愛 の 歪 み ( 息 子 の 手 記 )



 僕の父・・・村瀬耕作は生涯許す事の出来ない人間である。



 僕たち兄弟が物心ついた時には、すでに父はアルコール中毒になっていた。
 なぜ、アルコールに溺れるようになったかは知らないが、母と結婚する前から重症だったらしい。
 勿論、父と母は見合い結婚である。
 父の両親は、あまりにも女癖が悪い為、結婚したら少しは落ち着くのではないかと思って、父がアル中という事を隠して結婚させた。
 また、母の両親は、父が大会社の社長の息子であるという事だけで、結婚させられた。
 田舎の貧乏漁師の一人娘であった母は、親孝行のためにと、嫁いでいった。
 父の本性が現れたのは、結婚後一週間もたっていない頃だった。
 毎晩、父はバーで飲んで帰ってきた。
 当時、父と母は、父の両親から買ってもらったマンションに住んでいた。
 父は近所迷惑を考えず、大声を上げながら帰り、母はオロオロするばかりだった。
「女に男の気持ちなんかわかるか、べらんめぇー」と、父は母の横面を殴る。
 母は泣き崩れ実家に電話するが、「お前が我慢してくれないと、耕作さんのお父さんから、お金がもらえないのだよ。だから・・・」と、言葉を濁す。
 このような父だから、まともに働くわけがない。
 自分の親の会社だからという名目で就職できたが、ほとんど毎日、二日酔い出勤。
 たまに集金に出かければ、集めたお金を競馬に使い込み、負けて帰ってくる。
 このままでは、会社の信用問題だと、祖父は考えたのだろうか、父を辞めさせて、毎月の生活費を与える事にした。
 しかし、そのお金はことごとく酒代に化けていった。
 何しろ、母の手に渡るのは一週間分の食費にもならないのだから。
 母は身重の身体にも関わらず、パートや内職をした。
 そして、僕たち、双子が生まれたのだ。
 僕らは一卵双生児で、顔も身体つきもソックリだ。
 ただ、男か女か、という違いだけだった。
 僕たち、兄弟が父に激しい嫌悪感を持ったのは、小学校一年の頃だった。
 その日も父は酔っぱらって帰ってきた。
 僕たちは父の声で目を覚ました。
 妹のマコと顔を見つめ合って、布団の中で震えていた。
 しかしその日は、いつもと様子が違っていた。父がバーの女を連れてきたのだ。
 僕とマコはドアをそっと開けて、隣りの部屋を除いた。食堂では父と女が椅子に腰かけていた。
 母は台所で何かやっている。
 おそらく二人の為に、酒のツマミを作っているのだろう。
 女はタバコを吸い、父はバーボンをボトルごとラッパ飲みしている。
「おい、まだ出来ないのか」と、父は叫ぶ。
 しばらくして、母は二人の前にツマミを出したが、目は鋭く父の方に向けられていた。
 その視線に父に一瞬ドキッとしたようで、身体を震わした。
 が、すぐに気を取り直して、バーの女の肩を抱いて言った。
「この女は、俺のコレなんだよ」と、父は自分の小指を立てて、言葉を続けた。
「亭主の浮気の一つや二つ、認めない奴は、一人前の女房じゃないよなぁー」
 母は何も言わず、じっと父の顔を見ている。
 バー女の方は庫との成り行きを面白がって、父の胸元に顔を埋めて、甘い声を出した。
 父もそんな女に欲情したのか、女の胸を揉みはじめた。
 突然、それまで、無表情だった母の顔がワナワナと震えだした。
 肩で大きく息をしているのがわかる。
 マコはついに泣きはじめた。
 僕はマコを強く抱いてあげた。
 母は意気なり、目の前のコップを女に投げつけた。
 ギャーツと女が叫び声を上げる。
「こいつ、何をしゃがる」
 知の怒鳴り声と同時に、母は頬をぶたれて床に打ち伏した。
 キッと父を睨み返す母。
「何だ、その目は」と、父は再び母をぶとうとした時、母は身の危険を感じたのか、とっさに身をひるがえし、僕らの部屋に入ってきた。
 母はハッとした表情で、布団の中で抱き合い、泣いている僕たちを見つめた。
「ごめんね、ごめんね」と、母は僕とマコに抱きついて、泣きながら何度も言った。



 この家庭環境の中で、僕たち兄弟は毎日ビクビクしながら暮らしていた。
 近所の子と遊ぶことなく、僕とマコは自分たちだけの世界で遊んでいた。
 二人は人と会うのが恐かった。
 人の視線が合うと、言いようのない不安にさらされた。
 二人は成長するに従って、ますます二人の世界を築きあげていった。
 そして僕たちが、肉体関係を持つようになったのも当然の事だつたといえる。
 僕たちはお風呂も一緒、寝るのも一緒、衣食住を共にしてきたのだ。
 お互いの身体の変化に気づき始めたのは十一歳の頃だった。
 性器にうっすら陰毛が生え、マコの初潮が始まり胸もふくらみ、身体が丸みをおびてきた。
 そして僕も射精が始まった。
 わずかな知識から、お互いの性器がどのような役割を果たすのかを知った。
 それが、快楽を伴う事も。
 セツクスという行為で、全てを忘れる事ができた。
 そしてお互いの存在を確かめ合い、慰める事も。
 現在、二人は高校一年生。
 僕たちはほとんど、毎日のように交じわり続けていた。
 避妊はしなかったけど、妊娠はしなかった。
「これが、私たちの運命なのよ」と、マコは言い続けた。
「不幸な赤ちゃんが生まれないように神様が守ってくださっているのよ。でも、私たちがやっている事は、世間では近親相姦って言うんでしょう」
 近親相姦、この言葉を僕の頭の中で繰り返す。
 罪悪感を持つ響きである。
「いや、僕は違うと思う。たしかに僕とマコは兄弟で、肉体関係を持ったら近親相姦だけど、よく考えてみろよ。僕たちは一卵双生児なんだ。もともと一つなんだよ。他の双子は、どうか知らないけど、僕たちは一人一人では存在し得ないんだよ。お互いの存在を確認するために、僕たちはセックスをする。一人で生まれてきた人間が自慰するのと一緒なんだよ」
「だったら、こんな事、信じられる? 私たち、お母さんのお腹にいた時からセックスしていたかもしれないわね。生まれてきた時から、処女じゃなかった。私たちを取り上げた産婆さんが、お兄さんの性器が私の中に挿入されているのを見て、腰を抜かすの。楽しいわ、こんな事・・・」
 マコは声を上げて笑った。
 こんなに笑ったのは初めてだった。
 そして、僕は再びマコを抱いた。
 もう誰にも気兼ねする事もなく、交わる事が出来る。
 マコの体内に挿入された僕のペニスはいつしかチツと同化し、お互いの血液が循環する。
 そこが僕たちの接点となり、僕の心臓とマコの心臓とが同じ鼓動で、エクスタシーが大波のように訪れる。
 僕たちはその波に乗って現実の世界から逃避する。



「ご臨終です」
 主治医が聴診器を父の胸から外しながら家族に言った。
 僕の口もとには、わすかな微笑みがあった。
 この男の死は、僕たち母子に幸福をもたらすのだ。
 もうこいつに縛られる事はない。
 母は病床の父の顔を除き見ながら「本当に、この人、死んだんだろうか」と、呟いた。
 僕とマコは無言でうなづいた。
 父の顔には黄土色に変色しているアルコール中毒による肝硬変特有の黄疸があった。
 みるみるうちに父の顔は死人の顔に変化していく。
 まるで、自分から死化粧するように。
 僕たち三人は得体の知れない恐怖に襲われ震えた。



 父の葬式は祖父の会社のお偉方、社員の連中が九割を占めていた。
 祖母は目頭をハンカチでしきりに押さえている。
(いい気味だ。お前たちはあいつがアル中と知りながら、母と結婚させたのだ。何って汚い野郎だ。母の苦労を考えた事があるのか。父の死は当然の報いだ)
 僕とマコは遠くで彼らを長めながらそう考えた。
 やがて、僕らは葬式の行われている広間に入っていった。
 またたく間に、周囲はざわめく。
 それは当然だ。
 それもそのはず、僕らは赤い服を着ていたのだ。
 黒装束の中に赤が浮いている。
 二つの赤は、父の棺のある正面の方へと進んでいく。
「お前たち、何をやつている」
 父方の親族から罵声が聞こえる。
 僕とマコはそんな言葉を無視して棺の前まできて、立ち止まった。
 僕らは焼酎の栓を開けた。
 けげんそうな顔して僕らの行動を見ている人達。
 僕らはお互いの顔を見つめ合った。
 そして、無言でうなづくと、次の瞬間、棺に焼酎を振りかけた。
 周囲の声など聞こえない。
 焼酎の臭気が辺り一面に漂う。
 母はかすかに笑っている。
 僕とマコと母、憎っくき父の入った棺、そこだけが時間が止まっていた。
 僕たちだけの空間があった。
「もっと飲め、もっと飲め」
 ほとばしる焼酎のしずくを見ながら僕たちは、そう叫んだ。



 四十九も過ぎた頃、僕ら母子は父の両親から絶縁された。
 僕らは喜んだ。
 もう、自由なんだと。
 そして、僕らは母の実家に帰った。
 母は最近、めっきり綺麗になったようだ。
「母さん、最近、どうしたの?」
 僕とマコはそれとなく聞いた。
「だって、お父さんが死んだんですもの」と、母は笑顔で答えた。


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