「あっ、また開かない」
智美は思い切って、ふすまを引っ張っているいるのだが、それなのにビクリともしない。
「おとうさん」
智美は大声を張り上げ、叫んだ。
これが初めてではない。
おとうさんが肝臓の手術を終えて、家で療養しだしてから、一ヶ月になる。
その一ヶ月、薬や食事を運んでいった時、どういうわけか、このようにふすまが開かない時が多い。
そのたびに慌てた智美がおとうさんを呼ぶ。
しばらくすると、返事があって、何事もなかったように、ふすまが開くようになる。
(これで、五回目。寝たきりのおとうさんが、開かないようにと、ふすまを押さえているわけでも。つっかえ棒をしているわけでもない)
おとうさんの病状は必ずしも良くなかった。
若い頃の大酒飲みがたたってしまった。
だから、流暢にふすまの謎を気にしている場合ではない。
「おとうさん、食事よ」と、もう一度、声をかけた。
が、今日は変だった。
今までとは違って、しばらくたっても返事がない。
智美は食事を持ってきたお盆を下に置くと、ふすまに耳を当てた。
どうした事か、おとうさん以外いないはずの部屋から、女の人の声が聞こえるではないか。
しかも、若々しい声。
「お金ちょうだい」
「おいおい、三日前に十万円渡したばっかりじゃないか・・・」
「でも、もう使っちゃったし・・・ねぇ、ちょうだいってばぁ〜」
ドタバタする音が聞こえた。
智美がこんなに心配しているのに、女なんかを家に呼んでいるなんて、急に腹がたって、ふすまを思い切って開けながら叫んだ。
「おとうさん、何しているのよ」と。
ふすまは開いた。
が、部屋の中には女なんかいなかった。
薄暗い部屋の中におとうさんは布団に寝たままである。
「智美か・・・」
おとうさんは、急に娘が大声を張り上げてふすまを開けたので、びっくりした目をしていた。
「あれっ、どうして。今、女の人がここにいたでしょぅ。若い女の人・・・」
「若い女の人・・どうやら、夢を見ていたようだ。まだお母さんと出会う前に、よく新宿の飲み屋で飲み歩いてな・・その頃、俺も若かったんだな・・・金使いの荒い女に熱を上げて、失敗ばっかりしていた・・・」
おとうさんは娘に寝言を聞かれたと思って、恥ずかしながら話した。
おとうさんの若い頃の女癖が悪かったのは話しは、苦労して亡くなった母から聞いていた。
でも、病気になる前までのおとうさんは、私のために男で一つで一生懸命になって働いて、人に自慢出来る立派なおとうさんなので、昔の事はどうでも良かった。
「智美、食事はそこに置いていいから、おとうさんをもう少し寝かしてくれないか。ちょっと変な夢を見たんでな。最近、こんな夢ばっかりなんだよ。もう少し、眠りたい」
「は、はい」
智美はお盆を枕元に置いて、ふすまを閉めながらおもった。
(確かに、さっき、女の人の声が聞こえた。おとうさんの声ではない。確かに女の人の声。どういう事なの・・・もしかして、おとうさんの夢の中に出てきた女の人の声を、私が聞いたっていうの・・・そんな事ってあるの・・・もし、そうだったら、私が女人を退治してやるわ)
智美はおとうさんの部屋を離れる前に、エィッと気合いを入れて、おとうさんがその女の夢を見ないようにと祈った。
それからというもの、おとうさんの肝臓は良くなり、一週間後には、信じられない回復力で、元気に会社に行けるようになった。
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