白  い  骸  骨



 ビックリ病『皮膚の突然変異奇病。ウイルス性の感染症。感染した最初の兆候は、風邪を引いたような軽い頭痛と、ビックリしたように目が飛び出そうになり、瞳が閉じなくなる。そういう症状が半年続き、突然、皮膚が、透明になったかのように、筋肉、臓器、血が皮膚を通り越し、体外にこぼれだす恐ろしい病気。ビックリ病の治療方法はまだ見っかっていない。



 本命竜馬家の平凡な毎日は、その日の朝の妻の一言から一変した。
「頭が少し痛い」
 妻はだるそうに言った。
 俺の布団の横に、頭を押さえ、少し青白い顔の妻がいる。
 それでも起きて、俺が昼に会社で食べる弁当を作ろうと、起き上がろうとする。
「今日は、いよ。近くの食堂で食べるから。それより、寝ていろよ」
「ごめん」
「なに、病院に行けば、すぐに治るよ」
「私も、そう思う。少ししたら、病院に行く」
「気をつけて行けよ」
 俺は布団で寝る妻を残して、会社に行った。
 妻が目を開けながらも、寝ている事も知らずに。



 会社から帰ってきたら、すぐに、妻が寝ている所に行った。
 いつもの元気のいい「おかえりなさい」の言葉は、聞こえなかった。
「病院に行ってきたんだけど・・・」
「どうだった?」
「風邪じゃないみたい」
「どこが、悪いんだ」
「はっきりしないんだけど、今日の、検査して、明日、結果がわかるみたい」
 妻の声は、朝より元気がなかった。
「明日、会社を休んで、病院に一緒に行こう」
「ありがとう」
 そのまま、妻を寝かして、俺は一人でテレビを見ていた。
 ボーッと見ていた為、時間が経過するのが、早かった。
 いつもなら、二人でテレビを見ながら、感想を言い合いをするのだが、今日は寂しい夜になった。



 翌朝、俺たちは病院に行った。
 内科の待合室で妻の検査結果を待っている時、看護婦さんに呼ばれた。
 看護婦は俺を、ちょつと離れた別室に連れていった。
「やあ、久し振り」
 別室には、俺が昔、会社でお世話になった野崎医師か、待っていた。
 野崎は世界でも誇れる優秀な外科医である。
 俺が各病院の高名な医師を集め、会議の進行の準備を会社でやっていた為、知り合えたのである。
 野崎医師は会議中、よく俺を呼んで、雑用を頼み、時間があると、会議が終わった後、俺を高級クラブに連れていってくれた。
「実は、貴方の奥さんの事だが」
 野崎医師は真剣な表情で、俺を見つめた。
 ちょっと言い辛そうだった。
「何でしょうか」
「貴方が働く姿から人格・性格等を考えて、思い切って言いますが、覚悟はいいですか」
「妻の病気の事ですね」
「そうです。厄介な病気です」
「何の病気ですか」
 俺は死刑を宣告される気分を味わった。
「奥さんは、どうやらビックリ病を患ったようです」
「ビックリ病?」
 仕事で医療事務に詳しい俺でも、聞いた事のない病名だった。
「エボラウィルスがレベル4の恐ろしい病気ですが、それに匹敵するぐらいの面倒な病気です。ワクチンも開発されておりません。アフリカのコンゴで発見され、数憶万分の一の確率で伝染する病気なのですが、伝染率については余りにも低いので安心なのですが・・・ その病気は・・・」
 野崎医師の話しは、耳を被いたくなるような内容だった。
 特に半年後には妻の壮絶な死が待っている点に、俺は失神しそうになった。
「ちょつと確認したい事があるのですが、頭が痛いという事はありませんね」
 野崎医師は、俺の目を見ながら言った。
 医師の目で、俺の目を診察しながら。
「いいえ、ありません」
 俺はそう答えるのが、やっとだった。



 妻はすぐに入院した。
 俺は妻の当分の荷物を取りに行くために、家に戻った。
 だれもいない二人の家。
 妻の着替えを捜すために、タンスの引き出しを開ける。
 妻の下着が見つかる。
 俺は、それを見た途端、涙が止めなくこぼれだした。
 嗚咽しながら泣いた。
 もう、妻はこの二人の部屋には戻ってこないんだと。
 あと、半年経つと、妻はこの世にはいなくなるのだと。
 残酷な現実は、俺を非現実の世界へと導いていくような気がした。
 そして、泣く。
 妻の下着を握りしめて・・・



 妻と会うため、病院の隔離病棟に行った。
 俺と案内してくれた看護婦は、ガスマスクのような菌の伝染を防止する服を着ていた。
「あなた・・・」
 妻はベットの上から俺を呼び掛ける。
 妻ではないくらい弱々しい声で。
「元気か・・・」
 俺は、つい、いつもの友人と会った時の口癖が出てしまった。
 入院しているのに、元気でいるはずはない。
「うん」
 妻は、またまた弱々しい声。
 俺の口癖が出た事に、気づき、少し笑う。
「何かして欲しい事はあるか」
「何もない」
「・・・」
「元気になるよね」
「なるよ」
 俺は優しく、うなずく。
 心の中では号泣。
「元気になったら・・・」
 妻は、自分が元気でないと俺が悲しむと思い、話しを明るくしようとする。
「元気になったら・・・」
「元気になったら、沖縄に行きたい」
 よっぽど、二人で行った沖縄が嬉しかったのだろう。
 二人の笑い声が、沖縄の日差しを跳ね返す。
 笑いながら手をつないで走った真っ白い砂浜。
 バイナップル園で、お互いの口に入れ合うパイン。
 ハブとマングースの対決を、お互いの手を握り締めて観戦する二人。
 二人は旅行中も、帰ってきてからも、行く前からも一緒。
 二人を離せるものは無いと思っていた。
 妻が重い病気になるまでは・・・



 一人、家に俺はいた。
 テーブルの上には札束の山。
 一千万以上はある。
 このお金で、近いうちに、マンションを買うつもりだった。
 札束を見ているうちに、俺は妻の声が聞こえてくるような気がした。
「二人のマンションはね、台所が今より広くて、リビングに大きなテーブルを置くの。そして、あなたの書斎に、二人の寝室、友達が泊りにきた時は、もう一つ部屋があるといいね・・・そして・・・」



 野崎医師に、俺は頼み込んだ。
 どうせ死しか待っていないのなら、妻を退院させて、妻と一緒に沖縄に行かせてくれと。
「だめだ」
 野崎医師の冷たく虚しさを帯びた声。



 妻は、ちょうど、半年後に死んだ。
 壮絶な死だった。
 俺は、妻の傷みを分かち合いたいと、病院の壁に頭を打ちつけながら、泣き叫んだ。
 地獄からの叫び声よりも大きく。
 喉が潰れ果てるまで。



 妻の葬式は簡単にすんだ。
 棺を火葬する前に、妻と最後の別れをしたいからと、参加者全員を外に出し、二人きりにしてもらった。
 棺の蓋を開ける。
 葬儀屋が、棺の中を綺麗に菊の花でコーディネートされていた。が、菊の中には、肉の塊り。
 俺は生理的に吐き気が込み上げてくる。
 それでも、俺はノコギリを取り出し、妻の首らしき所に刃を当てる。
「これで、二人はいつまでも一緒になれるんだ。俺は妻がいないと、駄目に・・・」
 最後は涙声。
 肉を切り裂くノコギリの音。



 穏やかな波の音。
 白い砂浜。
 青い海。
 沖縄に俺たちは来ていた。
「見てごらん」
 俺は大きな旅行カバンを開けた。
 潮の香りが充満する砂浜。
 カバンからビニール袋に包まれたモノを取り出す。
 ビニール袋を開ける。
 辺りに死臭が漂う。
 妻の顔。
 今では、生前の顔とは似つかない肉の塊り。
 ドロドロに腐食し、一部の粘液がこぼれ落ちた。
「ここが、俺と妻とが一緒に、もう一度、来たいと言っていた沖縄だ」
 俺は虚ろな感じで、そう言った。
 誰もいない俺たち二人の海は、珊瑚礁のバノラマと共に溶け込んでいった。
 俺が白骨死体となるまで・・・




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