観光地・HP | コメント | 場所 | 高知県立坂本龍馬記念館 | 7つのステージに分けて、映像を中心にして龍馬の生涯と人間像に迫っている。龍馬の手紙、愛用のピストル、いろは丸の衝突事故の始末書など多数展示してある | 高知市浦戸城山830 | 龍馬歴史館 | 180体の蝋人形で龍馬の一生を全26場面で再現している | 高知県香美郡野市町大谷928-1 | 桂浜の龍馬像 | 松林を抜けた所に立つ龍馬の像は白い砂浜と紺碧の海を見つめるように、すっくと立っている。とにかく大きい | 高知・桂浜 | 高知城 | 山内一豊が慶応6年に築いた城。下士であった龍馬は生涯一度もこの城に登城したことがなかったという。天守閣内の「懐徳館」に山内家ゆかりの品々を展示している | 高知市丸ノ内1-2-1 | 高知市立 龍馬の生まれたまち記念館 | 坂本龍馬が生まれ育った上町の歴史、文化等、映像や音、グラフィックで紹介され、その志や時代に触れる事ができる。「展示棟」とコミュニティ育成を目的とした施設「交流棟」の2棟がある | 高知市上町2-6-33 | 坂本龍馬誕生地 | 電話ボックスの上に龍馬の上半身の像が乗っている(平成14年9月現在、電話ボックスは移動され、龍馬の上半身像はなかった)。龍馬のピストルと、紋のベンチが置かれている。その前に、石碑が立つ | 土佐電鉄上町1丁目停留所近く(上町病院の横) | 喫茶さいたにや | 才谷屋という屋号で酒屋や質屋を営んでいた龍馬の本家跡地に建つ喫茶店。この店は龍馬研究会の事務局も兼ねている | 土佐電鉄上町2丁目下車近く | ホテル南水 | 龍馬の屋敷跡に立つ宿だけあって、7階までの階段の壁には龍馬の資料パネルが展示されていたり、ホテル・オリジナルで無料で『龍馬チャンネル』をテレビ放映していいたりと龍馬に関するものばかり。宿泊しながら、ゆっくりと龍馬を味わえる | 土佐電鉄上町1丁目 | 坂本家墓所 | 永福寺にある坂本家の墓。現在は開発の関係で、第一墓所が第二墓所に移転し、一緒になっており、龍馬の曾祖父母、祖父、父母、姉たちの墓が並んでいる | 土佐電鉄上町5丁目下車徒歩10分の所 | 坂本龍馬脱藩之日記念館 | 脱藩のルートをたどった模型や写真が展示 | 河辺村のふるさと公園の中 | 寺田屋 | 龍馬が幕吏に襲われた現場。今も、その時の傷が柱に残っている。寺田屋は現在も旅館となっており、宿泊できる。ただ、冬は… | 京都市伏見区南浜 | 寿司・割烹『かき仙』 | 龍馬も脱藩するまでの少年・青年時代は好んで食べと思われる『龍馬寿司』。新鮮な塩鯖の姿造りの頭と尾をはずして京風にアレンジし、寿司メシと白胡麻・生姜の絶妙な配合が味を引き立ている | 京都市伏見区竜馬通り中央 | 二条城 | 龍馬の構想、大政奉遷の舞台。二の丸大広間で行われた。世界遺産となっている | 京都市中京区堀川 | 丸山公園 | 園内に刀を持った龍馬とその横に中岡慎太郎が寄り添う銅像がある | 京都市東山区祇園町北側 | 霊山歴史館 | 幕末維新の志士たちの遺品や資料を多数展示している | 京都市東山 | 龍馬と慎太郎の墓 | 維新の志士549名のの霊が眠る東山霊山の墓地の中央に、二人の墓が並び、いつも花が絶えない | 京都市東山区清閑寺霊山町 | 近江屋跡 | 龍馬・中岡が遭難にあった場所。現在は石標が立っている | 河原通り | 神戸海軍操練所跡 | 以前は「神戸海軍操練所跡」としるした石柱と錨を型どった碑 | 神戸市中央区新港町 | 維新ふるさと館 | 維新の英雄たちが多彩な演出でリアルに再現する維新体感ホールにて、堂々と龍馬も登場 | 鹿児島市加治屋町23番1号 | 龍馬とお龍の新婚旅行記念碑 | 西郷隆盛のすすめで鹿児島に入国した龍馬とお龍、これが日本最初の新婚旅行をしたとされている。龍馬の横にお龍が寄り添った記念碑 | 鹿児島与次郎ヶ浜 | 塩浸温泉 | 日本で一番最初に新婚旅行をした人しても知られる龍馬が、妻のおりょうとともに訪れた温泉。龍馬とおりょうの銅像が建っている。 | 鹿児島県姶良郡牧園町宿窪田 | 亀山社中跡 | 当時のままの建物の中は、龍馬関係者らの写真、資料、ゆかりの品々150点が保存されている。龍馬がいつも寄りかかったという龍馬柱もある | 長崎市伊良林2丁目 | 龍馬のぶーつ像 | 龍馬のブーツだけのユニークな像。つい両足を入れたくなる | 亀山社中跡前 | 龍馬通り | 坂の途中に「汗もまた龍馬とともの心地よさ」などと書かれた案内板がある | 禅林寺と深崇寺の間に、寺の墓地の間をうねるような約2000mの急な石段の坂 | 坂本龍馬の像(風頭公園) | この像は全国の有志で建てられたもの。長崎市内が一望できる(司馬遼太郎の記念碑もある) | 風頭公園の展望台 | 料亭・花月 | 数ある妓楼の中でも丸山随一といわれた「引田屋」あった料亭が現在は「花月」として残っている。床の間の柱の刀痕は龍馬が酔って傷つけたものと言われるが、高杉晋作がやったものとの説もある | 長崎市丸山町 |