2006年旅行


本命竜馬が旅行した(2001年より)所の報告日記です。色が変わっている箇所はリンクしていますので、訪れて旅行気分を味わって下さい

2006年の旅行

12食付!京都・奈良の世界遺産とお伊勢さん・熱田神宮・豊川稲荷編  鹿児島フリープラン編 札幌社員旅行1泊2日編  会社の仲間達と名古屋競馬旅行1泊2日編 花咲くリゾート淡路島・有馬・六甲・姫路城日本の絶景ひとめぐり4日間編  スペシャルプラン!夏休み!美ら海沖縄フリータイム4日間編  毛ガニ付き!海の幸「陸中海鮮丸膳」お部屋食編 貸切列車で行く!三島大社と身延山しだれ桜と富士山本宮編 ANA全日空で行く!四国の旅 こんぴら・四万十川・足摺岬コース3日間編 ドキドキ旅の福袋 ミステリーツアー編 小江戸・川越七福神めぐり日帰り編



2006年12月30日〜1月2日 12食付!京都・奈良の世界遺産とお伊勢さん・熱田神宮・豊川稲荷3泊4日編
12月30日(土)
前日に旅行会社の添乗員(女性)から電話があった。用件は、バスは上野から向かっているので、渋滞で時間が遅くなっても待っていて下さいとの事。バスは3台で、自分達は2号車らしい。明日が楽しみになってきた。
4:30に起きる。朝食はツアー中に出るので、食べずに家を出る。5:30過ぎに、パソコン用リックに、旅行バック、ウェストポーチを持って出発。外に出ると、空気がヒンヤリとして、寒かった。薄暗い道を駅まで歩く。途中、コンビニで朝食が足りない事を考えて、お握りの赤飯、カステラケーキ を買う。上大岡(06:06〜06:15京急本線特急)→横浜。横浜(06:29〜06:58 3駅 JR湘南新宿ライン快速・高崎行)→新宿。徐々に、電車の外の景色が明るくなった。新宿から、集合場所に向かう。7:50までに到着すればいいのに、30分ぐらい早目に集合場所のJR新宿駅西口・10号線高架下都庁大型バス駐車場に到着。色々なツアー会社があり、混雑していた。早目に、受付して、上野からのバスを待つ。トイレに行きたくなり、京王プラザホテルのトイレまで歩いてゆく。ホテルから集合場所戻ると、もうバスは到着していたので、乗り込む。

バスの座席は出入り口側の9列目。48人の参加者。1人参加者もおり、相席になっていた。1号車のお客さんが遅刻して20分遅れの8:10に出発。

添乗員は北海道から応援で来ていた。東京は都会の人なので、緊張しながら仕事していた。早速、朝食のお寿司のお弁当を配る。バスには乗務員が乗っていた。バスガイドではないようだけど、けっこう可愛い感じの女性。バスは首都高から東名を走る。順調に走っている。町田から10キロほどの渋滞も車が流れているので、そんなに渋滞感はない。富士山も山頂の雪がくっきりと青空をバックに見えて得した気分。天気がいいので車窓からの景色は満点。10:00、富士川でトイレ休憩。10:15に出発。バスは順調に走っていたが、この先に16キロの事故渋滞(音羽蒲郡から岡崎まで)があるというので、11:37に浜名湖でトイレ休憩。11:00出発。バスの中では寝ていたり、妻のゲームを借りて遊ぶ。前の席のおばさんがちょっと昔のオバタリアン風なので、何か嫌な感じ。音羽蒲郡から一般道を岡崎まで一区間走る。ところが、これが凶と出てしまう。意外に車が流れず、ヒドイ渋滞。皆、東名の事故渋滞を避けた感じだけど… 13:20、やっと岡崎から東名に乗る。一般道を走らずに、高速のまま走っていた方が、速かったような…車は意外に流れていた。13:37、東郷でトイレ休憩。お昼のお弁当の名古屋コーチンわっぱ飯を積み込む。13:45出発。遅い昼食。雪の伊吹辺りから、またしても事故渋滞になってしまう。12キロの渋滞。16:05、草津でトイレ休憩。本当は、養老で運転手などの昼食タイムを取りたかったけど、渋滞だったので、ここまで走ってきた。お土産屋で、会社用にと、京都とうふクッキーを買う。そして、MINISTOPでジュースを買う。16:30、出発。本当は、京都についたら、銀閣寺を観光するはずだったのだが、渋滞で遅れてしまったので、明日になってしまう。

バスは知恩院の駐車場に停まる。沢山のカラスが飛立っていた。添乗員に連れられて祇園の町に向かう。これから、夕食。夕食会場の割烹 湖藤美に。高級料亭ぽい。入り口のメニューを見ると、安くて7000円ぐらい。あとは、10000円ぐらいの料理が書かれている。個人で来ると値段が張りそう。添乗員にメニューを聞いたら「このメニューではありません。オリジナルの料理です」との事。入り口で靴を脱いで、前もって2名参加者は2階に上がってくださいと言われていたので、妻と2階に上がる。祗園での夕食、こんなお上品な場所は初めてだったので、少し緊張。部屋には、もう料理が並べられていた。意外にも量が少ない。安いツアーだったので、こんなものかな…ここで、問題発生。2人参加者は2階なのに、料理は奇数の21人分が並べられている。仲居さんが少し慌てていた。ビールを注文をする。ところが、食べ始めても、ビールが来ない。次の料理、何かソバらしきものが来ても、まだビールは来ない。他のお客さんが「熱燗を注文したんだけど…」と言ったら、熱燗の追加だと勘違いする仲居さん。団体客の接待に慣れていないのか…結局、料理を食べ始めた頃に、ビールが来るんだけど、今度はコップがない。慌てて、コップを持ってくる仲居さん。何か、見ていて手伝いたくなってしまう。熱燗と冷やを間違えていたりと、仲居さん、大変そう。料理は、それなりに工夫されていて、京都らしさを感じさせてもらい、美味しく頂いた。デザートは抹茶ムースとぶどう。食べ終わって、ビールのお勘定。驚いた…ビール1本980円、妻が飲んだオレンジジュースは520円。ちょっとビックリの値段である。残念ながら、期待した舞妓さんには会えず。
添乗員に連れられて、駐車場に戻る。八坂神社で少しの参拝する。

バスは、宿泊先の京都東急ホテルに。インターネットに接続できると知っていたので、ケーブルを持ってきたけど、差込み口が合わないので、フロントで借りる。そのケーブルも、はまらないので、フロントに連絡すると、後で繋げに来てくれた。
部屋で「第48回輝く!日本レコード大賞」を見る。今年から大晦日、前日放送。何か、大晦日気分。年越し蕎麦も食べたくなるし、カウントダウンをしたくなる…氷川きよしがレコード大賞。台ブァンの妻の母に大賞が決まったら、すぐにお祝いのメールしたら、電話が掛かってきた。
今回の旅行で、デジカメの画像を取り込むカードを忘れ、プログにアップ出来ない。そして、パソコンのバッテリーまで忘れたので、帰りの新幹線でパソコンが使えない…残念。このところ忘れっぽい…

12月31日(日)
4:30に起きて、5:00からホテル周辺を走る。
朝食は7:00からバイキング。京都だからと、豆腐を食べる。腹一杯食べる。料理がかなり美味しかった。コーンフレークを食べたら、少しお気に入りになったかも…

8:20頃、チェックアウトして、バスに。バスの入り口に貼り出している座席表を確認する。ところが、自分の名前が書いていない。バスを確認すると、2号車なので、自分の名前が書いていないとなると…可愛い乗務員に確認すると、やはり、名前が書いていない。添乗員を探してもらう。どうやら、添乗員が間違えたようだ。同じ名前を2つ書いてある。一番後ろ席だったようだ。バスに乗り、後ろの席に行くと、もうすでに、その席には、オバタリアンが座っていた。添乗員が間違えた事を伝えるが、頑として席を譲ろうとしない。それで、本来はその人の席だった運転席側の3列目に座わる事になる。8:30、出発。
天気は曇り。添乗員は「曇りのち晴れ。気温は10度ぐらい」と言っていた。昨日、行かなかった銀閣寺に向かう。銀閣寺はこういうツアーには普通、入っていないようだ。添乗員はツアーで初めて行くと言っていた。大文字山の「大」という文字を目指してバスは進む。その下に銀閣寺はあるようだ。哲学の道の横を通り、9:00に銀閣寺に到着。

銀閣寺(拝観50分。創立者は、室町幕府8代将軍の足利義政。開山は夢窓疎石とされている。足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称。1994年「古都京都の文化財」として 世界文化遺産に登録)。
銀閣寺の駐車場から歩く。入り口まで添乗員が連れて行く。まだ、早いのでお土産屋の半分もオープンしていない。朝、走った頃よりも幾分暖かい。銀閣寺垣(総門から中門まで長さ約50mの参道。本来は防御をかねた外界との区切りとして設けられたと思われるが、その厳粛で人工的な空間は我々の雑念を消し去ってくれる)を通り、入り口で、添乗員からパンフレットを受け取る。中に入ると、すぐに見事な庭園。銀沙灘(方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台がある。銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説があるが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと思われる。しかしこのような奇想天外な行き方は独創的で他に例がない)が綺麗。銀閣寺はどこにあるのかと、探したら、あの汚らしい建物。銀閣(国宝。銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のこと。重層、宝形造、柿葺で、平面は長方形で正面8.2m、奥行7.0m。初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間の禅宗様の仏堂。書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物。鹿苑寺金閣が文字どおり金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔を貼った痕跡はない。これについては「当初は名前のとおり銀を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説と義政の隠居所として設計された観音殿には、元々銀箔を張る計画はなく、当初から木肌を露出させた現在の姿が義政の構想だった、という説がある。慈照寺の庭園には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くしていること、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いと思われる。ちなみに、義政の妻日野富子はびた一文として出さなかったという話がある) は、金閣寺のように見事な金のように、銀閣寺は見事な銀色を想像していたけど、全く銀色ではないのに、少し残念がっていると、妻から言われてしまった。「剥げたんだよ」と。俺もそう信じてしまった。ところが、後で、出口にいた係員に「いつ頃、銀の色が剥げたんですか」と聞くと、「昔からあのまんまですよ」と。妻に騙されてしまった。
東求堂(国宝。義政の持仏堂で、1486年(文明18年)の建立である。池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎である。書斎の北側に設けられた付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構であり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構である。なお、創建当時は現在位置より南方の銀閣に近い位置に建てられていたと推定されている) をデジカメで撮って、進んでいくと、「銀閣寺の大切な苔」「ちょっと邪魔な苔」「とても邪魔な苔」と苔を紹介していた。
洗月泉(錦鏡池南東端に落ちる滝、山部山畔から流れ落ちる水を銀閣・東求堂のある下段の庭へ導く)、お茶の井(下段の庭から東部の山腹をさかのぼると湧水、お茶の井がある)とデジカメで撮る。
坂を登って、展望台から、銀閣寺を撮影。ここから見る銀閣寺が一番良いような気がする。
階段を降って、池の前で銀閣寺を撮影する。お客さんに二人の写真を撮ってもらった。
駐車場に帰りながら、総本家八ツ橋で店員から試食を薦められ買わされるのを恐れて断ると、お茶まで薦められる。それでも、断ったんだけど、店員が妻に「イチゴ味もありますよ」と言ったので、それに負けて、イチゴの八ツ橋を試食して、しかも、買ってしまった。
すぐ側のせんべい屋、ザラメのせんべいを買って、食べながら駐車場に。9:50、出発。

京都の南に向かって走る。バスが奈良に進んでいる間に、奈良公園での観光の仕方に添乗員が案内する。3つのグループに分かれるようだ。一つは、薬師寺観光グループ。二つ目は、専門のガイドについての三月堂・二月堂・東大寺観光コース。最後の一つは自由行動。自分達は、専門のガイドについての三月堂・二月堂・東大寺観光コースを選ぶ
京名和自動車道を走り、11:20、奈良公園(総面積約502.11haある広大な敷地内には、様々な寺社や歴史遺産、シルクロードの文化を紹介したシルクロード交流館、三つ重ねの風景で有名な若草山、博物館などが点在している。また園内にはシカ約1200頭やタヌキ、イノシシ、リスなどの野生動物が生息するほか、公園の四季の変化に彩りを加える桜、紅葉、あせび、梅、百日紅などの樹木が多数植えられている)に。
奈良公園では、専門のガイドしか案内は出来ないらしい。それで、昼食でお世話になる菊一文珠(東大寺と春日大社の中間、若草山山麓にあり鎌倉時代から伝統を受継いだ打刃物と奈良名産のお店。奈良の土産ものを豊富に取り揃え、また刀鍛冶菊一文珠の打刃物を製造直売する。2階には国際観光日本レストラン協会加盟の大和風料理「永楽」を併設)のガイドが案内。そのガイドは二人いて、1・2号車と3号車に分かれる。ガイドが「これから1時間50分ぐらいトイレに行けません。トイレはあるけど小さいトイレです」と言うので、皆ゾロゾロとトイレに行く。2号車の添乗員は、薬師寺コースに行ってしまったので、自分達は1号車の添乗員についてゆく。添乗員が人数確認をするけど、皆が動くので、うまく数えられない。結局、2列に整列させて数える。48人の参加。20分ロスタイムの11:40分に出発。おじさんのガイドについて歩いてゆく。校倉造りの蔵で立ち止まり、自己紹介する。ガイド「迷子になっても、奈良公園は広い公園なので、迷子になっても探せません」と。校倉造りの蔵は、ネズミが入らないように床から蔵を離している様だ。正倉院は今日は閉まっているようだ。
三月堂(東大寺の前身金鐘寺の羂索堂として746年ごろに建立された東大寺最古の建物。右半分の屋根は鎌倉期の補造。旧暦3月に法華会が開かれるので、法華堂とも三月堂とも呼ばれる。堂内には。不空羂索観音立像を中心に、日光、月光菩薩像など16体が安置されている。日光、月光菩薩像の合掌する両手の美しさに魅了される)を紹介するガイド。この建物、右から4番目の柱をさかいに、左側が奈良時代、右側が鎌倉時代に作られたものらしい。窓や手すりも左右違っていたりする。
その後に、二月堂(東大寺法華堂のすぐ北に位置し、毎年3月に修二会、お水取りが営まれることで知られる。修二会は旧暦2月に行われたことから、二月堂の名が付いた。752年の建立と伝わるが、667年に火災で全焼。現在の堂はその2年後に焼失前の姿そっくりに再建されたものといわれる。舞台造で、大仏殿の屋根を眼下に奈良市内が一望できる。本尊は絶対秘仏の十一面観音とされる)を紹介。ガイドは「三月堂、二月堂、そしてここにある四月堂、そして向こうにあるのは食堂」と笑いを誘う。
そして、メインの東大寺(奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院。「金光明四天王護国之寺」ともいい、奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして整備した寺。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊とし、開山は良弁)。
東大寺に入堂口から入り、拝観券を渡す所に行くが、添乗員が行方不明。しばらく、添乗員を待つことになる。やっと3号車の人と一緒にやってくるが、添乗員、慌てて、皆の拝観券を準備する。けっこう時間を食ってしまった。やっと東大寺に。
東大寺の瓦は軽いので15キロあるとか言っていた。ガイドと一緒に東大寺の中に入る。東大寺盧舎那仏像(一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、奈良市の東大寺金堂の本尊。現存の大仏殿は正面の幅57.5m、奥行50.5m、棟までの高さ49.1mである。高さと奥行は創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時約86mの約3分の2になっている。木造建築としては、明治時代に建てられた東本願寺御影堂とともに日本最大。大仏のポーズは、右手が施無畏印、左手が与願印。簡単に書くと右手は苦しみから救い、左手は願いを叶えますと言う慈悲の心)をデジカメで撮る。かなりデカイ。大仏の天井の四角の口の大きさは四畳半あるらしい。遠近法を考えて造ってあるようだ。
大仏の後ろ側に行く。柱の穴(高さ30cm、幅37cm、長さ120cm)に子供を通らせようとする親が多い。ガイドは「この穴を通ると、おりこうになります。逆から通るとバカになります。ちなみに、今、逆に通っています」と。思い切ったウソをつくガイド。ちゃんと「ウソですよ」と後で言っていたけど…子供によっては、恐がって穴に入りたがらない子供もいた。
東大寺を出た横にある賓頭盧尊者はお釈迦様のお弟子さん。面白い顔なので、デジカメで撮った。
今度は、春日大社(奈良県奈良市の奈良公園内にある神社。藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされる)に向かう。
13:00。そこで、妻はトイレに行ったのだが、まあ、携帯もあるので、すぐに会えると思っていたのだが、これが大事件になってしまう。俺は、ガイドについてゆく。200m歩いただろうか、妻から連絡がある。「今、春日大社に向かっているから、分からなかったら人に聞いて」と言った。少し経って、心配になり、電話すると妻は「分かった。信号を左に曲がっている」と走りながら話している。ふと、信号ってあったかな〜と思ったけど、最終的に春日大社で会えればいいかな〜と思っていた。それが、まさか…時間が経過すればするほど、心配になる。ガイドに遅れて歩き、一番最終の人は1号車の添乗員と歩いていたけど、その後ろを歩くけど、妻の姿が見えない。携帯に電話しょうとするが、何と、いつのまにかに、「圏外」になっていた。少し歩けば、圏外にはならなくなるだろうと思っていたら、全然、「圏外」まま。引き返そうと思ったけど、目的地は春日大社と言っていたので、違う道で行った場合、会えなくなる。それよりは、春日大社に向かった方が良いと思ったけど、携帯は「圏外」のまま。もうすでに10分ぐらいつながっていない。春日大社に到着。妻の姿が見えない。携帯の「圏外」が消えたけど、今度は妻につながらない。つながらないという事は、春日大社に近いという事なのか…わからないまま、ガイド達は、昼食会場に戻ろうとする。今度は俺のほうも迷子になってしまう。とりあえず、完全に携帯がつながる場所をと思い、ガイド達と一緒に昼食会場に歩いてゆく。何度も何度も電話するが、つながらない。また「圏外」になってしまったり、つながっても、妻が電話に出てくれない。どうなるんだろう…と不安のまま、昼食会場の「菊一文珠」に到着。何とか、携帯は「圏外」ではない。妻に電話すると、つながる。妻は動揺しているようだ。「バス停留所にいる」と言う。どうやら、位置的に、春日大社の下側にいるようだけど、正確な位置がわからない。だから、俺が迎えにはいけそうにない。携帯の電波が悪く切れてしまう。また電話をするが…お互い、動揺して、どうしていいのか分からない。妻は妻でいまいる場所がつかめないし、俺は俺で、昼食場所の位置を説明できない。1号車の添乗員に助けを求めるが、添乗員もどうも説明出来ない。しかも、なんと、俺の携帯の充電が残り少なくなっている。ここで、電池が切れたら、完全に会えないのでは…と思うようになる。二人をつなげる縄がボロボロと解けてしまっているような…充電切れにならないように、ビクビクしながら携帯に電話する。妻とつながり「今いる場所をメールして」というので、「菊一文珠にいる」と、送れるようにと、ビクビクしながらメールをする。何とかつながった。携帯ではラチがあかないので、菊一文珠の公衆電話から電話するが、妻につながらない。つながっても、妻の携帯は電波が悪く切れてしまう。菊一文珠の店員に電話番号を聞いて、ここに電話してもらうことにする。妻の携帯につながるようにと祈りながら、何度も何度も電話するが、妻の携帯の電波が悪くつながらない。叫びだしたいような気分。それでも、何度か電話するが、俺もかなり焦っているようで、間違えて、菊一文珠の番号に電話している。最悪、ツアーを途中で辞めて、バックを受け取って、ここでずっと待つ事になるかな〜と諦めている。食事時間も過ぎて、そろそろ、奈良を出発する時間も迫ってくる。そろそろ、自分の添乗員が戻っていると思って、2階の食事会場に行くと、他の添乗員が「妻を迎えに菊一文珠の車で行っています」と教えてくれる。どうやら、妻はどこかのバスの営業所の人に助けを求めて、菊一文珠に電話してもらったようだ。ホッとしたけど、妻の顔を見ないうちは安心できない…妻がこないかと、入り口で待つが、中々来ない。少し安心したので、トイレに行き、戻ると、俺の横に座っていた女性が俺に気づき「奥さんは上(2階)にいるよ」と教えてくれる。2階に行くと、妻がいた。添乗員、食事を取ってくださいと言われる。集合時間は14:40になったようだ。20分延ばしてくれたようだ。椅子に座って、安心する俺。ホッとしてすぐにはご飯を食べられないでいると、添乗員は「食べてくださいね」と。フルマラソンを走りきったよりも疲れてしまった。
14:00頃、昼食は奈良名物のわっぱ飯。おかゆのようなご飯が美味しかったけど、あまり味が分からなかった。
黒のゴミ袋を二匹の鹿が荒らしているのを見つつ、バスに戻ると、他のお客同士が話していた。「迷子になった人、見つかったのかな〜」と。それは妻の事なんだけど…俺と妻は身体を小さくして笑ってしまった。

バスが14:40に発車すると、明日の日の出ツアー(鳥羽展望台の初日の出と伊勢神宮の奥の院・金剛證寺の初詣へご案内)を案内する。時間が5:30出発で、朝熊山に6:00到着、7:00前後日の出、7:20日の出、初詣を終了して出発、8:30、ホテルに戻り朝食、9:30にホテルを出発というコース。もしかしたら朝食に間に合わない可能性もあるし(人気のある日の出コースなので前にそういう事があった)、明日は曇りの天気予報なので日の出が見られる保証が無い、と添乗員がいうので、俺達は参加をやめてしまう。2号車は12名の参加で全体で33人の参加。
15:30で五月橋インターで緊急トイレタイム。といしても、緊急に生理現象が…一人の人がトイレに行くと、4人が緊急事態にトイレに向かう。4人が戻ってきたら、すぐに出発。
16:10、名阪関ドライブインでトイレタイム。今度は迷子にならないように、妻と苦笑いしながら外に出る。お土産屋を見て周る。まる天で、えび巻きを買って食べる。16:40出発
17:30、松阪フレックスホテルに到着。今日はツインだけど、明日はシングルらしい。荷物を置いて高速インターネットが出来ると確認して、部屋を出る。
17:45、バスは夕食会場の「味工房 原宿」。2階の座敷で松阪牛のすき焼きを食べる。肉は思ったより多かった。あのオバタリアンのグループから離れた場所に座る。1時間の食事。バスはホテルに。
すぐにホテルには戻らずに、ホテル近くのマックスバリュというスーパーで買出し。
部屋で『K−1プレミアム2006格闘技史上最大の祭典DYNAMITE!! 今年はTBS独占!日本の年越しは格闘技オールスター夢対決』を観る。

1月1日(月)
4:45に起きる。5:45走り始めて、日の出を見に行くが、少し早く着きすぎて、しかも半袖だったので寒くて、日の出を見ずにすぐに帰る。
8:15朝食はバイキング。金粉入りのお屠蘇、とハマグリ入りの雑煮がサービスされる。食事していると、どうやら、日の出を見に行った人たちが帰ってきた。間に合ったようだ。

今日は出入り口側の後ろから2列目。横には、子供達が座っている。9:35出発。
今日は、伊勢神宮の内宮・外宮・猿田彦神社の参拝とてこね寿司の昼食。添乗員、新年の挨拶をして、伊勢神宮の観光アドバイスなどに熱が入り、乗務員の新年の挨拶を忘れている。五十鈴川の土手には、車が一杯停まっていた。内宮参拝の人手で混雑が予想される。
バスは伊勢神宮の内宮参拝の時は、宇治橋の近くの駐車場に停めるのだけど、今日は混雑するというので、県営陸上競技場の駐車場に停めておく。
県営陸上競技場の駐車場から添乗員に連れられて、歩いてゆく。新橋を渡り、観光客でごった返しているおはらい町通りを通り(通りで外国人お坊さんが般若心経を唱えていた)、昼食の岩戸屋を確認してから、伊勢神宮(「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれ、辞書などでは「伊勢神宮」と紹介されていますが、単に「神宮」というのが正式な名称。内宮、外宮を始め、別宮、摂社、末社、所管社を合わせた総数125社の総称であり、所在地は伊勢市にとどまらず四市二郡にまたがっている。最も主要なる施設は、皇大神宮と豊受大神宮。皇大神宮を内宮と呼び、豊受大神宮を外宮と呼ぶことが多い。内宮は天照坐皇大御神を、外宮は豊受大御神を祀る)に到着。
宇治橋を渡る。右側通行。一の鳥居をくぐる。五十鈴川で参拝前に心身を清める五十鈴御手洗場がある。沢山の人が清めていた。
二の鳥居をくぐり、御正宮に。沢山の人が階段を登ろうとしてる。全然、動きそうにない。係員が「右側が空いています」と言うので、右側に行く。階段上の左側の鳥居をくぐる人の列は、全然、動いていない。何とか、右側に移り、人にぶち当たりながら、階段を上る。後ろから押されるので、その影響で前の着物姿の女性を押してしまったら、睨まれてしまう。妻と、はぐれないように、手を繋いでいた。何とか階段を上りきる。5分かかってしまう。階段の上から、賽銭を投げるのに3分掛かってしまう。前まで行けないので、仕方なく、人の頭の上を飛び越して投げてしまう。やっと参拝する。
参拝が終わり、人混みを避けていると、子供達グループがいたので、少し一緒に歩く。御正宮の裏を通り、元来た道に戻る。お御籤を引きたかったけど、お守りばっかりで、売っていなかった。
宇治橋を渡り、混雑するおはらい町通りを避けて、国道23号線沿い歩いてゆく。

猿田彦神社(天孫降臨の際、道案内役を務めた猿田彦大神を祀る神社。万時善い方へ導く、「みちひらきの大神」として広く崇敬されている。方位除け、交通安全などの御神徳があるという。社殿は1997年に改修された。5月5日には豊作を祈願する御田[おみた]祭りが行われる)に。内宮とは違い、かなりひっそりしている。楽に参拝する。お御籤を引くと、妻は大吉で喜び、自分は末吉。
天気も良く、そんなに寒くない。おはらい町通りを散策しながら歩いてゆく。内宮に近づくにつれて、店も賑やかになってゆく。
昼食時間12:30だけど、10分前に岩戸屋に到着。添乗員に指定されていた2階に上がろうと思っていたけど、階段を探すのに手間取る。階段を見つけて、2階に上がる。早目の到着だったけど、でも、二番目だった。靴箱に靴を入れていると、添乗員がきて「昨日の座席表の事があるので、今日は本当はシングルだったけど、ツインにしておきました。この事は内緒にしておいて下さい」と言われる。
昼食は、てこね寿司(元々漁師さんが漁の合間に取れる食事として生み出された料理)と、伊勢うどん。伊勢うどんは伸びた麺で、汁も下の方に醤油仕立てのようだ。
早目に食べて、散策開始。おはらい通りを歩き、赤福本店でバスの中で食べようと赤福2個入りを買う。おかげ横丁をブラブラする。中々、面白い店があった。浦田橋を渡り、駐車場に戻る。13:30出発だけど、3号車のお客さんが迷子になったようで遅れてしまう。岩戸屋に連絡が入ったようだ。9分後に2号車だけ出発する事になり、バスが動いていると、お客さんが慌てていたので、バスは一緒に発車。

13:50、バスは外宮に。駐車場から添乗員に連れられて歩いてゆく。こでは左側通行。御正殿で、参拝する。まだ時間があったので、土宮(豊受大神宮別宮。祭神は豊受大神宮宮域の地主神。宮川の氾濫を治める堤防守護の神として尊ばれる大土御祖神。1128年、特に宮号宣下があり、土宮と称するようになった。宮域内で、東面しているお宮は土宮のみである。なお、遷御の儀は平成6年11月19日に斎行された)、階段を登って多賀宮(豊受大神宮第一別宮。祭神は豊受大御神の荒御魂。ご神霊のはたらきから、荒御魂は積極的・進取的・活動的なご神霊。各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向される。なお、遷御の儀は豊受大神宮につづき8日後の10月13日に斎行された。明治以前は高宮とも書かれているが、丘の上の高いところにお鎮まりになっているから)を参拝。そして、最後に風宮(豊受大神宮別宮。祭神は風の神・級長津彦命と級長戸辺命。皇大神宮別宮の風日祈宮と御同神で、農業に深い関係のある風と雨の順調をお祈りする。元寇の国難に際して、神風の御神威により1293年、宮号宣下がされ、風宮と称するようになった。なお、遷御の儀は平成6年12月10日に斎行された)を参拝して、駐車場に戻る。ここでもお御籤はなかった。「末吉」のリベンジをしたかったのに…14:30、出発

14:55、伊勢志摩真珠館に。最初に2階でビデオ(知られざる海の神秘と真珠を巡る数々の物語、アコヤ貝が真珠をつくる原理、地球環境問題を織り込んだ美しい映像を、迫力のサウンドとともに楽しめる)を観る。何か、CMって感じ。そして、売店に行くけど、興味が無いので、すぐにバスに戻った。15:30、出発。バスの中で真珠のストラップを貰う。添乗員、隣りの子供に「いらないと思うんですけど、好きな女の子にあげてください」と言っていた。

16:40、御在所でトイレ休憩。夜のツマミ等を買う。17:00出発。

17:50頃、宿泊先の名古屋金山ワシントンホテルプラザに到着。部屋は3階のフロントの部屋。本当はシングルだったけど、添乗員がツインにしてくれたおかげで、妻と一緒になった。インターネット接続可能。フロントでモデムを借りてインターネットする。
夕食は18:45、9階の「旅籠茶家 かやかや」。座敷で宴会と思ったら、居酒屋風。カウンターに座り、和食料理。刺身も新鮮で、カニのグラタンも美味しかった。ただ、子供には酷だったかも。後で食事が終ってら、ホテル下のマックで食料を買っていたから…店は地元でも美味しいと評判なのか、一般客も来ていた。「今日は団体客が入っているので」と店の人は断っていた。確かに美味しかった。
食事を早めに済ませて、一旦、部屋に戻り、金山駅に行く。明日の新幹線状況を聞こうとしたら、指定席は満席のようだ。自由席で帰るしかない。まあ、何とかなるだろう。
その後、ホテルの横でパチンコをするが、負けて部屋に戻る。
後でネットで調べると、伊勢神宮内宮・外宮の参拝客は合わせて27万人だそうだ。明日は熱田神宮、豊川稲荷の参拝。最初は「夫婦健康で幸せにありますように。今年も仲間が増えますように。今年も自己新だせるように。怪我をしないように。仲間達も怪我をしないように。ミクピーさんが東京マラソンで完走できますように。宝くじが当たるように。良い事が続くように…」と丁寧にお願いしていたけど、伊勢神宮の内宮の御正宮、猿田彦神社、外宮の御正宮、土宮、多賀宮、風宮とお願いしていたら、面倒になってきて、最後には手を合わせるだけになってしまった。あんまり、神様って信用していないんだけど…正月早々、罰当たりなんだろうけどね…結局、神頼みする前に、働いたり、練習すれば、少しは願いは叶うはず…あらためて、走った距離は裏切らない…いつも神に裏切られてばっかりだから…

1月2日(火)
マラソンの練習をしょうと4:30に起きようと思ったが、結局、6:00過ぎまで寝てしまう。
朝食時間は7:15だったけど、7:00過ぎに荷物をフロントから一バック送り、食事会場に。和洋バイキング。早めだったので、混んでいなかった。ところが、数分たつと、ごった返す。ジュースを取るのに手間取る。席は相席になった。
朝食会場で添乗員を探したけど、いなかった。本当はバスで帰るツアーだったけど、バスだと新宿まで向かい、しかも渋滞で何時になるか分からない。それで豊橋から新幹線で帰りたいので、添乗員には「上司が亡くなったので、早目に帰りたい」と言うつもりだけど、肝心の添乗員がいない。フロントにいたバスの乗務員に自分が探していると伝えたけど…
部屋に戻り、8:00に、また、フロントに行くが、添乗員はいない。戻ろうとしたら、バッタリと添乗員に会う。「(今日行く)豊川稲荷に着くのは何時ぐらいですか?上司が亡くなったので、早目に新幹線で帰りたいんです。14時までなら、一緒に行動できると思うんです」と伝えると、添乗員は「それは、大変ですね。分かりました。豊川稲荷で離団されるということですね」と、俺のウソを信じてくれた。それにしても、平気で会社の上司を殺してしまった。まあ、変な上司もいるというのも役に立つといものだ…
部屋に戻り、安心して風呂に入り、荷物の整理して、チェックアウトする。
最初、1号車がお客さんを乗せている間、3階のフロント横の椅子に腰掛けて待つ。1号車が終ったので、自分達がバスに乗る番になる。一回まで階段で降りる。自分達は豊川稲荷で離団するので、荷物を降ろす関係上、出来るだけ最後に荷物を渡そうとする。一番手前においてもらった。
バスの席は運転席側の7列目。
8:33に出発。また、何号車が忘れたけど、遅れたようだ。その点、2号車は優秀で、時間をきっちり守る。添乗員がいいのか、皆が良いのか…
添乗員、明日から、ミステリーツアーらしい。初めてのミステリーツアーなので、緊張しているらしい。

8:45、名古屋熱田神宮(初詣40分。祭神は熱田大神であり、三種の神器の一つである草薙剣を神体としている。相殿に天照大神、素盞鳴尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀る。創建は不詳だが、景行天皇朝には、すでに土着の信仰神として存在していたらしい。官幣大社、式内社で、建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式であった。その他施設に、宝物館、熱田神宮会館、愛知県神社庁がある)に到着。
バスを路上駐車する。添乗員に連れられて、歩道橋を渡り、西門から熱田神宮に入る。本宮で参拝する。意外にも、すんなり参拝できる。昨日の伊勢神宮では一万円札の賽銭があったけど、熱田神宮は千円札が見た感じ最高だった。何をチェックしているんだろうか…
お御籤を引くと(何か高いぞ、200円)、小吉。「病気は治る」と書いてあったけど…またしても大吉が出ない…
宝物館(皇室をはじめ、将軍・藩主・一般の篤志家におよぶ広い層から当神宮に寄進された資料約4,000余点を収蔵。なかでも古神宝・刀剣・和鏡・舞楽面・古文書・什器・などには貴重なものが多く、国宝・重要文化財・愛知県文化財に指定されたものは、176点。また熱田神宮に草薙神剣を奉斎する由縁から、刀剣類は特に多く、名刀の宝庫ともいわれている。展示室ではこれらの宝物を順次展示して一般の拝観に供している)に行こうとしたけど、拝観料300円を800円間違えて「高けー」と思い、見なかった。300円なら入ったけど…
すぐにバスに戻る。9:20にバスに着くけど、25分早過ぎた。バスの中でボーッとする。それでも、何人かの人はバスに戻ってきていた。9:45出発。またして、何号車かのお客さんが迷子になる。幸い、添乗員が携帯の番号を教えていたので、すぐに見つかったようだ。
豊川稲荷は添乗員が調べたデーターによれば、昨年は空いており、一昨年は高速の出口から大渋滞だったようだ。しかも、去年は新宿に19:30に着いたようだけど…
バスで走っていると、添乗員、離団書を持ってくる。名前を一人一枚づつ書かないといけないようだ。
10:10、刈谷でトイレ休憩。高さ約60mの大観覧車が珍しかった。妻はトイレに行かなかった。1号車のバスの中では駅伝を見ていた。羨ましい…10:25出発。
11:00、豊川で高速を降りるが、出口辺りで大渋滞。しかも、小雨が降ってきた。添乗員、晴れ女らしい。10日間のイタリアに添乗した時に、全て雨予報だったけど、全く雨が降らなかったようだ。しかも、いつも雨が降っていても、観光で皆が外に出ると雨が止むといったような運もあると言う。今日は、なぜか、雨…でも、小雨なんだけどね。
もうすぐ豊川稲荷なんだけど、中々、車が動かない。妻、渋滞中のバスの間に、コンビニに行くという技を使う。

豊川稲荷の大駐車場が見えてきたけど、中々、バスは動けず。やっと、バスが大駐車場に入ると皆がホッとする。皆が降りる中、自分はパソコンのリックを持って出る。そして、妻が荷台から大きな旅行バックを持って歩いていたので、それも自分が持つ。けっこう重いカバンなんだけど、運動しているせいか、あまり重さを感じない。このまま走れそうな感じ。
豊川稲荷(日本三大稲荷で初詣。愛知県豊川市にある曹洞宗の円福山 豊川閣 妙厳寺の通称。日本三大稲荷の1つとされる。但し三大稲荷の定義には諸説ある。他の2社は伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社または笠間稲荷神社と考える稲荷神社が多い。豊川稲荷では自社以外の2社を伏見稲荷、祐徳稲荷としている)に向かう。
添乗員が屋台が続く道を抜けて、横断歩道を渡るので、ちょっと遅れ気味だったので、急いで渡る。豊川稲荷のいなり門で、添乗員は、豊川稲荷表参道を指差し、三軒目が昼食会場の「松屋」ですと丁寧に指示する。「(1・3号車の人が先に昼食を済ませて、参拝なので、2号車は)13:40からです」と。
添乗員、カバンとリックを昼食会場に持っていってくれるというので、預けて、豊川稲荷に。
先に参拝をする。豊川稲荷本殿を目指すが鳥居のところから物凄い人混み。警察官の規制の中、中々前に進まない行列。他の観光客と話しながら、行列が進むのを待つ。数十分以上待っただろうか…やっと、次にたどり着けると思ったら、次の次だった。やっと、左位置を確保して賽銭を投げて参拝する。
そして、お御籤を引くが、また「末吉」。どうやら、今年は、イケていないのか…
豊川稲荷の門前通りをブラブラして、まだ時間があったので、豊川駅まで歩く。徒歩5分ぐらい。そこで、新幹線こだまの切符を買う。かなり余裕を見て15:32豊橋発。豊川駅を遅くても14:45に出れば間に合うらしい。それを聞いて安心。
食事会場の「松屋」に。2階の座敷に上がると、すでに2号車の人たちは入って食べていた。稲荷寿司(稲荷寿司は豊川稲荷の門前町が発祥とされており、2005年現在では、鰻荷寿司なる新名物も作られている)、エビフライ、マグロの刺身などが美味しい。そういえば、添乗員が言っていたきし麺が無いな〜と思っていると、遅れているようだ。添乗員が何度も何度も催促して、やっとくる。すでに食べ終わって、店から出ようとしているのに。食べてみると、美味しかった。
添乗員、1階のレジ横に荷物を置いてくれていたので、それを持って駅に向かう。
14:15、豊川駅から豊橋駅に。一時間ぐらい時間があったので、一旦、駅から出て、ブラブラする。近くでモルツビールを飲む。あと20分になった時に、新幹線の改札口に入る。
売店でアサヒビール500mlを買う。
15:32豊橋発こだま。妻のゲームボーイを取り上げてゲームする。ビールを飲みながらいると、すぐに新横浜駅17:34。家には18:30前に到着。

家に帰って、ネットで東名の渋滞チェックすると、焼津、沼津、秦野中井と所々で渋滞していた。新幹線で帰って、本当、良かった。
今回の旅行は1人参加者が多かったけど、最終日になると皆、仲良しになって楽しい旅行になった。また、来年も行きたくなるような旅行だった。

2006年11月3日〜11月5日 2泊3日11月の連休に行く!2泊目のみ手配 鹿児島フリープラン編
11月3日(金)
11:20に家を出る。天気は晴れ。上大岡駅に着く頃、妻の携帯に弟の奥さんからメールが入る。「(弟の奥さんの)母が左腕を骨折して、母の家の方で家事するので、実家には遅くなります」と。京急に乗り、京急蒲田で乗り継いで羽田空港に。弟が今、大阪に出張で、明日、鹿児島に帰ってくるようだ。
12:30、団体カウンターで受付して、実家のお土産を買う。鎌倉半月12P×2個、東京ばな奈8P×1個。お昼にはカレーを食べる。
生ビールとツマミを買って、妻のいるところに戻ると、妻が慌てていた。まだ飛行機の中には10分ぐらいあるはずなのに。一応、出発時間を表示板で確認すると「12:20」。時計は12:23。12:30が出発だと思っていたけど… 慌てて、飛行機に乗り込む。
飛行機の中の座席に、個人用テレビが付いていた。「JALホノルルマラソン2005」を見たたりする。鹿児島空港15:20頃着。天気は晴れ。気温は21度。

空港から市内行きのバスに乗る。バスの中で「今日はおはら祭りなんだって」と聞く。しまった、もうちょっと調べておけば良かったと悔やむ。昨日からだったようだ。たから鹿児島行きの飛行機が混んでいたのかと納得。懐かしい気分に浸りながら、鹿児島市内に近づいてゆく。高速から国道に。いつもなら、このあたりに停車するはずなのに、バスは停車しない。不安になりながらもバスに乗っている。やっと、国道3号線沿いのバス停に着いたので(家には近づいた)、バスを降りる。
実家に歩いてゆく。家に着き、両親に挨拶して、隣りの家の祖母の仏壇に手を合わせる。少し、ゆっくりして、親戚の人が散歩するというので、ついてゆく。甲突川ぞいを上流に向かって歩いてゆく。1時間ぐらい歩く。夕飯はオヤジの作ったチラシ寿司。缶ビール4本、ワイン2杯、少し飲む。少し、酔っ払って就寝。

11月4日(土)
6:00頃、起きて、7:30過ぎに朝食。9:30、弟の家まで、親戚夫婦と歩いてゆく。弟の家は山の上なので、急な坂道を上がってゆく。雲ひとつ無い快晴。叔父の運転で与次郎ヶ浜まで行く。妻、俺、親戚夫婦、弟の奥さん、子供三人の8人。最近出来たショッピングビルに行く。ユニクロで、横浜ではMサイズが売りきれているドライコンプレッションショートスパッツがあったので、2枚買った。少しばかり嬉しい。「SPORTS DEPO」でマラソン用品を見て、ダイソーで買い物。大きな100円ショップなので、買い物にも熱が入ってしまう。お昼になったので、叔母の作ったお握りを「SAKODA」の横の芝生で食べる。桜島が綺麗に見える。子供達とドングリを拾い集めて、ため池に向かって投げて遊ぶ。帰りは、弟夫婦の家の近くの「A−copu」で夕飯の材料を買う。親戚夫婦は先に歩いて帰り、俺と妻は弟の家で少し寛ぐ。1時間ぐらい寛ぎ、弟の奥さんの車で家に向かって。妻や弟の奥さん、叔母が料理を作ってあげる間に、子供たちと遊ぶ。弟も大阪から帰ってきて、夕飯は宴会。本当は、鹿児島東急ホテルに一泊、泊まれるツアーだったけど、キャンセルして家で泊まる。23時頃、就寝。

11月5日(日)
4:00頃、目が覚めるも、また寝て、結局、7:10頃、起床。ごはん・味噌汁という定番の朝食を食べて、9:20頃、家を出る。国道三号線沿いからバスに乗り、天文館に。まずは荷物が多いのでロッカーを探して、荷物を入れる。妻とブラブラし、さつま揚げ専門店の揚立屋で薩摩揚げを買い、菓々子横丁で「カスタドン」を買う。妻に携帯に弟の奥さんから連絡が入り、子供達を連れてドライブをして、飛行機を見せたいと言うので、10:50にワシントンビル前で待ち合わせる。弟の車で空港近くに。空港ホテルで昼にランチバイキングを食べる事にする。和食・洋食の食べ放題ランチバイキング、種類は30種類(840円)。空港に行き、12:50頃、搭乗手続きをして、2階で寛ぐ。子供が遊んでいる最中に頭を打ったというパプニングがあったが、その後、酔っ払いのおじさん(俺達が空港の2階に来た時に、ベンチで寝ていたのを思い出す)に「ここはどこ」と聞かれる。スーツを着て、どうやら結婚式の帰りのようだけど、自分がいる場所が分からないとは…しかも、その五分後、酔っ払いのおじさんがどこか行ってくれたと思ったら、降りのエスカレーターから三、四段と落ちてしまう。ドスンと大きな音がしたので、沢山の野次馬が集まり、空港の2階からエスカレーターを見下ろす。酔っ払いのおじさんは、怪我は無事だったようだが、エスカレーターの下で座り込み、空港の係員に介抱されていた。弟夫婦と子供達と別れ、飛行機に乗る。鹿児島空港13:45発。羽田空港15:20着。家には17:30頃、到着。結局、この3日間、全然走れなかった。

2006年10月27日〜10月28日 札幌社員旅行1泊2日編
10月28日(金)
5:10に起きる。昨日、日本ハム4連勝で44年ぶり2度目の日本一で、盛り上がる北海道に、今日から社員旅行。
朝食のパンを食べて、朝、早い出発なので6:40頃、家を出る。天気は曇り。
自転車で上大岡駅まで。駐輪場に自転車を停めて、京急に乗る。スムーズに空港まで行くかと思ったら、間違えて川崎駅で降りてしまう。京急蒲田を乗り過ごしたかと勘違いしてしまった。よく知っているはずなのに、ボケたのだろうか… 蒲田駅から羽田空港に。京急の中で、同じ係の後輩Tと会って、遅れれはしないかと心配していたのだが、少し安心する。
8:00、羽田空港第2ターミナル2階出発ロビー1番時計台前に集合。時間があったので後輩Sと朝食を食べようと、展望台、食堂と探すが、あんまり乗り気がしなく、結局、荷物チェックをして、中の方で、チャーハン弁当を買って食べる。
9:00、羽田空港ANA055便出発。席は俺は通路側で、その横に大先輩Oさん、その横に大先輩Nさん。空港で買った缶ビールを飲んで、酔っ払ってしまう。10:35、新千歳空港着。

北海道は、13度。空港から外に出るけど、思ったより寒くない。長袖1枚でも大丈夫だった。総勢70バスは人ぐらいの参加なので、バスは2台。前もって決められていた2号車に乗る。11:07にバスは出発。バスガイドは、わかりやすく説明する人だった。晩秋の北海道で、紅葉が色づく山々を通り過ぎながら、札幌市内に向かって走ってゆく。バスガイドが言うには、北海道の観光バスは200社越えたとか… それに、北海道は彼岸花が咲いていないというエピソードをバスガイドは話していた。目的に近づく。国道36号線を走っているバスの窓から横を見ると、「親不孝」という看板が反対に掛かってた。「親不孝」という文字を逆さにすることで、「親孝行」と読ませるらしいが、でもお店の名前は「親不孝」のようだ。色々と考えたものだ。

11:30、二条鮨(札幌二条市場に隣接し、北海道はもとより全国の旬の素材を活かした鮨と料理を明朗価格で提供)で昼食。中トロ、マグロ、カニなど13貫で量的に少なかった。
時間的に余ったので、近くの二条市場を散策する。一つの店で蟹の試食をする。けっこう美味しい。思わず、おばちゃんの積極的な営業で買わないといけないのかな〜と思っていると、後輩が「もうちょっと見て行きましょう」と救いの手を差し伸べてくれた。助かった。
50軒あまりの店がひしめきあい、活気に溢れている。店の前から、何とか買わせようと「安くしとくよ」と声がかかり、ゆっくりと検討する暇も無い。少しブラブラしていると、わき道に、自分の名前の店「和宏食堂」という店があり、デジカメで撮る。
結局、蟹は買わなかったけど、二条市場で一番興味が引かれたのは、4匹で6000円のタラバ。もうちょっと検討する時間があったら、買っていたかも…
二条市場から、さっぽろテレビ塔(大通公園の東にあり、大通公園のシンボル。展望台からは大通公園や整然と碁盤の目のような札幌の町並みが見られる)が見えたが、時刻表示がテスト中で、数字がコロコロと変わる。ある意味、貴重だった。

バスに乗り、札幌時計台(旧札幌農学校の演武場として、1878年(明治11年)に建設。建物は、米国中・西部開拓地のバルーンフレーム工法といわれる木造建築構造様式を取り入れた飾りの少ない簡素な実用建築で、わが国では類例の少ない建築物。「Boys, be ambitious!」で有名な札幌農学校初代教頭W.S.クラークは、明治10年に契約期間を終えて帰国しているので、この建物を見ることはなかったが、帰国に先立って演武場の原型というべき「武芸練習場」の設置を開拓史に要請しており、その意味においてはクラークにゆかりの深い建物)、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)(別名「赤レンガ」。館内では北海道の歴史を物語る貴重な文書や記録を詳しく紹介)、道立近代美術館を通り過ぎて、バスは走る。本当は、札幌ドーム(国内6番目、日本最北のドーム球場。サッカー用の天然芝グラウンドと野球用の人工芝グラウンドの両方が使える。北海道札幌市豊平区羊ヶ丘1番地、農林水産省北海道農業試験場・甜菜試験農場の跡地に2001年完成。完全な屋内で、しかも天然芝でサッカーの試合が出来る施設は、世界でもこの札幌ドームだけ。Jリーグのコンサドーレ札幌の本拠地《札幌厚別公園競技場と併用》であり、2004年からはプロ野球・パシフィック・リーグの北海道日本ハムファイターズの本拠地としても使用されている。又、読売ジャイアンツの毎年、夏恒例の北海道シリーズの2001年からの開催地としても使われている。コンサドーレ札幌のクラブ事務所、北海道日本ハムファイターズの球団事務所はともにこの札幌ドームの施設内に居を構えている。Jリーグのホームスタジアムで閉鎖式ドームが使われているのはJ1、J2を通して現状コンサドーレのみ。《大分と神戸はそれぞれ開閉式ドーム》コンサートでも利用されておりイーグルスなど世界のスーパースターが大規模コンサートを行なった。収容人数:5万3845人《固定客席数4万2831席》。野球場として利用する場合、両翼:100m、中堅:122m)に行く予定だったけど、何か、今日は日本ハムの関係者が使うらしく、見学は出来ないらしい。後で知ったが、新庄選手の引退式があったらしい。で、石屋製菓 白い恋人パークを見学する事になる。チョコレートファクトリーを見学して行く。入り口で、試食の白い恋人を受け取る。一度、ゆっくりと見学しているので、ほとんど通り過ぎるだけ。俺は別にいいけど、他の人達も、あんまり興味が無いらしく、急ぎ足で、通り過ぎる。オーロラの泉、チヨコレートパッケージの紹介などを見て、19世紀イギリスのチョコレート工場を再現した(ディズニーランドの)ホーンテッドマンションのようなジオラマを見る。そして、 「白い恋人」製造工場を回廊フェンス越しに見学。
なぜか、ローマ休日の「真実の口」があったのは笑った。「心臓の弱い方は…」と注意の張り紙があったので、新人の女の子に実験台にさせる。口に手を入れると変な声が… 後、昭和の玩具コレクションのコーナーや、ジャイアント馬場のリングシューズのレプリカがあったり(馬鹿デカイ)…
バスガイドが言っていた、白い恋人の雪ダルマアイスクリーム(420円)を買う。雪ダルマの頭の中には、トッピング用のチョコレートが入っていた。白い恋人をお土産を2箱買う。

バスは円山動物園(ほ乳類、鳥類、爬虫類など動物約200種、200点を飼育する道内有数の動物園。道内で唯一飼育しているゴリラや、7種類のクマを展示している世界の熊館、高さ15mのジャングルジムがあり生態展示を目的としたチンパンジー館、子どもに人気のサル山、ヒツジやヤギに触れることができるこども動物園などがあり、年間を通して動物を見ることができる)を通り過ぎる。バスガイドは北海道の住宅、雨戸の無い住宅を紹介する。雨戸を作っても、雪の重みで壊れてしまうので、作らないようだ。
15:20、羊ヶ丘展望台(札幌ドームの近くにあり、札幌の町並みを望むことができる展望台。遠方を指差すクラーク博士の像や、「恋の町札幌」の歌碑などがある。新名所となった札幌ドームもここからよく見える)に。芝生がニュージランドのようだ。クラーク像をデジカメで撮る。そして、数キロ先に見える札幌ドーム、羊の群れをデジカメ撮影。昨日優勝したのに、もうボール型のパネルに「優勝 2006年日本シリーズ夢をありがとう」と書かれていた。その横には、札幌に日本ハムが移ってきてからのメンバーの手形とサインが記念碑として、「丘の上の夢」と名前がつけられていた。その頃、クラーク像の前には女子高校生が沢山記念撮影をしていた。これが、後で…
さっぽろ雪まつり資料館を見に行く。雪まつり第1回からの開催パネル、メインの雪像模型等の展示がされていた。そこで、クラーク博士に誓いが立てられるというので、大志の誓いの用紙を1枚100円買って、大志の誓いを書く。勿論、「サブスリー」と書いて…用紙をクラーク博士の銅像の台座にある「大志の誓い」に投函すれば、保管してくれるらしい。早速、投函しに、クラーク像に行くと、何と女子高校生が数百人おり、二、三十人づつで像の前で記念撮影。とても、割り込んで、投函は出来ない。バスの集合時間も迫ってきているし、焦ってしまう。、二、三十人づつが交互に撮影していので、その合い間に、恥ずかしいけど「すみません」と言いながら、強引に投函していった。邪魔してすみませんでした。俺が投函すると、なぜかワーッと歓声が上がった。何の歓声だったのか…

バスは札幌中心部に。この辺りは、歩きタバコは罰金1000円らしい。16:30、札幌後楽園ホテルに。後輩Sと同室。部屋でゆっくりして、ススキノまで歩いてゆく。15分ぐらい。晩御飯の店を探すのだが、二人ともカニを食べたいというので意見は一致。観覧車のあるビルの裏側のビルに行く。「北海道食堂」という看板が気になり、その店に行こうとすると、12階にはバスガイドがお奨めの「えびかに合戦」。色々と検討した結果、えびかに合戦の食べ放題3,675円セット(タラバ足、ズワイ足、小エビの天婦羅、エビ握り 、カニ握り、エビ天握り、茶碗むし)に決定。タラバ4人前(でかい足8本。身が詰まっており1人前の2本でも食べ甲斐があった)、ズワイ足を2人前、エビ握り・カニ握り・エビ天握りを2人前。腹一杯食べる。食べに食べ、自分自身がカニになった感じで、もうカニは数ヶ月はいいやという感じで、食べた。二次会、三次会とススキノで遊んでホテルに。けっこう、安くすんだ。

10月29日(土)
800起きる。2階のバイキングで朝食をとる。
チェックアウトして、札幌駅まで歩いてゆく。天気は晴れ。昨日より暑い。ジャンバーいらない暑さ。

10:00、じょうてつバスに乗る。白樺の湯(白樺の湯は、はるか130年の歴史をもつ定山坊によって発見された定山渓温泉郷にある。今でも豊平川河岸より絶えまなく湯けむりをあげている自噴温泉)に行くのだけど、このバス、普通の市バスのように各駅停車。50駅ぐらて停車した感じ。しかも、最初は立っている人は後輩とあと一人だったけど、徐々に乗り込んできて、けっこう沢山の人が乗り込んできた。俺は最初から座れていたけど、後輩は最後まで立ちぱなしで気の毒だった。80分で白糸の滝に。
日帰り専門温泉、白樺の湯まで歩いてゆく。ロッカーに靴を入れて、そのロッカーの鍵をフロントに預ける。タオル・バスタオルが無かったので、フロントで借りる。あんまり人は入っていなかった。泉質が最高、これぞ100%源泉。露天風呂も森林浴も出来て、開放的で気分もリラックスできた。温泉出てから2時間以上はポカポカになった。
お昼はそこで、あんかけ焼きそばセットを食べる。

帰りのバスは座ってゆきたいと、早目に札幌に戻ることにする。本当はバス停留所前に「北海道秘宝」があり、興味を引かれたけど、中には入らなかった。
バスの中では、一番後ろで、ずっと寝ていたので、すぐに着いた。札幌駅から快速エアポート(1040円。300円の指定席は取らなかった)に乗り、千歳空港に。

早目に空港に着いたのでお土産屋を回る。お菓子の試食をしていると、「チーズじゃが クランチチョコ」が美味しかったので、試食を何度もしていたら、店員さんから「何度も…美味しいでしょう」と言われて、買わざるおれなかった。会社の土産は「夕張メロンオムレット」。
夕食は、北海道ラーメン道場の味の時計台で、味噌ラーメンを食べた。
荷物チェックをして、待合室でクラッシックビールを飲む。そして、飛行機の中で「北の職人」というビールを飲んだ。
17:30、新千歳空港ANA072便。
19:00、羽田空港着。

2006年9月17日〜9月18日 会社の仲間達と名古屋競馬旅行1泊2日編
9月17日(日)
8:30に家を出る。天気は晴れ。気温もちょうど良い。パソコンと着替えを入れたリックサックを背負って駅まで歩いてゆく。8:45 、地下鉄のホームでジムのトレーナーと会う。音楽を聴いていたので、すぐには気づかなかった。ベンチで座っていて、手を振っていたので、誰だろうと思っていたら、やっと、ジムの金●トレーナーと気づいた。
8:50、5分遅刻で友人Tがくる。ちょうど来た地下鉄で、新横浜駅に。集合時間は9:40だったけど、9:20過ぎに新幹線改札口に行くと、すでに友人Oさん、友人Nさんが待っていた。9:40にちょうどに友人Oがきた。友人Sは違う場所で待っていたのか、少し過ぎた時間にやってきた。これで6人が揃った。
改札口を入り、朝食とビールを買う。9:53のひかり367に乗るつもりなのだが、かなりの人がレジに並んでいたので、焦る。
新幹線に乗って、一息つく。友人Tだけが、違う車両。11:22に名古屋駅に。

とりあえず、昼食は。地下街に行き、きしめんを食べる事になる。『きしめん よしだ』(創業明治23年の製麺の技を今に伝えた『最高のきしめん』と、化学調味料など一切使用せずに作った『自慢のだし』の奏でる絶妙なハーモニー)で、ざるを食べる。
昼食中に定期観光バスに乗る事にすると決めたのだが、名古屋駅の案内所でバスの受付けを聞いてみると、もうやっていないと答えが返ってきた。残念。

友人Nさんの希望で犬山城に行く事になる。名鉄まで少し歩き、券売機で犬山駅までの切符を買う。すると係員が「特急券がある」と言うので、特急券(350円)まで買う。皆が改札口に入っていると、何を思ったのか、友人Oが係員に「犬山城は犬山駅で降りた方がいいですか」と。気になったらしい。すると、係員は「犬山遊園で降りてください。一駅先なので、降りたところで清算してください」と。聞いてくれた良かった。
指定席で、酒の効果で、寝てしまう。わずか30分ぐらいだったけど、ぐっすり寝てしまい。友人Oに起こされないと、そのまま乗り過ごす所だった。

日本モンキーセンターの猿の像にビックリしながら犬山遊園駅を降りて、横断歩道を渡って、犬山城(姫路城、松本城、彦根城と並び全国に4つしかない国宝指定の城の一つで、日本最古の天守閣をもつ犬山城。木曽川の流れを背に小高い丘の上に建つ勇壮な姿が美しく別名「白帝城」とも呼ばれている。これは江戸時代の儒者である荻生徂徠が中国の唐代の詩人李白の詩からとって名付けたもの)を目指す。
ツインブリッジ、犬山橋から木曽川沿い歩いていると、数隻の屋台舟にうかいをみせている。最初は犬山橋の向こう側に見えていたけど、何気なく見ていると、どんどんこっちに近づいて来た。木曽川うかいは、鵜に魚を捕らせる古典的な漁法。2隻、鵜飼を見せており、一隻に二隻の屋台舟、もう一隻に三隻の屋台舟が浮んでいる。珍しいので、ゆっくりと見る。どんどん、こっちに近づいて、最終的には、目の前で、うかいの説明までしていた。普通、何千円払って見られるのを只で見せてもらった。

犬山城に行く。入場料500円。天守閣(三層四階・地下一階で高さは23m)に入ると、いきなり、急な階段。2階は武具の間、3階は、破風の間。4階によじ登ると赤のじゅうたんの高欄の間。濃尾用水の堰が建設されたり、周囲の都市開発が進んだりで、当時の風情は微妙に薄れている感じ。それでも、お城の上から見る日本ラインの景色は非常に雄大で、十分に気持ちのいい。回廊を回ったけど、スリッパを履かなかったので、滑りやすく、何か下に落ちそうな感じで高所恐怖症なら、絶対に回れない。

犬山城の入場券で犬山市文化史料館やからくり展示館も見学できるというので、犬山城から坂を下って、まずは、犬山市文化史料館(370余年の歴史を持つ犬山祭の車山や市内の貴重な文化財、文化遺産が展示)に。友人Nさんが友人Oさんを、からくり人形に似ていると大笑い。本当は静かに見学していないといけないんだけど…犬山市名産の焼き物「犬山焼」の魅力を紹介する展覧会「犬山赤絵の世界」が開かれていた。市文化財保護審議会会長の公認会計士田中竹二郎のコレクションの中から48点を展示。鉢、とっくり、皿、水注(すいちゅう)、食篭(じきろう)など江戸後期の作品が並んでいる。犬山焼の特徴は赤絵と雲錦手にある。赤絵は広く色絵付けを指し、犬山では中国の呉州赤絵と日本の京赤絵の影響を受けながら独自に発展した。犬山赤絵は豪快で自由闊達(な筆致が身上だ。雲錦手は一つの器に春の桜と秋の紅葉を同時にあしらった文様。1835(天保6)年に犬山に移り住んだ陶画工・道平が犬山焼の基礎をつくった。犬山城主成瀬家の七代正寿が道平に雲錦手を描かせ、八代正住は将軍や尾張藩主への献上品にしたという。あまり、興味も無かったので、素通りしてしまう。
からくり展示館(犬山祭のからくり人形や資料が展示。 毎週金,土曜日の10時〜16時まで工房にて九代玉屋庄兵衛のからくり細工の実演を行っている)は、べろ出し人形が面白かった。残念ながら、実演は時間帯が合わず、見れなかった。

来た道を引き返し、犬山遊園駅に向かっていると、小雨が降ってきた、木の陰で休んでから、駅に向かう。
ホテルへは、犬山遊園駅→犬山駅→上小田井駅→丸の内で降りて、アイリス愛知に。

シングルだったので、ホテルで寛ぎ(備え付けのLANケーブルでインターネットも出来る)、18:00ホテルのフロントに集合。

みそかつの 矢場とん 本店にタクシーで行く。すでに、行列が出来ており、ウチワをもらって、寒くないのに仰いだり、喋ったりして、20分ぐらいで店の中に入る。店の中に入っても、狭い階段で待たされて、並びだしてから40分後にやっと、椅子に座れた。自分だけ、鹿児島産生黒豚わらじとんかつ定食を注文。カロリーが高いと思いつつ、美味しかったので、全部完食した。
その後は、2軒ハシゴして、ホテルに戻る。

9月18日(月)
5:00に起きて、走ろうと思ったら、雨と思って6:30に起きる。天気は曇り、雨は降っていなかった。7:05にホテルのフロントに集合する。ところが、朝7:05に集合と号令を掛けた人が5分の遅刻。
コメダ珈琲店にモーニングを食べに行く。メニューも良く見ずに『A ヨーグルト』を頼む。店員の女の子、次から次にメニューを注文していくのに(皆、ヨーグルトで、飲み物が違っていた)、メモをせずに覚えていて、しかも、誰が何を頼んだか覚えてのに、ビックリ。ヨーグルトがきて、飲み物の紅茶が来て、トーストを待っていると、トーストは来ない。不思議に思っていると、モーニングのメニューを見ると『C トースト』とあり、どうやら、ヨーグルトだけのようだった。名古屋のモーニングというと、もっとサービスがあり、ピーナッツとかもあると思ったけど… 小倉トーストを追加注文した。

今日は、中京競馬を楽しもうと、地下鉄で名古屋駅に。ところが、友人Nさんがホテルの部屋にお金を忘れたというので、取りに戻る事に。電話で確認していたけど、どうやら、どうしても取りに戻りたいらしい。残り5人は、指定席を取る為に、急いで中京競馬場に向かう。向かっている電車の中で、名古屋駅からタクシーでホテルに向かった友人Nさんから電話が掛かり、部屋の中にお金があったと報告がある。すぐに、俺達を追いかけるようだ。
土・日は臨時便が出ており、普段は停車しない中京競馬場前にも特急でも停まるようだった。
中京競馬場前に到着し、中京競馬場から無料バスが出ていたけど、歩いて中京競馬場に。
入り口で入場規制が掛けられており、行列の中、数分待たされた。
入場門では、ディープインパクト凱旋門賞応援のメッセージボードがあったけど、書く時間が無く書かなかった。
指定席も残りわずかになっており、友人Nさんも来ないので、指定席は諦めて、自由席に。1レースからメインまで競馬を楽しむ。結局、全員、惨敗。お昼は、レストランで天津飯を食べた。競馬しながら、グレープフルーツサワー2杯、レモンサワー1杯飲んでしまい、酔っ払ってしまった。お昼に、ゲストに女優の「真矢みき」が来ていた。表彰などをアシスタントされてトークもあり、目の保養になった。天気予報では雨だったけど、天気は崩れず、帰りも雨に降られなかった。

競馬後は、名古屋駅に戻り、世界の山ちゃんで反省会。17:00〜18:00まで手羽先を楽しむ。名古屋の方が、手羽先は辛い気がする。
名古屋駅で、新幹線の切符を手配し、駅近くのコメダ珈琲店で、アメリカンサンデー(山盛りのソフトクリーム、ミカンやバナナなどのフルーツ)を食べる。
18:58、新幹線ひかりで新横浜まで。
中々、楽しい旅行だったけど、友人Nさんの行き当たりばったりの思いつきの発言で周りを混乱させて、ウンザリしてしまった旅行だった。

2006年9月6日〜9月9日 花咲くリゾート淡路島・有馬・六甲・姫路城日本の絶景ひとめぐり3泊4日編
9月6日(水)
一週間前から、ハリケーンから台風になった台風12号に心配する。天気図から徐々に日本に近づいてくる。1日の時点では『2日15時には南鳥島近海付近へ達し、3日にかけても南鳥島近海付近を勢力を保ったまま進むでしょう。4日15時には日本の南へ達する見込み』とある。3日夜になると『ジワジワ接近中の台風12号だが、次第に向きを北よりに変え、火曜日(5日)ごろ関東の東海上沖合を北上するルートが有力』となり、少し安心する。前日になると『5日から6日明け方にかけて日本の東を北上し、7日3時に千島の東へ達した後、8日3時にはアリューシャン近海で温帯低気圧に変わる見込み』と、大陸から離れた場所を北上。明日は台風の影響はなさそうだ。しかし、天気は、6、7日と神戸は雨が降るようで、まあ、台風よりはマシかと諦める。

5時に起きる。5時55分に家を出る。曇っていた。ドアを開けて鍵を掛けると、ふと、携帯が無い。家に置いているのではと思って、もう一度、鍵を開けて、家に。携帯を探すけど無い。ふと、シャツの胸ポケットを触ると、携帯があった。最初から持っていたんだと、ホッとして、呆れていると、俺の視線が、デジカメをとらえる。あっ、デジカメを鞄に入れるのを忘れていた。危なかった…
雨が降りそうだったので、夫婦共々、重たい鞄とパソコンを入れているリックを持って(ウエストにはウエストポーチ、腕にはDーsnop)急いでコンビニに寄り、朝食用にお弁当とノートを買う。コンビニを出た頃から、小雨が降ってきた。急いで駅に向かう。
6:30頃、地下鉄に乗り、新横浜駅に。
キップは東京から乗っている添乗員が持っているので入場券(130円×2人分)を買う。改札口に入り、売店で、今日発売の少年マガシン(『はじめの一歩』『ダイヤのA』を楽しみにしている)を買う。ホームに上がる。少し早すぎた。ひかりが発車して、7:16発の新幹線こだま531号を待つ。列の前に、同じ旅行会社の案内の封筒を持っていたおばさんがいたので、妻が話しかけていた。旦那さんと一緒の旅行らしい。旦那さんがお弁当を買ってきたら、その夫婦、しゅうまい弁当の事で少し喧嘩していた。
こだまが到着して、乗り込む。添乗員は少し大人しそうな女性だった。
席は8号車のグリーン車、2A、2B。ゆっくり音楽を聴きながら寛ぐ。
豊橋を出ると、新幹線の窓に雨粒が目立つようになる。
新幹線のドアの上の電光掲示板に、天皇の秋篠宮紀子様が男の子を出産と発表されたら、おばさん達が拍手していた。
名古屋に着くと、雨もやむ。
9:58、岐阜羽鳥駅に。改札口を出ると、すぐに観光バスに。天気は曇り。少し蒸し暑い。席は運転席側の9列目。さっきまで雨が降っていたようだ。運転手が挨拶する。このコース、運転手は2回目らしい、「●●会社らしからぬ、ゆっくりコースです」と。43名の参加、平日の旅行開催なので、高齢者の夫婦連れが多い。
名神高速を走り、彦根インターに向かって走る。雨は強くなったり、弱くなったり… バスガイドは言葉を丁寧に使う人で、わかりやすい。岡山出身らしい。気温は24度。

11:00、国宝・彦根城(城の形式は連郭式平山城。城の北側には玄宮園・楽々園という大名庭園が配されている。多くの大老を輩出した譜代大名の名門、彦根藩井伊氏の居城であった。国宝の天守を筆頭に、数多くの櫓・門が現存し国の重要文化財に指定されている。明治6年《1873年》の廃城令で数多くの城が失われる中、大隈重信の上奏により明治11年・1878年に破却を免れたとされる。昭和26年《1951年》6月9日、国の特別史跡に指定された。また、彦根市市制50周年の昭和62年《1987年》には御殿が復元され「彦根城博物館」として藩政時代の調度品・武具などが展示されている。また、外堀には複数の黒鳥が飼育され、観客からのエサを求めて遊泳している。歴史として、徳川四天王の一人・井伊直政は、慶長5年《1600年》関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。しかし、三成の居城であったことを嫌い、城の縄張りとしては佐和山城城郭の方が数段優れていたが湖岸に近い磯山、現在の米原市磯に居城を移そうと計画した。しかし、関ヶ原の戦傷が癒えず慶長7年《1602年》死去した。直継が家督を継いだが幼少であったため、直政の遺臣が彼の遺志を継ぎ再検討の末、慶長8年《1603年》、琵琶湖に浮かぶ彦根山《金亀山、現在の彦根城の場所》に彦根城の建設を開始した。工事には公儀御奉行3名が付けられ7ヶ国12大名《15大名の説もある》が手伝いを命じられる天下普請であった。長浜城・佐和山城・大津城など近隣の城の遺材を転用した。特に天守は 4層の大津城天守を3層に縮小して移築したといわれている《天守がややずんぐりしているのはそのためであるという》。時代劇の撮影等でよく使われて有名な天秤櫓は長浜城から移築したといわれている《内藤信成時代長浜城大手門》。その天秤櫓は、掛橋を渡ったつきあたりの長い多聞の左右に2層2階の隅櫓を構え、あたかも天秤ばかりのような独特な形をしている。慶長11年《1606年》二期までの工事が完了し、天守完成と同時に直継が入城した。元和2年《1616年》彦根藩のみの手により第三期工事が開始された。この時に御殿が建造され、元和8年《1622年》全ての工事が完了し彦根城が完成した。その後、井伊氏は加増を重ね最終的に寛永10年《1633年》には譜代最高となる35万石の大封を得るに至った。幕末の大老として有名な井伊直弼は、藩主となるまでの不遇の青春時代をこの城下で過ごしている。直弼が青春時代を過ごした屋敷は「埋木舎《うもれぎのや》」として現存している《昭和60年度から6年間にわたって修復》)に。
キャッスルホテルの駐車場にバスを停める。まずは団体写真。ホテルの前から堀の向こうに見える城に向かって撮る。俺と妻は後ろ側に位置した。
団体写真が終わり、いよいよ散策開始(90分間)。入り口に向かって歩いてゆく。いろは松(彦根藩第2代藩主井伊直孝が、諸国から竹木を取り寄せて城内に植裁する際、土佐より移し植えた松である。土佐松は根が地上に出ないため道路の妨害にならない特徴を持っており、初め47株あったのでいろは松といわれ、今はその内枯れたものもあってその数に満たないし、また、植えつぎしたものもあって、土佐松でないものも混ざっている)を通り、少し歩き、表門に。
表門で彦根城・玄宮園鑑賞券と詳しい地図を添乗員から受け取る。長い表坂を汗をかきながら登ってゆく。天秤櫓(鐘の丸と本丸の間の小郭《くるわ》にあり、天秤《てんびん》櫓は空濠に面して建てられ、鐘の丸とは廊下橋で結ばれています。この空濠は表の備えで大手門や表門から鐘の丸に至る道になっており、橋と櫓門によって本丸が独立して防御できるようになっています。この建物は、井伊年譜によれば慶長8年から11年にかけて営まれたものと考えられている。天秤櫓は、空濠の底から高い石垣を積んで櫓土台として、この石垣の中央部よりやや東側を一段低くして門を構えている。櫓の両側にはその名前が示す様に二重の隅櫓を設け、正面から見ればあたかも天秤を模している様に見える。二重の隅櫓の背面にはそれぞれに続櫓が作られており、全体を上から見れば「コ」の字型の建物。この様に全体は左右対称の構成になりますが、隅櫓の屋根は対称を破る様に東の櫓の妻は東西に、西の櫓は南北に面して力強さを感じさせる造形になっている。井伊年譜には、長浜城の大手門を移したことを伝えているが、昭和35年に完成した解体修理の際の調査で、瓦に長浜城主であった内藤家の定紋である上り藤の紋瓦が発見されたため、長浜城大手門を移築したものと見て間違いない)を渡る。バスガイドも言っていた様だけど、この天秤櫓の廊下橋は、非常時には落とし橋になるらしい。
聴鐘庵(表門から石段を登り,一回りするように天秤櫓に廊下橋がかかっていますその橋を渡り,さらに石段を登る中程の左手に聴鐘庵がある天守閣が見渡せる茶室で薄茶と彦根の銘菓がお召し上がれる)、時報鐘(元来鐘の丸にあったが、鐘の音が付近の岩盤に反響して破れることが多かったので井伊直滋の考案により現在地に移して後は破れることがなくなったという。現在の鐘は12代藩主直亮の時の鋳造で黄金を多量に鋳込んだため音色が美しく一里四方に響いたという。現在も、日に5回その音色は、城下町に時を伝えている)と見て行く。少し妻を置いて石段を登りすぎたようだ。太鼓門櫓(本末表口を固める櫓門で、旧記に彦根城楼門とあり、柱に残る釘跡は札所の札をかけたあとと伝えられていたが、解体修理によりこの櫓は移築されたもので、この釘跡は移築前の痕跡であることが明らかになった。隘路《あいろ》の石垣にまたがる三間脇戸附の櫓門で、上層が正面三間、巾の広い開口をもち、背面が一面の縁手欄附の構造になっており、初期櫓門の傾向をもち、下層の大扉や脇のたて格子板張りや鏡柱、冠木の木割や構造手法などは古く、痕跡の調査から前身建物の規模は現在よりも大きく、城門を移築したのではないかと思われる)で、デジカメを撮りながら待つ。
妻と一緒に上がりながら、やっと上まで来る。彦根城天守(いくつもの屋根様式を巧みに組み合わせ、美しい曲線の調和をみせる天守。どっしりとした牛蒡積と呼ばれる石垣の上に、三重の天守がそびえている。京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、慶長11年《1606年》に完成した。当時は18万石の時代で、規模はあまり大きくありませんが《高さ21m》、外観の美しさだけでなく、城本来の機能にも優れている。昭和27年《1952年》に国宝に指定。現存する国宝の天守は、彦根城以外には姫路・松本・犬山城だけ)に。やっと上まで登ってきたので、少し琵琶湖を望む景色を見てから、天守閣に。靴をビニール袋の中に入れて入る。鉄砲狭間、矢狭間から、周りの景色が見える。二層階段上り口から二層に向かうけど、この階段、かなり急勾配。ほとんど直角(80度ぐらいか)で階段も狭いので、上がりづらい。右側通行で、手すりがあるけど、上りづらい… 二層から三層に上がるけど、ここも急勾配の階段。琵琶湖が見えた。二層は、展示物が展示されていたけど、あまり見なかった。
天守閣の見学が終わり、玄宮園に向かって歩いてゆく。裏道から歩く。地図を見ながら歩いたけど、少し迷う。
知らず知らずに、西の丸三重櫓(本丸の西に連なる郭、西の丸の西端、山崎丸への昇降口にはさらに出郭《くるわ》をつくり、その間に空濠《からぼり》を設け、北に木橋を掛け渡しています。この橋から南へ空濠に沿うた石垣の上の多聞櫓に連なって、三重櫓が南西隅を占めています。一説には、小谷城《浅井長政の城》の天守を移築したとの伝えもありますが、これを裏付ける資料はない。建設年代は不明ですが、万治年間《1658〜1660年》には存在したことが知られ、西の丸中の重要櫓であった。櫓東側一帯は桜が植えられ、お花見のスポットの一つとなっている)を通り過ぎていた。
迷ったおかげで、観音台(西の丸西端空壕の橋を渡った台地を観音台といい、往昔産士神がまつられていたと伝えられている。藤原不比等が近江の太守に任じられて淡海公と呼び、この土地にすまわれたこともあり、その子藤原房前が護持仏《ごじぶつ》として所持していた黄金の亀の背に乗った高さが1寸8分の聖観音を本尊にして一寺を建立し、金亀山彦根寺観音と名付けた。それは養老4年《720年》元正天皇の御代のこと。その時以来彦根山を金亀山ともいい、後に出来た彦根城を金亀城とも呼ぶようになった。なお、ここは旧藩時代に出廓があり、合戦の際には人質を入れるために人質郭と呼ばれたが、今はこの郭も取り払われて残っていない)を見学できた。
俺と妻二人で石段を下ってゆく。この道でいいのかと不安になる。黒門に来た時に、他の観光客も一緒になる。内壕を見ていると、心が和む。井伊直弼誕生地があったけど、何か工事中のようだ。
玄宮園(城の北東にある旧大名庭園で、4代藩主直興が延宝5年《1677年》に造営した。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえたもので、江戸時代初期の庭を現代に伝える名園。大きな池に突き出すように建つ臨池閣《りんちかく》、凰翔台《ほうしょうだい》といった建物のほか池の周りには中国洞庭湖《どうていこ》の瀟湘《しょうしょう》八景にちなんで選ばれた近江八景を模し、竹生島《ちくぶしま》や沖の白石を表現するために樹木や岩石も配置され、見ていて飽きることを知らない。花の香りに蝉しぐれ、紅葉、雪景色と、四季折々の風情を大名気分で味わえる)に入る。池と橋がどこを向いても絵になり、デジカメを撮りまくる。
鳳翔台(玄宮園内の築山にある、ひなびた趣のある建物で、藩主が客をもてなすための客殿であった。玄宮園の美しさを鑑賞するには最適の場所で、ここでの薄茶の味わいは格別の趣がある)で、お茶を飲もうとしたけど、時間的にどうかな〜と思いやめてしまう。
駐車場に向かって歩いてゆくが、右に行けばいいのか、左にいけばいいのか、迷う。看板が出ていたので、よく見ると右側は「行き止まり」の看板。左に進んでゆく。
井伊直弼像(開国の英雄井伊直弼は、彦根藩第11代藩主直中の子《14男》として生まれたが、5歳にして母と、17歳にして父と死別し、僅か300俵の捨扶持で17歳から32歳までの青年時代を埋木舎で過ごしもっぱら心身の修練につとめた。ところが思いがけなく嘉永3年《1850》36歳のとき、彦根藩主となり安政5年《1858》大老職となった。時に44歳。嘉永6年6月アメリカのペリーが日本を訪れて開国をせまり、以来鎖国か開国かと国内は非常に混乱した。大老井伊直弼は、わが国の将来を考えて安政5年《1858》6月開国を断行、これに調印し外国と修交を結んだのである。この大偉業をなしとげた直弼も大老の心情をくむことのできなかった人々によって安政7年《1860》3月3日桜田門外で春雪に血を染めて消えた。時に46歳であった。この銅像は、井伊直弼が最後の官職であった正四位左近衛中将の正装をうつしたもの)でデジカメを撮り、花の生涯記念碑(世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波瀾に富んだ一生を描いた小説“花の生涯”が発表され、人々に深い感銘を与え、映画演劇として、また特にNHKテレビドラマを通じて世の絶賛を博し、「花の生涯」ブームをもたらした。この事績を記念し、昭和39年10月15日建立されたものである。中央の四角い石を大老井伊直弼にみなし、左右の低い石を長野主膳と村山たか女とし、キラキラと輝く砂は雪をあらわし波乱に満ちた「花の生涯」を物語っている)でもデジカメ。二三粒、小雨が降る。ちょうどいい感じ。
キャッスルホテルの戻り、お土産屋で近江牛チップス(525円)を買う。12:30出発。

13:10、近江八幡(16世紀後半、豊臣秀吉の甥である秀次が築いた城下町で、整然とした碁盤状の町割りが今に伝えられている。武士と町人の居住区の間につくられた八幡堀には琵琶湖を往来する荷船が立ち寄り、自由な気風のもと町は商都としても発展、堀沿いには蔵が建ち並んだ。城が滅んだあとも八幡商人の活発な商いは広がり、堀沿いを中心に大規模な町家が軒を連ねた。畳表や蚊帳を扱っていた豪商・旧西川家住宅が資料館として公開されている)に。
15:00まで、2時間の自由散策。かなりゆっくり出来る。駐車場から昼ごはんに近江牛を食べようと、すぐ近くの店に入ろうとするが、3000円にはビックリしてやめる。バスガイドが言っていた、少し遠そうだけど、あきんどの里に行く事にする。とりあえず、鳥居を出て、横断歩道を渡り、白雲館に向う。バスガイドが見せてくれた観光協会の地図がおいてあると言うので、貰いに行くけど、そんな詳しい地図は無く、簡単な地図しか無かった。まだ、添乗員がくれたコピーの地図の方が見やすい。
あきんどの里に向う。本当に、ここでいいのかと思うくらい歩き、しかも駐車場しかないあきんどの里、どこにあるんだろうと探す。やっと、後ろ側に発見して、色々な店がある中、千里庵に入ることにする。店に入ったのは13:20頃。近江牛しゃぶしゃぶ定食(1575円)を注文。ところが、お膳がくるけど、中々、肉と鍋がこない。他の観光客の夫婦も何組かやってきた。その観光客達も道に迷ったようだ。20分後に、やっと肉が来て、食べ始める。中々、美味しい。ご飯もお代わり出来たので、一杯お代わりする。結局、食べ終わったのは14:00。それから、散策開始。あと、1時間しか自由時間が無いので、大急ぎで散策する。雨が降っていないので、良かった。
とりあえず、鳥居に向って戻ろうとする。何の観光地らしくないので、水郷めぐり(琵琶湖八景のひとつ「春色 安土八幡の水郷」とよばれる西の湖一帯を観光船で巡る水郷めぐり。のどかな田園とヨシの群生地帯に囲まれ迷路のように続く水路は、四季折々の風情にあふれた自然の宝庫。市内の4業者が運営しており、ゆっくりと流れる手こぎ舟と長距離を巡ることができるエンジン舟を運行する業者がある)の場所まで行く。舟が出ているのか、出ていないのか、営業していなさそうだったので、舟には乗らなかった。のどかな感じ。
かわらミュージアム(八幡掘に立つかわらミュージアム。耐寒性にすぐれた八幡瓦の魅力や歴史を、映像や模型などで紹介している。敷地内には、瓦粘土で自由な作品が作れる体験工房もある)に。300円×2人分払って見学する。1階常設展示室から見学する。凝った瓦に圧倒される。これでもかというデカイ瓦もあったり… 瓦を作る職人の小さな模型が精巧に作られていた。2階の常設展示室にエレベーターで行き、見学する。
旧西川家住宅に行きたかったので、鳥居を目指して、歩いてゆく。鳥居を過ぎて、ヴォーリス像を道路右手に見ながら、新町通りに歩いてゆく。旧西川家住宅(江戸時代の町並みの面影を残す新町通りの歴史民俗資料館の隣に一軒民家をはさんで旧西川家住宅がある。典型的な近江商家の面影を残すこの家は、店の部分と居住部分に分かれており、突き出した座敷玄関を持つのが特徴。壁を黒く塗り、トガ材を使った京風建築の二階立て家屋は、どっしりとした構えで、江戸時代中期頃の建築と推定されている。見かけより奥行きが広く、庭に植えられた木々の周りに飛び石が巡らされ、地面には苔が生えている。国の重要文化財に指定されている)を見て(中には時間的に無理だと思い入らなかった)、歴史民族資料館、市立資料館、立派そうな旧判家住宅を、中には入らずに、外から見学する。
あと30分あったけと、時間的に、戻ろうと思い、鳥居を目指す。ヴォーリス像をデジカメで撮る。少女が、ヴォーリスに草らしきモノを渡そうとしているのが、面白い。
真向かいに、メンタームの会社があり、ついでにデジカメで撮る。
同じ道を帰ったら、面白くないので、裏から歩く事にする。ちょうど、八幡掘(八幡掘は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡城居城のもと、城下町が栄える原因となった町の一大動脈。近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡掘は大きな役割を果たした。堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子を良く伝えている)があり、八幡掘遊歩道を歩く。堀を左手に、中々情緒ある遊歩道。
日牟禮八幡宮(八幡山の南麓に建つ旧八幡町の総社で、近江商人の信仰を集めていた。江戸初期に海外貿易で活躍した西村太郎右衛門が寄進した「安南渡海船額」《重要文化財》が納められている)を参拝する。
八幡山ロープウェイ(近江バス大杉町バス停から、うっそうとした老樹に囲まれた日牟礼八幡宮の境内を抜けると八幡山ロープウェイの乗り場につく。ロープウェイの所要時間は約4分。豊臣秀次によって安土城下がそっくり移された八幡の城下町の面影が残っており、碁盤の目状に整えられた町並みの美しい市街地や田園風景が眺められる。山頂駅で降り、石垣を上がっていくとお願い地蔵堂、さらにその上に村雲御所瑞龍寺門跡があるのは、秀次によって築かれた八幡山本丸跡で、そのほか西の丸や北の丸跡も残されている)に乗ろうとしたけど、片道4分といえども、さすがに、ギリギリになってしまうと思い、やめてしまう。やはり、食事が遅かったのが失敗。
バスが停まっているところから近くの売店で、妻はバニラ、俺は熟成メロンのソフトクリームを買う。それを持って、バスに戻ると、お昼の食事で隣り席だったお客さんから「まだ、食べ足りなかったの?」と冷やかされてしまう。15:00出発。

バスは宿泊先のホテルのある六甲山に向う。疲れて、バスガイドのガイドを聞かずに、眠ってしまう。散策中は雨に祟られなかったのに、いつの間にかに、雨が降り出していた。六甲山ホテル(国際都市神戸の中心街からわずか30分。豊かな自然に囲まれた風光明媚なリゾートスポット。夜には美しい夜景が眼下に広がる)に到着。雨も強くなっていた。バスガイドが荷台に大きなバックをホテル内に入れてくれた。雨で夜景は無理のようだ。部屋は山側で、洋室。
食事は18:45分からなので、時間まで部屋でゆっくりする。雨はカミナリも伴っていた。
食事会場は、珍しく、ホテルを出て『サウスロード』。ところが、雨が大降り。傘を用意してくれると、ホテルに到着した時の従業員の説明で言ったのに、もう無かった。これでは外に出られない。ホテルの従業員に言って、傘を借りる。次から次に傘待ちの人が現れる。ホテルの従業員が、サウスロードまで行き、傘を十数本も持ってくる。妻とアイアイ傘で、横断歩道を渡り、サウスロードに向う。洋食コース。ビールを注文する。俺達の右隣りの老夫婦の旦那さんに話しかける。妻のマラソン用のラップの時計を付けていたので、マラソンをやっていると思い、興味を持ったようだ。やはり、70歳なのに、マラソンをやっていた。競歩を主にやっていて、三浦マラソン、荒川市民マラソン等、出ていた。しかも、東京マラソンの抽選待ちという事で話題で大いに盛り上がる。奥さんもジムで水泳のエアロビ(横須賀のダイエー内のコナミ)をやっているらしい。奥さんが言うには、新幹線の中で色の黒い俺を見て「登山をやっているのでは?」と夫婦で話題に上がったらしい。コーヒーを飲んで、最後まで話しで盛り上がってしまう。
その頃には、雨は上がっていた。売店でジムのボディパンプ仲間のお土産を買う。運動してもらおうと、神戸プリン大福買う。会社には、とりあえず、神戸プリンゴーフレットを買った。23:30に就寝。

9月7日(木)
4:15に目が覚める。5時頃からホテル周辺を走る。昨日、バスガイドが言っていた「朝、散策に出て、イノシシに突進されないように」と言われていたので、本当の事になりそうで恐かった。しかも、草薮が揺れ出したりする。慌てて猛スピードを出してしまう。見晴らしの良いところで、昨日、雨で見れなかった夜景が見れた。夜はもっと綺麗だったと思うけど、それでも感動、得した気分。30分ぐらい走った。
天気予報をテレビで見ると、神戸周辺は曇りのようだ。
朝食は6階のレトタール。エレベーターで4階から上がろうとしたら、6階のボタンが付かない。他のお客さんと、とりあえず、1階に下りて、従業員に聞くと「7時15分にならないと、付かないようにしているんです」と。まだ、7:10だった。5階で5分ぐらい待っていると、ゾロゾロと5階のエレベーターホルに集まってくる。7:15なり、エレベーターのランプが付いて、6階でバイキング料理を食べる。窓から、神戸の街並みがはっきり見える。
チェックアウトして、ホテルから出ると、霧が出ていた。早朝、走っている時や、朝食の時、霧は出ていなかったのに… しかも、バスに乗る前は雨が降っていなかったのに、バスに乗ると小雨になっていた。不思議な現象だ。席は運転席側の6列目。バスは8:30出発。バスは神戸を目指しながら、添乗員やバスカイドが神戸異人館の説明をする。

9:10、神戸異人館に。バスの中で3館共通券(うろこの家、うろこ美術館、山手八番館、北野外国人倶楽部、旧中国領事館、英国館、仏蘭西館、ベンの家、旧パナマ領事館の中から3館を選んで入館できる。1000円)をオプションで頼む。バスは、神戸北野観光バス駐車場に停車。バスガイドに連れられて、北野広場にまで歩いてゆく。添乗員は早目に歩いて、お客さんがオブションで頼んだ3館共通券を先に買って、北野広場で配るようだ。駐車場から、小雨の中、トアロードを歩く。異人館通りに曲がり、シュウエケ邸を通り過ぎる。何か、ウキウキしだして、俺の足並みが早くなり、妻を置いてゆく感じになる。早朝なので、焼きたてのパンの香ばしい匂いが良い気分にさせる。ハンター坂を突っ切り、街灯が続く北野坂を上ってゆく。北野物語館(旧フロインドリーブ邸)(典型的なコロニアルスタイルを残す館は、異人館ブームの火付け役となったNHKドラマ「風見鶏」の主人公のモデルになった人物が住んでいたもの。阪神・淡路大震災で全壊したが、保管していた部材を使って移築・復原され、その優美な姿がよみがえった。北野や異人館に関する資料展示。北野の街を描き続けた、小松益善氏の絵画を紹介。無料) を通り過ぎて、狭い道の階段を登って北野広場に。
北野広場で3館共通券を受け取り、早速、散策開始。
まずは、風見鶏の館(建築の設計に当たったのはドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ《G.de Lalande》で、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍した有能な建築家。 館は、昭和58年12月より昭和60年3月にかけて本格的な保存修理を行い、復元できるところは可能な限り元の姿に戻している。館はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏《G・Thomas》が自邸として建てた建物。 北野・山本地区に現存する異人館の中で、レンガの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなレンガの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー《木骨構造》など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気を持っている。また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっている。風見鶏はその名の通り風向きを知る役目を持っているが雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果があるといわれている。旧トーマス住宅は、1階に玄関ホール、応接間、居間、食堂書斎があり、2階は夫妻の寝室子供部屋、客用寝室、朝食の間などがある。室内の意匠は部屋によって変えているが、全体にドイツの伝統様式を採りいれながら、19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動《アール・ヌーヴォ》の動きを感じさせるものがある。1階各入口扉に付いている把頭飾り、応接間のシャンデリア、書斎腰板の風刺画などにその傾向が伺える。また食堂は中世城館風の天井小梁、飾り戸棚、暖炉飾りなど見ごたえのある意匠をみせている。300円)をデジカメ撮影する。
うろこの家に向かう。ところが、北野天満神社を過ぎて、左に曲がる所を間違えて、行けども行けども、うろこの家がない。他の観光客にも会うけど、その人達も迷っているようだ。工事をしている若者に聞いても、分からないよう。妻を残して、もっと坂を登ってみるが、港みはらしの台に行くような道らしい。それで汗をかきつつも引き戻る。
デンマーク館《テーマ館》(デンマークにあるバイキングミュージアムやアンデルセンミュージアムの協力を仰ぎ、北欧デンマークの歴史や文化を紹介。8〜11世紀にスカンジナビア周辺から世界の海を巡ったバイキング船。その2分の1サイズのレプリカを展示しバイキングの猛者ぶりを解説。2階には世界的童話作家アンデルセンの書斎が再現されていて、愛用の机やペンなどを飾るバイキングの航海の様子を証明と音響で演出。その生活様式やアンデルセンに関する展示物がそろう) が分かったので、そこで、ちょうどメイドのような服を着ている従業員の女の子に道を聞く。何とか、場所分かる。ふと、妻を見ると、坂を下るのに滑るので苦労しているので、助けてあげた。
ウィーン オーストリアの家《テーマ館》(作曲家モーツアルトをテーマにオーストリアの文化などを紹介している。館内は19世紀後半の貴族の家を再現し、女帝マリア・テレジアの肖像やロココ調の衣装などを展示。当時の宮廷文化の様子が見えてくる。また、作曲に使われたピアノなどの複製品《フォルテ・ピアノ》や直筆の楽譜、手紙などのザルツブルグのモーツアルトミュージアムから寄贈されたマニア必見の品々が展示。ガーデンテラスでは、インペリアルホテル直送のトルテやオーストリアワインを販売している。2F展示室には、日本にも数台しかないと言われるフォルテ・ピアノを展示。モーツアルトが作曲に使ったものと同じタイプ。ガーデンテラスに面したチョコレートショップでは、国内での販売はここだけというインペリアル・トルテを販売。ウィーンにあるホテル・インペリアルのシェフが、約150年前のレシピを基に忠実に作り上げた幻の1品。もちろんテラスでオーストリアワインやホイリゲ直送のぶどうジュースといっしょに召し上がることもできる)、香りの家・オランダ館(旧オランダ領事館として使われていた大正中期の寄せ棟造り。人気は、様々なアンケートの項目に答えると その人に合った世界で1本だけのオリジナル香水を調合《10ml ¥3,100-》してくれるオリジナル香水コーナー。1階には現在では数台しかないという150年前のオランダ製自動演奏ピアノ「ピアノ・ラ・ピアノ」 の貸し出しがあったり、オランダ民族衣装《1着 ¥1,000-》の貸し出しがあったりと、お楽しみがいっぱい。又、オランダ、アムステルダムから直輸入の木靴は、全サイズ展開、デルフト焼きの陶器類も各種豊富に取り揃えているショップも中にある。異人館巡りの思い出にオリジナルの香水を作ろう… 香りの家・オランダ館では、年齢や星座、すきな音楽・花・果物などのデータから自分の個性に合った オリジナル香水を作ってくれる。 声やしぐさ、人柄まで香りに織り込むとか。 民族衣装と木靴でオランダ娘に変身…オリジナル香水が出来上がる間に民族衣装と木靴に着替えて 館内はもちろん、テラスやオランダ館をバックに記念写真。男性用や子供用もある) と抜ける。従業員の共通券を買えば得だよと言う攻撃を逃げるように、突き進む。
やっと、やっと、うろこの家・うろこ美術館(最初に公開された異人館で、国指定登録文化財。外国人向けの高級借家として建てられた。建物の外壁と多い天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから「うろこの家」の愛称が生まれ、親しまれている。館内のインテリアも昔のまま。アンティークな家具や置物の逸品のほか、欧州の王室が愛用していた豪華な陶磁器などが燦然と輝いている。隣接のうろこ美術館は絵画の宝庫。おもにヨーロッパとロシアの近・現代絵画を収集。マチス、ユトリロ、キスリング、ビュッフェ、トロワイヨン、ワイエスら高名な画家の佳作が展示。同館3階は、ロシア絵画の展示場だが、そこから港中心の神戸市街が一望できるので、展望台としての人気も高い。うろこの家では、デンマーク王室ご用達の陶器工房ロイヤル・コペンハーゲン、イギリス最古の名釜で生まれた「ペインテッド・フルーツ」、フランスの国賓マイセンで生まれた皿、カップ、それにアールヌーヴォーのガレやティファニーらのしゃれたガラス工芸が見逃せない。うろこ美術館では、ユトリロ特有の詩懐のある風景 「ミミの家」、日本でもなじみの深いビュッフェの脂ののっていたころの佳作 「アナベラ像」、自然主義のトロワイヨンの力作「フォンテンブロー 狩人のいる風景」などが注目。1000円)に。どちらか、一つだけ見ようとしたけど、ここだけで3館共通券のうち2館も使ってしまった。まさか、2館も見た事になるとは知らなかったので、失敗した感じ。まずは、うろこの家に行く。本当、うろこのような館。この館で見学していると、外は物凄い雨になっていた。
そして、隣りの、うろこ美術館に行く。1、2階はヨーロッパ油彩名画展、3階は堀江優の個展をやっていて、展望室になっている。1階からビュッフェ「アラベラの像」、ナースリィーイフの「写生」、ワイエスの「階段」、堀江優の「最後の晩餐」と見ていった。堀江優の「信ぜよ」が面白い絵柄だった。
そして、雨も小降りになっているので、山手八番館(塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築《チューダー様式》で入口上部のステンドグラスの美しさは格別。館内は近代彫刻の父ロダン、ブールデルの名作が並び、一室には東アフリカ、マコンデ族の異色の木彫や原始美術が沢山ある。壁には、バロック時代の巨匠レンブラント、ドイツ・ルネッサンスの代表的な画家デューラー、18世紀イギリスの風刺画家ホーガースらの版画を展示。2階には、ガンダーラやタイなど日本の仏像のルーツとなる仏陀や菩薩像が厳かに鎮座。彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館だ。彫刻は、ロダンの「ナルキッソス」、ブールデルの「自刻像」、ルノアールの「裸婦」など高名な美術家の作品が揃う。版画では、デューラーの人間味のある「聖母子」がユニーク。ホーガースの代表作「娼婦の遍歴」は6枚組で、物語をたどっていくと面白い。仏像は、ガンダーラの「名仏」《3世紀》、タイの「仏頭」《13、14世紀頃》などが、それぞれ時代と地域を反映しており、仏教美術の研究にも欠かせない貴重な作品。500円) 、北野外国人倶楽部(開港当初、外国人居留地に建ち、外国人たちの社交場として賑わっていた。その名残は、暖炉や豪華な家具調度品にとどめている。それらは、ブルボン王朝やビクトリア王朝に残る、貴族が使っていたものが多い。神戸の文明開花の流れを写真で見せる「神戸開花ストーリー」は、明治、大正、昭和の3代にわたる神戸の街の風景や風俗が活写されていて、興味深い。屋外には欧風庭園が広がり、一角には、しょうしゃなミニチャペルが建つ。また横穴式井戸も珍しく、見落とせない。天井まで伸びる大型暖炉が圧巻。表面に精妙な浮彫が施された豪華版で、フランスのブルボン王朝《1589〜1830年》に貴族が使っていた。屋外の一隅に馬車が置かれているが、1890年頃、フランスノルマンディ地方で荘園領主が乗っていた。手動式ブレーキ、キャンドルの燈光機などに当時のどかな朱物の味を残し、心が和む。銅製の鍋や杓などがにぶい光沢を放っているオールド・キッチンは、薄暗いが、昔の厨房をリアルに再現。500円) と通り過ぎる。入ろうか、入らないか、迷ったけど、結局、時間的に無理かなと思い、入らなかった。
プラトン装飾美術館(当異人館は大正の初期に建てられ歴史的伝統建造物で装飾美術館。共通券やグループ券ではなく単独で入館できる。美しいものを観たい人好きな異人館だけを訪ねたい方におすすめの館。 日常生活空間の中に本物の絵画、彫刻、家具、調度品などの展示品は全て18〜19世紀のアンティーク。館を訪れたお客様を迎えるのはガイドとメイドまるで知人の美邸に招かれた気分になる。又、南庭にはプールを中心とした南イタリア風のテラスがあり、19世紀頃の大理石の柱や古い砂岩石のコラム花と彫刻物のなかにカフェテラスも併設。絵画ではルソー、ミレ、コロ、ボナールなど印象派とバルビゾン派の自筆のデッサン、エッチング、油絵の数々クローディオンやロダンのブロンズや石膏のオリジナル。中でも食堂のイタリア人彫刻家 ビクターエモーヌ 《1800年代》の家具、暖炉等の一式はルネッサンス様式の彫刻の多い最高峰の作品。キャビネットの中には銀器、食器、金採のガラス、本物のアンティークを間近に見れる。半地下のワインセラーも外から覗ける。美術品をご覧頂いた後は是非南庭のカフェテラスでひと休み。700円) に入場する。3館共通券は使えなかったので、余計に700円×2人分払って、入場。傘を入り口に置いて、中に入ると、執事のような感じで案内人がガイドをしてくれるようだ。ザ・サロン(応接間)の高級な椅子で待つ。隣りには一人の女性がいたが、その人と一緒にガイドされるようだ。応接間から説明はを始める。ザ・サロンは来客者をもてなす部屋で、パネル貼りの壁画には、ミレー、ルソーなどの巨匠の自筆の素描やエッチング画が多く蒐集されている。居間のピアノの鍵盤は象牙だそうだ。次の部屋に行き、食堂のダイニングルームに案内される。ゲストと食事をする部屋で、イタリアの彫刻家V.エモーヌ作のルネサンス様式の家具や暖炉の一式が配置され、もっとも豪華な部屋。皿も銀ピカで、食器入れの家具も何気に凝った彫刻が美しい。テーブルには、帯が置かれて、暖炉も高級そう。旧配膳室のパントリーに入ると、いい匂いがした。ミートソースを作っているようだ。原形を留めながら現在的に改善された台所。冷蔵庫があるのが、おかしい。今の喫茶の軽食はこの台所で調理されているようだ。以前の厨房は別棟にあって、この場所は配膳室のようだ。食器棚のコップは35年かけて高級ホテルのコップを集めたらしい。外国の高級ホテルのコップや、有田焼きまである。玄関に行き、大理石の椅子に夫婦で交互に座ってみる。お互いにデジカメ写真を撮ったのだけど、何か、座り心地が悪い。2階に行き、化粧室に行く。化粧台、トイレ、風呂と一つの部屋にある。オリジナル香水が沢山置かれていた。ドレッシングルームの衣裳部屋に。ヴィトンの木製のバックが横に積み重ねてある。かなり重たいらしい。それでいて水にも浮くようだ。値段を聞くと、300万円だと教えてくれた。寝室には、寝る場所を暖める道具を見せてもらった。横には、朝食の準備されている。パーラールームの居間はかなり広い。ゆっくり寛げそうだ。そして、一旦、外に出る。ガレージには、ロールスロイスが置かれていた。地下室には、ロダンのオリジナルの石膏の彫刻もある。ワイン倉庫には、500本もワインが貯蔵されているようだ。それで、カイドが終わる。時間も無いので、ガレージテラスは、通り過ぎただけにした。
坂を下って行き、ベンの家(異人館の中でも建築の古さは屈指。堀、壁、窓枠に至るまで、明治35年建築当時のまま残されている。かつて英国の狩猟家ベン・アリソンが住んでいて、彼が世界各地で射止めた動物の剥製が展示。その中には撲滅寸前の貴重な動物や珍獣が多い。さながら 「小さな博物館」といった趣で、剥製といえ見ごたえ十分。世界最大のシカ「ヘラ鹿」の巨大な頭部も圧巻だが、800キロを超えるムースや3mの北極熊にも、圧倒される。アメリカの国鳥に指定されている「白頭鷲」の雄姿、鯨の仲間「イッカク」の長大な歯、銀白色の特異な巨体の「ヌー」など、特に迫力がある。500円)に。これで、3館共通券を使い切ってしまう。館に入ると、いきなり、白オオカミ、北極熊にビックリ。壁からは、虎やトナカイまで飛び出している。アメリカバイソン、何か怖い感じで飛び出ていた。2階に上がると、階段の所にはヌーが… かなりデカイ… 色々な動物が壁から出ており、マレー虎が展示されていたりと、何か、部屋自体が住みにくそう。
もう一枚、3館共通券を買う事にする。仏蘭西館で、3館共通券(英国館、仏蘭西館、ベンの家、旧パナマ領事館)が二千円と言われたけど、ベンの家は見たのでと交渉したら、千円に交渉成立。洋館長屋・仏蘭西館(2軒が左右対称に建つ風変わりな建物。元は外人向けのアパートだったが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一。中でも、アール・ヌーヴォの花形作家エミール・ガレやドーム兄弟らのガラス工芸は、選りすぐった佳品ぞろい。 壁にはエコール・ド・パリの藤田嗣治、シャガールらの小品が、さりげなく掛かっている。 一方、バックの人気ブランド、ルイ・ヴィトンの草創期のトランクが珍しい。部屋の一隅に置かれた骨董品。フランスのエスプリに満ちた館内である。家具、調度品、置物、工芸品などのデザインに注目。 フランスのロココ時代の伝統様式を受け継ぎ、軽妙で洗練されている。ルイ・ヴィトンの大型トランクは、航海用で、ハンガーを内蔵した構造が面白い。500円)を見学する。急いで見学したので、あまり感想はない。ただ、ヴィトンの大型トランクは、重そう。
英国館(イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館。西部劇でもおなじみの典型的なコロニアル様式だ。建物の内外はイギリス紳士のライフ・スタイルが濃厚に残っている。バロックやビクトリア時代の家具・装飾品・バーカウンターなどは、アンティークで値の高いものばかり。庭の一隅には、レトロ調のロンドン・タクシーが停まっていて、それを背景に衣装を借りて記念撮影も楽しめる。そんなムードを生かして、夜はバーに変身。世界の名酒を、バカラのグラスで味わうのだが、それでいてリーズナブルと好評。パーティーにも、よく利用されている。英国館バー、全国的に珍しい異人館バー。英国館特有のコロニアル様式の建築と、高級でクラシックな家具・調度品を生かしたエキゾチックでゴージャスなムードが売り物。飲みものは、世界の銘酒千酒を集め、盃はフランスの名器バカラにこだわっている。軽食もでき、値段もリーズナブルとあって、お客さんの層は、ヤングから年配層まで幅広い。団体によるパーティー予約の受付も好調。北野町に誕生したユニークなバーとして、神戸でホットな話題にのぼっている。マホガニーの素材に彫刻を施したパブ・カウンターは、19世紀ビクトリア時代に英国貴族の館にあったもの。ロイヤル・コペンハーゲン創設200年記念鉢、セーブル窯の名品「人物文大飾壷」、エドワード8世 載冠記念カップなど、王室がらみの高級品が多い。グレゴリオ聖歌の楽譜は「四線ネウマ《中世の聖歌に用いられた音符》譜」で、ルネサンスのころ記されたものを、羊皮紙に転写されたものらしい。700円)を見学。
そして、最後に旧パナマ館(白亜の壁に緑の柱や桟が映える建物は、元パナマのカルロス領事の執務室であり、生活空間でもあった。食堂、寝室、書斎、サンルームが連なっている。各所に領事のライフ・スタイルがにおう。一方、展示場には、マヤと中央アンデスで発掘された土器や土偶のコレクションがいっぱい。学術的にも貴重な文化財。 別館ギャラリーで、地元の画家たちによる異人館スケッチの原画展と、阪神震災写真展を公開。館入口の彫像「シーホース」は、この頭にさわると願いことが叶うといわれ、人気が高い。土器は、アンデス文明の古典期の逸品ナスカの「丸底壷」やモチーカの「橋型注口壷」などが、保存も良く、高度な民芸品の趣をたたえている。土偶、印章、笛などの焼きものも、素朴な味わいで水準の高い文明を表している。500円)を見学した。異人館を満喫した感じになった。
あっという間に2時間経過。バスに戻る。異人館通りから、トアロードに。1日見学しても飽きない感じの北野観光を終えてバスに。ギリギリセーフで11:15に間に合う。
11:15バスは発車。ファッションの街の三宮を過ぎて、高速に乗る。大きな鯉のオブジェを見て、すぐに、メリケン波止場、8mぐらいのポートタワーを見ながら、姫路にバスは向かう。雨は姫路に着くと、やんだ。

12:20、昼食はホテルプラザ。オプションでタコ飯を頼んでいなかったので、近くの姫路駅まで行く。本当は、神戸牛を食べたく、昨日から添乗員に調べてもらっていたけど、無いようだった。姫路駅のどんぶりキッチン姫路南口で、マグロづくし丼を食べる。
ホテルプラザに戻る。また、雨が降り出す。13:10、発車。

13:25、世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市・播磨国飾東郡姫路にある城。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城"しらさぎじょう"、"はくろじょう"とも呼ばれる、日本における近世城郭の代表的な遺構である。築城以来廃城や戦火の危機を免れてきたことから天守をはじめ多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物、内訳は櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産・文化遺産に登録される。三大国宝城の一つに数えられ、築城以来の姿をよく残していることもあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。白壁の美しい城であり、時代劇をはじめとして映画などのロケが行われることも多い。しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている。南北朝期に赤松貞範が姫山に築いたのがはじめといわれ、戦国期には赤松氏の重臣小寺氏の居城で一族の黒田氏が守っていた。1580年城主黒田孝高が羽柴・豊臣秀吉にゆずり、秀吉は姫路在城4年たらずの間に三重の天守閣をつくった。以後、秀吉の親族が城主となっていたが、1600年徳川家康は関ヶ原の戦の功績により池田輝政を城主とし、大坂城の豊臣氏や西国の大大名にそなえた。輝政は、入城と同時に大規模な拡張工事に着手、秀吉時代の天守の位置に大天守、西・乾・東の各小天守、および櫓・渡櫓・櫓門の天守群を築き、1609年に完成した。天守閣は高さ33mで外観5重、内部6階、地下1階、完成当時は江戸城につぐ大城郭だった。建物はすべて白漆喰塗、瓦の重なり部分にも白漆喰がつかわれて、その美しさは白鷺城の名にふさわしい。家康死後の1617年には、池田氏にかわって本多忠政が城主となり、忠政の時代には西の丸が整備され、忠政の子忠刻とその妻千姫の居館とした。以後、城主は奥平氏、榊原氏、結城氏、酒井氏と、しばしば交替して明治維新にいたったが、さいわい戦火や落雷の被害もなく、天守閣はじめ櫓、門など多くの建物がのこされた。日本の城郭建築の最盛期につくられた優秀なもので、建物は大小天守4棟と渡櫓4棟が国宝、その他多くが重要文化財。また1993年、世界遺産にも指定された)に。
小雨の中の見学。観光バスの駐車場から、バスガイドに連れられて、横断歩道を渡る。遠くには天守閣が見える。横断歩道向かいに、いの屋敷、ろの屋敷、はの屋敷というお土産屋が並ぶ。
本当は姫路城で団体写真を撮るはずだったけど、今日は団体写真は雨の為に中止。
正門から入る。入場券を添乗員から受け取り、パンフレットをバスガイドから受け取る。
菱の門(櫓門と呼ばれる型式の二の丸の入口を固めた門で、両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いた。門全体に安土桃山時代の様式を残しており、城内で最も大きな門)から入る。
西の丸(天守閣の西面が際立って見える庭園で、南門跡近くには出陣する武者を集め、隊を編成した武者だまりがある)周りで見学してゆく。靴をスリッパに履き替えて、靴をビニール袋に入れて、それを持って、西の丸長局・百間廊下(千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられている)に。長い廊下を歩いてゆく。築城史上最高傑作の石落としがある。攻め手が石垣に登ったりする時に、石を落としたり、熱湯をあびせたりするそうだ。まさか、階段あるとは思っていないので、意表をついた階段を上がる。廊下があり、また階段。どこまで続くのか、長い廊下。一つ一つ部屋があったりするので、迷路のよう。また、石落としがある。そして、化粧櫓(西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいた)。奥には、千姫の蝋人形があり、本当みたいな感じに。
スリッパか靴に履き替えて、外に出る。階段を下り、はの門に。二の丸(ここには菱の門をはじめ多くの門や櫓が配置され、相手が侵入しにくいように造られている。また、侵入してきた相手を狭い通路や、小さく区画された部分に追い込み、味方が戦いやすいようになっている)から、にの門に。油壁ほの門から姥が石(秀吉築城のとき、貧しい老婆が石うすを寄附した。この噂が町中に広まって、多くの石が集まり、城の石垣が完成したと伝えられている)を見て、迷いつつ、井郭櫓(「ち」の門から備前門に通じる天守の東側に搦手口を援護するように置かれた井郭櫓。この櫓の内部は東室、西室、北室の三室があり、西室の中央部に井戸を備え、井枠を囲んで流しの設備を作り、井戸の深さは16m、水深1mで、つるべを釣っている)、棟門(2つの柱の上に冠木を置き、腕木によって軒桁を支え、切妻の屋根を置いたもので、戸は両開戸と片開戸とがある)を見ながら、備前丸(本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた所。客と会見する対面所などがありましたが、明治15年の火災で焼失してしまった)に。天守閣の写真を撮ろうと、天守閣から見晴らしの良い場所に移動すると、台湾人の男の人(1人)が話しかけてきた。ゼスチェーで天守閣をバックに写真を撮ってくれと言っているらしい。デジカメを受け取り、写真を撮ってあげようとする。ところが、天守閣全体を撮ろうとすると、男の人の顔しか入らない。で、男の人に、ゼスチャーでバックして欲しいと動作すると、男の人は理解してくれて、後ろに下がる。そして、「撮りまーす」と日本語で言って写真を撮ってあげた。良い思い出になっただろうか…
いよいよ、大天守(天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽一対の大鯱瓦を飾っている。外観は千鳥破風・大千鳥破風・唐破風を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっている)に。靴を脱いでスリッパに履き替える。ビニール袋に靴を入れて移動する。1階、城と城主という展示物がある。2階へと梯子のような階段を上がる。鎧兜が見学。3階、4階へと上がる。5階で最後だと思ったら、6階へ。これが、最上階。さすがに、一気に登ったので息も上る。格子に「蜂にご注意ください」との張り紙。誰か刺されたのだろうか… 最上階は、長壁神社(長壁神社は、この天守の丘かにあった地主神で、築城の際、外に移されたのが、神の祟りがある城内に戻されたもの。宮本武蔵の妖怪退治の伝説も有名)。最上階から、階段を下ってゆく。あと、1時間ある。3階と4階の周囲には屋根裏があり、窓の位置が高いので石打ち棚を設けて物見や射撃用の足場とし、武者台とも言っているらしい。天守閣の心柱(天守閣は直径1m近い2本の柱で支えられている。東の心柱は昭和の大修理で地階部分だけ取り替えたが、築城当時のまま残っている)があった。登っている時には、気づかなかった。2階だったか、外を見ながら写生している集団に遭遇。
天守閣を出て、備前丸に行こうとする妻と別れて、少し違う道(水三門)に行く俺。そのお陰で、少し迷い、やっぱり、備前丸に戻り、妻と携帯で話しながら、落ち合う。妻の方が後ろにいると思ったら、先に進んでいた。
帯の櫓(この櫓の石垣は城内で一番高く、その高さは垂直方向に約23mあり、その石垣の上に、物見櫓と数寄屋風建物を続けて一つにまとめられて造られている。櫓の内部には、湯気抜きの簀子などがあるので、茶の席に使われたのではないかと言われている)から、切腹丸(構造が切腹の場、検視役の席、首洗いの井戸に見えるところから、切腹丸と呼ばれる。ここは、帯郭櫓と言い、搦手を守る大切な場所)に行こうとすると、妻は待っている事に。俺一人で見に行き、デジカメだけ撮って帰ってくる。
大鼓櫓、りの門から、お菊井戸(播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたと言われる井戸で、もとは釣瓶取井戸と呼ばれていた)に。お菊が出るんじゃないかと思ったけど…
ぬの門から扇の勾配(石垣が上にいくほど反り上がるような石垣になっていることで、石垣が開いた扇の曲線に似ていることから、この名が付いた。敵に石垣をよじ登らせないための工夫といわれている)に。二の丸から、いの門、菱の門と戻ってきた。
そして、駐車場に戻りながら、はの屋敷でソフトクリームを買って食べる。15:15に出発。

バスは、有馬温泉(兵庫県神戸市北区にある温泉。日本三古湯の一つ。林羅山の日本三名泉、また枕草子の三名泉にも数えられる。全国有数の名湯。瀬戸内海国立公園の区域に隣接する。有馬は、日本最古の温泉。最古、すなわち人間がまだ土を掘る技術を持たない時代より大地の恵みを蓄え湧き出ていた自然の温泉であるということ。技術の発達した現在でも、浅い場所300mまでからの採湯とし自然の恵み・温泉の有効成分を十分に蓄えた風呂をご提供。環境省の指針により療養泉として指定している9つの主成分《単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉》のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つもの成分が含まれており、世界的にも珍しい多くの成分が混合した温泉)に向かう。いつの間にかに寝てしまう。宿泊先の有馬ビューホテル(太閤秀吉が入られた金泉蒸し風呂や源泉100%かけ流しの金泉岩風呂を、411年ぶりに復元。リフレッシュ効果抜群の天然ラジウム銀泉蒸し風呂、韓国伝来の黄土サウナ、ラジウムたっぷりの源泉をそのまま加水せず使用した銀泉岩清水など、全部あわせて17種類のさまざまな温浴施設を楽しめる「有馬温泉太閤の湯」。まさに温泉テーマパーク)が近づいてきた頃、添乗員が宿泊先の施設案内の紙を配り始めたので、目が覚めた。
部屋は6階の和室。エレベーターが混んでいたので、階段で重い荷物を持って上がる。
16:30頃、部屋で落ち着く。
18:30、4階の四季で夕飯。和食。肉に刺身が美味しくご飯4杯食べてしまう。
そして、満腹感を癒すために、すこし部屋で休み、有馬温泉太閤の湯に行く。有馬ビューホテルからは、2階から行ける。普通で入ると2400円だけど、宿泊だと無料のようだ。お履き物を専用ロッカーに預け、湯屋番(フロント)で、タオルを受け取る。そして、男女別れて風呂場に。まず、天下の湯(当館自慢の「金泉」に六甲山系より湧き出る放射能泉「銀泉」をブレンド。日本屈指の強塩泉と放射能泉の効果で相まっている)に入り、銀泉くつろぎの湯を半身浴、全身浴と入る。そして、露天風呂に行く為に、3階まで上がる。雨が降っている露天風呂に。瓢箪露天風呂(太閤秀吉の馬印は誰もが知る瓢箪。その瓢箪にちなんだ形の岩風呂に、無病息災を願って六瓢箪から、肌触りが良く新陳代謝を促進する働きのある銀泉を、たっぷり注ぎ込んでいる)から、五右衛門釜風呂(少し熱めの五右衛門風呂。ゲルマニウム効果で体内の毒素や老廃物を排出。各器官の働きを活性化し、免疫力・自然治癒力を高める効用がある)、太閤の岩風呂(阪神淡路大震災をきっかけに見つかった湯山御殿。出土された岩風呂を5世紀ぶりに復元。貴重な金泉を源泉かけ流しでたっぷり楽しめる。効能成分が濃すぎますので、湯あたりにはご注意)と入っていった。食べ過ぎたかもと思って体重を量ったら、いつもより1.5キロ太っていた。

9月8日(金)
4:40頃、起きて、ホテルの周りを3周(約5.89キロ)した。雨も上がり、走りやすかった。天気は曇り。
太閤の湯は、朝はやっていないので、ホテルの大浴場に入る。
朝食は、夜とは違い2階の会場でバイキング料理。今日は1杯だけにご飯はしておいた。
部屋に戻る時、外を見ると、晴れてきた。晴天。
今日の席は出入り口側の5列目。バスは8:30出発。今日は晴れで気温も高くなりそう。六甲山の裾をバスは走り、ヤフーBB、神戸淡路鳴門道路、舞子トンネルと走ってゆく。

トンネルを抜けると、明石海峡に架かる明石海峡大橋(明石海峡大橋は兵庫県淡路市と兵庫県神戸市垂水区とを結ぶ明石海峡を縦断して架けられた吊り橋。全長3911m、中央支間1991mで世界最長の吊り橋。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、東京タワーの332.6m、エッフェル塔の324mや横浜ランドマークタワーの295.8mに匹敵する。1998年《平成10年》4月5日に供用が開始された。建設費は約5000億円。明石海峡大橋建設当初は全長3910m、中央支間1990mであったが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で1m伸びた。当初、中央径間長1780mの道路・鉄道併用橋とする計画もあったが、その後、建設コストの問題から、1985年8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。公募により愛称がパールブリッジと定められたが、地元でもこの名前で呼ぶ人は少なく、管理者である本州四国連絡高速道路さえも使っていない。省略して明石大橋と呼ばれることもあり、高速道路上の案内標識等でも同略称が使われていることがあるが《第二神明道路下り線等》、明石大橋は明石市の明石川を国道2号が渡る橋として既に存在する。淡路島内のみならず、本州と四国を結ぶ3本の本四架橋ルートの1つ、神戸淡路鳴門自動車道として供用されており、四国と関西、更には本州の各大都市間を結ぶ交通の要になっている。交通量も本四架橋の橋の中では最も多い。設計速度は100km/hだが、制限速度は通常時、最高80km/h・最低50km/h)。
青い海、青い空、白い橋にバスガイドが盛り上げてくれて、感激する。明石海峡大橋を渡ると、そこは淡路島(大阪湾、播磨灘、紀伊水道の海域に囲まれ、南北に約40km、東西に約20kmで面積は瀬戸内海最大の592.17平方km。本州など4島を除き、面積7位の島。北端は松帆崎で明石海峡に、南東端は生石鼻で紀淡海峡に面する。人口も、日本では沖縄島についで2位の約16万人を誇る)である。

9:05、淡路ハイウェイオワシスに到着する。まずは、展望台から、明石海峡大橋を撮る。他の観光客の男性から俺と妻のデジカメを撮ってもらった。そしたら、俺達を撮った人は他の観光客からも「カメラマンさん、こっちも撮ってください」と言われていた。大阪の市街地、神戸市街、ポートアイランド、六甲アイランド、鉢伏山、六甲山系、垂水、明石天文科学館等が、天気も良いので見えた。
オワシス館(一年中華と緑があふれる大きなアトリウムがある。淡路島随一の品揃えを誇る物産店)に行き、淡路の地図や今日行く観光地のパンフレットをゲットする。
お土産屋で、タマネギラーメン(840円)、淡路島のカレー甘口(315円×2人分)、タマネギセンベイ(525円×2人分)を買う。
淡路ハイウェイオワシスに向かう時にバスガイドは何かの話の続きで、誕生日の事でお客さんに質問していた。「9月の誕生日の人はいますか?」と。その時、妻も手を挙げて「3日です」と言っていたのだけど、それを覚えていた添乗員はバスが発車する前に「私、4日なんです(妻と一日違い)」と妻に言っていた。9月生まれは参加者43人中3人もいて、9日、10日と日にちも近かった。しかも、バスガイドも10日だったというオチがついた。
9:35出発。

9:55、あわじ花さじき(淡路島北部丘陵地域の頂上部、標高298m〜235mで海に向かってなだらかに広がる高原。南北500m、東西300m、面積約15ha。明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、季節により移り変わる愛らしい花々が夢の世界に誘う)に到着する。
駐車場から出ると、農産物直売店があり、淡路島産の玉葱が売られていた。
早速、見学する。日が照っているけど、風もあり涼しく感じる。ブルーサルビアが咲いていた。ふれあい広場、希望の丘に沿ってグルリと周って、展望デッキに。遠くまで見渡せて、綺麗に花が咲いて、心が洗われる。デッキから下を見ると、のじき国体のマスコットの不死鳥・ハバタンが花でかたどっていた。
農産物直売店で玉葱を買おうとしたら、妻に笑われて、買わない事にした。バスガイドはビニール袋2つ分も買っていたのに。家の人に「絶対買って来い」と言われたらしい。
その代わり、ソウトクリームを買う事に。妻はバニラで、俺はゆずにした。暑くて、バスに戻る時にボロボロと溶けてしまった。9:35、出発。

本来だと、このまま先に進んで、いざなぎ神宮から神戸淡路鳴門自動車道を使わずに下の道を行き、慶野松原プロポーズ街道(瀬戸内海国立公園に位置する広大な松原には、樹齢数百年をはじめとする数万本の松が林立している。日本の渚百選、日本の水浴場88選、日本の夕日百選にも選ばれている瀬戸内海随一といわれる白砂青松の海岸。それに沿ったプロムナード「プロポーズ街道」には、カップルが愛のことばや2人の名前を刻んだハート型の瓦が展示され変わら《瓦》ぬ愛を記念として残している。また、俳句や短歌を瓦に刻んだ「万葉の甍道」もあり、のんびりと散策するには最適のコース)を行くはずだったけど、あわじ花さじきからの先の道が工事中で行けないらしい。それで、戻った分、時間ロスで、船の時間に間に合わなくなるので、慶野松原プロポーズ街道は省略された。どっちみち、行ったとしても、プロポーズ街道は遊歩道で遠くからの見学になったようだ。

バスは来た道を戻る。淡路島は「花とミルクとオレンジの島」のキャッチフレーズらしく、玉葱は無いらしい。それでも、北海道につぐ、2番目の玉葱の生産量らしい。

一宮インターを降りて、いざなぎ神宮(イザナキ、イザナミの二神を祭る大社。古事記・日本書紀によると、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾の大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初に生みになった淡路島の多賀の地に「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されている。境内地は約1万5千坪。天然記念物の夫婦大楠など照葉樹林に覆われ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社)に。
駐車場から、伊弉諾神宮参道を歩く。池に架かったポッコリとした小さな橋を渡り、神宮に。
ちょうど、皇後親王殿下誕生の記帳をやっていたので、記念に記帳する。
そして、妻と一緒に参拝する。
隣りの方では、夫婦大楠(伊弉諾神宮の御祭神は伊弉諾大神で夫婦の正道の掟を定められた皇祖の大神様。元は2本の楠が、いつしか根を合わさって一株に成長したもので、御神霊が宿り給う御神木と信仰されており、淡路の古地誌にも「連理の楠」記されている。岩楠神社には蛭子大神を祀り、夫婦円満、良縁縁結、子授け、子育ての霊験あらたかと崇敬されている。伊弉諾神宮の夫婦楠は根周り12.4m、幹囲8m、幹は地上2.25mで二つの支幹に分かれ、それぞれ幹囲は5.35m、3.75m)があるというので、見学に行った。
バスに戻ると、俺達の席が無い。妻が座席の前から数えるけど5列目には夫婦が座っている。おかしいと思ったら、その夫婦が間違えて座ったらしい。しかも、妻の爽健美茶を奥さんが飲んでしまったらしい。奥さん、飲んだお茶のお金を150円払おうとしたけど「いいですよ」と断った。11:15、出発。

バスは、鳴門海峡(兵庫県南あわじ市の淡路島と四国・徳島県鳴門市の間の海峡。 播磨灘と紀伊水道を結ぶ。鳴門海峡は満潮と干潮の時に、大きな渦潮が発生するので有名。これは、海峡を挟む瀬戸内海と紀伊水道の間に干満の差が発生するから。この渦潮を見るために、多くの観光船が運航されている。この海峡部に大鳴門橋が架けられている)に架かる大鳴門橋(兵庫県南あわじ市福良丙・淡路島門崎と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦・四国孫崎間の鳴門海峡両端を結ぶ吊り橋。1985年6月8日に開通。橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側2車線の道路、下部は将来的に鉄道・四国新幹線を通すことが出来る構造となっているが、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので、神戸からの鉄道が大鳴門橋に通じる可能性はなくなってしまった。なお、紀淡海峡に鉄道を通し、和歌山から鳴門に至る鉄道について、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられているものの、徳島県では開通時期の目処が立たない鉄道に見切りをつけ、橋の鉄道空間に徳島県立渦の道を建設。鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている)を渡り、12:00頃、亀浦観光港に。

鳴門観光汽船 (鳴門のうず潮見物の遊覧船、観潮船。うず潮は船に乗って間近に行くことではじめてその自然の迫力、雄大さを見ることができ 又、体感できる。うず潮の真上まで進む大型観潮船『わんだーなると』《定員400名》と、水の中の様子もご覧になれる小型水中観潮船『アクアエディ』《定員42名》どちらも亀浦観光港より発着している)に乗る事になる。うず潮クルーズに乗る。ちょうど、南流の最強時が12:20で、船の出航時間と一緒。
鳴門海峡に渦が起きる原因に海水の流れがある。地球は月や太陽の引力の影響を受けて、海水が満ちたり引いたりしている。また地球が自転をしているため、1日の満ち潮、引き潮が交互に約6時間周期で起こる。太平洋から紀伊水道へと入ってきた満ち潮の高い海水面は、鳴門海峡が非常に狭い為に通過できず、大阪湾、明石海峡へと回る。そして、愛媛県側の豊予海峡から瀬戸内海に入ってきた満ち潮と合流し播磨灘へ到達するには約5時間かかる。そして満ち潮が播磨灘に来る頃には、太平洋側が引き潮になっていて、海峡部分で水位(最大1.5m)が生じ、海面の高い満潮時から低い干潮側へ激しい勢いで水が流れ込み(これが渦潮を作る原因)、中央部を流れる速い流れと、その両側の遅い流れと速度差が渦を発生させる。
阿波うず潮ビール(350円)と刺身てんぷらを買う。ところが、クルーズを待つ間に、ビールを飲んでしまった。本当はうず潮を見ながら飲むはずだったけど…
12:15頃、『わんだーなると』の船に乗り込む。追加で1000円×2人分払って一等客室の二階席に行く。追加料金を払った人は俺達夫婦含めて3組しかおらず、ほとんど、貸切り状態。船はすぐに大鳴門橋下に。どこらかしこも渦潮だらけ。右手にデジカメ、左手に携帯を持って、撮りながら興奮状態。「あっち、あっち、こっち、こっち」と言いながら、一番渦が回っている瞬間を狙いながら撮っていった。二つ三つが一緒に渦巻いている所まで、撮れてしまう。一番、良い時間帯だったようだ。クルージングは「あっ」という間に終ったけど、貸し切り状態で思う存分、楽しんだ。亀浦観光港に到着。

12:55、バスに乗り、昼食会場に。バスは昼食会場までは行けないので、どこかの駐車場に停めて、45人乗りの「うず乃家」と書かれたマスクロバスに乗り換える。補助席を使って、全員が座れた。
13:00、鳴門公園(うず潮と大鳴門橋のビューポイント。周辺には観潮船乗り場や大鳴門橋架橋記念館エディ、渦の道、公園を一望するエスカヒル鳴門、大塚国際美術館などの観光スポットが集まる)に到着。まずは、大鳴門橋をバックに団体写真を撮影する。
その後、係員の鳴門公園の説明。いくぶん、渦潮も無くなった印象。船の行った後みたいになっている。
昼食は「うず乃家」でワカメうどん。ワカメのフリカケをかけてご飯を食べる。芋のテンプラなど、完食。

14:30まで自由時間なので、歩いて、渦の道(渦の道は、大鳴門橋橋桁空間に設置された遊歩道。450m先の展望室までの海上散歩を楽しめる。先端の展望室は太平洋側、瀬戸内海側ともに眺望できるガラス張り。また、床下にも眺望ガラス床がはめこまれ、世界三大潮流の一つに数えられる鳴門の渦潮を、約45mの高さからガラス越しにのぞくことができる)に。カンカン照りで、かなり暑かった。橋の中に入るとホッとする。500円×2人分を払い入場券を買う。入場券を改札機に入れて入場。遊歩道を歩いてゆく。最初は遊歩道が揺れるので、恐い。展望室まで途中4ヶ所、休憩所がある。足元に、眺望ガラス床がはみ込まれている。子供も恐がって歩かないのが、おかしい。「展望室まで○○m」と表示があるので、歩く気分は楽になる。展望室のガラス窓から、渦潮が見えるが、船から見た時よりは、渦巻きも凄くない。それでも、渦潮は見えるので、来た甲斐はあった。
そして、鳴門公園に戻るが、まだ時間があったので、お土産屋で時間を潰す。「なるとのうず塩」があったので、面白いので買ってしまった。
14:30頃、マイクロバスに乗る時に、お土産をもらう。アンケートを書くモニターという事で、このツアーは申し込んであるので、その謝礼らしい。「すだちの香ケーキ」と「塩わかめ」。

マイクロバスは、駐車場に戻り、観光バスに乗り換えて、バスはホテルに。鳴門大橋から、渦潮を見ようとしたが、もう完全に消えていた。時刻は15時近いから仕方が無い。バスは、淡路島・南淡温泉に向かう。15:00過ぎに、南淡路ロイヤルホテルに到着。
かなり、ゆっくり出来る。
部屋は洋室。ホテルのインフォメーションのファイルにシールがあり、よく考えていると思うのだが、スリッパに、シール(部屋番号と名前を書くようになっている)をスリップのカカト部分に貼るようになっている。これなら、自分のスリッパを誰に履かれる心配は無い。
コインランドリがあるので、まずは、着替えを洗濯する。地下1階の大浴場の男湯・女湯一つ一つに、各2つ設置されていた。
露天温泉岩風呂・大浴場(明石海峡大橋が開通したことにより、本州から淡路島へのアクセスはたいへん便利になった。鳴門海峡からほど近い南淡路ロイヤルホテルは、観光スポットの豊富な淡路島のレジャーの拠点として人気を集めている。ホテル内にある「南淡温泉」は、夏目漱石の小説『坊っちゃん』で有名な道後温泉に近い効能があるとされ、開放的で気持ちの良い露天温泉岩風呂がある。1月に薬王寺の境内で力自慢たちが巨大な鏡餅を抱えて競い合う「大鏡もち」や、1月〜3月に灘の水仙郷・黒岩で開かれる「水仙まつり」、4〜5月勇壮な「だんじりまつり」など南淡町では様々なイベントが催されている。お風呂の種類は温泉大浴場・露天温泉岩風呂・サウナ、名称は南淡温泉、泉質はナトリウム・カルシウム塩化物低温泉、効能は神経痛・筋肉痛・関節痛・打ち身・火傷・慢性消化器病)に入る。
夕食は18:30。部屋を出たのは良いが、添乗員が配ってくれた宿泊施設のご案内の紙を部屋に忘れてしまったので、食事会場がわからない、フロントに行き聞くと、地下1階らしい。地下1階に行くと、添乗員が顔を出してくれたので、迷いながらもすぐ分かった。料理は和食会席。妻の鍋の火が付かなかったけど、付いてもすぐに消えたり… 中々、美味しかった。一番最後に食事会場に来た真向かいの夫婦が筑波マラソンのTシャツを着ていたので、他のお客さんの食事が終った頃、妻が「筑波マラソンのTシャツを着ていますね」と話しかける。それから、マラソンの話しで盛り上がる。旦那さんがマラソンをしていて、その旦那さんも東京マラソンを申し込んだらしい。隣りの部屋からタイコが響き渡っていたのだけど、話が盛り上がっていると、マイクがこっちまで放送されて、二次会のカラオケの誘いをやっていた。係員が、放送を急いで止めたんだけど、その旦那さん「うちらも誘っているのか。5、6人割り込んでいっても分からないんじゃないか」と言っていた。陽気な旦那さんだった。
食事後も風呂に行く。

9月9日(土)
5:00に起きて、すぐに5:14から走り始める。少し蒸し暑い。7キロぐらい走って、部屋に戻り、風呂に行く。
朝食は1階の「四季」か「暢叙園」か、どちらでも(同じメニューのバイキング料理)選べるけど、「四季」に行くと、台湾人などで混んでいたので、「暢叙園」に行く。こっちも混んでいたけど、幾分、空いていた。料理を食べていると、台湾人たちがいつの間にかに、いなくなり、俺達二人しか行かなくなってしまった。窓から、バスに乗り込む台湾人達を見ながら、オレンジジュースを飲む。後で、添乗員が言うには、7:30集合でバスは11台停まっていたようだ。
ご飯を食べている時は、外は晴れていたのに、部屋に戻ると、急にスコールのような雨。雲の動きが激しいので、天気が心配。
今日の席は運転席側の12列目。一番後ろ。出入り口側も空いていたので、妻はそこに座る。今日はゆっくり出来そうだ。8:15出発。風速12mの中、バスは揺れながら走る。鳴門大橋(渦潮が目を楽しませてくれる鳴門海峡。そこにかかる橋鳴門大橋昭和60年6月に開通。橋長1629m。橋の下には渦の道と言う遊歩道があり雄大な渦潮が眼下に望める。一部にガラス張りのところがありその上に立つのは結構勇気がいる)から渦潮が少しだけ見える。
バスの中で寝ていると徳島県。ホテルから出て1時間ぐらい走っていたようだ。坂出市着いた頃には完全に晴れてきていた。暑くなりそう。

そして、瀬戸大橋(瀬戸内海を跨いで本州・岡山県倉敷市と四国・香川県坂出市を結ぶ長大橋である。本州四国連絡橋のひとつで、1988年4月10日供用開始。櫃石島・岩黒島・羽佐島・与島・三つ子島の5つの島の間に架かる下津井瀬戸大橋、櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、北備讃瀬戸大橋、南備讃瀬戸大橋という6つの橋梁とそれらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368m、高架部を含めると13.1kmの延長を持つ。これは鉄道・道路併用橋としては世界最長。また、工事の際に使用された「海底無線発破」の導入は世界初。種類は、吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。総事業費は、1兆1338億円。橋のライトアップは、事前に決められた日にしか行われない。これは、開通当初にライトアップの光により、「明るすぎて眠れない」「漁業に影響が出る」等の「光」害を受け、周辺の住民に配慮したもの)を渡る。バスガイド、一生懸命に、いつものゆっくり口調ではなく、ペラペラと喋りだす。全部、話そうと頑張っていた。「私が二人いれば…」と興奮状態なのが笑えた。バスは岡山県に。

10:10、倉敷(中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する市。中心部は、倉敷川沿いには白壁の町並みと大原美術館が立ち並び、「美観地区」として有名。倉敷美観地区は岡山県倉敷市にある美観地区。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代の天領の名残りをあちこちにとどめた、風情あふれる白壁の町。その中心である倉敷川畔には、商人の町家や白壁の土蔵が立ち並び、柳並木が川面に揺れている。小さな路地裏でも当時の建物が修復・再生され、ギャラリーや喫茶店、土産物店などの個性的な店舗として利用されている)に到着。
約3時間のゆっくり倉敷自由散策。観光バス駐車場にバスをとめて、ガイドか大原美術館に連れてってくれるようだ。それにしても、かなり暑い。30度ぐらいだろうか…
今橋のところで、国重文大原邸(倉敷紡績社長で大原美術館の創設者、大原孫三郎とその息子の総一郎の生家。屋敷は1795年に建てられたもので、2,000平方メートルの敷地内に、母屋、表座敷、土蔵など10棟があり、国の重要文化財に指定。残念ながら内部は非公開。塀づたいにぐるりと歩いて、蔵屋敷特有の倉敷窓、倉敷格子、なまこ壁などを眺めるだけでもおもしろい)、黄緑色に輝く屋根瓦が美しい有隣荘(昭和の初め、大原孫三郎が建てた別邸で、光の加減によって屋根瓦が黄緑色にキラキラと輝くため「緑御殿」とも呼ばれている。だいだい色の外壁とあいまって、美観地区のなかでひときわ特異な雰囲気をかもし出している。旧大原邸と同様、非公開。外観だけでも一見の価値あり)を紹介するバスガイド。バスガイドの話しを聞こうとしていると、有料のガイドが俺達に寄ってきて、30分1500円でガイドをと誘ってきた。ちょっと、心が揺れ動いたけど、バスガイドが「無料のボランティアもいますよ」と言っていたので、無視して大原美術館に。
大原美術館(1930年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、ギリシャ神殿風の本館の中には世界画壇の巨匠作品が多数展示されている。ツタにおおわれた石垣、門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれる。隣接して、分館、工芸・東洋館があり、日本有数の西洋美術館として、古今東西の貴重な美術品が数多く展示されている。エル・グレコの「受胎告知」、モネの「睡蓮」など世界的名画が、間近で鑑賞できるとあって、多くの美術ファンが訪れている)に。入り口で、セット券(本館・分館・工芸東洋館・児島虎次郎記念館)を買う。大原美術館では今、「インパクト 東と西の近現代 -もう一つの大原美術館」展をやっていた。本館から見学してゆく。エル・グレコの「受胎告知」(聖母マリアが、天使ガブリエルからキリストの受胎を告げられる場面が描かれている。天使が左手に持つのは、マリアの純潔を象徴する白百合の花。中央に舞い降りているのは、聖霊の象徴の鳩)は椅子に座ってじっくり見る事が出来る。今回は40点ほどの作品が東京の国立近代美術館へ貸し出し中ということで見られなかった。東京に行けば見れるけど、何か残念。ルノアール「泉による女」、モディリアーニ「ジャンヌ・エピュテルヌの肖像」が印象に残った。
大原美術館分館前でモニュメントをデジカメ撮影して、中に入る。興味があったのは、地下の奥にあった小谷元彦の「ロンパーム」のデジタルビデオ。ついつい見ていたくなる。眉のあたりが尖った女の子の横では、木から汁が滴り不思議なビデオだった。
大原美術館分館を出ると、妻が「となりのトロロ」の店で、トロロと一緒に写真を撮りたいと言うので、撮ってあげた。
少し歩いて、倉敷考古館(江戸時代の米倉を利用して、1950年に開館した考古学資料を展示した博物館。岡山県一帯から出土した、旧石器時代から弥生時代、古墳時代などの貴重な発掘物が年代順に展示。また、古い時代に栄えた吉備地方について知るための資料を年代順に見る事ができる。その他古代南米ペルーの土器なども収集されている。民家を利用した第二号の建築物)の外観をデジカメを撮って、入館料無料に釣られて加計美術館に入り見学する。うまいのか、下手なのかよくわからない。しかし、見た目は2階建て蔵屋敷なのに、中5階まである。階段を登っても登って、終らなかったのが面白かった。
書状集箱(明治4年、郵便事業創業当時使用していたものと同じ型。この周辺が伝統的建造物群保存地区である為、その景観に合わせて設置したものらしい)をデジカメで撮って、倉敷民芸館(「日常の暮らしを美しく」をモットーに、世界中の生活用具を収集、展示している珍しい博物館。江戸時代の倉敷の代表的な米倉を改装し、白壁に貼り瓦が美しいコントラストを描いており、また内装もその情緒を残して利用している。館内には約600点の民芸品、生活品が展示されており、所蔵品であれば約10,000点。そのコレクションはかなりの見応えがある。1950年に来館したイギリスの詩人エドマンド・ブランデンが、ここの2階から眺めた景色に感動して「瞥見」という詩を残したという逸話も残っている。東京の日本民藝館についで建築されたという歴史を持っている。倉敷における古民家利用の第一号であり、伝統的建造物保存のきっかけとなった) のデジカメ撮影する。
日本郷土玩具館(古い米倉を利用して、全国各地だけでなく世界各国の郷土玩具を収集しているユニークな「おもちゃの博物館」。素朴な建物の中には、古今東西の面白いおもちゃが所狭しと展示されている。四季折々の風情が楽しめるガラス張りのテラスギャラリーも設けられ、個展などが開催されている。昔ながらの郷土玩具など約一万点が常時陳列されている)の中に入る。玩具のお土産屋って感じ。奥には、いがらし健二の作品展があった。
一緒に行っていた妻がいなくなる。日本郷土玩具館を出たまでは、一緒にいたと思ったのに… 携帯を何度も鳴らしてもつながらないので、探すことに。創作和紙工房「紙遊舎」を探すけどいない。太田隆司氏の紙技博物館(TV番組"テレビチャンピオン"でペーパークラフト王チャンピオンに輝いた太田隆司氏の作品10点を無料公開。昔ながらの紙風船、手すきの和紙、扇子、ランプ等、様々な紙細工を販売するコーナー)に行ったら、そこから出てきた。妻は次の店に入ろうとしたので、俺は紙技博物館に入る。けっこう、着眼点も良く、立体的で精巧に作られており見ていて楽しく面白かった。
城たいが ポエムハウス・ギャラリー(作家・城たいがの詩画書ギャラリー。波乱に満ちた半生を送られた城氏のつづるポエム作品を展示公開する癒しの空間。併設したポエムハウスでは、氏の著書"幸福入門"他2作、幸福入門(英訳付)を初め、はがきや色紙の販売、氏の詩画書のラベルを使った焼酎の販売を行っている)を見学。
倉敷アイビースクウェア(明治時代に建てられた赤れんがの紡績工場を利用したホテル。ヨーロッパ風の雰囲気溢れるレトロな外観は観光スポット。蔦と赤れんがのコントラストが美しい中央の広場では、天気の良い日にはゆっくりと休息する観光客やカップルの姿もある。ホテルのほかに館内には「児島虎次郎記念館」や「愛美工房」、オルゴール館など、見応えのある施設があり、宿泊客は、それぞれの館内施設割引入場券をフロントにて手に入れることが出来る) に入り、児島虎次郎記念館(1972年〜1981年にかけて、旧・倉敷紡績工場跡の倉庫を改装。大原美術館の分室として会館。児島虎次郎の作品や彼が収集したオリエント古美術品などを展示)に入る。児島室という表札の所から入場するのもおかしい。暑いので涼んだ感じ。併設のオリエント室も見学した。
レストラン「アイビー」に行くけど、正直、あまりパッとしなかった。うどんの庄かな泉(手入れの行き届いた庭をながめながら、ゆったりと食事が楽しめる)で昼食する事に。店の中に入ると、けっこう、同じツアー人達が多かった。入り口で、お勘定すませた観光客から店員に俺達の事を「同じツアー客だから、美味しいのを食べさせてあげて」と。店内は混んでいたので座敷に連れて行かれた。てんぷら定食を注文。ところが、てんぷら定食はきたんだけど、お箸が無かったり、他のお客さんにはお絞りは出でいるのに、お絞りは出ていなかったりと、最悪。何度も何度も店員を呼び出す事になった。
まだ、時間があったので、いがらしゆみこ美術館(漫画『キャンディ・キャンディ』で有名な、いがらしゆみこの個人美術館。漫画の世界そのままに、キュートな外観と夢いっぱいの展示品がある。漫画『くらしき物語』の主人公はちまんの「はかま体験」もある) に行く。妻はすぐにキャンディキャンディーの店だと気づいた。正直、俺、知らなかったんだけど… 入場料600円×2人分払う。店員から「若い人はキャンディキャンディーを知らない人がいるんですよね」と妻と盛り上がって話していた。写真も大丈夫らしく、デジカメで写しながら見学する。2階はいがらしゆみこギャラリーで、美しい原画が入れ替わりで展示されている。原画でしか味わえない感動がある。屋上は屋上テラスになっている。ここで写真を撮ると恋が芽生える幸せポイントらしい。すでに芽生えている人は永遠の愛が約束されると言われているらしい。何と、結婚式もあげられるらしい。妻もだいぶ、喜んでいた。
時間もあと、15分になったので、駐車場に戻る。13:00出発。

14:00、尾道(広島県南東部、山陽地方のほぼ中央部に位置する港町。今年初めに因島市と豊田郡瀬戸田町を編入合併し、15万都市となった。岡山市と広島市の丁度中間に位置しており、この付近は両地域文化などの「緩衝地帯」となっている。対岸の向島との間はその狭さから尾道水道と呼ばれる瀬戸内海に面し、古くから海運によって栄え、かつては海産物の集散地として繁栄し、昭和40年代初頭までは広島県東部・備後地方で商業的にもっとも栄えた都市だった。しかしこの頃から工業都市化で急速に発展した東の福山市にトップの地位を明け渡したものの、現在も備後都市圏の中心都市の一つである。1999年5月のしまなみ海道の開通によって四国の今治市と結ばれ、「瀬戸内の十字路」として交通の要衝としての地位を上げつつある。現在建設中の高速道路中国横断自動車道・尾道松江線も開通すると、一層拠点性の向上が見込まれる。また映画作品の舞台として全国的に知名度が有り、小津安二郎監督の「東京物語」がこの町で撮影され、大林宣彦監督の尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は、若い世代の人たちにこの町を有名にした。監督は、更に「ふたり」「あした」「あの、夏の日」の新尾道三部作も撮っている。坂道の多い風景から、映画監督の中には似たような風景に出会うと、「○○の尾道」と評するほどの印象深い地域でもある。しかしその一方で映画館が現時点で1つも無いという大きな矛盾点もある。近年ではアニメ作品でも尾道を扱った例がある。他にも尾道は「文学の町」とも称され、林芙美子の旧宅がある他、志賀直哉、歌人の中村憲吉もこの町に住んだことがあり、尾道を題材に扱った作品が多く出版されており、またこれら文学人の句碑を千光寺山登山道に配置し、「文学のこみち」と称している。最近では、2005年の衆議院選挙において尾道市を含む広島6区から出馬した、ライブドア旧社長の堀江貴文の事務所が尾道市内にある事が全国的に話題に上り、また2006年5月まで一般公開されていた、向島の日立造船内に作られた映画『男たちの大和/YAMATO』撮影用の実物大の戦艦大和のセットが人気を集めていた。なおこのセットは解体後、その一部や小道具類が呉市海事歴史科学館・大和ミュージアムに展示される事となっている)の千光寺公園(山陽本線尾道駅に降り立って後ろを振り返れば、小高い山が眼に入る。これが標高136.9mの千光寺山。この山の山頂から中腹にかけて千光寺公園が広がっている。春はさくら名所100選の、つつじが咲き、初夏にはふじが紫とピンクの花をつける。秋には菊花大会が開催され、菊花薫る園内は一段と活気づく。また、園内には市立美術館や文学のこみちの他、遊園地の千光寺公園グリーンランドなどもあり、山頂の展望台からは、尾道市内が一望できるとともに、瀬戸内海の島々が眺められ、天気の良い日には四国連山をも遠望することが出来る)に。
バスは狭い坂道を上がり、駐車場にとめる。バスガイドに連れられて駐車場から坂を少し上ってゆく。カンカン照りで、汗ビッショリとなる。
展望台で添乗員から妻との写真を撮ってもらう。けっこう眺めが良い。橋は見れなかったけど… 横には、ロープウェイの頂上だった。以前、来た時は気が付かなかった。
文学のこみち(千光寺山山頂から続く約1kmの散策道。尾道ゆかりの林芙美子・志賀直哉・正岡子規などの作品の一節が刻まれた25の文学碑があり、散策中に見下ろす尾道市街地・尾道水道は絶景)を歩いてゆく。徳富蘇峯『海色山光信に美なるかな 更に懐う頼子の出群の才を 淋漓たる大筆精忠の気 維新の偉業を振起して来たる』、前田曙山『浜焼きをむしりつ、春惜しむ里』、正岡子規 『のどかさや 小山つづきに 塔二つ』、物外『あれは伊豫 こちらは備後 春の風』、十返舎一九 『日のかげは青海原を照らしつゝ 光る孔雀の尾の道の沖』、金田一京助『かげともの をのみちの やどの こよなきに たびのつかれを わすれて いこへり』、江見水陰 『覚えきれぬ 島々の名や夏がすみ 』と、デジカメで碑を撮りながら坂を下り、石で囲まれた狭い道。志賀 直哉 『六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山の間に一寸頭を見せている百貫島の灯台が光り出す。それはピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。』、林芙美子『海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提火のように、拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ、緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。』、緒方洪庵『大屋根は みな寺にして 風薫る』と、階段を下る。山口玄洞『明徳を明らかにす』。山口誓子『寒暁に鳴る指弾せしかの鐘か』、柳原百連『ちゝ母の 声かときこゆ 瀬戸海に み寺の鐘のなりひびくとき』の二つが連続技。
鏡岩(玉の岩や太陽、月の光を反射させていたと伝えられている)がかなり頭上にある。2000年に発見された。「鏡岩が存在する」という伝説があったらしいが、それまでは木がじゃまして見えなかったらしい。発見された後磨かれたので白く光っている。おそらく作られた当初はこのような状態だったのだろうか。
千光寺(806年の開基と伝えられ、「赤堂」と呼ばれる朱塗りの本堂、除夜の鐘で有名な「驚音楼」は、尾道のシンボル的な存在。ここからの景色は絶景で、巨岩「玉の岩」や奇岩「三重岩」もある)に。裏道から来た感じになって「ここはどこ?」とキョロキョロして、しかも、岩らしき上に玉が乗っている玉の石が乗っているのを見ていたら、妻がフラフラと参拝しようとしている。後で聞いたら、おばさんに「お金を入れてください」と、何か、強制的に参拝させられた感じ。お金を賽銭箱に入れると、おばさんは鐘を鳴らしてくれた。
展望台ではなく、海光台から、尾道の古寺十五ヶ寺が見えると書いた看板が出ていたけど、大きな橋が見えた。何の橋だったのだろうか…
千光寺本堂に行き、ここでも、賽銭箱にお金を入れると、おばさんが鐘を打ってくれた。「願い事が叶うよ」と。
二重岩の下には、修行法師の弘法大師が。
「62年ぶり復元。鎖で眺望絶景の山頂へ 石鎚山鎖行場」と書かれてあったので、興味があり、細い階段を上がると「鎖で登れる石鎚山はこの上です」と。時間が無かったので、諦めた。
暑いので、駐車場に戻る。駐車場の売店で瀬戸内海のみかんのソフトクリームを買う。15:00出発。

16:15、岡山空港に到着。バスガイドと運転手と最後のお別れをして、添乗員に連れられ皆が空港内に入ろうとしていると、妻がバスの中に傘を置き忘れていた。バスガイドと運転手にバスの中を探してもらうけど、見つからない。妻がバスの中を探すと椅子の網の中に折りたたみの傘がビニール袋に入れて入っていた。見つかって良かった。
添乗員から羽田行きの飛行機のチケットを受け取り、搭乗する。
生ビールを呑んだら、酔っぱらってしまう。飛行機は、羽田空港が混んでいる為、10分遅れになったらしい。岡山空港(17:25→17:35)。ANA658。羽田空港(18:40→18:50着)

スペシャルプラン!夏休み!美ら海沖縄フリータイム2006年7月21日〜7月24日 3泊4日編
7月21日(金)
昨日から今まで使ってたパソコンのネットがつながらず(不思議とメールはつながっている)、朝4時まで、新しいパソコンの設定で苦労した。さすがに寝ないと、旅行中は辛くなると思って寝る。朝、7時頃起きて、またパソコンの設定。外は雨が降っているので、マラソンは休む。出発は11時なので、朝はゆっくりする。
11:00に家を出る。天気は梅雨らしく霧雨。三泊なので、荷物も多い。傘も持たないといけないので、タクシーを妻は執念で捕まえて、上大岡まで行く。11:20、羽田空港直通の京急に乗り、羽田に。12:05、羽田空港に、ANAなので第二ターミナルビル2階3番カウンターに行き、受付する。那覇行きのチケットを受け取り、夕食のサムズマウイのクーポン券を受け取る。予約はしてあったけど、一応、確認の電話をする。昼食は、搭乗して、シュウマイ弁当を食べる。羽田空港(13:05発)。飛行機を飛んでいる時に、自前のウォークマンを聴く。ビールを注文したら、急に気流の関係で、ベルト着用のランプが点灯する。点灯サインか消えるまで、ビールがおわづけに。

那覇空港に15:50到着。飛行機から出ると、さすがに暑い。天気は関東の梅雨空が嘘のように晴れ。それにしても、暑い。荷物を預けていたので、受け取る。空港から外に出ると日差しが強く、夏らしい天気。
ゆいレール(羽田空港から終点・首里まで全長12.9キロ、27分)に乗って、美栄橋駅に。駅からでると、歩くことにする。旅行会社からもらった地図によれば、近い。ゆいレールにそって歩いてゆけば、簡単に判ると思ったけど、甘かった。日差しが強い中、重い旅行鞄を持ってゆく。ところが、行けども行けどもホテルらしきビルはない。横断歩道を待っている女性に尋ねると、なぜか、逆の道を歩いていたようだ。それで疲れてしまって、タクシーを捕まえる。初乗り料金が450円と安い。3連泊する沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハに到着。

荷物を置いて、国際通り(沖縄最大の都市那覇の最も賑やかな場所。久茂地の交差点から安里の三叉路にかけて約1.6km続く沿道には、デパート、みやげ物店、レストラン、カフェ、居酒屋が立ち並ぶ。終戦直後の焼け野原に築かれ、目覚ましい発展をとげたことから、「奇蹟の1マイル」と呼ばれる。片側一車線のこの道は、朝の7時30分〜9時、夕方17時30分〜19時30分、バスレーンと呼ばれる交通規制で一般車両は通行できない)に行く。意外にも、ホテルから近かった。妻が主婦のなせる技なのか100円ショップに行き日焼け止め等を買う。
お土産屋を数軒見て周り、物価が安いので、調子に乗って、1000円のバックを妻と色違い買う。妻は、こういうショッピングは好きなようだ。帰りにファミリーマートで夜のツマミ等を買う。

ホテルに戻ると、サムズマウイの送迎の運転手が、俺の名前を呼んでいた。ギリギリセーフ。手荷物が一杯だったのでフロントに預けてしまう。
車に向かうと、何と小型のマイクロバス。21人分の座席があり、俺と妻だけの為に迎えに来たようだ。道が混んでいるために、泊港の方からグルリと周る。そのおかげで、コンイランドリーを発見。意外にもホテルから近そう。四日分の着替えが必要なので、洗濯すれば、汗をかいても安心。
マイクロバスは、サムズマウイ九茂地店(サムズマウイは、ポリネシアンスタイルの鉄板焼きステーキハウス。包丁さばきも鮮やかに、目の前の技一つ一つが、お客様一人一人のために更においしさを引き立てる。自慢のステーキとシーフードを楽しめる)に。前回の夏も来たところだった。肉も柔らかく美味しかった。マンゴージュースから、生ビールを飲む。
帰りも、マイクロバス貸切り送迎でホテルに戻る。
夜は疲れてダウン。

7月22日(土)
朝5時に起きて、ホテル周辺を30分走る。朝食は6:30から。ちょうどに行くと、まだドアが開いておらず、部屋に戻って、時間を確認すると6:30からになっていて、再び朝食会場に。人もまばらにおり、今度はオープンしていた。ところが、部屋のスリッパを履いたまま会場に来ていたので、係員に呼び止められて、部屋に戻らないといけないのかな〜と思ったら、サンダルを貸してくれた。少し恥かしかった。朝食は15階、景色もバッチリ。天気も今日も快晴。バイキング料理、ゴーヤチャンプル等を食べる。部屋に戻り、支度して、7:45頃、ホテルのロビーに行くと「●●●●社夏休みシャトルバス(ナガンヌ島行き)」のステッカーを持った女性の人がいて、名前を言って受け付けをすませる。大型バスがホテル前に停まっており、それに乗り込む。真ん中ぐらいの席に座る。飲み物ジュースが無い事に気づき、ホテルのお土産屋で買う。

7:50出発。今日は。慶良間諸島(那覇市から西へ約40kmの大小20余りの島々からなり、行政区画は渡嘉敷村と座間味村。世界でも有数の透明度を誇る海は、ダイビングやホエールウォッチングのポイントとして人気が高い。有人島は渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶留間島、前島の5島のみ。渡嘉敷島西部の海域120haと、座間味島と阿嘉島の間の無人島を含む海域233haが、慶良間諸島海域という名称で2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった)のナガンヌ島で海水浴。
今日は晴れ、日中の温度は32度とホテルのフロント前に書いてあった。それには台風が近づいていた。添乗員も、出航が危うい状態と言っていたけど、台風5号は西にそれてゆっくりと進んでいるという。昨日もうねりがひどかったと言っていた。バスは順調に進み、トイレ休憩して、とまりん港に。
小型ボート(60人乗り)に乗って、二人で前の座席を確保すると、添乗員が「前は叩くので、後ろに座った方がいいですよ」と。後ろの席に移る。
ボートはヒドイうねりなく、去年も行ったナガンヌ島に。
日差しが強く、それだけで日焼けしそう。添乗員の帰りの時間や島の案内をして、後は自由行動。すぐに売店で、ロッカーの鍵(300円)を借りて、更衣室に。海パンを着ていたので、すぐに出てくる。妻も更衣室で着替えてすぐに出てきたので、二人で、日焼け止めクリームを塗る。マリンハウスでパラソルとチェア2つ(2500円)、妻の浮き輪(500円)借りて、ドラゴンボート(一人1500円)と予約する。
そして、いよいよ海に。海水が冷たい。あいかわらず、ナマコがいた。よく見ると、白い魚も沢山泳いでいる。海水が透明で、ナマコや砂がなければ綺麗なプールで泳いでいるみたい。妻は大きな浮き輪で遊んでいたけど、どうやら大きすぎて、肩から抜けて少しおぼれていた。妻が浮き輪をひとまわり小さな浮き輪を借り直す。
飛行機がナガンヌ島の上空を飛ぶ。初めて飛行機を下から見た。何か、金属の塊が飛んでいるようで、非現実感。落ちてきそうな気もする。接近してきた時は、落ちるんではと、迫力満点だった。
少し泳いで、写真を撮ろうと、ロッカーに戻り、ナガンヌ島のデジカメ撮影会。テジカメが濡れないように海にも入り、透明感が出るようにと、撮影する。さすがに熱帯魚がいなかった。
後輩(モルジブの海水をお土産に貰ったので)のお土産に沖縄のナガンヌの海水をペットボトルに入れる。浅いところでは折角の水も濁ってしまうので、腰までのところで海水をペットボトルにいれた。
少し泳いで、妻とパラソルで休憩する。まだ、泳ぎたかったので、(妻は休憩)妻の浮き輪を借りて、海に行く。浮き輪で浮かんでいると、気持ちがいい。少しはまってしまう。妻がやってきたので、浮き輪を手放すことに。やはり、俺も浮き輪を借りようと、浮き輪をレンタル(500円)する。
徐々に妻も日焼けしてきた。腕や顔が少し赤いようだ。
名前を呼ばれる。ドラゴンボートの時間になったようだ。ライフジャケットと頭につけるヘッドギアを身につける。ビーチサンダルは脱いで、ドラゴンにまたがる。大きなマリンジェットで引っ張ってくれるけど、体重移動してバランスを取ってくださいと言われた。少し妻も怖くなった。マリンジェットが走り出し、ドラゴンボートがゆっくり動き出す。徐々にスピードが乗り、風が気持ちがいい。約10分間。中々、やみつきになりそう。
11:10、お昼には早いけど、ビーチテラスでカレーライス(600円)とマンゴージュース(250円)。日差しが強いのか、カレーを食べながら、全身に汗が吹き出た。
そして、また泳ぐ。ぜんぜん、パラソルとチェアは必要ない感じ。浮き輪で浮かびながら、足を動かす。気持ちよく、寝てしまいそうになる。時間もあっという間に過ぎていった。「12:30の…の予約の…」という放送が流れて、もう12時30分かという時間の経ち方。
「ライフジャケットを着用していない方は、黄色いブイに出ないでください」と監視員から放送される。潮で流されるのか、すぐに端っこまで来てしまう。
足を浮き輪にかけて、寝ていると、すぐにまた、端っこに。
そろそろ、帰りの時間が気になりだす。妻も日焼けしてきた。俺も腕が真っ赤。
妻が着替えに行っている間に、俺はまだ少し泳ぐ。
妻が着替え終わって、俺も着替えに行く。更衣室のシャワーは誰も使っていなかったので、楽だった。
水(200円)を購入して、水分補給。そして、13:45に、船の待合室に集合する。妻がザリガニを見付けた。俺は石かと思って砂を掛けたら、ザリガニが貝の中に引っ込んでしまい、妻に怒られてしまう。妻は写真を撮ろうとしていたのだ。

そして、ボートはうねりもなく、とまりん港に。添乗員によれば、昨日よりうねりは少なかったと言っていた。しかも、明日は台風でこのボートは欠航らしい。ラッキーだった。
バスでホテルまで。今回の同じ旅行客で、足腰が悪そうな高齢のおじいちゃんがいたけど、娘には「早くしなさいとか」言われ、大きな荷物を二つ三つ持たされて歩かされていた。妻が、かわいそうと言っていたけど…
15:00前、ホテルで寛ぐ。妻は背中が痛いと言っていた。俺は、背中が日焼けで痒い。
少し元気が出てきたので、16:00、ホテルのフィトネスジムに行く。ジムは8階にあるのだが、結婚式会場を通らないといけないので、ジムの服で、正装している人達の間を通らないといけないので、恥ずかしい。妻は疲れたので、入り口だけ付き合ってくれた。宿泊しているので割引で、2100円払う。服に着替えてトレーニングルームに。マシーンがところ狭しとあっていいのだが、古いマシーンなのか、いつものジムに比べて使いづらい。教えてくれる人もいないので、マシーンの説明を見ながらやる。トレッドマシーンで走っている若い女性の他、誰もトレーニングしていない。数種類トレーニングして(30分)、スパに入る。どうもトレーニングの気合がない。
風呂場も誰もいない。のんびり風呂に入る。のんびりすぎたのか、油断して、ヒゲソリで唇を切ってしまった。そして、結婚式会場突っ切って部屋に帰ろうとするのだが、会場では、まさに指輪の交換をしてぃた。俺、ラフな姿でキマズイ。コンビニでジュースとお菓子(昨日、サムズマウイで食べたアイスについていたお菓子、亀の甲せんべいを買う)を買って部屋に戻る。
妻のコインランドリーに行くのに付き合う。昨日、今日の洗濯を2台(350円×2)使ってする。時間が余ったので、近くのファミリーマートで立ち読みする。アイスを買って、コインランドリーに。洗濯が終わって、乾燥機に洗濯物を入れる。100円×3(8分間分×3)×2台分。国際通りに行き、お土産屋数軒まわって、お土産を購入。
夕食は、バンボシュ国際通り牧志店(焼肉・バイキンクレストラン)。1800円ぐらいで、焼肉や好きなソーメンなどを食べに食べる。
帰りに、コインランドリーで乾燥した服などを取りに行き、ホテルに戻る。

7月23日(日)
朝5時頃起きて、ホテル周辺を50分走る。
朝食は、バイキング料理。
今日も晴れ。台風は、どうなっているんだろうか…

8:25前、ホテルのロビーに行くと、去年、沖縄(ナカンヌ島)に行った時の添乗員(男)がいた。久し振りの再会に妻は大感激。妻は「去年、泳げなかったから、今年はきた」と嬉しそうに言っていた。散々、喋った後、隣りには、今日の添乗員。「●●●●社夏休みシャトルバス(中北部観光行き)」のステッカーを持っていた女性(関西の人で沖縄に住んでいるようだ。関西弁で喋っていた)に、名前を言って、受付する。
バスは、大型バス。真ん中の席に座る。席が空いていたので、俺と妻が通路を挟んで4人分を2人分で占領する。参加者は17人。昨日の恐い娘のいるおじいちゃんも参加していた。バスは北の方に進む。今日も日中の温度は31度。天気も晴れ。昨日より、少し雲が多いと感じる。高速を使って走ってゆく。バスガイドが色々と話していたが、眠ってしまった。

9:50、ナゴパイナップルパーク(一面に広がるパイナップル畑や亜熱帯植物が生い茂る温室を自動運転のパイナップル号に乗って見学できる。園内には日本初のパイナップルワイナリーもあり、パイナップルワインの製造工程の見学や試飲が楽しめる。さらに完熟したパイナップルも食べ放題)に。
バスから降りて、最初はパイナップル畑を係員に連れられてまわる。妻は後ろから、子供連れの奥さんと喋っていたので、俺はデシカメでパイナップルを撮る。姫パイン、サンゴパイン、スムースカイエン、ボーゴル(スナックパイン)と、パインにも色々と種類があるようだ。
畑の見学が終わり、建物の中に入り、試飲・試食タイム。シークワーサーワイン、パイナップルワイン(KISSワイン)、パイナップル&シークワーサーのミックスジュース、ギュッとパインジュース、シークワーサー原液(試飲に関しては原液を水で5倍に薄めてシロップで味を調味してあるようだ)等を試飲する。
店員のおばさんがチョコレートを塔のような物に流し込んでいた(説明が難しい)。店員の人が、小さなお菓子を突き刺している棒を俺に差し出して、チョコレートにつけて食べて下さいと言われて、言われた通りにする。中々、チヨコレートが美味しい。妻も同じようにして食べた。
色々と店内を見てまわる。紅芋タルト・小(630円)、紅芋タルト・大(1050円)、泡盛古酒3本セット飲みくらべ180ml(1995円)を妻の実家にお土産として送る事にする(送料1050円)。朝、ホテルで妻の携帯に紅芋タルトを送れという指令があったから仕方がない。
そこを出ると外は、地面が濡れていた。通り雨が降っていた。心地よい雨。ここに来ると、いつも通り雨に降られるような気がする。10:40に出発のはずが、子供連れ夫婦のせいで10:47に出発。

11:45、沖縄海洋博記念公園(国際海洋博覧会会場の跡地に造られた公園。イルカのショーを楽しめるオキちゃん劇場や、2002年には美ら海水族館が新設され、東洋一の規模を誇る巨大な水槽にはジンベイサメかゆったりと泳ぐ姿を見る事が出来る)。バスを降りて、中央ゲートから沖縄美ら海水族館に向かう。今回は水族館の見学は、何度も見ているので、見学無し。エメラルドビーチに向かう。ちょうど、水族館の出口のところで、電気遊覧車を見付けて、それに乗る。混んでいたので、妻は座らせて、俺は立つ。エメラルドビーチに着くと、シャワー室の更衣室で着替える。ご飯は泳ぎ終わってから食べる事に。中央のほうに二千円弱で食べ放題が食べられるとバスガイドから聞いたけど、今回は軽くする。ロッカー代金は100円。11:45から泳ぎ始める。昨日の海水があまりも綺麗だったので、今日の海水は汚く見える。曇ったり、風があったりと、昨日より暑くない。ただ、日差しは強そう。今日は浮き輪はレンタルしていないので、借りれなかった。海水につかりながら妻とけっこう話した。13:15まで泳ぐ。1時間30分、すぐに経過した感じ。
シャワーを使って、洗い落とす。
昼はカレーライスとマンゴージュースを売店で買ってパラソルの中で食べる。
電気遊覧車に乗って(最初は二人だけだったけど、途中で満席になる。重量が重いのか、坂道では歩いた方が早そうなスピードになる)、熱帯ドリームセンター(熱帯ドリームセンターは、公園のテーマである「太陽と花と海」の「花」を象徴する中心的施設 熱帯・亜熱帯の花々が咲く"夢の殿堂"。それは熱帯樹林の中に土俗的なイメージの廃墟があり、その内部に足をふみ入れると、熱帯・亜熱帯の花々が咲き乱れるこの世と思われない別世界が展開しているというような非日常性・意外性をイメージしている。全体面積は6ヘクタール、その中にラン温室14,778平方メートル、ビクトリア温室781平方メートル、果樹温室1,263平方メートル、回廊棟・遠見台3,290平方メートル、周辺部3.5平方メートル。常時2000株以上のランを展示している3つのラン温室は訪れる人を別世界へといざなう。ランをはじめとして温室内には、熱帯・亜熱帯の花々が咲き、トロピカルフルーツが実っている。ラン展示数2000株、高木類126種約2000本)に。4時間の自由時間も残り少なくなっており、急いで見学する。食虫植物展をやっており、ひょうたんのような罠を持っているウツポカズラ、モウセンゴケ、ヘリアンフォラ、ハエトリグサなどを鑑賞する。妻も急いでいたので、さらに急ぎ足。短縮コースをまわる。水中植物のオオオニバス(世界最大の浮葉を有し、生育時期には葉の直径が2m内外に成長し、幼児3人ぐらい乗せる事ができる)で乗って、写真撮影出来るところに興味持っていると、妻を見失う。慌てて、出口に向かうけど、妻はいない。時間がないのに、かなり慌てて、暑さの汗か、冷や汗か、汗が流れ落ちる。受付のところに行くと、受付の女性から「まだ、お連れ様は出られていなですよ」と。覚えられていたんだ。そっちの方がビックリ。もう一度、中に入って、妻を捜すがいない。それて、受付に呼び出しをかけてもらう。「横浜市からお越しの●●●●(フルネーム)、お連れ様が出口の方でお待ちです」と。妻がやっと現れた。少し喧嘩する。ペットボトルの水を買っていたらしい。数十年ぶりに迷子の呼び出しを掛けられたと怒られた。今度は、ゆっくりと見学したい。
熱帯ドリームセンターを出ると、電気遊覧車乗って、中央ゲートに。何とか、集合時間5分前に到着。15:00出発のはずが、14:30のオキちゃん劇場を見る人達が遅れて、出発しそうになったら、添乗員がトイレを進めたら、一番前に座っていた子供連れの親子がトイレに。その間に、DFSギャラリア・沖縄からチョッピリ・プレセントで、ピンクのハデハデ・手提げを一人一つづつもらう。あまりにも派手だったので、妻にあげた。15:09出発。バスの中では、寝てしまった。

16:45、DFSギャラリア・沖縄(国内初の市街地にある免税店。いままでは海外旅行に行った時にのみ可能だった免税店でのショッピングが、沖縄でも楽しめるようになった。DFSの中ではハワイに次いで2番目の広さを誇る。ブティック、化粧品、ファッションなど専門エリアがあり、人気のブランドが揃う。レストランも完備。免税を受けるには、氏名と沖縄出発日、帰路航空便名をあらかじめ税関に申告する必要があるが、DFSが代行もしてくれるので便利。購入した品物は、沖縄出発日に那覇空港のDFS受取カウンターで受け取る。出発の2時間前まで購入が可能)に。
俺達はそこには行かずに、タクシーでホテルに向かう。本当はバスでホテルまで送ってもらえたのだけど、滞在時間が1時間だし、前にも免税店には行った事があるので、ここでハスとはお別れ。タクシーがバスの前に停まっていたので、その個人タクシーに。
タクシーに乗っている時に、妻が「タクシー観光してくれるの」と運転手にきいていたので、明日はタクシー観光になってしまった。4時間(小型なので1万円でいいらしい)で、美味しい昼食を食べさせてくれる所に連れてってくれるらしい。トントン拍子に話しが決まった。明日の11時にホテル前に運転手が迎えにくる事になった。
ホテルに着くと、ホテルに荷物を預けて、夕食のほかほか弁当を買いに行く。金曜日に初めてホテルに行く時に、ほかほか弁当屋が気になっていたのだ。それに外食にもそろそろ飽きてきた頃だったので、今夜はホテルでゆっくりしたいと思って、弁当を買う。俺は生姜焼き弁当とポテトサラダ、妻は野菜炒め弁当とゴボウサラダ、それに追加でから揚げを買う。
弁当が出来上がるのを待つ間、タクシー観光の為に、郵便局でお金をおろそうとしたけど、ちょうど5時過ぎていたのでおろせなかった。
ファミリマートに寄って、お弁当屋で弁当を受け取り、ホテルに戻る。ホテルに荷物を受け取る時に、宅配便の伝票をもらう。
部屋で弁当を食べて、明日のタクシー観光の場所を決めようと、無料の沖縄観光ガイドを読むけど、うまく決まらない。ネットを使う事に気づき、フロントに行き、14階のビジネスルームを使う事にする。フロントから部屋に入るカードを受け取り、中に入り、そこのパソコンでインターネットをするけど、やはり自分のパソコンからした方がいいと気づき、部屋に戻って、自分のパソコンでネットする。何とか、南部観光のする場所の候補が決まる。ネットで調べると、明日の糸満市は曇りのようだ。台風の影響は風ぐらいなのだろうか。

7月24日(月)
朝5時頃起きて、ホテル周辺を50分走る。
日焼けは、胸上部、肩から二の腕にかけて赤黒くなってしまった。風呂に入るとヒリヒリして痛いので強くこすれない。
天気予報を見ると、台風はかなりそれて、台湾方面に向かっているようだ。今日の天気は晴れのち曇り。
コインランドリーに行くために、汚れた服をバック二つに入れて、まずは、コンインランドリーに。歩いているだけで汗が出る。風が吹いているので、今日は過ごしやすいかも。コンインランドリーでは、お節介のおじさんがいて、色々と指示してくれるんだけど、ありがた迷惑。洗っている間に、朝食。バイキング料理。けっこう食べてしまった。ご飯を食べ終わったら、すぐにコインランドリーに。乾燥機している間に、銀行を探す。近くの郵便局は9時からだったので、ファミリーマート、ローソンを探すが、ATMは置いていなかった銀行に行くと、お金をおろせたので、少しは金欠病脱出。それにしても、日差しが強くて暑い。妻も日焼で肩周辺がヒリヒリすると言っていた。コインランドリーで洗濯物を取って、ホテルに戻る。
9:00より、14階のネットを借りて検索する。
荷物をまとめて、ロビーに行く。チェックアウトして、送る荷物を手続きする。バック一つ分10キロ。
ロビーで待っていると、タクシーが停まっているのに気づく。まだ早い時間帯だったけど、昨日のタクシーではないかと、確認しに行くと、やはり、そうだった。

さっそく、タクシー観光がスタート。行きたい場所、旧海軍司令部壕、喜屋武岬、知念城跡、識名園、ニライカナイ橋と告げる。行きたい候補にひめゆりパークを挙げていたけど、ひめゆりパークは今はやっていないと言われた。
妻が沖縄のコナミを見たいと言うので、早速、タクシー観光ならではの、わがまま通用。沖縄のコナミは、ホテルが真っ直ぐ、道路を走らせた所にあった。次回はわかりやすいばしょなので、すぐに行けると思う。タクシーの運転手がちゃんと、停車してくれたので、デジカメで撮影した。
それにしても、この運転手も妻の日焼けを火傷と表現していたのが面白かった。

識名園(識名園は、18世紀に首里の王家の庭園として建てられ、中国からの冊封使をもてなす時に使われた。世界遺産の首里城の南側の崎山にある御茶屋御殿が、東苑と呼ばれ首里城の南側にあった識名園を南苑とも呼ばれていた。敷地は7000坪もあり、識名園の中心に「心」の文字をくずした池を中心に六角亭をはじめ木造の御殿や築山まどがある。識名園の南側に遠見台があり、首里から南風原、豊見城方面がみることができますが、海が見えないため冊封使をこの場所に案内し、琉球国は、こんなに広いところだと思わせるようにしたと伝えられている。識名園は、池の周りを回遊する形でつくられた庭園で、実際の見学も池の周りを回遊する順路になっている。見学時間は、約20分で、まず育徳泉、木造の御殿,、六角亭、舟揚場、遠見台と見ていきます。木造の御殿の中も見学できる。見学は、天気のいい午前中がおすすめ。木造の御殿の縁側にすわり、池を眺めた風景がなごやかな感じられてずっとここにいたくなる気分にさせられる。基本的には日本庭園だが中国式のデザインも取り入れられ、琉球独特の雰囲気が漂う。池に架かる橋からの眺めも情緒豊か。写生を楽しむ人の姿も見られ、沖縄ならではのゆっくりとした時間の流れを感じることができる)に。
入り口で運転手がツーショット写真取ってくれた。300円払って、中に入る。妻が、ペットボトルの水を持っていたので、係員に「持って入れません」と言われる。でも、係員、水を冷蔵庫で冷やしてくれると言うので、受付に預けた。
通用門、正門と見学する。風があ、木々で木陰になっているので、涼しい感じがした。育徳泉を見て、木造の御殿の中に靴を脱いで入る。池が風情を感じて、何時間でもいたい気にさせられた。
御殿を出て、石橋を二つ渡って、六角堂に。人がいたので、すぐに道を引き返して、滝口から、舟着場に行く。勧耕台に行くと、沖縄なのに、海が見えない。延々と陸が続いているように見えて、これでは、沖縄がかなり広く見える。
写真を撮って、すぐに出口に向かう。

そして、お昼になり、沖縄ソバが食べたいと言うと、運転手が沖縄で一、二美味しい店に連れてってもらう。「そば処 王家」。入り口の看板に、空手道場とあり、少し足がすくむ。券売機で、ソーキ(小)と三枚肉(小)を買う。運転手もお昼かを一緒にとる。
運転手さん、45才で、奥さんと二人で部屋が何部屋もあるマイホームに住んでいるらしい(子供はいない)。ずっと、沖縄にすんでいて、常連のお客さんも全国にいるらしい。
味は美味しい。特にスープがいい。運転手のお奨めあって、有意義な昼食だった。
早めに、運転手が食事がすんで、タクシーの冷房をつけてくれると言って、先に出て行った。ふと、外を見ると、タバコを吸っていた。

次は、15分ぐらいで、ニライカナイ橋(知念村にあるニライカナイ橋。この橋のおかげで知念村が近く感じられるようになった。以前は、海沿いの道をずっと行かなければならなかった。知念村、悲願の橋ともいえる。この橋からの眺めは最高に気持ちがよく、遠くに津堅島、久高島、コマカ島が一望出来る)を渡る。タクシーで気持ちよくドライブした。

次は、指示していなかったけど、知念岬に行ってくれた。風が台風の影響なのか強い。波も荒れていた。俺と妻の写真を運転手が撮ってくれて、妻は運転手とのツーショット写真も撮る。遠くに、運転手が神々の島と教えてくれた久高島(琉球の始祖アマミキヨが最初に天から舞い降りて、五穀をもたらし国造りをした島として、古くから崇敬を集めてきた。島内には、琉球七御嶽のひとつクボー御嶽をはじめ、カベール御嶽、島の2大祭祀場となっている外間殿や久高御殿庭など、多くの聖域が点在する。周囲約8kmと小さい島なので、レンタサイクルで回るのが便利)が見えた。

次は、知念城跡(国指定の史跡となっている古城。自然石を積んだ城壁。樹歳200年余の樹木のかもし出す雰囲気は荘厳。連郭式で上下二つの城からなっており、上は600年前、下は500年前の城。造りも違うので二つの古城が楽しめる)。
タクシーを降りて、駐車場から歩いて、坂を下る。途中には、ノロ屋敷跡があった。さらに進むと、新城の正門がある。美しい見事な石造りのアーチ門。郭の中は古木に囲まれ、先は崖になっている。南側の海を見渡せた。知念城跡は、思ったより、感動がない。発掘中なのか、看板があった。

次は喜屋武岬に向かう。妻は疲れたのか、タクシーの中でお休み。その間、タクシーの運転手と話す。
向かう途中、最初に俺が坂本竜馬が好きだと言ったからなのか、大渡海岸にジョン万次郎が流れ着いた場所だと教えてくれた。ジョン万次郎と言えば、坂本竜馬にかなり影響を与えた人物。地元の人は大渡ビーチとは言わずに、ジョン万ビーチと言うそうだが、そこに行きたいと言うと、タクシーの運転手は連れてってくれた。少し、下る道がわからず、道に迷ったけど…
やっと、万次郎ビーチにたどり着く。台風の影響で波が高い。浜辺に行くと、小さな魚が泳いでいた。妻は疲れたのか、車の中で待機。

次は、喜屋武岬(琉球では喜屋武を「きゃん」と発音し、これは「極み、突端」の意味。最南端の岬ということで喜屋武岬とつけられたよう。岬自体は、海へ十数メートルほど突起した程度の小さな岬ですが、海面からは30mもの高さがあり、岩肌が切り立ったがけのようになっている。また、沖縄戦最後の激戦地としても有名。沖縄戦跡国定公園にもなっている)に。そこから喜屋武崎灯台(この灯台は、戦後現在地の東方およそ120mの所にアメリカ軍によって設置された荒埼灯台を前身とし、施政権返還後の1972年昭和47年6月22日に設置、初点灯された。灯塔高は地上〜塔頂で14.91m)が見えた。
戦争と平和への願い(太平洋戦争末期に、アメリカ軍に追いつめられ、行き場を失った人々が極まって身を投げた悲劇の地。そこに、平和の塔が建立され、恒久平和と鎮魂の思いが込められている。この平和の塔は、 沖縄戦終結前の6月20日に亡くなった第62師団の将兵の方々を悼んで昭和27年に建てられたよう)の写真を撮る。波が高そう。絶壁の崖から落ちると言うのも悲壮がある。

タクシーは糸満市を走る。ここの人達の事を海人中と言うと、運転手が教えてくれた。タクシーは北上してゆく。最初は4時間の予定だったけど、時間が足りなくなり、1時間延長する。延長しても、12000円で交渉成立。妻も、このタクシーの運転手が気に入り、次回、沖縄に来た時も、タクシー観光を予約すると約束していた。次回は、海中道路をタクシーで走ったり、安くて美味しい伊勢海老を食べられる店に行ったり…と、楽しみがまた増えた。

妻の日焼け跡がヒリヒリするというので、大きな薬局に寄ってもらう。妻が一人で、薬局の中に入るか、何と、日焼け用のアロエの薬が置いてないと店員に言われて、すぐに戻ってきた。

タクシーは旧海軍司令部壕(大田実少将ら約4000人の将兵が自決・戦死した壕。発掘され公開されている約750メートル部分の壕内には、作戦室・通信室などが当時のまま残されている。観光用に整備され、資料なども展示されている。壕内のいたる所に痛ましい傷跡が残る。資料館を併設)に。
まず最初に、資料館を見学。当時の遺品などが展示されていた。大田実少将が東京の海軍次官に宛てて、沖縄戦における県民の献身的な協力と惨状を訴えた電報が全文掲示されている。電報の最後は「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と結ばれている。
そして、いよいよ、壕の中に。当時にタイムマシーンにのったかのように錯覚させられる昇降廊という階段を下って行く。信号室を見て、これは幕僚室に。幕僚室には、幕僚が自決した際の手榴弾の破片が生々しく残っていた。少し背中がゾクリとする。暗号室を見て、迷路のような通路を歩いてゆく。ふと、窪みのある部屋は発電室だったり、三箇所ぐらい、発電室があった。収容スペースに対して人員があまりにも多かったので密集して立ったまま寝たと言われている下士官兵員室、大田実海軍少将らが拳銃自決した司令官室を見学。当時のままの状態が保たれており、生々しい。そして、出口に。
出口から、高台になっており、那覇方面の眺めが良い。平和な日本を感じられ、少しホッとする。
右側にお土産屋があり、「Tシャツ買っていきませんか」と、店員に言われて現実に引き戻された。
駐車場に行くと、タクシーが迎えにきてくれた。

タクシーは、いったん、3日間泊まっていたホテルに。荷物を預けていたので、それを取りに。

そして、沖縄アウトレットモールあしびなに向かいながら、薬局を探す。サウスウエストという薬局屋で、アロエの日焼け用の薬を買おうとするが、妻が聞いても、聞いても、店員はわからない。最後の手段、運転手に出てきてもらうと、サングラスをかけた人相が悪そうなお客さんに、慌てる店員。親切に調べてくれた。人を見て、仕事をするなよと言いたいけど、見つかってよかった。その薬は、ベラリス(縮還元アロエベラ保湿成分99%配合、弱酸性で無香料・無着色のナチュラルな薬用化粧水。チューブから出したときはプルンとした透明ジェルだが、お肌にのばすとみずみずしいローションに早変わる。さっぱりさらさらの使用感でお肌をしっとり潤します。日焼け後、お肌の乾燥が気になるときに、お顔だけでなく全身に使える)という薬だった。

タクシーは、最終目的地の沖縄アウトレットモール あしびな(那覇空港からも近い豊見城市に構える。アウトレットでは日本初登場の海外11ブランドをはじめ、70以上ものブランドが集まる。広くて明るいモールは、南ヨーロッパと沖縄のイメージを合わせてデザインされたのだとか。至る所にベンチが置かれていて、のんびりと散策気分でショッピングが楽しめる)に。向かうと途中、福島のお客さんから電話があり、8月のタクシー観光の予約が入った。沖縄アウトレットモールに到着。タクシーの中で観光代の清算する。12000円(11:00前から16:00過ぎまで5時間超)を払うのだけど、試しに、いつも料金が表示しているメーターに、貸切表示を取ってもらうと、17720円と表示されていた。かなり安い。タクシーの運転手、沖縄アウトレットモール あしびなでの過ごし方(まず、妻が日焼けの手入れをする→荷物をロッカーに預ける→空港までの無料シャトルバスの時間を調べる→後は自由)をレクチャしてもらって終わる。
妻がトイレで日焼けの手入れをしている間、ベンチで休むのだけど、日差しがまともに当たっていた。疲れていたので、ボートとしていたようだ。
妻が戻ってきたので、荷物を持って、インフォメーションを探すけど、面倒なのでマップを見ずに探すので、探しきれない。たまらず、マップを見たら、すぐ近くにあった。その近くに、那覇空港行き無料シャトルもあり、18:30(一時間に一本)の整理券をもらう。
インフォメーションでロッカーの場所を聞こうとしたら、荷物を預かってくれるらしい。2階の事務所で預かってもらった。
ウィンドショッピンクはしないて、時間的に早いけど、夕食。屋台村みたいな感じの場所で「HOTHOT」でチーズハンバーグとサラダを食べる。
まだ、時間があったので、荷物の一つを返して貰って、屋台村らしき場所の椅子に座って、パソコンで遊ぶ。
時間にり、18:30発の無料シャトルバスに乗り込む。通路側の席まで埋まり満席。空港に向かうバスの中から、暑い中、橋の上をマラソンの練習をしているランナー達を多く見る。走りやすそうな道路。俺も走りたくなる。15分ぐらいで那覇空港に到着。

那覇空港(20:00発)

羽田空港(22:20着)


2006年4月29日〜4月30日 毛ガニ付き!海の幸「陸中海鮮丸膳」お部屋食1泊2日編
4月29日(土)
4:30頃、起きる。朝ご飯を食べないで、6:00頃、家を出る。少し寒い。ジャンバーを持ってゆく。歩いて駅まで行く。途中サンクスに寄り、お握り2個とジュースを買う。天気は曇り。京急で横浜まで行き、集合場所の天理ビル前に。観光バスがすでに沢山停まっており、旅行客が溢れていた。添乗員も十数人いる。永平寺観光、ミステリー、佐渡島と、人でごった返していた。妻が自分達の添乗員を探してくれた。受付けをする。優しいおばさん風の添乗員。バスは橋の向こうの少し離れた場所に停まっていた。歩いてゆく。バスは派手な色。座席は出入り口側の8列目。42人の参加者らしい。

7:00頃、バスは発車。バスは東北道を走らず、常磐道から、磐越道で行く事に。運転手2名が、その方が渋滞に巻き込まれないと判断したらしい。
9:20、中郷でトイレ休憩。9:35出発。お弁当を配られる。11:00頃、食べる。
11:20、国見でトイレ休憩。11:35。
蔵王で笹かまぼこを試食。東北方面に走りながら、桜が散りはじめから、満開、咲き初めと、北に行きながら、桜を満喫する。
13:40、紫波でトイレ休憩。13:55出発。
盛岡で高速を降りて一般道に。岩洞湖の横を通り、少し走ると水芭蕉の群生地帯に。物凄く綺麗だった。
やっと、16:15頃、龍泉洞(岩手県岩泉町にある鍾乳洞。総延長1200mで日本59位。全長は2.5km以上あり、5km以上あると推測されている。しかし実際には30年以上前に洞窟探検家が潜水事故を起こして以来調査されていないので、あくまでも予測の数値。水深98mの第3地底湖、120m以上ある未公開の第4地底湖、第5地底湖を持っていることで知られている。観光者向けに公開され、日本の天然記念物に指定されている。観光整備工事中の昭和42年・1967年に龍泉洞入口の向かい側に龍泉新洞が発見された。洞内から多数の土器・石器などが発見された。龍泉新洞はトレース調査により龍泉洞の下流部分にあたるとされているが、実際に水中部を潜り調査した事はない)に到着。9時間強のバスの旅だった。あまりにも長い。バスから降りて、お土産屋のトイレを借りる。
そして、まずは、龍泉新洞科学館に。龍泉洞入り口の向い側にある鍾乳洞で昭和42年に発見されたらしい。洞窟から発見された多数の土器・石器などを中心に貴重な資料・標本を展示しているのだが、本当の自然の洞窟の中にそういう展示物があるので、本物の鍾乳洞を歩くだけで満足。生物の解説壁画や原始人の生活の模型があるのも、面白かった。
龍泉新洞科学館を出て、道路を渡り、本物の(?)龍泉洞に。中はヒンヤリしていて鍾乳洞から水がポタポタと落ちてくる。足元が滑りそうで恐かったけれど、世界一透明度が高いと言われる澄んだ水を見て心まで澄んでくるよう。「長寿の渕」の写真を撮り、縦に割れている百間の廊下を歩いてゆく。「玉響の滝」を見て、「竜宮の門」を見る。第3地底湖(水深98m)を見る。ここから先の階段がきつくなる。昇る階段は165段、降りる階段は107段。狭い階段を昇るけど、何か頭に鍾乳洞が当たりそう。一番上が三原峠。そして、階段を下る。元きた道を引き返して出口に。入った時には気づかなかったけど、出口の所に室内は9度と表示されていた。
お土産屋で時間を潰して、バスに戻る。17:15出発。

10分ぐらいバスは走り、龍泉洞愛山に。エレベーターが混んでいたので階段で4階まで上がる。部屋は和室。食事まで時間があったので、大浴場に入る。牛乳風呂というのが名物らしい。ただ、俺は入ると牛乳を飲めなくなりそうで入らず。
18:30、夕食。にぎり寿司3種・荒磯汁食べ放題。鮭イクラ釜めし・タラバ・ズワイ・毛ガニ・ホタテ・甘エビなど海の幸15種類以上。一人船盛り2隻なので、テーブル上が、かなり豪華に見えた。タラバ、ズワイ、毛蟹と食べていたので、無口になって食べてしまう。

4月30日(日)
4:30に起床するも、まだ眠かったので、再び床に。6:15に起きる。朝食は6:50、和食。ご飯を食べ終わると、売店に寄り、お土産を買う。部屋に戻り、外を見ると、山に霧がかかり綺麗に見えた。部屋の写真に、宇霊羅の山があり、それと同じような霧だったので、何か得したような気分。

今日のバスの座席は、出入り口側の4列目。7:45、バスは出発。外は晴れ間が見えるけど、小雨が降っている。岩泉駅にすぐに到着。山田線に乗る事になる。ホームで待っていると、電車がやってくる。二両車両。添乗員は一両と言っていたけど。8:06、電車は出発。2人、それぞれ座れた。地元の人も乗っており、観光客に話しかけていた。田園を走り、桜も満開で目の保養。茂市駅の桜が見事だった。9:15、宮古駅に到着。

9:20、バスに乗って出発。9:30、陸中海岸・浄土ヶ浜(岩手県宮古市にある海岸。陸中海岸国立公園に属し、三陸を代表する景勝地。海岸には白い岩塊がそびえ、そこには緑の植物が生い茂り日本庭園のような景観をかもし出している。海岸名の由来は、1681〜1684年の天和年間に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われている。入り江を利用した海水浴場は「日本の水浴場88選」に選定されているほか、かおり風景100選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選にも指定されている。浄土ヶ浜を含む臼木山は、1908年に国有林から鍬ヶ崎町有林になり、その後の合併により現在は市の所有になっている)に。
バスは浄土ヶ浜ターミナルビルの駐車場に停まる。時間があまりないらしく、忙しく添乗員に連れられて、階段を急いで下って観光船(観光船陸中丸)に乗り場に。すぐに、観光船に乗船。二階の進行方向左手に位置する。観光船が走り出すと、周りにはウミネコが群れ飛んでくる。「特製ウミネコパン」を差し出せば、その手から器用にパンをくわえ飛んでゆく。デジカメで周りの景観を撮影しようとするけど、ウミネコに邪魔されたりする。ローソク岩(浄土ヶ浜の北、大沢海岸に突き出た巨大な岩がローソク岩。昭和14年9月に国の天然記念物に指定された。高さ40m、幅は上部で7m、下部で3mある。ローソク岩は、火成岩が周囲の水成岩を突き破って形成されてたもので、岩脈部分が露出し全体が見られるため珍しいもの)を見て、潮吹穴(日出島地区と国民休暇村の間の海岸に、波が打ち寄せると潮が吹き上げる長さ約2.5m、幅30cmの岩のすき間があり、これが潮吹穴。昭和14年9月に国の天然記念物に指定された。この穴は上下に海中まで通じており、打ち寄せる海水の圧力で、上部の穴から海水を霧状に吹き上げるもの。海が荒れた時には、吹き上げる潮の高さは30mにもなる)を見る。日出島(日出島は別名・軍艦島とも呼ばれ、市内にある一番大きな島。島の周囲は1,800m、最高部は50m、面積が1万2,395平方メートルある。日出島は、クロコシジロウミツバメという海鳥のわが国最大の繁殖地として保護されている。昭和10年12月に、日出島クロコシジロウミツバメ繁殖地として、国の天然記念物に指定された)を周って、帰路に。同じような景観なので、妻のいる場所に戻る。妻は1階の椅子に座っていた。
10:20、観光船を降りる。添乗員に連れられて、遊歩道を歩いてゆく。浄土ヶ浜のマリンハウス横でトイレしていたら、皆と出遅れてしまう。妻も待っていてくれて、一緒に遊歩道を歩いてゆく。磯ガニが採れるらしく、子供達や父親達が一緒に岩場で遊んでいた。遊歩道を歩いていくと、添乗員が、白い岩々を指差しながら「あそこがサスペンスドラマのクライマックスで有名な場所だよ」と教えてくれる。添乗員が、妻と俺の写真を撮ってもらう。
レストハウスで、いかあられとアイスクリームを買う。11:00出発。

バスが走り出すと、すぐに雨が降る。さっきまでは晴れ間も見えていたのに、運がいい。
12:20、道の駅 区界高原に。12:30、出発。
13:15、初駒で昼食。盛岡名物の冷麺。14:05出発。

15:54、菅生でトイレ休憩。16:10、出発。
18:17、上河内でトイレ休憩。18:35、出発。
19:50、川口でトイレ休憩。インフォメーションの電光板に横浜西口63分とあったので、早めに着きそうだと嬉しくなる。妻からアイスクリームを奢ってもらう。20:05。全く、渋滞もなく、横浜に20:55頃、到着。旅行のしおりには、21:50とあったんだけど、かなり早目の到着。大渋滞覚悟だったんだけどね。

2006年4月1日 貸切列車で行く!三島大社と身延山しだれ桜と富士山本宮 日帰り編
4月1日(土)
5:30に携帯のアラームで起きる。昨日、係りのお別れ会で完全に二日酔い。6:20頃、出発。天気は晴れ。だが、駅に自転車に向うけど、手が風で冷たい。コンビニに寄る。巻き寿司と稲荷寿司の弁当と野菜ジュースを買う。上大岡から横浜駅に。6:50頃、集合場所のJR横浜駅地下1階ルミネ横に行く。すでに男の添乗員と女性の添乗員が待っていた。名前を言って、受付けする。集合時間の7:05まで時間があったので少しブラブラする。7:05、点呼を取り、添乗員に連れられて横浜駅の改札口に。6番ホームに行く。
7:20頃、団体列車に乗る。3号車の5列目。横浜を出て、戸塚、小田原と停車して、三島に向う。眠かったので、お弁当を食べたら、すぐに居眠りする。

8:44に、三島駅に到着。全国で初めて設置された平面付き2段階エスカレータ(エスカレータ+オートウォーク)があり、「ゆうロード・三島」と言うらしい。改札口を出て、バスに向う。このツアーバスは、6台出ているらしい(1台につき40人ぐらいの参加者なので260〜270人の参加者らしい)。その3号車。出入り口側の2列目に座る。バスガイドが喋っていたけど、ここでも、少し居眠り。
9:15、三嶋大社(源頼朝が源氏再興を祈願した古社。5万平方mの神域では、重要文化財の御殿、天然記念物の金木犀などが見所。また、北条政子奉納の国宝「梅蒔絵手箱」をはじめ重要文化財の刀剣・古文書などを多数所蔵し、宝物館で入れ替えをしながら公開している)。
駐車場から、参道を歩いてゆく。明日は雨の予報で、もう今日しかお花見のチャンスがない。だからなのだろうか、人も少し多いような気もする。ツアー恒例の集合写真を撮る。この世に存在する花の中でも、最も愛する桜の花、見事に満開。日本人が昔から特に桜を愛しく思うのは、艶やかに咲くその姿の裏に、すぐに散ってしまう事への寂しさを感じているからだと、聴いた事がある。15種類200本のサクラを御本殿へと続く参道、神池沿いに楽しむ。シダレザクラ、ミシマザクラ、ソメイヨシノ、カワヅザクラ、ジュウガツザクラ… 露店も出ていて賑やかだった。バスに戻る。9:50出発。

10:15、バスは三島わさび工場 株式会社山本食品に。工場見学する。工場に一歩足を踏み入れる。左側にはわさびの資料や商品が展示し、右側にはわさびに関する知識がいっぱい。わさびを擦るのにもっとも適してる本物のサメの皮も、そのままの鮫の姿で飾ってある。恐る恐る触ってみた。わさびを造る製造工程がわかるようになっていたけど、ただ人がいなかったので機械を見学。そして、売店に。売店を出て、外のソフトクリーム屋でわさびのソフトを買って食べた。10:35、出発。またまた、バスで寝てしまう。

10:50、沼津物産センター 味工房に。沼津は日本一の干物の産地らしい。くさやとか売っていた。会社のお土産を買う。550円のわさびのお茶漬けを3つ買おうとして、5050円、店員のおばさんに渡したら、お釣りを4400円貰う。俺、不審そうに考えていたんだけど、まだ二日酔いで、頭が回らず、そのまま店を出る。店員は正しいつもりでいたようだけど、1000円多くお釣りをもらっていたのに、後で気づいた。ラッキー。11:15、出発。
昼食の握り寿司弁当を添乗員が配る。バスの中で食べるけど、中々、美味しい。

11:55、富士山本宮浅間大社(全国に1300余りある浅間神社の総本宮で、11代垂仁天皇3年に始めて祀られ、51代平城天皇の勅命により、大同元年(806年)に坂上田村麻呂が現在地に社殿を築いた。富士山8合目以上は大社の境内に当たり、山頂には奥宮が祀られている。祭神は浅間大神とも呼ばれる木花之佐久夜毘売命で、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織等の守護神として知られる)に。
桜満開。広い境内には約1000本の桜が咲いていた。参拝をして、少し桜見学を満喫する。
浅間大社前「お宮横丁」の『富士宮焼そば専門店 すぎ本』で焼そばを買う。バスの中に持って帰ると、皆から食べたそうな声が聞こえる。12:55出発。やきそばを食べて、また一眠り。

13:20、身延山久遠寺(日蓮宗総本山。日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、年間を通して多くの参詣者が訪れる。境内のシダレザクラは有名で満開の花は美しい)に。
バスは、身延山久遠寺に近づくと、添乗員は、バスの駐車場の説明をする。人が混んだ場合、バスは、長い階段を登らずにすむ、せいしん駐車場に止められず、売店街横の町営の駐車場にバスを停めて、287段の階段を登らないといけなくなると説明する。状況によっては、総門から歩かなければならなくなるかもと言うけど、前のバスと連絡を取ったら、一番上のせいしん駐車場までいけるようだ。バスは西谷道路を上がっていく。添乗員、それが、よっぽど嬉しいかったのかウキウキしていたような…
バスを降りて、坂を上がってゆく。すでに、枝垂桜が多く咲いているのを見て歩く。本堂(日蓮聖人700遠忌の記念主要事業として再建。1985年5月に入仏落慶式が行われた)、祖師堂(日蓮聖人を祀る堂閣。日蓮聖人の神霊の棲みたもう堂閣であることから棲神閣と称す)と見て歩く。そして、祖師堂横に咲く枝垂桜をデジカメ撮影。久遠寺の枝垂桜は全国の枝垂桜10選に選ばれた樹齢400年らしい。枝垂桜は満開状態で、かなり綺麗。仏殿前の桜も綺麗だった。
祖師堂からだったか、建物の中に入り、本堂まで外の廊下を歩いて散策する。本堂の横で行き止まりになったので、途中で戻る。本堂を参拝する人を上から見ると、何か俺が神様になったように感じ、誰の願いを叶えようかと迷ってしまう。
妻と菩提梯(三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段。その名は、三門を経てここを登れば悟りの境界の涅槃に到達する階梯という意味。二十六世日暹上人の寛永9年の1632年、佐渡の信者・仁蔵の発願によって起工、完成されたもの。)を往復しょうと決意する。階段の上から見下ろすと、かなり急。高さ104m、急勾配の287段の階段、南無妙怯蓮華経になぞらえ、7区画に分かれる急な階段。一段一段が20〜30cmで高いので階段を降りるのに怖いくらい。妻と降りてゆくのだけど、登っていく人の疲れた顔、息づかいが荒れている人の顔を見ると、降りてゆくのが後悔しそう。階段途中で下を見下ろすと足がすくむ。手すりをつかみながら降りてゆく。他に、少しきつめの坂の『男坂』、ゆるいが侮るとけっこうきつい距離も長い『女坂』がある。階段を降り終えて、ホッとする俺と妻。高齢者の方や心臓病のある方は迂回路の「男坂」にお回り下さいとある。本当にそれだけ辛い階段。男坂っていうのは、長い坂道らしいけど、これはこれで辛いと思うけど。三門(涅槃の本堂に対し、その正面の門を三解脱門にたとえて三門という) まで歩いて少し休憩。山門近くでも枝垂桜が咲いていたので、デジカメ撮影。
そして、今度は287段の階段を登ってゆく。1段上るのに太ももを90度は上げないと上れないような階段でも、妻は元気に登ってゆく。俺も日頃、鍛えているので、皆よりは疲れない。運動不足と言いながら登っていたカップルの男も疲れているような… まさしく心臓破りの階段。登り終えて、妻はベンチで一休み。
まだ時間があったので、駐車場近くの本行坊の桜などをデジカメ撮影する。15:15出発。バスが売店街を通ると、すごい行列。添乗員が、あの行列は桜シャトルバスに乗る為の行列だと教えてくれた。100mぐらい並んでいたような気がした。添乗員「だから、ツアーがいいのよね〜」と。

16:18、富士川楽座(道の駅と東名上り線富士川SAが接合した、オープン型サービスエリア)に。ここで、夕ご飯を買う。まるとく市場で鉄火巻きを買い、マックでダブルチーズバーカーとテリヤキバーガーを買う。16:50、出発。

そして、富士駅に。団体貸し切り列車の発車まで時間があったので、再集合まで自由時間。妻とブラブラする。近くにイトーヨーカドあったので、歩いてゆく。そこで、カニサラダ、餃子を買う。勿論、夕飯に。

再集合時間の17:45になったので、集合する。18:01、団体列車に乗り込む。列車の中で夕飯を食べるが腹いっぱいになる。横浜には20:10に到着。

2006年2月17日〜2月19日 ANA全日空で行く!四国の旅・こんぴら・四万十川・足摺岬コース2泊3日編
2月17日(金)
今回の旅行は本当なら妻と一緒に行くはずだったけど、妻が風邪を引いて、自分だけの参加になった。
6:40、家を出る。駅まで歩いてゆく。今にも雨が降りそうな感じ。7:08、羽田空港に着く。羽田空港第2ターミナルビル2階に向う。早めに受け付けする。行きの羽田空港→高松空港の航空券、帰りの松山空港→羽田空港の航空券を受け取る。今回は3日間ともANA誘遊ぶ四国号に乗っての観光なので、三日分のANA誘遊四国号バス利用券も受け取る。朝食は中華丼を食べた。

羽田空港を8:15発。全日空631便に乗る。座席に座っていたら、スッチーにお連れ様の事で話しかけられる。航空券をキャンセルしていなかったので、怒られてしまった。
機長からアナウンスがある。「非常に強い寒気の関係で揺れる場合がある」と。少し覚悟をする。いつもなら、妻と話しをするんだけど、今回は妻がいないので、機内では本を読んで過ごす。着陸の時に揺れただけで、そんなに揺れなかった。

高松空港に到着。出口でバスガイドが待っていた。バスガイドに妻がこない事を伝えたら、バスガイドの方で、会社に伝えてくれると言われた。少し安心。皆が集合する。何と7名の参加者。老夫婦と、若い二人連れの女の子の二組に、俺。ANA誘遊ぶ四国号に乗る。大きなバスなので、ここで乗車7名では使い放題。俺は運転席側の3番目に座る。10:16出発。
バスガイドから、金メダルのように首に掛ける乗車証を受け取る。ペットボトルの水とキャンディーが配られた。

11:00、琴平温泉。湯元ことひら温泉 琴参閣)に着く。2時間自由時間。現在、13度らしい。ジャンバーが暑いかも。バスから降りて、バスガイドに連れられて歩いてゆく。行列が出来る「将八くん」、「灸まん」、犬と猫のペットのお土産屋の「ポチたま館(犬用さぬきうどんを売っている)」等を紹介しながら、金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれ、明治より前は金毘羅大権現と呼ばれた。長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海の守り神としても知られ、境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。明治より前は金毘羅大権現と呼ばれており、その由緒については二つの説が有る。一つは、大物主神が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、仏と日本古来の神を同一視する本地垂迹説により名を変え、金毘羅大権現と称したとする。もう一つは、もともと象頭山にあった松尾寺に守護神として祭られた金毘羅神から転じて、金毘羅大権現と呼ばれる様になったとする。いずれにせよ神仏習合の寺社となり、1165年には讃岐に流され崩御した崇徳上皇を合祀した。古くから信仰を集め、こんぴら講に代表される金毘羅信仰を後世に伝えるため、昭和44年8月5日、宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、金刀比羅本教の総本宮となった。総本部は金刀比羅宮の大門近くにある。本宮前から瀬戸内海の眺望が見事)に。
中野屋で杖を借りる。そして、こんぴら表参道の階段をどんどんと上がってゆく。老夫婦から声を掛けられる。妻が風邪だと言うと、奥さんが息子がインフルエンザにかかったと言う。旦那さんは「薬のタミフルを飲めば熱は引いた」と言っていたが。その息子もマラソンをしているらしい。マラソンをしているからと、安心してはいけないのかも。大門(これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると特別に境内での営業を許された五人百姓が加美代飴を売っている)を過ぎて、書院(重要文化財。1659年に建立された書院造りによる建物。内部は円山応挙らによる障壁画で飾られている)に。まだまだ、階段は続く。旭社(重要文化財。1837年に建立された銅瓦葺の二層入母屋造りの建物で、全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる)で、629段。写真を撮りながら歩いていたので、老夫婦に先を越されていたけど、ここで奥さんが疲れたのか、休んでいたので、追い越す。そして、785段目で本宮(桧皮葺の大社関棟造りで、大物主神と崇徳天皇を祭る)に。妻の風邪が早く治るようにと参拝する。時間が11:30だったので、奥社まで行こうと決意する。本社の右横から上がってゆく。常槃神社、白峰神社を過ぎてゆく。階段を登れど登れど、まだ着かない。汗をかいてしまう。ジャンバーが暑い。やっと、厳魂神社(奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当である宥盛を明治に入り厳魂彦命として祭った)に。11:45頃だった。少し息を整える。そして、同じ道を引き返す。白峰神社で、行く時にすれ違った時に頭を下げた女の子とすれ違う。11:30に本宮に戻る。絵馬堂の中を見ると、カバちゃんの写真があった。そして、階段を下って戻る。登ってゆく観光客の口から「エスカレーターをつけて欲しい」と何回も聞いてしまう。アフリカ象のモニュメント、でかいプロペラのモニュメントがあった。昼食は、讃岐うどん屋の「虎屋」に。750円の讃岐うどんを食べる。食べ終わって、杖を借りた中野屋のお土産屋を見て、金陵の郷(琴平の酒蔵である金陵が参道に面し設けた日本酒の資料館で、江戸時代の酒造りに用られた道具などを見ることができる)に。大きな一升瓶から枡に注がれる酒のモニュメントは迫力万点。酒を飲みたくなってしまう。驚いたのは、梅村辰夫漬物本舗があった。ここでも商売しているのか…
バスに戻ると、バスガイドから、本人から会社に電話して欲しいと言われる。第三者だと、何かマズイらしい。12:48出発。

バスは池田町を通る。ここで、昔、甲子園を湧かせた池田高校の話しになる。蔦監督の話しになり、蔦監督は選手を吉野川向かいの路上を走らせて、それをグランドの端から見ていたらしい。橋を渡る時に、蔦監督の実家を見る。緑の屋根の向こうの茶色の屋根が実家のようだ。

小歩危(車窓。小歩危は、小歩危駅の北1.5km付近から下流の1kmをいう)を車窓から見学。

13:55、大歩危(吉野川が四国山地を横切るところに、激流によって削られた渓谷が約8kmにわたり続く。「ぼけ」は断崖や急斜面をさす言葉で、大股でも小股であるいても危険なことから「歩危」の字がつかわれた。峡谷は深い所で1000mにも達し、いたる所に三波川系の結晶片岩が露出している。下流部には、北傾斜と南傾斜という対照的な地質構造がぶつかる大歩危背斜軸がはしっている。両岸の岩石は約2億年前の地層で、含礫片岩[がんれきへんがん]は徳島県の天然記念物。春のミヤマザクラ、イワツツジ、秋の紅葉のころが観光のベストシーズン。大歩危は、大歩危駅近辺から下流約2kmをいう。深い淵、奇岩奇石が続く男性的景観が特色)に。ホテル大歩危峡「まんなか」(四国のまんなかにある大歩危峡は、剣山国定公園、四国第2の高峰1955mの剣山より湧き出る吉野川の源流に位置し今でも国道とJR以外では、険しい道、崖道の場所にある。大歩危峡はその名前の通り、ボケ・崖道で大股に歩くと危ない場所であり、断崖の峡谷美と険しい秘境が今も残っている日本有数の景勝地として知られている)の駐車場にバスは停まる。ここから、大歩危船下り(乗船1050円、所要30分、時間:9〜17時に随時運航)が出来るけど、旅行会社に電話していたら、船が出てしまい、乗れなかった。次回、妻と来た時に乗ろうと思う。そのかわりに『山城情報館・石の博物館 ラビス大歩危』に行くことにする。ホテル大歩危峡「まんなか」から赤い橋に向って歩いてすぐのところ。観光客が誰もいない。石を科学するコーナー、人とくらしと石のコーナーと見てゆき、2階に行く。石の花は綺麗だった。時間が余ったのでホテル大歩危峡「まんなか」のお土産屋でブラブラする。15:00出発。

バスが走り出すと、いきなり、抽選会になる。お土産が一つ当たるらしい。でも、7名の参加者だから7分の1。バスガイドが言っていたが、普通は35分の1ぐらいらしい。で、抽選会は老夫婦の旦那さんが当たった。その後は、ガイドもなく、ビデオを見せられる。ミス四国だったか、綺麗な女性のドラマ。内容は、同じ鞄を間違えて持っていかれた男を捜す女性、その鞄には亡くなった父の手紙が入っており、手紙にはお父さんの大事なものをある人に預けているから、取りに行きなさいといったもの。それで、手紙がないと、ある人の居所がわからないので、男を捜しに行くんだけど… 中途半端で、ドラマは終わってしまう。続きが見たいのに…

高知新阪急ホテルに。16:00頃、到着。ホテルのアスレチッククラブに行き、筋トレする。
夕食は、豪勢にタラバとステーキ食べ放題。食事券2人分もらっていたで(計4000円分)腹一杯食べた。
食事券が余ったで土佐郷土市場ひろめ市場に行きお土産を買う。姫かつおと龍馬浪漫。そして、ホテルに戻る。

2月18日(土)
朝、走ろうと思って5:30に起きるも、やる気なし。今日も晴れようだ。朝食はバイキング料理。ちょうど、俺が部屋を出ようとしたら、隣の部屋から老夫婦も出てきた。一緒に食事会場に向った。

天気は晴れ。フロントに行くと、バスガイド(昨日とは違うバスガイド)が端っこで待っていた。少し太ったバスガイドという印象。バスガイドに連れられて、バスに。今日は運転席側の2番目の席。今日は5人かと思ったら、最終的には34人になるらしい。8:40、出発。

バスは桂浜(高知県高知市南部に位置し太平洋に臨む海岸。上竜頭岬が北東端に、下竜頭岬が南西端にあり、その間に挟まれて弓形に砂浜が延びている。下竜頭岬には竜王宮があり鳥居が立っている。昔から月の名所として知られ、土佐民謡「よさこい節」にも詠われている。毎年、中秋の名月の夜になると「名月酒供養」が開催され、地元出身の歌人・大町桂月を偲びながら文芸を語り酒を酌み交わす。1591年、長宗我部元親が桂浜北側の丘陵部に浦戸城を築き、一時この地が岡豊城に代わって土佐の中心地になった時期もあった。しかし、初代土佐藩主として土佐入りした山内一豊がこの地では手狭であると感じ、1603年、高知城を築いて移ったため浦戸城は廃城となった。高知市を代表する観光名所の一つ。坂本龍馬の銅像が太平洋を望んで立っている。ほかに観光スポットとして、坂本龍馬記念館・桂浜水族館・大町桂月記念碑などの文学碑等がある。尚、桂浜の砂浜は潮流が速いため遊泳は禁止されている。しかし、地元民以外の観光客などが知らずに泳いで、時々行方不明になる。潮流の関係から遺体は土佐市宇佐に流れ着くことが多い。また、台風接近時にはテレビ放送で中継される事が多い)に。9:00過ぎに到着。バスは俺達を桂浜に残して、高知空港に向って、他のツアー客を乗せて桂浜にくるらしい。3時間弱の自由時間になる。
駐車場から案内人に連れられゆく。記念館に行きたかったので、「勝手に龍馬記念館に行っていいですか」と女性の案内人に聞くと、遊歩道を案内しますからとついてきてくださいと言われた。後ろの席にいた女の子2人は、闘犬と子犬とふれあうツアーに参加するようだ。俺と老夫婦は、高知県立坂本龍馬記念館(龍馬がその生涯を通じてどのように成長し活躍したかを、龍馬の人間的成長に影響を与えた人物、また歴史的事件や活動の舞台などを分類し、七つのステージ展示で紹介)に。椿の小経を通って、龍馬記念館に。地下2階から見学して行く。龍馬の手紙が豊富にある。龍馬が陸奥宗光宛に書いた、暗殺2日前、催促した刀が届いた手紙などを読む。乙女宛の手紙が一番読み応えがあった。龍馬のピストル2種もさり気なく展示してあった。何だろうと思ったのは、変なアルファベットが並んでいたので、よく見ると、ジョン万次郎のアルファベット掛軸だった。小龍のために書いたものらしい。2階にエレベーターで行き、企画展示『ジョン万次郎と小龍と、そして龍馬』を見学する。パソコンでものしりクイズに挑戦する。2回とも全問正解パーフェクトだった。企画展示を出て、龍馬の京都円山公園にあるブロンズ像の原形像を見て、「日本を今一度せんたくいたし申侯事にいたすべく…」という龍馬の手紙を引用したパネルのステージなどを見学。端まで行くと、窓からは太平洋が望む。キラキラと輝いて綺麗。螺旋階段をあがり屋上の展望台に。ポカポカと暖かく、のんびりしていたら、妻の母から電話があった。「のんびりしておいで」と。
外に出て龍馬記念館の写真を撮っていたら、誰かの碑があった。龍馬脱藩に刀を与えて自決した次姉の坂本栄之碑だった。
龍馬の像に向う。何度か来ているので、場所はすくにわかる。俺の庭みたいなものだ。龍馬銅像(桂浜旧台場の上にある。昭和3年、高知県青年の建てたもの。彫塑は本県出身の本山白雲。像の高さは5.25m、座金30cm、台座約8m、総高約13.5m。坂本龍馬は海援体長隊長で、大政奉還の立役者、佐幕勤王の中に無血革命を敢行せんとした平和論者で、大衆敬仰のまとである)。ポカポカ陽気な中、写真を撮る。妻から電話があり、少し話しをする。
階段を下って、砂浜に出る。波は穏やか。
龍王岬に向う。龍宮橋を渡り、龍王展望台に。人が混んでいたので、上まで登らなかった。
土佐闘犬センターに戻り、闘犬と子犬とふれあうツアーに参加しようと思ったが、犬臭いと思って、やはり辞める。時間がかなり余る。お土産屋で時間を潰す。
もう一度、龍馬銅像に戻る。携帯の写真を撮って戻ろうとすると、バスガイドが龍馬空港からツアー客を連れてきていた。バスガイドが俺に手を挙げて「集合時間は11:45ですから」と声を掛けてくれた。お土産屋で、龍馬グッズ(タオル、走る龍馬像、龍馬の石、ストラップ、ハンドタオル)を大量に買う。後、先輩に頼まれていた、姫かつおを買う。やっと、時間近くになってバスに戻る。11:45出発。

これから、高知市内に戻る。城西館で、お客さん4人をひろうため。12:45城西館に。ところが、2人が乗り込んできたけど、もう2人が、城西館にいない。運転手まで、慌てて、確認を取ったり大忙し。12:28、やっと、2人のオバサンとその娘がきて、出発。オバサン「すみません」と何度も謝っていたが。

お馬トンネルという面白い名のトンネルを抜けて、13:07、道の駅「かわうその里 すさき」(1階の特産品コーナーでは須崎の海山の幸を販売。名物の「焼かつお」は中までしっかり火を通したもので、さっぱりと香ばしい。地酒も約500種と豊富に揃い、中でも口当たりまろやかな辛口の酒「かわうその里すさき」はココでしか買えないオリジナル。屋外にはかわうそ市もあり、新鮮野菜や果物を販売)に。バスの中で皆、注文していたので、会場に行けばすぐに食べられるらしい。駐車場から建物の中に入り、多目的ホールの中に。ところが、料理が並べられていない。俺はエビフライ膳を注文していたのだが。老夫婦の前に座る。十分ぐらいまって、やっと、料理が出てはじめる。一番最初に老夫婦のテンプラうどんが出て、俺のはその十分後に料理が出てくる。先に老夫婦が食べ終わり、奥さんが階下のお土産屋を見に行き、旦那さんがコーヒー(クーポン券でサービス)を飲んでいる時に、少し話しをする。旦那さん、72才らしい。時計屋をしていたけど、今はマンション管理をしているらしい。72才には見えない。昨日も金毘羅の階段を楽に登っていたが。一緒に会計をすませる。お土産屋で、からつき黒落花生を買う。13:57出発。

バスが走り出すと、土佐のゆずせんべいを配る。そして、昨日、中途半端で終ったビデオを最初から見る。第3話まで見る。まだ、続きがあるのに…
15:27、アカメ館(ルビーレッドと称される赤い目をもつ巨大魚「アカメ」が見学できるアカメ館。店内ではゴリ丼やウナギ定食など、四万十川でとれた食材を使った料理が味わえる)に。バスガイドが薦めていた藤娘という日本酒を買う。屋形船で飲もうする考え。バスに乗って、乗り場に向う。四万十川(高知県の西部を流れる渡川水系の本川で、一級河川。全長196km、流域面積2270キロ平方メートル。四国第2の川で、本流に大規模なダムが建設されていないことから、「日本最後の清流」と呼ばれる。高知県高岡郡津野町の不入山を源流とし、高知県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市(旧中村市)で太平洋に注ぐ。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっている。上流にダムがないため、水質が非常によく、四国随一の鮎漁場としても有名。流域には、欄干がなく増水時には水に沈む沈下橋が21本架かり、独特の景観を作り出している。観光遊覧船もでており、両岸の移りゆく風景を見ながらの川下りは旅情あふれる。生息する魚種は60種以上にのぼり、源流域にはアマゴ、中流にはアユ、ウナギ、カワエビなどの川魚、河口付近にはスズキやチヌなどの海産魚がみられ、特産のスジアオノリが豊富。内水面漁業が盛んで、ウナギとカワエビの柴づけ漁、アユの火振り漁、ゴリのガラ引き漁、ウナギの石ぐろ漁など、めずらしい伝統漁法もつたわる)の観光遊覧船(屋形船)に乗る事に。先にバスを降りたので、船の先頭に座る事が出来た。船が出発する。早速、船の案内人がマイクを使って案内する。今日の四万十川は濁っているらしい。上流の山の主の管理が悪いと散々文句を言っていたが。まず、青海苔。向かいのコンクリートの壁1mぐらいに青海苔がこびりついている。船を走らせ、伝統漁法をみせてくれる。漁師が小舟で待っていてくれて、その場で、投網法を見せる。小舟舳先から網を投げる。「土佐打ち」と呼ばれる独特な投げ方で、素人では上手く投げられない。バアーッと網が広がり、川に。芸術的な感じ。一発目の写真撮影は失敗してしまった。そして、漁も釣れなかった。網を投げた人は、釣れたと思わせる仕草をして笑わせてくれた。次に逆側に見せようと、船の位置を変えて、もう一度、網を投げてもらう。今度は、ガラス越しに写真を撮ることができた。この網は4キロあるようだ。鮎を釣る時は、6〜7キロないと、鮎が逃げてしまうらしい。船はまた走り出す。案内人、瓶に入れた青海苔と、シラスウナギの幼魚を回覧してくれた。シラスウナギの幼魚、中々、見られるものではない。瓶に入っていると、何か気持ち悪い。青海苔採りの実演を見せてくれる。漁師が川に入り、採っている。採ったものを、お客さんに、触らせるのだが。「これは食べられないのですか」と聞くお客さん。案内人「食べられないこともないけど、生は美味しくない」と。中々、楽しかった。屋形船に乗りながら、藤娘の日本酒を飲んだが、少し酔っ払ってしまった。案内人「四万十川は鮎、ゴリ、海苔、ウナギと?(聞き逃してしまった)が有名」と言っていた。お客さんの一人が「ウナギ(組合の許可はいらないようだ。自由に取れるようだ)の取り方を教えてください」と。案内人は丁寧に教えてくれる。後、5月20日頃からホタルが出てくるけど、そのホタルの呼び方を教えてくれた。何か、携帯を使うらしいけど、聞き逃してしまった。そして、「この風は雨を呼ぶ風だ。だけど、風が冷たいので、雨は降らないかも」と、案内人、不吉な事を言う。でも、本当、この案内人、四万十川が好きなような印象を受けた。案内人、最後には、この案内人、実はもっと上流で漁をしているらしい。今日は、本当の案内人がお休みで代打のようだ。それにしても、説明が面白かった。屋形船を下りると、テントでは、青海苔のお汁をサービスで配ってくれた。16:36、出発。

、もう一度、アヤメ館に。トイレ休憩後、中のお土産屋をブラブラする。16:54出発。

バスが走り出すと、抽選会。34人に前から順番にクジを引かせるのだけど、まだ、真ん中までしかバスガイドは配っていないのに、前に座っていた奥さんがアタリを引き当てたようだ。旦那さんが、こっそり教えてくれた。前日も当たって、今日も当たり。かなり引きの良い老夫婦だ。
バスガイド、四万十川を思い出しながら聞いてくださいと、四万十川慕情を唄う。しかも歌詞の4番は自作らしい。なかなか、作詞の才能があるような… ビデオの最終話を流す。やっと、結末が分かり、ホッとする。結局、お父さんの大事な物とは、故郷の美しい記憶だったのか…

足摺スカイラインを走り、足摺温泉郷に。まずは、足摺国際ホテルにお客さんを大量に降ろして、俺達が泊まるホテル足摺園に。18:00到着。
ロビーに集められる。バスの乗客の5人の宿泊。係員から館内の説明・食事の時間等の案内がされて、部屋にそれぞれ行く。エレベーターに『明日の日の出 6時46分』と書かれた黒板が貼ってあった。部屋は和室だった。いごっそうの湯(男湯)に入浴。弱アルカリ性らしい。ちょうど、宴会時間だったのか、俺が入ると、誰も入っていなかった。それで、ゆっくりと入った。夕食は宴会会場が一杯で、部屋食に。部屋でゆっくりと食べる。近くが宴会会場なので、カラオケの歌がかなりうるさい。ビールを買いに行ったら、自動販売機に一つビールが残っていたのか、取り出し口に自分で買った分ともう一つ缶ビールがあった。ラッキー。
七階の露天風呂・さきの方舟(雄大な海と空に包まれながら、開放感に溢れた露天風呂)に行く。すると、変な男2人会う。二人とも酔っ払っている。嫌な予感がしたけど、やはり、露天風呂に。一人の年取った酔っ払いは、脱衣場じゃないのに、脱ごうとしたり、もう一人の若い男は、女風呂を覗こうとしたり… 俺が風呂に入っている間にも、からんでくる。かなり迷惑した。大人として最低限のマナーを守るべきだ。
口直しに、2階の、いごっそうの湯(男湯)に入りなおす。何と、ここでも誰もいなかった。一人でゆっくりと入浴する。風呂から出て時間を見ると、終了時間23時を15分過ぎていた。だから誰も入浴していなかったのか…

2月19日(日)
5:30に起きる。6:20頃、ホテルを出て散策。日の出を見ようと、外に出る。まだ薄暗い。ホテルから左に歩いてゆく。昨日、仲居さんから聞いたところによると、歩いて5分ぐらいらしい。左手に、道があり、少し上り坂だったので、展望台に行く道だと思って歩いてゆく。木の板の遊歩道になっている。ところが、登れど登れど、道案内は出ていない。しかも、何かジャングルぽい。すれ違う人もいないし、何かおかしいと思っていると、行き止まり。引き返すことにした。引き返して、道路に戻って、先に進む。看板を見ると、迷ったジャグルは足摺亜熱帯自然植物園だった。5分ほど歩くと、後で行く金剛福寺を通り過ぎる。足摺岬の看板が見えてきた。その先に、ジョン万次郎像もある。ふと「おはようございます」との声がしたので、声の方向を見ると、あの老夫婦が案内板のところにいた。何か、三日間一緒のようだ。右に行こうか、左に行こうかと迷っていたところのようだ。地図を旦那さんが持っていたので、それを頼り右の方向に行く。少し坂を上がると、展望台に。まさに、地球は丸いと実感する海の広さ。地平線がゆっくりと丸くなっている。奥さんに日の出は6時46分だと教える。が… 曇っていて日の出は見えなかった。残念。待っていても仕方が無いので、諦める。
ホテルに戻って、すぐに売店に。宅急便用に箱(220円)を買って、部屋に戻って、送る荷物を詰め込む。すぐに売店に行って、横浜に送ってもらう事に。
7時を過ぎていたので、俺が一番最後。ご飯を食べて、部屋に戻る。

8:00に部屋を出て、チェックアウトする。もう、皆、集まっており、ロビーでバスを待っていた。冬季オリンピックをロビーのテレビを見ながら、バスを待つ。8:10過ぎにバスが到着。バスに乗り込む。今日も運転席側の2番目。皆、昨日と同じ位置だったようだ。暗黙の了解だったのかも。天気は曇り。バスガイドの「おはようございます」と一言二言と話していると、もう足摺岬に到着。足摺岬(足摺半島の突端にある四国最南端の岬。標高433mの白皇山を中心とする花崗岩大地が沈隆と隆起をくりかえし、 長い歳月をかけてできたもの。岸壁には、荒波さかまく黒潮が絶えまなくうちよせる。その岸壁にたてば、ゆるやかに弧を描く太平洋はかぎりなく美しく、高さ80mにもおよぶ断崖絶壁は思わずのみこまれそうに なるほどの迫力。豪快にしてダイナミック)観光がはじまる。バスを降りる。まずは、バスガイドに連れられて、ジョン万次郎像(遠く第二の故郷のアメリカ・フェアヘーブンに向かって立っている。手にはコンパス、三角定規を持っている)のところに行く。少し、ジョン万次郎の事を説明して、展望台に向う。売店を過ぎて、階段を登ると、展望台。朝と同じ景色。天気は曇りだったけど、どうにか水平線も見ることが出来た。
そして、足摺岬灯台(1914年・大正3年の点灯で、1960年・昭和35年に改修された白亜の灯台。岬のシンボル。地上〜頂上部は18.1m、水面〜灯火の高さは60.6m。200万カンデラの光度は日本最大級といわれ、光達距離は38km)に向う。白い灯台と、海の蒼さは絶妙なコントラスト。崖下の海をじっと眺めていると、誘われそう。
まずは、地獄の穴(この穴に硬貨を投げ込むと、しばらくの間チリンチリンと音がして落ちてゆく。その穴は金剛福寺の本堂のすぐ下まで通じているといわれている)に。ただ、今は、枯葉や土石によって埋もれているようだ。
次に、弘法大師爪彫の石(文字通り弘法大師が「南無阿弥陀仏」の六文字を爪で彫ったと伝えられている石)。石に一円玉が貼り付いている。誰か、一万円を貼ろうかと言っている人がいたけど…
亀呼び場(弘法大師が前にある不動岩に亀の背中に乗って渡り、身体安全、海上安全の祈願をされたと言われ、この所から亀を呼ぶとその亀が浮かび上がると言われている)。誰も「お亀さ―ん」と呼ぶ人はいない… 岩がゴツゴツしていたと印象が…
大師一夜建立ならずの華表(弘法大師が一夜で鳥居を作らせようとしたが、天邪鬼が鳥の鳴き声の真似をして、弘法大師は夜が明けたと思いやめたと言われている)。それにしても、足摺には七不思議が沢山ある。「七不思議」の「七」は、数の「7」の意味ではなく、昔は「たくさんあること」をさしたといわれており、実際には21ヶ所存在する。また仏法では、「七」の数を非常に重んじたため、38番札所の金剛福寺の境内にあるこれらのものに「七不思議」と付けたと言う説もある。
ゆるぎ石(大師が金剛福寺を創立の時に発見された石で、この石の動揺の程度によって孝心を試すと言われている)。親孝行者がこの岩を押すと、揺れて上に乗せた小石が落ちるが、親不孝者が押しても小石が落ちないと言う不思議な石らしい。俺は…
金剛福寺(四国霊場第38番札所で、822年・弘仁13年、嵯峨天皇の勅願を受けて弘法大師が開基した古刹。本堂には大師自刻と伝わる三面千手観音像が納められている。愛染堂にある愛染明王は平安末期の珍しいもので、奈良の興福寺から一條家が鎌倉時代に奉納した。脇には象頭人身[ぞうとうじんしん]の聖天像が祭られている)に向う。釣りバカ14でロケがされたお寺のようだ。
仁王門をくぐり、石段を上ると正面奥に本堂。本道に行く前に目立つようにあるのは「大師亀」。頭をなでて念ずれば、幸運がくると言われている。それにしても、思ったより大きな寺と言う印象。護摩堂(護摩堂では護摩法要を3が日の間行う)、弁天堂、愛染堂、鐘楼、多宝塔等が建ち並んで、12万平方kmといわれる広大な境内だ。大師堂に行き、中を見ると、弘法大師がいた。デジカメで撮ってしまった。そして、バスに戻る。9:01出発

足摺スカイラインを通り、バスは足摺サニーロード(昭和62年に全線改良を終えた国道321号は愛称を広く全国から募集。新生「足摺サニーロード」として人々の旅を満喫させてくれる道になった)。バスは美しい海岸線を走る。

9:38、竜串海中公園(1970年7月1日竜串の海は、日本ではじめて海中公園に指定。四国最南端、黒潮が日本列島にぶつかる足摺岬より少し西にある竜串海中公園は、黒潮暖流の影響を受けて造礁サンゴや熱帯魚が生息する海の宝庫といわれている。海中には、テーブルサンゴやキクメイシ、海トサカにヤギ類など、ソフトコーラルの数々が色鮮やかに生息している。中でも見残し湾のシコロサンゴ群落は、国の天然記念物に指定されてる。このサンゴ類の間を原色豊かなコバルトスズメダイやチョウチョウウオなどの熱帯魚が遊泳するさまは、海の花園と絶賛され、美しさとともに海底の幻想的な世界が私たちを楽しませてくれる)に。バスは駐車場に停まる。中国風のお土産屋の建物(サンゴ博物館)の中を抜けて、案内人に連れられて船着場に。気温は10度、海の中は17度らしい。行く途中で、ツバメガシという木を教えてもらう。備長炭になるらしい。
船着場のところで、料金を払う。900円。グラスボート(グラスボートは船底のガラスを通して、海中公園の海の生態を広く鑑賞することができる)に乗る。ボートに乗ると、もう人が一杯。よく見ると老夫婦の隣りが空いていたので、そこに座る。風呂釜のような感じで、底が透明になって、船底が見える。立ち見も出るくらい混んだ。グラスボートは走りだす。走り出しても、魚やサンゴが見えない。「(ボートの走る)音がうるさいから逃げているんじゃないか」というお客さんの声。やっと、魚が見えたら「いた」とお客さん達が歓声。紫色のサンゴはトゲトサカ、ひらぺったいのはテーブルサンゴと説明される。ソラスズメダイという熱帯魚がいた。このソラスズメダイは、熱帯魚ではなく温帯魚らしい。案内する人も最近知ってびっりしたという。ポイントを変えるため、グラスボートは走り、違うポイントにとまる。沢山の小さな魚群がいた。イシモチという魚らしい。頭が固いからそう呼ばれるらしい。ハタも見えて、ウツボも見られた。ハリセンボウがいると案内人が言っていたが、俺は分からなかった。ボートはどこかの船着場に着き、カップルを降ろして、ボートは元の場所に戻って終り。
船着場から竜串海岸に下りる。老夫婦の奥さんが行きたがっていたので、ついてゆく。旦那さんは時間の事を心配していたけど、奥さんは「もう来ないかもしれない、見ていこう」と。歩きにくい平らな岩を足元を注意しながら歩く。岩壁を超えると、凄い、景色だった。やはり、こういう場所は行かないと分からない。見残し海岸か、竜串海岸が分からないが、見残したらいけない。中国風の建物からバスに戻る。10:35出発。

バスが走ると、みかん・いよかんジュースがサービスで配られる。
そして、今日は早目の抽選会になる。例のごとくクジを前から引いてもらう。老夫婦は最後で良いと言って、俺の番に。まだ全員にクジが行き渡っていないのに、こっそりクジをめくると「あ」の字が見えてビックリ。見た瞬間、「当たった」とは言わないで、わざとらしいけど、皆クジをが引き終わって誰も当りがいないので、バスガイドが心配になった時に俺がめくると「アタリ」だったという場面を想定して芝居をするのだけど… あまり感動的なアタリを見せる事が出来なかった。感動とは作るものではない。賞品は、青のり海月と、ちりめん山淑だった。後で、参加賞という事で「てんやわんやの善助餅」を配られるが、当たった俺までもらえてしまった。
南国土佐を歌うバスガイド。中々、旅情緒を演出している。
八十八の寺院を巡るお遍路さんの話しを始めるバスガイド。八十八の寺院を一から間違えなく言い始めたのには、驚いた。

11:45、ホテルサンパールに。ここで昼食。前もってバスガイドに、うどん定食を注文していた。席に着くと、テーブルには自分の名前とうどん定食と書かれた札があった。ほどなく、テーブルにうど定食がきて、食べた。食べ終わって、売店に行ったのだけど、そこで、勘定を払っていないのに気づく。慌てて、食堂に戻って、勘定をすませる。時間がかなりあったので売店を見る。水槽に、僧都川で捕れた大うなぎ(身長145.3cm、体重10kg)を見る。12:50出発。どうも、集合時間を守らない人が多い。

宇和島は真珠が有名。お昼寝タイムにり、バスガイドの案内はお休みしてくれたおかげで、少し眠れた。

13:48、宇和島駅のホテルクレメント宇和島で二人下車。ホテルクロメントで希望者だけトイレに行って良いと、バスガイドから言われたので、前の観光客に続いて、俺も行く。14:05出発。

14:15、14:15、宇和島真珠会館(真珠製品の加工直売店。全国でも有数の真珠生産地「宇和島」産の高品質な真珠製品が格安。店内には常時2000点以上の真珠製品を展示販売)。高価な真珠見て目の保養する。チーズえそちくわを買ってバスの中で食べようと思ったら、袋が破けない。諦めてお土産にする。14:35出発。

西予宇和から高速に乗り、東京ラブストーリーの最終回ロケ地となった大州を過ぎ内子五十崎で高速を降りて内子町に。15:10内子町に。内子町並み散策する。愛知銀行内子支店前でバスを降りる。バスガイドが道案内しながら、大森和蝋燭屋(大森和蝋燭屋は江戸時代から続く蝋燭屋。いまなお、当主が昔ながらの製法で製作、販売。和蝋燭作りの様子は、店内から眺めることができる)までつれてくる。無料で中を見学する。主の手の中で、だんだんと重ね合わさっていく和蝋燭。見事。
すぐにそこを出て、時間がないので、急いで「商いと暮らしの博物館」(江戸後期から明治期の商家をそのまま利用し、大正10年頃の薬屋の暮らしを人形と当時の道具類を使って再現しており、店先では「おいでなはい」と人形の丁稚のあいさつに驚きます。併せて、内子町の歴史や民俗、郷土の生んだ人物について、模型、映像などを用いて説明している)に向う。急いで見学する。朝食の様子、炊事場の女中、丁稚が在庫倉庫で勉強している様子とか、人形が言葉を喋るのがウケる。まだ見たかったけど、急がないといけないと思って、後にする。
商いと暮らしの博物館の係員から内子座の場所を聞く。「お兄さんの足だったら5分ぐらいかな。信号超えて、一つめを右に」と教えてもらう。急いで、向う。内子座(大正5年に建設された約650名収容の本格的な歌舞伎劇場。枡席や回り舞台、奈落など、劇場の内部を見学することができる。現在では、芝居のほか、寄席やコンサートにも利用)では、デジカメで写真を撮っただけ。
再び、大森和蝋燭屋に戻る。
森文醸造では、水戸黄門になりきって、女性がカメラを撮っていた。笑っている水戸黄門が笑える。
大村屋(江戸時代末期寛政年間に建てられた民家。大村家は商家で、雑貨商と農業、染物、生糸製造、切手等販売と生業を変え、堅実な暮らしを守ってきた。200年以上も前に建てられた民家としては、寛政5年に建てられた旧米岡家・現在の町家資料館とならんで、町並みで最も古い建物のひとつ。白漆喰壁に虫籠窓を設けた昔の町家の姿をそのままとどめている)の写真を撮ろうとしていたら、おっさんがおばさんと入り口でベラベラと喋っていた。完全に邪魔なんだけど…
本芳我邸( 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された内子町の八日市・護国地区にある商家。桟瓦葺き木造2階建て大壁造りの建物は、晒蝋の量産製法である伊予式箱晒し法を考案し内子発展の基礎を築いた人物の芳我弥三右衛門が明治17年に建てたもので国の重要文化財。三右衛門の編み出した製法により木蝋の生産量は飛躍的に増大、芳我家は木蝋の生産と海外輸出で財を成し町一番の豪商となる。見学できるのは外観のみだが、漆喰を使った懸魚や2階の随所に施された波頭文様の鏝絵など、贅を尽くした意匠は必見)に行くが、工事中。庭を少しだけデジカメ撮影する。
木蝋資料館の上芳我邸(蝋商、本芳我家の分家の一つで、明治27年の建物。晒蝋生産で財をなした商家で、蝋商の暮らしぶりや木蝋生産の様子が見学。敷地内の展示棟では、木蝋生産の様子などが、模型・映像などを用い解りやすく展示。この建物は、平成2年に国の重要文化財に、平成3年には、製蝋用具が国の重要有形民俗文化財に指定されている)に向う。時間があったので、中に入る。けっこう広いので、急いで見学する。蝋搾り小屋、製蝋用具展示棟、炊事場(炊事場は凄く広い)、風呂場(風呂はそれ程豪華ではなく、以前、一般の家庭にもあった五右衛門風呂)、主屋(桁行15.9m、梁間12.0m、屋根は切妻、二階建、桟瓦葺、前後及び南側に庇をつけた大壁造の建物)に上がり、2階、3階と上がるが、階段を降りるときに、頭上注意の字を見ていたら、頭を打って痛かった。
バスに戻る。あと4人にが来ないとバスガイドが慌てていたのは気づいていたが、2人が時間ギリギリで来て、あと2人と思っていたら、バスガイドの勘違い。バスガイド、宇和島駅で二人降りたのを忘れて、無駄に3分ロス、16:13出発。

雨に降られずに、ラッキーに旅行だった。17:08道後温泉に立ち寄り、4名降ろす。道後温泉のからくり時計(この坊っちゃんカラクリ時計は、道後温泉本館100周年を記念して「振鷺閣」を題材に建てられた。このかわいらしい2階建ての時計台は、8時から22時までの間、1時間ごと(30分ごとの場合もあり)に太鼓の合図と美しいメロディーに合わせ動き出す。そのカラクリは、夏目漱石の小説「坊っちゃん」に登場する坊っちゃんやマドンナなどの人形20体が次々と顔を出しながら、空に向かって4階建ての時計台へと変身するもので、道後の観光名物となっている)をバスの中から撮ろうとしたけど、うまくいかなかった。2度もチャンスがあったのに… バスは松山城の堀沿いを走る。カモらしき鳥が堀に浮かんでいた。30万の小屋に住んでいるらしい。カエルもいるけど、ここのカエルは鳴かないとバスガイドは言っていた。
17:35松山空港に。松山空港レストランヴァンヴェールで、しょうが焼きセットを食べる。19:15松山空港、全日空598便。前の席をお願いしていたので帰りは楽だった。ただ、ジュースのサービスが全員に行き渡らないうちに、気流の関係で揺れがひどくなり、サービス中止に。俺は前に席だっのでリンゴジュースは飲めたけど… 売店で買った竜馬の麦焼酎を飲んで時間をすませる。
羽田空港、20:37着。20:44の新逗子行きに乗って帰る。

2006年1月7日 ドキドキ旅の福袋 ミステリーツアー日帰り編
1月7日(土)
今回は、毎年大人気という「2006年お年玉企画ミステリーツアー」。おすすめポイントとして「行き先は当日までのお楽しみ!。昼食1回付(お正月ならではのご昼食) 。初詣で新年祈願。車内にてお年玉抽選会。ちょっぴりお土産も」とあった。
7:10、家を出る。自転車でコンビニまで行く。風が冷たい。天気は晴れ。昨日の天気予報では「雪が明け方降る」と言われていたので、一安心。後は、雪の降らない所に、行って欲しいものだ。7:20、コンビニでおにぎりを買う。あと、集合時間まで10分しかないので、急ぐ。妻の自転車と自分の自転車を自転車置き場に預けて、すぐに上大岡駅近くの集合場所に。添乗員は男の人だった。何とか、間に合ったようだ。
7:30、出発。27名の参加。バスの席順は出入口側の8番目。東名に乗ったら、すぐに渋滞。パトカーが何台か通ったので事故のようだ。大和トンネルの中で車が横転していた。それで一車線しか通行できずに渋滞になっていた。トンネルを抜けるとスムーズにバスは走りだす。海老名でトイレ休憩。メロンパンを買う。9:00出発。後ろの席が空いていたので、一番後ろの席に座る。バスは御殿場で高速を降りる。雪化粧で真っ白な富士山。道路脇にも雪が積もっていた。冬らしい景色。添乗員、一昨日この辺りを通った時は、吹雪だったようだ。頂上に雲のかかっていない富士山にしばし見とれる。

10:15、忍野八海(忍野村一帯はその昔、山中湖とつながった巨大な宇津湖[うつこ]の湖底だったといわれる。その後干上がって現在の盆地になったが、この時残った8つの湧水が八海で、全国名水百選にも選ばれている。いずれも忍草[しぼくさ]地区に湧き、湧池、濁池、鏡池、銚子池、菖蒲池、底抜池、お釜池、出口池がある。なかでも、池へ向かう道にレンガが敷き詰められた湧池の周辺が、探勝の中心になっており、草葺き屋根の水車小屋や資料館のほか、食事処などもここに集まる。出口池は少し離れた場所にある)に。
駐車場から、添乗員に連れられて湧池に。青い池には、鯉が泳いでいた。中池(富士山からの湧泉で地下十米下を湧水路が通り向かいの湧池ともつながり魚が往来遊泳している。水深5m、左右の青い市は珪藻土で昔噴火で積もった灰が草木を侵食させいつしか湧泉の通り道を作った。水温12.5度)に行く。お土産屋の中を通り、ドーナツ状の歩行路から池の中をのぞく。神秘的な池という感じ。俺が池を離れようとしたら、魚がバタバタと騒ぎ出した。びっくりしたので、俺は池から離れたけどね。湧池を離れて、鏡池(不規則な長方形の池で、湧出量はきわめてわずか。水は濁っているが、風がないときは富士山がはっきり見える為に、この名がついた)の方に行く。おばちゃん達が「見える見える」と言うので、俺も鏡池の池面を見ると、池面には富士山が鏡のように綺麗に映っていた。これが、逆さ富士か。勿論、デジカメで撮影する。帰りに、お土産屋で、ほうとうを買う。あさってのお昼ご飯になるらしい。10:40、出発。

10:55、浅間神社(室町時代初期に建立された神社で、追分最古の木造建築。長い年月の間に、幾度となく浅間山の噴火の脅威にさらされてきた社の様子は、境内に残る松尾芭蕉の句碑「ふきとばす石も浅間の野分かな」からもうかがい知ることができる。明治2年5月には、浅間山の火山活動が激しくなり、その鎮静を祈願して同年9月に明治天皇の勅祭が行われたと伝わっている)に。バスから降りると、古い杉檜に圧倒される。参拝して、おみくじを引く。今年二回目。一回目の吉から大吉を狙ったけど、末吉に格下げ。妻は末吉から吉に昇格した。11:15出発。

12:00、昼食。バイキング。宝石庭園のあるドライブイン日食に。昼食会場に行くと、2人連れは向かい合わせに座らされる。妻と向かい合わせに座らされ、係員からバイキング料理の説明がされる。一方通行はなく、空いているところから取って下さいと。樽酒は正月なのでサービスになっている。ジンギスカン、蟹入りほうとう、かまぼこ、チラシ寿司、刺身等を食べて腹いっぱいになる。12:50出発。

12:56トルマリン工房英雅堂に。係員が説明しながらトルマリンを見学する。入り口ある縁起の良い鷲、グランドキャニオンで産出する約2億年前の古代唐松の化石。係員は「トルマリンは7種類の色彩を持つ」だのと説明する。結局、スリーストンダイヤモンドを一押しして、商品説明が始まる。最初、スリーストンダイヤモンドのネックレスは15570円で、端数はサービスして15000になったけど、あるおばさんが端数をサービスして10000円じゃないのと強引に値切ってしまう。13:35出発。

13:51御坂農園グレープハウスに。お店めぐりというか、買い物ツアーに飽き飽きする。14:05出発。

ハーブ庭園旅日記に。係員の説明を聞きながら、温室のハーブを見て歩く。結局、いつものようにナチュラルハーブ化粧品の販売となる。妻は俺にねだってナチュラルハーブ化粧品を購入。俺はブルーベリー100%果汁2本買う。15:00出発。

15:23、笹一酒造に。係員と一緒に工場見学。精米室で色々と説明を受ける。吟醸酒には山田錦など酒造用の米を使い、普通に食べるにはあまり美味しくないらしい。一つの袋に1トンの米が入っており、この米を最大40%まで精米しているようだ。そして、お土産屋で試飲する。色々と試飲をして土産屋を見ていたら、100円で、お猪口一杯呑めるコーナーがあった。超特選の「笹一」を飲む。一升瓶で1万円もするお酒だけに、旨かった。15:50、出発。

バスが走り出すと、さっそくジャンケン大会に。添乗員に勝ったら賞品がもらえるんだけど、これが見事に勝って、賞品をもらう。賞品はコップの中に入ったお洒落なローソクだった。妻は何度か参加したけど、結局、もらえなかった。
石川パーキングでトイレ休憩。渋滞なく、スムーズにバスは進み、18:20頃、上大岡駅に。

2006年1月2日 小江戸・川越七福神めぐり日帰り編
1月2日(月)
7:40に妻と一緒に家を出るつもりが、携帯探しに手間取る。服を着る途中で何かの拍子に、携帯がポケットから落ちたのは覚えているが、それをどこに置いたか、ウエストポーチに入れたか、わからなくなった。朝の頭が回らないのと、正月ボケか? 結局、妻からの携帯が鳴って見つかる。8:00に家を出る。今日の天気は曇り。昨日、福袋で買ったグリーンのジャンバーを着る。実はあまり気に入っていない。走って妻に追いかけてゆく。ちょうど、妻が駅についた時に、追いつけた。

8:30受付。けっこう美人で可愛い添乗員。バスの席は運転席側の一番目。8:33出発。44名の参加。妻の母から電話が入る。「楽しんできなさい」と。環八から関越道に入る。
9:36、三芳でトイレ休憩。ジュースとポッキー買う。10:00、出発。
10:30頃、妙善寺に近づくも、渋滞で中々、バスが駐車場につかない。バスから路上で降ろされて、バスが駐車場に向う間に、歩いて参拝する事に。
妙善寺(15分参拝。毘沙門天。天台宗に属する元中院の末寺で道人山三心院と呼ばれ、開山の仙波中院28世尊能法印が寛永元年に父母の追福の為この寺を建立。その父の法名を道仙三心と言い、仙の字を割って道人山と号し、母の法名を妙善大姉と言い、この法名から寺の名が起こったと言われている。堂宇は天明8年の火災によって焼失し以後仮堂だったが、昭和53年壇信徒の総力によって念願の再建が叶った。また、北側の菅原神社や六塚社も、やはり尊能法印が寺領に勧請したものだが、天明の大火によって後に現在の社地に移されたと言う。創建時の本尊は薬師如来でしたが、今では不動明王を本尊とし、脇には阿弥陀如来、観世音菩薩、毘沙門天が安置。境内には室町時代嘉吉元年(1441)契薫大姉逆修の年号を有する板碑供養塔、石造りの地蔵尊(元禄6年)、さつまいも地蔵尊等がある)に。
中々の混み様。体育館のような階段を登って参拝。参拝自体はすぐに終る。さつまいも地蔵尊があった。川越はサツマイモでも有名らしいと初めて知る。250年以上の歴史があるらしい。階段下で、焼き芋が売られていた。寒いのでバスに戻る。1057、出発。

11:08頃、バスは16号の走り、これまた駐車場前で立ち往生。駐車場が小さいというか、バスが2台で満員状態なので、バスを路上で降りる。歩いてゆく。桔梗の実から良い匂いがした。
天然寺(15分参拝。寿老人。自然山大日院と号し、本尊大日如来(金剛界)を安置。慈覚大師草創の地と伝えられているが、天文23年(1554)9月開山栄海上人によって創建された。境内には慈母観音像、六地蔵尊等がある。平成3年5月には新本堂・客殿・庫裡が完成し、寺観を一新。また、当寺は小江戸川越七福神霊場と武蔵国十三仏霊場になっている)
参拝して一息つく。池に立派な鯉が泳いでいた。
御神籤を引く。妻は末吉、俺は吉だった。運勢は『たいへん威勢のいい運勢です。また新しい事が始まる気配があります。この時期計画さえしっかりしていればたいていのことは成功します。ただ、うかつに取り組むと、前景気や掛け声ばかりで、肝心の内容が伴わないということになりがちなので注意を要します。あまり旨い話には手をださないこと』と。健康は『空元気をはって無理はしないこと。病気はそれほど心配することはないが、軽くみてぶり返すこともある』と。11:30、出発。

11:40、喜多院(15分参拝。大黒天。埼玉県川越市にある天台宗の寺。山号は星野山。北院とも書き、川越大師ともよばれる。830年(天長7)、円仁が創建し、星野山無量寿寺の勅号をえたという。中興の祖といわれる尊海が鎌倉末期に関東の天台寺院580寺を付属させると、関東の天台本山となり、中院を中心に南院、北院(のちの喜多院)の3院が成立した。やがて所在地名から仙波談所とよばれ、関東天台宗の中心道場として学徒の養成にあたったが、1537年(天文6)、北条氏綱の河越城攻めで兵火にあい、全山焼失した。1599年(慶長4)、天海が第27世住職となって北院を領有すると、以後徳川家康の保護をうけて大いに復興し、中院にかわり北院が中心となる。後陽成天皇から東叡山の山号をたまわったが、のちにこの山号は上野の寛永寺にうつり、星野山の山号にもどっている。このころ、北院は喜多院とあらため、南隣には東照宮が創建された。1638年(寛永15)には川越大火でまたも焼失。川越藩主の堀田正盛は造営奉行となって復興にあたり、3代将軍徳川家光の命令で江戸城内紅葉山の将軍別殿を客殿や書院として移築するなど、諸堂を整備した。現在、当寺に家光誕生の間(客殿)や乳母だった春日局の化粧の間があるのはそのためという。現在の建物のうち、客殿、書院、庫裏、山門、慈眼堂、鐘楼門は江戸初期の建物で重要文化財。また、狩野吉信筆の「職人尽絵屏風」、銅鐘、糸巻太刀、宋版一切経も重要文化財。職人尽絵は各種職人の風俗や仕事の内容をえがいており、江戸初期の風俗史ならびに工芸技術史の資料として貴重である。ほかに、三十六歌仙絵額、五百羅漢石仏などがある。多くの文化財や正月3日の初大師・だるま市、五百羅漢などの見どころや行事があり、川越大師として親しまれ、参詣の方々が訪れる)に。
ここで、団体での参拝が終る。4時間の自由時間。露店が並び、凄い参拝客。参拝客が並ぶ真ん中の行列に並んでいると、端の方が空いていますとの係員。俺達が端っこで参拝しょうと、真ん中の列から脇にどいて端っこに行きだすと、係員は「右端の方でも、ご利益は変わりません」と。少し笑ってしまった。

成田山(15分参拝。恵比須天。成田山本行院の開祖、石川照温上人(一心坊)は、両眼を失明し、前途の希望を失い何度も自殺を試みますが、遂に果たされません。それは神仏が未だ己を見捨て給わぬ為であると信じ、成田山新勝寺にて苦行の末、両眼が見える様になった。そして、不動明王の偉大な御威徳、大慈悲に、一生を明王の為に捧げることを誓う。その後、諸国巡歴の旅の途中、川越通町八幡神社境内に不動堂を建立し、ご本尊は成田山新勝寺の不動尊のご分霊を安置。嘉永6年、空堂となっていた久保町(現在の地)に本行院を再興し、前記のご本尊を奉還した)に。
凄い行列が出来ていた。それでも並ぶ。参拝まで時間が掛かる。ふと、脇を見ると、厄年の看板がある。俺、今年が本厄だと思っていたら、今年は後厄だった。「厄が終っていたんだ」と喜んでしまった。参拝が俺達の順番になったと思ったら、妻は母親と電話中。俺が参拝しょうと思っていると、妻が、その電話をかわろうとする。俺は参拝中だからと断ったけど、妻は電話しながら参拝していた。妻が言うには、俺の厄が全部、妻の父親に行ったので、父親が入院したと。俺「お父さんに、ありがとうって言わないとね」と冗談を言ったのだけど。考えてみれば、妻も去年は怪我と病気が多かったような…

徐々に雨が降ってきたので、映画館を過ぎて、左に曲る。ファミリマートがあったので、そこで、傘を買う。

12:20、近くに手打ちうどん屋があったので、昼食。

12:50、七福神めぐりを一時、休憩。川越湯遊ランド(1700円。光明石天然鉱石温泉)に行く。フロント近くでサウナ着とバスタオル・タオルを受け取る。檜風呂、ラジウムの風呂に入る。13:30、七福神めぐりに。身体がポカポカして、そんなに寒くない。

蓮馨寺(15分参拝。福禄寿神。天文十八年(1549)、川越城主、大道寺駿河守政繁の母君、蓮馨大姉は、民衆の心の安らぎの場として、当山を創建。開山は感誉存貞上人で、のち大本山増上寺第十世に登られた方。徳川時代には、関東における“十八檀林”の一つに列せられ、幕府公認の僧侶養成機関となり、多くの学僧を育てた。呑龍堂に祀られる呑龍上人(1556〜1623)は、各地を巡っては困窮する多くの人々を救い、まずしい家の子供達を寺に預かっては、勉学の機会を与え、諸々の相談事をうけては解決していったという、正に生きた仏として崇められた方。社会事業の先駆者であり、今日でも、霊験あらたかな仏様として、祀られている。又、新設の講堂は、全ゆる催事に広く活用され、集いの場として利用している。地域の祈願所、心安らぐ集いの場として、当山は多くの方々に親しまれ、今日に至る)に。
雨が降っているので、早めに参拝。

人ごみがウソのような道を妻と歩く。妙昌寺(15分参拝。弁財天。妙昌寺は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺として法眞山と号し、永和元年(1375)今から六百余年前、池上本門寺第四世(四代目の貫主様)大鷲妙泉阿者梨日山聖人により現在の幸町に開創され、開山は法眞院日意上人。諸堂は、旧多賀町及び本町にあり総門は旧江戸町にあったが、松平伊豆守が川越城を改修するため、当寺を現在の三光町の旧浅場孫兵衛侍屋敷跡地に江戸時代寛保元年(約220年前)に移築したもの。平成四年三月に壇信徒念願の新本堂と客殿が完成し、寺観を一新した)に。
寺についたけど、誰もいない。本当にここなのかなという気になり、参拝していたら、やっと、参拝客がチラホラと。4:12に妙昌寺を出る。

星野高校を見ながら、蔵造りの家並みに。歴史情緒豊かな街、その中に毅然と立ちたる時の鐘。 江戸時代のランドマークタワーなのか。腹が減ったので、小江戸横丁で、クレープのようなお好み焼きを食べる。菓子屋横丁(明治のはじめ、鈴木藤左衛門という人がここで江戸っ子好みの気取らない駄菓子を作ったのが「菓子屋横丁」の起こりとされている。最盛期の昭和初期には70店もの駄菓子やが軒をつらね、飴類・らくがん・かりん糖などを作っていた。現在も路地に10軒以上の駄菓子屋が並び、カルメ焼きやハッカ飴など昔懐かしい味を買い求める観光客で賑わっている)で、妻がおかき買ってくれたので、それを食べながら、散策。あと、自由時間も残り少なくなって最後の見立寺を探そうとするけど、みつからない。チーズのタイヤキを妻の分と二つ持ちながら、見立寺を探す。菓子屋横丁を出てから左に曲るが、目印の橋がない。時間との戦い、焦りながら、地図とみらみながら探す。結局、地図を見間違えて菓子屋横丁の路地の出入り口を逆に見ていたようだ。

見立寺(15分参拝。布袋尊。永禄1年(1558)後北条氏の川越城将政繁は、城下に一寺を建立して建立寺と名づけ、一族中の存貞和尚を小田原伝肇寺より招請して開山とし、のち見立寺と改めた。存貞和尚は、永禄6年増上寺10世となったが、永禄9年見立寺に再住した。そして先に政繁の母が平方村に造営した蓮馨寺を、川越に移して両寺を兼帯した。天正18年(1590)豊臣秀吉の禁制書には、「武州川越蓮馨寺 同門前 見立寺」と記されている。蓮馨寺門前より当地に移転した年代、経緯など不詳であるが、おそらく、延宝年中(1670年代頃)であると考えられる。見立寺は文政11年(1828)3月25日、石原火事により類焼、さらに天保11年(1840)4月8日に焼失している。再度の火災により、古文書等も現存していない。現本堂は、明治14年(1881)に建立されたもの。その他、当寺には、板碑(青石塔婆)二基、徳本上人名号碑、松平(松井)周防守家の阿弥陀如来坐像並藩主位牌などが現存)
あと、10分しかないので、簡単に参拝する。

15:40にバスは高沢橋の上から乗客を乗せて出発。眠くなって、俺はバスの中で熟睡。
16:20、三芳でトイレ休憩も、俺はバスの中で寝てしまう。16:40出発。
帰省のUターンラッシュと初詣の渋滞で帰りが遅くなる。バス内は退屈しのぎがニュースを流す。そしてNHK総合で放送されている『にんげんドキュメント選「甦れ・コイの里」中越地震・父子の奮闘』(日本一の錦鯉の産地・新潟県小千谷市。去年10月、地震が襲った。多くの鯉を失いながら、決してあきらめない鯉師親子がいる。逆境をバネに成長する息子。厳しく見守る父。錦鯉の里を蘇らせようと奮闘する親子の1年を見つめた)を見る。
19:45頃、保土ヶ谷でトイレ休憩。20:00出発。横浜に20:30頃着く









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