなし)、青島観光ホテルで昼食。幕の内定食を食べる。 バスは日南海岸の堀切峠、志布志のかるかん工場のあるドライブイン(堀切峠からドライブインかるかん販売員を乗せて、30分のバス内かるかん販売。数件の注文がある。やはり逃げられないバスの中では、買わずにおられないのだろう)と、バスは休憩停車しながら桜島に。それにしてもバスガイドの鹿児島紹介はビドイ。自分は鹿児島出身だからわかるが、これでは鹿児島を地方の人は誤解されてしまう。その誤解案内とは、�ー�児島の人は語尾に全て「・・・ドン」を付ける(テレビの西郷隆盛の影響だ) �⊆�児島ではかき氷の事を『白熊』と言うが、『むじゃき』(白熊発祥の店)では、夏季限定で売られている(実際は、かき氷と言えども、一年中売られている) ��鹿児島の人は、みかんにしょうゆをつけて食べる(そういう風な食べ方をしている人を見た事がない)等、無茶苦茶なガイド。 とにかく、バスは桜島に。この所、桜島は噴火していたので、桜島に近づくにつれて、火山灰の灰色の町並みになってゆく。有村溶岩展望台にバスは止まり、記念撮影。幸いにも、雨も灰も降っていなかったが、灰の臭いが鼻につく。友人の一人は咳き込んでいた。 バスは桜島フェリーに。『ドリフィンライナー』に乗り鹿児島港(通称、錦江湾)を渡り、鹿児島市内に。ビール、ジュース等がバスの中に余っていたので、幹事の薦めるままに、夕暮れの港風を受けながらビールを飲む。これで何本目だろうか。バスはフェリーを降りて鹿児島市内を走り、夕食に郷土料理を食べさしてくれる『熊襲亭』に。きびなごの刺身、薩摩揚げ(ごぼう、にんじん入り)、黒豚の角煮、酒ずし、黒ブタ、さつま汁、デザートにさつま芋のヨウカンを食べながら、薩摩の芋焼酎を飲む。郷土料理と言うが、実際はいつもこういう料理を食べているわけではなく、各家それぞれの味をアレンジして作って食べているのだ。 薩摩料理を店で堪能して、自分達は天文館のスナックに行き、ホステスの鹿児島弁を友人達に聞かせながらカラオケタイム。こういう時は、ローカルな話しの方が盛り上がる。カラオケとトークに飽きて、友人達を引き連れて、いつも鹿児島に帰った時に行く『やきとりの西屋』に行く。横浜よりだいぶ安く、しかも旨い。 友人達は、まだ飲み足りなく、他の店を捜していたので、自分は実家までタクシーを飛ばし、久し振りの実家に。両親の顔を見て、少し話しをして、サンロイヤルホテルに戻る。このホテルは千葉ロッテがキャンプをする時に利用するホテル。自分が社内での最後のチェックインになってしまった。
10月28日(土)
あいにくの雨。昨日、バスガイドは桜島の噴煙を見ながら、明日は晴れると予想していたのだが、裏切られた。朝食にホテルのバイキングを食べ、タクシーを飛ばす。 『むじゃき』で、頭を抱え、ノドを痺れさせながら白熊を食べる。 店を出て、明石屋でかるかん、薩摩蒸気屋でかすたどんを、お土産に買う。 天文館から西鹿児島駅まで歩いてゆくと、いわさきホテルの前で、十数年振りに友人に合う。どこかで見たような顔だと思い、ホテルの服のネームを見ると記憶の糸がつながる。自分がジロジロと見ているので、向こうも自分に気づき「久し振り」と挨拶。ホテルの喫茶店のチラシを街中で配っていた(後で、寄ると言ったが、結局、忙しくて寄れなかった)。
西鹿児島駅に(駅前にダイエーがオープンしており、駅周辺も変わっていた)着くと、観光案内所窓口で市内観光バスのチケットを購入。出発の13:45まで時間があったので、西鹿児島駅のお土産屋で時間をつぶす。 バスは定刻に出発。高見橋を渡り、すぐに『維新ふるさと館』で下車。ふるさと館の維新体感ホールで、幕末から明治維新までの薩摩びいきのリアルな大人形劇鑑賞。このふるさと館のある地は、加治屋町と言い、すぐ近くに、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎等の数多くの偉人たちが誕生している。 バスは、熱帯植物園に向かうが、その途中の車窓から『坂本龍馬・新婚の旅の碑』が見える。坂本龍馬とおりゅうが日本で最初に新婚旅行をしたとされている。龍馬ファンだが、ここにも坂本龍馬関係の観光スポットがあるとは知らなかっただけに感激する。 熱帯植物園を見ようとすると、雨が降ってきた。勘違いして、ビニールハウスの中だけに特別に降らせていると思っていたが、天井を見ると、そこは日本庭園で、ビニールハウスではなく、本当の雨だった。ビニールハウスの中に入り、ヤシ、バナナ、水蓮、ソテツ、サボテンと、友人にギャグを言いながら見て回る。ギャグの内容は下らないので、ここでは割愛する。 バスに戻り、西郷の銅像、鶴丸城跡ょ車窓で見ながら、城山展望台に。あいにくの雨で、雄大な桜島は見れなかったが、お土産で、おつりに昔のお金百円札、五百円札等をサービスに付けてくれる、お土産屋が並ぶ。つられて、下らないキーホルダーを買ってしまった。 バスは私学校跡を通り、南州墓地に。西南の役で戦死した二百人余りの墓地が並び、桐野利秋、村田新八の間に、西郷隆盛の墓がある。 南州墓地を出て、仙厳園(通称、磯庭園)に。この観光バスで一番、桜島に近い所だが、雨雲で桜島の姿は裾の方しか見えず。そこで、両棒餅を食べて、バスに戻る。 バスは鹿児島駅を通り、自分達は天文館に。今日、横浜に帰る友人達を空港行きのバスに乗るのを見送り、そこを離れようとしたら、大学時代の先輩に偶然、会う。少し、話し、実家に戻る。 家で、久し振りの実家の味を懐かしながら、巨人の日本シリーズ優勝に感動する。
10月29日(日)
昼で実家にのんびりしていると弟夫婦が甥っ子を連れてやってきた。甥っ子に持ってきたプレゼント『トーマスのプラレール』をあげると、箱の包みを開けるのも、もどかしく、喜んで慌てて開ける。弟が組み立ててくれたら、それ以降は弟(父親)でさえも、触らせてくれないほど、甥っ子はトーマスのプラレールを気に入る。 弟夫婦の車で、両親と弟夫婦で、祖母の病院にお見舞いに行く。結構、年なのだが、最近、脳卒中で倒れて入院しているのだ。あまり、自分は帰郷が出来ないので、ここぞとばかり、励ますのだが、同じ病室のおばあちゃんがウルサイ。大勢で押し掛けたので、自分もかまって欲しいのか、何かと、こっちに呼びかけて、戸惑う。 病院を後にして、天文館に戻ると、アンパンマンがいた。甥っ子に見せようと、呼びかけるが、怖がって近づこうしない。そういえば、弟も小さい頃に、ウルトラマンを怖がり、泣き出した子ともったと思いだし、親子だな〜と感心する。 空港バスに乗り込み、鹿児島空港で延泊した会社仲間と落ち合い、羽田空港に帰った。
| 2000年8月30日〜9月1日 大阪・京都一人きままな旅行記編 |
8月30日(水)
今回の大阪・京都旅行は、完全な一人旅となった。(妻の足の怪我の状態から判断して、二人で旅行するはずだった沖縄旅行をキャンセルして、妻の薦めで自分一人の大阪・京都旅行になってしまった)横浜より高速でバスに乗って大阪・難波に向かったのは、その日の夜。22:00過ぎだった。幾分、酒も飲んでいたので、ぐっすりと睡眠がとれた
8月31日(木)
予定の30分遅れの6:30に難波に到着。朝、早くだったので、心斎橋、道頓堀を歩いても、どこの店も閉まっている。パチンコ屋の開店を待つ、暇人の群れが目立つ中、トボトボと時間潰しの策を考える。吉本新喜劇を見るまで、時間はたっぷりとある。結局、マンガ喫茶で時間潰しする事になる。大阪まで来て、最初にマンガ喫茶とは… 寂しいが、しかたがない。10:30、なんばグランド花月に行き、チケット(指定席千円)を買う。幕があがるまで、時間があったのでパチンコ屋に行く。勝負根性の血が騒ぐ。一勝負だけだと、心に誓い、パチスロ勝負するのだが、これがドンドンとコインが増えていく。パチスロ(ルパン三世)の調子が良い。結局、千円が、一万七千円になる。11:40、なんばグランド花月に入場。まず、トップは聞いた事の無い漫才師『キングコング』から始まり、『こん松せんべい』の漫才、『Mrホールド』の観客に毒つきながらの一輪車芸、『新小づえ・みどり』の女性漫才(相変わらず、女性漫才は相手の顔の欠点や年齢の悪口ネタ)が終わり、やっと、吉本新喜劇。劇の各所に散りばめられるギャグ。島田譲二の『パチパチパンチ』や『あっ、熊や、死んだフリせぇ』、島田珠代の壁に投げられるギャグを生で見る。ただの喜劇では終わらない劇の内容で、人間の喜怒哀楽をうまく笑いに融合させていた。その後に『大木こだま・ひびき』の漫才、『笑福亭仁鶴』の落語、『中田カウス・ボタン』のトリで幕は閉じた。二時間半の吉本を堪能する。昼は、劇を見ながら、弁当を食べるのだが、観客もやりたい放題。隣りのオバちゃんはペチャクチャ話していたり、酒を飲みながら観ているおじさん、寝ていたりする中学生もいた。だから、自分も、弁当(花月弁当。幕の内弁当だが、嫌いな魚が多く、あまり食べられる品が少ない)を食べた。何だかんだと楽しんだ後、難波でタコ焼き(マズイ)を食べ、地下鉄・御堂筋線(朝のうち、脱線事故で止まっていたようだ)で『梅田』に行き、そこから阪急で『河原町』に向かう。阪急京都線の河原町駅で降りて『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地』の史跡を見つける。実は前回の京都旅行でも捜したのだが、服屋のバーゲン服で隠れてわからなかったが、今回も交通公社の旅行のパンフレット立てに隠れていた。京都の人通りを見ながら、わりあい、厚底靴女が少ない事に、なぜかホッとする。せっかくだからと、パチンコをやると、吉本新喜劇効果か、パチンコの機種『炎の爆笑軍団』(吉本の有名タレントが続々出てくる機種)で、これまた千円で一万五千円の勝利。雨が降りそうなので、京都駅までバスで戻り、泊まるホテルを捜す。結局、依然、妻と泊まった『京都新阪急ホテル』に決める。妻がいるみたいにツインを頼む。と言うより、シングルが無かったので、ホテル側がシングルの値段で、ツインを使って下さいと。部屋が広く使える分、ラッキーである。部屋に入ると、今風に、インターネットがテレビのリモコンで出来るようだったが、残念ながら使いこなせなかった。
9月1日(金)
ホテルを早々と出て、寺田屋に向かう。京都→東福寺→中書島と、乗り継ぎ、たどり着いたのだが、まだ朝も早いので、寺田屋は開いていない。仕方なく『竜馬通り』をブラブラしていたら『龍馬寿司』という文字が目に入る。『かき仙』という店の看板からだ。入り口で迷っていると店長に勧められて「ゆっくりしていけ」と、座敷に通される。早速、龍馬寿司を注文。龍馬寿司は、スシ飯に白抄りゴマとショウガを混ぜ込んだ鯖寿司。嫌いな魚だが、ここは『龍馬』の名に免じて食べなくては。龍馬寿司は「竜馬通りの名物を作ろう」と、高知の皿鉢料理をヒントに、龍馬好きの店長が考案した寿司。意外にアッサリとして食べられた。座敷でくつろぎ、10:00になったので、『かき仙』を出ようと、勘定してもらったら、店長から一本のビデオテープを渡される。タイトルが『市バスで回る伏見酒蔵とあじさい神社』だ。「好きそうな人に、サービス」だと言われたが、何が好きそうな人と思われたのか、疑問になった。『坂本龍馬』なのか『酒』なのか…考え考え、寺田屋に向かう。一番乗りで、寺田屋に乗り込めた。寺田屋事件のテープを聞きながら、貸切りで、ゆっくりと部屋を見て回る。本とかで知っている坂本龍馬が襲われた状況を空想する。。また、前回、きた時は気づかなかったが、風呂場も見学。お竜が幕史に寺田屋を包囲し、龍馬を襲おうとしているのを、お竜は風呂場で気づき、全裸で龍馬や三吉慎蔵のいる部屋に飛び込んで知らせたのだが、その風呂場を見る事が出来て、嬉しかった。意外に、昔は、覗こうとすれば簡単に覗けそうな無防備な気もしたが。またまた、竜馬グッズを買い、寺田屋を出て京阪線で四条駅に向かい、タクシーを使い、霊山歴史館に。タクシーの運転手が「よく鹿児島の人は、霊山に行きますね」と、聞くので、「自分も地元が鹿児島です」と答える。そして、運転手は「霊山には坂本龍馬の墓があるけど、鹿児島の人は龍馬が好きですよね。なぜでしょうか」と不思議がっていたので、自分は「鹿児島の人だけでなく、全国に龍馬ファンはいますよ。しいて言えば、鹿児島は長州と同盟を結ぶときに、坂本龍馬の尽力が無かったら実現しなかったから、鹿児島の人は義理堅いから」などと、語ってしまう。霊山歴史館は殆ど、貸し切り状態。その分、二周してしまう。『血染めの貼交屏風』『血染めの掛け軸』では、思わず手を合わせる。龍馬と慎太郎が近江屋で切られ、絶命した時に、飛び散った血が染みとなって残っているのだ。また『近江屋の複製』は必見だった。係りの人が、自分一人で見ていると、話しかけてきたのだが、NHKが放送の為に、六ヶ月もかけて複製したものを展示していると説明。細かいところまで、よく出来ている。また、幕末志士の佐久間象山の肖像画があったが、物凄く顔が長い。同じく顔が長い高杉晋作の顔と比べてみようと思ったけど、あいにく肖像画はなかった。帰りに、『京都・幕末維新をゆく』という本売店で買おうとしたら、いきなり店員が電話をしはじめる。何だ、何だと思っていると、自分の名前を教えてくれと言う。その買った本に、作者がサインをしてくれると言う。作者は木村幸比古さんで、霊山歴史館の学芸課長だったのだ。颯爽と登場して、サインをして、握手をする間も無く消えてしまった。霊山歴史館を出て、すぐ近くにある護国神社に。坂本龍馬の墓があるのだ。墓参りの為に線香を買い、中岡慎太郎と共に、手を合わせる。他に、549(桂小五郎、高杉晋作、吉村寅太郎等)の墓、一つ一つに手を合わせる。やりたい事も出来たので、腹が空いてきたと思ったら、もうお昼。どこで食べようかと迷っていたら、近くに24mのコンクリート像がある事を知り『霊山観音』を参拝。参拝料を払うと、でかい線香を貰う。でかい観音様なので、でかい線香でないといけないのかな〜 さすがに、真下で見ると、天を見上げる気分。ありがたく参拝する。『高台寺』(参拝しょうとしたら参拝料が高く、断念)、ねねの道と歩き、失敗したのは竹久夢二に釣られて入った『掌美術館』(見学料300円)、どこにも竹久夢二の作品はない。桃山時代の弁当箱や壷の漆工芸品ばっかり。結局は、竹久夢二が愛した物ばかりだった。まぎらわしい。腹立ちながら、坂本龍馬と中岡慎太郎の像の写真をパチパチと撮りながら気分を静めていると、一人の若い男が話しかけてきた。「坂本龍馬の墓はどこにありますか」と。丁寧に教えてあげた。そして、京都駅までバスを使い、最後の見学場所『京都タワー』に。お土産屋で、商品説明する暇なおばちゃん店員に辟易しながらもお土産確保。自分が店員を避けようと、商品を見ながらカニ歩きしていたら、向こうもカニ歩きして、何とか買わせようとする。そして、新幹線で、横浜に帰ってゆくのである。
| 2000年7月6日〜7月8日 四国一周旅行記編 |
7月6日(木)
会社を二日間休み二泊三日の四国一周旅行を某旅行会社のツアー(添乗員付き)を夏の企画となった。 妻と二人、早朝五時半に眠気まなこで出発し、羽田空港で飛行機のチケットを受け取り、徳島空港に十分遅れで到着。旅行前日まで四国に台風が来るのではないかと懸念されたが、関東地方にそれているようで、天気は良好だった。今回のツアー参加者45人、ハズ一台で四国を時計回りに一周しょうというのである。老夫婦やおばちゃんグループが多く、後に、おばちゃんの一人が男便所を借りに来るハプニングもあるが。まず、最初にバスは鳴門橋を渡り、立派な大塚国際美術館を通り、鳴門公園に。『うづの家』で新鮮なワカメを使った和定食を味わう。腹が満腹になるというより、腹がワカメだらけになったところで、お土産を見て回り、大鳴門で全速力でマラソンし『鳴門のうず潮』を見ようとしたが、潮流れの時間が合わず断念。 次は日和佐の薬王寺(四国八十八ヶ所めぐりの第二十三番目の寺)を参拝。厄除けの寺と知られ、石段が女厄33段、男厄42段のそれぞれの石段に、厄除けの為に一円玉が一段一段落ちていた。バスガイドからも、これを拾うと、厄を持って帰る事になり、拾わないようにと注意を受けたが、少し気になり、お金に見とれて石段を踏み外しそうになる。 次は室戸岬、台風が近づいている様で、波が高く、岩にぶち当たる荒々しい波しぶきに感動。 そして、泊まるホテルは坂本龍馬の屋敷跡に立つ宿『ホテル南水』。龍馬の屋敷跡に立つ宿だけあって、龍馬に関する物ばかり。7階の階段の壁には龍馬の資料パネルが展示されていたり、当館オリジナルで無料で『龍馬チャンネル』を放送していたりする。真田広之主演の『坂本龍馬』を放送していたので、自分も『坂本龍馬ドキュメンタリー』をリクエストする。また、売店では龍馬グッズコーナーもあり、財布のヒモが緩み、湯飲みやTシャツを買う。しかも、龍馬の本も貸し出してあり、二百冊の中から『龍馬研究』と『龍馬新聞』を借りる。龍馬ファンとして、嬉しい限りだ。ホテルの料理は、高知名物『皿鉢料理』を仲居さんが部屋に持ってきて、妻と二人きりで『土佐鶴』を呑みながら、食べ放題のカツオのタタキ(妻と二人で4皿食べる)で大宴会。
7月7日(金)(高知〜愛媛)
朝の弱い自分としては、奇跡的に五時に目覚める。せっかく、早く起きたのだから散歩。ちょうど、ホテル南水の裏が上町病院で、坂本龍馬の屋敷が立っていた事もあり『坂本龍馬誕生地』の看板と、公衆電話に龍馬の上半身像が立っている所まで歩く。そして、少し迷ったが、高知城を経て、お坊さんが、かんざしを買った事で有名な『はりまや橋』まで歩いた。一時間半歩き、足にマメが三つ出来る始末。 朝食を取り、またバス旅行。ホテルを出て、高知県なのに『よこはまガーデン』で買い物し、白砂の美しい桂浜に。 三度も実物の顔と違うと造り直しをしたと言われる龍馬像と団体写真を撮り台風の影響で、昨日より波の高い桂浜に。波打ち際に行くが、急に波が打ち寄せ、膝まで濡れる女性がいた。もっと、沖にいたら、完全に連れ去られていただろう。4〜6m位の高く荒れる波にゾッとした。自分としては桂浜を離れがたかったが、ツアーでは仕方が無い。 バスはクジラが生息していると言われる大方町沿岸道路を走り、どこかの山道でバスガイドが「右に見えるのは軽自動車の事故車。バンパーが削られペシャンコです。初心者マークをつけていたようです」とは言わなかったが、事故現場目撃ハプニング。 バスは次に『日本最後の清流』と言われる四万十川。遊覧船に乗り、昼食(弁当)を食べる。川のせせらぎを聞きながら、心もリフレッシュ。伝統漁法、柴漬漁(大きな網で鰻やエビの棲家ごとすくいあげる原始的漁法)や投網漁(舟上から網を広げて投げて、魚を包み込んで捕らえる)を余興的に見学。バスガイドの名調子の口調、全然、飽きさせない土地土地の説明により、長いバス乗車時間も感じさせなかった。 ハイウェイ宇和島で真珠のお土産屋で、買わずに鑑賞。 内子では、八日市護国の町並みを二十分くらい、徒歩観光。アンティーク街道と呼ばれるだけあって、ノスタルジックに江戸・明治に迷い込んだ感じ。実際に住人もいるので、道には車や自転車の通行も激しく、家の中から、テレビの音も聞こえたりする。が、つい、俺も観光客気分なので、ふと、家の中を覗くと、実際に住民もいるので、パンツ一枚(その日は暑かったので)姿の男と目と目が合ったりした。そして、今日の日程は終わり。 そして、宿のある道後温泉(弱アルカリ性単純泉)に向かう。『ホテルルナパーク』が今日泊まるホテルで、近くにカラクリ時計があるので、時間に間に合うようにと、ホテルに着くなり、荷物を部屋に置き、松山郷土料理を食べる。食べると言うより、腹にかき入れる感じ。しかし、美味しさは伝わったが。 そして、いざ、カラクリ時計へと思いきや、夏目漱石ゆかりの『坊ちゃん湯』に入浴しょうと部屋まで着替えを取りに戻ったのがいけなかった。カラクリ時計の時間に、ちょうど、間に合わず、着いた途端に終わってしまった。ショックは大きく、道後温泉本館に入る気力も無くなり、道後温泉商店街で買い物する気もない。パチンコ屋もあったが、あまりのショックで好きなパチンコですらする気も無かった事で、どれだけのショックか、わかるだろう。部屋に戻り、テレビをつけてみると、巨人が勝っている事もあり、少しは気分が落ち着き、ホテル内の温泉に入浴。運良く、一人だったので、子供のように泳いでしまった。
7月8日(土)(愛媛〜徳島)
朝食のバイキング料理を食べ、バスは伊予かすり会館に向けて出発。台風が来ると懸念されたにもかかわらず、三日間とも好天気に恵まれ、自分の晴れ男の実力を発揮していた。台風は房総半島を暴走(通過)しているらしい。そして、自分達が帰る頃には、関東は晴れているという。何とも旅行運が良い。そして、バスガイドの朝の一発ギャグ、松山城の堀川のカモを乗客に紹介しながら、「あれはカモですか? そうカモ」と、疲れるギャグを言う。自分も負けずに心の中で「カモかもしれないかも」と言う。 伊予かすり館では地味な藍染め(全く興味が無い)を見せられる。 正岡子規の旧宅を復元している子規堂に行く。坊ちゃん電車の前で、団体写真を撮り、その横の野球の碑だったか、正岡子規がベースボールの名付け親だった事を知り、驚く。子規の旧宅を覗き、中学生の頃の粗末な勉強部屋を見る。またまたバスガイドが「子規の正面からの写真が一枚もないのは、末期の脊椎カリウスの為に正面から写すと、顔を支える手が写ってしまうから、教科書や資料の写真は横向きになっている」と説明。右半分が無いのかと思い、安心する。 四国の高速道路を走り、瀬戸大橋タワーに。自分たちはタワーに乗らなかったが、殆どの乗客が乗って行ったので、自分達はその時間を瀬戸内海を走る船を見ていたりする。 昼食には讃岐うどんの食べ放題。自分は2皿食べ、腹を満たし、金毘羅様の本宮785段の石段を登る。杖を持たされ、その土地の名物ガイドに連れられ「遅れるなよー」「俺より先に行くなー」「ここが百段目じゃ、まだまだある」とか、妙なイントネーションで自分達団体を途中で立ち止まりながら石段を登ってゆく。適当に踊り場があり、右や左に曲がったりしているので、登りやすい。大門をくぐるまでは商売が許されているので、店やカゴ屋で賑わっている。それでも汗をかきながら、本宮まで登り参拝する。帰りは裏参道を通り、お土産屋に。 そして、徳島空港に。団体ツアーだと、色々な人達の触れ合いも楽しいものである。中には嫌な感じの人もいる。文句やケチばっかり。「伊予かすり会館や、何も無い子規堂に連れて行くなよ。松山なら松山城だろう」とか、道後温泉では「何っ、ホテルに着いたら、すぐにメシかよ。風呂はどうするんだよ。その後かい。高い金を払っているのに」と、添乗員に聞こえるように言う。傑作なのは、文句を言いながら熱心にカメラを撮っているのである。そして、内子での豪商の屋敷を見ているとき「沢山の人を泣かせて、家を立てたんだ」とか言っていた。勿論、自分と妻の二人の写真を撮ってくれた老夫婦、仲むつまじく旅行を楽しんでいるカップル、金毘羅の石段を登りながら民謡をセリフ付きで歌いだすオバチャンと楽しかった。 飛行機は揺れながら羽田空港に着いた。自分達は沢山のお土産と思い出を両手に抱きかかえながら、家に戻るのであった。(台風は過ぎ去った後だったので、関東は雨すら降っていなかった)
| 2000年5月4日〜5月6日 日光ドライブ旅行記編 |
一緒に日光に行く友人から携帯に電話があったのは、俺が家の近くのコンビニを出た時だった。「今、家の前に着きました」と。俺は慌てた。慌て過ぎて、コンビニで買った大量のお菓子、ベビースターラーメン、ポテトチップ、ポップコーン、チョコレート等の入ったビニール袋を落としそうになった。俺は「わかった、すぐ向かう」と、事務的に答える。「ええっ、向かうって?」と、疑問符の声。俺が、家の前に着くと、車の前に一組のカップルが笑顔で待っていた。 そして、俺達の荷物を積み、俺、妻、友人カップルの四人の乗る車は、日光に向かった。流石の俺も、昨日の酒が残っており、気分が最低最悪ながらも、車内では必死にギャグで盛り上げる。「虎に捕らわれる」「燈籠を写真で撮ろう」「首都高は知っとこう」等。ギャグは飛び、車も飛ばす。ゴールデンウィーク中なので、渋滞が予想されたが、スムーズに車は走り、昼過ぎに日光に到着。『いろは坂』を走る。いろは坂の『い』からはじまり48もの急カーブを曲がるたびに、モジモジ君のように「いーっ」「ろーっ」「はーっ」と叫びながら急カーブを曲がる。そして、日光に行ったなら、必ず観光しなければならない『華厳の滝』に到着。エレベーターで100m降りて、水しぶきをあげる滝を鑑賞。滝壷で修行をしてみたくなるが、寒いのでやめる。近くの日光自然博物館にも行く。日光の自然・文化を学び、今後の我々の生活向上に生かそうと、ノートとペンを持ち… そんなわけはないか。中の施設にあった日光の三景のジグゾーパズルを四人で遊び感覚で揃えていたら完成。完成した途端、どこから現れたのか、施設の受付嬢がやってきて、俺達に『しおり』をくれた。中禅寺湖で記念写真を撮り、今日泊まるペンション『あみ』に。ペンションに落ち着き、食事の時間になる。出された料理(ゆば、鴨の薄肉、ホタテと海老のサラダ、鳥肉を包み揚げた挽き肉)を食べ、最後はデザート・ケーキ食べ放題。満腹状態になり、疲れも手伝い、友人とカラオケの誘いもキャンセルし、10:00過ぎに床につく。
二日目は、日光江戸村。ペンションのマスターから裏道を教えてもらい、渋滞に巻き込まれる事も無く江戸村に到着。早速、道中手形を買い、人気の『忍者からす屋敷』を見学。忍者同士の巻物を巡っての活劇は、スピード感あふれ、カラクリ屋敷によって忍者の神出鬼没な戦闘アクションに満足した。『忍者怪怪亭』では、錯覚によって三半規管が狂い平衡感覚が無くなる。階段を四十五度の態勢で降りるハメに。勿論、それもカメラにおさめる。『ロケの里』を見学して、『忍者からくり間道』という迷路に挑戦するが、悪ガキがネタをばらし、ストレートにゴールにたどり着き、面白くない。悪ガキには「人には知らないほうが良い事もある」と言う事を、身体で教えてあげなければならないと思った。『日本伝統文化劇場』で、生の劇を堪能。身分を偽り、吉原に通う家光をかばい、身代わりに殺される吉野の、死に方の表現がイマイチ。そして、萩本欽一作の『大笑劇場』では、お姫様の影武者騒動ネタ。コント55号を思わせる動きのあるコントの連続に、単純に笑えた。例えば、お姫様の影武者にしたてようと教育する人が「お姫様みたいに清楚に歩かなければならない。歩いてみろ」と言ったら、影武者は雑巾がけをする真似をする。「馬鹿、それは清掃だろう。もう一度」今度は影武者は機関銃を撃つ真似をする。「それは戦争だろう」体操してみたり、重曹の真似をしたりと、影武者の「清楚」をかけたギャグは続くのである。ギャグの連続に、つまらなくてもテンポの良さに引き込まれてしまった。そして『地獄寺』を見て、『小伝馬町牢屋敷』の当時の刑罰の残忍さについて見学。帰る時間になり、ポケモンとバカボンの合体作『ポケボン』のTシャツ、水戸黄門がはりつけされている『水戸ごうもん』のTシャツ、あと、タオルでその類の、ムーミンが田植えをしている『ノーミン』、アジでアディダスの模様にしている『azidas』や『ゲゲゲのおじさん』のタオルを買ってしまう。夕方になり、ペンション『すぎな』に向かう。すぎなは『樹齢百年を越す木の香りに包まれ…四季を通じて暖かな木洩れや月明かりが美しく…静かな館内はシンプルに統一され…』とガイドブックに書いてあったので、山奥に立つお洒落なペンションを想像していたが、自然に囲まれていたが…部屋にテレビが無い生活は、何か物足りなさを感じる。それでも、木の香りに落ち着き、ぐっすり眠ることが出来た。 朝は、天窓からこぼれる朝日と、小鳥の鳴き声に目が覚める。上品な目覚めだ。最終日は、世界遺産の日光寺社散策。東照宮(三猿では、俺達三人が三猿を真似し、目を隠したり、口を隠したり、耳を塞いだりして写真を撮り、本地堂の鳴龍では寺務員の拍手木を打つと龍が鳴いたような響きに「聞こえた」「聞こえた」の大合唱)、二荒山神社(化燈籠を見て、杉とナラで「好きなら」の縁結びの御神木で、友人カップルを冷やかす)を見学。大猷院では、5月6日の今日でちょうど350年目、徳川家光の350回忌。世界遺産登録を記念して、初公開。扉が閉ざされていた皇嘉門を抜け、杉木立に囲まれた石段を上がり、家光公を埋めた墓のを見学。ジャスト350年目に、何だか妙な気分になる。そして、ガストで昼食を食べ、横浜に戻る。こりまた渋滞に引っ掛からなかった。何度も参拝したからに違いない。絶対…
| 2000年1月29日〜1月31日 鹿児島帰郷15大事件編 |
�ー�児島1年半振りの帰郷事件 �∋碍漸哀妊僉璽箸婆省�焼きソバ(かた焼き)を食べる事件 �0歐靴佞襪気抜杆�学(西郷隆盛や坂本龍馬等のロボットを使った維新のドラマに感動) �つ錣了匐,�トーマスをお気に入り事件 �ツ錣箸両�棋勝負二連勝事件 �α鎚譴妨世錣譴晋斥奸屬�金は大事に使えよ」「夫婦仲良くしなよ」と鹿児島弁で訓示事件 ��二日目は、出水市にツル(黒いツル)を観に、車二台で観光事件(一万羽も飛来していた) ��弟が予約していた『いわし茶屋』でイワシ定食(自分はテンプラ定食)を皆で食べる事件 ��天文館に、自分、妻、弟、弟の嫁さん、母の五人で夜の散策(『こむらさき』で細麺でトンコツのラーメンを食べ、家族でパチンコ。自分と妻、一万円程勝ち、皆でカラオケ二時間。『焼き鳥の西屋』で焼き鳥を買って帰る)事件 ��自宅の二階で、弟夫婦と四人で深夜まで、焼き鳥を囲んで飲む事件 ��祖父の墓参り事件 ��岩崎グループに買い取られた(昔の林田ホテル)南九州一デカイ本屋に行く事件 ��三日間とも晴れていた晴れ男健在事件 ��帰りの飛行機は大揺れ事件 ��リックの中が重いと感じていたら、実は妻が実家からコーヒーカップ数個入れていた事件
| 1999年10月1日〜10月2日 金沢社員旅行爆笑12大事件編 |
�/型優丱好�イド失敗続出事件(左手の方に大観音があっのに、数分捜しても無い。実は右手の方にあった事件)(歌がオンチ事件)(言葉が思いつかず、いきなり中国人が日本語を話す言葉になるバスガイド事件) ��東尋坊、崖ぷちに行く時に、岩々に転び転倒しそうになる事件 �4櫺�城、小さな城だけど、本当に急勾配な階段に驚く事件 �ぐ貽�目の夜に、石川県とは関係の無いカレーライスを食べる事件 �ゥ�ラブ『キュートキュート』に行き、金沢の女の子と話す一時間事件 �Φ鐚魏亜愡綾輯崢慌亜戮帽圓�事件 ��二日目、妙立寺(忍者寺)観光事件 �┘曠謄詆緩�石で、昼食、豪華なフランス料理事件 ��ホテルの温泉で、ゆっくり、のんびり温泉事件 ��旅行中も友人に電話投票を頼み、競馬をやってしまい、一万円勝つ事件 ��一日目は社員とツアー同行、夜からは自由行動で、二日目は気の合う友人三人と車でドライブ充実事件 ��小松空港でビール飲み過ぎ事件
沖縄観光ツアー旅行記編
| 1999年9月5日〜9月7日 沖縄観光ツアー旅行記編 |
沖縄。本当だったら、今回行くはずではなかった旅行。急遽、あぶく銭と夏休みの残りと、安価で高品質のツアーが見つかり行くことになった
一日目。11:40に羽田空港某カウンター前に集合。沖縄行きの飛行機に乗り込む。今回はJALの沖縄行き企画で、大画面を利用してのビンゴゲームが企画される。が、俺と妻、リーチはかけるが、揃わなかった。二時間半の飛行で沖縄に到着。ロビーで、添乗員が待ち受ける。51名の大人数のツアーだが、バスは一台で観光する事になる。『二泊三日の南国の楽園』まず最初に、首里城公園見学。照りつける太陽光線に、汗が滲み出てくる。日陰に来ると、涼しい風が気持ちが良いのだが。空は素晴らしく青く南国気分。首里城の正殿に入ると、紅色一色。琉球王国も、これでは暑さに参るだろうと感じる。バスに向かいながら、さとうきびジュースを飲む。竹の香りと砂糖の甘さがブレンドされ、ノドを潤す。首里城公園を出ると、もうホテルに。『サンプサラザホテル』ホテルの料理は薬膳料理。女将が長々ともったいつけて一品一品について効用を説明する。もずく、うごん茶、紅芋のテンプラ、グルクン等。口に合わなかったが、説明を受けながら食べると、寿命が伸びていきそうな気がする。食べ放題の沖縄のソーメンも不評だった。オプションにつけた伊勢海老が唯一の◎だ。その後、琉球舞踊を鑑賞させられる。お義理の拍手。夜は国際通りで買い物。安さにつられ、Tシャッ三枚、ちんすこう三箱、手作りの木の仮面等を買う。昔風のボンカレーも物珍しさから買う。買い物が終わり、ライブに行こうとするが、名前に釣れられて居酒屋『海援隊』に入る。が、夫婦激怒事件。�”修隆波弔縫咫璽詆官澆判颪い討△辰燭�、これは会員のみの価格と店員は無愛想に答えた��注文したエビチリが30分たってもこない��妻が頼んだ水も「すぐ持ってきます」と店員が言ったにもかかわらず、持ってこない。店の人のサボリ放題に頭にきて、レジに駆け込み、店長らしき人に文句のオンパレード。もう、飲む気になれず、ホテルに戻る。
二日目はバイキング料理で朝食を取り、琉球村に行く。途中、バスガイドの「キチガイ、基地街、米軍基地が多い街を通る」といった話しに笑う。琉球村で、ハブとマングースの決闘観戦。が、中々、マングースのヤル気がなく、司会者がハブを近くに寄せても、急かしても戦おうとしない。堪りかねて、マングースを代えると、すぐに勝負はマングースにつく。考えてみれば、俺達は沖縄で暑さと勝負している。負けるわけにはいかないと、麦わら帽子を購入。31度の日差しは暑い。バスに乗り込むと、沖縄らしく海が見える。珊瑚に囲まれて、マリンスポーツしている姿に夏らしさを感じる。万座毛で、沖縄の海をカメラにおさめる。パイナップルパークで、パイナップル、パインクッキー、パインケーキ等の試食。パインワインの試飲でパイン漬けになる。辺戸岬のレストハウスで、お茶漬けのような沖縄名物のちどり琉飯を食べる。昼食が終わり、岬から、晴天のせいか、鹿児島の与論島が見える。茅打ちパンダに行き、一時間半かけて、海洋博公園に行く。公園内の電気観覧車でエメラルドビーチに行く。真っ白な砂浜と、青い海、日差しも強い。つい、靴と靴下を脱いで、膝まで水を浴びる。沖縄の海の初体験。生温かい水が、南国の楽園ビーチ、このまま、服まで脱いで泳いでやろうかなと思ったが、後々の事を考えると断念する。近くに遊園地があり、束の間の子供気分。でも、ジェットコースターには乗らなかった。バスに戻る前に、夜に飲んだオリオンビールの飲食。バスは再び走り、やんばる亜熱帯園では、ハゴの原生林を見学。「ゴバンジュウ」という名の木を触ると、金持ちになるとガイドに言われて、ベタベタと触りまくる。と、園内のジャングルのらしき所を探索中に、突然、某友人のゴリちゃん発見。ゴリちゃんを捕獲して(爆笑)ホテルに。本当なら宿泊は「ホテルみゆきビーチ」のはずが、国民宿舎のような「白雲荘」に変更される。一泊目のサンプラザホテルは、洗面所の排水口はコケがついているわ、コップは汚れているわで清潔感が無かったが(浴衣の帯が準備されていない、風呂場の電気の付きが悪い、クーラーの音がウルサイの最悪)、白雲荘は、料理は旨く、部屋も海側でまあまあだった。泡盛、飲み放題だったが、一杯で辞める。
三日目は、プラザハウスから。ここは舶来品を多く売る店だったが、朝一直行だったので、プラザハウスしか開いておらず、乗客の不平・不満の嵐。近くの喫茶店で、妻はアイスコーヒーを頼むが、ジョッキで出てくる。バスは国際通りと向かう。途中、突然の雨、スコールが襲う。激しい雨が、横殴りの雨が南国の沖縄を演出。国際通りで、一時間のフリータイム。俺達は、沖縄の本屋から、第一牧志市場へと行く。市場では、豚の顔の皮が売られている。一瞬、人の手かと思ったが、豚の手足だった。食欲を増す。昼は国際通りの高層ビルで街並みを見ながら、ステーキと沖縄ソバとオリオン生ビール。腹一杯になる。次に向かったのは、摩文仁の丘・平和の礎。二十数万人の沖縄戦の戦没者の名が礎に刻印されている所。名前ではなく、これが死体だったらと思うと怖くなる。スプラッター映画になってしまう。次はひめゆりの塔を参拝して、ひめゆり平和祈念資料館。中では、悲惨な沖縄戦の沢山の証言文集に興味を引かれる。読んでいるうちに、戦争への酷な実態がわかる。人間を人間とは思わなくなる戦争。国から洗脳教育を受け、少女の純粋無垢な献身的心が一層悲惨を際出される。『戦況が激しくなると、内科は廃止され、外科に名前が変わる。私達の仕事は手術で切断する手足を持つ事。切断しても、その握っていた手が離れない。必死で外して、切断した手を汚物入れに捨てる』『腕のちきれた人、足を大腿部からもぎ取られた人。背中の絆創膏から息する度にスッースッーと漏れる人。直接前線から手術室経由で来る患者だから、目もあてられない位酷い重症者ばかり。でも私達は看護教育も受けていないし、びっくりするばかり』 妻も感じた事を感想文に書いて、投書していた。次は一転して、琉球ガラス村。昨日より一度高い32度の気温と、工場の釜の熱気とで、気が狂いそうになる。琉球の館に行き、ツアーは終わる。今回のツアーは、バスガイドが良く、沖縄の生活習慣、宗教観、建築物等をよく説明してくれて、沖縄の事を大体、理解できたような気がした。『沖縄は雨が降るわりには、高台がなく、ダムが少なく水不足になりやすい』『民家の屋根の上に設置しているのは、水の貯蔵タンク』『米軍と沖縄県人との付き合い方』『沖縄の変わった墓』『シーザーを作る業者数』『死亡広告に親族全員の名前を載せる』等。充実した時間を送ることができ、飛行機は羽田に向かった。着陸時に、気圧の関係で耳が痛くなる。そして、預けていた荷物を受け取ろうとした時に、ツアーで友達になった、娘と両親で旅行してきた家族と住所交換をする。22:00前に自宅に着き旅は終わった。初めてのツアーだったが、やみつきになりそう。
| 1999年7月1日〜7月2日 坂本龍馬追っかけ大阪・京都旅行記編 |
最初は広島旅行だった。それが、沖縄、高知、北海道と日本全国駆け回り、結局、俺と妻の手には京都行き新幹線の切符が握られていた、7月1日、俺は早くも夏季休暇を取り、サマーをエンジョイしょうとしていた。本来の目的は、一人の男、幕末維新に奇跡を起こした坂本龍馬の追っ掛けだ。まず、京都駅に着いた俺達は、龍馬が薩長の連絡の為に使った京の宿、龍馬遭難で知られる寺田屋(今でも宿泊可)に向かう。寺田屋は今年5月旅行では、到着した時には閉館だったので、見学出来なかった経緯があった所だ。今回も途中、修学旅行の高校生グループに気に取られ、乗り換え駅を乗り越す事件発生。が、まだ昼前だったので、大事には至らず。無事、寺田屋到着。見学料を払い、受け付けの人の指示に従い、二階から見学。龍馬を襲おうとする幕史のように、緊張しながら階段を上がると誰もいない。見学者は俺達だけのようだ。今にも龍馬が土佐弁で「いかんぜよ」と、声掛けられそうな当時の雰囲気の中、俺達は誰も見ていない事を良い事に、写真をバチバチと撮る。窓から見える町並み、水路に幕末気分満喫。土産はここぞとばかり、龍馬グッズを買う。寺田屋説明書、ノート、キーホルダー、絵葉書、調子に乗って巨大パネルを買おうとしたが、持って帰るのに苦労しそうなので、諦める。次回、寺田屋に来るときは、巨大パネルと宿泊を誓い、そこを後にする。昼食を簡単にすませ、次に向かうは、龍馬とは関係ないが、伏見桃山城。ここも、二人だけの見学。興味を引かれたのは、黄金の茶室で、そこに桃山時代の豪華さがあるが、豪華さよりも礼儀を重んじる茶道の精神とは、少し異なり、違和感を感じる。そして、キャスルランドに。ここも俺達二人。二人で、遊園地の貸し切り状態となる。世界のお化け屋敷では、内容はともかく、俺達二人しか見学者がいないという状況に怖さがあり、ちゃっちいジェットコースターでも同じような気分を味わう。桃山駅に戻る為、バス停に行き、止まっていたバスに乗り込もうとしたら、運転手はいない。まさに、無人君ならぬ、無人バス。時刻表を見ると、発車時間まで10分あったので、近くのベンチに座る。が、発車時間になっても運転手は出現しない。俺はイライラして、バス乗っ取りを計画しょうとしたら、運転手、どこからともなく現れ、何事もなくバスを発車させた。桃山駅から京都駅に戻り、また龍馬追っ掛け旅の始まり。タクシーで霊山歴史館に。タクシーの運転手と「龍馬と京」について、話しが盛り上がる。『危機は人を作る。そして、人は歴史を作る』明治維新は、まさにそうだ。歴史館では幕末維新の志士達の遺品、史料が数多く展示されており、我が龍馬も、龍馬を斬った刀、愛用の紋服等展示。龍馬が見廻組に襲われた近江屋の模型では、俺の頭の中で、当時の龍馬暗殺の再現シーン回想。そして、霊山護国神社内明治維新史蹟で龍馬の墓参り。中岡慎太郎の横の龍馬の墓には、絵馬や千羽鶴、日本酒にビール等が供えられていた。また、どこかの阿呆の写真、龍馬の紋服姿を真似た姿の写真に驚く。龍馬・慎太郎以外でも、池田屋事件の志士、長州藩などの明治維新誕生に尽くした志士、千人余りの墓、一つ一つに参る。驚愕したのは、高杉晋作、彼の墓の周囲には沢山の同人誌、彼は自分の漫画をどのような気持ちで、読んでいるだろうか。まだ、偲んでいたかったが、時間も時間だったので、円山公園に向かう。向かう途中で、妻が警官に挨拶したら、何と少し案内をしてくれた。連行されているのではない。とどめには、刑務所ならぬ『長楽館』に入れと。長楽館は、伊藤博文が名付けた喫茶店、煙草王と言われた実業家の村井吉兵衛の別荘跡だ。ジュースを飲み、円山公園へ。円山公園では、龍馬・中岡慎太郎の像を捜しまくり、発見。早速、記念撮影。八坂神社を通り、祇園の街を歩く。舞子さんに会えればと思ったが、クラブに向かう年増の姐さんにぶち当たる。祇園では、純北京料理『東華菜館』で、ビアガーデン。四条大橋を渡る通行人に丸見えだが、真下に鴨川があり、川のせせらぎを聞きながら、大河の一滴。ビールでノドを潤す。東京・横浜では味わえない京の高級感満喫。ホテルは、京都駅真正面の京都新阪急。
二日目は、ホテルを出た二人は、大阪に。新大阪で新幹線の切符を前もって買い、荷物はロッカーに預ける。そして、毎週金曜日は地下鉄・バス等が乗り放題になるノーマイカー・フリーチケット(600円)を買い、御堂筋線で動物園前まで行く。ここで事件。何と、俺の持ち金38円事件。すぐに、銀行を捜すが、聞く人、聞く人、ここには銀行はないと。通天閣付近には、銀行はないと。結局、俺は金を求めて、1キロ走る事になる。途中、プロミスがあったが、身分証明書・印鑑が無いでは貸してくれるわけがない。銀行で金を引き出し、フェスティバルゲート(テーマパーク)へ。園内をわがまま逃走するジェットコースターは、一番前をゲット着席し、スリルを倍増させる。そして、ジャンジャン横丁で、服を買い物。安さも手伝い、妻のも一緒で10点購入。朝を抜いていたので、串カツ屋(てんぐ)に入る。すじ肉に味噌をからめた『どて焼き』(最高に旨い)を含め、十数本もの串料理を食べる。勿論、ビールは昼間から3本だ。イケイケ気分で、難波に向かう。吉本劇場の上演を見ようと思ったが、吉本会館地下のなんば競馬場に。本格さながらの実況を聞きながら、メダルゲームを一時間程楽しみ、パチンコのゲーム。モンスターゲームの確率変動を引き当て、連チャン。余りにもメダルが多くなり、確変も終わらないので、隣りで他のパチンコしている若者に、台とメダルを譲り、ゲームセンターを後にする。ここで、友人に会おうと計画。昔からの同志だ。が、子供の世話で、外に出られない為、俺達が家に行く事になる。電車を乗り継ぎ、携帯で連絡を取りながらの訪問。数時間、色々と話し、友人宅を後にする。新大阪に戻り、会社のお土産を買っていたら、ひかりはもう無い。妻は、疲れたので帰りたいと言うので、のぞみで新横浜に帰って、今回の旅行は終わる。
| 1999年5月2日〜5月4日 友人達と京都・大阪旅行記編 |
一日目は早朝起床。眠気眼のまま俺と妻は横浜から東京駅に向かう。そこで一人と待ち合わせ、新幹線に乗車。いざ、京都に。途中、名古屋駅で、もう一人と、乗り合わせて、鬼退治に行く桃太郎のように仲間を増やして、今回の旅行が始まった。京都駅に着いた俺達4人は、まず最初に定期観光バス『京半日B』コースを利用。最初に行くのは『金閣寺』。金箔の桜閣に、俺は金髪の寺が外国人ヨロシク「オイデヤス」と慣れない京都弁を使っているような感覚を覚える。期待より見栄えがしなかった。これでは、世界遺産形無しである。本当にご利益があるのかどうかわからないが、開運・安全祈願のお札(拝観券らしい)を受け取る。妻は金閣寺見学前に気分が悪くなったが、この札を受け取ったお陰か、元気が出て来る。平安神宮では、集合写真を撮影。後に凄い事件になるが、今は書かない。知恩院の見学前に昼食。いつものごとくビール注文。知恩院で、廊下を歩くとキュッキュッとなるので、音にネズミを踏みつつ歩いているような錯覚になる。忍者が忍び込んでも、わかるような仕組みになっている警報廊下らしい。祇園を通り、清水寺。清水寺で次の計画を考え、途中下車。もう、バスに戻らないと、清水の舞台から飛び降りる決心する。清水寺見学(さすがに飛び降りるには、遺書が必要。ジャッキーチェンでも無理)し、茶店で、トコロテンを食べていると、大事な事を思いだす。集合写真を受け取っていなかったのだ。慌てて、駐車場に戻ると、観光バスは出発しょうとしていた。俺達はバスの前に、仁王立ち。バスの運転手もここで人を轢き殺したら、京都市長に怒られると、バスのブレーキを踏む。バスガイドも慌てて、俺達に写真を渡し、一件落着。俺達はホッとしながら、伏見稲荷大社に向かい、沢山の鳥居をくぐる。何百の神社を参拝したような気分。そして、一日の観光は終わる。京都駅に戻り、大阪、天王寺を経由して堺の鳳駅。ホテルは去年の新婚旅行に使ったビジネスホテル『ホテルなか』。去年と偶然、同じ部屋でバタンキューの爆睡の夢の中。気づけば朝になっていた。
二日目は、10:00前、フロントのおばさんから急き立てられるように、ホテルから追い出される。鳳駅近くのミスタードーナッツで朝食。俺達は天王寺に向かうが、ここで事件。人身事故。電車が止まり、駅員たちが車輪の間を覗き込み出す。人の肉片や首が落ちていないかと、捜しているのだ。俺達が乗っている車両まで調べている。と、その時、窓から松葉杖をついて歩く男がいた。誰か「あの人だ」と。人身事故の張本人扱い。事故にあい、すぐに松葉杖で歩くマンガ的ギャグ。何ともなかったらしく、電車が走り始める。一つ乗り換え、新今宮駅。新今宮駅に着いたら、ショッピング街を縦横無尽に走り巡るジェットコースターに乗ると思いきや、西成署に向かう。西成付近は、ガラが悪く、かなり雰囲気が悪い。スラム街を思いだされる。俺達は、西成署を向かいつつ、そこで迷いさまよった。横浜でいったら黄金町、東京で言ったら歌舞伎町の暗がりといった所。危険地帯を俺達は、ただならぬ雰囲気を味わいつつ、彷徨う。人と言う人、目が行っちゃっている。ついに、一人から声が掛かる。安っぽい時計を見せて、買わないかと。俺達は逃げるように、断る。西成署は発見できたが、異様な風体の人に「ここは警察署だよ」と、観光客には用は無いだろうとの抗議の口調。俺達は逃げた。道端には寝ているのか、死んでいるのか、わからない人が二体。前方から、虚ろな目つきの集団が来た為、道路に出て、道をゆずろうとしたら、妻が自転車に当たり、将棋倒し。数台、自転車が倒れ、最後に自動車にぶち当たる。一瞬、気温が氷点下に下がる。俺と妻は、何事もなかったように、その場を去る。張り詰めた緊張感からとき離れ、フェスティバルゲートに向かう。人が多過ぎて、ジェットコースターに乗れず、唯一、「アマゾン」という博物館らしき所を観覧。が、中に入ると、人が居ない。外の人込みと中の無人とのギャップに嫌な予感。もしかして、期待はずれ
… 水槽を見ると、ピラニアがいると思えば、もう一つの水槽には何も入っていない。水すら入っていない。しかも、周囲は暗く、オバケでも出てきそう。唯一、面白かったのは『バカモン』という名前の生き物(後で、バではなく、パだったので、パカボンが正解)。そこを出て、ジャンジャン横丁で串カツを食べるが、失敗。行列で並んでおらず、嫌な予感がしたが。枝豆は半分は中身が無く、味も無い。串カツもマズイと。腹を立てて、そこを出る。通天閣は行列で上まで上がるのに並んでいたので、諦める。大阪の友人と待ち合わせる為に、難波のロケット広場に。喫茶店で、交流会。話しは、東京対大阪で盛り上がったりする。ナンパ橋、カニ道楽、食い倒れ人形と見学し、カラオケ二時間で、妻と大阪の友人のオハコ取り合戦、某人のスートカー行為に対する替え歌等、盛り上がる。法善寺横町で、水かけ不動にションベン、いや、水をかける。吉本会館でゲームしたり、本屋で時間を潰し、腹が減るのを待つ。そして、『村さ来』で、酒を飲む。若者の馬鹿騒ぎ、隣りのテーブルの女達のの酔っ払い振りを観察しながらのご飲食。そして、プリクラ合戦。大阪の友人と別れて、俺達はいざ『ホテルなか』に。今日も、バタンキュー。
三日目は、あいにくの雨。これまで、数十回と旅行して、雨に祟られた事の無い晴れ男の俺としては、不甲斐ない。三日目は奈良。奈良に着いた俺達は車をレンタルして、ドライブ観光。最初に天理市をドライブ。天理教信者も市をあげての制服ハッピに「いるよ、いるよ」の大合唱。奈良公園、柳生とドライブし、時間も押し迫り、京都に向かう。途中、坂本龍馬が幕史に襲われた寺田屋を見ようとするが、閉店で見られず。予定より早めに車を返し、今回の旅行が終わる。一緒にいた友人とは京都駅で解散。俺と妻は新幹線のグリーン車で帰る。弁当や新幹線内で読む本を買い、新幹線に乗る。次回は京都をじっくり(嵐山、銀閣寺、太秦映画村等)観光したいと思っていると、ビール二杯で、酔っ払い、さすがに疲れたと感じる。
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