初恋


 老人は浮かれ気味だった。
 明日になれば、釈放される。
 見に覚えのない罪で投獄され、そのまま何十年。
 頭の毛は抜け落ち、シワが顔中をおおっている。
 年甲斐もなく、はしゃぎ気味。
 しかし、明日になっても老人は釈放されなかった。
「刑務所から早く出してください」
 看守に聞いてみたが、同じ答えが返ってくるばかり。
「役所から釈放の通達がこないのです。一応、通達がきてから釈放していますので、もう少し、お待ちください」
「また、五年前のように、釈放が長引く事はないのでしょうか…」
「私の一存で決めているわけではないので、それはわかりまん」
 老人は、自由な空気、酒、女、そんな世界から切り離され過ぎて、それらをすでに忘れかけていた。
「このまま、年を取って死んでゆくのは嫌です。何とかして下さい」
「だから、私の一存では…」
「では、役者にお願いして、私を早く釈放してください」
 老人は一生懸命に看守に頼んだが、聞き入れてもらえなかった。
「この世には、神も仏もなかったのか…」

 街外れの安アパート内、老婆は変な奇声を上げながら、呪文を唱えていた。
 部屋の中には、キリストが手錠でつながれている。
 老婆は、呪文を唱えるのが終わったのか、ホッと一息ついた。
「あの人に、世間の苦い波がおとずれませんように。また、餓えたり、酒の飲み過ぎで身体を壊さないように。そして、これは一番大事なのですが、あの人に変な女が近づきませんように」
 老婆は、数十年前に、片思いした男の為に、一生懸命に神に祈った。
 今ではどこにいるのか、どういう生活を送っているのか、わからないが、一生懸命に毎日、神にお願いした。
 そして、変な宗教の信者の老婆の願いを聞き入れた神は、老人を一生、刑務所に入れて守っている。




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