酔 っ 払 い


 世の中には変な人達がいる。こっちが誠意を見せて話していても、わかってもらえず、返って変に思い、こっちの事を善人ぶっていると言う奴。別に善人ぶっていない。ただ、正直に思っている事を言っているだけなのに・・・

 携帯電話が鳴ったみたいだ。
 スーツの胸ポケットから携帯を取り出すと、嫌な予感がした。
 それでも、通話ボタンを押した。
 会社帰りの急な上り坂。
 息を切らせながら、坂を登る。
 ちゃんと、喋れるかなと思いつつ・・・
「もしもし」
「・・・」
 何の応答がない。
 無言電話かなと思ったら、違った。
 ボソボソした声が聞こえた。
 精彩のない声。
「今西です」
 奴だ。
 いつもよく居酒屋で、知り合った無職の男。
 三十二歳のいい男が、親から小遣いをもらって、酒を飲みにきては、社会の愚痴を言う。
 わけの分からぬ文句をボソボソとはき、愚痴を言う事で自分の存在価値を計る。
 あまり良い印象はない。
 だが、いつだったか、俺が後輩達と一緒に滅茶苦茶飲んだ時に、トイレで今西が吐いている所を、介抱したのが運のツキだった。
 いつもだったら、そういうダラケタ男は相手にしないのだが、俺も上機嫌で酔っ払っていた。
 気がついていたら、今西の背中をさすっていたのだ。

「この前、言いましたよね」
「ええっ、何を・・・」
「何を、って」
 俺は今西が何を言っているのか、わからないが、どうやら、怒っているらしい。
 こういう輩は、自分の言い方が悪いのに、それを理解しないのは相手のせいにする。
「わからないのか、この前、貴方が言っていた事を」
「この前・・・俺も酔っていたから、あまり覚えていないけど・・・」
「貴方は、いったい、どういう人ですか」
「どういう人って・・大学を卒業して、今の会社に・・・」
「ええっ、大学・・・大学を卒業しているんですか」
「卒業しているけど、それが何か・・・」
 論点が完全にズレようとしている。
 今は、俺の大学の話しではなく、今西の電話の掛けてきた用件が問題であって・・・
「よく大学を出た人間が、話しが通じないですね」
 通じないのは、そっちの方だろう、と言いたいのを我慢した。
「用件は何ですか」
 上がり坂は、まだ半分しかきていない。
 息はゼイゼイとなる。
「先日、貴方は私に何と言いました」
「わかりません。酔っていたので・・・」
「酔っていた。酔っていれば何を言ってもいいのですか」
「・・・」
 話しが前に進まない。
 坂がきつい上に、この押し問答。
 俺はホトホト疲れてしまう。
「何とか言ったらどうですか」
「すみません。本当に覚えていないので・・・」
「本当に覚えていないのですか。大学を出ていながら・・・」
「それとこれとは、話しが別でしょう。人間、酔えば思考回路が鈍くなって、記憶が薄れ・・・」
「難しい事は言わないで下さい。私、高校中退ですから」
 あっ、完全に大学コンプレックスだ。
「別に難しい事は言っていないはずですが・・・」
「貴方は、私の背中をさすりながら、こう言ったんです」
「・・・」
「貴方は、私に酒に飲まれるなと」
「それは、そうじゃないですか。沢山のゲロを吐いていたわけだから。悪酔いしたのかと思って」
「しかも、それを店のママさんに言って」
「早く帰した方が良いと思って・・・」
「どうして」
「今西さん、酔っ払ってフラフラだったから、心配してあげたじゃないですか」
「でも、どうして、ママさんに」
 どうやら、ママに言ったのがいけなかったのか。
 もしかして、ママさんの事を惚れているのか。
「会計とかあるから、後はママさんにお願いしないといけないから」
「何で、そこで言い訳するのです」
「言い訳・・・」
「言い訳じゃないですか。おかげで、私は、私は・・・」
 俺は坂の途中で立ち止まり、今西の泣き声を聞くはめになった。
 どうして、こんな事に・・・
「元気出してくださいよ」
 俺も嫌になるほど、人がいい。
「私はママに振られたんですよ。昨日。もう、店には来ないで下さいと」
 それは、そうかもしれない。
 日頃、散々、酔っ払って、他のお客さんに話しかけたり、バイトの女の子のお尻を触ったりするから、ママさんもついに、堪忍袋の緒が切れたのだ。
 俺は、これをどう説明しょうか・・・
 思った事を、そのまま伝えたら、今西さん、確実に発狂するだろう。
 何にも言えなくなってしまった。
「貴方のせいだ」
「どうして」
「貴方が、私に酒に飲まれる男だと言ったから・・・」
「それは、違うでしょう。実際、今西さんは悪酔いして、他のお客さんやバイトの・・・」
「黙れっ」
 俺は今西の狂気めいた声に驚いた。
 俺の横を通り過ぎようとする主婦が、俺の顔を一瞬見て、目と目が合った途端、慌てて目をそらして、急ぎ足で通り過ぎた。
「黙りなさい。そして、私に謝りなさい」
「どうして、俺が今西さんに謝らないといけないのです」
「土下座しなさい。私の目の前で」
「目の前で・・・」
 俺は慌てて、辺りを見回す。
 近くの子犬と目が合い、キャンと鳴いて逃げていった。

充電の切れた携帯を握りしめている俺。
「本当に謝れば許してくれるんですね」
大声で喋る俺。




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