ショート・エッセイ集


『批判』

自分が行動をしているかどうは分からないので、こんな事を書く資格はないかもしれないけど、
行動していれば、人間は何らかのミスを犯したり、誤った判断を下したりする場合もあり、批判をこうむりやすい立場にある。
でも、行動は、今よりも少し一歩先に進む、進みたいという意思の表れではないだろうか。
それに、心の中では、そんな批判も承知の上で行動しているのでないか。
そんな事は行動する人には充分分かっている。
あるいわ、あまり分析もせずに曖昧な批判で行動する人の足を鈍らせようとする。
そんな事すらも分からずに、行動しない人は批判をし続けているような…
何もやったことのない人間は、行動の過程すら分からない。
そもそも行動しない人間というのは、行動する勇気もないか、無能すぎて行動できない人間ではないか…

『一言主張』

金が無い人ほど、阿呆である。自分で稼ぐ頭がないのである。
オシャレに気合いを入れても、他人はそれほど見てはくれない。一番いい例は、今の女子高生である。
本当に恥ずかしい事は、自分でも気づかない事だ。
学歴は人に妙なエリート意識を持たせ、妙なコンプレックスを持たせる。
読書は文字とのコミュニケーションである。
勇気はせっぱつまらないと出せないものだ。
世間は偏見の塊り。ちょっとでも、新聞紙上を悪く賑わしたら「はい、貴方の人生はおしまいです」と宣言させる。
他人を疑い過ぎると、自分の道を閉ざしてしまう。
幸福の半分は恋愛問題である。
また、後の半分はお金である。
正論とは、強情な押し付け意見である。何でも、正論と言えば筋道が通ると思っている。
悩みとは精神を鍛える感情である。後で考えてみると別に大した事のない問題である。
時として、死ぬ度胸が無いから、今を楽しんでいる時がある。
クズな奴はクズを理解した時に、クズから脱出出来る。
今の若者がキレやすいのは、自分を表現しようと思っても、相手に納得させるだけの力が無いからだ。
弱い者に当たる。これがイジメの原点。
ストレスの原因は一見、他人が作っているようだが、実際は自分が作っているのである。心の持ちようでストレスは軽減出来るのである。
この会社が嫌だと言っても、次の会社もそれ以上に嫌に見えてくる。現状を自分で打破しないと、次が見えてこない。
礼儀とは、相手に最低限の好感を持たせる知恵である。そういう礼儀も知らずに、友達が欲しい人がいるとは…
結婚記念日は夫婦の誕生日。二人をつなげる子に血の伝説を語る時、幸せが記憶に刻まれる。
国と国との喧嘩は、人の命が粗末に扱われる。人が人を殺せば犯罪。国が国を滅ぼせば英雄。『大量人殺し』を『戦争』という言葉に置き換えただけなのに。
出会いがあるから、別れがあるのか。別れがあるから、出会いがあるのか。人生の長い道のりに、ちょっとした偶然。その時は気がつかなくても、いつかその時に大切さがわかる日が来る。
「青春時代は二度と来ない」と言われるが、「老年時代も二度と来ない」のである。しかし、どっちが大切かといえば、老年時代である。若者の失敗はまだやり直す時間とチャンスはあるが、老年には余り無い。その意味では老年時代が大切だと思う。それ以上に、「人生は二度と無い」のである。
神が人間に教えてくれたのは、ただ一つ。誕生である。たいがい赤ん坊が生まれる日を予想できる。予定日である。が、その赤ん坊が成長し、どのような人生を歩むか、神は教えてくれない。しかも、死ぬ日さえも教えてくれない。
神が人間に与えたのは不平等だった。顔、身体、環境、人生、運、それぞれの人間に、それぞれの不平等を与えた。自分が望んでいないのに、歪な顔だったり、貧乏な家庭に生まれてきたり… ところが、唯一、神が人間に平等を与えた。それは、時間だった。一時間は一時間という時間だった。使い方は個々に違うが、神様は人間に時間という平等を与えた。

『存在』

死んだらどうなるのか? 自分の魂はどうなるのか? 今はこうやって、色々と考えているけど、死んだら、当然、今の肉体に魂は宿る事は出来ない。肉体は徐々に腐敗し、脳も死んでしまい、考える事すら出来なくなる。自分の魂は、今の肉体の脳、それまでの人生の経験から得た知識から考えていると思ったら、脳が無くなったら、自分の魂はどうなるのだろうか。わからない。俺は何なんだ。死んだら、永遠に考える事は出来ないのか。いや、その前に、俺が生きる前の俺は、どうやっていたのだろうか。今、確かに、俺は存在している。存在を、魂が考えているという風に、わかりやすいように置き換えているが、俺は本当に存在しているのか。今、俺は、どこで自分が考えているか。俺の魂の存在のありかを探っているが、自分の事でありながら、全くわからない。俺はどうかしているのか。こういう事は、皆、考えているのだろうか。考えている人がいたとしても、同じような考えているのだろうか。俺が、そう言っているから、似たような事を考えていたとしても、同じ思考だと言われても確かめようが無い。逆に、他人の思考が合理的で真理をついていても、確かめようがないのだから。

『ひとでなし』

人から信用されなくなったら終わりだ。そういう事がわからない人がいる。困った奴らだ。絶対に治りようのない身体的欠陥を平気で言う人、どうしょうもない。思った事は何でも言い、人が傷つくという事がわからない奴らだ。こういう人達は信用できない。人の弱みがわからない人達だから、一度、その人達に弱みを見せると、つけこまれる結果になる。

『自然体』

自然体が一番良いではないかと思うようになった。他人の目を意識し過ぎて、失敗した例はかなりある。他人の意見を聞き過ぎて、身動き取れなくなり、自分が苦しむ。損している。うまくやろうとして、意識し過ぎて、自分でない自分が行動を起こすと、結局、自分の本来の実力を発揮出来ない結果に終わる。人生は他人の為にあるのではないと、わかっているのに。自然体でやるのが、本来の自分になれるのでないかと気づいた。人間関係でも、他人がどう自分を見ようと、かまわない。わがままな独りよがりの考え方でもかまわない。それが、俺なのだから。

『勘違いするプライド』

プライドとは、自分を守る為で、相手を軽蔑するシロモノではない。何となく勘違いしている人がいる。「俺か、俺が」と、ちっぽけな栄光を、さも人から尊敬されるのは当然だと言われがたい為に、プライドをちらつかせる。自慢ばっかりしても、口ほどの事もなく、かえって道化者にしか見えない。お笑いだ。自分がこういう能力があると言っても、その相手がその人以上の能力を持ち合わせていたら、安っぽい威勢にしか見えない。

『妬み』

妬み程、タチの悪いものはない。妬む対象者が別に悪いことをしているわけではないのに、ヒドイ仕打ちを受けたりする。妬んでいる本人が悪い。妬みは、劣等感から生まれる。その事に、本人は気づいていない。自分に持っていないモノを相手が持っていると、劣等感が生まれ、妬みが生まれる。それを、プラス思考を持っていれば、その相手をライバルとし、ライバルを追い抜こうと努力する。が、マイナス思考者は、相手を完全に敵とみなしてしまう。だから、相手が迷惑がる事を平気でしてしまう。しかも、それが、卑劣な行為だという事に全く気づいていないのでタチが悪い

『大人』

「親孝行とは…」と考えるように心に余裕が出来た時に、人は大人になれる。年齢では立派な大人でも、まだ子供のような幼い大人が多い今日。親について考えられると言う事は、他の相手についても考えられるという事だから…

『人生とは』

人生とは死との恐怖と戦う事である。死とは生前残しのが全て無くなるという感がある。それだから、生前に沢山のモノを残そうとする欲がある。食欲が出来るだけ生きたいという欲、性欲は自分の子孫を残したい欲、物欲は生きている間は死を忘れ楽しみたいという欲、名誉欲は自分が死んでも名前を残したいという欲だ。墓も、生きている人と亡くなった人との接点を持とうとする心の表れだが、死者にとっては自分が生きている証しを残したい気持ちもあるのかもしれない。

『宗教』

宗教とは営利目的で作った代表者への奉仕。奉仕する事で、自分自身を鍛えていると錯覚してしまうもの

『大人』

大人とは、自分の生き方を見つけ、それに責任を持てる人、それでいて子供心を忘れないでいる人である。そういう大人が少なくなっている現状で、子供心とは、冒険心、希望、夢である。明日が見えているかである。

『恋愛』

恋愛とは相手を束縛する事。会う回数・会える時間が愛情の度合いである。その反面、結婚とは相手の時間を大切にする事。大人同士の付き合いではないと出来ない事である。同じ人生の道を歩んでゆくパートナーとして時には親友、時には恋人、そして相棒として生きてゆくものだ。老後、お茶を飲みながら、一言一言に時間をかけてポツリポツリと会話する。目と目の会話。一言に十の意味を込めても、わかってくれる。最高の心友。

『恋愛と結婚』

恋愛とは、二人でするもの。結婚は二人以上でするもの。その以上とは、赤ちゃんや相手のご両親、親族の事だ。

『育児され論』

大人になって、やっと親の有り難味がわかってくる。親孝行、したい時に親は無し。親の愛情は徐々に自分と言う人格が形成され、それが完成なりそうな時に気づくものかもしれない。自分の親は放任主義だ。が、それは裏を返せば、子供を信じていなければ、それは出来ない。前に親に結婚相手を紹介した時に、自分の親は一発OKだった。「お前が決めた人だから」と。子供をどれだけ信じられるか、俺にはわからない。信じてやる行為こそ、愛ではないだろうか。愛とは、その子供に伝え続けなければならない。それが、先祖、親への恩返しになる。そして、愛を伝えたら、その役目が終わり、親と一緒の墓に入る。同じ愛を伝えたもの同士、一緒に永遠に。仕事の後輩指導も一緒だ。後輩を信じてあげなければ、いつまでたっても仕事を覚えてくれない。仕事は盗んで覚えるものだが、親の愛も子供に与える躾、知識、考え方等を行動で見せて、考えさせる事も必要である。与えるだけが愛ではない。何も与えない、子供本人の頭で考えさせる事も愛の一つだと。自分の親から教えられたような… 本当の親の愛は大人にならないとわからないのかも…

『毒』

手書きで書いていると、自分の毒がなくなってきている事に気づいた。毒とは機械で作るものだ。俺にとっての毒とは機械(パソコン)産なのだ。自ら毒は作れないので、フグではない。毒蜘蛛、サソリというよりも、薬物の感がある。薬物自体を人間の身体に入れないと害は無いが、砒素を入れると英雄ナポレオンでさえ死んでしまう。小説、エッセイもただ読んだだけでは、害にはならない。一旦、自分の頭の中に入れて、考え方がその毒で影響された時に害になるのだ。俺は毒作りに励んで、パソコンを打つ殺人鬼かもしれない。

『花火』

回転花火。大抵は一ヵ所から打ち上げられ、それを皆が見ている真夏の風物詩。これを回転寿司の様に、東の空には打ち上げ花火、西の空には仕掛け花火、北にはナイアガラ、南の海上には水中花火。どこを見ても花火パノラマ。贅沢な気分になるけど、主催者の皆さん、どうでしょうてしょうか?

『理想のホステス』

二十代前半は、クラブとかパブとかに行けば、恋愛疑似体験で、男と女の会話を楽しんだものだ。血液型の話し、好きなタイプの異性、人生観等で話しが盛り上がる。ところが、二十代後半になると、大抵のホステスの考えている事が見えてくる。つまり、ホステスがやっている水商売に対しての考え方が。男目当て、男が握っている財布目当て、仕事が無いから何となくやっている等。元々、仕事にプロ意識の無い人は嫌いな俺なので、あまりにもふざけたホステスには、あえて意地悪して嫌われる客を演じてみたりする。感じの良いホステスには、話しのかる客を演じたりする演出家になってしまっている。そして、三十代となると、こういう遊びじみた事は辞めて、自分の為に飲む事を覚える。ホステスに話しているのだが、実は一人言なのだ。自分の考えをまとめるために、あえて損得感情のない人に話して、次のステップを図る。アメリカには、女の子が付くような店は無いが、精神科のクリニックは一般の人でも利用されやすい。日本では悩み事があると、精神科には行きづらいが、女の子のいるパブ・クラブなら。ただ、女の子が話しについてこれるかが、問題だが。

『時間』

時を刻むもの。年々、加速がついて、死んだ事すら気付かないで、歳をとってしまう。(笑)

『教え』

十を知ったら一を語れ。一を知って十を語ったら駄目だ。誤解が生まれるからだ。

『成長』

人は恥をかいて成長するものだ。知らない事は恥ではない。知らない事を隠すのが恥じである。

『しつけ』

子供は言った通りにはしないものだ。見た通りの事をする。

『奇跡』

奇跡は努力した者しか与えられない。奇跡は努力後のスベリみたいなものだ。

『頑張れ』

頑張っている者に「頑張れ」と言う事は、今の頑張りを認めていない事になる。「頑張っている」と言わないといけない。

『電話にでんわ』

電話は声で相手を判断する。そこで、誤解が生じる事がある。本人は当人と話しをしているつもりでも、親だったり、兄弟だったり。他の人の物真似される場合だってある。「ああ、俺、哲夫だけど、今、コージの家に遊びに来ていて」などと。そういう事もあるから、ちょっと話しが合わないな〜と思いながら話しをしていると、結局、間違い電話だったりする。親しき仲にも礼儀あり、いつも話しをしているから、声は覚えていると誤解して、親にその当人の秘密をばらさないように、気をつけたいものだ。

『無い』

ここに置いていたはずの物が無かったり、この辺りに落としたり、飛んだ物が無いというケースがありませんか。実は、四次元の世界に入っているのです。四次元とは、一つの空間に縦、横、高さ、時間を認識出来る世界。時間は過去→今→未来という風に流れているが、四次元では、それが同時に存在する。だから、捜したはずなのに、その空間にその物が存在して、不思議に思う事がある。ところで、ドラえもんであるが、彼のポケットも四次元につながっている。もし、それが、三次元のポケットだったら、どれくらいのデブだったろうか。そう言えば、人間の身体も四次元なのだ。沢山食べても、その分、太らない。身体が大きくならない。食べた分は、どこに行ったのだろうか。

『人間切断機』

満員電車に無理に乗ろうとすると、身体が半分しか入らない。それでも、無理して乗り込もうとする。完全に乗っている人の身体を押してまで乗ろうとすると、反動で押し返され、また電車の外に出てしまう。そうこうしているうちに、無常にも電車のドアが閉まろうとする。身体半分は電車の中、後の半分は電車の外という、人間切断状態。恥ずかしさなのか、痛いのか、慌ててバタバタともがき、外の駅員さんの手伝いにより、電車の中に押される。もうちょっと、人間切断状態を長く延ばしていたら、面白かったのにと。それとも、本当にドアの両側にカッターでも入れておけば、本当にその身体は赤く染まったかな。

『自筆』

最近、自筆で文字を書いていない。パソコンを使用しているからだ。おかげで、漢字を忘れちまっている。手紙を自筆で書くにも、いちいち辞書を引きながらだ。しかも自筆だと、文章が思いつかない。キーボードで打つのとでは、脳細胞への伝達回路が違うのか。それとも、ペン回路の老化現象化か。そうなると、リストラされて、就職試験になると困ってしまうな〜 試験官に「あの〜う、パソコンを使って試験を受けさせてもらえませんか?」と、お願いしないといけない。

『中年』

中年になると自分の中の常識が固まってきて、想像力がなくなってくる。常識外の事が起こると、理解不能になり、突然、怒り出す。「最近の若い者は…」とか言い出す。少なくても、若い者は漠然だけど、将来の事を考えている。ただ、先が見えない将来をどう考えていいのか、わからないから、今を楽しんでいると思う。そういう中年はどうなんだろう。会社に飼われて、嫁、娘に馬鹿にされ、素晴らしい将来なんてありはしない。若い者の自由を妬んでいるだけじゃないかな。若い者は失敗するのも特権だから、人に迷惑をかけなければ、何をやってもOKだという大きな目で包み込もうではないか。そういう自分は、中年なのか、若者なのか、わからない年代ではあるが。

『怒られる時』

人から怒られる時に「お前は馬鹿か」と言われる時がある。簡単なことが出来なかったり、ミスした時だ。そんな時に「はい、そうかもしれません」と答えると、なめているのかと、また怒られ、「違います」と言うと、反抗していると思われ、また火に油を注ぐ形になる。苦手な怒られ形だ。

『代表者』

代表者にとっては沢山の会員でも、会員にとっては一人の代表者である。代表者はそれを忘れやすい。

『人間』

同じような人間はいない。人間のタイプは人口数と一緒なのだ。人を知れば知るほど、その違いを感じる。一概に内向的な人でも、人によっての内向の仕方が違うし、活動的な人でもそれは同じだ。それを金儲けの為に、一色単にして人間を一つのタイプにしょうとするのが、自己開発セミナーや宗教なのだ。人間の一人一人には、それぞれの人間に合った幸せがあるのを無視して、これが幸せだという事を定義づけて、それに向かうためにはセミナーやお伏せが必要だと言う。さすがに、表立って言わないが、システム的には例外なく、そうなのだ。

『明日』

人というのは、明日も生きている前提で生きている。今夜、自分が死ぬかもという可能性を無視している。だから、目が覚めれば、今日も頑張ろうとする。




論文集に戻る