宇宙の果てを考えるのには、まず『死後の世界』を語らないと始まらない。
この宇宙の果ては、死後の世界だからだ。
おそらく、この地球を飛び出し、太陽系を飛び出し、どんどん地球の果てに向かっていくと、必ず水の塊のようなものにぶつかる。
人が死ぬと一気にその水の塊に近づいていくのだ。
それをかわりやすく言えば『三途の河』とも言うが。
ヨーロッパの伝説にも「生と死の世界が、川や湖、海でさえぎられている」という信仰がある。
しかも交通機関・除法伝達の発達していない古代に、「死の世界」というイメージが仏教国にもキリスト教にも同じように認められていた事は不思議だ。
同じ人間である以上、「死」に対する感覚は共通したことが認められ、そこから派生するイメージも結果的に似通っているという考え方もあるが。
日本のある地方では、死者を入れる棺桶の事を『フネ』という所もある。
このフネは勿論、宇宙船の事だと思う。
人間はいつかは死ぬのだが、それは宇宙の果てのその向こう側の世界に行く事だから、別に死というのはたいした事ではないのかもしれない。
寺山修司だったか、『人間というのは不完全な死体だ。死ぬことによって完全な死体になる』と言っている。
徐々に生ものは腐っていくが、人間もシワが出てきたり、脳細胞もどんどん死んでゆく。
まあ、結論として人間は死んだら宇宙の果ての向こう側にある『死後の世界』に行くという事だ。
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