余 命 半 年


「・・・」
 無言電話だ。
 平凡な38歳、人並の人生に何かを投げかけてくるような電話に、何か嫌な予感がした。
「もしもし」
 俺は呼びかけるが、何も返ってこない。
 誰だろう。
 独り暮らしの独身の寂しい男に電話を掛けてくるのは。
 ふと、昔の恋人の志保の事を思った。
 受話器から聞こえてくる、かすかな息づかいから、ふと、そう思えた。
「志保か・・・」
「ええっ」
 びっくりした声が聞こえた。
 間違いない、やはり志保だった。
「どうして、今さら電話を・・・」
「懐かしくなって・・・」
 俺は何って返事をして良いのか、わからなかった。
「今、どうしているんだ」
「病院・・・」
「病院? 働いているのか」
 志保は看護学校に行っていたかな〜と疑問が沸いてきた。
「働いていない」
「じゃぁ、病院って・・・」
 俺は志保を問い詰めるような話し方になっていたようだ。
「私、後、少ししか生きられないかも・・・」
「ええっ、今、何って言った」
「・・・」
 志保の涙声で聞きとりづらくなった。
 が、志保の言っている事は理解出来た。
 ただ、信じられなかった分、もう一度、聞き返した。
「病気なのか」
「うん」
「お見舞いに行こうか」
「来なくていい」
 志保の来なくていいと言う言い方は、来て欲しいニュアンスがあった。
「何か、して欲しい事があるか」
「それなら、私を捜して」
 唐突に電話は切れた。
 俺は切れた電話に向かって、志保の名前を呼び続ける愚行を行った。
 電話はいつまでたっても、かかってこなかった。


 八年前に、俺と志保は出会った。
 何度か友達同士で会っていたが、いつのまにかに、二人で会うようになった。
 あれは何度目かのでデートの日だった。
 俺と志保は表通りを歩いていた。
 志保とウィンドウショッピングしながら、志保は俺に服をねだった。
「女の服は高いな。六万円もするよ。服は買ってあげても良いけど、バーゲン品でもいいか」
「バーゲン品でもいい」
 志保は服自体よりも、俺が志保の為に何か買ってあげる事自体が嬉しいようだった。
「この服はどうだ」
「私、その服、気に入ったわ」
「男が女に服を買ってあげるという事は、女は今、着ている服を男に脱がして良いという事だぞ」
 俺は真面目くさって、気障な言葉をはいた。
 志保は、イタズラぽい顔で、笑った。
 それから七年半、俺達は付き合った。
 志保と暮らし始め、俺の浮気がバレるまでの長いようで、短い期間。


 俺は電話を握り締めていた。
 志保の直面している事態が信じられなかった。
 俺はすぐにでも、志保に会いたくなった。
 志保が本当の事を言っているのかという事と、もし本当なら、志保が死ぬまでに、俺の浮気の事を謝りたかった。
 そういう謝罪は、俺の自己満足かもしれなかったが、俺は志保の為に時間を使いたかったのかもしれない。
 志保の為に。
 バーゲン品の服を買ってあげたように。


 志保が入院している病院捜し駆けづり回った。
 俺と志保が暮らしていた横浜の街の病院を一軒、一軒と馬鹿みたいに効率の悪いやり方で、捜し回った。
 もしかしたら、志保の実家のある遠い福島で、入院で入院生活しているかもしれないのに。
 俺は、俺と志保が暮らしていた街から捜す範囲を広げていくしかなかった。
 志保はそういうやり方を望んでいるのだ。
 志保の為に、苦労して捜す俺を喜んでいるのだ。
 病院捜しは当たり前の話しだけど、難航した。
 どの病院も「入院しておりません」「通院しておりません」の答が返ってきた。
 会社も一ヶ月休んでまで捜し、やっと、志保の病院を捜し求めた。
 意外にも、俺の今、住んでいる千葉の街の病院だった。
「志保さん、うちの病院に入院ておりました」
 受け付けの看護婦は、そう答えた。
 でも・・・
「入院しておりましたとは」
「二ヶ月前に、お亡くなりになりました
「二ヶ月前に・・・」
 志保から電話が掛かってきたのは一ヶ月前。
 死んだのは二ヶ月前。
 俺は、その時間的感覚が麻痺していくのを感じた。
 信じられなかったので、もう一度、看護婦に尋ねたが、返ってくる言葉は、俺に幽霊の存在を信じさせる言葉だった。
 志保は俺に、自分の死を知らせたかったのか。そして、俺の浮気にケリを付けるために、復讐したかったのか。
 俺は、以前、志保が言っていた言葉を思い出していた。
 志保と俺との共通の友達が亡くなって、葬式に行った帰りの事だ。
『私が死んでも、私はあなたの心に生き続けるわ』と、言った言葉。
 俺は一ヶ月前の電話の意味を知り、志保らしいやり方に、急に笑いたくなった。




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