2 0 0 1 年 旅 行


本命竜馬が2001年旅行した所の報告日記です。色が変わっている箇所はリンクしていますので、訪れて旅行気分を味わって下さい

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2001年11月30日〜12月2日大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパン・社員旅行編
11月30日(金)
社員の3分の1くらいの総勢70名の職員参加。羽田空港9:30に飛行機は飛び立ち、伊丹空港10:50到着。早速、バス2台でユニバーサルに向かう。バスの中で幕の内弁当が支給、弁当を食べながら、たどたどしいバスガイド(ド素人?)のガイドを聞きながらユニバーサル・スタジオ・ジャパンに。自分は、今回2度目なのだが、初めて来た人が多く、ワクワクしているようだった。入ろうとした時に雨がほんの少し降ってきたが、いつの間にかにやんでしまった。雨男返上。まず最初に5分待ちという事で入ったのは、『ステージ22』。何か山場がないままに終わってしまった。気をとりなおして『バックドラフト』、前回、後ろから見たので、今回は前で見たかったが、並ぶ時に失敗し、今回も後ろ。相変わらず迫力満点。『ウォーターワールド』では、水が掛けられても文句は言えないと言われる水色の椅子の直後で見たので、水がかかってしまう。その後は『ジョーズ』、前回より展開がわかる分、じっくり見る事が出来た。前回と違うのは、ボートの横にカバーが取り付けられていて、水が入るのを幾分、防いでいた。前のボートのままでは不評だったようだ。歩いていたら、会社の人を見かけ、メールしてみたら「BTFを見に行く」と書いてあったので、自分達も、『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』に。二日酔いには堪える揺れを体験。そして、相変わらずテンションの高い綾小路礼麗の『ターミネーター2』を見て、『ジュラシック・パーク・ザ・ライド』。連れは最後のダイブを知らないようだったので、イタズラ心で黙って乗り込む。でも、ポンチョは買ってあげたけど。それでも、二人とも、頭までビッショリ。あんまり悪い事は考えない方がいいみたいだ。そんな感じで色々と遊ぶ。最後にスヌーピーの所で、妻のお土産を買って駐車場に戻る。もちろん、バスガイドとの記念撮影は、忘れない。バスで、また、たどたどしいバスガイドの案内を聞きながら、今日泊まるホテルにチエックインして、ヒルトン大阪で洋食ビュッフェで夕食。バイキングで、なかなか高級感ある料理で美味しかった。フルーツと寿司が特に美味しかった。そして、新梅田シティの空中庭園展望台に夜景を見に。入り口で星型の短冊をもらい、40階まであがり、クリスマスツリーに願いをかける。自分は『世界に平和を』と書いた。そして、大阪の夜景を閉店まで見下ろして、大阪新阪急ホテルに戻り爆睡
12月1日(土)
朝7時起床。今日は社員旅行とは言っても、自由行動。今日、帰る人もいる。でも、自分たちは後、一泊。グルメバイキングのオリンビアで朝食をめい一杯食べ、京都に向かう。京都観光案内所で、最初は嵐山に行こうと思っていたけど、非公開文化財特別公開京の冬の旅と言うツアーに引かれて、しかも京都料理付き、来春NHK大河ドラマ「千家とまつ」が放送され、旬という事で「うるわしコース」を選ぶ。10:20にバスは出発。まず、高台寺 圓徳院。秀吉の妻、ねねの終焉の地といわれる。係り員が色々と説明してくれる。興味を引かれた話しは、桐紋の唐紙には、絵は書かないのが通例だけど、長谷川等伯は、有名になりたいばっかりに、住職が留守中に襖に水墨絵を描いた。特に奥の絵の乱暴に書き殴ったような絵を見て納得。今回は、圓徳院の裏に納められている秀吉がいつも持っていた「三面大黒天」などが特別展示されていた。狭い蔵のような所を、大勢で出入りして見学する。北庭には、伏見城の化粧御殿の前庭を移した庭があり、沢山の石を毎日五、六人で水をかけて手入れしているそうだ。駐車場に戻ると、ゆばを売っていたので、試食で食べてみた。意外に旨い。バスは京料理を食べさせてくれる、京都鷹ヶ峰のしょうざん光悦芸術村に。そこの湧泉閣の座敷で食べたが料理の説明がなかったので、あまり詳しく書けない。それでも、雰囲気が良く、美味しく食べられた。凝った料理が小さな小鉢に少し入っていたりするのが京料理らしい。小鍋、お造り、揚げ物、吸物など食材の味をいかに美しく生かしているのが、味を通じて伝わってくる。それにしても、説明を聞きたかったのは、自分だけだったのだろうか。京都も、もみじが紅く色づいて、街並も美しい。次は、大徳寺の芳春院。ここも、現地の係り員が説明してくれた。芳春院は、大徳院の奥にあり、加賀の前田利家のまつ(芳春院殿)が玉室宗珀を開祖として創建された前田家の菩薩寺といわれる。庭が美しく、庭を見ていたらポカポカ陽気で、眠ってしまいそうになる。その裏側に呑湖閣がある。その呑湖閣を眺めながら優雅に本格的なお茶を飲んだ。いかにも高そうな由緒ある大きな茶碗で飲むと、なおさら美味しく感じられる。前田家の家紋の入った茶菓子も美味しかった。次は阿弥陀寺。鴨川のほとりの市バス停留所にバスを止めて、バスガイドに連れられて住宅街を歩いて、阿弥陀寺に。阿弥陀寺の本堂に上がり、阿弥陀如来像をみる。一見、金属で作られて輝いているみたいだけど、実は木で作られているそうだ。阿弥陀寺の裏に、特別に観られる織田信長・信忠親子の墓があった。失礼ながらも、意外に小さな寺に有名な信長の墓があるので少し驚く。最後は、知恩院の三門。普段は絶対に入る事が出来ない三門に、今回、特別公開で、三門に入る事になる。三門は、高さ24メートル、桁長27メートルもある我が国最大の門。かなり、でかい。門の中に入り、急な階段を上ってゆく。おじいちゃん、おばあちゃんは大変そう。上にあがると、釈迦如来や十六羅漢像が安置されていた。秘密の部屋という感じ。天井にも三本爪の龍が飛んでいたり、天女が描かれている。上からの眺めも良く、市内が一望できる。友人にそれをバックに写真を撮ってもらう。そして、バスは京都駅に戻ってツアーは終了。今回のこのツアーは今日から2002年3月18日までの特別ツアーで、初日にこのツアーに参加出来て、得したような気分になる
そして、新大阪に戻り、少し迷ったけど新大阪シティプラザに。そのホテルでは、披露宴真っ盛りだったようだ。友人に掛け合ってもらい、少し宿泊料が安くなる。12階の部屋で少し横になっていると、眠くなってきて、爆睡。
妻のメールで起こされる。8時、行動開始。友人と梅田で待ち合わせようとしたけど、エアミスで、難波で待ち合わせ。『お好み焼 ゆかり』で夕食。沢山の人が待っているだけあって、美味しかった。そして、携帯の電源が切れたもう一人の友人と奇跡的に合流。友人が美味しいというので、南海通りの難波側のチーズケーキ屋『りくろーおじさんの店』に行く。かなり、行列。試食を食べてみる。思ったより、柔らかく美味しい。そして、昨日、バスガイドがお薦めのたこやき屋、本家日本一大たこに。そこで凄いのは、隣りには元祖のたこ焼屋があったけど、「隣りの店とは一切関係はありません」との大阪らしい堂々とした看板。隣りの店は空いていのに、道をふさぐように行列が出来ていたが、買って食べてみる。たこは大きいけど、柔らか過ぎて、味もなく期待外れ。くいだおれの方向に歩いて行くと、くいだおれ人形は、遅い時間なのでしまわれていた。そして、道頓堀橋を渡り、少しいい飲み屋に行き、新大阪に戻りホテルに爆睡。24:00を回っていたようだ
12月2日(日)
ホテルでゆっくりしていたら、最初、出発しょうと思っていた時間をとっくに過ぎていた。しかも、友人から電話。慌ててホテルを出ようとする。ホテルでは、もう結婚式が始まっているのか、フロントは慌ただしかった。今日は競馬のオフ会。新大阪からスムーズに阪神競馬場到着。5Rが始まる頃に到着。迷う事なく、オフ会のメンバー、3人に出会う。6Rから競馬を楽しむ。6Rは外したけど、7Rは的中。あんまり金額を賭けていなかったので儲けは少ない。8R、9Rと外し、10Rも外れて懐も寂しくなる。友人が、3日目の飛行機のチケットを受け取る役を引き受けていたので、11R阪神ジュブナイルフィリーズ(G1)は見るのを諦めて、予約していたタクシーで、伊丹空港に。オフ会のメンバー達と、バタバタした一日であまり話しは出来なかったけど、思い出に残る一日だった(また大阪に来た時は、よろしくお願いします)。競馬場を離れる前に出口のモニターで見た中山11RのターコイズSが当たり、少し負け分を取り戻したようだ。でも、タクシーの中で聞いていた阪神ジュブナイルフィリーズが外れ、その分だけ負けた感じ。4時少し前に伊丹空港。順調に飛行機は飛び立ち羽田空港に到着した

2001年11月23日〜11月24日のんびり温泉ミステリーツアー編
11月23日(木)
どごに行くのか全く知らされていない。わかっている事と言えば、8:50に横浜そごう第1駐車場に集合する事と、とある温泉に泊まる事。それで、時間少し前に集合場所に行くと、男の添乗員が待っており、受け付けをすまし、町田(もう一つの集合場所)からの来たバスに乗り込む。バスに乗ると電波少年のように、ヘッドホーンを渡され、アイマスクをされ・・そういう事はなかったが、バス2台で満席で出発。勿論、ミステリーバスツアーなので、添乗員もバスガイドも行き場所を、もったいぶって教えてくれない。でも、お昼の関係上、添乗員お昼の案内で『餃子食べ放題』の注文を聞かないといけなかった為、まずは宇都宮に行くとわかる。横浜から首都高、東北道と、バスガイドのインターごとの土地の丁寧な説明を聞きながらバスは走り、羽生でトイレ休憩。こまで来るのに、かなりの渋滞していた。さすが3連休初日だけの事はあったが、バスガイドが、色々と話しをしてくれたので、そんなに退屈はしなかった。宇都宮インターを出た所で『ドライブイン大晃』で、ギョウザ食べ放題。餃子とチャーハン食べ放題だけど、そんなに食べられない。それでも、焼き餃子20個、水餃子10個は食べる。バスは発車し、腹も膨れてウトウトと寝てている間に郡山、まだまだバスは北上する。磐越道に入り、磐梯山、猪苗代湖と高速から眺めながら、どこまで行くのだろうかと不安になる。このまま行くと新潟だけど・・・気慍も11度まで下っている。大陽も沈みかけている。と、会津若松でインターを降りて、喜多方方面にバスは進む。一瞬、喜多方ラーメンの店か何かかと思ったが、会津うるし美術博物館に到着。福島県内一の大地主・風間家のうるしだらけの家を公開してあった。けやき造りの総漆塗りの座敷に座わらせれて、案内人から説明を受ける。800万円のうるしのお菓子入れを、うやうやしく持たせてもらった。2階の博物館(どう見ても物置きのような感じを受けたが)を見る。2千万円の屏風の前で、案内をしてくれたお姉さんに頼んで妻とのツーショット写真を撮ってもらう。あまり、うるし塗りとか言われても、興味がないので、隣りのお菓子の蔵・太郎庵で、結婚記年日のケーキを買う。さすがに薄暗らい。今日泊る所は、バスガイド全員・ベテランの運転手に聞いたところ誰も聞いた事のないという。何しろ地図に載っていない所という。喜多方から山形・米沢に向けて、真っ暗闇の山道を走る。気温も4度。とんでもない山奥。とんでもないホテルじゃないかと心配になる。ホテルに近づくと、玉庭温泉に泊まると、バスガイドが言う。ホテルサンマリーナ玉庭に到着。それほど、悪いホテルではない。プールもあり、テニスも出来るらしい。大きなホテルだ。部屋に入ると、びっくりしたのは、部屋の中に炊事場がある事。何の為にと思ったが、これがミステリーか・・・早速、食事。バイキングになっており、思い思いに食べる。肉系が多かった。食事がすんで、風呂に入る。大きな風呂で、ジャクジー風呂や色々な風呂があった。大きな風呂にゆっくり浸かっていたら、渋滞の疲れが取れたようだった。露天風呂に行こうとしたら、さすがに風が冷たく、諦める。部屋(洋室)に戻どり、妻と誕生日兼結婚記念日のお祝いのケーキを食べる。風呂から上がった時に妻が買ってくれたビールを飲んだら、すぐに眠くなり、朝までぐっすりと寝る。
11月24日(金)
朝食もバイキング。温泉玉子が美味しかった。ホテルを出て、米沢にバスは向かう。バスが出て添乗員が天気がいい話しをしていると雨が。そんな馬鹿な・・・と思っても、肩が濡れている。上を見ると、何と天井から水滴が。上に乗せていた荷物(水筒)から紅茶らしきものがこぼれたようだ。後ろの席の人が慌てる。その水筒は、後ろの席の人の物だったから。後ろの席の人からタオルをもらって、肩を拭いて一見落着。バスはそうしている間に、上杉神社に到着。どうやら、添乗員の話しの腰を折った事に後で気づいたのだが。そんな事よりも、予約していたボランティアのガイドが来ない。しばらく(20・30分)、駐車場の側の店で、お土産を見ていて下さいと言われる。が、40分たってもガイドが来ない。10:00まで、上杉神社の見学時間のはずだが。妻と二人で、勝手に神社参拝をしょうと思った時に、やっと、ガイドが到着。現地のボランティア・ガイドでおしょうしな(ありがとう)ガイドと言っていた。おじいちゃんガイドに連られて上杉鷹山公を祭った松岬神社を参拝。そして、ガイドを上杉神社に向かおうとしたら、妻がいない。ガイドの巧みな話しに気を取られていたら、妻がいなくなっていた。結婚式を見ていたようだ。花嫁さんに自分も見とれてしまった。上杉神社に向かっている。自分たちも行こうとしたのだが、妻捜しに時間がとられ、上杉謙信を祭った上杉神社を参拝出来なくなった。今度はガイド捜しをしなければならなかった。ガイドも大急ぎで案内をしていたけど、本当はもう少し話したかったようだった。バスは国道13号を走り栗子垰越え、福島飯坂から高速。頂上が雪化粧した吾妻小富士、安達太良山を見ながら南下。このまま帰えるのかな〜と思ったら、郡山から磐越道に入り、いわき方面に。と、思いきや、三春インターで降りる。看板を見ながら、滝を見に行くのか、それとも・・・色々と見学場所を予想する。結局、高柴デコ屋敷に到着。『このデコ屋敷は三春駒・三春張子の本当の発祥地です』と書かれていたが、『本当の』と書かれると、嘘の発祥地はどこにあるのだろうかと、気になってしまう。デコとは、土地の方言で、人形という意味だそうだ。駐車場の近くに『おいち茶屋』で、団子を食べる。この店の、おいちばあちゃんは、志村けんの「だいじょうぶだぁ〜」の、あの言葉の元祖だそうだ。写真に志村けんのおばちゃん姿の写真がある。そして、なぜか、国民栄誉賞をもらった王貞治の写真まであった。再びバスは、磐越道で郡山に戻り、磐梯ドライブインで昼食。バスの中で添乗員が昼食の注文をしていたが、誰も頼む人がいなかったのて、自由昼食となる。美味しそうな昼食の案内だったけど、不思議と誰もいなかったとは、ミステリー・・・当然、食堂は混雑する。二人、焼き肉を食べようとするが、中々、焼き肉が来なくて焦りながら食べる。そして、東北道を東京方面に、30分走り、須賀川で高速を降りて、季節外れの須賀川牡丹園に。一言感想「牡丹なんて咲いてないじゃないか」。寒散とした園内を散策した。そして、帰路に。東北道を一気に、ビデオの釣り馬鹿を見ながら南下。羽生でトイレ休憩をして、町田にバスは一度止まる。8時30分前。殆の人が降りて、バスの中には、バスガイド、添乗員、運転手、自分達二人と他のお客3人しかいない。今まで窮屈なくらい人がいたのに。かなりの遠回りして、横浜に21:20頃、到着。

2001年10月12日〜10月13日名物たらい舟体験 おけさの佐渡と推崎温泉ツアー編
10月12日(金)
家を7時前に出る。ちょうど、ラッシュ時に当たり、田舎育ちの妻にはかなりの負担。それでも楽しんでいた
→東京駅(8:56発)、参加者30名。添乗員が参加者を集め時間通りに集合。おばちゃん、おばあちゃん集団が多い
→新幹線「Maxあさひ」号のグリーン車2階席。眺めも良く、椅子のスペースも広く、ゆったりできた。飲み物サービスに驚く。最初、売り子が売りに来たと思い、無愛想に無視していたら、「サービスで無料」と聞いて慌てて、ウーロン茶を頼む。妻は好きなコーヒー
→新潟駅(11:03着)到着。添乗員の持つ目印の旗の上に可愛いポケモンの風船人形が好評。ホームに降りていた新幹線の売り子も注目していた
→ツアー参加者4人づつ、分乗して、タクシーで新潟港に。自分たちは、唯一の2人組参加だったので添乗員と一緒に乗る事になる
→フェリーおおさど丸に乗る。2等室。出航の合図の鐘が鳴る。窓の外を見ると、かもめが飛んでいたので、外に出る。フェリーの周りにかもめが飛んでいる。模型のような感じに見える。手を伸ばせば届きそう。ある乗客はかもめに、タバコをくわえさせようとしていたら、手をかまれる。笑えた。航路は国道350号線らしい。国道は陸だけと思っていたら、海上にも付いていたとは。暇だったので、甲板に上がったりした。気持ちいい。2等室に戻り、じゅうたんの上で横になっていたら、フェリーの気持ちいい揺れと、新潟駅で買った弁当を食べて満腹で寝てしまう。30分後に目が覚めると軽い船酔い。妻も同様に船酔いした。2時20分間で両津港に到着
→ホテルのマイクロバスで、小木港のたらい舟に。たらい舟はサザエやワカメ漁に使われていたようで、今ではミニ観光船として大人気。おそるおそる乗ってみる。7、8分、周囲の港をこの道40年のおばあちゃんに漕いでもらう。見ていると簡単そうだったので、自分も漕いでみると思うようにいかない。8の字を描くように漕ぐのがコツと言うが、難しい。結局、おばあちゃんに変わってもらう。新米の若いお姉ちゃんで1ヵ月かかると言う。少し練習しても上手にいかないのも当たり前だ
→真野の佐渡歴史伝説館。等身大ロボットとミニチュア人形を使い、佐渡島の歴史と伝説を紹介する施設。島流しになった順徳天皇や日蓮、猫が可憐に乙女に変身して飼い主の窮地を救う「おけさ伝説」などをわかりやすく展示してあった。一つ一つ工夫があり、見ごたえある。一つ一つの場面が終わらないと次の場面が始まらないので、いつ終わったのかわからないままに、次の場面の部屋の移動に戸惑う。面白かったのは、日連聖人の佐渡法難の処刑しょうとする人が雷光に驚く顔がリアルだった事。語り部おじいちゃんの酒の飲み方も味があり、なかなか楽しめた。また、鶴の恩返しの夕鶴伝説の鶴が「さよなら・・」と言うシーンには、爆笑モノだった。人形の顔の表情が細かく出ていたので、実際の人みたいだった。最後に、皇居新宮殿の棟飾りの幸運を招く「瑞鳥」があり、とげぬき地蔵のように触るとご利益があると思い、皆、触る。が、誰かが、あまりにも触りすぎて、薄くなっている所を触っていると、どこかのおばちゃんが、「薄い所を触っていると、御利益も薄くなるよ」と言い、大爆笑
→推崎温泉に向かうバスの中で、おばあちゃん連中が会話をしている。何気に聞いていると、病院の話しを延々としている。20分ぐらいしていたら、ホテルに着こうとする時、おばあちゃんの入れ歯取れてしまう。旅行に興奮して、喋り過ぎたようで、少し気の毒に思えた。ホテルニュー桂に到着。早速、風呂に入る。男女、別々の場所に風呂場がある。男は別館の1階で、女は本館の地下1階(朝は、それが入れ替えになる)。熱くて入れないので、身体を洗うだけにすます。入る頃には1人しか入っていなかったけど、自分が出ようとすると、ぞろぞろと20人ぐらいの集団が入ってきて、脱着場は混雑。自分も慌てて、浴衣を着る事になる。夕食の時間になる。宴会場に向かう。料理は、ベニズワイガニ、イカソーメンなど。嫌いな海の幸が多い。妻にアワビを食べてもらう。地ビールがを飲んでいると、舞台で民謡ショーが始まる。が、皆、料理の方や会話に夢中で、踊っている人を見ずに、踊り子が舞台から退散しても拍手がない。売れない漫才師みたいだ。慌てて幕が閉じてから拍手している人もいた。自分もつられて、拍手する。少し飲むペースが早く、しかも疲れから酔ったようだ。真向かいに座ってた主婦たちグループが「亭主元気で留守が良い」という会話の言葉に、反応して、つい声を掛けたら、仲良くなり、ぞろぞろと他の参加者が引き上げていく中を最後まで話し込んでしまった。食事が終わり、フロントの方で佐渡おけさ教室をしていた。自分たちも参加する。手と足が合わずに、結局、覚えられずに諦めて、部屋に戻ってしまう。また風呂に入る元気もなく、布団でバタンと倒れたま、寝てしまう

10月13日(土)
朝、窓を開けると、とんびが外を飛んでおり、たぬきが庭に数匹いた。たぬきは棲みついているらしい。パイキング料理を食べ、ホテルを出発
→今日は、新潟交通佐渡株式会社のバス。昨日のマイクロバスより大きく、ゆったりと出来る。昨日に引き続き、雨が降ったり、曇ったり、晴れたりと変な天気。10分おきにドンドンと天候が変わってゆく。晴男と雨女の闘いか? 最初の観光場所陶芸苑に到着。必死に急須を磨いていたおじさんが、説明してくれた。ここでは、佐渡焼とは言わず、無名異焼と言い、特徴は焼く前につやを出してから磨いているという。千円から百万まで商品があるので、買っていって下さいと。さすがに、百万は手が出ない
→大佐渡スカイラインで白雲台に。展望台から佐渡の山波を見ようするが、霧で見えない。バスに戻ったら、急に神がかり的に霧が晴れて、素晴らしい紅葉が見える
佐渡金山で坑道見学。金の大露頭鉱「道遊の割戸」が発見された江戸時代、相川の町はゴールドラッシュに沸き返ったが、坑内作業は金山地獄と呼ばれるほど、苦難をきわめた過酷な労働であったと伝えられる。観光坑道は、往時の様子を人形を再現している。コンピュータロボットの「手を休めるな」と言う声が、リアル。抗道が深い所の涌き水の排水作業、採鉱夫の生活、奉行所の立ち会い検査風景などが印象的だった。風景坑道出口にある資料館では、金の発掘から加工までが一目でわかる模型が展示されていた。透明な大きな箱の中に金が置かれていたので、箱の横の穴から手を入れて持ち上げようとしたが、かなり重い。ある人は、にっこりして、写真撮影をする人もいた。金を穴から出せても、金はもらえないらしい。バスに戻ろうとしたら、妻が「コーヒーを飲みたい」と言ったので、妻はコーヒー、自分は笹だんごを買う。妻のコーヒーを良く見ると、金粉が入っていたので、自分も金粉入りコーヒーを飲みたくなり、買ってしまう。ついつい、乗せられてしまった
尖閣湾の揚島遊園。佐渡島の西側、外海府の入り口に位置する尖閣湾は、佐渡を代表する景勝地。断崖絶壁・岩礁の男性的な海岸風景が全長2キロに渡ってつづいている雄大な峡湾美。遊仙橋は今は立派な橋だけど、昔は吊り橋だったらしい。荒々しい日本海を堪能する。菊田一夫の『君の名は』のロケ地だったらしく、資料館ではそのロケ風景を紹介していた。写真パネルの古館一郎が若い。水族館もあり、魚を触れるようになっていたが、さすがに水槽の中に手を入れのはためらった。調子に乗って手を入れていたら、ウニのトゲに刺されそうである
→七浦海岸、めおと岩のドライブインで昼食。タラの沖汁食べ放題だったが、そんなに食べられる物ではない。あまり魚くさくないので、汁は美味しかった
→アルコール共和国の尾畑酒造。全国新酒鑑評会で金賞受賞という宣伝酒蔵見学。試飲してみるが、家にお酒がまだあるのを思いだし、買わなかった
→そして、最後はトキの森公園。4ヘクタールの巨大な公園。園内にはトキを飼育する佐渡トキ保護センターや、トキの飼育ゲージのモニター観察や生態のビデオ上映、歴史資料、剥製展示などをしているトキ資料館があった。トキ保護センターで、トキを観察出来る場所から飼育ゲージまでが、遠いので、望遠鏡で、見ようとするが中々ピントが合わない。そんなに遠くないので、自分の目で見た方が、しっかりと見れた。売店でトキソフトに興味を引かれたので食べてみる。焼鳥の味かと思ったが、ストロベリーとバニラのミックスで、トキの色をストロベリーのピンクとバニラの白でイメージしただけだった
→両津港からフェリーで新潟港向かう。フェリーの中で缶ビールを飲んでいると、ふと、周りを見ると禁煙の標示と一緒に禁酒標示。慌てて、ビールを隠そうとするが、もう半分以上知らずに飲んでしまっている。それにしても、どうして、2等室では、アルコール禁止なんだろうと、他の部屋を覗くと、自分たちの部屋だけアルコール禁止だった。どうりで、20人ぐらいの集団が座った途端、他の2等室に移っていったような変な記憶が・・・結局、残りのビールを隠れ隠れ飲んで、寝てしまった
→タクシーで新潟駅まで行き新幹線(18:36発)の普通車指定席に乗る。晩ご飯は駅弁の越後五目ずし。竹の中にエビやサーモンの寿司が入っていた。東京駅(20:47着)に到着し、皆と解散して横浜の家まで帰る。なかなか、佐渡旅行も良かった。でも、新潟駅に向かうタクシーの運転手も言っていたが、佐渡の観光客も減っているらしい。そういえば、尖閣湾で遊仙橋に向かう道の売店で、必死になって売ろうとしていたおばちゃん、おじさんの事が思い浮かんだ。買う人が全くいなくて、素通りしていく観光客を恨めしそうに見ていた。何にしても、もう一度、行ってみたい島だった

2001年10月6日 横浜市内半日バスツアー
横浜市交通局の横浜市内遊覧バスに乗ろうと、横浜SOGO横で乗車券を買って乗り場に行くと、二階建てのバスが止まってた。妻と「あれに乗るんだ」と期待していたら、その後ろの普通の観光バスだった。時間になり、バスは発車する。みなとみらい21地区で、ランドマークをバスガイドが紹介しながら、最初の目的地に到着。帆船日本丸の見学。石造ドックに浮かんでいる日本丸の中に入る。船首甲板では、写真撮影する人が多く、ごちゃごちゃしていたので、船内を見学。実習生の部屋のベットが、かなり狭い。長さ185cm、幅65cmで、寝返りすると、地面に落ちそう。調理室、仕官サロン、船長公室と覗いてゆく。日本丸を出たて、すぐ横にある横浜マリタイムミュージアムを見学。港と船をテーマに扱う博物館。時間もまだあったので、じっくりと見学。氷川丸や、あるぜんちん丸の船の模型や、映像で『航海と天測』を見ていたら、どうもめまいがしているな〜と思ったら、映像の波に合わせて船が揺れている演出だった。バスは県庁、中華街を通り港の見える丘公園に。バスを降りて、山手111番地館に。イギリスの両替商ラフィンの住宅として作られたそうで、妻がかなり気にいってた。「将来、こういう所に住みたい」と恐ろしい事を言う。公園に行くと、ベンチには沢山のカップルが仲良く腰掛けていた。展望台の前には、二人の外国人がパフォーマンスをしている。端を燃やしているスティクを上空に回転させながら投げて、火がついていない端の方を受け取るパフォーマンスだけど、中々、トークが面白く、つい見入ってしまう。片方の人は失敗して、燃えている側の方のスティクを握ってしまい、手が黒くなっていた。かなり痛そう。時間になり、バスに戻る。外国人墓地を車窓から見て・山手通りを走り、三渓園に。18ヘクタールの庭園は原三渓の手に作られ、自然の起伏と見事に整備された人工的な庭が美しい。内苑の中を他の乗客とゾロゾロと見学。関東地方最古の旧燈明寺三重塔を見ようとしたが、道に迷う。山道のような坂をどんどん上がると、やっと三重塔が見えてホットする。三渓園茶寮を団子を食べたが、意外に美味しくて、妻と二本づつ食べる。これで下車観光は終り。日が暮れようとする横浜ベイブリッジを渡り、山下公園でバスを途中下車(本当は桜木町駅を経由して横浜駅東口が終点)。そして、中華街で晩ご飯を食べようと、店を捜していたら、ビラをもらったので、その店に入る。『酔龍』、中華食べ放題。けっこう腹一杯になって家に帰った。

2001年9月22日 ひたち海浜公園の珍しい黄色いコスモスと千代田町梨狩り・那珂湊漁港で握り寿司食べ放題バスツアー
今回の妻との旅行は添乗員、バスガイド付き。 5分遅れてきたお婆ちゃんを乗せて、23名を乗せた中型のバスは8時5分に出発。後で聞けば、お婆ちゃん、子供が連れて行くと言うのに、足が悪いので、ゆっくりとしか歩けないので断わり、このツアーに参加したと言う。他人なら迷惑をかけても良いのか。案の定、守谷SAで、皆がトイレ休憩も終わり待っているのに時間になっても来ない。ヨタヨタとして、やっと来ても、「ごめんなさい」の一言もない。そうこうするうちに、バスは常磐道を順調に走る。秋のすっきりした空気で、つくば山がすっきりと見える。昨日、雨が降ったので、今回の旅行も雨かと思ったが、徐々に雲も消えてゆくようだ。
国営ひたち海浜公園に到着。少し肌寒い。ひたち海浜公園は遊園地や植物園、ディスクゴルフ、バーベキューとか色々なモノが利用でき、かなり広い公園。バスガイドによれば甲子園球場が200個入ると言っていたが、そもそも甲子園がどれくらいの広さか、自分にはわからない。さっそく中に入って、すぐに『天狗屋』に入る。天狗の博物館と思ったが、何かゴンドラのような乗り物に乗せられて、次々と暗い部屋に入ってゆく。どうも、お化けが出たり、首が飛び出す女の子がいたりと、幽霊屋敷のようだ。一つ、二つとビックリするうちに、最後に天狗が出てきた。「なんじゃこれは・・」と、思い、ゴンドラを降りたのだが。それもせっかく、沢山の時間(90分ぐらい)をもらったので、この広い公園を回らなければと思い、ちょうど、自転車を貸し出していたので、妻とニ台、借りる。久し振りに、妻とのサイクリング。最初に、回ろうとしたら、BMX・MTBコースとあったので、サイクリングコースかと思ったら、モトクロスのコースだった。あんなもの、普通の自転車でやったら、確実に倒れてしまう。で、噴水の池(水のステージ)の周りや、大草原と見学しながら、アスレチック広場に行き、つり橋を渡ったり、ハシゴ階段を登ったりするが、日頃の体力不足を思い知らされる。また自転車で、砂丘ガーデン(13年7月20日「海の日」オープン)も走る。グラスハウスから見える太平洋は爽快。香りの谷(傾斜地に65種類の植物が植えられている)で、ハーブを見て、海風を受けつつも、時間を忘れてサイクリングしていた。あと、15分で集合時間という事に気づく。慌てて、引き返す。しかも、道を間違えたので、さらに慌てて、引き返す。何とか、バスまで戻ってこれた。バスガイドに「薄着で寒いんじゃないですか」と、言われたが、それよりも、ヒヤヒヤだった。それよりも、バスに戻ったら、肝心の黄色いコスモスを見ていないのに、気がついた。
バスは約10分くらい走り、那珂湊漁港に。そこの市場の回転寿司に行く。さすが市場の回転寿司だけあって、中に入ると、待っている人たちが大勢いた。自分達は前もって予約してあるので、羨ましい視線を大量に浴びて、席に付く。テーブルには生エビと蟹の味噌汁が置かれていた。それらを食べて、回っている寿司に手をつけはじめる。自分は魚は嫌いだけど、寿司は大好物という不思議な味覚の持ち主。それで、マグロ、カニ、エビと次々に食べてゆく。本当に美味しい。一気に30分で12皿食べていた。普通に食べたら、ビックリする金額だろう。満腹になり、市場を見学。威勢の良いかけ声が、購買意欲を駆り立てられるはずが、あまりにも腹一杯なので、あまり食べ物は見たくない・・・早めにバスに戻った。他の乗客もそうだったように、早めに皆が集まったので、出発した。
今度は梨狩り。また常磐道に乗り、千代田の矢口果樹園まで約40分バスは走る。梨狩りは、果樹園に入り、プラッスティクのナイフと皮入れのバケツを持たされて、梨の木を下に連れていかされる。沢山の梨(幸水という種類)から、一番、美味しそうな梨を見つけるの楽しみ。一つ目は、まあまあだったが、二つ目の梨はかなり美味しかった。ナイフを入れるとスルーッと切れてゆく。ナイフ無しでも、歯でも噛み切れそうだ。甘い密がたっぷりと入っていた。寿司を沢山食べたのに、これでもか、これでもかと腹に入ってゆく。三つ目の梨は、かなり熟れ過ぎていた。美味しいのだが、下の方が腐っていたので、それ以上食べるのはやめにした。気がついたら、妻と自分以外、誰もいなくなっていた。果樹園から矢口店に戻ると、皆、お土産を買っていた。自分も、つい、ぶどうを買う。
そして、バスは常磐道から都内に順調に走り過ぎて、予定より一時間早く、横浜に到着した。しかも、都内から富士山がうっすら見えて、いかにも秋だなという感じになった。

2001年8月31日〜9月1日東北・山寺・最上川バスツアー
8月31日(金)
今回の旅行の名目は妻の誕生日(9月3日)プレゼント旅行。毎年の恒例である。
ツアーのバスは町田からの乗客もあり、横浜に来る途中で渋滞にあい到着が遅れ、40分遅れの9時20分に42名の満員の乗客を乗せたバスは横浜を出発した。今日は、あいにくの雨。年輩夫婦の参加が、多いよう。今回は、添乗員だけで、バスガイドは乗っていなかった。東北自動車をバスは快調に走り、羽生SAで、トイレ休憩でバスが止まったので、そこで昼食用に牛肉弁当を買う。バスの中で食べたがそんなに旨くなかった。それから、安達太良SAで二回目のトイレ休憩し、山寺に。
山寺に着いた時には雨は降っていたけど、山門で添乗員から奥まで入れるチケットを受け取った時には、雨はやんでしまった。日頃の行いが良いからかな。それにしても、山寺は修業の霊山とあって、かなりきつい。1015の石段が、そんなに暑くないのに登ると、ドンドンと汗が滴る。しかも、石段に迫り出すように大石があるので、石段が靴が一足しか通れないような狭い所もあったりする。もう、限界だからと思い、下に降りようかなと思った時に、時折ある仏様のような地蔵に目が合い、観察されているのかと思うほど。一段一段と煩悩が取れていくと、入り口の案内板に書かれていたようだが、この事だったのかと思った。しかし、きつい。妻と一緒に登っているはずが、いつのまにかに、どんどんと登っていたらしい。妻はずっと後のほうにいた。仁王門では、邪悪な人は中をくぐれないと案内板に書かれていた。今までの人生を考ると不安になりながらも中をくぐる。無事にくぐれると、少しホッとする。五大堂、奥の院大仏殿と、二つに分れた道を一気に石段を駆け歩いて元の分かれ道に戻ると、妻が分かれ道の石段を上ってきていたので、一緒に妻のペースでゆっくりと五大堂に登る。五大堂で、下界の風流で、のどかな町並を眺めながら、色々と妻と話す。汗も引いてきたので、石段に気をつけながら下に下ったが、妻によると、仁王門の所で、人が痙攣を起てしていたらしい。きつい石段だからかもしれないが、もしかして、邪悪な・・・山門まで戻った。妻は疲れていたようだ。ふと、横に立石寺秘宝館があり、そこで、幽霊画が展示されているのに興味を覚えて、中に入ってみる。中には誰もいなかった。山寺の文化財が展示されていたが、その中で、ちょっとゾクゾクする幽霊画は、お化け屋敷にあるような幽霊より、リアルな感じがした。さすがに、誰も見ている者がいなかったので、少し恐くなり、外に出る。夜、思いだしそうだ。少し歩くと、琶蕉句碑がある。芭蕉が奥の細道で山寺を訪れた時に、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ句が碑に書かれていると思うが、『入』と『声』しか判らず判読不可能。そして、これは参拝しておかなければならない重要文化財となっている根本中堂を参拝。堂内に建立当時比叡山より移された宝灯が千百年余りの年の間、一度も消えたことのない不滅の灯を見学。そして、お土産屋「ふもとや」で、さくらんぼのソフトクリームを食べてバスに戻った。
それから、バスは30分走り、天童・将棋駒工房に。天童市は、将棋の駒で有名。中では、職人が駒を彫っていた。さすがに将棋関係のお土産が多く、弟が将棋好きなので、将棋の置物や詰め将棋の書かれた手拭いを買う。
今日の宿泊は天童温泉。栄屋ホテルには、5時30分に着く。さっそく、和室に荷物を置き、大浴場浪漫風呂「殿湯」に。すぐに風呂に入りにきたので、数人しか入っていなかった。ゆっくりと、湯船に浸かり、風呂から出テ部屋に戻ると、山形の友人から電話。本当は、今日、会う予定だったけど、都合がつかずに、またの機会になった。残念。夕食は魚料理が多く、あまり食べられなかった。ただ山形らしく、ぶどうが美味しい。隣りに座っていた人(夫婦で来ていた旦那さん)からビールを勧められて、雑談しながら飲む。団体ツアー旅行だと、知らない者同士でも、気軽に話しやすい。夕食が終わり、パチンコ屋があったのを思いだし、あんまりお金を持って行くと全部使ってしまいそうなので、妻と2人で5000円持って、パチンコ屋に。さすがは、山寺効果。山寺での参拝が良かったのか、1000円で25000円勝ち(海物語で)、パチスロでも勝利。妻は負けていたので、勝ったお金を山分けする事にする。ホテルに戻り、今度は、そのホテルのもう一つの風呂、展望露天風呂「天の湯舟」に入る。10時過ぎていたので、男湯は自分一人しかいなかった。夜の闇と山形の町の明かりを見ながら、気がねなく、贅沢に一人で寛ぐ(お湯は熱かったが)。そして、のんびりとして、部屋に戻った

9月1日(土)
朝食を食べてホテルを出る。
バスは一時間ほど走り、着いたと思ったら「戸澤藩船番所」とある関所のような門。ここは芭蕉ラインの最上川舟下りの発車所の古口という所。62人乗りの舟(お座敷舟)に乗る。川下りしながら団子を食べようと思い(妻は串で刺して焼いてある鮎を食べれるようにと)買っていたら、一番、最後に乗ったので、後ろの方だと思っていたら、先頭の方だった。運が良い。女性の先頭さんによって、最上川の下る。バスの窓から川を見ていた時は、昨日の雨で泥混じりで綺麗とは言い難いが、山の色が素晴らしい。しかし、どうしても、昨日の雨の影響で川にゴミや大木が流されているのが目に入る。それでも、船頭さんの山形弁で陽気な喋りで、のどかに川を下る。途中、ドライブスルーのように、お客さんに鮎やタコ焼き、ビール、コーヒーを買わせようと止まるが、船頭の勧め方がうまいのか、最上川舟下りをもっと楽しみたいのか、どんどんと買ってゆく。船頭さん「これでボーナスが出る」と笑わせてくれた。ドライブスルーを出ると、船頭さん、最上川舟唄を歌いはじめる。中々、難しい唄なので、乗客手拍子もままならない。それでも、唄が、のどかな景色に溶けこみ、山形の、のどかな自然に触れて贅沢な気分になる。一時間の川下りは終わり、最上川リバーポートの草薙に着く
そして、バスは羽黒山・出羽三山神社に向かう。まず最初は三神合祭殿を参拝。駐車場から向かう途中、白装束の集団を見かける。ちょうど昨日(8月31日)がお祭りだったようで、修行している僧だったようだ。山頂に建つ三神合祭殿は月山神社、出羽神社、湯殿山神社の三つの神を奉っている。それで、同じ建物に三つの賽銭箱があるので、神社のハシゴをしているように、次から次にお参りする事になる。
本当はそこから歩いて30分から一時間も歩けば五重塔まで行けるのだが、時間短縮のためにバスで移動する事になる。バスは「いでは文化記念館」の駐車場に止まり、そこから鳥居をぐり、石段を降りてゆく。壮大な杉並木を眺めたいのだが、石段が歩きづらいので、どうも充分眺められない。どうしても歩幅に合わない石段が気になる。須賀の滝が見える神橋を5分ほど歩くと、樹齢先年の爺杉が立つ。さすがに爺という杉らしく、爺さんぽい(ちなみに、婆杉もあったが、台風で失ったらしい)。国宝の五重塔が見えると、さすがに感動した。杉並木にひっそり立つ五重塔は、驚くほど均整が整えられている
これで、山形観光は一応、終わりになる。昼食を庄内観光物産館にバスは行く。自分たちは、その近くにある「ステーキ宮リベロ」でステーキを食べる。そして、バスは帰路に。国見SA、羽生SAでトイレ休憩しなから、予定より一時間早い8時に横浜に到着した

2001年8月28日〜29日谷川岳・水上温泉旅行
8月28日(火)
9:30頃、妻の実家(埼玉・飯能市)を出発。6人乗りの車で自分の両親、妻の両親と夫婦の6人は、妻のお父さんの運転で順調に渋滞もなく関越自動車道を走って、最初の目的地伊香保グリーン牧場に着く。牧場の中には入らずに新鮮な牛乳を皆で飲む。中々、美味しい。水澤寺の水沢観世音でお参りする。六角二重塔があり、大きな神輿のような物を回しながら願い事をすると願いが叶うと言うので、自分と父は回す。が、後で、ガイドブックを読むと、三回、回さないといけなかったらしい。車の中で悔しがる。昼になり、水澤亭で、うどんを食べる。ゴマをスリ鉢ですり、それにタレを入れて、うどんをつけて食べる。本格的な味。妻の両親が「ぜひ、水沢うどんを食べてみて下さい」と、自分の両親に薦めるだけあって、美味しかった。腹一杯になり、ハルナグラスに向かう。ガラス工芸品のお土産が沢山陳列していた。父は姪っ子に万華鏡を買っていた。ガラス作りの体験が出来るらしかったが、自分は土産を見て回っただけだった。卯三郎こけしにも足を運んだ。工場を見学したのだが、両親たちは熱心に見学している。若者が先輩に教えてもらいながら木を加工したり、熟練されたおじさんがこけしの形をつくるロクロ引きしていたり、おばちゃんたちが器用に絵つけしていた。卯三郎という群馬県のこけし作家のギャラリーがあったので、覗いてみると、職人顔の卯三郎の丹念に作ったらしい1,000点のこけしに圧倒される。おかっぱ頭のこけしにも、一つ一つ表情があり中々楽しめた。それから、月夜野まで行き、月夜野びーどろパークにを見学。ガラス工場を見学する。ガラスを火で溶かし、風船玉のように膨らましてゆく。よく見ると馬のガラスの置物を作っているようだった。妻の両親からコップを買ってもらう。蛍光灯の光によって、色が変わるらしい。紫色だと思ってレジに持ってゆくと、色が青に変わっていた。特殊な加工がされているらしい。時間も遅くなり、水上温泉街に向かう。今夜泊まる所はひがきホテル。二つの和室を取り男性陣と女性陣で分かる。最初に女性陣が風呂に行き、男性陣はビールや焼酎で早速宴会が始まる。窓から見えるプールでは、何人が泳いでいた。あんまり風呂前に飲むと風呂に入りたくなくなるので、ビール三本でやめておく。女性陣が戻ってきたので、男性陣で風呂に行く。殿方大浴場「千山」に入る。露天風呂に行くと、利根川が望み、ゆっくりと寛ぐ。ジャグジーのように泡立った風呂が気持ち良かった。食事の時間になり、皆で小宴会場「源氏」に向かう。○○御一行様と書かれていたので皆で苦笑い。料理は、すき焼き、蟹、テンプラ、刺身と十数種類が卓上に並んで豪華な気分。焼酎を一本頼んだが、自分と父、妻の父の三人ですぐに空けてしまった。そして、酒の酔いを冷まそうと、夜の散歩。温泉街らしく、射的場に行く。皆、浴衣なので、温泉街に来ている雰囲気が漂う。雨が少し降っていたので、傘をホテルから借りる。射的では、自分は全く駄目だったが、妻のお父さんが中々うまく、大きなボーリングのピンを何本か倒していた。妻はスマートボールで箱を三箱も積み上げる程の勝ちっぷり。パチンコもあったので、やってみるが、どうもうまくいかない。一時間ぐらい遊び、皆で点数を合計して、大きなヌイグルミ一個の収穫だった。ホテルに戻り、めん処「駒形屋」で、ビールを飲んで解散になった
8月29日(水)
朝食は夕食と同じ場所だった。さっさと食べて、ホテルを後にする。谷川岳に行く。谷川岳ロープウェーに乗り土合口駅から天神平駅までゆく。ロープウェーは定員か8人乗りなので、小さいので、標高1,321mの天神平駅までの眺めは、雄大で迫力満点。窓の下の渓流を見ていると、歩いて登っている人もいた。天神平(とんぼが沢山飛んでおり、秋の気配を感じさせる。少し肌寒い)から今度は二人乗りのリフトで天神峠まで登ってゆく。ベルトを着けないので、少し恐い。しかも、足が地面に着いたりするので、そのまま歩いてしまいそうになる。天神峠展望台から谷川岳は勿論、富士山、アルプス連峰が見えるはずだったが、少し霧が多くて見えなかった。鳥居があったので、行っていると天神峠天満宮があり、諸天善神が祭られているという。またリフトで天神平まで戻るが、登る時より降りの方がリフトが恐い。このまま遥か下まで転げ落ちそうな感じに思えてしまう。天神平までドキドキしながら降り、ビューテラスてんじんで、女性陣はあんみつを食べ、男性陣はビールを飲む。窓から、雪の残りが見えたので、妻と行き触ってくる。ロープウェーで土合口駅まで戻り、道を迷いながら(逆方向の三国峠に向かっていた)たくみの里に行く。香りの家、石画の家、ガラスの家、七宝焼の家などが並び独特の町になっている。その『やまいちや』で、ソバを食べる。父が妻におこげの煎餅を買っていた。車の中で食べたが、中々旨い。妻の母が急須の家に行きたいというので、皆で一緒に行くが、水曜日は休みだった。一見、民家のようなので、住居不法侵入のように思えてしまう。しかたがないので、隣りのマッチ絵の家に行く。マッチ箱をキャンパスに絵が書かれて、独自のマッチ箱が作れるらしい。人の描いたマッチ箱を見ていると、自分も描きたくなったが、次回の機会にした。両親の前では、どうも恥ずかしい。疲れてきたので、総合案内所の農産物直売店や土産屋を見て、帰る事になる。関越自動車道を赤城高原SA、高坂SAとトイレ休憩をとりながら妻の実家まで帰ったいった。最後まで運転してくれた妻の父に「ありがとうございました」と、恥ずかったけど言って車を降りた

2001年7月7日〜9日知床から富良野までの北海道旅行
添乗員・バスガイド付き、二泊三日の北海道旅行・知床から富良野まで感動の連続旅行
7月7日(土)曇
羽田の団体受付カウンターにて、手続きしてキップを受け取る時に「女満別は現在、悪天候の為に飛行機は女満別の上空まで行きますが、状況によって、羽田に引き返すかもしれない」と言われて不安になる。羽田空港(9:00発)飛び立つ
→無事、女満別(10:40着)空港に到着。気温は11度で半袖では寒い。慌てて長袖を出す。添乗員は俺らが行くツアーでは初の男性、中々、優しそうな人。バスガイドも色白で綺麗な女性、ラッキー。49人乗りバスに48人の参加でバスは知床に向かい発車する
→網走湖、赤レンガの網走刑務所と車窓から見学
小清水原生花園で下車観光。エゾスカシュリ、ハマナス、エゾキスゲの美しい天然のお花畑が綺麗。オオーツク海が見えてきたので、砂浜で走り回る。妻が呆れて見ていたので、妻がいる花畑まで戻る。インフォメーションHanaで、昼食代わりに、とうもろこし、じゃがいもを食べる→国後の絶景・知床峠に行くが、物凄い雨・風・霧で誰もばすから降りようとしない。物好きで恐い物知らずの乗客が一人バスから降りたので、仕方なくバスガイド・添乗員も傘を差してバスから降りる。それに釣られて、おばちゃん連中も降りようとするが、一人が雨に打たれて「やっぱり駄目だよ」と引き戻り、全員、バスに戻ってしまった。恐い物知らずの乗客が戻って来たので、バスは発車するが、バスガイドが言うには「何も景色は見えません。ただ、北海道らしく雨が冷たい」との事。知床峠を出た所に、バスから北海道の形の残雪を見かけたのが、俺の知床峠の思い出
→本当ならウトロ港で遊覧船に乗る予定だったけど、悪天候のため波が高く、欠航のため遊覧船乗船は中止
→その代わりに、知床自然センターで、大画面で上映で、知床の自然をワシの目になって空撮された貴重なシーンを楽しむ。遊覧船でも見られない知床の断崖の映像に、感動してしまった
→知床五湖(一湖を散策)に向かう途中にキツネをを発見。道路に三匹の小キツネがたむろしており、バスは器用に通り過ぎる。また、シカも道路脇におり、乗客の一人が発見するたびに、歓喜。第三から第五湖までは、ヒグマが出るというので立ち入り禁止になっていた→白い帯が二筋に分かれる双美の滝・オシンコシンの滝見学。兵庫の高校の修学旅行とかち合う。写真を撮るのに苦労する
→摩周湖湯温泉・ホテルニュー子宝に宿泊。料理は嫌いな魚料理だったけど、何とか食べる。妻は好きな鮭に感激。フロント前でカニを販売していたので、妻の実家の義理の兄にタラバガニの足を送ってあげた。ホテル側の企画で『月光に輝く摩周湖ムーンセレナーデ』という(夜の摩周湖を見に行く)ツアーがあったけど、そのカニを売っていた人からの情報で、今日は「行っても、摩周湖は見れないよ。明日、見に行くなら、明日の方が良いよ」と言われたので、部屋でつくろぎ、ゆっくりと温泉に入った。何と、俺だけ貸し切りになってしまい、露天風呂も一人で贅沢な雰囲気を味わった。体重を計ったら5キロ太っていた

7月8日(日)雨
ホテル
→透明度世界一の摩周湖観光。霧の摩周湖というだけあって、めったに晴れた摩周湖を見る事が出来ないようだったけど、雨にも関わらず、綺麗にはっきりと見えた。原生林と絶壁で囲まれた摩周湖、心に残るような気がする。バスガイドは『晴れた摩周湖を見た女性は婚期が遅れる』という言い伝えをかなり気にして、乗客を笑わせた
→今も白煙を上げる活火山、硫黄山観光。ハンカチで鼻を押さえて噴煙口まで歩いて行く。かなりの硫黄の臭い。ゴーッと音を上げる噴煙に感動。しかし、雨が降っているのが唯一の不運
→ここでも雨。360度の大パノラマが広がる900草原観光だが、摩周岳・硫黄山・阿寒の山々を見渡せるほどの眺めが良くなかった。しかし、草原の広大さには触れたような気がした
→3000年前からの自然の姿を残す釧路湿原・北斗展望台観光。遠くに釧路湿原を望むが、雨で台無し。もっと、澄み切った青空のもとで見たかった。添乗員にかなり強引に妻との写真を撮ってもらったら、次からの下車からは、48名の参加者のカメラマンにてしまった
→釧路西港の阿部商店で昼食。阿部商店で食材を買って、炭火で焼いて食べる方式。最初は、魚が嫌いなので、ウインナーや焼き鳥を焼いて食べていたが、妻がビールを買ってくれたので、俺も調子に乗って豪華にタラバガニを買って食べる。取れたてなので、かなり、美味しかった。妻はホタテが美味しかったと言っていた。ただ時間かギリギリだったので、慌てて食べた
→五色の湖と言われるオンネトー観光。雨だったけど、雄阿寒岳、阿寒富士に薄く霧がかり、雨でもブルーの水面の湖に感動。また来たい所だ
→日本一大きな町、足寄を通ると、『千春の家』という看板が目立つ。町内の人に熱狂ファンからの「松山千春の家はどこですか?」の質問が多いという事で、ついに町内で看板を立てたそうである。松山千春の友人が経営する『あしょろ庵』にバスは下車してくれた。案の定、松山千春だらけ。土産店の中は松山千春のBGMが流れていた。千春好きな俺は、千春のイラスト入りのバター飴、千春のイラスト入りのとうきびチョコを買ってしまう
→日本一広い牧場ナイタイ高原牧場。雨は上がっていたが、物凄い霧。10m先が真っ白。レストハウスの近くに寄ると牛がいた。本当は十勝平野を一望出来るという事だったが、この霧では全く見えない。牛も「もーっ」と文句を言っていた(笑)
糠平館観光ホテル宿泊。ホテルに着くと、早速、風呂。露天風呂もあったが、北海道・北見の友人がホテルに、わざわざ会いに来てくれるというので、カラスの行水ですます。『サザエさん』を見て夕食。夕食は豪華に2人1組で別々の料理で全品20品の献立。十勝牛とカニのしゃぶしゃぶ、毛カニの、土瓶蒸、たらば足、いかそうめん、ルイベ薄造、冷とろろそば等。夕食を食べていると、友人が来たので、食事がすむまで少し待っててもらった(あの時はごめん)。食事がすみ、久しぶりの友人との再会。部屋で少し、話しをして、ホテルでカラオケをした。が、カラオケボックスではなく、バーのような所だったので、最初は歌いづらかったが、4・50人が入れるくらいの部屋を貸し切っているので、気持ち良くなり時間をたつのも忘れて盛り上がる。遅くなるといけないので、10時過ぎに友人とサラナラする。楽しい時間をありがとう。

7月9日(月)晴
またまた、ホテル側の企画で、『早朝の大雪大自然散策』という事で朝の5時からハイキングする企画があり、俺も予約していたのだが、寝坊してしまう。慌てて、服を着て集合場所に駆けつけるがバスは出た後だった
→三国峠観光。二日間天気が悪かったけど今日は天気が良い。ニペソツ山などの山なみが美しい。相変わらず、添乗員をカメラマンにしてしまった。行列が出来てしまうほど→銀河・流星の滝を観光。二つの滝は別名『夫婦滝』と言われている。最初、銀河の滝(雌滝)で写真タイム。120mの高さから雄大に流れてゆく滝に、俺的には男性的な物を感じる。そして、バスガイドに連れられながら、石狩川の荒々しいせせらぎを聞きながら期待を膨らませていると、流星の滝(雄滝)。細い断崖から流れ落ちる滝に、豪快だけど、どうも女性的に見えてしまう。しかし、逆なんだよね。今の世相を表しているか・・・
→大雪アンガス牧場見学。ステーキ、いや、アンガス牛(黒い牛)を見る。腹も空いているので食べてみたいと思う
→『レストハウス上川』で、スイカ・メロンの食べ放題。元気なおじちゃんが、「食べてください」とスイカをバッサバッサと切りながら、「もうちょっと待っててね。包丁が危ないから」と言う。お客さん、今か今かと待ち切れない。手を伸ばしそうになったり、引っ込めたり・・・おじさんの「はい、よし」と、言うと、おばさんのハイエナのような手に、もうスイカは無い。そういう調子で、メロンもまたたく間に、おばちゃん連中の腹の中に。夕張メロンとなると、もう包丁で切っているうちから、手を伸ばすおばちゃんもいて・・・俺も、何とか3切れは食べたが、さすがに夕張メロンまでは手が出なかった。が、妻はちゃっかりと夕張メロンを食べていた
→昼食は『北の森ガーデン』でバイキング。かなり混雑していたが、何とかお代わりまで出来た。食べ終わったら、すぐ横のアイスパピリオンで、1902年に旭川で記録された日本最低気温の氷点下41度を体験しょうと、中に入る。防寒着を借りて、最初はマイナス20度、そんなに寒くないな〜と思い、半袖になってみると、しばらくすると、やはり寒い。氷の家とか入ったり、かわいい雪ダルマとか見ていると、あったよ。氷点下41度の部屋が。入ってみると、やはり寒い。思考能力が徐々に無くなって、指が凍るよな寒さ。気分が悪くなりそうなので、慌てて、外に出た。そして、アイスパピリオンを出て、すぐ横の身勝手神社で身勝手なお願いをした。『俺中心で地球が回るように』と。これぞ、身勝手なお願いだと思い、お願いをする。100円を入れると、神からのお告げが聞けるとというので、箱の中にお金を入れると『一日一善するように』と。やはり、身勝手なお願い過ぎたか・・ちなみに妻は『金運が良くなる』と言われた
→美しい波状丘陵の美瑛・新栄の丘で観光。行くところ、行くところ綺麗な所で、もうすでに50枚近く写真を撮っていた
→美瑛の丘の四季をつづった写真館・拓真館(前田真三氏のギャラリー)見学。日本離れした外国のような風景に感動。特に夕焼けの美瑛が気に入った。写真を買おうかな〜と思ったら、15万円だったので、諦めた。時間がまだあったので、そばの『白樺の道』散歩。白樺並木の道を一人で歩いたが、何か異国にいるような感じ
→ラベンダーのふるさと・富良野のファーム富田観光。ちょうど、ラベンダーが咲き乱れている時期で、しかも晴れ渡った青空とラベンダーの紫色がマッチしていて絶景。入り口近くでラベンダーのソフトクリームを食べている軍団がいたが。後で、俺もその仲間に加わる。花人の舎の2階の富田ラペンダー資料館で世界のラベンダーの香りをかぐが、違いがわからなかった
→帰りは岩見沢、札幌と高速を使い、千歳まで行く。札幌の方で、札幌ドームを見れたのが良かった。高速の所から、少し遠い距離だったがけど
→『北海道物産センター』で最後の買い物。会社のお土産を買う
→千歳空港で友人2人と会う、本当は一緒に北海道旅行するはずだったが、予定が合わなかったので、別々の旅行になった。友人は宗谷岬の方に行ってきたようだ。すでに写真を現像していたので、見せてもらった。日本最北端での写真が羨ましい。友人の方が早い便の飛行機だったので、少し話しして、別れる。俺達は札幌ラーメンを食べる。千歳空港20::50発→羽田空港22:25着

三日間で約1,000キロの旅行で、かなりハードな旅だったが、他の参加者の友達も出来たり、かなり充実した旅行だった。

2001年5月12〜13日のバスツアー
母の日・旅の友感謝の夕べ 志賀高原で優雅なひとときバスツアー
5月12日(土)
俺、妻、妻の母の3人、家を8時前に出発→横浜駅西口でバスツアーを受け付ける→いい天気で青空に雲がなびいている。28人の乗客をバスに乗せて、東名高速に乗り海老名SAで最初のトイレ休憩。名前に魅せられて黄金餅を食べるが、名前負けしていると思う。厚木から412号線、相模湖、甲州街道、中央道に相模湖インターから入る→途中、大月まで3キロ渋滞(事故渋滞。2台のバイクの接触事故)だが、これが今日の日程を狂わす原因になる。それでも、バスガイド、あまりに、天気が良くガイド冥利につくと感激。山なみがくっきりと見え、青空の中に浮かび上がる北信五岳に白いロウたらしたように白い残雪があり、『目のカメラにおさめましょう』と言いぱなし→諏訪の野沢菜センターでオプションで頼んでいた山菜のテンプラ食べ放題(カボチャとタケノコが美味しかった)と妻の大好物の野沢菜で昼食→安雲野アートヒルズでガラス工芸館見学。ガラスの芸術に堪能。つい、姪っ子にお土産を買ってしまう→渋滞のせいでだいぶ遅れ、ちょうど、小布施に着いたのが5時。その時間は、見学出来る施設は閉館となっており、3人で小布施の街を歩くだけ。一軒のお土産屋に入ると、外国人の店員からポップコーンをもらう。何か買わないと店を出られないかと思ったけど、皆で出れば恐くない。何も買わずにお土産屋を出た。サービスはいいが、あまり、魅力のある良い商品が置いていないから仕方がない→志賀高原・丸池観光ホテル→四川料理のコース。中華用の丸卓のテーブルで本格的。エビチリが美味しかった→ミニコンサート。フルートとピアノの演奏。『川の歌』『白鳥の湖』『子守唄』他クラッシックを演奏者が曲の注釈・音楽家のエピソードを入れながら演奏。ミニコンサートが終り、抽選会。俺が4等(信州みそ)、妻と母は3等(バラの花)が当たる。一等はツアーの招待券(ペア)だった
5月13日(日)
朝、早く起きて、丸池を散歩。空気がおいしくて、心まで洗われるよう→ホテル→信州馬刺しの里 信州中野店で、お土産の買い物→信州みそ工場見学。白樺印のみその試食する。中々美味しい→信州夢ばらの里。綺麗なバラにはトゲがやっぱりあった。でも品種改良でトゲのないバラもあった。社長の案内で、園内を歩いたが、社長の老眼が治ったというブルベーリー(一日10個食べていたら半年で0.6から1.0まで上がったという)の試食をする→佐久の『おぎの屋』で信州山菜そばを食べる→八千穂高原自然園でミニハイキング。緑の小径(2.5km 80分)を歩く。白樺林の遊歩道を歩き、クリンソウ、ミズバショウ、オオカメノキなどの草木、ウズイスの鳴き声、渓流には滝があり、歩きながら自然に触れる。心地よい汗をかく。→野辺山高原→渋滞にあい、一時間遅れで横浜到着。母は家に泊まる予定だったけど、実家に帰って行った→家に8時15到着
妻の母も喜んでもらい、大成功となった母の日の旅行でした。あと、よく、バスガイドが喋り、ガイドもうまく、充実したバス旅行となった。

2001年4月28日〜29日の信州旅行日記
春爛漫、信州花くらべ・ツアー
4月28日(土)
朝、5時に目が覚めて家を6時前に出発→横浜駅西口でバスツアーを受け付けるが、添乗員が慌てている。乗るバスが見つからないのだ。「時間厳守、時間厳守」と言いつつ15分遅れで出発→バスに44名の乗客を乗せて関越道を走る。GWの渋滞の先頭をバスは走っておりスムーズに進んだ→妙義山さくらの里(15,000本の桜を見るつもりが、例年より早くソメイヨシノは散っており、八重桜の下でカマ飯弁当を食べて花見気分)→軽井沢・摘みたてイチゴの食べ放題(食べ放題と聞いて大きなイチゴを木から摘んで食べるかと思ったが、食堂らしき所で皿盛りの小さなイチゴを食べる。少し期待外れ。それでも、そんなイチゴを食べたい奴がいた。他のツアー客で豪華な弁当が、ちゃんと用意してあるのに、通りすがりに、皿に乗せて持っていこうとする奴がいて、他の添乗員から「持っていかないで下さい。皿を返して下さい」と注意されている)→更級チューリップ(バスを駐車場に入れずに路上駐車してチューリップ畑を見る。色が艶やかで綺麗だった。畑の中に入れば500円取られると、バスガイドが(実は時間節約の為)に言っていたので乗客は意地でも中に入らないようにしていた)→善光寺(善光寺は、一生に一度は行かないと、極楽には行けないとバスガイド説明。それなら、外人は極楽には行けないのか・・・『信州限定のまつたけ味のカール』と『おさつ事件』と名がついている有機栽培のおさつチップスを買う。バスの中で食べたが、バスの中は、まつたけの匂いで充満)→戸隠高原・高原に咲く水芭蕉鑑賞(遊歩道を15分のミニハイク。咲いていたが、水芭蕉を知らない人には、ただの浅い沼を板の上で歩いているかのようだった)→北志賀高原(まだ雪が残っており、スキーも出来るようだ)→12月にリニューアルしたホテルホゥルス志賀高原宿泊→標高1580mの光明石温泉の露店風呂。失敗して先に髪を洗ってしまい、冷たい風が当たり露店風呂は寒い。それでも、風呂から眺めるケレンゲは綺麗たった。夕食は牛すきやき鍋と山菜御膳→妻とホテル内のカラオケボックスでカラオケ。古い曲ばかりだったので、俺はチャゲ飛鳥の『万里の河』や、千春の『季節の中で』やサザンの『チャコ海』を歌う。しかし、妻が『関白宣言』を歌ったのには驚いた
4月29日(日)
朝、5時に目が覚めて、ホテル周辺(スキー場)を散歩。6時頃になると、一の瀬スキー場にて、ゾロゾロと滑りに出す人々がいる。少しスキーをやってみたくなる→ホテルに戻り朝食はバイキンク→オプションに観光を希望していたので、午前中は観光オプション。丹霞郷から観光→花の郷牟礼・丹霞郷にて桃の花鑑賞(まだ観光スポットには新しくバスガイドも運転手知らない、添乗員でさえも初めて。民家の間をバスは抜けないといけない為に、バスは路肩に路上駐車。添乗員と歩きながらむ、民家を歩いていると、ちゃんとバスが止まれる駐車場があったりする。後で聞くと、畑の持ち主が駐車場に提供してくれたらしい。何が起きるかわからない。民家を歩きながら、桃畑を目指すのだが、添乗員と道に迷いながら、ミステリーツアー気分を味わう。桃の花が見れるのかと心配になりながら歩くと、一面に桃の花。薄紅の桃が綺麗で、心の中が浄化されてゆくようだった。丹霞郷は洋画の巨匠の岡田三郎助が、一面の桃畑を見て「丹い霞がたなびいているようだ」と言ったのに名付けられたようだ。)→葛飾北斎ゆかりの地、小布施にて北斎館を見学。時間の関係で北斎館しか回れなかったが、お馴染みの富岳三十六景に感激。30分では小布施の町はまわりきれない→岩松院を参拝。天井絵『八方睨大鳳凰図』では、バスガイドに言われたように寝て鑑賞。迫力があった。ちょうど、桜まつりだったので、縁日風に露天が並び、妻はバナナを一本買おうとしたら、売り子から一本、只でもらい、俺は振る舞い酒を飲む。そして、匂いにつられてヤキトリも食べてしまう。蛙合戦を見ようとしたら、小屋に引かれて石段を登って行くと『福島正則公霊廟』だった→信州馬さしの里ビアンデ信州中野店で信州名産の昼食・信州そば(食べ放題)と栗おこわ御膳で昼食。信州ソバを食べるが不評。ある客は「横浜の立ち食いソバの方が美味しいそう」と→もう一度、オプションで観光を希望をしていない人達を向かいに志賀高原のホテルに。時間があったので、ホテル内の麻雀ゲームをしていてたらドンドン勝ち、小三元をツモる。調子に乗ってきた時に妻から携帯。「バスに早く戻ってこい」と。後ろ髪に引かれながらバスに→飯山・菜の花公園、東小学校の校庭を抜けると、菜の花が一面に咲いていた。放送から「菜の花」「もみじ」「雪やこんこん」と昔、小学校の音楽で習った曲が流れて、昔に戻ったような、童心に戻ったような懐かしい気分に→帰りは、黒田ふるさと交流館・小諸インターでトイレ休憩し、三芳のドライブインでは、お握りとコロッケを買い、バスの中で食べる。所々で渋滞に合う。気を紛らわす為に、バス内ではビデオ鑑賞会となり、『サラリーマンしま専科』に爆笑→横浜到着→家に9時30到着

20001年4月14〜15日大阪旅行
4月14日(土)
8:00羽田空港(モーニング娘が空港にいた。同じ飛行機らしい。だが、マスクやサングラスで変装をしているが、集団でかたまっているのでバレバレ)→9:15関西空港→ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
アトラクション名待ち時間一言コメント評価
ターミネーター2・3D40分プレゼンテーション・エリアに入るな案内役のハイテンションのお姉さん綾小路麗花のお客いびり毒舌が最高。「どこから来たの? 東京からっ。東京って都会だと思っていたけど、貴方を見ていると田舎なね」とか「貴方、顔も悪いけど頭も悪いのね」とか次々と客に毒舌を言い、客を引かせてしまう。次のステージの部屋に入ると、映像と舞台のでのアクションが物凄い迫力。ただ、途中、画面の中にオートバイが入るシーンで、システム上のトラブルでバイクが入れずにショーは中断になり、ショー途中で全員、外に退室されて、もう一度最初から観る事になった。しかし、今度は並ばないで、もう一度、綾小路麗花の毒舌から聞く事になった★★★★
バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド30分デロリアンに乗っている時の振動が激しかった★★
バックドラフト30分第1ステージでバックドラフトの監督のロン・ハワードが炎の中での撮影秘話を語る。第2ステージでは、消防車が到着するという模擬収録を見学。最後のステージは化学工場か大火事に。燃え上がる炎、爆音、熱風か見学者を襲う。そして、天井が崩れ落ちそうに・・・ラストはかなり驚いた。まさか後は安全と思って観ていたのに・・・★★★★★
ウォーターワールドなし野外の舞台で繰り広げられるアクションが凄い。水上バイクのチェイスがあり、爆発、炎上。お馴染みの壁を突き破って飛行機が飛び出してくるシーンは、客席まで突撃っ込むのではないかという程の迫力満点。かなり楽しめた。でも、あのウェーブの練習は何だったんだんた★★★
E.T.アドベンチャー予約で観た(本当なら50分待ち)サイクリング車てETの故郷を旅する。月に自転車のシルエットが写しだされたり、最後にETから自分の名前を呼んでもらえたりる。少し、東京ディズニーランドのカリブの海賊みたいと思う★★
ロッキン・ミッドナイト・モンスターフェストなしまさかYMOCが出るとは思わなかった。また、意味のないウェーブの練習をさせられた★★
ジョーズ30分人喰いサメと、水の恐怖。よく濡れた★★★
シェラシック・パーク・ザ・ライド0分ジャングルをボートで巡るアトラクションだが、巨大な恐竜がリアル。最後のボートごと滝に落下(25m)は頭までビッショリなる★★★★
ハリウッド・マジック8:00〜湖で展開される花火とアトラクション。フランケンシュタイン、キングコング、恐竜が出現し面白かった★★★★
評価 ★見なきゃ良かった ★★面白くなかった ★★★まあまあ
★★★★けっこう面白かった ★★★★★最高!

昼食は『KWBB』で、ハンバガーを買って、サラダで自分の好みでトッピングして食べた。何かピカイチでも、やっていたらしい。夜は『彩道』(唯一の日本料理)で、牛すきやき鍋定食を食べた。
ユニバーサルにいるのに、どうも、東京ディズニーランドにいるような錯覚を起こしてしまったが、中々、楽しめた。それにしても、この時期(オープンしたて)空いていたので、この先、心配なのだが・・・ →ホテルコンソルト
4月15日(日)
ホテル→なんばグランド花月
出演者名一言コメント評価
ビリジアン新人。ボケとツッコミの基本に忠実すぎて・・・★★
サウンドコピーサウンドコピーが「何か、鳴き声の物真似のリクエストはありませんか?」に妻が「キリン」と大きな声で言ってしまい、「出来るか」と突っ込まれた。そして、さすがプロ。最後の画面に映し出される湾岸戦争のサウンドの真似は絶賛★★★★★
ハイヒールモモ子の旦那は偉い。平日は会社で働き、土・日は子供を観ているからの発言に、妻は俺の顔を見て意味あり気にニャリ。それにしても時間オーバーで漫才。得した気分★★★★
トミーズテレビで見るより、雅の顔がデカイ★★★★
月亭八方漫談★★
西川のりお・上方よしお上方よしおが遅刻してきて、途中から出演。★★★★
中田カウス・ボタン以前、観た事のあるネタ。それでも同じように笑えた★★★★
吉本新喜劇島木譲二のパチパチパンチが一番盛り上がった★★★★★
→『千房』でお好み焼き(ミックス、スタミナ)を店員に作ってもらいレモンサワーを2杯飲む。あと、野菜サラダ、枝豆、どて焼きを注文→よしもと なんば競馬場。競馬のコインゲームを楽しんだのだが、そろそろ空港に向かわないといけないのに、ボロ勝ち続け、隣りでゲームしているカップルに500枚近くコインをあげる。喜んでいた→17:30伊丹空港(荷物検査で引っかかる。バックに小さいカッターが入っていた。今まで、沖縄もこれで通ったのに、なぜ今回?)→18:35羽田空港

2001年3月23〜25日沖縄旅行

南国の楽園沖縄ツアー旅行


3月23日(金曜日)
8:30に妻と家を出る。羽田に向かう京浜急行にて、事件。通勤ラッシュの満員電車にもかかわらず、一人のオッチャンが吊り革を2つも使っていたので、妻が吊り革に捕まれずに難儀した時に、オッチャンのポケットに妻の指が当たり、ポケットに指が絡んでしまった。すると、オッチャン、狂ったように、妻をスリ呼ばわり。お前が吊り革を占領しているからだろうが…そんな常識知らずオッチャンのせいで、せっかくの旅行ウキウキ気分が台無しになったようだ→羽田に着き、友人と会い、ツアーの集合場所に行く。沖縄行きのチケットを貰い、早速、飛行機に搭乗。羽田空港(10:50発)けっこう渋滞していた。機内放送で『五番目に離陸します』と。大画面を見ると、前には飛行機が飛べずに、数機の飛行機が順番待ちをしていた。初めての渋滞経験だった。これは今日、宇宙ステーション『ミール』落下の影響かなと思ったが、最近は頻繁にあるらしい→那覇空港(13:35着)に。さすがに沖縄は暑い。ジャンバーを着ていたがTシャツでも良いくらい。24度あるが、風があるので過ごしやすい。俺たちのバスは3号車。帰りの飛行機の関係でスケジュール変更。今日は沖縄本土南部観光。戦争関係の観光となる為、沖縄に着てウキウキ気分を水をさされる。バスガイドが沖縄戦の悲惨さを暗く話し始める→平和祈念公園、沖縄戦等で亡くなった人々の氏名が刻みこまれた記念碑。コンセプトが『鉄の暴風の怒涛が、平和の波となって、わだつみに打ち返し行く』らしい。かなりの刻銘板が戦争の激しさを物語る。名前の数だけ死体があるという事だから→ひめゆりの塔。バスガイドの防空壕の説明を受けて、平和祈念資料館を見学。ひめゆりの学生の「真相を知らずに、戦場に行った」という生徒の言葉に、戦争の悲惨さに心が暗くなる。あの当時の教育の恐さを感じる。人を戦争の駒だと考え、幼い生徒を戦場に向かわせたのだ。つい、沖縄戦の『衝撃の記録写真集』を買う。かなりの悲惨な写真集だ→琉球ガラス村で、200円のクジをして、シーザの陶器(4等)が当たる→本日の最後は『琉球の館』織物が展示してあるが、お土産屋の印象が強い→バスの中で、ちんすこうの試食しながら、『かりゆし琉球ホテル那覇』に。ホテルの料理は和琉バイキングで、沖縄ソバ、ゴーヤチャンプル、ミミガーピーナッツあえ、サイコロステーキと共にオリオン生ビールを飲む→夜は妻は体調が悪く一人ホテルで寝て、自分はライブハウス チャクラに行き、喜納昌吉のライブで楽しむ。昨日までラスベガスに行っていたので、久し振りのライブだったらしい。トークの方は沖縄弁(?)で口調が早く、戦争が嫌いでギャンブルが、好きぐらいしか分からなかったが、『花』『ハイサイおじさん』を聞きながら、泡盛を飲む。かなり盛り上がった。ウケたのは「俺は右翼でも左翼ない、仲良くだ」のシャレ。泡盛り2杯飲んでご機嫌。そして、妻にも聞かせたいと、CDを買った。そしたら、レジを打ってくれた人が、サインを貰えるから少し待っていてと言われる。少し待っていると喜納昌義吉が来て、サインをもらったのだが、途中で、ペンが止まったようたったので、自分のサインを間違えたようだった
3月24日
真夜中に、部屋が少し光る。沖縄戦の亡霊かなと思ったが、カミナリが鳴り、豪雨となった。少し怖くなる。→朝はバイキング料理。7:45に集合なので慌しく食べる→今日は、あいにくの雨。かりゆし琉球ホテル那覇→琉球村のニライカナ劇場にて、『エイサー』見る。無理やり観光客を立たせて、手を上げさせタイコに合わせて沖縄の踊りを踊らせられたが、楽しかった。見様見真似だけど、沖縄伝統に接した気分。琉球村では昔の沖縄の家を再現。旧花城家、旧玉那覇家とか、パンフレットにあるように、のどかな家並みに昔にタイムスリップしたような気分。ハブセンターでは、ハブショーを見る。白衣を着たおじさん(博士)の絶妙な口調の司会がおかしい。幻のヘビを客席に投げようとして、観客を驚かせようとする。ドリフばりのパフォーマンス。ハブに、かまれると数時間後には赤黒く腫れあがり、ワクチンを接種しても切断しなければならないという。痛さは、200度の鉄の棒を押し当てたような痛さが、24時間も続くという。死んだ方が良いような痛さだと、説明。→万座毛では、バスに乗ったら雨が降り、ハスから降りたら雨が止むという幸運。でも曇りだったので、景色も半減されたようだ→名護パイナップルパークでは、パインカステラ、パインケーキ、干パイン、パインパイ、そしてパイナップルの試食で完全にパイン漬けされる。さすがに頭からパインの木が生えてこなかった→バスは一時間ほど走り、辺戸岬のレストハウスで『ちどり琉飯』を食べる。ダシ汁を釜で燃やしている鍋、ご飯の入った器、具の入った器、何も入っていないご飯茶碗、その4つをどう使って食べれば良いのか、皆、困っている。店員さんが来るまで、皆で思い思いにウンチク合戦。結局、お茶漬けのように、ご飯をご飯茶碗によそい、具を入れて、鍋のダシ汁をかけて食べるようだった。中々、二日酔いには美味しい。ご飯を食べ終わり、外に出ようとしたら凄い雨。そんな豪雨なので、岬の先まで行こうとする人はいない。折角、ここまで来たの。お土産屋で、少し待ち、雨が小降りになったようなので、『祖国復帰の碑』を見に行くが、また雨は強くなる。雨は傘を差していても、背中とスボンを濡らす。それにしても凄い雨。やっと、祖国復帰の碑までたどり着く。レストハウスを見ると、ゾロゾロと傘を差して俺たちの方へとやってくる。しかし、晴れていたら与論島が見えるというが、勿論見えない。しかたなく、レストハウスに戻る。バス発車の集合時間になると、雨はウソのようにパッタリやんだ。雨におちょくられたようだ→またきた道を戻るようにして、海洋博記念公園に。電気観覧車(満員なのに、まだ人を乗せようとする運転手だった)に乗り『エメラルドビーチ』に行く。シーズンではないので、遊泳禁止。青海苔がビーチに上がっており、汚かった。とても泳げない。4月から海開きだそうだ。『オキちゃん劇場』を途中から見る。イルカのショーだが、よく調教されており、けっこう面白かった。子供が舞台でエサを上げようとしたら、水がかり濡れてしまっている。イルカのハイジャンプ写真を撮ろうとしたが、シャッターチャンを逃す。次は南太平洋の海洋文化館に行く。カヌーや舟が展示されている。期待したけど、イマイチだった→やんばる亜熱帯園にて、ヘゴの小判状の紋を触り、金運が上昇するというので、夫婦でさわりまくる。園内を見学してサトウキビのアイスクリームを食べるがマズイ→かりゆしビーチリゾート恩納。ホテルに着いた途端、妻がホテルの豪華さに感激。部屋に荷物を置き、『全国初 リゾートホテル内パチンコ店』のチラシに釣られて行くが、夫婦で千円づ負ける。夕食は、和・洋・中・イタリアン・バーベキューの中から選べて、友人夫婦とバーベキューを選択。サンセットガーデンのビーチを目の前にして、牛ロースが美味しかった。友人達と楽しいひとときを過ごす
3月25日
朝食は昨日のビーチで洋食のバイキング。オムレツを目の前で作ってもらい中々の味。かりゆしビーチリゾート恩納→プラザハウスショッピングセンター→守礼の門・首里城跡→那覇・国際通り自由散策4時間。第一牧志公設市場で、食材を買って、2階で料理してもらおうと考えたが、市場は今日は休みだった。『ひょうたん』という店で沖縄ソバを食べた。麺のコシがカップラーメンのようで美味しかった。ソバを食べていると、一人の観光客がやってきて「団体、一人」と。友人とかなり笑ってしまった。そして、三越の斜め前で、アンディーフグもしてもらったという、米粒に文字を書いて、ストラップやネックレスにしてもらう。自分も妻とペアで二人の名前を米粒に書いてもらい携帯のストラップにしてもらう。その後、お土産屋を何軒も回り、国際通り端のパレット内にあった『沖縄逓信博物館』でネットをして、沖縄県庁前の集合場所に戻った→那覇空港(16:45発)→羽田空港(18:55着)。かなりのお土産の荷物。横浜は寒かった。しかも、雨。雨を追いかけて戻ったのか。
今回は、バスガイドさんが、よく歌う人だった。少しオンチだったが。しまいにはポンキッキの『ゆいまーち』まで歌い、乗客に、『ここは沖縄〜』の後に、皆で『ゆい』と言ってくれとお願いして、歌い出す。うまくかけ声が出来てバスガイドも気分よく、歌っていたのだが、途中、妻がかけ声を魔違えて、『ゆいゆい』と言った後に『ゆい』と言ったので、バス内は大爆笑。ガイドも笑いながら歌うしまつ。中々、面白い旅行だった。

2001年1月28(日)日〜30(火)日鹿児島帰郷日記
1/27(土)
鹿児島に夫婦で帰ろうと、朝早く目が覚めた。昨日の天気予報の通り、雪になって積もっていた。これは早く出発した方が良いと思い(9:30の便だけど)、6:30に出発。バスも電車も走っていたので、これは飛行機も飛ぶなと安心していたら、羽田空港に着いたあたりから、雪はドンドンと降り出してきた。早速、搭乗口に入ると、荷物検査に引っかかる。自分はナイフを持っていないと思っていると、ポケットにウォークマンが入っていた。8:30、雪はやみそうにない。9:00、やみそうに無い。搭乗口を確認していると、親切に空港の職員が案内してくれた。しかも「9:30の鹿児島行きは欠航だよ」と、恐ろしい事を言われる。9:20、隣りの沖縄行きも、まだ搭乗していない。嫌な予感。雪はやみそうにない。しかも、更にヒドク降っている。地面が真っ白。9:30、出発時間だが、まだ飛行機すら乗れない。焦っているお客さんが、搭乗口に居る係員に説明を次から次に求めている。係員は笑顔で答えるが、こうも何人も同じ事を聞かれると、笑顔が引きつってくるのがわかる。9:30、10:00過ぎになったら欠航か出発かが、わかると係員が放送するが、10:00過ぎても説明は無い。10:30頃に沖縄行きが欠航になる。雪は相変わらず、シャレにならない程の降り様。10:45、11:00になったら、欠航か出発かの判断をすると放送。時間延ばしの様。欠航が決まったのが、12:00前。ついに帰れないとわかった瞬間、ガックリする。雪は更に降り続け、地面も除雪しても無駄なように思えてくる。昼からの便の空席待ちを期待する。今日はホームページで知り合った人たちのオフ会もあったので、ぜひ帰りたいのだ。隣りのおばちゃんも、鹿児島で同窓会で帰りたいようだった。明日の同じ時間を予約しつつ、今日の空席待ち。昼はハヤシライスを食べて待ち続ける。雪は相変わらず降り続いている。空席待ちしている2:00の飛行機も欠航。これでは、もし夜まで待っていて、空席が取れなかったら、横浜の家まで、帰れなくなると懸念し、ついに諦める。神奈川県では大雪警報も出ている。そして、未練を残して、雪の中を帰るのであった。

1/28(日)
今日も雪。積もっている。雪が溶けて、凍っているので滑りやすい。妻と自分は、滑らないように、ゆっくりと歩く。が、階段の所で、「滑りやすいから、気をつけて、ゆっくり歩けよ」と言った途端、滑って転んだ。しかも、二度も。通常の三倍の時間をかけて、駅まで行き、羽田空港に。空港では、親戚の叔父夫婦がいた。偶然、昨日、自分達が乗る飛行機が欠航した為に、一緒になってしまったのだ。飛行機は30分遅れで出発。鹿児島に着き、バスで1時間弱かけて、鹿児島市内に。鹿児島の繁華街の天文館で白熊(かき氷)で有名な『むじゃき』で昼食。そして、バスで、祖母の病院に行き、お見舞いする。叔父夫婦が看護すると言うので、叔父夫婦と別れて、自分達は実家に。妻は一年振り、自分は三ヶ月振りに両親と会い、弟夫婦がやってきたので、弟と将棋対決をする。疲れているためか、3連敗。そして、夜は弟夫婦に送られて、鹿児島サンロイヤルホテル(今回のツアーにつけたのだ)に泊まった。

1/29(月)
朝、早く起きて、ホテル内の展望温泉に『ブルースカイ浴場』に入る。桜島を一望できる為に、ゆっくりと湯船に浸かっていると、桜島と一緒に風呂に入っているような錯覚を起こす。朝食はバイキング料理で、中々の味。つい、腹一杯食べてしまう。ホテルで自転車を借りて、サイクリング。『坂本龍馬の新婚の碑』を見て、セブンイレブンで手袋の替わりに軍手(自転車を漕いでいると手が冷たくなるので)を買う。甲突川を上流に向かって漕いで行く。夫婦2台の自転車で、快適なサイクリング。友人の家に行くが、あいにく留守。しかたなく『維新ふるさと館』に行く。今回で3回目だが、幕末は飽きない。今回は「西郷さんを語るテープ」を聞く。モロ鹿児島弁で、西郷隆盛の義妹の岩本トクさんが話すので、字幕入で見ないと、鹿児島出身の自分でもわからない。維新体感ホールで立体ドラマを観て、天文館に向かう。『餃子の王将』(一応、チェーン店だが、鹿児島の王将は味が違い、本格的に美味しい)で、天津飯と空揚げを食べる。鹿児島に帰ってくる度に食べたくなるので、嬉しかった。『DrOPs』(スヌーピーの専門店)で、妻がスヌーピー好きの友人にお土産を買う。『いわさきホテル』の喫茶店で働いている友人に会おうとしたら「そういう人はいません」と店員に言われた。自分の勘違いだったのか? 喫茶店で、ジンジャエールを妻と飲んでいると、ピッチが鳴った。ネットで知り合った女性と後で会う事になる。照国神社で初詣(?)、お参りして御神籤を引く。自分は大吉だったが、妻は末吉。妻の恋愛の欄に『良い人だが、危険』に、自分は複雑な心境。サンロイヤルホテルに自転車を返す。半日のサイクリングに、二人とも尻が痛くなる。ネットの友人との待ち合わせの時間が近くなったので、タクシーで某所のマクドナルドに。ドキドキしながら会い、家まで招待され、二時間ぐらい話す。旦那さんに実家まで車で送ってもらった。妻と弟の嫁さんが、晩御飯の料理を作るというので、自分は邪魔にならないように、パチンコ屋に。五千円負ける。晩御飯は、両親、自分達夫婦、弟夫婦、甥っ子、叔父夫婦で大宴会になった。

10/30(火)
実家から祖母の病院にお見舞い。その後、近くのパチンコ屋で夫婦でパチンコしたら、自分だけ勝利。旅先での賭け事は調子が良い。天文館で会社のお土産を買い、ラーメン専門店の『こむらさき』に。細麺で、トンコツスープが美味しかった。そして、鹿児島空港に。ここでも、偶然、叔父夫婦と一緒になった。しかも、飛行機はポケットモンスターの飛行機。近くにいた子供達が「ポケモンの飛行機だ」と、喜んでいたが、何のことはない。機内では、頭のシートとスチュワーデスのエプロンがポケモンだった事だけだった。自分も期待した分、損した気分。羽田空港に着くと、雪は嘘のように溶けて、いつもの関東に戻っていた









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