12月23日(金)
今回は三連休を利用して、沖縄離島旅行。クリスマスを離島で過ごす魂胆(年末年始に旅行するより、料金的に半分安いので)。天気は『日本列島は22日から冬型の気圧配置が強まり、23日にかけて日本海側を中心に大雪となり、東海や西日本の太平洋側でも積雪の恐れがある』と。前回よりも強い大寒波の中、暖かい沖縄で過ごす贅沢感。中々、味わえない気分である。これで気分転換になるかな。 朝、4:50頃、起きる。テレビを見ると、大寒波のニュース。『日本列島は22日、強い冬型の気圧配置が続き、上空の非常に強い寒気は西日本から次第に北、東日本にも移り、広い範囲で大雪となった。新潟県では、雪の影響なのか約3万戸の停電が続いた』。鹿児島でも11センチの積雪になったようだ。 6:15、ジャンバーを含めて3枚着こんで家を出る。二人して歩いて駅まで行くのだが、風が冷たい。サイトでは関東は最高9度ぐらいになっていたから、今はもっと低いのだろう。 上大岡駅に着くと、ホームで妻のジム友達のヨッちゃんと会う。福岡まで行くようだ。6:51、羽田行きの京急に乗る。妻とヨッちゃんは座席に座れて、俺は横浜から、離れた席に座れた。 7:30頃、羽田に到着。電車を降りたら、後ろからキャリーバックが俺のアキレス腱に当たり、強烈に痛かった。 ヨッちゃんは友達と合流したので、俺と妻は朝食をとる事に。羽田空港に早く来たのも、朝食のため。屋台風のレストランに行く。彩鳳で朝のプレート(600円で、スクランブルエッグ、サラダ等)を食べる。彩鳳でゆっくりしていたら、集合時間8:10頃になっていた。羽田第1ターミナルビル2階(南ウイング)に行き、受付けをすませる。「添乗員とは沖縄からになります」と言われ、那覇行きのチケットと一緒に、乗り継ぎの宮古島行きのチケットを受け取る。今回は緑のツアーバッチだった。 搭乗口11近くで待っていると、妻から京急の電車で、バレーボールの選手・朝日健太郎を見たと言われる。川崎から乗ってきたらしい。なぜ、俺にメールで教えてくれない… 羽田空港を9:00発。15分遅れらしい。妻と座席が通路で隣り同士離れたので本を読んだりして過ごす。
沖縄は曇りで、気温は16度のようだ。那覇空港、12:00頃着。飛行機を降りようとしたら、妻の後ろに座っていた夫婦の無愛想な男が、荷物を取ろうと妻の座席を前に突然大きく倒す。当然、妻は後ろから座席を押されているので、前の座席に押しつぶされる。腰も窮屈になる。それでも、その男(無愛想男と呼ぶ事にする)は妻に謝らない。俺が、文句を言ったら、その無愛想男は「すみません」と言うのだが。 沖縄は暑いので、上着一枚になる。荷物を持ちながら汗が出てきた。出口に添乗員が待っていた。小柄な親切そうな女性。人数確認して、すぐに乗り継ぐ為に搭乗口21。行く前に昼食用のサンドイッチを手近な売店で買う。後で、搭乗口21近くには、弁当が売られており、失敗したかなと思う。 12:15頃、宮古島行きの飛行機に乗り込む。入り口でサンタの格好をした係員がいた。クリスマス気分になってしまう。俺の席は窓際の席。真ん中に座る妻の隣りには、宮古島に実家のあるおばさんが座っていた。小さい飛行機なので、飛行機内はテレビはなくクリスマスソングが流れていた。何か、飛行機に乗っている感じはしない。
13:15、宮古空港に。トイレに行っていたら、もうツアーの人数確認が終盤で、俺達が再度呼ばれていた。慌てて「はい」と答える。13:20頃、バスに乗り込む。俺達の席は、運転席側の2列目。前に、無愛想男の夫婦が座っている。子供づれの三人で旅行のようだ。赤ちゃんを含めて46人の参加。天気は晴れ、気温は15度。暖かい。昨日までは沖縄は寒くて、夜はエアコンをつけていたと、添乗員は言っていた。宮古島の方言で挨拶するバスガイドだが、全然、わからない。 宮古島観光(沖縄県南西部、先島諸島東部にある宮古列島の主島。北東から南西へ弓状となっている平坦な島。面積158.70キロ平方メートル。平良市と宮古郡城辺町、下地町、上野村があり、平良市に属する北方の池間島、南西方にうかぶ下地町の来間島との間には架橋されている。石灰岩台地におおわれた、ほぼ三角形の平坦な島。標高115mの最高所は南東部にあり、西および北にむかって低くなる。北東岸と南岸東部には60〜90mの海食崖が発達、南岸のムイガー断崖などでは地下水が滝となってそそぐ奇勝がみられる。沿岸には裾礁や堡礁がとりまいている。年平均気温は23度、年降水量は2200mm程度で亜熱帯海洋性気候をしめす。夏季、台風の来襲をうけることが多く、1959年、66年、68年には第1〜3宮古島台風におそわれ、島内だけでなく各地で大きな被害がでた。直線状の断崖海岸と白い砂浜で離島ブームをよび、1985年からはじまった全日本トライアスロン宮古島大会・毎年4月中旬実施で全国的に知名度を高めた。上野村に93年完成したドイツ文化村はじめ新しい観光施設も整備されつつある。羽田空港、関西国際空港、那覇空港、石垣空港へ定期航空便が就航。那覇港から平良港に定期船便とフェリー便がある。14世紀末に琉球王国に入貢、17世紀以降の薩摩藩支配下では、八重山列島とともに宮古列島の住民は苛酷な人頭税に苦しめられた。島北部の狩俣地区と島尻地区などには、旧暦10〜12月にかけて神女たちが夜ごもりしておこなうウヤガン(祖神)の祭が残る)がはじまる。宮古島は、沖縄本島からも、西南に330kmも離れている離島、というイメージがあるが、空港周辺の様子から見るかぎり、立派なビルも立ち並んでいて、一目見には、日本のどこにもある町の印象と変わらない。バスガイドが言うには、居酒屋もあり、最近ではフィリピンバァーもあるよう。フィリピンの女性と結婚する男性もおり、女性も余っていると言っていたが、誰も乗客は笑わない。ちなみに、バスガイドは結婚しているようだ。人口4万人くらいとのこと。大小8つの島々からなる宮古諸島の主島で山がまったくなく、平地の島のよう。 宮古病院を通り、車窓から平良市のはずれの人頭税石(市街地の北方、荷川取海岸の道路沿いに立つ石柱。屋敷神、陽石、男根崇拝など様々な説があるが、有力なのが人頭税石である。人頭税とは、薩摩藩の侵略で財政が窮乏した琉球王朝が1637〜1903年まで宮古島と八重山地方に課した税のことで、高さ143cmのこの石柱の高さに身長が達すると男性は粟、女性は上布の納税が義務付けられたと言われている。実際は役人の見立てで身長の判断はされていたそうだが、当時の取り立ての厳しさを後世に伝える意味で大切に保存されている)を見る。運転席にあったので、デジカメでバッチリ撮れた。10万円の月収で8万の納税だったらしい。
14:00、砂山ビーチ(高さ10mほどの小高い白い砂山を越えると目の前に絶景が広がる。約70m幅のビーチと天然のアーチは、隆起サンゴが海風の力で永い年月をかけ創り上げた芸術品で、記念撮影の絶好のポイント。海水浴場としても人気で、ゆったりと泳ぎ、疲れた体を大きな岩影が包み込んでくれる)に。 バスを駐車場横に停めて、そのままバスを降りた俺達は、道路を突き進む。アスファルトから砂地に。島を代表するビーチらしく、真っ白い砂は、サンゴのなれの果てとかで、長年の波に洗われて、小さなきれいな砂粒を形成。靴と靴下を脱いで裸足になる。足の感覚が冷やりとして気持ちが良い。登っていたのも束の間、すぐに下りになる。歩こうとしても、足が砂の中に沈みこんでしまい、なかなかうまく歩けない。俺の方が先に到着していたので妻を待っている間にデジカメでビーチを取りまくる。万座毛のように岩に穴が開いている。そこからツアー客の一人の男の人が出てきて、「大歓迎を受けた」と、足首から靴ごと波で濡らしていた。妻が来て、添乗員から「写真を撮りましょうか」と言われたので撮ってもらった。図々しく、「年賀状の写真にする」と言って、バックが海の写真まで撮ってもらう。帰りの坂が、思ったよりきつい。砂を手で触ると、サラサラ。粒子が細かく、手ですくって下に落とすと、手に砂が残らずに、きれいに落ちてゆく。アスファルトの所に来て、足の砂を落とすけど、思った以上に、きれいに砂が落ちて、そのまま靴下をはいた。14:25出発
添乗員のオプションの説明。2日目の昼食、川平湾のグラスボート(900円)をオプションにつける。2日目の夕食のすきやき鍋は、ツアー料金と一緒に払っていた。ここで、添乗員、2日目の夕食のオプションを説明する時に「明日の宿泊先の小浜島はタクシーの通らない島で、夕食の材料を集めるのに非常に厳しい状況」だと。夕食のオプション、4200〜6300円とお高いんだけどね。
14:40、雪塩工場に。ギネスに認定されたミネラルをたっぷり含んだ塩の工場らしい。バスを降りると、すくに、係員が宮古島自慢の「雪塩」をなめさしてくれた。直接口の中に入れても、全然、塩辛くない。ミネラルたっぷりと濃縮された感じ。お土産屋の中に入って、すぐにミネラルのキャンディーを買おうとすると、売店には誰もいない。雪塩をなめさせてくれた係員がレジに立とうとするけど、係員、気を戻したのか、すぐにツアー客を外に連れ出す。外から、雪塩の説明をするようだ。 宮古島自慢の雪塩が出来上がるまでを書くと、「雪塩」の原料となる宮古島特有の地下海水。「雪塩」の原料となる海水は、直接海から採取するのではなく、隆起珊瑚礁に掘った井戸を使って、約20mの地下から汲み上げた地下海水なのだ。この地下海水は、素晴らしい特性を持っている。まず清廉である。透明度が高い事で知られている宮古島の海にも、細かい浮遊物がたくさん混じっており、この海水を利用するには、本来 人工的に濾過しなければならない。しかし、この地下海水は砂地・隆起珊瑚礁の石灰岩層を通過しており、珊瑚によって自然に濾過された海水であり、このまま使うことができる。そして、ミネラル分が豊富。宮古島は珊瑚が隆起してできた隆起石灰岩で出来ている。この隆起石灰岩には、マグネシウム・カルシウムなどの天然のミネラル成分が多く含まれている。雪塩のミネラルが豊富なのは、海水がこの岩盤を浸透する間に微量のミネラルを吸収している為。塩分濃度を高めるための特殊な「濃縮水槽専用の井戸から汲み上げられた、養分タップリの地下海水は、先ずこの「濃縮水槽」に入る。この水槽では、製塩時に発生するボイラーの余熱を利用して、地下海水を過熱し、濃縮する。他の天然塩などでは、水の沸点である100℃まで加熱するが、ここでは80℃までしか過熱しない。100℃まで一気に加熱するほうが効率的なのですが、所謂、にがり成分の一つである塩化マグネシウムが、硫化マグネシウムへと化学変化を起こしてしまう。ここが、他の天然塩と、雪塩との製法上の大きな違い。一般的な天然塩は人工濾過した海水を沸騰させる事で、採取するが、いわゆる、にがみを感じるのは、この工程の差であるとも言える。特殊な濃縮水槽で塩分濃度を10%にまで高め、その濃縮された地下海水を吹きつけ法で、一気に水分を蒸発させる。ここは企業秘密。これにより、他の天然塩とは違った、海水そのままの塩、雪塩が出来上がる 工場見学が終わった後は、売店でさっき買おうとしていたミネラルキャンディー4袋、宮古島の雪塩3袋買う。ミネラルキャンディーはジムでマラソンを教えてくれるトレーナーに、雪塩は妻の友達のお土産になりそう。雪塩工場の海岸から、池間大橋が綺麗に見える。勿論、デジカメ撮影。15:12出発。
15:19、池間大橋(宮古島の北側に走る国道230号を行くと、池間島へと渡る池間大橋に続く。世渡崎から伸びる全長1452mの橋は、1992年2月に完成。橋の両側にエメラルドの海、右手に大神島を望む美しいドライブコースとして人気)をバスは渡る。 池間島(宮古島の北に浮かぶ周囲12キロの小さい島。宮古島とは、池間大橋で結ばれていて、平良市街から車だと約20分で着く。野鳥が飛来する池間湖沼湿原があり、野鳥ファンたちがネイチャーツアーに訪れる場所。また、6月の満月には、陸ガニの産卵が見られることでも知られている。旧暦の3月3日に姿を現す巨大なサンゴ礁 、八重干瀬は、この池間島の北東5〜15キロの海域に広がっている)に。池間大橋を渡ってすぐのお土産屋にバスは停車。駐車場から、何軒かのお土産屋に入る。一番端のお土産屋「海美来」から展望台に登って、池間大橋と三角の島の大神島をデジカメ撮影。妻が15:40出発。
バスが走り出し、バスガイドの話しを聞こうとするが、眠気が… 気がついたら、バスが停まる。皆降りるようだ。東平安名崎についたのかなと思ったら、遠くに東平安名崎が見える景勝地に。というか、団体写真のための停車。団体写真を撮り終えて、乗客それぞれのカメラに撮ってバスに乗るといった停車のようだ。団体写真を撮り終えて、俺は奥まで行きデジカメを撮っていたのだが、帰る途中に観光客のカメラの中に俺が入ってしまった。謝ろうと思ったけど、あの無愛想夫婦だったので、謝らなかった。妻によると、奥さんもそうとうなもので、バスから降りようとした時に、ぶつかっても謝らなかったようだ。無愛想男は、かろうじて謝ったけど。
16:30、宮古の東南端の東平安名崎(紺碧の海に2kmにわたって突き出た美しい岬。東シナ海と太平洋を分断するかのように突き出した岬からのダイナミックな景観は、「日本都市公園100景」の一つにも選ばれている。南の太平洋からの海流と、北の東シナ海からの海流がぶつかる処とのことで、その波のせめぎあいを見ることができる。北側に奇岩の大岩が、ごろごろと吹き寄せられている様は異様。太平洋側と東シナ海側で全く異なる眺めを持つこの岬の突端に東平安名崎灯台が立つ)に。バスを降りて、すぐに東平安名崎灯台(昭和42年3月27日点灯、毎20秒に白1閃光赤1閃光、地上から構造物の頂部まで25m、地上から灯火まで22.6m、平均水面上から灯火まで43m)に向う。三味線を聞かせてくれる「灯八」という人力車を過ぎて(往復1000円)、早足で歩いていると、俺の横にはあの無愛想夫婦とその子供(女の子)。灯台まで競争になってしまっている。俺がマムヤの墓の岩をデジカメで撮っていると、子供が「マムヤの墓だ」と言ってカメラで撮ろうとしたら、無愛想男が「そんなのは後だ」と、子供を急かせる。俺はまた早足になり、東平安名崎灯台に。けっこうバスから遠いところにあったとは。結局、俺が勝つ。東平安名崎灯台(料金150円)に入り、らせん状の階段を登ってゆく。階段は狭いと思っていたのだが、思ったより広い。三人ぐらい並んで歩けそう。二段飛びで一気に登る。94段だったか。少し息は切れるが、足は全然平気。これもジム効果なんだろうか。眺めがいい。まだ、灯台を目指している人達もいる。太平洋側は、まるで小島のように浮かぶいくつもの岩が海の箱庭のような景色を作りだしている。散々、デジカメでとって階段を下る。 バスのところに向う途中、マムヤの墓を見学。全然、知らなかったんだけど。解説のパネルをじっくり読むと『マムヤはニフニリ(香草の名)の芳ばしい香りのする絶世の美女として伝える。妻子ある野城按司は、マムヤを見染めて恋仲になるが「将来の事を思えばマムヤよりは糞尿の臭いがしても妻の方がいい」と諭されてマムヤを見捨てる。按司の心変わりを知ったマムヤは平安名崎の断崖から身を投げる。悲嘆にくれた母親は再びこの村に美人が生まれないように神に祈願した』と伝えられている。岩穴には、マムヤの墓があり、マムヤの画があったが、やはり美人だった。 まだ、時間があったので、ゆっくりとバスまで戻り、ブラブラした。17:00出発
宮古島の宿泊先はホテルブリーズベイマリーナ。バスガイドによると、そのホテルはオリックスがキャンプで使うらしい。元々、大浴場がなかったんだけど、イチローがお金を出してもいいから、大浴場があればと言ったら、大浴場を作ったらしい。しかも、近くにはイチローコンビニもあったようだけど、イチローが大リーグに行ったら、消えてしまったようだ。 ホテルブリーズベイマリーナは豪華客船をモチーフにした拡張打開館内。ブーゲンビリアをはじめとする南国の花々が庭を彩り、ここが日本であることさえ忘れさせてくれる。前もってツアー会社から、ホテルブリーズベイマリーナの展望浴場「美ら海」の配線破損により漏水とボイラ設備及びサウナの故障で利用できないと、手紙がきていたので、そんなにガックリしなかったけど、今日は室内の風呂を使う事に。 ホテル内に入ると、館内の説明を係員がして、鍵を配られる。妻が鍵を受け取る間に、俺がバスに荷台にいれていたバック2つを取って戻ると、妻はまだ、鍵を受け取ったまま動こうとしない。妻は「場所が違うんだって」と。皆は2階に向っているけど、俺達と数組の人達は1階のようだ。ホテルの外に出て、イースト館に。イースト館に入ると思ったら、その横のドアに入る。何かホテルと言うより、マンション風のドアが並ぶ。鍵で開けようとするとけど、思うように開けられない。係員に開けてもらって、やっと部屋に。コツがあるようだ。 夕食は5:45、沖縄の料理、和琉バイキング料理。刺身がないのが寂しい。オリオン生ビールを飲む。 部屋でお土産のビニール袋に入った雪塩を入れたら、服などがバックに入らない。俺と妻のジャンバーをバックに入れたので、その分が余分。ジャンバーを捨てようかなと思うが、横浜に帰った時が寒い。結局、パソコン用のバックの塩やキャンディーを入れて調整する。
12月24日(土)
朝、6:00に起きようとするけど、起きれずに、7:00に起きる。せっかくマラソンの練習をしようとしたのに。起きてすぐには心臓の負担が大きいので、諦める。 朝食食べに、本館に。外に出たときに快晴だけど、空気が冷たかった。朝食はバイキング。
今日のバスの座席は出入り口側で7列目。昨日より、上の荷物置き場の幅が狭いバスなんで、妻のパソコン用のリックは置けたけど、俺のは座席の間に置く事に。9:15、バスが走る。天気は晴れ、気温は20度ぐらい。今日のバスにはバスガイドは乗っていない。運転手も昨日とは替わっていた。添乗員の朝の挨拶が終ると、運転手がガイドすると、添乗員からマイクを渡される。
運転しながらのガイドする運転手。「パンフレットには、日本一長い農道橋と書いてあるが、今はニ番目」と、来間大橋(宮古島と来間島を結ぶ来間大橋。全長1690mの橋は、船の通過のために来間島寄りの部分が山なりに弧を描き、青空に向けて続く滑走路のよう。日本でニ番長い農道橋。車で一気に橋を渡るのもいいが、橋のたもとにある駐車場に車を停めて、広い橋の歩道を歩いてみるのも良い。橋から宮古島を眺めると、前浜ビーチの真っ白な砂浜と真っ青な海とのコントラストがまぶしい。この橋の完成により、後継者となる若い世代が島に戻り子供たちの数も増加。島に活気が戻ってきており、生徒数が減り続けていた来間小中学校も廃校寸前の危機から脱することができたようだ)を渡る。橋を渡りながら、コバルトブルーの彼方には伊良部島が見える。ゆっくり、話すので説明がわかりやすい。
宮古島の西南端の来間島(宮古本島の下地側から海を挟んで前浜の沖1.5キロの海上に浮かぶ小さな島が来間島。真っ白な砂浜を望む。来間島はオトギバナシの竜宮城のモデルにもなっているらしい。竜宮城をイメージして作られたという、来間島の竜宮展望台にやってくると、ここからは、360度の景観が楽しめる)の観光を始める。バスで来間島を通れる道だけ、ぐるりと走る。サトウキビ畑の中を通り、唯一の集落を通り、バス一台が通れるだけのメインストリートを少し走り、カレーライス480円の看板の所にバスを停める。 9:50、展望台に運転手に連れられて行く。何か、タクシー観光しているような気分。展望台に上がる前に、看板があり読んでみる。来間島憲法と書いてあり、色々と条約が書いてあった。憲法と言うよりは、決りみたいなもの。 展望台にのぼる。エメラルドの海に来間大橋が綺麗に見える。平べったい宮古島が美しい。勿論、デジカメで撮る。妻と俺との写真をまたまた添乗員に撮ってもらう。運転手、何か、皆に話していると思い、よく聞くと、宮古島マラソンのコースの話しのようだった。最初から聞いておけばよかった。10:00出発。
来間大橋を再び渡る。運転手、再びガイドする。印象に残ったのは、ここではイカが釣れる。橋の盛り上がった所では資料では50トンの船が通れるらしいけど、通っている所を見た事が無い。舞浜ビーチは4月1日が海開きで、その日は人で盛り上がるけど、その日が過ぎるとポツリポツリとなるという話しだった。橋を渡り終わったら、添乗員にマイクがタッチされる。宮古空港までオプションの集金になる。 妻は今回の旅で、外国人の夫婦(旦那さんは外国人で、奥さんは日本人)と仲良くなる。かわいい子供連れなので、仲良くなりやすかったのかも。
10:15、宮古空港に。添乗員が飛行機のチケットをもらう間に、ベンチの所に向う。向っている途中のトラベルセンターの受付けカウンターのシーザーにサンタの赤の服と帽子が着飾っていたのには笑えた。添乗員から石垣島行きの飛行機のチケット受け取る。荷物を預けてもまだ、時間があったので、宮古空港の外観をデジカメ撮影する為に、外に出る。暖かいので、シャツの腕をまくる。デジカメ撮影が終り、空港に戻り、お土産屋で、某人が言っていた沖縄のお土産の豆腐を発見したので、とりあえず買う事にする。宮古空港は混雑すると添乗員から聞いていたので、さっさと荷物検査をして、中に入る。待合席で待っていると、搭乗口奥にカメラマンとサンタの格好の職員がいる。もしかしたら、有名人がくるのかと期待する。11:00過ぎ、搭乗するのだけど、そのカメラマン、サンタが子供にプレゼント(お菓子)を配るのを撮影していたようだ。子供と一緒に写されたどこかの奥さん「テレビに映るの」とビックリしていた。
11:15、石垣行きの飛行機が飛び立つ。窓際の席だったので、眺めもバツグン。宮古から石垣島までは飛行機で約30分。距離的には150km程度。妻は寝てしまったので、俺は外を眺める。雲の間から多良間島が見える。上がったらそんなに水平飛行はなく、すぐ下りる感じ。石垣島に近づくと、島を旋回するように滑走路に向って回り込む。山々が窓から通り過ぎ、道路を走る車が間近いに見え、何かスレスレを飛んでいるような感覚。どんどん、地面に近づいてゆく。そして、急着地。これには、ビックリ。日本一短い滑走路らしい。身構えた体勢をとっていたけど、着地のとたんに大きな音と共に急激な制動。何かの事故が起こったのではないか、と思わせるほどの着陸だった。
11:50、石垣空港に。飛行機から見下ろした石垣島は、緑の山のある島のようだったが、着地すると、空港周辺や市内はもう立派な都市といった感じ。飛行機からタラップを降りる。サンタの服を着た職員に出迎えられる。滑走路から空港の建物に歩く。飛行機をあらためて良く見ると、そんなに大きくは無い飛行機だった。
12:20、日本最南端の都市の石垣島(沖縄県南西部、八重山列島東部にある島。沖縄本島の南西約400kmに位置し、全島が石垣市に属する。面積は222.48キロ平方メートルで、沖縄県で沖縄本島、西表島に次いで3番目に大きい。北部は県最高峰・標高526mの於茂登岳を主峰とする山地が東西にのび、南部には丘陵地と台地がひろがり、その間を名蔵川、宮良川がながれる。サンゴ礁が島をとりまいており、沖合に堡礁があり、沿岸には裾礁がよく発達する。南東部の白保海岸には大きなサンゴ群落がみられ、1979年に策定された新空港建設計画の候補地とされたことから、サンゴ礁保存が世界的な論議となった。河口近くのマングローブ林など亜熱帯植物群落が茂る。とくに宮良川下流域のヒルギ林と北海岸の米原地区のヤエヤマヤシ群落が見事で、於茂登岳北麓のカンヒザクラ自生地とともに天然記念物に指定されている。特別天然記念物のコウノトリのほかカンムリワシやセマルハコガメなどの珍しい動物も生息する。スキューバダイビングの好ポイントが至る所にあり、マリンレジャーが急成長している。とくに北西部の川平湾や底地ビーチ付近は波静かな湾内にサンゴ礁が発達し、黒真珠の養殖もおこなわれる景勝地。中心市街地の大川地区には琉球王国時代の貴族屋敷の構造をとどめる宮良殿内があり、国の重要文化財に指定されている)観光が始まる。 石垣空港で荷物を受け取り、出口に。添乗員が指差す方向には、バスガイドがいた。人数確認がすんで、皆と一緒にバスに向う。12:20、バスは発車する。バスガイド、八重山の方言で挨拶するが、何を言っているのかチンプンカンプン。皆、唖然としていた。バスの中にも、日差しが差し込み、暑いので、クラーを入れてもらう。車窓から名蔵湾のヤエヤマヒルギを見て、車海老の養殖で有名な崎枝港を一瞬見て、パイナップル畑を通り過ぎ、ツツジも咲く石垣の道路を進む。 石垣島は八重山諸島とも呼ばれ、山のない宮古島諸島とは違って、山があるのが特徴で西表島、小浜島、竹富島、黒島、波照間島、与那国島などの19の島々からなっているとの事。石垣島は、その中心となる島。
12:50、川平湾(エメラルドブルーの海に小舟のように浮かぶ緑の小島。日本100景にも選ばれた石垣島随一の景勝地。その昔、人魚が住んでいたという伝説が残る美しい海の下には、色とりどりの数々のサンゴが生息している。その種類はなんと250種にも及ぶ。このサンゴ礁を楽しむ一番の方法が、グラスボート。川平公園付近で数社催行している。乗船料は30分で1000円、船により多少異なる)に。 まずは、昼食。川平公園近くのカビラガーデン。ツアーのオプションでカビラそばとカビラ定食を選択できたけど、俺達夫婦は、カビラそば。カビラそばは八重山地方独特のそばで、そば粉を使わないそば。カビラ定食には、南西地方特産のもずくの他、オオシマワタリと称する熱帯植物の煮物、あるいはミミガーというコラーゲン食など。食べていると、係員が「大きな声を出してすみません」と、料理の説明をしていた。係員が、そばにコショウを入れると美味しいと言うので、入れてみた。また、違う味になった。刺身もあり、今日獲れたカジキマグロらしい。 早めに食べ終り、トイレに行く。トイレから出ると、横にハブがいた。いたというより、展示してあった。そういえば、昨日バスガイドが言っていたが宮古諸島ではハブがいないようだ。一度、宮古諸島が沈没して、その時に絶滅したのではと言っていたような。石垣などの八重山諸島ではハブが生息しているよう。 妻が食べ終わったので、外に出る。妻はお土産屋を覗きにいったので、俺は川平公園に。ここから見る湾内の小さな島々と珊瑚礁の海には目を見張る。上から見ると、凄い眺め。砂丘と海、空と雲、湾内に浮かぶ島々は、一度見たら忘れられない程の絶景。後で、バスガイドが説明したが、岡本太郎が「(この光景は)絵にも描けない美しさ」と言っていたらしい。国指定の名勝地に指定されているとのことで、各種のパンフレットには決まってこの地の光景が紹介されている。海の色は七色に変化するとも言われており、一目見には、静かな海のようにも見えるが、実は海流の流れが複雑で、遊泳は禁止されているとか。
13:25、一旦、カビラガーデンで集合して、再び、川平公園に。ゴツゴツしたモノは全部、珊瑚だとバスガイドは言っていた。 まずは、砂浜に降りて、団体写真。真向かいに日差しを受けて、眩しい。何とか我慢して撮影成功。皆、眩しそうにしていた。 そして、グラスボート(船底が透明になっていて海底を見ることができる船)で海底を楽しむ事に。青いグラスボートと白いグラスボートがあり、俺達は、白いグラスボートに乗り込む。後ろ側から乗ったので、前から三番目になった。俺の真向かいには、外国人夫婦と子供、奥さんの両親が座る。24人ボート。船の両側に向かい合わせ座り、真ん中に底が透明で覗き込むようになっている。グラスボートの案内人は、最初にポイントでの見学以外は、目を上げて下さいと注意してくれる。船酔い防止らしい。案内人は、ボートを巧みに操りながら、複雑な海流の中でポイント・ポイントで様々なサンゴの種や、熱帯魚の解説をしてゆく。客達も、移り変わる色鮮やかなサンゴに、歓声を上げて見入っている。1m10cmの浅い流域にサンゴを見たり、ウミキノコサンゴ、デバスズメ、メークインが山積みになっているように見えるジャガイモサンゴに感心したり、感激の声をあげたりする。最後に、二枚貝を見た。そして、サンゴの間には三本線(一本線と二本全は違うらしい)のニモも見えて、オプション代のモトを取った気分になる。そして、砂浜に突っ込むように少し乗り上げて終了。14:10、バスは発車
14:26、石垣焼窯元(石垣焼とは、大阪市立東洋美術館に所蔵されている国宝・油滴天目茶碗は南栄時代に建窯で作られ、油の滴を敷き詰めたような美しさを持つことから、中国では「滴珠」とも呼ばれている。現在日本ではこの天目を表現できる陶芸家が10名ほど存在し、石垣焼窯元は八重山地方では初めての試みとなった。中国の南栄・建窯とほぼ同緯度にて環境にも恵まれ、本土に比べて約五倍の成功率により美術品であった油滴天目の作品を数千円から販売することを実現いた。文化を楽しむ時代がおとずれた。また、器の中の沖縄の海の色は、透明のガラスに十種類の泥土のミネラルが炎によってガラスと融合したときにでる偶然的なもの。炎が変わると赤や黄色にも変わることから「神様がつくるブルー」とも言われている。この油滴天目と沖縄の海は、きっと記念となり、良きお土産にもなる)に。 バスから降りると、500円の券を貰う。しかし、この券は1000円以上使わないと、つかえない券。 前が別のツアー客がつかえていたので、バスガイドは機転を利かして、石垣焼窯元の横に立っているガジュマルの木を説明する。ガジュマルの木は妖精が棲んでいると言われている話しをする。子供とかお年を召している人しか見れないらしい。どうしても見たいときは、暑い日に、カジュマルの木の下で居眠りすると見られるかもと言っていた。 ようやく、工場内に。職人がロクロを回していた。中々の手さばきを見ていると、係員が説明する。あんまり、説明を聞いていなかったけどね。 ざっと、展示会場を見て、体験陶芸教室に入ると、数名の男達が陶芸を体験をしていた。横の展示には、広島カープの選手が陶芸対決をして、石原は勝ったと紹介してあったけど。14:50出発。
15:02、唐人墓(石垣島の南西に位置する観音崎に立つ、極彩色の中国風屋根飾りが目を引く墓。西欧諸国が、中国からいわゆる労働者として多くの苦力[くーりき]を自国に送っていた産業革命時代、福建省出身の苦力たちは船旅の途中、船員たちからひどい虐待を受け船内で暴動を起こしたため、石垣島に強制下船させられた。彼らはその後派遣された英国軍により、殺害されたり捕虜となった。石垣の人々は熱心に彼らを助けようとしたが、疫病の流行もあり彼らの多くは命を落としてしまう。異国で果てた彼らを慰めようと作ったのが、唐人墓の始まり。現在の唐人墓は1971年、周辺にいくつもあった唐人墓の遺骨をまとめて作られたもの)に。 まずは、バスを降りて、バスガイドと共に、唐人墓に向う。横のサトウキビ畑にハブがいそうな予感がしたら、「ハブに注意」という小さな立札が。唐人墓の前でバスガイドが解説する。唐人墓は、福建省を向いているらしい。バズガイドと共に合掌する。 時間があったので、駐車場横の黒糖工場に。ぐつぐつ煮える釜から黒糖の匂いが香ばしい。店員の「試食は大事ですから」の言葉に乗せられて、黒糖をけっこう試食する。何が大事なんだろう。お土産屋で民芸品の指ハブを見ていると、添乗員がツカツカと急いで寄ってきて、何か用事だと思って心構えていると、添乗員「黒糖を食べましたか」と聞いてきた。俺は「食べたよ」と。それで、また、黒糖の工場に戻り、また試食してしまう。15:30、出発
バスは、富崎観音堂を通る。通り過ぎる間に、ここでも合掌。勿論、車内で。 具志堅用高記念館が道路脇にり、具志堅が住んでいたのか、実家なのか、すぐ近くにあった(バスガイドの話しを聞き逃した)。そして、最後にバスガイドは、子供にカスタネット楽器・サンバを渡し、バスガイドは三線を弾いて「あさどーやユンタ」を唄う。皆、パンフレットに載っている歌詞を見ながら唄ったりするが、俺と妻は、まず、どの唄を唄っているのかわからない。結構、盛り上がった。
15:45、バスはバスターミナルに。ここで石垣島の観光は終り、バスを降りて、荷物を持って市内の石垣港に。石垣港は、八重山諸島の19もある各島を繋ぐ、幹線の港になっていて、高速船が離発着している。「離島桟橋」と称するその桟橋には、いくつかの高速船が出入りし、停留していた。この石垣港のターミナル界隈には、石垣市役所、竹富町役場、博物館、裁判所、石垣グランドホテル等々があり、大通りは大型バスや車が信号で流れるように走っている。ここだけを拝見していると、まさに都市の機能がこの辺りに集約されているような感じがする。信号を添乗員に連れられて渡る。コンビニに寄ろうと思ったけど、面倒なのでやめた。 添乗員が石垣島トラベルセンターで高速船の切符を手配している間、俺はお土産屋で、妻の水とジュースを買う。妻は念の為に船酔い止めの薬を飲む。 添乗員に連れられて、離島桟橋の6番乗り場に。その前の待合所になっているベンチで待つ。また、無愛想男の奥さんの荷物が妻に当たったのに、謝らなかったそうだ。少し、怒り気味。高速船に乗る事に。妻がさっさと乗ってくれて、一番前の席を取ってくれた。俺は我先にと行く乗客に呑まれて、後ろから乗ってしまった。妻が横を取ってくれて良かった。最後に乗った添乗員が空いていた俺の横に座る。16:10、高速船が出航。窓の外を見ずに、妻と一緒に添乗員と色々と話す。正月も仕事らしい。添乗員に、朝、ジョギングをしたいけど、一周、回れる時間があるか聞いたら、翌朝は9:25が出発の集合時間らしい。
16:40、高速艇は、1時間ほどで小浜島(石垣島から約17.7km、西表島との間にヨナラ水道をはさんで2.5kmの海上にある。ヨナラ水道は別名マンタウェイとも呼ばれマンタがよく見られる。さらに島の中央にある標高99mの大岳、245段の石段を登ると与那国島を除く8つの島々が見える。アダンやガジュマルが生い茂り、リーフにも囲まれた島だが地形的には坂が多い)の東端の小浜港に到着。小浜島(NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台の小浜島。小浜島は周囲16kmと言う小さい島で、島の中央に大岳が小高くある。島内もさほど目立って観光地化されているわけでもなく昔ながらの雰囲気を随所に残している)は人口は500人ぐらいのようだ。 ホテル送迎バス・ヴィラハピラパナのバスが着ており、ボーイ二人に女の人が手際良く、乗客の荷物をバスの荷台に乗せていく。16:50、バスの中で、ホテルの説明がある。
バスは、ヴィラハピラパナに。バスを降りると、さっそくロビー前で鍵を受け取る。ロビーから客室に入るのではなく、個々に別荘のように客室は各室がコテージ風にアレンジしている。荷物を持って歩いていると、どこかの別荘に行くような感じ。俺達の部屋は、新館やロビーフロントのある建物の近いところだった。鍵を開けて、部屋に入ると、室内の調度品は、インドネシア製風の重厚な家具で、リッチでゴージャスな感じ。「ヴィラハピラパナ」とは、蝶の舞う岬という意味との事。 18:00、新館に行き、夕食。今日の夕食は、すき焼き鍋にしていた。新館二階に上がり、ドアを開けようとしたら、ドアが開かない。まだ、準備中なのかと思いきゃ、中に、人がいる。しかも、子供も。ガキのイタズラで鍵を掛けたのかと怪しんでいると、その母親がドアを開けてくれた。風圧で開かなかっただけだった。鍋が置かれている席に座り、さっそく泡盛のダブルを注文。妻はパインジュース。「メーリークリスマス」と言って乾杯する。旬菜5種が出てくる。カツオの叩きが美味しかった。次に、刺身。そして、メインのすき焼き鍋(和牛と鳥野菜)。肉が美味しい。彦摩呂の「うわ〜宝石箱やぁ。味のIT革命やぁ」と言ってしまいそう。すき焼き鍋が終ったら、店員から席が替わる言われて、窓からはクリスマスらしい明かりが見える席に移る。音楽が流れていないので、少し、喋りつらい。アイスのデザートとアイスティーが運ばれてくる。妻とジムの話しをしていると、おばちゃんが入ってきて、中々、うるさくなってきた。我慢していると、突然、女性が「●●●ですけど」と別のツアー会社の名前を言う。●●●会社の添乗員、俺達の事をそのツアー会社だと勘違いしていると思って、俺は「うちらは■■■■■■ですけど」と、答えたら、どうやら俺が勘違いしていた。丁寧にも、これからその添乗員はツアー客にクリスマスのプレゼントを配るので、大きな声を出すので気を利かして、俺達に前もって詫びたようだ。何か、感心する添乗員だと思ったね。こういう心くばりが嬉しい。少し、聞いていると、プレゼントはメッセージカードのようだ。二泊三日の最後の夜に、一組一組にメッセージカードを書けるとは、凄い心くばり。一人一人に話しかけていない書けない様な… 飲み物も飲んだので、静かに俺達は出て行こうとしたら、「すみませんでした」とまた一言。静かにドアを開けて出てゆく。レジで飲み物代を払っていると、物凄い物音。銃撃かと思ったのだか… 物音の方を見ると、さきほど俺達が出たドアの透明なガラスが割れていた。しかも、その奥には、おじさんいて、血が出ているようだ。ドアがないと思って、ドアにぶっかって、ガラスが割れたようだ。店員は、診療所に電話して、怪我人を診療所に連れて行くようにと、すぐに指示する。俺はビックリして動けなくなったけどね。感心する、対応だった。やっと、レジをしてくれたんだけど、「遅くなりました」と俺への気遣いも忘れずに言われて、対応の早さにプロの技を見たようだった。 下の階の売店に寄り、夜のオヤツを買って、下着類を宅急便で送る空き箱を買う。空き箱を買った時点で送料も払うようだ。空き箱を持って帰り、部屋で荷物の整理をする。22:00前に、荷物の整理が終り、箱を売店に持っていった。そんなに寒くなく、星が綺麗だった。南十字星を探したが、分からなかった。
12月25日(日)
6:00起床。電話のコレクトコールで目覚める。 明るくなるまで待って、6:50頃からマラソンの練習。走っている途中で、馬がいたり、ヤギ(三匹いて、一匹は足を怪我していた)がいたり、ダチョウを見たりして楽しかった。 朝食はバイキング料理。今日も快晴。 荷物を持って、フロントのある建物に向う。一番、近い部屋だったので、こういう時はラッキー。係員から「預ける荷物はありますか」と聞かれる。これから西表島に行くのだが、貴重品だけの身軽ないでたちで見学し、荷物だけは帰りの石垣港に別送する予定。バックを預けて、パソコンの入っているリックは持つことにした。添乗員から「朝、走ったんですか」と聞かれる。俺は、走ったコースを言ったんだけど、通じたかどうか。 今日のバスの席は運転席側の8列目。9:30出発。結局、北西端にあるというちゅらさんの木やロケ地も見ることなく、リゾートで宿泊しただけ、という小浜島めぐりになった。
9:37、ホテルの送迎バスで小浜港に。昨日と同じ、一番前の席。隣りに、添乗員が座る。9:45頃、出航。昨日よりも、添乗員と話しが盛り上がる。妻がメモ帳に旅行記を書いているのを見て、それから、俺がホームページを作っている話しになる。検索するから、俺のプログが見たいと言われ、妻が俺のホームページの検索方法を教えてしまう。俺は、恥ずかしいんだけどね。また、添乗員、去年、那覇のマラソン(32キロでリタイヤ)を走ったようで、何か親しみが沸いてきた。
10:10、小浜島のすぐ西側に見えた西表島の、大原港に着く。西表島(沖縄県南西部の八重山列島中部の島。人口約2,000名ほどの、
未開に近い島。距離的には西の台湾のほうが沖縄島より近い。面積289.27キロ平方メートルで、県内では沖縄本島につぎ2番目に大きい。八重山郡竹富町に属する。469mの古見岳を最高峰とする山がちの島で、200〜400m級の山地はオキナワウラジロガシなどの亜熱帯樹林におおわれる。浦内川や仲間川ほかの河川が山地をきざみ、下流には溺谷が発達しマングローブ林やヤシ林がしげる。とくにマングローブ林の仲間川河口部やヤエヤマヤシ群落の星立地区は天然保護区域に指定されている。1965年に新発見され特別天然記念物に指定されたイリオモテヤマネコやカンムリワシほか世界的に貴重な固有種の動物も数多く生息する。1972年に島の主要部が周辺の島々とともに西表国立公園に指定され、「日本最後の秘境」とされて観光ブームがはじまった。サンゴ礁の海に遊ぶマリンスポーツや中流にマリュード滝、カンピラ滝のある浦内川などの遊覧船、北西端の住吉地区にある星砂の浜なども人気が高い。狭い海岸平野で稲作やサトウキビ、パイナップルなどの栽培がおこなわれるが、北西岸の上原地区などには観光業に従事する他県からの移住者も多い。琉球大学熱帯農学研究所と東海大学海洋研究所がある。石垣港から北西岸の船浦港、南東岸の大原港へ高速船が運航している)。 すぐに、バスに乗りかえる。バスの運転手がガイド説明する。「女性のガイドがいない」とか「面白い話しをした時は笑ってくださいね」とか、何か、楽しそうな運転手。西表島の説明もする。「全体の90%は未開のジャングルで、毎年新種が発表される」とか。「もっとも珍しいのは、信号機」と、西表島唯一の信号機にさしかかった。「ここのは、あっても無くても良いもの、子供の勉強の為に置いている」とか。さらにエスカレートして「ここは酔っ払い運転もない。駐在さんも三人しかおらず、みんな友達」とか。そうこうするうちに、泡盛を試飲できるバスターミナルのお土産屋に到着。10:20、バスターミナルのトイレに行き、お土産屋で泡盛を試飲。10:30、出発
すぐに、仲間川に。運転手「今日は天気もいいので、スピードを出すと思うので、帽子やツケマツゲを飛ばさないように」と。 仲間川ジャングルクルーズ(西表島の東部、仲間川の流域には日本最大規模のマングローブ林がある。この雄大なマングローブ林を遊覧船に乗って感動体験。上流では国指定天然記念物ウブンドルのヤエヤマヤシ群落や日本最大、樹齢400年と言われるサキシマスオウノキを見ることができる。大人1,500円。所要時間は約70分。60人乗りのエコ船。遊覧中は船長がマングローブや西表島の自然について楽しくガイドする)。 「すおう20番」のボートに乗る。女性の船長だった。実は、ボートを乗った所は海で、少し上流に行くと大きな仲間橋が架かっているが、そこから川のようだ。つまり、川と海の境界は、この仲間橋の上流が仲間川であり、橋の下流が海。ボートは、早速、川を遡って走る。川の両岸には、ところどころ人家のような小屋がみかけられる。今は満潮のようだ。海の海水が川のほうに逆流しているそうだ。マングローブが間近に見られる。少し上流に行くと、カヌーをしている人達が。船長は「楽しそうですけど、筋肉痛を心配しましょう」と。 上流へ進むにしたがい川幅も狭くなり、マングローブが身近に迫ってくる。ところどころで船を留めて、解説されるのだが、俺達乗客達は珍しい光景にカメラを向けるのに忙しく、結局のところ何を聞いたのか。右側の岸にはマングローブがなくて、左の岸にはマングローブがある地帯がある。ここはカーブしていたので、塩分の差で、栄養の違いらしい。マングローブのほかにも亜熱帯特有の植物や鳥にも出会える。ライサギも見られた。八重山ヤシも見ることが出来た。川は直線コースになるが、マングローブが少なくなっている。海からの塩分が少なくなったからだそうだ。船長の話しも楽しいのだけど、俺達の後ろに座っていた外国人の夫婦の会話も楽しかった。外国人、カメラが好きで、カメラに夢中。しかも、レーザーラモンHGが好きで、「フォー」と何度も言って、妻を笑わせる。その後ろに座っていた奥さんの父親、マラソンをやっており、あと三県走れば、日本全国走った事になると言われた。今朝も大岳まで走ったようだ。旅は、こういう見知らぬ人との会話も楽しい。 11:25、上流の船着場へ到着。ここからは、熱帯雨林の森の中に分け入ることに。ボートを降りてサキシマスオウノキを見学に。船着場から遊歩道を歩くこと40m。日本最大と言われる樹齢約400年のサキシマスオウノキ。巨大な根板を地中からせり出している。案内看板には、アオギリ科の常緑高木で国内では奄美大島、沖縄島、石垣島、西表島にみられるとのこと。板根の形成理由についてよくわからないが、年に1〜数ミリずつ上方に成長する一方、地下部の深さはせいぜい20cm程度。昔は切り取って船の舵として使われたとの事。サキシマスオウノキを見たらボートに戻る。船長、ここだけの話しと言いながら暴露話しをする。「サキシマスオウノキは樹齢400年じゃありません。8年前からしているけど、8年前も樹齢400年と言っていました」と。そして帰路に。12:00過ぎ、ボートを降りる。
再び、バスに乗り込む。これから、昼食会場に。運転手の話しを聞く。西表島では、パパイヤは野菜だと言う。バナナ・パパイヤは誰のものでもないので、生っていたら食べても良いとか。西表島は平均気温は24度。寒い時でも17・18度。10度ぐらいになると、魚も仮死状態になり、浮いてくるらしい。それで、バケツを持って獲るんだとか。黒い牛が車窓から見えたら、「日焼けをして黒くなった」と冗談を言う。西表島は「ヤマネコ飛び出し注意」の看板が多いらしい。ヤマネコは夜行性で急に飛び出してくるので、気をつけていれも轢いてしまう事もと。運転手らしい感想かも。まだまだ運転手の話しを聞こうとしたけど、実は眠ってしまい、それ以降は全然、聞けなかった。 12:40頃、西表島温泉のレストランサミンに。そこで、西表祭り弁当を食べる。食べている途中、レストラン係員が、西表特産品で構成された本日の食材内容を、ひとつひとつ解説していく。ご飯は黒紫米(赤飯のようだけど、赤飯ではない。ミネラルがいっぱいあるらしい)、グルクン、ミミガー、三枚豚、ゴーヤチャンプル、パパイヤの佃煮(西表はパパイヤを野菜に使うようだ。それで、運転手はパパイヤは野菜と言っていたのかと、納得する)、紅芋等。お茶はゴーヤ茶だった。 食べ終わって、ホテルの周囲を少し歩く。13:15、出発。
13:25、美原に。ここで、水牛に乗る事に。 その前に、観光ツアー、恒例の団体写真。60才のじゅんこという名前の水牛と一緒に写真撮影する。 そして、水牛車(西表島の東岸、美原地区から約500m海上にある由布島へは、干潮時になると徒歩でも渡る事ができる。現在、由布島には観光用の熱帯植物園ができており、かつて農耕用につかわれていた水牛が、観光客をのせて浅瀬を渡る)に乗る事に。しばらく、待っている間に、近くのマングローブを観察する。竹の子のように上に真っ直ぐに伸びているのも、マングローブ。仲間川ジャングルクルーズでも船長が言っていたので、間近で観察。何か、コボウのようだけど。 ツアー客46人全部1台に乗り切れないので、3台に分けて水牛車に乗る。俺達はゴンタという水牛の水牛車に乗り込む。一台につき一人のガイドさんが乗る。解説などの口調が、独特の島口まじりで、とてもノンビリとさせてくれる。最初にガイドのおじさんは「ゆっくりがいいですか、早くついた方がいいですか」は質問する。乗客は「ゆっくりがいいです」と。それで、のんびりと水牛は歩いてゆくんだけど、横から、凄い勢いで抜こうとする水牛車。ゴンタも早く走ろうとするんだけど、ガイドはスピードを落とさせる。「ゆっくりが良いと言っていたから」と。ガイドは、ポツリポツリと水牛にまつわる話を解説くれる。西表の美原から、ちっぽけな由布島までは、400mあり、この間は遠浅の海となっているが、由布島への交通はいつの頃からか、この水牛車で渡るようになった。今では観光名物ともなっている。水深は15cmぐらいだろうか、歩いてもいけそう。ガイドは唄のリクエストを要望する。牛車の天井いっぱいに貼り出されている島唄の文句の中から、ある客が「花」をリクエスト。ガイドは三線(さんしん)を取り出し唄う。乗客も1体となって、渡瀬の中を車に揺られて民謡と三線演奏で、進むことに。牛も馴染みと見え、ガイドの三線に合わせるかのように、リズミカルに調子を合わせて、ゆっくりと車を引いていく。のどかな時間だった。
13:50、由布島(周囲約2.2kmの島。かつては竹富島などから移り住んだ人たちが暮らしていたが、現在は島全体が亜熱帯植物楽園。由布島へは満潮時でも深さが1mほどしかない浅瀬を、水牛車でゆっくりと渡る。10種類以上のヤシ類を中心にハイビスカスやブーゲンビリアなど、色鮮やかな植物を見ることができる。「蝶々園」では、たくさんの蝶とともに黄金色のサナギに出合える。また、レストランでは郷土料理やトロピカルフルーツの生ジュース(5〜7月)が味わえ、時期があえばパイナップルやドラゴンフルーツ、パパイヤなど直営農園産のフルーツの発送もできる。そのほか、由布島オリジナルのグッズを扱うみやげ店もある)に。 亜熱帯植物園島に到着する。一番最初に出発したのに、一番最後になっていた。水牛待合所の建物の中に入る。お土産屋を抜けると、大五郎一家のご案内の紹介パネルがあった。由布島の水牛の始祖というべき大五郎と花子から家計図のように名前が載っている。俺達が乗ったゴンタは、平成9年生まれだった。出口には、大五郎の角の剥製が置かれていた。 水牛待合所を抜けると、水牛と一緒に記念撮影。これもお金を取るんだろうなと思いつつ。そして、オマケに南国の花と写真撮影。やっと、自由時間となる。 妻と、色々と歩く。とりあえず、檻に入ったコモンリスザルを見る。体重は1キロほどで、小柄。知能度も高いようだ。 熱帯特有の大きな葉の植物などが見られる。ヤシをはじめとして南国気分。道によっては、道を覆い尽くす植物のトンネルなどもあり、熱帯気分をさらに盛り上げてくれる。ガジュマルの木など、熱帯特有の植物が生い茂り、楽しい。奥にひときわでかいカジュマルの木があり、奥まで歩いてゆくと、ポニーがいたり、クジャクがいたりする。妻を残して奥まで歩いていたので、もとの道まで戻ると、マラソンをやっているおじさんが「こっちに奥さんがいるよ」と言われたので、その道を歩く。 砂浜に出る。どこかの無人島にいるような感覚になる。横には、船があり、その気分を盛り上げる。 メラネシア館に行くと、数々の展示品があり、見応えも十分。 蝶々園には、時間がなく行けなかった。 水牛待合所に向う途中に、南国の木のトックリヤシがあったので、デジカメで撮ると、すぐ近くには、トックリヤシモドキの木が。笑えたので、これもデジカメに。
14:25、水牛待合所の入り口に集合。添乗員の人数確認後、水牛に乗る。今回はゆみちゃんという水牛。15才らしい。ガイドが乗客の「一日何往復するんですか」という質問に答えてくれる。一日10往復するそうだ。ガイド、気持ちよく2曲も唄う。水牛のゆみちゃん、ガイドが板をあげたと思ったら… 何とウンコをしたようだ。水牛車の後ろの水面にはウンコが浮かんでいた。どうもガイドが板を急いで上げていたのが怪しいと思っていたのだが。ガイドが2曲目を三線を弾いている時には、おしっこ。さすがに両手は三線を弾いているので、板はあげられない。そして、美原に到着。バスに向う時に、日差しが強く、南国らしくなる。14:50、出発。
15:06、大原港に。15:20発の高速船にのるのだけど、まだ来ていない。15:25乗船。良い席を取ろうと、皆必死で乗ろうとする。俺達は後ろの席をゲット。今度は添乗員は別の席に。隣りには、男の人が座った。一度だけ、高速船が波で揺れる。別の船の波にまともに乗って落ちたようだ。ガクッと激しく落ちて、隣りの男とビックリしあった。 石垣島に近づくと、携帯がつながるようになる。西表島はつながらなかった。
16:08、石垣島に到着。ここで、晩ご飯を用意する為に自由時間をもらえる。俺達は、ほかほか弁当で、しょうが焼き弁当を買う。妻はからあげ弁当。作るのに、時間があったので、信号を渡った「美ら島屋」に行き、友達のお土産を買う。海人のTシャツのストラップを買う。 お弁当を16:30頃受け取る。 16:45、集合時間になったので、石垣島トラベルセンターに、今朝の小浜島のホテルで預け別送された荷物を受け取る。添乗員、人数確認する。俺達は毎回3番目に呼ばれるんだけど、呼ばれたら、後の人が呼ばれるのを待っていないんだけど、ここで大事件。妻が携帯を忘れたと言い出した。ウェストポーチやポケットにもない。俺はかなり焦る。ここで添乗員に言おうか。俺の携帯で妻の携帯に掛けるが、着メロが聞こえてこない。妻はその間も探していたんだけど、ふと、妻の「あった」の声。ウェストポーチから出てきた。さっき慌てて探していたから、探しきれなかったようだ。気がつくと、添乗員の人数堪忍も終り、ゾロゾロとバスセンターに向っていた。俺達は慌てて、追いかける。 16:54、バスセンターでバスに乗る。
17:00、石垣島ショッピングプラザに。17:30出発。
17:35、すぐに石垣空港に到着。添乗員、飛行機のチケットの手配をするけど、なぜか手間取る。本当は、すくにほかほか弁当を食べたいのにと思うのだが、添乗員が一生懸命になっている姿を見ていると、何分でも待てそうな気がする。 18:00前、やっと、添乗員がやってくる。本当は、石垣から那覇、那覇から羽田までの2枚準備する予定が、石垣から那覇までの1枚しか準備できなかった。あと一枚は石垣島で渡すようだ。さっそく、荷物検査をして、中の椅子で、ほかほか弁当を食べる。石垣島18:35発。滑走路の短い石垣空港から急角度で上昇し飛行機は沖縄本土の那覇空港へと向う。
那覇空港19:25着。羽田行きの飛行機のチケットを受け取りながら「プログみます」と言われてしまった。売店で沖縄ソバを注文して食べる。那覇空港20:05発。
今日は羽田が混雑しており、羽田からの指令で、那覇から中々飛び立てずに、飛び立つのに遅れてしまう。羽田空港22:50頃着。家には、23:40頃ついた。
| 2005年11月18日〜11月19日 社員旅行・名古屋1泊2日編 |
11月18日(土)
今日は会社の社員旅行。天気は晴れ。妻が実家に帰るので、8:40頃、妻と一緒に家を出る。自転車で自転車置き場に。8:53の新横浜行きの地下鉄に乗らないといけない為に「いってらっしゃい」と言う妻をおいて、地下鉄に。横浜駅で後輩が乗ってくる。新横浜駅に。前もって新幹線の切符を貰っていたので、そのまま改札口に。改札口の入り口で幹事が待っていた。待ち合わせのホームに行くと、すでに会社の人は集っていた。ひかり367号9:53発に乗り込む。風邪でセキが出るのでビールは飲まないつもりだったのに、飲んでしまう。
名古屋駅11:22着。改札口で28歳ぐらいのバスガイドが待っていた。バスガイドに連れられてバスに乗り込む。
昼食は料亭大森。路上駐車したバスから降りると、料亭に。玄関で札を二つ貰う。一つは脱いだ靴に入れて、もう一つは自分の控えのようだ。階段を登っていく。階段に、富士登山とか書いてあった。3階の会場が昼食会場。すでに、ひつまぶしが並べられている。俺は鰻は食べられないので、てんぷらを食べる。てんぷら、刺身… 右隣りには、会社で馬券予想しているMさん、左隣りにはSさん。ビールを飲んでテンプラを食べながら楽しい時間だった。ここから窓を見ると、名古屋城が見える。係員が、4階の城見の間・月見の間からは完全に名古屋城が見えると言われたので、食べ終わってから、4階に上がり、名古屋城を見に行った。
バスに戻り、名古屋城に向うと思いきゃ、車窓見学。高速から名古屋城の天守閣(名古屋市中区にある近世城郭。大永年間(1521〜28)今川氏豊が現在の二の丸辺りに築城したのが始まりで、那古野城とよばれた。のち織田信秀、信長の居城となったが、信長が清洲城に本拠をうつしたため、一時廃城となる。その後、1607年(慶長12)徳川家康は9男義直を尾張に配し、義直は御三家の筆頭とされる尾張徳川氏の祖となった。その際、義直がはいった清洲城は城地がせまく、水害の危険もあったため、家康は戦国期の那古野城の地を選び、豊臣系の西国大名20家に命じて新城をきずかせた。10年に工事がはじまり、14年にほぼ完成した。城地は、北に沼地をひかえた台地の北端にある。本丸の周囲を空堀でかこみ、その北西に御深井丸、南西に西の丸、南東に二の丸が配置される。これらの曲輪は南と東を空堀、北と西を水堀でかこまれ、その南に配置された三の丸は土塁と空堀でかこまれた。本丸北側につくられた天守閣は、5層5階石蔵内1階の大天守と2層2階石蔵内1階の小天守を連結するかたちになっている。天守台石垣を加藤清正が担当し、作事奉行を小堀遠州がつとめるなど、一流の築城家がたずさわった城は、複雑でせめられにくい構造である。大天守の屋根の黄金の鯱鉾は、青銅の鋳物に、良質な慶長小判1900枚をつかった金の延板をはったもので、この有名な金鯱から、城名を金鯱城ともいう。江戸時代を通じて尾張徳川家の居城で、西国諸大名に対する東海道の守りとして威容をほこった。明治以後も天守閣や本丸御殿はよく保存されていたが、第2次世界大戦の空襲で焼失した。現在は西南隅櫓、東南隅櫓、清洲城天守を移築したとつたえる御深井丸西北隅櫓のほか、門3棟がのこる。現在の大天守と小天守は鉄筋コンクリートで再建されたもの。国の特別史跡)を見る。一瞬の見学だった。
明治村(明治期の建築物を中心に保存、展示する野外博物館。正称は博物館明治村。愛知県犬山市に、1965年(昭和40)に開設された。建築家の谷口吉郎と当時、名古屋鉄道の会長だった土川元夫が、解体されようとしていた関東大震災以前の、大正期のものもふくむ建造物のうち、価値の高いものを選択して移築作業に着手したのが、明治村の始まりだった。高度経済成長による開発ラッシュによって、姿をけしつつあった明治期にたてられた建築を保護しようとしたのだが、これは民間における文化財保護運動の先駆であった。そもそも明治期の建築物には、江戸時代までの木造建築の伝統に、欧米の様式や技術、材料を融合させた、それまでの時代にない建築史および文化史的な価値があった。これらを、明治村に順次移築し、復元をしたのだが、その旧所在地は日本全土からアメリカのシアトルやハワイ、ブラジルにまでおよんだ。1996年までに移築された建築物は、官公庁舎や学校、工場や商店、住宅など67件にのぼり、その中には三重県庁舎(1879)、聖ヨハネ教会堂(1907)、西郷従道邸(1877)など重要文化財9件がふくまれ、それぞれの建築物にあわせて環境が整備されている。六郷川鉄橋などの橋梁や、蒸気機関車も対象となり、建築物内部の家具調度、各種の機械や道具などの資料とともに、近代化のすすむ明治の諸相をつたえるもの)に。 正面から入る。皆は、食道楽のコロッケの所で、休んでいたので、俺と後輩はどんどん見学していく。 三重県尋常師範学校・蔵持小学校(明治19年の師範学校令により、小学校教師の養成を目的として、各県に一校ずつ尋常師範学校が設けられることになり、明治21年この建物が三重県の尋常師範学校本館として建てられた。昭和3年には名張市に売却・移築され、蔵持小学校の校舎として使われていた。設計は三重県庁舎と同じ清水義八の手になり、E字形で左右対称の二階建であったが、明治村に移築保存するに際し、特色ある中央玄関部分と右翼の二教室分のみ復原した)に。教室に入り、小さい机や椅子、後ろの壁には「元気な子」「火の用心」と書かれた習字、絵が張られ、オルガンまであり、往時の雰囲気を感じられた。 近衛局本部付属舎(皇居内の建物が一応の整備をみたのは明治21年のことであり、皇居警護のための庁舎もこの時坂下門内に完成した。その後近衛局・近衛師団を経て、明治44年からは皇宮警察が使用した。木造平家建で内外壁を白漆喰で塗り上げたこの別館は、正面に軽快なアーケードを配した開放的な建物になっている。なお、室内に旧赤坂離宮で使用された洋風家具を展示している)に。中は明治村に縁のある偉人たちを紹介。伊藤博文や夏目漱石等。 歩いてゆくと紅葉が美しい。紅葉を期待していなかっただけに、嬉しい誤算。 学習院長官舎(この学習院長官舎は学習院が四谷から目白に移された際、 他の校舎とともに建設されたものである。当時の院長は陸軍大将乃木希典で、 10代目にあたる。官公庁や学校などの建築には早くから全体に洋式が導入されたが、 私的な生活の場である住宅建築には和洋の混在する形式が生まれた。この建物は総二階建で、洋館と和館をつなぎ合わせた形式となっており、学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館を使い、私的な生活には日本座敷を用いた)に。院長・乃木希典将軍のパネルが見える。 西郷從道邸(木造総二階建のこの洋館は、明治10年代はじめ西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の「西郷山」と呼ばれた屋敷内に建てたもので、接客の場として設けられ、かつて明治天皇も二階バルコニーから天覧相撲を楽しまれたといわれる。フランス人建築家レスカスの設計と考えられ、優雅な外観にふさわしく、カーテンボックスや金具など内部を飾る部品は殆どフランスからの舶来品と思われる)に。西郷隆盛の弟という事で、鹿児島県人としては、じっくりと見学。応接室、居間、書斎、婦人室、食堂、寝室の6室に宮中で使われていた調度品などを配置している。食堂などは食器も並べられていたので、あたかも俺を迎えてパティーが始まるかのよう。 森鴎外・夏目漱石住宅(この建物は、明治20年頃医学博士中島襄吉の新居として建てられたが、明治23年森鴎外が借家して一年余りを過し、その後明治36年から39年まで夏目漱石が借りて住んでいたという由緒が残されている。 この家で鴎外は「文づかひ」などの小説を発表、漱石は「吾輩は猫である」を書き、 それぞれ文壇に地歩を進めた。当時の典型的中流住宅であるが、 中廊下や書斎の扱い等に、現代住宅へ発展していく新しい芽が いくつか含まれている)に。 本当にこの坂でいいのかと思いつつ、偉人坂を歩く。2丁目に。 レンガ通りを歩き、東山梨郡役所(地方行政をより効率的に行うため、明治11年「郡区町村編成法」が施行され、郡長が県令の指示のもとで郡内の町村の行政を指導監督することになった。この建物は東山梨郡役所の新庁舎として、日下部村に落成したが、当時の県令藤村紫朗は、地元に「藤村式」と呼ばれる洋風建築を多く建てさせている。地元職人の手になるものであるが、わが国の伝統技法を駆使しつつ、様々な洋風の意匠を施し、本来の洋風建築にはない面白さがみられる)に。写真を表から撮って引き返す。 東松家住宅(町中の水運路に程近い問屋街の一角に油問屋として建てられたこの建物は、間口が狭く奥行の深い典型的な町家である。江戸時代以来の伝統的な工法で建てられており、一階左側に裏まで抜ける通り土間があり、右側に店、座敷を連ね、土間の上を三階までの吹き抜きとし、室内を明るくしている。二階には茶室が設けてあり、当時の商家の趣味の一端をしのばせるが、一階正面の石を使った腰壁や、通り土間の上の三階までの吹き抜きなどに 新しい商店建築のさきがけといえる兆しも見ることができる)に。 千早赤阪小学校講堂(一階が雨天体操場、二階が講堂となっているこの建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったが、昭和4年同校の校舎が新築されるに際し、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものである。木造二階建で、建物の四周に幅一間のアーチの連続する吹き放ちの 廻廊をめぐらせている。壁面や窓の様式に洋風の手法がみられ、二階の竪長の窓は上にペディメントを飾るなど古典的な姿になっている)に。中は、立体写真館になっている。1900年前後の日本・世界の風景・生活・産業などをテーマごとに立体写真で紹介。最初は趣旨が理解できずに、覗き窓から見ていたけど、徐々に見慣れてきて、本当に、立体的に見えてきて、感動する。 蒸気動車(汽車会社が明治45年に造った国産蒸気動車の元祖で工藤式蒸気動車と呼ばれ、現在わが国にはこの一両しか残っていない。前部は機関室で小さい煙突ががあり、後部は客室になっている。はじめ主に関西本線に使用されたが、昭和18年廃車となった)に。会社の女の子が見ていたので、俺は外観から見学した。 北里研究所本館・医学館(八角の尖塔を頂く木造二階建のこの建物は、日本の細菌学の先駆者北里柴三郎博士が、大正4年芝白金三光町に建てた北里研究所の本館で、ドイツバロック風を基調に新時代の様式を加味している。北里博士は東大医学部卒業後、ドイツに留学しコッホのもとで細菌学を研究して 業績をあげ、わが国の細菌学および防疫に大きく貢献した)に。会社の親しい先輩がいたので、ギャグを言う。「ゴッホゴッホとセキをするからコッホ」とか。すると、親しい先輩は「あの白衣を某Tさん(会社の親しい友達)に持って帰れば」と言われる。北里博士と北里大学と関係があるのかと考えていると、パネルに会社と関係がある北里大学東病院の写真が紹介されていた。外に出ると、後輩がベンチで休んでいた。 汐留レンガ迷路(明治5年、日本初の鉄道駅として開業した新橋駅があった汐留。その跡地の発掘調査により掘り出された当時の煉瓦が東京都から寄贈され、昨年3月「4丁目45番地 工部省品川硝子製造所」前庭に汐留火力発電所の煙突基礎部分を移築復元しました。この度、残りの煉瓦を使用し「3丁目31番地 長崎居留地二十五番館」下広場に汐留レンガ迷路を設置)に。遊び感覚で、迷路で遊ぶ。ふと、出られないのでは思った瞬間に、出口に。 菅島燈台付属官舎(この建物は明治6年伊勢湾の入口に当たる菅島に、燈台と共に建てられたもので、ブラントンを頭とする 工部省燈台局のイギリス人技術者の設計管理になるものである。レンガ造の洋式住宅であるが、建物に使われたレンガや瓦は地元の産で、渡鹿野島の瓦屋竹内仙太郎が焼いている。建設に当たっては島の人々の協力があり、船着場から高台までの資材運搬等に従事したという)に。トイレの館と書かれていたので、明治村パンフレットを見た時から気になっていた。明治時代のトイレを集めた「明治のトイレ」展示室では、染付便器やホテルや明治宮殿などで使用された洋式便器など、さまざまなトイレがある。ただ、ドアもトイレットペーパーもないので、使用はできない。後輩はトイレに行きたいと言っていたので「ここですれば」と言ったのだが。 品川燈台(欧米との開国・通商にともない、東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ケ島、 品川の4つの様式燈台がウェルニーを首長とするフランス人技術者に技術援助を依頼し建設された。品川燈台は品川沖の第二台場の西端に建てられ、 明治3年5月に点燈された。観音崎等他の燈台がなくなった現在、 現存最古の様式燈台として貴重な遺構である。円筒型レンガ造で、金属部やガラスはフランス製であるが、レンガは横須賀製鉄所製である。石油による光でその届く距離は約18kmと記録されている)に。 階段を登って長崎居留地二十五番館(安政の五ケ国条約により開港した長崎では、大浦地区に外国商館が、南山手・東山手に外国人住宅が建てられていった。明治22年南山手に建てられたこの住宅は、幕末から多くの外人住宅にみられるように、三方にベランダを廻らす形式をとっている。外壁が防音・防湿のため二重板張であること、構造材が化粧材を兼ねていること、ベランダ屋根が本屋根から一段下がっていることなど特色といえよう)に。階段を折で次の見学地に向おうとすると、先輩達が。残り時間も少なくなってきているようだ。 馬の広場で、馬が厩舎にいた。俺が後輩に「あっ、デープインパクトだ」と言うと、後輩は「まさか」と。 階段を上がると、六郷川鉄橋(この鉄橋は、明治10年我が国初の複線用鉄橋として 新橋・横浜間の六郷川に架けられたうちの一連で、現存する我が国最古のものである。錬鉄製のポニー・ワーレントラスで、径間100フィート、当時のお雇い技師英国人ボイルの設計になり、英国リバプールで製作された。なお、橋台、橋脚、軌道は古い資料により、今回当時の姿に復原したものでる。開通当時は同型のトラス6連と上路鈑桁24連の長大橋で、開通式には時の工部卿伊藤博文も出席したという)が見える。紅葉と凄く合っており、綺麗に見えた。 鉄道寮新橋工場・機械館(明治5年に開業した新橋停車場構内に造られた機関車修復所がこの新橋工場であり、大正のはじめ、現在の国鉄大井工場に移された。この建物はイギリス人技術者の指導のもと、製造所の銘のある鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等全ての材料をイギリスから輸入して建設された)に。工場の中に入ろうとすると、原動機械、工作機械、繊維機械、製陶機械、印刷機械など、殖産興業時代の機械類を展示してあったが、油の臭いに耐えられず、退去。 宇治山田郵便局(明治3年太政官から郵便事業開始の布告が出され、翌年には東京江戸橋にわが国最初の郵便局が建てられた。伊勢の宇治山田にも明治5年開業したが、業務の拡大につれて移転を重ね、明治42年伊勢外宮前に新築したものがこの建物である。木造平家建銅板葺で、中央には円錘ドームの屋根を頂き、外装はハーフティンバー様式である。入口を入ると円形の「公衆溜」と呼ばれたホールがあり、その周囲にはカウンターを廻らし、天井の高窓から光を入れている)に。中に入る。切手・ハガキの販売・郵便業務・貯金業務など簡易郵便局として実際に窓口業務を行っているようだ。入口にある黒ポストに郵便物を投函すると明治村オリジナルの消印が捺印されるようだ。時間があれば、俺もやろうと思ったのだが、手紙を書くと、10年後に発送するサービスがあるようだ。数人の人が手紙を書いていた。1通300円(10年間の保管料と送料)。 時間も残り少なくなっているようだ。急いで見学する。 小泉八雲避暑の家(小泉八雲はもとの名をラフカディオ・ハーンといい、1850年母の国ギリシアに生まれ、父の国アイルランドで教育を受けた。 明治23年来日し、松江の中学、熊本の五高で英語を教え、同29年には日本に帰化した。その年東京に移った八雲は翌年から夏を焼津で過ごすようになり、宿としたのが、この魚屋山口乙吉の家である。明治初年に建てられたこの家は内部片側に通り土間を通すなど、当時の町屋の典型的な形である)に。店内では所狭しと並ぶ駄菓子屋を営業していた。 半田東湯(この東湯は知多半島の港町亀崎にあったもので、小さな町にふさわしく間口3間のこじんまりとした銭湯である。明治の末頃建ったと推定され、湯水を多く使う商売柄、建物の傷み、 改変も少なくなかった。しかし、表構え、番台などに明治の古風な銭湯の俤が遺されている。木造で前半分が脱衣室と和室が重なる二階建、奥の浴室部分が平家建になっており、 屋根は前後とも切妻屋根である)に。男湯、女湯と分かれている。足湯とあるので、安心して(?)、女湯を見てしまう。番台・脱衣所など明治の銭湯を再現しているようだ。 聖ザビエル天主堂(この白亜の教会堂は聖フランシスコ・ザビエルを記念して、 明治23年ゆかりの地京都に献堂された教会堂でフランス人神父の監督の下に造られた。基本構造はレンガ造と木造の併用で、身廊、側廊からなる三廊式の典型的なゴッシク様式である。正面入口の上には直径4mほどある大きな薔薇窓が付けられており、外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いたもので、外に透明ガラスを重ねて保護されている)に。何か、長崎にきているかのよう。入鹿池を望む。 天童眼鏡橋(この石造アーチ橋は明治20年将棋の駒で有名な山形県の天童に、それまであった木橋に替えて架けられたもので、「多嘉橋」と呼ばれた。幅7.7m、長さ13.3mで、ゆったりとしたアーチの形をしており、地元の山寺石を積んで造られている。日本でのアーチ橋の実例としては、江戸初期に造られた長崎の眼鏡橋があげられる。技術的には中国からの伝来と考えられているが、明治に入ると欧米の技術も加えられ、各地で架けられるようになった)を渡る。 坂を登って大明寺聖パウロ教会堂(この建物は明治12年頃、長崎湾の伊王島にフランス人宣教師ブレル神父の 指導のもとに創建された。木造瓦葺、真壁造、腰板張で、地元農家風の外観とは対照的に、内部は「コウモリ天井」と呼ばれる交差リブヴォールトで覆われたゴシック様式を受け継いでおり、キリスト教禁制の時代から解放された初期教会堂の数少ない貴重な遺構である。また正面には昭和20年代の増築と思われる鐘楼が設けられている)に。 高いところが好きだと川崎銀行本店(川崎銀行は、明治13年に設立された銀行で明治中期には有力銀行の一つに数えられた。川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、鉄筋コンクリート造で、花崗岩積みの外壁とした本格的銀行建築であった。設計者は、ドイツのベルリン工科大学に学んだ矢部又吉で、関東大震災以前の大正10年に起工され、6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。昭和61年ビル建替えのため惜しくも取り壊されたが、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築された)に。タワーをどんどん登ってゆく。最上階は展望台になっており、明治村5丁目の眺めが良い。 内閣文庫(内閣文庫は、明治6年(1873)赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館である。明治23年(1890)内閣制度の制定とともに 内閣文庫と改称され、昭和46年国立公文書館が建設されるまで、内外の古文書研究家に広く利用された。その蔵書は旧徳川幕府ゆかりの書籍を中心とし、明治政府が集めた古文書・ 洋書を加えて、我が国の中世から近代までの文化、中国の明、清代の文化に関する 貴重な内容である。この建物は明治44年、皇居大手門内に新築された内閣文庫庁舎のうちの本館である。本格的なルネッサンス様式のデザインで、明治のレンガ・石造建築の、教科書的作品である。国会議事堂を完成させた大熊喜邦の設計である)に。世界のミニチュア建築とあったので、物凄い物が見れるかと思ったら、少し期待が大きいだけあって期待はずれ。 帝国ホテル中央玄関(アメリカを代表する偉大な建築家フランク・ロイド・ライトの設計により、帝国ホテルが完成したのは大正12年の関東大震災直前であった。被害を免れたこの建物は、以後昭和42年まで、名建築として、また国際的一流ホテルとして、内外に知られていたが、同年惜しくも解体され、その一部を明治村が移築した。幾何学模様を彫刻した大谷石と黄色レンガを主要な仕上げ材料とし、鉄筋コンクリートで固めた構造で、水平で深い軒の目立つ外観、華麗で複雑な空間構成の内部など、設計者ライトの非凡さが、如実に現れている)に入る。豪華な感じで、喫茶室もある。本当はもっとゆっくりしたかったのだが…庭に出て、トイレに行く。 金沢監獄中央看守所・監房(金沢監獄では、広い敷地の北半分が管理のための建物群で占められ、 南半分に舎房が置かれた。ここでも洋式舎房が採用されており、 八角形の中央看守所を中心に五つの舎房が放射状に配され、 右の舎房から順に第一、第二……と名付けられた。 中央看守所の中央には看視室が置かれ、 ここから各舎房の廊下が一目で見渡せるようになっている。 現在この内部に置かれている看視室は網走監獄で使われていたものである)に。奥に、監獄がある。中に入って囚人気分が味わえる。一番目の舎房には、お粗末な食事が並べられている。後輩に「もし、少し早く生まれていたら、ここに入っていたかもね」とジョークを言ってしまう。 宮津裁判所法廷(明治4年司法省が置かれ、同8年最上級審として大審院が、 翌9年には各地に上等裁判所と地方裁判所が創設された。その後幾度かの改編を重ね、 明治23年の裁判所構成法により司法制度はその確立をみた。上級審が洋風レンガ造で造られたのに対し、この建物は和洋折衷の木造で、開口部、 室内の意匠に洋風の影響を見ることができ、全体の形は左右対象のH型で、中央に管理棟、左右に法廷棟が配されていたが、明治村へは右翼の法廷棟を移築した。法廷を復原するに当たり、人形を用いて当時の法廷風景の再現を図った)に。外から、人形が裁判風景を展示していたので、見たかったのだが、時間も時間なので、お土産屋に向う。 地下通路を通り、SL東京駅ミュージアムショップに。SL関連商品から駄菓子、明治村オリジナルグッズ、手軽なお土産まで、豊富な品揃え。なぜか、横浜のアイスが売られてビックリ。 全体的な明治村の感想として、長崎・函館など、ごっちまぜの印象が…
バスに戻る。宿泊先は名古屋マリオネットアソシアホテル(地上52階、720室。名古屋駅真上)。 ホテルは名古屋駅の真上。15階がフロント。フロント前に別に設置された受付けで鍵を貰う。荷物をホテルに置く前に、高島屋の地下の味噌蔵徳兵衛に。すぐに、八丁味噌とんかつソースを買う。 ホテルに戻って、部屋に。15階から23階に。部屋はツインベット。風呂はシャワールームが別にあったりして、高級。タオルが使いきれないほど、4人用になっていないか。ベットに枕は2個づづあるし、5分ぐらい休んで、夕飯。 矢場とんに。わらじとんかつ(1680円)を注文。 部屋に戻り、30分ぐらい休んで、地下鉄で栄に向う。案内所で紹介してもらった店に行く。一軒目『Pink up Giris』(2800円)。まずまず、楽しめた。帰ろうか悩んでいると、後輩達から電話。『サンシャイン栄』で待ち合わせる。後輩達は道に迷っていたので、時間が合ったので、『オアシス21』のライトアップされた水の宇宙船を見に行こうとすると、もうすぐ到着すると携帯に。それで、すぐに、サンシャイン栄に戻る。後輩5人と合流して、再度、飲みに行く。人数も人数だし、行きたい場所も意見も分かれたので、分散する。 俺は最初から入る後輩と『.007』に。お洒落に飲む。 三次会は世界の山ちゃん錦三大津店に。幻の手羽先、海老ふりゃー、みそうすら玉子フライ、名古屋コーチンエッグアイスを食べる。 そして、ホテルに戻って熟睡。
11月19日(日)
朝、6:40頃に起きて、シャワー。朝食は洋食バイキング。8:30に集合。
バスは安濃でトイレ休憩して、二見浦(三重県東部、伊勢湾をのぞむ二見町にある海岸。「ふたみのうら」「ふたみがうら」ともいう。伊勢湾に流入する五十鈴川河口の今一色から立石崎までの約5kmの海岸をさす。伊勢志摩国立公園に属する景勝地のひとつ)に。夫婦岩(沖合に二見興玉神社の神石が沈んでいるといわれ、夫婦岩はその神石をおがむ岩門にあたる。高さ9mの男岩と4mの女岩は、長さ約35mにおよぶ5本の注連縄で結ばれ、年に3回の大注連縄張替神事がおこなわれる。5〜7月は両岩の間から太陽がのぼり、早朝にもかかわらず多くの観光客が訪れる)の見学。 お土産屋を通り抜けて、海岸を歩くのだが、風もあり寒い。波しぶきが遊歩道まで飛んできた。夫婦岩をデジカメで撮る。 バスからトドが泳ぐ水槽を眺める。思ったよりデカイ。
昼食は問屋料理川岸に。鮮魚問屋直営の海鮮料理店で「魚介おどり焼き」を食べる。大アサリ、ヒオウギ貝、サザエ、車海老などをテーブル備え付けのグリルで焼いて食べる。網の上で海老が跳ね、魚が躍る文字通りの豪快な磯料理に思わず声を上げてしまう。残酷焼き。これにご飯と赤だしで伊勢志摩ならではの味を堪能。俺は、貝、サザエがダメなので、隣りの後輩に食べてもらう。魚は何とか食べられた。ビールばっかり飲んでいたような。トウモロコシを食べ、生のタマネギは辛かった…
伊勢神宮内宮(内宮は正式には皇大神宮といい、皇祖神である天照大御神を祭る。約2000年前の垂仁天皇のころ、皇女であった倭姫命が各地を旅した末、天照大御神の御鎮座の地をこの地に定めたといわれている。五十鈴川の畔の宮域は、5500万平方mにも及ぶ)に。 駐車場からバスガイドに連れられて宇治橋鳥居をくぐり、宇治橋(五十鈴川に架かる檜造りの橋。これを渡って内宮の聖域に入る。橋の西詰に立つ鳥居には、遷宮のときに解体された外宮正殿の棟持柱[むなもちばしら]が、東詰の鳥居には内宮正殿の棟持柱が再利用されている。また、はずされた2つの鳥居も再度、関の追分と桑名の七里の渡しに移されるという。橋の真ん中は神様の通り道とされ、冬至の日には、ちょうどその中心線上に日の出が拝める。長さは101.8m)を渡る。火除橋を渡り、手水舎で清める。正式は柄杓に水を汲んで、まず左手を清め、柄杓をみだり手で持ち替えて右手を洗い清め、次に口をすすぐ。バスガイドは何度も何度も飲まないようにと注意する。最後は水を柄杓の枝の方に流して、裏返しにして元に戻す。 一の鳥居をくぐってニの鳥居をくぐる。 内宮を参拝する。階段の上に行くと、写真撮影は出来ないようだ。バスガイドから「世界平和」の事を祈願して下さいと言われたので、言われたとおりにする。 個人的な願いは、神楽殿で参拝。賽銭箱はないので、表から手を合わせる。売店でお守りを買う。
おはらい通りをブラブラして、おかげ横丁(42軒の名店が並ぶ。江戸から明治にかけての伊勢路を移築・再現した家並みで、散策するだけでも楽しめる。もめんや藍は、松阪木綿の反物と、それらを使った小物の店。粋な縞模様のテディベアやイヤリングも。毎週土・日曜、祝日などに太鼓演奏がある櫓の前には、山口誓子俳句館・徳力富吉郎版画館があり、伊勢にゆかりの深い2人の作品を展示している。その隣は伊勢肉の豚捨。牛肉にこだわり、豚を捨てたとの逸話が残るこの店の味を牛丼950円やコロッケ80円で楽しめる。他にも、様々なキャンドルを揃えるカメヤマローソク、1000種類もの招き猫が並ぶ吉兆招福亭、伊勢特産のサメの干物「さめのたれ」を売る志州ひらき屋などユニークな店ばかり)に。 赤福別店舗で、ぜんざいを食べる。うめぼしとコンブ付きで500円。おばさんに横入りされる。しかも13人分も注文。バスガイドは、ぜんざいはお客さん情報によると「イマイチ」という事だったけど、美味しかった様な。 後輩が、お土産を買いたいというので、あと、残り時間も少なかったけど、探すのに付き合う。が、良いのが見つからなかったようだ。急いでバスの駐車場に戻る。
亀山ハイウェイオアシスでトイレ休憩して、名古屋駅に。自由時間が1時間もある。お土産屋で、「なごや嬢」というお菓子を買う。晩ご飯は「なご家」で味噌ラーメンを食べる。まだ時間があったので、なごや菓べんとう(みそかつ、天むす、おいなり大福、えびふりゃ)という面白いお菓子を買う。 ホームで再び集合して、名古屋トップスリー(名古屋コーチンを使ったチキンライス、味噌カツ、エビフライ)という駅弁を買う。ひかり380号。17:57発。
新横浜駅。19:26着。家には20:20頃着く。二日間とも良い天気だった。
| 2005年11月3日 紅葉ミステリーツアー日帰り(群馬)編 |
11月3日(木)
今回は紅葉のミステリー。紅葉の観賞場所については、旅行出発前3日ぐらい前に担当者が実際に各地を見て身頃と思われる紅葉を選定・決定したようだ。 朝、5時頃起きて、朝食(食パン)を食べて、6:30過ぎ出発。少し、ゴミ出しとかしていており、ボヤボヤしていたので、駅前の自転車置き場に自転車を置いた頃には、集合時間の7:10の5分前。いつもなら、コンビニでオヤツ等を買うのに、買う時間がない。あわてて、集合場所の元三越があったリストガーデンスクエア前に行く。バスが何台も停まっており、色々なツアーの添乗員もいた。会社に行く時、横浜・天理ビル前で、よく緑色のジャンバーを着ている添乗員を見かける。その人が今回の担当する添乗員だった。 バスに乗り込む(このツアー各地で出発し、計8台も出ているようだ)。出入り口側5列目。満席の44名の参加者。天気は曇り。気温は少し寒い。上大岡を7:17に出発する。少し眠い感じ。今回はバスガイドは乗車せず。首都高に入り、大井競馬場の横を通る。つい妻に「明日、ここに行く」と白状してしまう。妻は、ズルイと言われて、少し罪悪感。 寝ていたら「関越だ」との乗客のおばさんの声に目が覚める。関越道を走る。 9:10、三芳のハーキングでトイレ休憩。コンビニで何も買えなかったので、お土産屋でパンとジュース、お菓子を買う。9:20、出発のはずが、トイレが大行列。おばさん達もゾロゾロと男子トイレに入ってくる。物凄し、おばさん。9:28、出発。 所沢あたりからずっと、渋滞が続く。花岡あたりからスムーズに進む。沼田を過ぎる。オプションで日光のゆばを案内していたので、日光方面に向うかと思ったら、沼田を過ぎてしまった。どこに行くのだろうか? 10:20、関越トンネル10キロ前のパーキング(名前も何にもない。トイレだけ。高速の地図で調べたら、おそらく下牧PSだと思う)でトイレ休憩。添乗員、お昼のお弁当を積み込む。11:00、出発。 お弁当は、群馬名物の舞茸弁当。暖かく、美味しかった。水上で高速を降りる。谷川岳(標高1978m)が、すっきりと見える。水上温泉街を通り過ぎる。徐々に、紅葉が目立ってくる。
藤原ダム(ダム形式:重力式コンクリートダム、所在地:群馬県利根郡水上町大字藤原字大倉、着工年・完成年:1951年・1957年、堤高:95.0m、堤長:230.0m、堤体積:415,000m3、総貯水量:52,490,000m3、有効貯水量:35,890,000m3。利根川上流の大ダムの中でもっとも下流に位置する藤原ダムは上流には矢木沢ダム、奈良俣と言う関東地方の水がめである2大ダムを抱え、これらのダムの放流を緩和し治水の役割を果たす。また藤原ダムによって出来た人造湖湖底には奥州平泉の藤原一族が隠れ住んでいたという伝説が残る藤原郷の民家160が沈んでいるとも言われている。湖を囲む見渡す限りの大自然は紅葉名所としても知られている)を渡る。湖面に映る紅葉に車窓から目を奪われる。「綺麗」という声が皆から聞こえる。 12:20、奥利根藤原湖。トイレの横の駐車場にバスは停まる。道路を渡り、歩いてゆく。老人が「紅葉を見て俳句を練ろうかと思ったが、目がぼやけていて見えない…」と言っていたのには、笑った。上から、藤原湖の山々の紅葉の写真を撮って、湖畔に下りる。どんどん、降りてゆく、民家の人、おじさんが俺を見ていたので、少しドキッとする。道が途切れたあたりで、またデジカメ。12:50、出発。 バスは水上温泉街に戻る。戻る途中、添乗員が「猿がいる」がいると言う。電線で綱渡りしていたと言うが、乗客の人が「もっと、早く言ってよ」と不満を言うが、バスはけっこう早く進んでいるんだよね。今度は「ガードレールに猿が」と添乗員が言う。今度はしっかり、猿を目撃。ガードレールから木に飛び移っていた。けっこうこういう場所に猿がいるのは珍しいらしい。
13:15、諏訪峡の道の駅 水紀行館に。清流公園、川辺に遊歩道が有り、もっといたいような気もする。水紀行館の中のお土産屋を見る。時間になりお土産屋を出ようとすると、場違いにもロッククライミングが。フリークライミングを体験出来るらしい(16歳から500円、15歳まで300円)。他に、淡水魚水族館「水上アクアワールド」もあった。外に出ると、妻が、きのこ汁を飲みたがっていた。バスに戻ると、きのこ汁の匂いが充満していた。13:30出発。
水上で高速に乗り、東京方面に。沼田インターで降りて、日光かと思いきや、吹割の滝(昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾30mに及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は東洋のナイアガラと言われている。片品川の清流が岩を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見える事から、吹割りの滝の名がついた)に。伽羅苑の駐車場から、吹割りの滝に向う。道路下を抜けるトンネルをくぐり、階段を下りる。少し渋滞。片品川沿いを少し歩くと吹割りの滝だけど、観光が終った人とすれ違うので混雑する。吹割りの滝の写真を撮って、戻るんだけど、前回は知らなかった、浮島の方に歩く。浮島橋を渡り、浮島観音のお堂を見て、もう一つの吊り橋を渡る。そこに、見事に紅く染まっている紅葉を発見。勿論、デジカメで撮影。伽羅苑のお土産に戻る時に、少し雨が降る。お土産屋でソフトクリームを買おうとしたけど、小雨と言えども、雨に濡れるのは嫌だったので、買わなかった。会社のお土産の饅頭を買う。15:15、出発。
15:40、日本ロマンチック街道の椎坂峠にある白沢オルゴール館に。お洒落な店だったので、ここで、12月に結婚するジムのトレーナーの結婚祝いにオルゴールを買おうとする。妻は「世界に一つだけの花」の曲の入ったオルゴールを買いたかったようだけど、俺はそれも良いけど、形にこだわり、しかも曲がグレイの「ずっと二人で」というのも良いかもと… 散々、迷った挙句に(結局、俺が選んだもの)、結婚祝いに贈って喜ばれそうなオルゴールが見つかった。雨が強くなる。添乗員によると、天気予報では、この地方では夕方から夜にかけて雨が降ると言っていたというが…
16:26、沼田の漬物処 加作に。サービスにお茶と漬物が出ていたが、その周りをハゲタカのように群がるおばちゃんのパワーに負けた。タダとサービスには力ずくでも奪い取るパワーは凄い。俺はお金を出してこしひかりアイス(200円)を買う。トイレに行こうと裏口に行こうとすると、おばちゃんが俺を押しのけてトイレに。そんなに急がないと漏れてしまうか…16:45出発。
沼田・りんご園のみたけ園。本当はりんご狩りだったかもしれないけど、朝の渋滞で行程が遅くなり、りんごはお土産(一人りんご2個づつ)になった。売店で「試食はどこなの」と言う、おばちゃん達が多く、売店の人は「柿も買ってね」と言うのが精一杯。17:08出発。だいたい朝の渋滞で1時間遅れらしい。
沼田インターで高速に乗る。一度、トイレ休憩して、上里で夕飯のお弁当を積み込まれる。お弁当は小さい弁当箱なんだけど、ぎっしりと詰まったお寿司だった。19:40、三芳でトイレ休憩。焼き鳥3本とおでんを買う。19:55出発。 上大岡には21:10過ぎに到着。朝の渋滞分、遅れて到着した。雨は上がっていた。添乗員は言っていたが、今年の紅葉は遅れており、ツアーの後半の方に予約した方が良いらしい。
| 2005年9月1日ミステリーツアー日帰り編 |
9月1日(木)
旅の15ポイントは�―椶竜霾�が園内食べ放題��巨峰1房付き��オリジナルワイン�と�味しい夏野菜狩り・お土産付き�サ╂瓩里�花摘み体験�Ω諺枦�で美しい人気の○○美術館観賞�Ъ�然が作った名勝・○○へ�┐�楽しみ縁日開催中��ちょっぴりおやつとクッキーのティータイム��一口和菓子��料理に便利!ちょっぴり○○��ミニ石鹸��○○の試飲��○○の試食��お楽しみ抽選会!。 今回の旅行は妻と一緒ではなく、後輩と一緒。天気は晴れ。昨日は雨の予報だったのに、朝、目覚めると晴れているのに、ビックリ。6:00起床。6:30頃、家を出るつもりが、10分遅れて家を出てしまう。それで、集合場所の横浜・天理ビルに着いたのは、集合時間5分前の7:10分頃。後輩は待っていたので、少し悪い事をしてしまったと反省。一番最後にバスに乗り込む。
横浜7:15発。席は出入り口側の7列目。後輩を窓側に座らせる。後輩が買っていた、柿ピーとポテトチップスを食べる。バスは、新横浜に向う。38名の参加者。バスは2台出ており、自分達のバスは1号車。 新横浜でお客さんを乗せて、出発。 調布から中央道を西に。9:11、談合坂でトイレ休憩。腹が空いたので、カレーパンを買う。9:30、出発。 ブドウ狩りがあるので、山梨かなと想像するのだが案の定、甲府方面に。甲府南のインターをおりる。
10:15、みちのえき豊富の駐車場でバスを降りる。ナス狩りをする事に。3本まで取れて、それがお土産になるらしい。駐車場から5分ぐらい歩き、農園に。添乗員から「おつまみを採って下さい」と言われてしまう。俺って、酒飲みに見えるのか。ハサミと籠を持って、ナス狩りの始まり。ナスが葉に隠れるように生っている。小さくしなびたナスもあるので、出来るだけ大きなナスを選ぶ。後輩の分まで6個も大きなナスを探して、ハナミで枝の部分から切っていった。ナスの苗を始めて見た。こういう野菜狩りも時には良い体験かも。 時間もあったので、農産物直売所の中をブラブラする。ナスが100円で売られ、キュウリも売られていた。スーパーよりも安いと思ったりする… 10:55、バスは発車。添乗員から、料理に便利!ちょっぴりスリゴマを貰う。
11:42、つけものセンター昇谷に到着。昇谷のキムチの試食。係員が一生懸命に説明していた。12:05出発。
12:25、昇仙峡に。まずは、ほうとう会館の駐車場にバスを降りて、団体写真を撮る。その後、ほうとう会館の二階に。ほうとう会館の入り口で、ほうとう饅頭を配っていた。饅頭の中に野菜が入っているという画期的な饅頭。けっこう、いける味。二階に上がり、ほうとう膳を食べる。後輩と生ビール(500円)を飲みながら食べるのだけど、ふと、海老のテンプラがあり、そのツユを探そうとすると、隣りに座っていたおばさんが「この塩をつけて食べるのよ」と教えてもらった。俺達は、はしっこの席だったけど、けっこうほうとう鍋で暑いのか、奥の席の人達は汗をかきながら食べていた。 食事も入れて2時間も自由時間があるので、余裕を持って仙が滝に向かう。平日なので、観光客は俺達ツアー客だけ。少し閑散としていた。宝石やソフトクリーム屋、ワイン屋などのお土産屋を通り抜けて、鳥居から階段を下りてゆく。紅葉だったら、もっと綺麗だったかもしれない。ただ、特に人気のある仙が滝附近は、大変な混雑となりそう。ビールを飲んでいたので、足が重い。岩を切り裂き流れ出す水、高さ30mの壮麗な滝は心が洗われるような感じ。自然のダイナミックさ、清涼感ある滝を満喫して階段を登るのだけど、足が重い。 影絵美術館に。まずは、常設されている藤城清治展を見学。影絵をこういう場所でじっくり見るというのも、いいのかもしれない。山下清展では、グラバー邸の貼り絵をじっくり見た。漫才師の内海桂子展のどどいつ絵画展をやっていた。漫才師が…と思う反面、かなり精力的な活動に感心する。水木しげる展もやっており、ゲゲゲの鬼太郎の曲が流れていた。 かなり時間も余ったので、ほうとう会館のお土産の中をブラブラする。ほうとう会館の前の店の巨峰ソフトクリームを食べる。意外に美味しい。14:25出発。ビールも飲んで腹も満たしたので、バスの中で寝てしまう。起きたら、暑くて汗をかいていた。
15:11、モンデ酒造株式会社に。工場を見学して、試飲する。15:40、出発。添乗員からワインを貰う。会社のロゴ入りのワイン。
16:00、金原園で巨峰狩り。去年、巨峰狩りした一古園とは隣りだったとは… 農園まで歩いて5分。食べ残したら買い取りになってしまうので、後輩と一房だけ食べる。粒が大きいので一房でもけっこうな量がある。巨峰去年の食べた巨峰より美味しいような… 金原園の売店横のベンチで休んでバスに戻る。バスに戻る時に、添乗員から巨峰一房を貰う。妻へのお土産が出来た。16:40出発。
16:50、ハーブ庭園旅日記(一万坪の敷地に、約200種類のハーブが咲き誇る美しい大庭園)に。去年も後輩と来た所。係員が案内してくれたけど、去年と同じ係員もいた。ローズゼラニウムの葉を触って匂いをかがせたり、いつのまにかに化粧品をベタペタと付けさしたりさせる。カエルの石の置物が面白い。係員の面白い案内が終わり、売店の所に行く。建物の入り口でおしぼりサービスがあるけど、これで拭いても化粧品は落ちないというアピール。結局、最後は化粧品販売。何だかんだと言って、1500円もするナチュラルハーブ化粧品が特別価格で1000円になってしまう仕組み。 そして、花摘み。コスモス狩りなんだけど、そんな多くコスモスはまだ咲いていない。俺と後輩は少ないコスモスをそれでも摘む様を眺めるだけにしておいた。17:50出発。
バスは帰途に。夕飯の幕の内弁当を頼んでいたので、バスが走り出すそうそう弁当を食べる。添乗員が抽選大会を行っていた。一等から七等までの抽選会。それぞれのお土産が用意されているんだけど、俺達はそれよりは弁当を食べるのに忙しい。添乗員が、袋に入っている1〜38までの番号を書いたクジを乗客にひいてもらい、もう一つの袋に同じく番号が書かれた紙を引いて同じ数字だったら当たり。添乗員が手際よく動く中、俺は全然、関係なくご飯を食べていたら、何と、俺が一等を当たってしまった。全然、期待していなかっただけに、皆に申し訳ないような… 後輩は大爆笑。 18:40、石川インターでトイレ休憩。19:00出発。 渋滞も無く、1時間近く早く、新横浜に到着。20:15頃、横浜に到着した。
| 2005年7月30日〜8月2日 夏休み!わくわく沖縄3泊4日編 |
7月30日(土)
昨日妻が旅行の荷物をカバンに入れてくれた。さすがの3泊4日では、鞄がパンパン。それにパソコン入れのリックとウエストポーチまで持つので、かなりの荷物。これでは完全に、旅先では荷物を郵送で送らないといけないかも。つまり、ボストンバックにパソコン用入れのリック、ウエストポーチがお土産を入れていないのに、すでに一杯という事。これは、お土産を買うなという事か(笑)
朝、5時に目が覚める。昼から集合なので朝は俺一人ジムに行く。ジムに行く前に、妻のボストンバックと俺の荷物を持って団地から歩いて駅まで向おうとする。が、かなり重いので、家を出たらタクシーが通りがかったので、タクシーで上大岡駅まで。何か、無愛想なタクシーの運転手だった。駅のロッカーに荷物を預ける。12:30まで筋トレして、13:00頃、妻と待ち合わせ。妻は三日前に足を怪我しており、ジムは休む。せっかく、沖縄の海で泳ぐつもりだっのに、海を目の前に可哀相。京急で妻と会う。妻はもう食べていたので、簡単に昼はすまそうと、マックに行く。13:30、上大岡駅のロッカーに荷物を預けていたので、荷物を取って、上大岡駅から羽田行きの京急に乗り13:40出発。二人とも座れる。東京湾納涼船の広告を見つけた妻は「行こうよ」と言われて、飲み放題で2500円と書かれてあったので、俺も行きたくなる。
羽田空港14:13到着。第1ターミナルビル2階に。集合時間の14:30頃にはツアーの手続きを済ませて搭乗する。二人とも、パソコンで引っかかる。待合室でつまみチーズサラミでビール大ジョッキを飲む。美味しい。15:20、羽田発。周りはファミリーが多い。飛行機内でもオリオンビールを飲む。2杯目。こんなに飲んでばっかりで良いのか。三人掛けの座席なので妻は窓側、俺は真ん中、通路側にはファミリーのお父さんが並んで座る。ファミリーのお父さん、腕を肘掛に置くので、俺が狭くて仕方が無い。文句を言うのも何だし、我慢する。飛行機内の放送で、沖縄の天気は晴れで、気温は30度と知る。子供連れが多く、着陸する時、泣き出す子供も数人いた。
那覇空港(17:50)。午後6時なのに、まだ外が明るい。出口で添乗員が待っていた。添乗員は男。日本人なんだけど、韓国系の顔をしている。やはり、子供づれの親子が多い。このツアーは4台バスが出ており、俺らは4号車。40人ぐらいの参加で、10組。点呼取るときでも、すぐに点呼が終る。添乗員につれられてバスに向う。バスの座席は出入り口側の2番目。18:30頃、バスは発車。バスガイドがいないのが寂しい。バスは30分ぐらい走る。
19:00頃、DFSギャラリア・沖縄(2004年12月、国内初の世界最大級の免税店が那覇市内にオープン。世界中から選りすぐられた高級ブランド品を、国内価格よりお買い得の免税プライスにてご購入できる日本唯一のスポット。このDFSは、1フロアあたりの総面積、世界最大規模)に到着。バスから降りて、エスカレーターで二階に。係員の女性から説明を受ける。ショッピングカードがないとショッピングが出来ないらしい。ショッピングカードと言ってもDFSギャラリアのパンフレットみたいなもの。妻と歩く。シャネルで、値段が表示されていないのでバックの値段を妻が店員に聞くと「15万」と言われると、思ったより値段が高かったらしく少しビックリする。俺も冷やかし半分で歩く。おそらく、ダンヒルのベルトも表示が無かったけど高いのだろうか。ブルガリ、ティファニー、ルイ・ヴィトン、ディオールと知っているブランドの店が並んでいる。パンフレットを見て、最近流行の電車男のエルメスを探すが、店は入っていなかった。最後の、お土産屋で、チョコレートを買う。買う時に、ショッピングカードを出して、自分の名前を言わないといけないのが… まだ時間があったので、ブラブラする。エスカレーターの上が賑やかだっので上がっていくと、フードコロシアムになっていた。地元沖縄食材を豊富に揃え、世界各国の料理を調理するらしい。全8ジャンル200種類を超えるメニューらしい。食べるまで時間がなかっので、帰りもDFSギャラリア・沖縄に寄るので、その時に、食べたいと思った。
夕食は、ステーキハウス・サムズマウイレストランで、ステーキ料理。中々、お洒落な店。入り口で名前と人数を言って中に入る。少し、店内の照明は暗い。テーブルには、肉がしゃもじ風のの大きなまな板らしきモノに乗っていた。店員がすぐに細かく切ってくれる。が、切ってから料理が出でくるまで長い。俺はオレオンビールを頼み、妻はジュースを注文。最初にカレースープが来る。中々の味。そして、サラダが出てくる。やっと店員の肉を焼いてくれる。その前にバターで焼いたピーマンとジャガイモタマネギの料理を目の前の鉄板で作って入れる。隣に居た子供(女の子)は、ピーマンが嫌いらしく、お父さんにあげていた。そして、やっと肉。作りながら、調味料を振りかける時にパフォーマンスをしてくれるのが楽しかった。ステーキはけっこう美味しかった。妻はシーフードを食べていた。肉と交換で、エビを貰って食べる。飲み物は、最初はオリオンビールを飲んでいたけど、料理が遅くて、入れ物の器に惹かれて石敢当を飲む。陶器の器の中に、泡盛が入っており、器の上にはパイナップルが乗っており南国らしい。妻にパイナップルを上げる。飲んだ器は、新しい物をレジでもらえるようだ。
パシフィックホテル沖縄に宿泊。
7月31日(日)
5:00に起きる。朝食はバイキング。チェックアウトして、集合時間8:00前にバスの所に行く。ホテルを出るとムッとする暑さ。バスの前にはかわいいバスガイドがいた。バスガイドに「今何度ですか」と聞くと「今日は33度まで上がります」と答えてくれた。バスの座席は運転席側の10列目(後ろから4番目)。バスの中で、妻が100円均一で買ってくれたサンダルに履き替える。
とまりん港に到着。港といっても、待合室があるような建物があるわけでもなく、ボートが沢山留まっている場所。8:30の第一便のボートに乗り込む。50人ぐらい乗る。俺はすぐに2階席に。妻は、あまり上がりたくないらしく1階。俺が後ろから操縦席を見ていると、運転手が「こちらに座りませんか。興味ありそうだから」と、運転席横の助手席に薦めてくれた。最初は断ったけど「やっぱり」と座ってしまう。波が高くなる場所があるので、後ろの棒を握るようにと言われた。波は3mぐらいの高さになるそうだ(波があまりにも高くなると船は欠航になる)。ボートは、無人島・ナガンヌ島(ナガンヌ島は沖縄の渡嘉敷島や座間味島などのある慶良間諸島に属し、那覇から西へ約15kmに位置するチービシ環礁を構成する一つの島、海は世界でも有数の透明度を誇り、白く広く砂浜の広がる美しい無人島。世界でも数少ない海亀、海鳥の産卵場所。アイランドリゾートナガンヌには他の無人島と違い、水タンク、浄化処理施設を整えているため、島内に水洗トイレ、温水シャワーなど整った施設を完備。また無人島にいながらにして不敏さを感じることなくリゾート気分を味わえるビーチバー、レストコテージ、ショップなどを完備し、自然の中にあるリゾートタイムを満喫できる島。遊泳には遊泳区域を設け、常時ライフガードを配置し、ご家族連れのお客様にも安心して滞在を楽しめる島)に向う。 途中、灯台、砂の島を通り過ぎる。水深10mぐらいでも、底が見える海。海も綺麗。運転手は「白は砂で、黒く見えるのは珊瑚」と教えてくれた。妻が2階に上がろうとすると、運転手から「もう定員です」と断られた。それから、他の人も何人も2階に上がろうとして、運転手から拒否して、運転手は大忙し。30分ぐらいボートは走りナガンヌ島に。 ボートに乗る時もそうだったが、ボートと岸が離れており、少し乗り移る時に恐い。不覚にも女の子の手を支えに岸に移ってしまう。海が透き通っており綺麗と言うのが印象。さすがに、汗が出てきてしまう暑さ。売店で日焼け止めクリーナー(750円)を買う。売店横の更衣室で、着替える。荷物を海に入らない妻に預けるわけにはいかないので、ロッカーを借りる(300円)。海パン一つになっても、汗は出てしまう。妻に背中を日焼け止めクリーナーを塗ってしまう。海の方に行くと、海に入れない妻には、さすがに暑いと思い、ビーチパラソルを借りる。ビーチチェアーも一緒で2500円。海の方は賑やか。母親の子供の叱る声が海から聞こえる。「ここに入ったら駄目だって」とか。第1便だったので、そんなに人も混んでいない。妻と海に入る。妻は左足を怪我しているので、足首までしか海に浸かれない。「来年もここに来よう」と妻を慰める。ビーチパラソルで休む。風が吹いているので、涼しい。それでも日差しは熱い。俺一人、海に入る。最初は足首まで入り、どんどん海に身体を沈めてゆく。それにしても、海水の透明さに驚く。肩まで入っているのに、足の爪まではっきりと見える。魚まで泳いでいる。黄色い熱帯魚らしき魚も泳いでいる。海の中は熱帯魚の楽園。海底にへばりつくようにしている黒い物体(太くて短い)は、何だろうと思っていると、ナマコのようだ。気持ち悪いので避けようとしたら、周りにはナマコだらけ。ビーチサンダルを履いていたから良かったけど。 早目に昼食。ビーチバーで焼きソバ(600円)、マンゴジュース。ビーチバーには、添乗員達がいた。自分達のツアーの添乗員は海パンをはいて、海に行くと思いきゃ、シャワーを浴びていた。そして、ビーチパラソルに戻る。午前中は妻のそばにいたけど、やはり沖縄、海に入らないと思って、海に。妻をビーチハラソルに残した分、ペットボトルに海水を入れて妻の怪我をしていない足に掛けてあげる。けっこう何度も何度も掛けてあげた。徐々に人も多くなってきている。昼過ぎにビーチバーに行くと、大変混雑していた。こんなに暑いのに、センターハウスのパーラーではカレーライスと弁当を食べている若者達がいた。13:30頃、かき氷を食べようと、ビーチバーに。マンゴーのかき氷(300円)を食べる。妻はイチゴのかき氷。さすがに日焼けしてきた。妻に言わせれば、背中が凄いことになっているらしい。そして、ラストスパートと海に。ナマコに注意しながら足がつかない所まで海に入る。チラホラと、皆が帰りだそうとするので、妻にあと一回泳いでくると言って泳ぐ。14:30まで泳ぐ。携帯はロッカーに置いているので時間がわからないので、そろそろ時間だと思って更衣室に。3つあるシャワーの一つが空いていたので、使おうとするが、全然、シャワーの水が出ない。節水にご協力して下さいというけど、シャワーが使えず、水道だけとは… 結局、あまり洗えず、服を着る。パーラーでオリオンビール(400円)を買って飲む。暑い最中、仕事をしている添乗員の前だと飲みにくい。 そして、ボートで帰るのだけど… これまたボートと岸まで少し間が空いているので乗りつらい。しかも岸→ボート→ボートと、二つもボートを乗り移らないといけない。恐いからと言っていると帰れない。
ボートに乗り移り、二階席に。妻は助手席に座ろうとしたが、運転する人から「座らないで下さい」と言われる。どうも、融通の利かない人のようだ。ボートは走り出す。朝のように、親切に揺れますからと全く言わない。後ろのオレンジ色のシートの上に妻と一緒に座る。とまりん港が那覇空港の近くなので飛行機がよく見える。灯台のところで、ちょうど、飛行機が着陸していた。中々の眺め。
とまりん港から、バスに乗る。添乗員がパインカステラとちんすこうの試食を配る。そして、バスガイドが淡々と今日始めてガイドする。高速に乗り、中城でトイレ休憩。ソフトクリームを買って食べる。
本部町のホテル モトブリゾートに今日は宿泊。明日も同じ宿泊先なので楽チン。部屋は和室と洋室のベットも置いてある。広い部屋。部屋の鏡で自分の身体を見てみると、物凄い真っ赤で日焼け。肩が凄い。顔から腹、足に日焼けしていた。肩と腹がヒリヒリする。妻も足に日焼けしていた。部屋のシャワーに使う。やはり、肩と腹がヒリヒリ。額も髪を洗う時にヒリヒリした。 そして6:30にホテルのテラスでバイキング料理。本当はサザエさんを見てから行きたかったけどね。自分のテーブルに行くともうすでにバイキングは準備されていた。後は焼くだけ。肉、野菜、海老、ヤキソバ等。妻が最初は焼いて、俺は自分用のオレオンビール、妻用のオレンジジュースを買いに行く。海辺で夕陽の見ながらバイキングは中々良い。自分も肉を焼いたりして、バイキング気分を満喫。上に設置している提灯が燃えるというハプニングがあったけど、中々、面白い。周りを観察していると、お父さんが焼いている方が多い。 売店で、琉球泡盛とツマミを買って部屋に。妻がどこで仕入れた情報なのか、コインランドリーがあるというので、洗濯物を持ってそこに向う。ホテルの別館かなと思ったら、プールサイド下のトイレの奥だった。洗剤が必要だっので、俺が売店に買いに行く。韓国人らしき人が売店で何十個もアイスを買っていたので混雑していた。「1234…」と、数の数え方を売店の人が教えていた。洗濯機に海パン等を入れて洗濯する。40分ぐらいかかるので、一旦部屋に戻る。部屋に出るたびに、廊下の暑さには参る。泡盛を飲む。フロントで氷を貰っていたので、ロックで飲む。40分が経ち、コインランドリーに。乾燥機に移し換えて、ホテルに入ろうとすると、打ち上げ花火が上がっていた。砂浜で個人で上げているらしい。「あるある大辞典」の「わき腹の肉を減らすには」を観て、乾燥機が終っている頃なので、取りに行く。やはり、廊下は暑い。洗濯物を取りに戻って、部屋に入ると一安心。ただ、部屋も22度に設定してあったけど、16度に設定しなおしても、暑いんだけど。K−1ハワイトーナメントを見て寝る。
8月1日(月)
6:00頃、目が覚めたが、また寝てしまい、気がついたら朝食の時間8:00近く。わずか5分で顔を洗って食事会場に。添乗員から「ビーチに行きますか」と聞かれて、さすがに背中や腹の日焼けが痛いので「行かない」と言う。が、添乗員「綺麗なビーチですよ。気が変わったら9時にきて下さい」と言われた。その時は行かないつもりだったが… 日焼け止めを塗れば大丈夫かなという気になり、行く帰になる。今日は和食の会食。ご飯のお代わりをする。部屋に戻り、着替える。日焼け対策にTシャツを着て日焼け止めを丹念に塗る。面倒なので、海パンを着て9:00前にホテルのロビーに。けっこう行く人が多そう。 バスに乗る。今日は運転席側の8列目。妻はやはり怪我で泳げないので、ホタルで待機状態。ゆっくりしていると思う。国営沖縄記念公園・海洋博公園のエメラルドビーチに向う。今日も日差しが強そう。ビーチ近くの駐車場にバスを留めて、添乗員に連れられてビーチに。ロッカーに荷物を預けてビーチに。昨日の海より濁っているけど、昨日が綺麗だっただけに、これでも綺麗なんだろうな〜という印象。平泳ぎの練習をする。一人で何度も何度もトレーニングみたいに泳ぐ。今日はナマコはいないけど、海底の海苔が気持ち悪い。1時間ぐらい泳ぐ。シャワーで洗い流す。Tシャツを脱ごうとすると、ヒリヒリしてうまく脱げない。かなりの日焼けのようだ。更衣室で着替えようとすると、何と、下着を入れていない。仕方なく短パンを履くんだけど… まだ時間があったので、ブラブラする。海洋文化館に入る。前にも入った事があるけど、涼しいと思って入った。ただ、時計がないので、時間までに戻れるか心配で、すくに出てしまう。 そろそろ、時間かなと思って、エメラルドビーチに向って歩く。日差しが強い。そういえば、今日、会社の女の子が沖縄に遊びにくると言っていたのを思いだす。あまり、会社の人とは会いたくないのが本音。どうも仕事を思い出す。 売店で涼む。添乗員から「日焼けしましたね」と言われて、またショック。昨日よりヒリヒリなるのか… 売店で30分ぐらい時間を潰して、バスでホテルに戻る。
ホテルでゆっくり寛ぎ過ぎて、集合時間の13:00ギリギリにバスに乗り込む。
腹がすいた。昼食は13:00、琉宮城蝶々園(世界の昆虫わくわくハウス)にて。バスから降りて横断歩道を渡り、3階のレストランに。前にも食べた事がある琉球のお茶漬けが用意されていた。 食事が終わり、1階のお土産屋に。姪っ子お薦めの紅芋タルトを売っているか店員に聞く。一応、売り場を確認する。姪っ子は3箱欲しいと言うが、そんなには買えない。 「世界の昆虫わくわくハウス」(夏休み限定企画7月18日〜8月31日)に入る。男の子が喜びそうなクワガタ、カブトムシがいる。ヘラクレスカブトムシが箱の中で木影に隠れていた。写真で撮っていたら同じツアーのお父さんが子供を呼んできて「ヘラクレス」だと教えていた。世界最大のカブトムシでギリシャ神話の英雄から名づけられたようだ。 暑いので蝶々園に行く。前にも行った事がある。二つの網をくぐり中に入る。蝶々が寄ってくる。物や香りの強い物が好きらしく、ハウスの中の所どころに置いてある赤い帽子(多分香り付けもしてある)にいっぱいの蝶々がとまっている。前より、蝶々が少なくなっている感じがした。妻は蝶々をデジカメで撮るのに必死だった。 外に出ると、日差しが強い。展望台に行こうとするけど、妻はついてこなかった。やはり、暑いらしい。 お土産屋で涼む。結局、姪っ子は3箱欲しいと言っていたけど1箱だけ買う事に。会社には2箱買った。14:20頃出発。
14:23、国営沖縄記念公園(1975年の沖縄海洋博覧会の跡地に作られた公園)の沖縄美ら海水族館に。駐車場からそこに向うのに、物凄い日差し。バスガイドは33度まで気温が上がると言っていたけど、体感としたらそれ以上かも。何か、疲れてきた。水族館の中に入る。2時間弱、時間があるけど、妻と俺は水族館で時間を潰そうと決める。まずは、熱帯魚の海を見学。気に入った熱帯魚をデジカメで取る。赤、青、黄色のカラフルな熱帯魚は美しい。熱帯魚の海でも、名前はわからないけど(たぶんナンヨウブダイ)、顔が印象的な大きな魚の写真を撮る。じっくりと見学。サンコ゛個人槽で伊勢海老を見ていると、子供が「美味しそう」と言っていた。15:00に「美ら海シアター」で上映されるというので、あと、5分なので、観る事にする。真ん中ぐらいの席に座る。座ると眠くなる。最初に女性が始まりの挨拶をする。「最後に仕掛けがあります」と紹介。何が起こるのだろうと期待する。しかし、ハイビジョン映像「美ら海に生きる」(約20分)が上映されたけど、徐々に眠くなり、結局、3分の1も観れなかった。最後、上映が終ると、画面には… 「黒潮の海」の水槽。とっても大きいのに、継ぎ目が全くない。今度で三度目ぐらい観ているのだが、大迫力(縦8.2m、横22.5m、アクリルパネルの厚さ60cm)。全長7mのジンベイザメが悠々と泳いでいる。 「カフェ オーシャンブルー」で休憩がてら、メロンフロートを食べる。席から水槽が見えるので、じっくりと観察。ジンベイザメが3頭いるような感じ。30分ぐらい観察していた。ジンベイザメが3頭いるような感じ。 サメ博士の部屋でサメの顎・標本を見学。 駐車場に急いで帰らないように、時間を持って水族館を出る。駐車場に行くと、めざとく添乗員が妻のウエストポーチにぶら下げている万博のモリゾーのキーホルダーを見つける。妻が携帯で万博の画像を見せようとするが、電源が入っておらず見せられなかった。16:30頃、出発。
17:00頃、沖縄名産のパイナップルをテーマにしたナゴパイナップルパーク(とれたてパイナップル食べ放題)に。バスの中で寝ていた。バスを降りて、入り口で添乗員から入場券を貰う。中に入ろうとするが、妻がデジカメでパイナップルの人形(何かバボちゃんみたい)をデジカメで撮るのに必死で皆から出遅れる。俺は皆の後をついていったので、妻と別々になる。少し、曇ってきたけど、雨までは降らない。幾分、涼しさを感じる。案内人が色々と説明をしているが、全然聞こえない。そして、建物の中に入り、パインワインの試飲。KISSワインを飲み、シークヮーサー、パインジュースを飲み、パインのケーキ、パイ、カステラ等を食べる。そして、パイナップルの食べ放題コーナーに。出された皿には残り少なくなっていたので、妻と全部食べ終わるのを待って、新鮮なパインがさらに出てきたのを見計らって一斉に爪楊枝で食べる。7〜8口ぐらい食べただろうか。そして、お土産屋を見て回るけど、まだ時間があったので、貝類展示館を見学。それでも時間があったので、またワインからケーキの試飲試食そしてパインの試食。腹一杯になってしまった。そこを出て、バスに戻ろうとすると、添乗員がナゴパイナップルパーク前の大きなパインの前で二人の写真を撮ってくれた。
バスは、ホテル モトブリゾートに。18:15頃部屋に戻る。テレビを見ると台風9号が発生していた。沖縄は明日は大丈夫だと思うけど、会社の女の子の帰る頃は… 俺の事を「雨男」と言うからかな。18:45に夕食。和食会席だった。 夜に、妻の母から電話があり、3つ紅芋タルトを買って欲しいと言われて、3つは買っていたけど、2つは会社用と考えていたので、結局、3つを姪っ子に、会社のは明日どこかで買う事にした。
8月2日(火)
朝、5:30に妻の目覚まし携帯で目がさめる。昨日ギリギリに起きたので、早目にタイマーをセットしていた。が、俺はまだ寝たかったので二度寝。6:00に俺の携帯がタイマーで鳴る。そして、起き出す。昨日よりはひどくないが、日焼けがヒリヒリ。両鎖骨の辺りが皮がむけそう。腿上もヒリヒリしている。外を見ると今日も晴れ。日差しが強くなりそう。 朝食前にペリカン便で荷物を送る。11キロで3150円。朝食は昨日と同じ和食会席。昨日とは魚が違っていた。
8:00、出発。今日は運転席側の8番目。昨日と同じく出入り口側み空いているので妻が座った。席に着くともうすでにツアーの恒例のアンケートが置いてあった。バスガイドが言うには、今日は33度まで上がるらしく、降水確率は30%、今日まで晴れらしい。
9:00、琉球村(沖縄県の伝統的な文化・琉球時代の沖縄の様子を再現したテーマパークを伝えるテーマパーク)に。バスを降りると、すぐに琉球村の建物の前で団体写真。 団体写真が終って、添乗員から入場券をもらう。入り口で、沖縄の踊りを見た。何の踊りかわからないけど、三味線に合わせて太鼓を叩きながら数人の男が踊っていた。沖縄にいる実感がわく。番所で入場券を見せて、小さな木造舟のサバニ、那覇大綱曳きの大綱(ギネス認定)を見る。 古き沖縄の民家などが並び、一瞬どこぞの島に飛びこんでしまったのか?と錯覚する。一つの昔ながらの家を覗くと、おばあちゃんがお手玉を作っていた。袋の中には小石を入れているけど、おばあちゃんはそれはお米だと言っていたような… 旧仲宗根家で娘から冷たい琉健茶を出されて飲む。 妻が嫌がるのでハブセンターの方には行かずに、左の方に行く。ガシマルの古樹の上に建てられている妖精キジムナの家をデジカメで写真を撮る。 旧玉那覇家で三味線を聞く。ヘイサーおじさんの曲だった。 神アシャギーを見て、旧花城家を見学。沖縄の古くから伝えられる藍染や紅型工房がある。園内中央広場に。妻は絶対にハブセンターには行かないと拒否。 酒屋で冷たい水をサービスされる。暑いので喉まで冷える冷たさ。中で100円で泡盛を飲もうとしたけど、やはり辞めた。 沖縄の歴史の展示年表を見ながら坂を下ると。フェーレ屋を通り、陶芸工房に。 外に出ると、水牛がおばあちゃんにひかれていた。砂糖車というらしい。製糖を作っているようだ。水車屋ではサトウキビを加工していた。中々の雰囲気ある光景。 それから、少し早いけどお土産を少し見て、バスの駐車場に戻る。添乗員から昨日行ったナガンヌ島行きの船は明日から6日まで欠航が決まったらしい。そして、明日から添乗員はまた同じツアーに行くと聞く。少し気の毒に思う。10:00出発。
添乗員がDFSギャラリアからの提供でクジ引き大会になった。ちゃんとクジの箱が用意されていて、当たればバックが当たるようだ。4号車は5つ当りがあるようだ。添乗員が前から順番に三角のクジを引いてもらう。俺達の前が一つ当りがでた。そして、俺が引き、妻が引くけど、三角クジを開くと見事にハズレ。残念。
再び、10:50頃、DFSギャラリアに。早目にウィンドショッピングして、フードコロシアムに。アイスクリームとケーキのコーナーで、俺は泡盛のアイス、妻はシュークリームを買って食べた。 琉球銀行があったので、念の為、お金を引き出しておいた。11:30出発。
国際通りで、午後からのフリータイムの乗客を半分降ろして、俺らはオプションで沖縄南部観光を予約していたので、バスに残る。
沖縄の悲しい歴史・南部戦跡観光。涙なくしては観光できない。沖縄は、第二次世界大戦時に唯一の地上線の舞台になり24万人もの犠牲者を出している。青い海に白い空の中、爆音をたてて飛び交う米軍用機、沖縄本島のかなりの割合を占める米軍基地、米軍用機を見るたびに、その時の心の傷は、まだ沖縄の地に、人々の心の傷になって残っていような。沖縄本島の南部に残る南部戦跡は、特にその傷が大きい場所。北から進入した米軍に追い立てられ住民は、南へ南へと追い立てられてしまう。しかし、悲しい事に沖縄は島。いつかは、海に行き当たってしまう。それが、南部の地。追い詰められた住民は、日本軍から自決するように手榴弾を渡される。住民を守るはずの日本軍は、少しも守ってくれない。住民は、摩文仁の丘の断崖から海に飛び込んでいた。献身的な看護活動に当たっていたひめゆり学徒隊は、米軍から狙い撃ちにされ、ガス弾を投げられたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。日本軍が渡した手榴弾を防空壕のなかで爆発させたりもした。気分が悪くなるような話しである。 12:30、優美堂の駐車場でバスを停める。昼食の前に、ひめゆりの塔(沖縄戦で従軍看護婦として犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔。実際に学徒たちが自決したり、米軍の毒ガスで犠牲になった壕がある)の参拝。バスガイドに引き連れられて、説明を聞いて参拝。妻と仲良くなった小学5年生の女の子は、高校生の男の子と仲良くなっていた。子供達同士、仲良くなりつつある。バスガイド、沖縄陸軍第三外科壕跡の自然壕の横で、声を小さくして説明する。 ちょっと暗くなってから、優美堂で食事。ひめゆり御膳。ゴーヤと海老が食べられなかった。 食事が終わり、優美堂横のお土産屋に行く。前、「海人」のTシャツを3枚1000円で売ってくれた記憶があったからだけど、今は「海人」のTシャッも人気が出ているのか1着1500円が相場かな。それで、その店のおばちゃんに妻が交渉する。絶対に無理だと思ったけど、妻は「Tシャツ3枚で1000円で売ってください」と交渉すると、それがうまいぐあいに交渉成立。勢いに乗って、お土産にハンカチを買おうと考えた妻は「10枚1000円でハンカチを売ってください」と言うと、店員は素直にOK。そして、そばにシーサーのキーホルダーを見つけた妻は「3つで500円」を買うのだけど、予算の関係でそんな大目に買えず、さっきの10枚ハンカチを買ったのを5枚減らして、結局「1000円でハンカチ5枚、キーホルダー3つ」にしてしまう妻。さすがである。 ひめゆり平和祈念資料館に行く。13:00よりビデオ上映があるというけど、9分ばかり過ぎていたけど、ひめゆり生徒の証言ビデオを見る。生々しい証言にやはり胸が痛む。知っている人が血だらけになって倒れていてもどうする事もできないのが戦争なんだよね。 時間もないので、足早に見学した。
13:43、平和祈念公園(沖縄戦の記憶をとどめ、平和を祈念する国立公園)に。バスから降りると、さすがに暑い。バスガイドに連れられて平和の礎に。バスガイド、陽に当たる様な場所だと黒い傘を差している。色も白いので思わずバスガイドに「沖縄の人ですか」と聞いてしまう。バスガイドは「沖縄の人です」と。そこで俺は、思った通りに「沖縄の人にしては色が白いから」と言うと、バスガイドは少し笑っていた。 売店で、さとうきびアイス(200円)とシークヮーサーのジュースを買う。14:20、出発。
14:30、おきなわワールドに。 まずは、エイサー広場に向う。15:00からショーが始まるようだ。琉球古船が展示されており、その前のおみやげ専門店街に入る。野球魂、サッカー魂、無責任のTシャツもあった。おみやげ専門店街の前にビルマニシキヘビが放し飼い。人の首に掛けてポラロイド写真を撮るというもの。が、みんなニシキヘビを後ろから触りまくり。ある子供はつねっている。傍の女の係員は、ヘビも触られているのが分かっている。慣れているからという事らしい。 エイサー広場に行く。右側の一番前に座る。隣りに強引におばちゃんが入ってきたけど、何とか座って見れる。エイサーとは、お盆に行う先祖供養の為の踊りで盆踊りの一種のようだ。「スーパーエイサー」はショースタイルにアレンジしてあり、シーサーの獅子舞が出てきて、コミカルなおじいちゃん・おばあちゃんのお面をかぶった人も出てくる。シーサーの獅子舞が子供達を食べようと口をガバッと開けて頭からかぶりついたりしている最中、妻の前におばあちゃんのお面をかぶった人が近づいてきた。腰を曲げているので本当のおばあちゃんみたい。不気味な顔なんだけど、それがドンドン近づいてくる。妻は…と思ったら、ちゃっかりとデジカメをかまえていた。妻が写真を撮ると、おばあちゃんは目を手で隠して恥ずかしそうに去っていった。凄い重たそうな太鼓をブンブン振り回し、踊る姿は感動的である。踊り手の大半は女の子なのに、華奢な体型の女の子が重たそうな太鼓を振り回すのは大変。息をハアハア言っているのがわかるような感じ。見ごたえあった。 その後は、玉泉洞(日本で2番目に長く、全長は5km。そのうち見学できるのは約890m。所要時間約25分。今日の洞内気温約21度。洞内湿度約80%)に入る。入る前に琉球衣装に身にまとった女性と一緒に写真を撮られる。 2万本からの槍天井、天井からつらら石と地表がの石筍がくっ付いた昇龍の鐘、初恋広場、サメやシカの脚などの化石が見られる化石の広場、龍神の池を見ながら、玉泉洞の珍珍(何か怪しかった)、幸福の泉、魔人の森、そして黄金の盃(周囲31m、高さ2.5m、日本最大。かぼちゃ石)、みがわり観音、千人ぼうず、絞り幕、ひねくり地蔵、白銀のオーロラ、カジュマル並木、そして最後はハブ薬草酒古酒蔵をデジカメで撮る。デジカメで撮りながら歩いていると妻は先に行っていた。それでも、ゆっくりとデジカメで撮り歩いた。さすがに妻が待っていると思って、沖縄一長いエスカレーターで急いで登る。妻は、出口から見える位置のベンチで小学5年生の女の子と話していた。 妻は、父親に断ってから小学5年生と一緒に駐車場に向う。俺も一緒に行く事になる。熱帯フルーツ園、ガラス工房と通り抜ける。 王国歴史博物館にケナガマンモス特別展示という事で中に入る。が、マンモスの牙があるだけだった。 黒糖工場で、生姜らしき匂いをかぐ。 サンゴ地ビール工場、ハブ薬酒酒工場と通り抜けて、おみやげ専門店街に戻り、バス駐車場に。サンゴ地ビールを飲みたかったが、空港に行ってから何か飲もう。
16:40、バスは空港に向う。もうバスの最後方は子供達が占めていた。本当は俺と妻が最後方に座りたかったのに。添乗員が言うには、羽田空港に落雷があり、1時間の閉鎖があり、そのせいで飛行機が遅れているらしい。
17:29、那覇空港に到着。18:35で遅れないようだと思ったら、放送が流れて、羽田管制システムのトラブルにより、20:05に羽田便になりそうだと。しかし、また放送が流れて、19:35発になった。2転3転あった事をお詫びされた。 そのせいか、飛行機内でのサービスがいつもより良かったような気がした。何も言わなくても飲み物はいりませんかと聞きにきたりして。
羽田空港(21:55頃着)。帰りはリックを肩に掛けられない。肩が日焼けでヒリヒリ痛い。リックは持って帰る事になる。羽田空港を22:20頃出て、23:00頃家に到着。
飛行機が遅れた記事を一応書いておくと『夏休みで混雑する羽田空港で、管制システムがダウンした。飛行機の発着がすべて止まり、旅行や出張に出かける人は異常事態に混乱。約1時間後に復旧したが、トラブル続きの「日本の空」に不信を口にする人が相次いだ。』『東京・羽田空港で2日、航空管制システムに電力を供給する機器がダウンし、レーダーや誘導装置などが使用不能になったトラブルは、2つある機器が同時に故障する「想定していないトラブル」だったことが、国土交通省の調べでわかった。さらに、機器の不具合を知らせる警報装置も作動せず、空港の心臓部の管制システムが、二重の“不手際”でダウンするという前代未聞の深刻な事態だった。このトラブルで羽田離着陸便のダイヤが混乱。50便が欠航したほか、22便が他の空港に一時的に着陸地を変更。約340便で遅れが出るなど、約8万人に影響が出た。』落雷ではなかったようだ。
| 2005年7月9日〜7月10日 EXPO 2005愛・地球博1泊2日編 |
7月9日(土)
朝、5:00頃、起きる。5:50、家を出る。服は半袖。天気は曇り。天気予報をサイトで調べると、曇りのち雨となっていた。梅雨時なので仕方が無い。
地下鉄で新横浜駅に。添乗員は東京駅から新幹線に乗っているので、豊橋駅までの券を持っているので、俺達は入場券だけを買って、入場。少し早めの到着、しゅうまい弁当やお茶を買う。7:15、こだまが着て、乗り込む。添乗員が指定されていた12号車の入り口で待っていたので、すんなりと座れる。こだま531号普通車が発車。中で、しゅうまい弁当を食べる。前にいた外国人がジュースをこぼし、座席下に置いていた妻の鞄が濡れてしまう。早目に気づいたので、パソコンの入っていた鞄を上げたので、何とか無事だった。
9:13、豊橋駅。ぞろぞろそと添乗員についてゆき、改札口を出て、バスに向う。9:23、出発。座席は、出入り口側の前から3列目。美人の添乗員。添乗員がEXPO2005愛・地球博の説明をする。ロンドンのテロの影響でセキュリティーが厳しくなり、今まで大丈夫だった水筒も危ないと言われる。バスガイドは、面白いおばさん。芸名は、野村沙智代こと、サッチーと自己紹介して笑わせる。乗客は親子連れが多い。10:30、ふれあい駐車場。小雨の中、傘をさして入り口に向う。10:50、入場口に並ぶ。すでに大勢の人が並んでいた。11:30、やっと、入れる。
11:35、キッコロゴンドラに乗る。若い夫婦とお母さんといったメンバーと相席になる。お母さんは、高所恐怖症なので、高い所の所にゴンドラが行くと、大騒ぎになる。
ウクライナ館に入る。中央に、2500年以上前に作られたスキタイ人女性の石像が鎮座していた。お土産屋が目立った感じ。
次に、ロシア館。少し並んだけど、思ったより好印象。何と、マンモスの全体骨格が展示されていた。勿論、デジカメで撮る。シベリア北部のヤクートで何年にもわたって行われた有史以前の動物の遺骨調査を経て、古生物学者によってまとめ上げられたマンモス成獣の原寸骨格の標本、マンモスラボが展示されているグローバル・ハウスに行かなくても良いかも。マンモスの牙の断片を触る。木のカケラみたい。また再使用可能な宇宙システムC-XXI内の宇宙飛行士ワークステーションのシミュレータでは、宇宙船に乗った気分が体感できた。
次は、リトアニア館。館に入ると、螺旋状にぐるぐる回るセットに目が回る。DNAの3次元モデルらしい。空間を埋め尽くすDNA構造のスクリーには、日本人(リトアニア在住のタレント友井史人)がリトアニア人と対話している様子が映されていた。とにかく、セットに頭を打ちそうで歩きづらい。
次は、イギリス館。まずは、イギリス館は、英国の空をイメ−ジした作品や、鳥の声などで田園風景を疑似体験。明るい森林ガーデンとなっていた。シダや草が植えられていた。いかにも、イギリスらしい。建物に入る前に、葉っぱの形のカードのお土産をもえらる。何に使うのか。建物に入ると、ユニークなイノベーション・ゾーン。自然の造詣を科学に生かした例を、遊びながら体験。ヤモリを動かすと、人間のような生き物が、コミカルに動き、子供達も面白がって動かしていた。
オーストリア館。何人かのグループごとに舞踏の間に入れられて、ダンサーにワルツのステップを教えてもらう。中々、足が合わない… スロープでリュージュ体験。木製のスロープで滑り降りるのだけど、子供達が何人も並んでいたので、やめてしまう。
アイルランド館。館内では豊かなケルトの芸術と文化遺産が一堂に展示。6つのハイクロス(高十字架)の展示が良い。国外に出るのは初めてらしい。この大きな石碑のレプリカは約100年前にアイルランド国立博物館が制作したもの。高さ7mにそびえたつ。キリスト教の凄さを感じる。
スイス館。物凄く並んでいたけど、並ぶ。結局、4〜50分待ち。山と描かれた建物が印象的。館に入ろうとすると、スイス軍の懐中時計を改造した携帯型電灯の音声ガイドを受け取る。スイス人が日本語で、展示品の脇にある丸い受光部へ光を当てるとガイドが流れると説明するのだが、日本人はあまり反応がなく、スイス人は困っていたような。暗めに作られた展示エリアをポケットランプ片手に探索していくが、最初は、どこに丸い受光部があるのかわからず、俺達戸惑う。妻が、偶然、同じツアー客のおばさんを発見して、教えてもらう。「科学の頂点」というガイドを聞くのだが、素っ裸の男が歩いている様は、何となく気持ち悪い。展望テラスに出て山の景色を満喫。記念撮影するのだが、何かスイスに来たような感覚があった。
昼食は、近くのビュッフェでステーキセットを食べる。カップルらしい人達と相席になる。次にどこに行こうかと相談していた。
14:20、ヨルダン館。俺が並んで、その間に妻がトイレに行ったけど、30分しても戻ってこない。携帯に電話したけど、妻の鞄は俺が預かっており、妻の鞄から携帯音が鳴る。かなり不安になる。戻ってこなかったら、どうしょうと迷っていると、妻が戻ってくる。入り口で、だいぶ待った。妻と中に入る。2階にエレベーターで上がる。パビリオン内には縦・横10m、高さ9mの小部屋を設置して、死海の水や周辺の砂を持ち込み、現地の環境を再現してある。2階から、ブラックボックスに映写されている映像を見ながら、実際に、死海で浮かぶ体験をしている人達を眺める。2人の若者が浮かんでいた。最後は、実演のサンドアートで、砂でビンに絵を描いていた。欲しい。
後輩が行きたがっていたトルコ館。暗く広大な空間に、自然の幾何学紋様やイスラム教旋回舞踏僧をイメージした3つのセット。スクリーンには、宇宙と一体となって踊る旋回舞踏僧が流れ、トルコ音楽ミステリアスな旋律を奏でている。何か、フラネタリューム的。セット真ん中にある大理石の噴水や、美しい色のタイルが綺麗だった。
ドイツは入場制限していたので、フランス館に。雨の中の移動も、暑いよりは良いかも。館に入る。映像が始まるまで時間があるので、周囲を見学。時間になり、1辺18mの天井、床、横壁の全面がスクリーンになっているキューブ・シアターに行く。1回15分間の映像が流れる。「傷ついた惑星・地球」の旅の映像。。森林伐採、砂漠化、戦争、貧困、温暖化、工業汚染など現代社会が抱える苦悩を生きることすら困難な地域の人々の証言から、真の地球の未来を問いかける。最後、衝撃的批判的なメッセージに心が打たれる。主張がしっかりとしていた。
著名なスペインの建築家アレハンドロ・サエラ・ポロが設計したスペイン館。六角形の陶器製ブロックを幾何学状に組み合わせた派手な外観が良い。パビリオン全体は、キリスト教の大聖堂をイメージして設計。教会の中央廊下を模した「プラザ」と呼ばれる広いイベント空間から、周囲の5つの展示空間「チャペル(礼拝堂)」につながっている。16面の映像が頭上を覆うプラザの周囲にある展示空間「チャペル」は、それぞれ別の建築家・芸術家によってデザイン・設計されている。部屋にはいるたびに違う雰囲気を味わう。第1のテーマは、火星の生命起源を研究している宇宙生命学センタ−を再現する「イノベーション」。ここでは、スペインの鉱山でリモコン作業をしているペティント・ロボットのレプリカが来場者を出迎える。本当はよく見たかったが、混雑していたので、素通り。次のチャペルのテーマは「実り豊かな大地」。バルセロナオリンピック公式マスコット「コビー」のデザイナー、ハビエル・マリスカル氏による食べ物の彫刻の展示や、スペインの活気あふれる市場の風景を復元。果物・野菜・魚・貝・伊勢海老などが展示。そして第3のテーマは「ドン・キホーテの世界」。執筆されてから、今年で400周年を迎える小説「ドン・キホーテ」や、スペインの古典文学がわかりやすく展示。「現代のヒーローたち」では日本でも有名なスペインのアスリートを多数紹介。トロフィーがあり、サッカーファンにとっては嬉しい展示物かも。そして「フィエスタ」では、スペインの祭りを映画などでさまざまな角度から披露していた。
エジプト館。エジプト壁画で飾られた神秘的な外観の中は、まずは、ツタンカーメンの王の黄金の棺に目が奪われる。中にはミイラも入って、少し棺が開いており、ミイラが不気味に見える。ツタンカーメン王の椅子の写真を撮る。どうもレプリカのようだ。後、パピルスに象形文字で名前を書いてくれる(500円)サービスがある。
アフリカ共同館は28カ国が展示スペースを作って各国の多彩な魅力を紹介。賑やかな雰囲気を味わった。
南アフリカ館もお土産屋的雰囲気。少し、ブラブラして歩く。
タイ館。インド洋を襲った大津波被害の悲惨さを伝える映像が、流れていた。タイの飲食店で、ココナッツジュース(600円)を飲む。
ニュージーランド館。住民マオリ名「アオテアロア(白く長い雲がたなびく国)」をイメージした白い雲の造型が施され、巨大映像を楽しむ。内部の見学スペースは楕円形になっていて、天井の雲が液化して雨となり、ニュージーランド産のポウナム(ヒスイ石)の上に滴り落ちる仕掛けがある。このポウナムは、マオリの伝承で大地と海の両方を象徴する基石なのだそうだ。大きな弧を描くビデオ大画面では、鳥がニュージーランド上空を飛ぶイメージのループ・フィルムが投影されている。これは高く舞い上がれば広い眺めが見渡され、舞い降りれば人間の視点になるようなダイナミックな映像が、マルチ映像とシングル映像で継ぎ目なく映し出されている。他に「タッチできる大スクリーン」が多数ある。妻と係員から名刺大のカードを貰って、映像で少し遊ぶ。スクリーンに触れることで、テキストや音声となってより詳しい情報を得ることができた。
マレーシア館。ジャングルを再現した緑の小径を進むと、世界遺産にも登録されているグヌン・ムル国立公園の洞窟が復元。何か、マレーシアに行ったような気分。熱帯雨林の森の雰囲気がまた良い。
南太平洋共同館では、太平洋に点在する11カ国(キリバス共和国、サモア独立国、ソロモン諸島、ツバル、トンガ王国、バヌアツ共和国、パプアニューギニア独立国、パラオ共和国、フィジー諸島共和国、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦)が共同参加し、人々の生活や文化を紹介。行って見たい国々の名前があり、つい興奮気味。
ツアーの集合時間間際になり、戻る事にする。
公式記念品売店で、モリゾーのキーホルダー(710円)を4つ買う。北ゲート出口から出る。地下道側に添乗員がいたので、バス戻る事を知らせる。 18:52、バスは出発。添乗員、今日の愛・地球博の入場者数12万人と報告した(9日は155476人)。 19:45、高速の養老で夕食。券売機で味噌カツ丼を買って食べる。 20:15、出発。20:45頃、高速のバスの中から、真横に花火が上がっていた。何か、得した感じ。 大津に。大津プリンスホテル(美しい琵琶湖畔にたたずむ超高層38階・136mのホテル)に宿泊する。
7月10日(日)
朝、4時に起きて、周辺を走る。ホテルに戻り、部屋のお風呂に入り、37階の「ニューヨーク」で朝食バイキング。ご飯2杯に、ゆでタマゴ、納豆、ベーコン、ハムとけっこう食べる。食べ終わり、外に出ると、エレベーターホールに待っている人がいた。「ニューヨーク 20分待ち」と書いてあった。早目に食べていて良かった。ここで、待たなければならないのは、ツライ。
8:05、バスが出発。席は運転席側の10列目(後ろから3番目)。天気は晴れ間も見える。今日は29度ぐらい上がるようだ。昨日の雨模様がウソみたい。バスガイド、朝から喋りまくり。北ゲートより、西ゲートの方がチェックが厳しいらしい。8:50、どこかでトイレ休憩して、9:10、出発、10:20、ふれあいパーキングに到着。今日は、添乗員は入り口までついてゆかないようだ。昨日とは違い、そんなに入り口は並んでおらず、すんなり入れる。10分たらず。10:20分には入場。すぐに、グローバル・ハウスの整理券をゲットしようと並ぶ。すでに、沢山の人が並んでいたけど、整理券12時50分の券をゲットする事が出来た。グローバル・ハウスは、「オレンジホール→マンモスラボ」コースと「ブルーホール→マンモスラボ」コースの2種類の体験コースがある。そのオレンジホールからの入場整理券をゲットできた。。
時間があるので、見たかったアメリカ館に行く。まさか、また金属探知機に調べられるとは。でも、万博の入場口とは違いベルトコンベアー式なので、飛行機の搭乗の様にスムーズに進むことが出来る。さすが合理的なアメリカ。まずは、ベンジャミン・フランクリンの像がお出迎え。簡単な説明を受けて、メインショー会場に移動する。フランクリンの生誕300年を記念して、フランクリンをホストとしてパビリオンの展示の紹介をする。マルチ画面の中に登場するフランクリンは、現代の科学に驚き「生まれるのが早すぎた」と言うのだが、未来の期待を促してくれる。とにかく、面白い。画面の迫力、飛行機が飛べば風が観客に届き、雨の画面になれば雨が降り注ぎ、電気実験のときに観客の椅子が振動したりと、画面と観客が一体化して中々、面白い。そして映像が終わり、次のコーナーに移動する。少量の電気と体重移動によって走る新しい乗り物SEGWAYに乗ったアテンダントが説明する。彼がライト兄弟が初めて動力飛行に成功したグライダーの説明していると、子供がアテンダントのお尻を触ってきた。アテンダントは「浣腸しないで下さい」と言って観客を笑わせてくれた。他に、火星探査車「マーズ・ローバー」の実物大模型もあり、それも説明してくれた。とにかく、人を楽しませるノウハウは最高。
次は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラから成るアンデス共和国館。最初は生き物の写真パネル。写真の展示物が色々とあり、期待させられた。次は貴重な展示物をアテンダントが説明していたが、聞いていなかったので、何が何やら… 最後の売店でワニ肉を使ったサンドイッチを売っていた。妻に「食べてみる」と言ったが、断られた。
中米共同館(エルサルバドル共和国、グアテマラ共和国、コスタリカ共和国、ニカラグア共和国、パナマ共和国、ベリーズ、ホンジュラス共和国)。中米は、太平洋と大西洋の2つの海が面している地域。この2つの海の違いを美しい海中の映像や珍しい砂の展示で紹介。グアテマラの砂は荒塩と印象、コスタニカの砂は、もっと粒が大きい。実際に触れるのでわかりやすい。中米の熱帯雨林や熱帯雲雨林、熱帯乾燥林を本物の植物を使って再現してある。密林の中にいるかのよう。マヤ文明のマヤのピラミッドが建っており、珍しいのでデジカメで撮った。
ドミニカ共和国館。お土産屋という印象。カーニバルの衣装が面白かったのでデジカメで撮った。
メキシコ館。入り口で、メキシコ人が妻にモリゾーの手人形で愛嬌をふりまいていた。霧のカーテンを抜けると、メキシコの海に棲む魚や海亀を映像で紹介されていた。マヤ文明で崇拝されていた「羽毛のある蛇」があり、写真の印象より小さい。スロープを上がりながら、海・砂漠・森林・密林と4つのコーナーに進む。森林は本当にジャングルにいるかのようで、本格的。
キューバ館もお土産屋的雰囲気。
そして、少し時間があったので、ご飯を食べる。ビッフッエで天ソバセット。混んでいたので、長老の夫婦と相席になる。
グローバル・ハウスを見学する。時間になり場所に行く。集合場所で皆整列して待っていると、急に放送が流れて、今から撮影をするという。だから、モリゾーとキッコロの上の画面に向って手を振ってくれと。何も分からずに、観客が手を振るのだが、これが、スーパーハイビジョンシアターに流れるらしい。やっと、時間になり、案内される。まずは、スーパーハイビジョンシアター(NHKが開発した一画面あたりの情報量がハイビジョンの16倍という世界初の超高精細映像システム)。一番最初に見せられたのは、さきほど撮られた観客が待たされている場面、みんな手を振っているけど、ぎこちない。でも、本番の映像は、600インチの大型スクリーンと22.2チャンネルの立体音響で凄い迫力。走査線が4,000本を超える世界一きめ細かな映像が美しい。スーパーハイビジョンがとらえたエネルギッシュな太陽と地表のクレーターの荒々しい月が鮮明に映し出される。桜の名木、白糸の滝、陽光を浴びて輝く富士と逆さ富士、紅葉の京都、雪の白川郷など日本の四季の移り変わりが美しい。国産ロケットH−�僑疎任曽紊欧僚峇屬龍�気を切り裂くような衝撃音が、世界最大の立体音響で再現しており、大迫力。行った事のある場所が映し出されると、嬉しくなる。でも、この映像、実際よりも綺麗のような感じもするけど…
次は、ローバル ショーケース。人類の想像力をテーマに、人類と環境の歴史を探る最先端の研究成果を6つのゾーンで紹介。耳に当てる音声解説カードで聴こうとするけど、何しろ大勢の人、聞こえづらい。あまり、展示品を見ずに通り過ぎる。ユカギルマンモス全身復元像では、入場カードの末尾2ケタが当たっていれば、全身像バックに記念撮影が出来たらしいけど、妻と俺は共に外れる。ユカギルマンモスの毛深さだけが印象。トゥーマイ発掘頭骨とトゥーマイ復元頭骨はよく観察した。残念ながら、見たかった月の石とアポロ宇宙服は素通りしてしまった。フット プリント(月面の足跡)はちゃんと見たけどね。
オレンジホールを出て、少し歩くと、マンモスラボ。1万年前に絶滅したとされるマンモスをロシア連邦サハ共和国の永久凍土より発掘。環境の変化に対応して進化を遂げていながら、環境の激変に対応できずに絶滅したマンモス、この冷凍マンモス標本の見学だが、2本の動く歩道に乗ってガラス張りケース越しに間近に見学できる。しかし、後ろ側のエレベーターに乗ったので、上から遠くに見えただけ。正直、何の感動もなかった。
マンモスを見終ろうとしていると、後ろからぶつかってくるオバサン。けっこうあたりが強く、俺はムカついたのだが、そのオバサン、妻に当たっていた。妻、頭に血が上る。二人で、そのオバサンに当たり返そうとしそうになる。理性でとめたけどね。こんな事で、気分をもっと害すのもシャクだから… 少し歩きながら気持ちを落ち着けていると、知らないおじさんから話しかけられる。手にはグローバル・ハウスの整理券を持っている。俺に譲ってくれるようだ。どうやら、もっと早い回の整理券を手にいれたらしい。整理券は、ブルーホールだったので、感謝して受け取る。時間は15時20分のちょうど手頃な時間帯。本当に、ありがとう。不幸の後の幸福。本当にラッキー。一気に気分は上機嫌になる。
昨日、見たかったけど、見逃したイタリア館に行く。え40〜50分待ちと係員に言われる。その間に、妻を並ばせて、俺はトイレ探し。ドイツ館のトイレは混んでいたので、少し歩いてアフリカ館の近くのトイレが幾分空いている。妻に教えようと、行列に戻ると、少し進みだしていた。妻が今度はトイレに行く。10分ぐらいで戻ってきた。トイレをするのにも並ばないといけないのは… イタリア館に入る。入る前に、展示物が多いので傘は持ち込み禁止と言われた。でも、雨は降っていないんだけどね。中に入り、水面をまたぐ橋を渡る。地面が透明なので、真下の水が見えるので、何だか恐い。幻想的なオブジェが多い。「踊るサテュロス」像(高さ約2.5m、総重量108kgのこの像は、ギリシャ・ロ−マ神話に登場する森の精で、バッカス神の従者。1998年にイタリアのシチリア島沖で奇跡的に漁船によって引き揚げられ、4年がかりで復元。直径9mの球体の中にディスプレイされるこの2000年以上前のブロンズ像は、第一級の美術品で国外に運ばれ展示されるのは最初で最後になりそう)が警備員もついており、厳戒態勢の中、円形の展示室の中、踊るサテュロス像を回るようにして見学する。ちょうど、男のアソコ(小さい)が目線の先にあり苦笑い。
リビア館。砂漠を潤す送水管のオブジェがひときわ目立つ。下水道みたい。後は、お土産屋的。
ブルガリア館に入る。中で並んでいると思ったら、ヨーグルトを買おうとしている人達が並んでいた。
グローバル・ハウスに戻ろうとすると、踊る指南鉄塔(高さ18mの動く鉄塔3本と「唐子指南車(からこしなんしゃ)」と呼ばれるからくり人形が融合したモニュメント。高さ約3mのちょうちん形ステージの内部で、からくり人形の唐子が指南車をひきながら、サルの面を被ったり、回転技を披露)が見れた。踊る指南鉄塔は会期中、毎日30分に1回動くらしい。
グローバル・ハウスに。今回はブルーホールから。ソニーの新開発技術を用いたレーザー・プロジェクション・システムによる新たな映像体験(幅約50m、高さ約10mの2005インチ・シームレススクリーンという世界最大規模の迫力の大画面と、レーザービームを用いた高精細、高解像度による鮮やかな色再現性を誇るシアター)。とにかく、横に大きい。俺的には見づらいのだけど… 現代の地球と人類の有様を描いた2005年地球の旅を上映。出口で、マンモスの大きな牙が展示されていた。勿論、デジカメ撮影したんだけど、後でカメラ禁止だったのに気づく。つい、調子に乗り過ぎた。
そして、マンモスラボだけど、今度は、前の動く歩道にゲットできた。しかも最前列。一方通行なので、出来るだけ右側より位置すると最前列が取りやすい。少し、興奮してきた。最前列から、じっくりと観察。目が体格よりもサイズ的に小さいように感じる。そして、毛も残っているような感じだった。
本当は、韓国・中国とかに回りたいと思ったけど、時間となり、ふれあいパーキングに戻る事にする。出口を出て、地下道の出口で、前回、万博の時の添乗員の男に会う。朝、妻と「もしかしたら、会うかもね」と冗談で言っていたのにビックリ。16:56、バスは出発。18:26、豊橋駅。一旦、解散して夕食タイム。ロッカーに荷物を預ける(400円)。迷いに迷って、駅ビルの寿司丸忠で鉄火丼(950円)を食べる。思っていた以上に美味しかった。その後、駅ビルの中でお惣菜の唐揚げを買う。新幹線の中で食べるつもり。少し時間があったので、コーヒー屋で、ビールを飲む。時間になり、荷物をロッカーから取り、待ち合わせ場所に。すると、また、前回の添乗員がいた。昨日が伊勢神宮を観光して、今日の一本遅い電車で帰るそうだ。今日は、11時で7万人、16時で10万人くらいの入場者数だそうだ。昨日より、少ない入場者(帰ってサイトで調べると10日の最終で122,892人だった)。ラッキーだった。新幹線を待つホームでゴキブリ発見。添乗員、ゴキブリが苦手のようで、逃げ回っていた。19:33、こだまに乗り込む。中で、ビール2杯飲む。少し遅れて新横浜駅に。家には22:30頃に到着した。
| 2005年4月28日〜4月30日 たっぷり愛・地球博 夜行プラン2泊3日編 |
4月28日(木)
昼間は会社。残業もせずに、家に帰る。夕食(カレー)を食べて、19:30に家を出る。コンビニでオヤツとサワーを買って、京急で愛・地球博のガイドブックを買う。色々と本が出版されていたので、かなり悩む。 横浜に早く着いたので、ケンタッキーでハンバーガーを食べる。
20:40、横浜・天理ビルに。男の添乗員に受付をすませる。38人の参加。子供連れの親子が多い。バスの席は、後ろから2番目(運転席側11列目)。席に着くと、出入口側の後ろの席には若いカップルがイチャついているし、その前の席では、ハイリキを飲んでガイドブックを読んでいるオヤジが座っている。 21:00少し前、横浜を出発。相模大野に向って、お客を拾う。俺らの後ろの席に夫婦がやってきた。22:00、出発。 22:30、海老名でトイレ休憩。ガムと寝る為にアイマスクを買う。妻は、ボールペンを買っていた。22:55、出発。消灯になる。座席を傾けていたのだが、もう少し傾けようとしたら、後ろの奥さんから「足が痛い」というので、元に戻した。後ろの席では、全開で傾けているのに… 眠りづらい…
4月29日(金)
2:10、渋滞もなくスムーズに進み、早くも上郷。トイレ休憩後、仮眠タイム。 5:30頃、サービスエリアで名古屋きしめんを食べる。正直、一睡も出来なかったので、胃がもたれているようだ。7:45頃、ふれあいパーキング(旅行会社がメインが多くある北口ゲート近くの駐車場を借りたようだ)に到着。ぞろぞろと北口ゲートを目指して、15分ばかり歩く。 8:00、愛・地球博(メインテーマに「自然の叡智」を掲げる21世紀初の万博。3月25日から9月25日までの185日間、名古屋東部丘陵に位置する長久手会場と瀬戸会場を舞台に開催)会場に到着。開園1時間前だけど、すでに、並んでいた。徐々に人が増えてゆく。旦那さんを探しているおばさんもいたり、少し混雑。 8:50、荷物検査が始まる。中々、前に進まない。荷物検査は、鞄の開口部を全部開けて見せる。係員から「ペットボトルは持っていませんね」と念を押されるけど、俺、小さなウエットポーチしか持っていないんだけど。そして、金属探知ゲート通過する。妻と同様、何も引っかからなかった。自動改札でゲート通過してやっと、入場。
入場して、前もって地図で確認していたトヨタグループ館に整理券を求めて向う。ついつい、小走りになってしまう。係員に「走らないで下さい」と注意される。それでも、最初は歩くけど、皆が走ってゆくので、ついつい走ってしまう。妻もついてゆくのが大変。何とか、整理券を配る列に並ぶのだけど、妻がいない。すでにかなりの人が並んでいる。妻と携帯で連絡を取り、やっと妻と再会。が、行列は進むし、かなりの人ごみなので、妻を発見しても、妻が俺の傍にくるのに一苦労する。やっと、トヨタグループ館の整理券をゲット。10:20分(10:00入場締切)からの2回目を入手する事が出来た。
トヨタグループ館まで時間があったので、夢みる山横のブーツに入る。シールデルピエーロをやる。愛・地球博のシールが作れるのだが、それに顔写真まで簡単に入れられる。睡眠不足のせいか、俺は寝不足のまま写真を撮ってしまった。
まだ、時間があったので、ブラブラと歩く。日立グループ館では、180分間待ち、三井・東芝館では予約端末機で予約するのに1時間待ちに、げんなりする。トヨタグループ館が終わったら、間に合うかどうかわからないけど、夢みる山(11:15入場締切)の整理券を貰う。トヨタが終わったら、走らないといけないかも。
10:20、トヨタグループ館(平均観覧所要時間 約50分間程度。未来コンセプトビークル「i-unit」やトヨタ・パートナーロボットによる感動・興奮のパフォーマンス・ショー。ショーは、ウェルカムショーとメインショーの2部構成。ウエルカムショーは、トヨタ・パートナーロボットが登場し、楽器演奏ロボットによるバンド演奏や、DJロボットと司会者との楽しい掛け合いなど、華やかな歓迎ステージを展開。メインショーでは、一人乗りの未来コンセプトビークル「i-unit」や搭乗歩行型ロボット「i-foot」が登場し、モビリティ・パフォーマンス・ショー、観客席を取り巻く360度の大型スクリーンや舞台装置に出現する様々な自然や未来社会の中で、「i-unit」や「i-foot」がダンサーと一体となった演技を展開する)。 Hの扉から入場する。一番前の席になる。司会者が登場。司会者が吹けなかったトランペットを軽々と吹くロボット、足の動きが人間のよう。水が地面から飛び出たり、妻が教えてくれたのだが客席を走るi-unit、中々、面白かった。それにしても皆で歌おうと「♪歌おう 歌おう 元気になるから魔法の言葉はラララ…」って、歌わせるのだが、歌っている人は何人いたのだろうか。DJロボットが「人間もやればできる」と言ったのには笑った。それにしても、妻が寝ていたけど… 30分のパフォーマンス・ショーが終り、技術展示エリアに。かっこいい車があったので、デジカメで撮る。
11:15、夢みる山(平均観覧所要時間 シアター部分1箇所は約15分間程度だが、全体では約90分。収容人数 テーマシアター「めざめの方舟」は250人、シヤチハタ マークタウンは175人、NGKウォーターラボは120人、ブラザーアウトプットファンタジーは150人、全体では695人。一つの敷地内に積水ハウス、中部日本放送、東海テレビ放送、中日新聞社の4社の共同展示のテーマシアター、シヤチハタ、日本ガイシ、ブラザー工業3社のの個別展示ゾーンを設け、それぞれに「21世紀のちから」を具体的に展開。テーマシアター「めざめの方舟(はこぶね)」は、世界初の「床面プラズマ・マルチ・マルチ・ディスプレー・システム」を駆使した床面映像などによる体感型映像空間、壁や天井にも、大自然や動植物の数百に及ぶシーンが広がる。総合演出は、映像の鬼才、押井守監督で、約10分間のプログラム、クライマックスなどでは、地球環境回復への願いを込めた精霊「汎(ぱん)」と呼ぶ巨大な美術造形が現れる。「シヤチハタ マークタウン〜心にしるす夢体験 〜」では、「モノづくり」、「夢づくり」、「人づくり」をシヤチハタマークタウンでしか出来ない、楽しく夢のあるスタンプやペンなどを使った様々な展示コーナーで展開。「NGKウォーターラボ 〜水のふしぎ研究室〜」では、「水」がテーマのシアターで、水の博士「ドク・ウォーター」の研究室。ラボを訪れた観客は水の不思議な現象を再現する博士の実験に参加する事になる。「Brother OUTPUT FANTASY」では、ブラザーのコア技術であるプリンティング技術や新たに研究を進めている光制御技術など、ブラザーの先端技術を生かして創り出したアトラクションで、モノづくりの楽しさを体験、メインステージでは、コミュニケーションロボット「イフボット」や大道芸人が繰り広げるショーが行われる)の一つ、めざめの方舟に入る。 入場して、らせん状のスロープを上がってゆく。下には背の高い白い服を着た不気味な妖怪らしき者が何人も規律良く立っている。スロープをかなり上の方まで上がる。ショーが始まる。スロープの下を見る。床の画面に立っている観客が何人もいる。ボーッと立っているみたいな感じ。10分のショーだったけど、何が何やら、意味がわからなかった。
すぐに、ガスパビリオン 炎のマジックシアター(平均観覧所要時間 30分程度。収容人数 310人。炎をテーマにしたハイパーライブ「炎のマジックシアター」は、ユーモアあふれるストーリー、ファンタジックな映像、アクターによる炎のマジックなど見どころがたくさんのエンターテインメントショー。メインショー「炎のマジックシアター」では、大魔術師「火村大源」大魔術師の弟子の「燃八」と「コージ」の3人が繰り広げる、大人も子供も心があったかくなる、とびきり楽しいストーリーショー)。 90分待ちだったけど、本を読みながら時間をつぶす。12:00にエレベーターで上がって入場。今まで待っていた所で、ちょうどマジックショーが始まり、その場を離れないといけないのが残念。エレベーターで上がると、中ではストーリー説明。炎のイリュージョンで世界的に有名な大魔術師・火村大源(ひむらだいげんと読む)がショーが始まるのに姿を見せない。弟子のコージが慌てる。そこに怪しげな警備員が現れるのだが、この警備員が元火村の弟子の燃八(ねんぱち)。火村大源から電話があったのだが、ショーの会場をお台場と言ってしまう。コージが愛・地球博のショーをやる事になるのだが… なかなか、面白いストーリー設定。秘密の呪文という「フリント・ファイヤー・フゥ」という呪文が耳の残りそう。舞台の上部の丸い画面に、オロオロするコージを見ているイジワルな燃八、そこにお台場から愛知に帰ってきた火村大源、笑ってしまった。 ショーが終り、展示ホールに。全然、見ずに外に出る。
北ゲートから観覧車が見える方向に歩く。13:05、JR東海 超電導リニア館(収容人数 650人。究極の高速鉄道「超電導リニア」のすべてを紹介。超電導リニア3Dシアターでは、縦10m×横18mのハイビジョン3D映像で時速500kmで走行する超電導リニアの浮上の瞬間など超電導リニアの迫力ある走行シーンを体感。また、2003年12月に山梨リニア実験線で有人走行による世界最高速度時速581kmを達成したダブルカスプ形状の先頭車・MLX01-1・車両長28.0mを展示してあり、車両に乗り込み、内部空間も観れる。そして、超電導ラボでは、超電導の開発で使用された装置などの実物展示により開発の足跡を知れる)。 最初に7分間の「今ここにある未来 超電導リニア」を見る。鉄道の歴史みたいな感じ。眠くなる。 3D映像をメガネを掛けて見る。リニアの多彩なアングルの走行シーンばかりだったので、退屈したのか、暗いからなのか、一番前で見たのにかかわらず、寝てしまう。トヨタでは、妻が眠ったので、これで、おあいこか…
腹が減ったので、昼食に。すぐ側の「ビュッフェ ながくて」に。ヒレ味噌カツセット(1500円)を食べる。
13:55、ワンダーホイール展・覧・車(平均観覧所要時間 約20分間程度。収容人数 500人。50m級の観覧車を演出装置に使う、国際博覧会史上初のパビリオン。プログラムは「プレショー」「メインショー」「ポストショー」の3つで構成。メインショーでは、時を遡りながらクルマへの夢・モータリゼーションの歩みを映像で紹介、昔懐かしい、その時代の象徴ともいえるクルマが次々に登場。メインショーでは、キャビンに乗って、キャビンが少しずつ上昇するにしたがって、過去から現在、そして未来へと続く、人とクルマと地球の物語が展開する。ボストショーでは、クルマのデザインを専門に学んでいる学生の協力を得て、自由な発想でクルマへの夢をカタチにした「夢のクルマ」の作品・模型等を展示)。 70分待ちだったけど、思ったより早く見れる。ワンダーホイール展・覧・車は、建物が斬新。赤い建物に観覧車が合体、と言うか、観覧車にビルのような壁を覆ったような… 並んでいる時に、暇だったのか、妻が親子に話しかける。オヤジさんは全期間入場券で4回目らしいけど、男の子は初めて。 観覧車は相席になり、若い女の子二人と一緒になる。デジカメで外の景色を撮る。好天なので大地の塔が綺麗に撮れる。
14:50、三菱未来館@earthもしも月がなかったら(平均観覧所要時間 約40分間程度。収容人数 325人。世界初の未体験映像空間IFXシアターで米国の天体物理学者ニール・F・カミンズ教授の著書「もしも月がなかったら」をベースに映像物語が展開。地球の姿と現在の美しい地球の姿を体験。ドラマティックな3部構成のストーリーに連動して、劇場の映像が変貌するダイナミックな展開で進行。まず、月の生成の瞬間を再現したジャイアントインパクトのシーンから現代の地球に至るまでのプロセスを一気に体感した後、月のない地球の広漠殺伐とした世界を巡る。その後いよいよクライマックスとなり月があることによってできた奇跡的な美しい地球の様々な映像を映し出し、ショーは終る) 50分待ち。並んでいる時に、男の人が倒れて痙攣… 俺が文庫本を読んでいた時、何か周りが騒ぎ出す。見ると、男の人が倒れている。頭も打ったらしい。周りの人が、係員を呼ぼうとする。一人の係員がやってきて、男の人の状況を見て、応援を呼びに行く。好天気で、熱中症かも。周りの人がいうには「倒れる前、少しおかしかった」と。妻も、倒れる瞬間を見ていたようだ。唇が青くなっていて…と言っていた。妻と暑い時は水分は取ろうと注意し合う。係員達がきて、安心して、男のそばを通り過ぎて、前に進む。少しして救急車がやってきた。 最初に、案内役のロボットアテンダント「wakamaru」が登場し、パネルを使って解説。 中に入る。椅子がないので、後ろの人は見えないと思って、中腰から腰を落とし、膝を落として徐々に姿勢を低くして、そのまま地べたに座る。ショーは、月と地球の妙なマンガチックが映像で、喋るモノ。月は地球の一部だったとは… 立ち上がる時、無理な姿勢だったせいか、足が痛かった。 次の部屋は、椅子があった。大画面に映し出される、つきの誕生シーン、月のない殺伐とした地球(風が強いので、動物も背の低い動物)… 鷹のような鳥が獲物を捕らえて、地上を空高く飛ぼうとしたら、強風に吹かれて羽が飛び散るシーンが印象的。最後は、美しい地球で終わったので、安心したけど… 個人的な感想だけど、三菱未来館のアテンダントの青の制服が一番良かったかも。 出口でジュースを購入。何か、倒れた男を見たせいか、ジュースを買う人が多くなったような…
16:20、名古屋市パビリオン「大地の塔」(平均観覧所要時間 約20分間程度。収容人数 120人。「光」(SHINE):世界最大の巨大万華鏡、高さ地上約47mの巨大な万華鏡内部に入り、刻々と変化しつづける光の表情を楽しむ。「風」(WIND):風を動力とした不思議な楽器「音具」、白い風車とその下に木琴をまとった高さ8mの不思議な手作りの楽器。「水」(WATER):塔の壁面を水が流れ落ちる「アクアウオール」、塔の壁に水を伝わせるかつてないほど巨大な壁泉。高さ約47mの塔の壁面には凹凸が施され、そこを伝い流れる水が様々な模様を描く。「人」(PEOPLE):切り絵灯籠は、市民から募集した切り絵作品をはめ込んだ灯籠で、高さ2.4m、118本の灯籠が「大地の塔」を取り囲むように設置され、1本の灯籠に16点の切り絵がはめ込まれ、総展示枚数は1888点にもなる。藤井フミヤが総合プロデュースの高さ47mのタワー)に。 60分待ち。60待ちと言われるけど、そんなに待たない。待ちながら切り絵灯籠を見る。どれも上手。 今日は風が強いので、アクアウオールの水はとめているようだ。その水のせいか、時々、水が飛んでくる。並びながら、白い風車の木琴の音が心地よかった。 やっと、世界最大の巨大万華鏡のご対面。天井の万華鏡を見上げている人達が多い。時間制限がないようなので、何十分も見ている人もいるだろうか。鏡で反射されて、下の方に写している万華鏡も見ている人達がいた。俺と妻はデジカメで撮って、すぐに退散。
16:57、長久手日本館 NAGAKUTE NIPPON-KAN(平均観覧所要時間 約50分間程度。収容人数 1200人。3つのゾーンとひとつの部屋で構成。ゾーン1で250枚のスクリーンで人類が直面している地球の危機を体感。ゾーン2では、動く歩道に乗って、60年間の日本の経験を追体験、失われかけた自然とのつながりを追認。そして、「地球の部屋」では世界初360度全天球型映像システムで地球環境の素晴らしさ、地球の生命力を再認識できる。最後のゾーン3では豊かな森林空間で自然とのつながりを体感しながら、自然と共生する技術を紹介)。 70分待ちだけど、これも、70分も待たない。どうも、待ち表示は上乗せしているかもしれない。建物を包む竹ケージは、日差しを和らげてくれるようだ。 ゾーン1に入る。沢山のバネルに映し出される地球の映像。氷河、台風シーンなど迫力がある。パネルの位置が斬新で、それを渡り廊下のような橋を渡りながら見学。 小部屋に入ると、係員が画像を解説する。最初の森林状況表す世界地図では、「衛星から撮影されたオーストラリアの森林は5%しかない、危険な状態」だと係員が説明。 ゾーン2の動く歩道で戦後60年の日本を振り返る。大まかに年代ごとに展示されている。ピンクレディーのUFOのレコード、力道山が映し出されるテレビ、仮面ライダーと、懐かしいものばかり。 地球の部屋が一番、良かった。直径12.8m(地球の100万分の1スケール)の球体の中に橋がかかっている。橋の壁が透明で、地も端っこはガラスで透明。せっかくなので、端っこで身を乗り出すように、見学する。雲、大空を舞う海鳥の群れ、珊瑚とそこに群がる小魚たち、回遊魚の群泳、そして満天の星空と宇宙空間から眺める地球の姿などが、その場にいるかのような感じになる。 ゾーン3、15分間で森の一日を体験できるようになっている。数分いたけど、時間があれば、もっといたいような…
18:10、長久手愛知県館(平均観覧所要時間 約40分間程度。収容人数 1125人。メイン展示は、「地球タイヘン」大講演会。深刻な地球環境問題を、わかりやすく体感できる20分間のステージショー。モノづくりギャラリーは、先人がモノづくりにかけてきた伝統の技と知恵、過去、現在、未来へのモノづくりの系譜を、ギャラリーを圧倒する幅25m×高さ7mの視覚と感性を揺さぶる黄金色の大絵巻に凝縮し展示。踊る指南鉄塔は、長久手愛知県館の場所と位置を知らせる、高さ18mの動くウェルカムモニュメント)の「地球タイヘン」大講演会を見学。 少し後ろ側に座る。講演会なら、何か退屈で眠りそうな予感。しかし、江古野守博士が登場し、本物の火と水、光と音と映像の舞台装置により、刻々と変化する舞台空間で飽きさせない。5300年ぶりにヨーロッパの氷河の中から姿を現した「アイスマン」との対話、美しい妖精のパフォーマンスなど… 観客の方まで空中を歩く江古野守博士、空中なのに歩き方がウマい。演出とストーリーは、日本を代表する歌舞伎俳優・市川猿之助のスーパー歌舞伎を支える、若手人気劇作家の横内謙介が担当したらしい。尾も頼り、面白かった。
長久手愛知県館を出たら、気がつけば、中部千年共生村(平均観覧所要時間 約20分間程度。収容人数 120人。優れた自然の営みや生物資源を活用したモノづくりの中から、中部9県が提案する、個性豊かな体感型展示物である「千年持続産品」のほか、巨大な水のドームがつくる不思議な空間、水が弧を描いて落下する直径6mのドーム「ミズノバ」や、通りかかる人に「まなざし」を向ける一つ目のロボット「サイクロプス」、体験型のワークショップなど、盛りだくさんの内容)の列に並んでいた。 最初に高さ3mから落下する水のドーム 「ミズノバ」を5人づつぐらいの順番で歩く。噴水の中を歩くけど、そんなに水がかからない。順番待ちの人達に注目されながら歩くので、何か歩きづらい。 サイクロプスという、地面の明かりの場所に立ち、の一つ目のロボットの前で、大きく体を動かすると、見つめるらしい。ロボットが見つめるというか、こっちの方を向くのだけど、大きく身体を動かそうとする人達を見るのも楽しい。手を振るったりするのが一番良いかも。 「千年グラフィズム」(千年先へのメッセージや顔写真を残す事が出来る)。俺達は、そういう趣旨がある事を知らずにプリクラ感覚で写真を撮る。メッセージは、「あいちはく、たのしい」にした。でも、俺の前に写した子供の後ろに、俺が写ってしまう。俺「亡霊が写っている」と言ったら、その母親は苦笑いしていた。
夕食は、「フェスティバル フードコート」(屋台村みたい)で、「ロコモコ」のハンバーグ丼(1000円)を食べる。妻が、かるび丼を食べた。本当はかるび丼を食べたかったけど、妻で終わってしまう。作るのに、時間が掛かると言われたので、ハンバーグ丼にした。お盆にハンバーグを乗せて、席を探すけど、満席状態。相席にしようかと、愛・地球博のハッピを着ているおじさんに声をかけるが、テーブルの空席があるけど、椅子が無い。少し恥ずかしい思いをする。食事をすませる。それにしても、愛・地球博のご飯は高い印象。
日本ゾーンに行く時に、オーストラリア館が行列が出来ていたので、期待して入場する。 最初は、ジオラマ映像。正直、意味が分からなかった。 次は約80枚のプリズマスクリーンに風景などの映像を投影する「データの森」。俺が見たときは、熱帯魚が映し出されていた。綺麗なのだが、思ったより… そして、巨大なカモノハシ、カモノハシの前で子供達が写真を撮られていた。オーストラリア人が日本語で「(カモノハシ)座っても良いですけど、乗らないで下さい」と矛盾して注意していた。 最後はお土産屋、オーストラリア・マニアなら、嬉しいだろう。コアラがいないのは、寂しい…
妻が、ワンダーサーカス電力館に行きたいと言うので向うのだけど、どうも子供ぽいそうなので、辞める。日立グループ館に行きたいけど、朝3時間待ちだった事を考えると… もし2時間待ちだったとしても、ギリギリ。もし、入場が無理だったら、行ってこっちに戻るだけでも時間が無駄になるので、今度行く事にする。
わんパク宝島(「参加体験型」のプログラムを中心に食(料理)、アニメーション、スポーツといった切り口で、来場者を楽しませる)に。 スポーツをしているので、スポーツの科学に行く。バランス感覚のゲームなど、色々ゲームがある。俺が体験したのは、少し走っただけで100mのタイムがわかるゲーム(?)。正直真剣勝負。スタートで出遅れて、結果は33秒ぐらい。41歳〜50歳のタイムらしいけど、出遅れなければ…
本当は、ロボットステーションに行きたいと思っていたのに、わんパク宝島を出たつもりが、実は2階がわんパク宝島で、1階がロボットステーションだった。出口に警備員がいたので、入れず。
どこに行こうかと、迷いつつ、「ときめき愛ランド」に。「-30℃の世界・アイスランド」があり、横浜のコスモワールドみたい。他に、「レーザーガンシューティング ヴァルカンを倒せ」「からくり屋敷・幽霊一座」とかあったが、有料なので入らず。からくり屋敷は、基本的に好きなんだけどね。 「水木しげるのゲゲゲの森」に入り、見学
近くのインフォメーションで、モノは試しにと、日立グループ館の待ち時間を聞く。インフォメーションのお姉さんはパソコンで調べてくれた。何と「待ち時間が無し」。3時間待ちが夜になれば、待ち時間なしに。そんなはずは…と、思って、お姉さんに「すぐに行ってきます」と。お姉さん「楽しんできてください」と笑いながら言ってもらった。妻と、走って、日立グループ館に向う。日立館の建物が見えるけど、一日中歩き回っているので、足が棒になっている。俺、急ぐあまり、列を誘導するロープを無視して、横の方から、入り込む。思ったより、並んでいたけど、そんなに時間はかからないだろう。妻は、正式な入り口から入ると… 係員に断られていた。何か、係員と話して、俺に手を振るのだけど、俺、一人で入れという事なのかと、思って、戸惑う。折角、並べたのに、こういう場合、俺は出るべきなんだろうか。ハムレットになった気分。妻に「おいで、おいで」と手を振るのだが… すると、妻が入ってきた。妻は「夫が先に入っているから、入れてください」と頼んだらしい。係員は、本当に夫が並んでいるか、確認していた。もし、俺が手を振らなかったら、妻は中に入れてもらえなかったと言っていた。それにしても、今日、一番最後になるとは…
8:12、日立グループ館(平均観覧所要時間 約30分間程度。収容人数 250人。敷地空間を最大限に活かした立方体で、その一部を削り、渓谷を流れる川をイメージした斬新な建物。「プレショー」「メインショー」「ポストショー」の3部構成で、「プレショー」では、日立の最新技術を結集して開発された情報表示端末「Nature Viewer」を使って、いま世界で絶滅の危機に瀕している希少動物達の生態や特徴を、動画や静止画を交えて分かりやすく紹介、見たことのない動物から意外な動物まで、50種類の希少動物達を紹介。「メインショー」では、ユビキタス・エンターテインメント・ライドに乗って、「プロローグ(渓谷)」「ジャングル」「サバンナ」「オーシャン(海)」「エピローグ」の5つのさまざまなシーンを見学。「ポストショー」では、メインショーのシーンでのお客さまを撮影した記念写真を、ミューチップ付き入場券を使ってユビキタスディスプレィで観れる) 最初に、入場券に小さなICチップ埋め込まれているので、それに自分の顔写真と名前を入力してもらう。 それから、プレショーに。日立の情報表示端末「Nature Viewer」借りて、それぞれのアクセスポイントに近づけると、端末の画面に絶滅が危惧される動物たちが現れる。暇つぶし感覚。それにしても、トラやライオンも絶滅しそうとは… 次に、ライドという乗り物に乗る。双眼鏡みたいなスコープとハンドセンサーを身に付ける。スコープを見ていると、マンガのフクロウのキャラクターが現れる。実空間の上に合成されて出現し、最初に登録した名前で個人個人に呼びかけてくる。いきなり自分の名前を呼ばれるので、ビックリする。上を見れば上にあるはずの風景が見えるし、下を見れば下が見える。合成された動物達も立体的。ハンドセンサーを使ってCGの猿に、CGのバナナを投げる事もできる。場面が色々と変わってゆく。キリンからは息を吹きかけられるし、サイにはライドをガツンとさせられる。4の種類の中から動物を選び、それを掌の上に乗せられられる。俺はインコのような青の鳥を選んだのだが、掌を近づけると、鳥がアップになったり、手の平を返すと、鳥は翼を羽ばたき、落ちないようにしている。半分に傾けると、片一方だけ羽ばたくのには笑った。 ライドが終わると、ポストショー。入場券をアクセスポイントにかざすと、プラズマディスプレイに自分がライドに乗っていた時の写真が提示される。何か、名前を呼ばれるので恥ずかしい…
21:00頃、まだ、時間があったので、アジアのグロボル・コモンに。 妻がファミリマートに行きたいというので、そこで妻は買い物をする。
最初にパキスタン館。芸術家・彫刻家のジャマール・シャーの彫刻やオブジェがあった。中は、パキスタン料理の売店もあった。今度、食べてみようかな。
奥の韓国館まで歩くが、締まっている所も多くなってきていた。韓国の食彩館(違うと思うけど)だったか、中に入るとキムチや韓国のリと韓国のお土産だらけ。中の人から、キムチを安くするからと勧められられる。
ネパール館に行く。中央には、ハラティマタ寺院を再現した(ネパール国内からやってきた200人の職人が製作。釘を1本も使っていないらしい)のを展示。お土産屋とヒマラヤレストランがあった。
閉園も近くなり、北ゲートに向う。グローバル・ループの売店でアイスが売っていたので、買う。キャラクターのアイスモナカが500には、驚いた。
最後に、公式記念品ショップに行く。キーホルダーを買うつもりだったが、レジで並んでいる人達も多く、諦めた。
出口には、沢山の人が帰ってゆく。バスの駐車場に戻る前に、添乗員に声掛けて下さいと言われたので、添乗員を探す。地下通路の入り口の所にいた。俺達が一番最後だったようだ。添乗員と一緒に駐車場に向う。添乗員も先週、三春の滝桜に行って蔵王に泊まったようだ。明日、20日振りに休みがもらえるそうだ。 22:30頃、バスは出発。バスに乗って、最初のサービスエリアで30分のトイレを休憩をして、消灯。
4月30日(土)
バスは2回停まったようだけど、俺はグッスリと寝ていた。5時ぐらいに相模大野、5:30ぐらいに横浜に到着。足が筋肉痛になっていた。 昨日の公式入場者数は、102,186人(4月29日22:00 最終総入場者数2,608,114人)だったようだ。ゴールデンウィーク初日にしては、けっこう周れて良かった。
| 2005年4月23日〜4月24日 三春の滝桜・みちのく桜めぐり7景 1泊2日編 |
4月23日(土)
5:00に起きる。何だが、もっと寝たい気分。外は5時にもかかわらず、明るくなっていた。晴れのようだ。
5:40頃、家を出る。コンビニで朝食と昼食の弁当を買う。
6:30、集合場所の横浜天理ビルに着く。まだ、添乗員は、着ていない。他の旅行会社の添乗員が5、6人いたが、自分が予約した会社の旗が出ていない。不安に思っていると、妻が、俺らが予約した会社の封筒を持っている二人組みのおばちゃんに話しかける。偶然、同じツアー客だった。「よろしくお願いします」と挨拶する。それから、数分後、添乗員がやってくる。若いイケメンの男の添乗員だった。妻曰くフジテレビのアナウンサーに似ていると言う。受付を済ませて、バスに乗る。座席は運転席側の5列目。
横浜駅を7:03に出発。天気も良い。
川崎駅で、残りのツアー客を拾う。7:30出発。
9:10、浦和。ここに来るまでに、少し渋滞に引っかかる。9:17、蓮田でトイレ休憩。アイスを買う。妻にモナカアイスをあげると、幸せそうに食べていた。9:40、バス出発。11:35、安積でトイレ休憩して、11:50に出発。12:10、船引三春から高速を降りる。道路には桜が満開。一花びらも散っていない感じ。見事。桜のトンネルを抜ける。安積の交通情報では、2キロの渋滞という話しだったが、意外にも、駐車場までスムーズに到着。それでも、観光バスが多い。
12:30、三春の滝桜(日本三大名木。樹齢1000年以上、樹高10m、幹周り9mのベニシダレ。四方に伸びた太い枝から真紅の滝がほとばしるかのように小さな花を無数に咲かせ、その様はまさに滝が流れ落ちるかのように見えることから、古来「滝桜」と呼ばれるようになった。県道近くの斜面にあり、その堂々とした姿はまことに壮観。昔、三春藩ではこの桜の周囲の畑の年貢を免除して保護してきたという。また三春の里にはしだれ桜が多く、近くの「地蔵桜」も一見の価値がある)到着。バスを降りると団体写真を撮る為に、その場所まで案内する人が旗を持って歩く。売店が色々と出ている。軽い坂を登ってゆく。何かの小屋らしき建物の屋根越しに三春の滝桜が見える。見事な桜についシャッターを押す。満開の三春の滝桜。団体写真は、三春の滝桜の前、その桜に向う道路上なので、カメラマンは急いで撮る。妻が旗を持たされたけど、何とか写真撮影が終わる(実は違う観光客も混じったりしていた)。三春の滝桜の周りを一周する。階段を登って行く。横からのほうも迫力がある。本当に、滝のような桜である。つい、うっかりすると、人とぶつかるような混雑。三春の滝桜の後ろ側の丘にも満開の桜が咲いていたけど、滝桜の迫力で少し見劣りする。妻と歩いていたけど、妻がトイレに行きたいと言うので、先に三春の滝桜の正面に行く。家族で三春の滝桜を見せようと車椅子のおばあちゃんがいた。いい意味で明度の土産になっただろう。混雑する中、正面まですぐ行けた。木陰に祠がある。ここで枝垂れる木に触れているけど、ふれても良いのか? 妻とはぐれたので、駐車場に戻る。妻は戻っていない。少し慌てるが、すぐに妻は戻ってきた。団体写真を買わないつもりだったが、結局買う。三春の滝桜、雪で上の枝が折れたらしい。その折れた部分は100年分と写真を売っていた人が言っていた。添乗員は14日に来ていたけど、その時は、まだ桜はツボミだったらしい。大きな幹を見て帰ったようだ。それでも、大きな幹に感動したらしい。13:15出発。郡山東から高速に乗る。
14:35、スムーズに花見山公園(花見山公園は阿部氏が歳月をかけて作り上げてきた所を公園として整備した場所。梅や桃、そして桜が咲き乱れ、それはまさに日本の桃源郷)の駐車場に到着。添乗員が公園の入り口まで連れてゆくと言われたけど、花見山の頂上まで行きたかったのでどんどん歩いてゆく。売店を過ぎて歩くのだが、その間にも、目にも眩しい鮮やかな黄色のレンギョウや民家に咲く数々の種類の花々が見応えある。桜もきれい。花見山の入り口に着き山頂まで上がる。花見山は個人の所有物らしい。最初は花見山は目立たなかったか、どこかの旅行会社が目をつけて一気にブレイクしたらしい。観光地ぽく造られた感じがないのも、農家の人が丹精込めて育てた花々だからだろうか。日頃鍛えているので、一気に山頂まで上がる。息が全く切れていない。レンギョウの花の黄色が美しい。桜の木の少し上から見ると、桜の白、ピンク、黄色と見えて、色のコンストラストが美しい。少し、一息入れる。写真に夢中のお母さん、女の子が急な下り坂で「恐い」というのに、シャッターを押していた。子供は母親の足につかまっている。花見山展望場で、景色を楽しむ。山形市内が小さく見える。15時になったので、一気に下っていく。写真家の秋山庄太郎に「福島に桃源郷あり」と言わしめた桃の一帯を抜けて山を下る。下の方の庭に赤・白・黄色の色とりどりのチューリップが咲いていた。駐車場に急いで戻る。売店で、お兄さんからタダで焼き鳥を貰う。一つ食べると「もう一本どうですか」と言われたけど、何か買わされそうだったので、お断りする。お兄さんが善意だったかもしれないけどね。他の売店で、ドブロクまで飲む。何か、人を楽しませようとする心が、嬉しい。花見山の桜は満開から散り始めといったところだろうか。それでも美しかった。15:35出発。バスの中で居眠り。
17:35、船岡城址公園(明治維新まで柴田氏が居住した館跡で、東北有数の桜の名所。昭和45年のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」で一躍全国的に有名になった。山本周五郎・作の小説「樅ノ木は残った」の題名のヒントになった樅の木が、公園内に高くそびえ立つ。駐車場から公園の山頂まで305mのスロープカーを利用できる。山頂には、高さ24mの船岡平和観音像が立ち、柴田町の街並みが一望できるとともに、蔵王の山々や太平洋の眺望を楽しむことができる)に。公園の入る前に、桜のトンネルをバスが走ったが、これほどの桜のトンネルは感動モノ。駐車場からバスを降りる。ダンゴらしき(後で玉こしの匂いだと思った)匂いが美味しそう。夕陽に照らされた桜の中、風で桜の花びらが舞う中、あじさいの小径の入り口に。入り口から歩くと、桜の木がなく、何だか物足りない。少し歩くと、添乗員、樅の木の前で止まるが、皆、素通りして、白石川堤の一目千本桜が見える方に。皆、白石川堤の一目千本桜(白石川の土手に植栽された桜並木は、大河原町金ヶ瀬から柴田町船岡まで延々8キロも続く。清流をたたえる白石川と残雪の蔵王連峰を遥かに望み、見物客を楽しませてくれる一目千本桜。桜並木、白石川、蔵王連峰の眺めが素晴らしい)一目千本桜の写真を撮る。まだ時間があったので、駐車場に戻り、公園に。公園の前の広場やすらぎ入り口の桜の木では、かわいい女の子の写真を撮っているお父さんがいた。公園内に入ると、青シートを引いて宴会が始まっていた。さくらまつりの提灯に、近くにはツマミになりそうな露店があり、何だか飲みたくなる。駐車場の売店で玉こしを買って食べる。17:40、出発。最後に、夕陽に映えた一目千本桜を橋を渡りながら車窓観光。自分達の座っている運転席側より、反対側の方が見やすかった。
バスは、ホテル ラルジャン蔵王に。帰りが遅くなるというので、蔵王酪農センターの立ち寄りは中止になった。
ホテルまで大型バスは行けないので、途中、マイクロバスに乗り換える。大型バスを最後に降りたので、座席がなく、妻は一番前、俺は後ろから二番目に別々に座る。すぐにホテルに到着。普通のホテルぽくなく、何となくペンションみたいな感じ。部屋は4階。エレベータータが設置されていないので、階段を上る。ツアー客、重い荷物を持って上がってゆくのだが、階段が急なので、上がりづらい。部屋は洋室。荷物を置き、俺は浴衣に着替えて、2階のレストランに。牛・マグロ・とうふのステーキがメイン(量が少なかった)、シャケ、肉じゃが等。隣りに、20歳の子供がいる夫婦と一緒になる。話しながら食事になった。今日の旅行中は妻の家族とメール合戦になってしまった。あと、花粉症がひどくなり、眠れない。両鼻が詰まる勢い。やっと、花粉症が収まりかけたと思っていたのに、桜前線と共に、花粉まで北上したのかも。
4月24日(日)
ホテルのデジタルの目覚ましを見たら、7:00。慌てて飛び起きる。7:00にはご飯を食べないといけないし、一番、残念なのは、寝坊よりも、朝風呂に入れなかったこと、ガックリしていると、妻が携帯の時計を確認すると、5:00。デジタルの時計の表示が壊れていただけだった。外が明るかった(残雪が見える)ので、完全に7時だと思っていた。何か、朝から、よくみる遅刻する夢の現実バージョーンを体験。そのまま寝ずに、少しして風呂に入る。大浴場のある1階に行くと、『湯』というのれんがあるけど、それらしき入り口がない。ただ、二つのドアがある。良く見ると、一つは従業員用で、そのもう一つのドアが風呂。トイレみたいなドア。何か嫌な予感をしながら中に入ると、狭い。家族風呂みたい。露天風呂がないというので、嫌な予感がしていたのだが、4つの洗い場しかないという狭さ。これが大浴場かと、期待はずれ。中には、二人のおじさんが、洗い場を使っていたので、俺は端っこの洗い場を使う。それでも、湯加減は良く、気持ちよく入れた。二人のおじさんが出たので、俺一人なる。俺も出ると、ドライヤーはボタンの部分は壊れているし、体重計は電池切れだったりと、アラばかり見えてくる。 朝食は簡単なものだった。ご飯二杯お代わりする。朝食を済ませて、すぐに部屋に戻る。
8:15にマイクロバスに俺が一番前、妻は後ろに乗り込む。今日も晴れ。大型バスのいる駐車場に。雪が残っている。バスの座席は、出入り口側の7列目。バスは山を下ってゆく。
9:20、烏帽子山公園(明治時代に地域有志の力で作られた公園。置賜盆地を一望できる地にあり、千本桜と松や楓がバランスよく配置され、春の桜、夏の緑陰、秋の紅葉と四季の景観と眺望を楽しむことができる。公園内外の洋風石造アーチ橋や石垣、御神坂、石塀などは、明治時代につくられたもの。烏帽子山公園に隣接して烏帽子山八幡宮があり、烏帽子山の千本桜は財・日本さくらの会から、平成2年3月、日本のさくら名所100選に選ばれた。ソメイヨシノやシダレザクラなど約1000本のさくらが咲き誇る)に到着。 バスの中は暑いけど、外は肌寒い。烏帽子山の桜は、まだツボミ。それだから、露店が出ているけど、閑散としていた。烏帽子山八幡宮の方に歩く。人が沢山集まっていたので、行ってみると、日本一の大鳥居(総高10.75m、笠石12.7m、貫石間の長さ7.65m、継目なしの石鳥居としては日本一。注連縄の重さは、約300キロ)がある。どこにあるのか、わからなかったが、妻が指差す方を見る。階段を下った木影に建っていた。写真を撮る。俺が八幡宮の方に行こうとするが、妻はライオンズ花壇の方に歩いてゆくので、俺はついてゆく。子供たちが沢山集まっていた。妻は、マラソン大会じゃないかと言っていたが。俺もスータト地点の表示があり、そうだと思っていた。ふと、上を見ると、木の上におじいさんの人形が座っていた。花咲かじいさんらしい。なにか謂れのある木かな〜と思って、立札らしきモノを探すが、ラーメン屋の宣伝しかない。いきなり、ピストルが鳴り、ゼッケンをつけた子供たちが四方八方に駆け出してゆく。マラソン大会ではないようだ。一瞬のうちに、子供達はいなくなった。妻が、そばにいたおじさんに話しかけると、親切に「オリエンテーションです」と答えてくれた。9:10、出発。
10:00、高畠ワインに到着。簡単に工場見学をして試飲。まほろばの貴婦人、辛口のワインなど沢山の種類を飲む。さくらんぼのワインが美味しかった。少し、酔っ払ったかも。
10:45、米沢・よねおり観光センター(山形県内の名産品や特産品を広いフロアーいっぱいに展示。また、高畠で採れた新鮮な野菜・山菜・果物などの旬を揃えた地産館も)で自由昼食。添乗員が言うには、本日そのよねおり観光センターには、バスが100台ぐらいくるらしい。そして、11:00には満席になるので、その前に着きたいと。かなり、早目の昼食。イベントで春の山形うまいもの市が開催されており、米沢牛や手打ちソバなど地元の素材をふんだんに使った屋台が沢山ある。山形うまいもの市場会場に着くと、最初に目についたのは、すきやきの鍋。本格的なので、食べる事にする。席は相席なら、余裕で座れるくらい。ご飯は、おこは(200円)にしたら、妻が普通のご飯を二杯持ってきてくれた。俺はおこわと、普通のごはんり二杯食べて、腹一杯になる。時間がまだあったので、お土産屋を見る。山形限定のさくらんぼシュークリームを買う。妻が外のベンチでコロッケを食べていたので、俺は生ビールを飲む。ゆっくりとした。12:00出発。
12:20、米沢・松ヶ岬公園(米沢城跡に造られた公園で、その中央にある上杉神社には、歴史上有名な上杉謙信公が祭られている)に到着。上杉神社の駐車場から桜を見るが、まだ桜は咲いていない。以前もきた事があるので、上杉神社の場所はわかっている。添乗員は、先に上杉神社に観光客を連れて行っていったけど、俺はトイレをすませてから、後を追いかける。妻が上杉神社の所で、待っていた。一緒に参拝する。妻の願い事が多いのか、少し長い。参拝して、お土産屋で「でん六豆」を買ってバス中で食べる。12:55、出発。
13:50、喜多方ラーメン本舗に。最初に工場見学をする。工場の麺造蔵に入る。麺帯が延ばされ、切り出され、袋詰めされる行程が見られる。案内が説明していたけど、あまり聞いていなかった。工場見学して、お土産屋のふぶき亭に。ラーメンの試食があるかと期待したが、なかったのでガックリ。14:20、出発。
15:25、会津鶴ヶ城公園に到着。駐車場から大きなお土産屋の鶴ヶ城会館の中を通り抜ける。天守閣入り口に歩いて行く。太鼓門、鶴ヶ城稲荷神社、屋台を通る。桜は5分咲きから7分咲きといったところか。それでも、天守閣(若松城。福島県会津若松市にある近世城郭。戊辰戦争で白虎隊など藩士たちの悲劇を生んだ舞台として知られる平山城。ふつう会津若松城とよばれ、鶴ヶ城、黒川城ともいう。江戸幕府に対する公称は会津城であった)に近づくにつれて桜は満開になってゆくような… 天守閣(若松城は、戦国末期まで蘆名氏が本拠地とした黒川城を、1592年蒲生氏郷が接収し、大改修をおこなった近世城郭。氏郷のきずいた7層の天守閣の城は1611年の大地震で崩壊してしまうが、現在、国の史跡として残る若松城は、その系譜をうけついだ加藤明成が寛永年間に再建した遺構である。明治初期に陸軍省の命で城は解体されたが、1965年に天守閣が再建された)の入り口では、舞台を設けていた。旅行会社と会津若松市観光公社共同企画らしい。早く到着していた別のツアー客が白虎隊の演舞(女性が刀を振っていた)を見ていた。すぐに演舞が終わって、入れ替わって、俺達のツアー客が前の場所で見る。再び、その女性が演技をするかと思ったが、男の演舞者に代わる。白虎隊の演舞。侍姿で刀を振り回す白虎隊の一人の男、真剣な表情に圧倒される。舞台の後ろで見ていた花見客も見ている。演舞が終わると、周囲から拍手が。5分ぐらいの演舞だった。添乗員から天守閣のチケットをもらって中に入る。 石垣の中は、ひんやりとしていた。ざっと見学する。最上階で会津平野を見下ろす。天守閣下に咲く桜がきれい。外に出て、花見見物する事にする。天守閣の中より、外の桜の方が気になる。が、妻はトイレに行きたいと言うので、妻と別行動になる。満開の桜を城をバックに写真を散々撮って、鶴ヶ城会館に帰る。バスに戻ったが、妻がいないので、妻を捜しに、鶴ヶ城会館に行くと、妻が笑いながらいた。笑いの原因は、妻が喜多方ラーメンの試食をしたようだ。それで、俺もと、会館の試食コーナー(?)行くが、まだ試食品の喜多方ラーメンは作っている最中だった。やっと、出来上がったようだけど、作っている事がじらす。待っていたが、バスに戻らないといけない時間になり、諦める。残念… 16:35出発。
16:50、柏屋薄皮饅頭屋に。コーヒーがセルフサービスでもらえると聞いて、妻の分まで並ぶ。試食に美味しい薄皮饅頭も貰ったので、大満足。17:10、出発。出発してから、『会津若松駅「頑固特製弁当」あいずしんせんぐみ』という駅弁を食べる。会津名物の馬肉の旨煮、田舎風五目煮、焼き魚、会津駄菓子等。
18:30、那須高原でトイレ休憩。18:45出発。 出発後、釣りバカのビデオを流す。 20:00、羽生でトイレ休憩。ロッテリアで海老バーガーを買っていたら、遅くなり、出発時間に間に合わないと思って走ったらギリギリ1分前だった。20:15、出発。 渋滞もなくスムーズにバスは進み、21:35頃、川崎駅。ここで、バスを降りて、上大岡まで京急。その方が早いと思ったら、案の定、20:20には、家についた。
| 2005年2月19日 本場!焼津にぎり寿司と丸子梅園・石垣いちご狩り日帰り編 |
2月19日(土)
6:40頃、家を出る。外は明け方からの雪で、少し雪が積もっていた。雪が溶けてシャーベット状になっている雪道を歩いて、駅に向かう。雪はもう降っていないけど、寒い。今回は、コンビニで朝食の弁当を買わずに、横浜駅に。横浜駅で朝食のお握りを買う。 7:30、横浜駅近くの天理ビルにいた添乗員に受付をすます。 7:40、26人の参加。人数が少ない。席は運転席側の7列目。大型バスなので、後ろの席がだいぶ空いていたので、妻か移動する。バスガイド、けっこうかわいい感じの人だった。添乗員、通行止めがあるので、行程の変更をしなければならないと… 8:11、海老名でトイレ休憩。昨日の飲み会で、あまり元気がない。8:30、バス発車。大井松田から裾野まで通行止め。大井松田インター近くで、1時間30ぐらいの渋滞。全然、バスが動かない。やっと動いても20mという状態。 10:20頃、大井松田から一般道に。一般道も渋滞。通行止め解除を待つトラックの運転手達がパトカーに怒られていた。妻がいうには、寝ている運転手もいたようだ。 11:50頃、道の駅ふじおやまでトイレ休憩。皆がバスに戻って来るとすぐにバスが発車する。 高速も通行止め解除になったので、御殿場から高速に乗る。
焼津インターを降りたら、焼津さかなセンター(15種のにぎり寿司食べ放題/約45分と海産物ショッピング)に。やっと、昼食。食堂に座る時に、おばちゃんから席を横入りされて、妻が怒っていた。一人前の寿司・2種類のマグロを食べてから食べ放題コーナーから寿司を取っていく。タマゴ、エビ、ネギトロ等。腹も減っていたので22貫食べてしまった。食後は市場をブラブラを歩く。広い市場を2周する。 14:45、出発。結局、行くはずだった、丸子梅園、全殊院、田丸屋、日本平は中止になった。隣りに座っていたおばちゃん二人組みは、寿司より梅に行きたかったようだ。
15:30、静岡の久能にある石垣いちご狩り(園内食べ放題/約30分)。横山農園に。久能山の急な斜面を利用して、ビニールハウス内の片側にブロックのような石垣が積まれていて、その合間からいちごがたくさん生っている。係員から連れられて、一つのビニールハウスに入る。章姫(あきひめ)という品種。妻と一緒に食べたが、本当に美味しかった。さすがに寒い(いつもは横浜が寒くても、静岡はコートはいらないらしいけど、今日に限っては一年に何度か無いくらい寒かった)。
16:00、出発。色々な場所に行くのが中止になったというので、旅行会社が急遽、代案を申し出る。1620、エスパルスドリームプラザ(1999年10月、清水港にオープン。大型生鮮市場、日本初のすしのテーマパーク型レストランや最新設備の映画館、個性豊かなアミューズメントや各種飲食店、雑貨ショップ等夢とエンターテイメントにあふれた施設)に。バスガイドが言うには、一日いても飽きないと。とにかく、雨降る駐車場から中に入る。まずは3階に向う。エスカレーターから見える外の景色・ヨットハーバーが格好良い。いきなり、ミステリートンネルだったか、カッブル料金500円で入場。カップル料金というのが、何か… 入場すると、いきなり牢屋。どこに行けばと思っていると、妻が牢屋の鉄格子を曲げてしまう。実は鉄だと思っていると、ロープになっていた。それを何箇所かくぐって、トンネルに。このトンネル、錯覚なのか、右回りに星が流れているので歩きづらい。そして、次のコーナーと、思っていると、出口だった。何か、これで500円は高い。
17:00、横浜に向けて出発。 18:35頃、海老名。トイレ休憩。 18:50に出発し、19:20頃、横浜に到着。
| 2005年1月28日〜1月31日 流氷砕氷船おーろら号とプレ雪まつり・冬華美・氷瀑まつり2泊3日編 |
1月28日(金)
気象庁は27日、日本付近は30日から2月3日頃にかけて今冬一番の強い寒気が入り、特に西日本では最高・最低気温が平年より5度以上低くなる所があるとして、強い寒波に関する気象情報を発表している。それなのに、北海道に行こうとしている俺達、気がしれないのかもしれない。まあ、行くのは東日本だからいいか… 集合は12:45だけど、早目に空港に到着。昼ごはんは、空港にて。12:45、妻が受付けをすませて、戻ってくると、妻が「今、俳優の…を見た」と言う。俺も野次馬根性で、見に行こうとすると、妻は「もういないよ」と。残念。ところが、荷物検査をしていると、あの俳優の…がいた。ヤクザ映画でボスをよくやる白髪頭… 名前が思い出せない…(後で、思い出したけど、悪役商会リーダーの八名信夫だった) 荷物検査のチェックに引っかかっていた(実を言うと、俺も滑り止めのブーツの金具で引っかかったんだけど)。羽田空港(13:35発)
とかち帯広空港(15:05着)。飛行機の窓から雪が見えた。マイナス4度。晴れていた。出口のところで、添乗員とバスガイドが待っていた。しばらくすると、あの俳優がスタッフらしき人達と一緒に通り過ぎていった。一緒の飛行機だったようだ。それにしても、撮影だろうか…
15:25、バスは発車。席は運転席側の一番前。俺が窓側に座る。ここでは、気温がマイナスの時が多いので、あまり「マイナス何度」と言わないらしい。添乗員、少しトロイような… バスは、池田町、本別と走る。何が植えられていたのか、広大な雪の田園の中を走る。道路わきには、雪が積もっている。17:00、足寄観光インに到着。お土産屋。トイレ休憩して、バスに乗り込む。
17:20、阿寒湖畔温泉に向ってバスは走る。バスは足寄駅を過ぎる。バスガイド、足寄の足型プレートのガイドをする。町おこしで、3000円で足寄だけに、足型のプレートを歩道に作っているようだ。鈴木ムネオも��1であるよう。現在1300人の足型プレートがあるらしい。 松山千春の秘密情報を話してくれた。足は24cmだけど、25cmの靴を履いているらしい。バスガイドは、下手くそながらも松山千春の「大空と大地の中で」を歌う。歌詞に感動する。
宿泊ホテルは、ホテル御前水。和室。部屋はサウナのようにかなり暑くなっていた。トイレが狭いのが不満。これでは、横向きじゃないと入れない… 夕食に、北海道大漁盛(貝付きホタテ焼き、毛ガニ姿、イカ刺し身)、三大ガニ舟盛(毛ガニ、ズワイガニ、タラバ足)を別注文した。豪華で、かなりカニが食べ応えあった。妻もホタテに満足していた。他に、カボチャのテンプラ、マグロや甘エビの刺身、茶碗蒸し等、ご飯二杯お代わりした。 妻は部屋にいるというので、阿寒湖の阿寒湖上フェスティバル ICE・愛す・阿寒 冬華美(開催期間1月28日〜2月3日)に一人で行く。意外に賑やか。舞台の上から、盛んに女の子が案内をしていた。阿寒湖の氷切り体験コーナーやミニゲームコーナーもあった。耳が冷たくなり、花火まで待ちきれないので、部屋に戻り、今のうちにと、風呂に入りに行く。露天風呂が無いのが残念。風呂から上がってくると、花火が打ち上げられていた。ホテルのロビーから見ると、思っていた以上に綺麗。こんな事なら、最初から見に行けばよかったと後悔…
1月30日(土)
5:30、起床。風呂に入りに行き、6:30頃、朝食。和食だった。
今日のバスの座席は出入り口側の5列目。外は小雪がパラパラと降っている。バスの中は賑やか。「洗面所が狭くて歯を磨いていないわよ」と、おばさんの声が聞こえたので、俺はクスクスと笑ってしまった。あっ、考えてみれば俺もだ。とにかく、トイレと洗面所が一緒で、狭くて歯を磨くどころではない。 8:00、バスは発車。バスが少し走ると、松林の所で、一人のおばさんが「シカがいる。親子で」と聞こえたので、皆で右側の車窓を見たけど、俺は分からなかった。左側にいたおばさんも負けじと「キタキツネ」を見たと言っていたけど、これも分からなかった。 バスガイド、マリモの話しをする。天然記念物のマリモは野球ボールぐらいの大きさになるのに、150年かかるけど、お土産屋で売られている養殖マリモは一ヶ月しかかからないらしい。 バスガイドが「サルオガゼ」というコケの一種の話しをしようとすると、添乗員が話しを中断させる。摩周湖での団体写真の販売の案内をする。見本の写真を回覧するのだが。販売の締め切りは撮ってからではなく、バスを降りるまでという無茶な事をと言う。摩周湖での天候もわからないのに、買えるのかな?と思っていたけど、なぜか、買う奇特なお客さんが何人かいた。何が何でも欲しいらしい。 バスガイドは色々な話しをする。エゾシカの肉は食べられるけど、これでもかという程、焼かないといけないらしい。ちなみに、バスガイドはエゾシカの肉は嫌いらしい。 峠を抜けて弟子屈町に。
9:00、摩周湖(透明度世界一を競うカルデラ湖。周囲約20km、最大水深212m、海抜は351m。湖岸の急斜は45度と険しい。注ぐ川もなければ流れ出る川もないが雨がいくら降っても水位がいつも変わらない不思議さがある。「霧の摩周湖」と呼ばれるように霧に包まれていることが多い)の摩周第一展望台に。バスを降りるなり、団体写真は天候のために中止になった。ゾロゾロと展望台に行くが、霧の為というか、天気の為に摩周湖が見えない。何となく山が見えているようだけど、どうなんだろうか。「三回目だけど、三度ともダメだった」という観光客もいた。そいつのせいかも… こういう摩周湖も味気ない。ちなみに気温は、氷点下4度。 お土産屋で、ジャガバターと焼きとうもろこしを買って、バスの中で食べる。
9:30、バスは出発。バスガイド、カルシュウムを一杯含んだ北海道の牛乳を毎日三本飲んでいたのに、中学校から身長が伸びずに139cmしかないと言って、皆を笑わせる。 屈斜路湖(道東の弟子屈町にある周囲57kmの鮮やかなコバルトブルーの屈斜路湖は、火山の陥没によって誕生したカルデラ湖、阿寒国立公園で最大、道内でもサロマ湖に次ぎ2番目に大きい。アイヌ語で湖が川になり流れ出すところを意味するクッチャロが語源。南岸に和琴半島が突き出し、湖上に原生林におおわれた周囲約12kmの中島が浮かぶ。湖の面積約79.48平方キロメートル、水面標高は121m、最大水深117m)に到着。バスを降りると、白鳥の鳴き声が聞こえる。雪もやんでいた。駐車場から、バスガイドから言われなかったら気づかなかったけど雪で隠れた横断歩道を渡り、砂湯レストハウスに向かって歩く。屈斜路湖は雪で覆われており、岸の方で沢山の白鳥が群れていた。おそらく観光客のエサ待ちもあるのだろう。写真を撮って、その場を離れる。レストハウスの周りには、足湯もあった。皆、寒いせいか、足ではなく、手をお湯につけていた。また、雪の像もある。何かコンテストの為に作ったらしいけど、見事な像もあれば、何の像だろうと疑問に持つ像もあった。元祖砂湯イッシーという模型もレストハウスの前に置かれていた。不思議に思ったのは、その周りに囲んだ鎖に、破損金100円と書かれていたけど、何の意味だったのだろうか。レストハウスに入りトイレに行く。中には、飲める温泉が飲めたり、ビスタチオのソフトが売られていた。10:30、出発。川湯温泉(大鵬の出身地なので、相撲記念館があるようだ)を過ぎ、野上峠を越える。バスガイド、熊に遭遇した時の対処法について話す。熊に出会ったら、優しい目をして見つめたまま、後ずされば良いらしい。 添乗員が、昨日の阿寒湖上にて、氷点下体験証明書の絵葉書を配る。氷点下14度だったらしい。だから、息も凍るような白さだったんだと思う。
雪で覆われた湯沸湖の横を過ぎて、11:40に網走海鮮市場に。ここで、昼食する。海鮮定食を注文していたので、添乗員に連れられて、食堂に行く。が、添乗員の手際が悪く、俺達の席が見つからない。やっと、独自で見つけて、席に着いたのだけど、今度は、みそ汁が無い。実は隣りにいたラーメンを食べていた人が食べていたんだけど、これも手際の悪さだと思って、店員に文句を言って、持ってこさせる。昼食は、タラバ、毛がにの足、ソバ、カニ形のカマボコ、とうもろこし等を食べる。昨日より美味しい。食べながら、隣りの夫婦とかで、添乗員の手際の悪さや、昨日泊まったホテルの悪口(ホテルの立て付けが悪いのか、夜中に人の歩く足音やドアを開ける音、隣りの人の声が響いてウルサイ。また、ホテルの料理のカニやホタテは冷凍物じゃないか)で盛り上がる。 食事がすんで、外に出て、オホークス海を見る。雪を乗り越えて見ようとするのだが、足がズブッと入り、スボンの裾まで真っ白になる。妻と少しだけ、子供のように雪合戦した。
12:30、ヘリコプター乗り場に行く。網走流氷ヘリコプター遊覧飛行体験をするため。1フライト4名。飛行時間は3〜4分(航縦距離約8km)らしい。乗る前に、搭乗券控えに、念の為に名前と電話番号を書く。一番最初に並んでいたけど、一番目は、恐いので、二番目に乗ることにする。ヘリコプターは一台しかないので、数分待たなくてはならない。最初の飛行のヘリコプターのプロペラが回りだし、プロペラの風が強く、雪を巻き上げる。粉雪が吹雪のように凄い。ヘリが飛び立ち、海の向こうにすぐに行き、あっという間に戻ってくる。 そして、俺達の番。同じツアーバスの人と乗る。おじさんが一番前に座り、後ろの方には、おばさんが窓側、真ん中に妻、俺は最後に座り反対側の窓側。ベルトを締めて、準備オッケイ。すぐに飛び立つ。が、思っていたわりには、揺れとか振動がない。本当に乗っているのかな〜という感じ。プロペラの騒音がうるさく、ガソリンのにおいが臭い。肝心の流氷は、大きな流氷は無く、流氷のカケラ、薄い氷の膜のようなものが見えた。ダイナミックさが無く、残念。 ヘリコプターに乗ったのは、俺達とそのおじさん・おばさんだったので、バスに戻ってくると、感想を聞かれたけど、あっと間だったので、感想を考える暇も無かった。
13:10、おーろらターミナルに。網走流氷砕氷船・お-ろら号(総トン数491トン、定員425名、全長45m、幅10m、最高速度14.3ノット、氷海速度3ノット、設備・売店・コーヒーショップ・暖房完備)に乗るためだ。 駐車場から、団体写真を撮る為に、その会場に行く。が、おーろら号をバックに撮ろうとしているのに、肝心のおーろら号がまた到着していない。一番最初に団体写真を撮ろうとしていたのに、寒いので、ターミナルの中に避難。 ターミナルにいると、添乗員から集合がかかり、おーろら号の乗車券をもらい、解散。そして、団体写真を撮る為に、再び集合するのだが、少し遅れて移動した為に、3号車の抜かれ、1号車にも抜かされて、結局、三番目になってしまう。本当は、一番最初に並んでいたのに。俺達6号車のおばさん達のブーイングが凄い。おばちゃんパワー… 何とか、そのせいもあり、二番目になったのだけど、別の撮影場所になり移動となり、またまたブーイング。やっと、撮影終了。すぐに、ターミナルに移動する。 13:50頃、おーろら2号に乗船。350円を余計に出して、特別席に座る。14:00、出航。妻に、コーヒーを奢って、しばらくして、展望デッキを眺め(カモメが船を追いかけていた)、1階客室からデッキに出る。最初は数人しかいなかったけど、徐々に人が増えてくる。寒かったけど、そのままデッキを陣取る。風か冷たく、手も凍えるようなので、手袋をする。14;16、シャーベット状の氷が見えて、そのシャーベットが徐々に大きくなる。船がスピードを幾分、落とす。流氷群の中を船は走る。幻想的な気分。氷が物凄く綺麗。この流氷は、遠くシベリアのアムール川から1000キロもの旅をして1月下旬北海道のオホーツク沿岸に近づく。はじめは帯状になって近づき、風向きなどで接岸、離岸を繰り返し、やがて氷原になって、海全体を覆いつくす。日に何キロも浮遊する氷は昨日までの青かった海を、一夜のうちに白い大地へと変えてしまう。まさに、自然がつくり出す壮大なドラマ。そのドラマを俺は見ている。 15:00、網走港に船は着く。おーろら1号が次に出航なのか、準備をしていた。おーろら1号の乗客の女の子が手を振っていたので、俺も手を振ってしまう。 船から降りる時に、おばさんの一人が客室の温度計を見ていた。35度もあったらしい。どうりで、暑いわけだ。 ターミナルでトイレして、バスに戻る。
15:10、出発。網走駅の「網走駅」という縦看板を車窓から見て、橋の向こう側に見える赤レンガの網走監獄博物館(網走刑務所は1890年から使用され番外地と言われた。現在は1912年に建てられた網走監獄が天都山麓に移築され、博物館として受刑者に関する資料などを公開している。赤煉瓦の門、放射状五翼平屋舎房をはじめとする諸施設が忠実に復元されており、建築史学的にも貴重である)、網走湖を見る。バスガイドの話しを聞こうとするのだが、睡魔が襲ってきて、いつのまにかに、寝てしまっていた。 16:00、オホークス観光物産でトイレ休憩。16:25、出発。 18:30頃、層雲峡温泉のホテル層雲に到着。洋室の部屋に荷物を置いて、早速、食事に。舞台では軽快な音楽が流れ、異国の女の子が踊っていた。何か、怪しい感じ。その中で、ニシンの魚などの和食の料理なんだけど、俺に食べられる物があまりなく、ご飯のお代わり五・六杯食べて満腹なる。 食事が終り、妻は部屋にいるというので、俺だけ、層雲峡氷瀑まつり(開催期間1月29日〜3月31日。1万�屬硫饐譴倭惘清�温泉の石狩川の河川敷を利用し、氷柱、氷のトンネル、アイスドームがある。夜には照明が入れられとても神秘的。土日には花火も打ち上げられ冬の夜空を彩る)に行く。10分ぐらい歩く。寄付金という形で入場料を100円取られる。寄付金を募金箱に入れると、まつりの美しい絵葉書、売店で飲み物が100円引きになる券をもらえる。とにかく見渡す限り、氷と雪の世界。展望台やアイス・クライミング・ウォールとなる大きな物、それから通路や階段を作る分厚い氷を敷き詰めたりするのだけでも大変そうだが、氷独特の微妙な色合いであるアイスブルーが綺麗。写真を撮りまくって部屋に戻る。
本館の大浴場に行く。「ごくせん」を見ていたので、ちょうど、俺達が風呂に行く時間が、祭りからの帰り客の人達と一緒になり、大浴場は混んでいた。泉質は、硫黄単純泉。効能は、高血圧、切り傷、慢性皮膚病・糖尿病・慢性婦人病。部屋に帰り、また風呂に入りに行く。今度は、露天風呂のある別館、本館から渡り廊下を通り、別館に。予想外に中の風呂は狭い。露天風呂に行くが、露天風呂の一部は混浴らしい。夜だったからか、混浴の場所はわからなかった。
1月31日(日)
5:50、起床。別館の露天風呂に行く。昨日は、混浴の場所が暗くてわからなかったけど、徐々に明るくなっていくので、何となく無くわかった。露天風呂は男湯が1つ、女湯が1つ、混浴になっているのが2つある。でも、そこまで行く勇気が無い。誰もいなかったから… 雪化粧した木々を見ながら、小雪が降っている中の露天風呂。贅沢感を味わう。 朝食はバイキング。量は少なかった。少し、ノドが痛く、食欲もない。 部屋の帰りに、荷物を送る箱を売店からもらって帰る。
俺が体調不良で、倒れている間に、妻が荷造りしてくれて、部屋を出る。ノドが痛い。 チェックアウトする。外は物凄い吹雪のような雪。バスがやってきて、添乗員が走ってくるのだが、こけそうになる。 8:30、出発。席は運転席側の8列目。妻は斜め後ろの席も空いているのをすぐに見つけて、そこに移動する。バスが走り出し、朝から、バスガイドの挨拶もそこそこに、首の運動。層雲峡(石狩川の源流部にある延長24�劼砲錣燭訛膩銘�。両側には百数十mにも及ぶ柱状節理の断崖が続き、随所に雪渓からの流れが滝となって落下する景観が見られる。峡谷中央部には層雲峡温泉があり、設備の整った大型の宿泊施設が立ち並ぶ。層雲峡最大の見どころ大函・小函の景勝地、ロープウェイがかかる黒岳などの探勝には、バスの他レンタサイクルを利用するのもよいらしい)渓谷の案内をする。が、積雪や吹雪のような雪の為に、あまり見難い。何とか努力して見ようとするんだけど… まずは、どっしりとした六枚の屏風を立てかけたような屏風岩。残月峰、白蛇の滝(白い二匹の蛇が鋭い岩肌を点に昇っていくように、流れ落ちる様がみられるけど、今は白い雪で覆われていた)、大羅漢、鋭くとがった二つの峰の双楯峰、ローソク岩、観音様に似た岩の観音岩、マリア岩、寿老人岩、大きな九つの岩があたかも九人の老人が並んでいるかのように見える九老峰、七賢峰、大きな岩の姿が美しい蝶が羽を広げたかのように見える胡蝶岩、層雲峡の入り口にある峡門領、桜雲景を右に左にとお客さんに首の運動をさせながら紹介していく。 少し寝ていたら、旭川まできていた。いつのまにかに、高速を走っている。気候は雪ではなく、晴れて青空が見える。 10:15、砂川ハイウエイオアシス館にでトイレ休憩。白い恋人のジュースがあったので買う。昨年から出回っているらしい。 10:35、出発。今日のバス移動はほとんど寝ているような…
12:00近く、札幌に。札幌では三時間の自由散策(プレ雪まつりの見学)。雪を覚悟していたけど、晴れている。それで氷点下2度。添乗員につれられて、札幌駅に向う。所詮、自由行動なので、いつのまにかに、皆とは離れてしまう。札幌駅ビルのエスタ内にある札幌ら〜めん共和国に向う。バスガイドがお昼のお薦めの場所という事で紹介していたのだ。混みあっていた。札幌ら〜めん共和国とは北海道内各地の有力ラーメン店が集まった、初の北海道ラーメンのフードテーマパーク。赤提灯が情緒ある。俺達が選んだのは、釧路の河むらというラーメン屋。後で寿司を食べようとして、ハーフで塩ラーメンを注文する。そこで、ちぢれ麺で、一口目で何かの魚のダシでスープをとっていたのが、わかった。中々、美味しかった。 その後、寿司を食べようとしたのだが、けっこうな人が並んでいたので、諦めた。 大通り公園を歩く事にする。マフラーに帽子、手袋までして完全防寒でそんなに寒くない。大通り公園は、第56回さっぽろ雪まつり(平成17年2月7日〜2月13日の7日間。さっぽろ雪まつりのルーツは、戦前に行われていた、現南高の一中の雪戦会、中島公園で行われていた氷上カーニバル、小樽市内の小学校で盛んだった雪像展、この3行事が後の雪まつり誕生の大きなヒントとなった。初めて雪まつりが開催されたのは、昭和25年、まだ敗戦のショック色濃く、食料等の基本的な生活物資が不足している時代、札幌市や札幌観光協会など複数の団体が、この暗いムードを拭い去る方策を模索し、市民のレクリエーション、新たな観光資源の創造、2月の不況対策などを目的として、雪まつりが誕生した。雪像や氷像は、陸上自衛隊、市民グル−プ、民間団体、国際雪像コンク−ルに参加する外国人グル−プ等が制作している。当日、一般の方の雪像作りは出来ない)の準備をしていた。
さっぽろ雪まつり前のプレ雪まつりの良さは、観光客が少ないのもさることながら、その作成シーン(大雪像の制作は、綿密な設計図と正確な模型が必要で、この模型をもとにわりだした雪像の大きさに合わせて材木で枠を組み雪を詰め込んで固める。詰めた雪が固まったら、足場を残して木の枠をはず。けれど、まだ巨大な雪のブロックが出来ただけ。次にこれを削る作業に入る。四角いブロック雪をオノやシャベルで削り、はじめは荒削り、だんだん細い彫刻に入ってゆく。模型を見ながら細部も正確に作る。昼間は暖気で崩れやすいので、夜にも作業を行い、形が整ったら、足場をはずす。作業途中につもった雪を払ったり、とけてきたツララをとったり、すみずみまで点検を終えて、雪まつりの前日にようやく完成)を見学できる事にある。全体的に、今はまだまだ未完成という感じ。大通公園の中に一般人は入れないので、仕方なく歩道からの見学。HBCノルウェー王国広場『大雪像「国会議事堂」』では、妻が作っている自衛隊員に話しかけていた。一ヶ月前から作って、一週間で壊すと言った自衛隊員、何か寂しそう。期待しているのは、雪のHTB広場『大雪像「名古屋城」』。製作人数約4400人で、陸上自衛隊第18普通科連隊が製作するらしい。アイスブロック工法により約50種・2500個のブロックを作成し、削りだした面に貼り付けるようだ。一時間ぐらい、ブラブラする。最後は、赤レンガ庁舎(明治21年完成の北海道庁旧本庁舎。アメリカネオバロック様式。昭和43年、創建当時の姿に復元され、保存されている)内を散策して、雪印パーラーで、俺はチーズパフェを食べて、妻はストロベリーパフェを食べる。美味しい。 時間になりそうだったので、集合場所のNHK札幌公館に行くとバスが待っていた。
15:00、出発。疲れでまた寝てしまう。15:45、道産市場でトイレ休憩。16:20、出発。 16:30頃、新千歳空港に到着。子供連れの母親の子供が熱が出て今、ホテルで寝かしていると言う。一日目の夜に遊び過ぎてしまったらしい。帰れるのか、心配するのだが…(19:10発)
羽田空港(20:50着)。子供づれの親子、帰りの飛行機を降りようとする時に、その子供をみつけて、一安心。無事、飛行機に乗れたようだ
旅行に戻る/a>
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|